Bienvenue à Paris! 別冊ドイツ編

ドイツの
旅?

 

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水曜夜にパリに到着してから、肉類ばかり食べ、このところあまり飲まない酒類を飲んでいたためか、日曜の朝は少し身体が重たい。別建てで9ユーロと高値の朝食は、これまたこってりのヴァイキングなのが目に見えているので敬遠し、9時前にチェックアウト。小さなリュック1つでパリを出てきたのですが、それもレセプションに預かってもらいます。パリへ帰るタリスが1557分発なので、30分前くらいまでにピックアップすれば十分間に合うでしょう。これで本当に手ぶらになりました!

一昨日いらい3度目のアーヘンHbfに入り、切符売り場の中年女性に「いまから、どっかオランダの都市(any Dutch city)へ行きたいんだけどそれは可能ですか」と訊ねると、2回くらいやりとりして意味は通じたものの、「オランダのどの都市に行くのか、それがわからないと情報は出せない」とおっしゃる。まーそれはそうで、当方は国境を越えて行ったことのない国に行くことだけが目的だけれど、この辺に住んでいる人にとっては意味不明のことでありましょう。『鉄子の旅』の菊池直恵さんみたいなとまどい、ていうより、この外人のいっていることがわからんというところですか。あいにく日本のガイドブックは国境で区切ってあって『わがまま歩き ドイツ』(実業之日本社)にはオランダ側の地図や情報は載っておらず、しかもその本すらホテルに預けてきてしまった。近辺の知っている都市はマーストリヒトMaastricht)だけなのでそれを告げると、それならお安い御用とばかりに、こちらが希望する、15時までに戻ってくる乗り継ぎパターンというのを出力してくれました。それによると、932分発の列車でHeerlenまで行き、そこで乗り換えて、1049分にマーストリヒトに着くということです。帰りは乗り継ぎの待ち時間が40分ほどあるものの、1501分にはアーヘンに戻ってこられるというスケジュール。思ったよりは時間がかかるけど、国境越え体験としては十分なので、往復切符(13ユーロちょっと)を購入して謝意を述べました。

日本を出るときには「初めてドイツに行ける♪」とわくわくしていましたが、まさかオランダに入国できることになるとは。

まだ30分以上あります。アーヘンHbfの小さなコンコースには、しかしマクドナルドとイートイン併設のパン屋と花屋と本屋とカフェとスーパーマーケットが同居しており、まずはカフェに入ってクロワッサンとコーヒーでコンチネンタル・ブレークファスト。4ユーロ弱だったから、9ユーロの豪華な朝食でお腹ぱんぱんになるよりはいいよね。そもそも東京ではいつもコンチネンタルだもの。つづいて隣りのスーパーに立ち寄り、エヴィアンのペットを購入。小さなお店ながらも品揃えがよく、ひょっとすると安物の腕時計もあるかなと思ったが、無し。考えてみればちょっとすごいでしょ、地図・辞書・時計をもたずに手ぶらで国境を越える旅行者って。

 

アーヘンHbf駅舎(左)を写真左端から見ると(右)になる  1番線は木の手すりがついた階段から入るのだと!

 

おっと、腹時計に任せていたら発車2分前になっている。急いでホームに上がろうとしたら・・・あんれ、1番線がないぞ。そこいらじゅう工事していて、上り口がふさがっている。いちばん手前が2番線の階段だ。おやおや? ホーム直下にいるのだし、まさか乗り遅れることはないと余裕ぶっこいていたのがいかんのだけど、後の祭りで、やむなく2番線ホームに駆け上がってみると、まさに向かい側のホームから、列車が進み出すところでした。ん?? あの列車にはどうやって乗るのか??? 2番線の階段下に、1がどうのこうのという貼り紙を見つけましたが、ドイツ語がまったくわからないので、おそらくどこか別のところに回ってくださいという注意書きなのでしょう。切符売り場に戻り、さきほどのマダムに「乗れなかったよ」といったら、あきれたという表情で「いまホームへは外の階段から上るのよ。いったん表に出てね」というではないか。そういう大事な情報なら最初にいってほしいし、せめて英語で掲示してくれていたらいいのに! アーヘンからローカル線の普通列車で国境を越えようという非ドイツ人なんていないのかな?(日本の場合は非アルファベットだからさらに深刻ですよね。常設の掲示を心がけても、用事を伝えなければならない緊急時ほど日本語以外の表示がないはずなので)

次の発車はちょうど1時間後で、乗り継ぎもパターンダイヤだということでした。マーストリヒト滞在が1時間縮まり、何と1時間半になってしまいましたが、半分は身から出たサビなのでやむをえない。いったん駅前広場に出て、日本でいえば自転車置き場の裏側みたいなゾーンにあった1番線へのステップを確認して、アーヘンの市街地へ歩き出しました。カフェとスーパーは使ってしまったし、この辺で1時間を過ごしても仕方ないので、勝手のわかった市内を歩いて時間をつぶそう。こういうときの腹時計の使い方は単純です。持ち時間が1時間弱だから、片道20分の往復というつもりでいれば、まず問題なく戻ってこられるのです。日曜朝のアーヘン市街は、前日の賑わいがウソのようにひっそりとしており、ほとんど誰にも会わへん(あーへん)。もう1度温泉の水に手を浸し、さらっと流してしまった大聖堂をきっちりと見て、ゆっくりと駅に戻りました。どうやらアーヘンの見学が不十分で、もっとしっかり見て行けという神様のご差配だったように思います。

