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Aimez-vous la Méditerranée? |
PART 6- 伊仏国境のリゾート地ヴェンティミリア
しかし今回のレポートは長くなりそうですな。去年のロンドンが1泊2日でPART 4まであったのだから、さて・・・。
2月18日の朝はまず、8時55分にジェノヴァ・プリンチペ駅を発車する急行(Inter City Plus)でヴェンティミリア(Ventimiglia)をめざします。首都圏で生活しているとピンと来ないのだけれどJRでも普通列車に関しては県境を越える便が極端に少なくなるということがあり、西欧の国境でも似た現象がみられます。かつてベルギーから普通列車でフランス側に抜けようとしたとき、国境手前の駅で何やらわさわさしていて、隣席のおねえさんが「この車両はここでエンドだから前に行きなさい!」と英語で教えてくれなかったら、国境をまたぐ車両が限定されることに気づかないままでした。ドイツ・オランダ間の地味な国境越えについては以前にレポートしています。トーマス・クック時刻表によれば、ヴェンティミリアをスルーして仏伊国境を直通する列車は日に3往復だけ。鉄道というのはあんがいナイーヴなもので、歴史的な形成過程から国ごとにシステムが違いますから、直通運転するための負荷は素人が考える以上のものだと思うのです。前述のように、ヴェンティミリアそのものについての予備知識はゼロで、日本のガイドブックにもまったく記述がありませんが、海岸沿いなのは確かなようだから地中海を愛でたらそれでいいやというところ。ダメでもすぐに接続するフランス国鉄(SNCF)の便があるしね。
急行の1等車に乗ってヴェンティミリアへ!
プリンチペ駅のホームにコーヒーの自販機があり、コイン以外はクレジットカードになってしまうフランスとは違って紙幣も飲み込む立派なもの。エスプレッソが1杯€ 0.60と安いので試してみたら、ちゃんと出てきて感心したものの、砂糖のたっぷり入った、それも溶けきっていないざらざらしたもので、こりゃまずい。エスプレッソは砂糖をどろどろに混ぜて飲むのが本来のスタイルと承知しており、あくまでブラックでいただく当方がイレギュラーなのだけれど、本気の濃さに加えて大量の砂糖ではますます胃が荒れそうです。半分くらい飲み残して線路に空けました・・・。ヴェンティミリアゆき急行の車両はかなりくたびれて、JRでいえば「国鉄型車両」みたいなやつでしたが、1等は6人定員のコンパートメントでした。その昔のB寝台車にアクリルのドアがついていると思えばよく(といっても若い読者はブルートレインに乗ったことはないでしょうね)、4日前にパリ〜オルレアンを往復した列車と同タイプ。2007年2月にパリからメスに行った際にもこのタイプでした。18年前に初めて渡欧した折にも、マルセイユから乗ったローカル列車がそうで、感心したことです。
1等コンパートメント
わがコンパートメントの乗客は自分を含めて4人でした。イタリア語の新聞を読んでいるマダムとムッシュ、フランス語のペーパーバックスを読んでいるマダムと、日本語の文庫本を読む古賀。ゆとりのあるコンパートメントは好きなのだけれど、他人と場を共有するのが苦手な現代の日本人は不得意なスタイルかもしれません。
窓が汚れているのが残念だけど、これぞ地中海!の車窓
ジェノヴァの都市圏は思ったよりも広く、発車してからの後背住宅地みたいなところがしばらくつづきました。それが途切れると、いよいよ線路が地中海に寄り添う位置取りになります! ジェノヴァの市街地から見た地中海は港湾越しだったので、ここでようやく本物っぽいものを見られました。
