Visiter et voir les villes suisses

 

PART3

 

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ベルン(独 Bern)/ベルヌ(仏 Berne)/ベルナ(伊 ロマンシュ Berna
  スイス連邦                                                                   


昨夜は空港からバスでやってきたため、バーゼルSBBは「駅前」をお借りしただけで実際には利用していません。今朝もチケット売り場でスタンプを押してもらっただけで、プラットフォームに出るのは今回が初めてです。さすが交通の要衝、かなりスケールの大きな駅でした。これから首都ベルンに転進するのですが、当初の見込みどおり、1231分発のECに乗れそうです。日本で初めての鉄道会社を利用する際には、特急と通勤特急はどちらが速いのかとか(いろいろ)、快速と急行はどちらが格上なのか(いろいろ)など、各社が身勝手に列車種別を設定しているので困惑してしまいます。こちらの列車種別は「西欧」に関してはほぼ一貫していて、またそうでなくては困りますので、パターンを覚えてしまえば大丈夫。ICInterCitiy)とついていれば都市間連絡の中距離急行列車、ECEuroCity)は国境をまたいで走る国際特急列車です。かつてはTEETrans European Express)といっていて、鉄道少年だった私は図鑑などを眺めて憧れていたものですが、とうの昔になくなりました。フランス国鉄のTGVTrain à Grande Vitesse)やドイツ鉄道のICEInter City Express)は最上位の高速列車。スイスにはTGVICEも乗り入れてきており、いずれもスイス国内に関しては「普通のIC」と同じ扱いになりますので、スイス・パスをもっていれば追加料金なしで利用できます。フランスにおけるTGVなどはパスをもっていても追加料金をとられるし、パス向けの枠というのが限定されているため、移動予定が決まっているのならパスなど買わずに事前にネット予約するにかぎります。その点でスイス・パスというかSBBは親切ですね。

めあての列車が発車する3番線に行ってみると欠き取りのホームでした。JRにはあまりなくて、京都駅の「はるか」ホームあたりがそうなのだけど、改札から段差なく行けるというメリットがあります。流線型の白い車体に赤のラインでアクセントをつけてあり、ドイツのICEに似ていますがこっちのほうがカッコいいかもしれない。まずベルンに向かったあと南に進み、シンプロン・トンネル(Simplontunnel)を抜けてミラノ・チェントラーレ(Milano Centrale 中央駅)が終点。シンプロン・トンネルといえば私が子どものころ読んだ鉄道の本では「世界最長」となっていて、非常に有名な固有名詞でした。1982年に上越新幹線の大清水トンネルが開通してこれを抜き、さらに青函トンネルが記録を更新して現在にいたります。今回シンプロンを抜けてみたいなと思っていたのですが、前後のつなぎがうまくいかなそうなので回避してしまいました。

 
 
バーゼルSBB


発車数分前なので、乗客はおおむね席についています。とはいえ満員というほどでもなく、向かい合わせ4人掛けに1人だけ座っていた大学生っぽい兄さんにあいさつして、そこに落ち着きました。キャリーバッグを網棚に載せるかなときょろきょろしていたら、通路の反対側にいた40歳くらいのおしゃれなおねえさんが「こんなふうに収納するのよ」と、ボックス席の背もたれが相反する隙間を指してアドバイスしてくれます。ま、そりゃそうだな。ご親切にありがとう。おねえさんは同年代の女性と2人連れで、こちらがアジア人、場所はドイツ語圏であるのにフランス語で話しかけてくれました。私が多少のフランス語を話せるので問題なかったわけですが、困惑の表情でも浮かべれば英語に切り替えてくれたことでしょう。欧州の特急車内ってそんなものです。連れの彼女と話しているときにはフランス語なのに、ケータイで誰かと話しはじめるとイタリア語だったので、母語はイタリア語なのかもしれない。発車まぎわになって、ほとんどの席が埋まりました。長躯ミラノまで走る国際列車ですが、スイス国内を移動するのに使う「中距離客」が多いんじゃないかな。