そうして、ようやく1032分に今度こそアーヘンHbfを出発。列車は流線型のユーモラスな電車4両(2両×2ユニット)で、車内に掲げられた路線図から、DBのアーヘン支社が管理する地元密着のローカル線だとわかります。下駄代わりのような乗り物だからか、次の駅で早くも乗客の大半が降りてしまい、私の座っているユニットには、幼い男の子を連れた若い母親だけになっていました。路線図によればドイツ側最後の駅がジャンクションになっていて、そこで母子が降りようとしているので不安になり、この車両はHeerlenに行きますかと英語で訊ねました。後ろ側のユニットだったし、国境の手前で車両を切り離す現象はあちこちに見られるためです。ところが若いお母さんはまったく英語を理解できないらしく、首を縦とも横ともつかぬ方向に振るばかり。埒が明かないのでホームへ降りて前のユニットに移り、ワンマンの運転手が振り向いたので床を指差して「ハールレン?」と訊いたら、指でOKサインを示してくれました。ひと安心。それと、初見の地名だけど「ハールレン」と読むのが正しいらしいことがわかった。だいたい、路線図を見るまでハールレンがオランダ側の町だということがわからなかったからね。

 

ハールレン駅で (左)「国境」を越えてきたドイツ国鉄のローカル線  (右)どうやらオランダに入ったらしいぞ(ただいま右下のでっぱりあたり)

 

1102分着のハールレン駅は、ホーム36線の、東京でいえば郊外の急行停車駅みたいな雰囲気。乗り継ぐ列車が20分発なので、初めてのオランダ入国をかみしめて駅前広場などを見物し、そのあとお手洗いを探したけれど、どこにも見当たらない。構内カフェに入ってから遠回りしたところにあるらしいことがわかったときには発車2分前で、アーヘンのこともあるからホームへ急ぎました。やって来たのは、黄色い車体のかなりくたびれた2両の電車で、その規模なのに1等車(半両ぶんの1等区画)がついているのは先ほどの電車も同様ですが、こちらにはお手洗いがついていたからよかった。ドイツ語につづきオランダ語もまったく意味不明で、だいたい両言語の違いもぱっと見てわからないんですが、停車中は使用しないでくださいといったふうな注意書きがあります。これは見当がつきます。発車してからトイレに入ったら、おーやっぱり、便器の穴から線路の見える「垂れ流し」式なのですね。私が子どものころは、新幹線などごく一部の例外をのぞいてみんなこれだったので、妙になつかしい思いがします。

さきほど通った国境付近が木立みたいなところだったのに対し、オランダ側は田園地帯というか、絵に描いたような欧州の田舎を淡々と走ります。1149分、マーストリヒト駅に到着。オランダ語圏はベルギーで経験済みなのだけれど、気のせいかドイツとはちょびっと雰囲気が違うような。今度は、各種の表示がことごとくオランダ語のはずで、変な感じです。もともと人の往来は多かったろうし、私ごときが手ぶらでうろうろするくらいだし、鉄道の線路もつながっているし、2002年には通貨統合しちゃってユーロも共用しているほどではあるけど、言語というのが案外いちばんハードなボーダーなのかもしれませんね(互いに通じるということはあるにしても)。そうそう、フランス語ではオランダのことをペイバPays-Bas)といいます。ペイは「土地」、バは「低い」ですから、Nederland(英語はNetherlands)の意訳なんですね。何と勝手な。

 マーストリヒト駅

 

あ、この固有名詞はまず他の文脈で登場しないというくらいなのでご存じと思いますが、ここは、政治的・経済的・社会的統合を加速させるべく1992年に欧州連合条約(通称マーストリヒト条約)が締結された都市です。EU発祥の地ですね。

  マース川と旧市街

 