初めて渡欧、というか初めて外国旅行したのは大学3年生のときのことでした。米英を中心とする「多国籍軍」がクウェート解放を掲げてイラクに攻撃を仕掛けた湾岸戦争(第一次イラク戦争)の真っ最中で、多くの日本人が外国旅行をキャンセルし、とくに大学生が卒業旅行を断念したのですが、それは「戦地で危ないから」ではなくて、「日本は軍隊を出さずカネで何とかしようとしているから、戦地ではない欧米に行っても恨みを買って危険」という意味不明の理屈によるものでした。風評というのはそんなものだし、日本人の国際感覚とか旅行に出る動機というのもそんなもので、いまでもさして変わりません。予定どおりに渡航した友人と私は、ロンドンから飛行機でニースに入り、地中海と対面しました。そこから鉄道でマルセイユに向かい、さらにはアルプス方面に分け入って、最後にTGVでパリに向かった・・・というところでPART 1のリヨン駅の話につながりましたね。私が本格的にフランス屋になったのはそのあとのことで、初回の渡仏では嫌な印象しかなかったパリにはまり込み、以後はそこを拠点に動いていますので、地中海とは実に18年ぶりになるのです。急行列車はいくつかの駅に停まって西に向かうのですが、線路はそのあいだ、ほとんどの時間を海沿いに走ります。これはうれしいね。
いかにもリゾート地の玄関という感じのヴェンティミリア駅
イタリア人のマダムとムッシュは、保養地として知られるサンレモ(San Remo)で下車し、フランス人らしきマダムと2人になって、11時07分の定刻から数分遅れてヴェンティミリア駅に到着。駅はホーム2面3線と小規模で駅舎もくたびれ、日本の地方都市の駅みたいな感じです。ここから先の線路はフランス国鉄の管轄なので、何となくJR東日本と東海の境界にある熱海駅のような感じがしなくもありません。駅前に出てみれば、まさしく熱海のような「海沿いの観光地の玄関駅」という印象。
ヴェンティミリアから西に向かう便は、11時25分、11時55分、12時23分・・・とけっこう頻度があります。街がつまらなければ早めに乗り継げばいいのだし、駅前からまっすぐ南に伸びる道路がおそらく海ゆきの目抜きだろうから、歩いてみました。というか、駅前からもう海が見えています!徒歩8分ほどで海岸に出られる、お手軽な保養地のようです。その間の道路には、カフェやレストランがいくつかあり、昼どきとあってお客でにぎわっていますし、市場には買い物客があふれていて、妙に活気があります。空は青くて広く、ヤシの木を植えるような演出もあって、いかにも温暖な海岸のリゾート地という設定。宮崎とか高知もこんな演出ですよね。ここはぎりぎりイタリア領内なのですが、ヴァカンス客の多くはフランス人なのか、話されている言葉はイタリア語よりフランス語のほうが多いように感じます。
南国リゾートふうも、振り返ってみると欧州そのもので、なかなかの景観
旅の主目的地としてはどうかと思いますが、陸地がどうあれ地中海を愛でたらいいだけなので、観光公園にしつらえてある海岸に出ました。
地中海を愛でている
さほど広くないものの河口付近に砂浜があり、お空が真っ青なこともあって、藍色の海が非常にきれい。風がそれなりにあるので、凪いでいるわけではなく、けっこう強めの波が岸に押し寄せてきます。九州の海をうたった頼山陽の詩に「水天髣髴青一髪」という表現があり、海の青と空の青が髪の毛のような細い線で隔てられているという趣旨なのですが、そんな感じね。地中海(la Méditerranée)というのは、フランス語ベースで解釈するならば、大地とか地面をあらわすterre(英語のland)のあいだ(médi)という意味で、日本語の表現は非常に直訳的なわけです。マス・メディアのメディア(media)の単数形はミディアム(medium)で、前者は「何かと何かのあいだに入って媒介するもの」という意味だし、後者はステーキの焼き具合で「(ウェルダンとレアの)あいだの中くらい」、洋服のサイズで「(ラージとスモールの)あいだの中くらい」ということで、接頭辞mediのニュアンスがわかりますかね。