ミラノ行きECの車内 情報表示がところどころにあるのはいいですね


定刻どおりに発車、すぐに都市郊外を抜け出して田園地帯に入りました。うっすら上り勾配です。1252分にオルテン(Olten)着。事前の知識がまったくない都市ですが、路線図を見ると、チューリヒ方面とベルンないしヌーシャテル方面、そしてルツェルン方面とを分かつ交通の要衝らしい。近鉄の伊勢中川とか大和西大寺みたいに各方向相互の連絡が図られているのでしょう、思った以上に下車があり、そして乗車がありました。ここからベルンまでは高規格の高速新線(在来線に対する「新幹線」)。掘割みたいなところが案外多かったけれど、びゅんびゅん飛ばします。20代に見える、背の高い美人の車掌さんが現れ、丁寧に検札していきました。向かいで熱心にPC作業をしている兄さん、そして当方とは英語でやりとりし、通路の反対側にいるおねえさん2人とはフランス語でコミュニケーションしています。おそらく、彼女たちのもっているチケット(普通のA4プリンタ用紙に出力していたのでEチケットなのでしょう)がSNCFのもの、ないしフランス語で書かれたものだったのでしょう。マルチリンガルな国の鉄道乗務員さんってなかなか大変ですね。――というか、このような環境に育ってそれなりにセンスがあり、勉強もすれば、マルチリンガルな任務に就くことができるということです。検札のすぐあとに中年のおっちゃんによる車内販売。「コ〜ラ〜、カフェ〜、サンドイッチ〜」などと不思議な節まわしは、その昔の「おセンにキャラメル」を思い起こさせます。というのはウソで、私そんなに昔の人じゃありません。顔立ちと訛り方からイタリア人ないしイタリア系と見たのだけど、どうなのだろう。

1327分、まったく定刻どおりにベルン駅に到着。ここも大きなターミナルです。予想したとおり、半分くらいの乗客がここで下車しました。ベルンは、いま来たバーゼル、スイス最大の都市チューリヒ、IOC本部のあるローザンヌとのあいだがほぼ等距離(鉄道で1時間くらい)ですので、鉄道でスイスを旅しようという場合にはけっこう便利です。そのことに最初から気づいていたわけではなく、3日前にパリのホテルで地図を眺めながら「発見」し、ネットで2泊ぶんを予約したのです。日本を発つ前にあれこれ決めるのはキライ、というかこのごろは面倒くささのほうが先立って、結局そういうタイミングになってしまいますね。このところずっと仕事をご一緒していたA先生に「もう旅行の準備はお済みですか」なんて出発2日前くらいにメールをいただいたのですが、とんでもない、荷づくりは前夜寝るまぎわだし、もろもろの計画も欧州に入ってからなのです。といったら、「さすが旅の達人!」とか何とか褒められ(茶化され?)ました。実際には褒められたものではありません(大汗)。

 ベルン駅


タブレットなんぞを欧州に持参するようになったのも横着の一因ではあります。その悪魔の機械でネット予約した宿は、ベルン駅から10分はかからないだろうという町のど真ん中。町を東西につらぬくメインストリートのシュピタール通りSpitalgasse メインストリートなのにガッセ=小路なのか・・・)を市の中心に向かって歩きます。なるほど、この町の特色としてちらと聞いたとおり、路肩の歩道にはすべて屋根がついている、というか、道路両側の建物の0階を削って歩道にするという構造なのですね。すこし歩いたところに監獄搭Käfigturm)なる物騒な名前のゲート(おそらくは見張り台を兼ねた城門)があり、その手前を左折、スターバックスのすぐ向かいに、予約したホテル・メトロポール(Hotel Metropole)がありました。けっこう古びた建物に入るとすぐにレセプション。ネットで予約した古賀ですがと名乗ると、女性係員はその名前を心得ていたようで、しかし意外なことをおっしゃいます。「直前のご予約なので、お部屋はここではなく、通りをはさんだ向かい側のクロイツにお取りしてあります」――向かい側、ですか? 「ええ、向こうのレセプションでお名前をおっしゃってください」。ホテルの公式サイトではなく世界規模の予約サイト経由で申し込んだとはいえ、このホテルの名前でブッキングが完了したはずなのに、そんなことあるのかね。部屋のランクを下げられたりしたら嫌だなと思うものの、よほどひどかったら文句をいえばいいですね(あとで確認したら同じ経営で、内容もほとんど同じでした)。そのクロイツ・ベルンKreuz Bern)は本当に筋向い。メトロポールと同じように0階にレストランが入っています。レセプションで古賀ですがと告げたら、たちどころに了解されました。ただ女性係員は、「チェックインは14時からです。お待ちになりますか? もし町を見学なさるならお荷物だけお預かりいたします」と。いま1340分で、部屋の掃除もとっくに完了しているはずだから、入れてくれたっていいじゃんね。予約した客に対してアーリー・チェックインを認めるくらい何のリスクもないはずだけど。ま、でも、そういうなら仕方ない。キャリーバッグを預けて、later! とか何とか。