さて、持ち時間はわずかで、地図も時計ももっていませんから、効率的に回らなきゃ。駅前広場に、日本の都市でよく見かけるような「市内観光案内図」みたいな地図が掲げられていたので、それを見て地理的なアウトラインを頭に叩き込みます。鉄道の乗りつぶしを兼ねて日本の各地方を旅していた20代前半のころによくやったパターンで、得意なのです(ドイツ訪問といい、関口知宏みたいだなあ)。駅を背にまっすぐ伸びる道路を5分ほど進めば、広々としたマース川の橋(可動橋)に出ます。お船がいくつも停泊していたりして、ゆったりとした景観は、どことなくゴッホの絵を思わせます。マーストリヒトというくらいだから、マース川の舟運で栄えた都市なのですね。橋を渡りきったところがマーストリヒトの旧市街。日曜なので商店はほとんど閉まっていますが、石畳の狭い道路がぐねぐねしている様子は西欧の都市に共通するものです。市庁舎のあるマルクト広場(Markt)。このへんには人出もそこそこあります。さらにフライトホフ広場(Vrijthofmarkt)に出ると、教会の屋根にオランダ国旗が掲げられ、いい感じ。広場に面していくつものカフェや食堂が出ており、そのうちの1軒のブラッスリーに入って、ひとまず手っ取り早そうなところで昼食にオムレツ(5.50ユーロ)を注文。何か飲むかと問われるまま、入国記念に、オランダといえばハイネケン(2.50ユーロ)。フランスのカフェめし同様に、かなりでかいオムレツ(パリでもよく見かけるタイプで、トーストが下敷きになっている)が供されたので、すごい勢いで食べはじめ、腹が減っていた感じはなかったのだけれどすっかり胃に収めました。美味いとかまずいという次元ではなく、たった1時間半のオランダ初体験で、同国に何ユーロか落として食事できただけで満足。お皿を運んできたウェイターの兄さんが、急いでいますねという感じで話しかけるので、「1時半の電車に乗らねばならんのだ」と変な英語で答えておきます。ここでもフランス語はまったく通じない模様。時間を訊ねると1250分とのことでしたから、コーヒーを頼み、会計。トータル9.80ユーロをオランダに提供しました。

 昼食にオムレツとハイネケン!

 

ゆっくりと駅に戻り、1326分発の電車でハールレンへ。今度は40分ほどの待ち時間があるので、またまた腹時計を携えて街をぶらりと歩いてみます。ここも「日曜閉店」で閑散としていますが、そうだなあ、小田急沿線あたりの商店街といった規模の街みたいです。マルクトの周辺もなかなかいい雰囲気でした。東京の自宅に帰ってきてから手持ちの地図類を引っ張り出しても、ハールレンという地名は見当たらない。そんなところを歩けるのも行き当たりばったり旅行の醍醐味で、いいじゃないですか。駅へ戻ってもまだ25分ほどあり、駅前広場に面した庭のあるカフェに入って、カウンターに座りました。ここなら時計もあるし、これから乗ろうとする車両も目の前に見えています。ドイツでは日本と同じようなタイプのコーヒーばかり飲んでいて、そろそろエスプレッソが恋しくなり頼んでみたら、小さな器は同じだけど、われわれの知っているその品とは似ても似つかぬ飲み物でした。カプチーノの出来損ない、みたいな・・・(カラメルが別盛りでついてきたのも不可解)。時間つぶしをさせてくれたカフェに不満はなく、お手洗いも拝借して、余裕をもってホームに戻り、アーヘン行きのディーゼルカーで再び国境をまたぎました。

1501分着のアーヘンHbfを出てそのままホテル・イビスに行き、預けていたリュックを引き取って、御礼代わりにとホテルバーでケルシュビールを注文。ドイツ出国記念にね(笑)。どうも、かつてのむやみな飲み方が戻ってきたような。いかんいかん。

 さよならドイツ!を祝して最後の1杯(ホテルバーにて)

 タリスに乗ってパリへ帰ろう

 

タリスは予定どおり1557分発。来るときは2人がけの窓側で、窓が半分も見えない不思議なポジション(この配置は以前にもTGVで経験したことがある。なぜ窓枠と座席配置を一致させないのかなあ)だったのですが、今度は4人向き合わせの進行方向側、それもトイレのそばという絶好の場所でした。ブリュッセル・ミディまでは1人でボックスを独占、そこで同世代くらいの男性がはす向かいに座ったけど、パリまで2人と、窮屈さのない帰路になりました。アーヘンは晴天、線路を通っただけなので「入国」したとはいいがたいけどベルギーは雪模様で、冬場の北陸本線を走っているような感じになりました。日が暮れて、小雨のパリ北駅に着いたのは10分遅れで1915分ころでした。北駅前で食事してメトロでカルチェ・ラタンの常宿に戻るわけだけど、最寄りのサンシエ・ドーバントン駅でどうも物足りなさを感じ、駅前にあってたびたび利用してきたカフェに入る。大勢のお客をかき分け、カウンターのいちばん端に立ってカフェを飲んでいた70歳くらいの上品なマダムの横に場所を見つけ、生ビールを注文。いかんいかん。雨のようだけどいつから降っていますかと訊ねたのをきっかけに、娘が日本人研究者と結婚したというマダムと話が弾み、カウンターで1時間ばかり楽しくトークしました。「あれ、俺ってこんなにフランス語が話せたかな」と思うくらい、間投詞や合いの手を含めてすらすらしゃべり、パリへ戻ってきたことを実感。おそらくは、海外の一人旅にありがちなコミュニケーション欠乏になっていたものと思います。立ち寄ってよかったな。

とはいえ、ホテルに帰って「ただいま」というまでがドイツ旅行ですからね!

おわり   


西欧あら