でも、ここに来てあらためて考えるに、この大いなる水平線の向こうに別のterre(地面)があるというのは、一般人にとっては想像の世界の話でしかなかったのではないか。実際には、日本海よりもはるかに広い海です。われわれが北陸とか山陰の海岸に立って「対岸」の北朝鮮とか沿海州を想像するのが困難なように、このあたりに住んでいた古代の人たちは、チュニジアとかアルジェリアあたりのことを思い浮かべるのは難しかったのではないか。いや、そうではなくて、往来は常に頻繁にあって、対岸の世界を見てきた人の証言がふんだんに存在したのでしょうか。ローマ帝国の「内海」だった地中海は、7世紀以降イスラム勢力の台頭に伴ってキリスト教圏とイスラム教圏を隔てる「境」の海に転じます(その後のノルマン人の侵入がいっそうその傾向を強くします)。古代の秩序たる「地中海世界」は、中世初期に「欧州世界」へと代わり、北にシフトして、ほぼ今日の視野に収まります。高校の世界史Bの学習指導要領も、おおむねそんな歴史観にもとづいて構成されています。(フェルナン・ブローデルの『地中海』に触れるべきかもしれませんが、個人的に好きではないので省略!)
あ、レストランだ!
ここはさほど開発されていないリゾート地らしくて、海岸線がナマのままなのはかえって好ましいです。すぐそばに、Beach Barとえらく直接的な表現のレストランがあり、海岸に面したテラス席は先客が1組だけだったので、ここでランチしていこう! ヒマそうだった店員は当然ながら海側の席を勧めてくれました。
こういうの、よくなくない?
店員さんには英語もフランス語も通じ、英仏伊語で書かれたメニューはイタめしとフラめしが半々のようだったので、せっかく地中海にいるのだし、魚のプロヴァンスふうを注文。トマトソースで煮込む、フランスのカジュアル・レストランでは定番のメニューですが、付け合せの野菜をぜひというのがイタリアっぽいかもしれません。本日の魚はドラド(daurade)とのことで、これもフランスでおなじみのタイの一種。風はけっこう強く、しばしばテーブルクロスのすそをめくるのですが、生暖かくてむしろ心地よい。季節はずれだからか、砂浜を歩く人はほとんどなく、地中海の眺望を独占しているような状態です。ドラドは身が分厚くてけっこう食べでがあり、味も上々でしたが、何よりシチュエーションが最良でした。知らん都市を歩いて、地中海を愛でながら昼飯を食べた、というだけで、そもそも満足でございます。しめて€ 20.20。イタリアの人としゃべるのはこれが最後の機会なので、アリヴェ・デルチ(arrive derci さようなら)とイタリア語であいさつしておきました。
なーんだか、今回の遠征の目的を半分以上達成したような気分で、足取りも軽やかに駅に戻り、12時23分のカンヌゆきでリスタート。せっかくなので1等に座りましたが、2階建て車両上階の1両の半分だけで、シートの色を変えてあるだけのものでした。2等との違いは変な客筋がいないことだという説もあり、きゃーきゃーうるさい子どもがいないのだという人もありますが、どちらも普遍的でないのはこれまで見て知っています。この便では、1等の乗客は降りるまで私ひとりでした。
ヴェンティミリア駅に停車中のSNCFの電車
手前が1等、向こうが2等座席
ああ放送がフランス語だ。駅を出て、橋を渡れば3日ぶりのフランスだ。もとより、パリと南仏の違いに比べれば、ヴェンティミリアと南仏の共通性のほうが大きいわけで、ナショナルな次元でばかり物事を考える習慣はやめよう。18年前の初訪欧のとき、ニースまで来ていてなぜイタリアのこの辺に来なかったのかと自分ながら思いますが、当時はマーストリヒト条約の調印前で「外国」という感じが強かったし、フランス・フランの他にイタリアのリラを両替しなくてはならなかったのでした。ともかくも、イタリアとはこれでお別れ。
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