このホテルには2泊します。ということは、この午後と、あす1日と、あさっての半日をベルンで過ごせる計算。もともとベルンを選んだのは、荷物を置いて日帰りでエクスカーションするのに最適の位置だということだったので、チェックインを夕方にずらして、いまのうちに近郊の町に出かけてしまおう。

 
ベルン市内  建物の0階を歩行者用通路にしてある独特の構造  (左)監獄搭  (右)マルクト通り


メインストリートを走るトラムに1駅ぶんだけ乗ってみました。スイス・パスがあるのでベルンの市内交通もすべて乗り放題です。さてどこに行こうかなと考えて、鉄道で30分くらいのところにあるフリブール/フライブルクに行ってみることにしました。かねて興味のある場所であったので。吹き抜け式の現代的なコンコースをもつベルン駅に戻り、depatureの表示を見ると、1415分発のフリブール/フライブルク行きSバーン(近郊列車)がありました。いま14時前なのでちょうどいいですね。

 
ベルン中央駅とマクドナルド


――と思ったあたりでアゴの奥からキーンと鋭い痛みが襲いました。やばっ、発症してしまったか。7月下旬に飲食店で食事をしていたとき、とつぜん奥歯が痛み出し、咀嚼どころではない状態になりました。左上の奥歯(親知らず)で、思えば2008年夏あたりに最初の激痛があり、歯医者さんで神経をブロックするような処置をしてもらって収まりました。201212月に同じ箇所が同じ痛みを発して、何日か後にドイツ旅行に出かける予定だったから現地で発症してはかなわんと思って、また同じ歯医者さんに処置してもらったのです。「ドイツの歯科医は優秀だよ」とか何とか先生はいっていたけど、そういう問題じゃないよ(苦笑)。で、今夏の再発。しかしよく確認してみたら、今度は左下の奥歯がまずいようです。これだけ数年おきに激痛が起こり、しかも医者が休みの日祝日にそうなることが多くてはいよいよ日常生活に支障をきたしそう。歯科の先生に電話したら、コールは鳴るものの誰も出ません。時間や日を変えても出ないので、もしかすると廃業しちゃったのかな? 学生時代からのお付き合いで、上手か下手かは存じませんが、歯医者さんを代えるというのはけっこう難儀ですよね。近所の人に聞いたりネットで評判を調べたりして、拙宅から5分くらいのところの歯医者さんに決め、はじめましてと受診しました。どうやら親知らずが変な向きに生えているらしく、手前の歯を圧迫していたようです。歯の隙間を埋めるような処置をほどこしてもらい、痛みはウソみたいに収まりました。だから8月下旬に成田を発つまでは、このところの趣味?である横浜中華街にも足しげく通っていられたのです。それなのに、この2日前の夜、パリ左岸のレストランで、デザートのカマンベールを舐めていたときに発症してしまいました。声が出ず、涙が出ます。急きょホテルに戻っておまじない代わりにバファリンを含んでも、1時間くらいは大の男がベッドの上で痛い痛いと悶絶・・・。あらためて文字にしてみると悶絶ってすごい表現だね。どうやら古傷である左上の親知らずが痛み出したようです。こうなった上は、旅行中どうかこれ以上痛まないでくれと願うほかありません。発症した翌日、すなわちパリからバーゼルに飛んできた昨日は大丈夫だったのですが・・・。

これまでの経験からも、痛みが延々つづくということはないので、どうにかしのいで旅行を続行しなければ。バファリン飲もうかな。胃に優しいバファリンでも、空腹にはよろしくないし、しかし何か食べようにも奥歯が強烈に痛い。駅構内のパン屋をのぞいたら、フランス式の立派なバゲットサンドばかりで、これは無理です。見ればマクドナルドがある! いつもは「どこにでもマックとかスタバ(とかH&M)はありやがるな」というネタにするだけで利用しないのですが、あのサイズのバーガー、あのやわらかいバンズならどうにか食べられるかもしれない。ハンバーガーよりも何となくソフトな感じのするフィレオフィッシュを、それもセットでなく単品で発注。驚くことにフィレオフィッシュはCHF5.50でした。換算すれば600円を軽く超える額で、日本ならポテトにドリンクが余裕でついてくるじゃん。パン屋のサンドイッチ類も軒並みCHF67台なので、やはり恐ろしく食べ物の高い国なのです。ホームに上がって涙を飲み込みながらフィレオフィッシュを飲み込みます。そういえば昨年2月にポルトガルのリジュボーア(リスボン)を訪れたときも、風邪を引いて熱っぽく、初日の夜をフィレオフィッシュ1個で終えていますね。そこでは1€2.80でした。スイスの首都は、それにしても高い! しかも、日本で食べる白身のスケトウダラとはどうも魚の種類が違うらしく、さらにはやたらクリスプに揚げてあるじゃないか! 揚げ物がクリスプすぎるのは欧州のよろしくないところだったなと思い出したけれど遅かった。バファリン飲も。なぜかキヨスクで買ったエヴィアン(500ml)はCHF2.50と、フランスあたりと同じ相場でした。

 

 

フリブール(仏 Fribourg)/フライブルク(独 Freiburg)/フリブルゴ(伊 Friburgo
  スイス連邦                                                                          


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15分発のフリブール/フライブルク行きSバーンは4両編成のダブルデッカー。欧州各地でしばしばお世話になるタイプの大型車両です。せっかくなので2階に上がってみたら、乗客は4組くらいで閑散としています。はす向かいあたりに座った幼児と若いママさんが、終始楽しそうに話しているのでなごめました。この母子はフランス語を話していて、ときどき僕ちゃんが「これドイツ語で何ていうの?」と質問し、ママが的確に答えるというやりとりが聞こえてきます。おお、スイスらしくて楽しい。電車が動き出したころ、ようやく奥歯の痛みは収まってきました。この調子だとスイス滞在中に何度も再発するに違いなく、憂うつになります。このところ一生懸命働いていて、悪いことなんてしていないのになあ。



フリブール/フライブルク駅 「国鉄」表記は独仏伊の順のようですね


所要31分でフリブール/フライブルク駅に着きました。東京で首都のターミナルから電車で30分といったら道中は完全に都市部ですが(東京〜津田沼間が29分)、さすがに車窓から見えるのは完全なる田園風景でした。平らな土地というのがほとんど見当たらないのはさすがスイス。フリブール/フライブルクはベルンの南西30kmに位置する人口4万人程度の小さな都市で、ローザンヌやジュネーヴと首都をむすぶ幹線筋の町です。旧市街の見事な町並みがあって、寺院があってというように、見どころは揃っているようなのですが、そのような都市は他にもたくさんあります。フリブール/フライブルクの特徴といえば、ここがドイツ語とフランス語の言語境界線frontière linguistique上にあるという点に尽きます。人口の約3割がドイツ語話者、残りがフランス語話者。しかし駅や町なかの表示はフランス語/ドイツ語の順なので、これに倣っておきましょう。ヨソ者からしますと、バーゼルの近くにあるドイツのフライブルクとまぎらわしいので、スイスのほうはフリブールと呼ぶほうが好都合なのかもしれません。

ロクに話せないくせに言語に関する外枠の話が大好きな私は、高校でも大学でも、教職の授業でも、やたらに言語の話題をぶっ込んできます。グローバル時代に重要な知識なんですってば。日本のように11言語のほうがイレギュラーなんだよといっても、外を知らなければなかなかピンと来ないですよね。とはいえ、スイスが4言語の国であるという外形的な知識は、みんなもっているようです。スイス人ならば誰でも3ないし4言語を話せるということではなく、基本的には地域ごとに言語が異なる――大方の日本人の感覚に沿えば「4つの国があるみたいな感じ」――のです。人口比でいえばドイツ語話者が6割強で最も多く、フランス語が2割くらい、イタリア語は1割弱、ロマンシュ語についてはもうほとんど絶滅危惧種で1%を割り込んでおり、母語話者としてもドイツ語を習得しなければまともに生活できなくなりつつあります。もっとも、地域ごとに完全に分かれているともいいがたいし、1人で複数の言語を操れる人も多いので、全体としてマルチリンガル(多言語)の国であることは間違いありません。そもそも「地続きの国」という感覚のない私たちにとって「国境」以上に興味深いのは、言語境界がどうなっているのかということですよね。さて、どういうことになっていますやら。


観光案内所と、観光用のミニ・トレイン


駅を出て左に進むと、H&Mなんかも入っている大型商業施設があります。表示はよろずフランス語みたいです。その先にツーリスト・インフォメーションがあります。いちおう「地球の歩き方」はリュックに入れているのだけど、いつものように1枚もののシティ・マップを入手してそれを参照しながら歩くことにしましょう。シティ・マップは無料で、たくさん積んでありましたが、各言語版があるのかと思ったら1枚でマルチに対応?するものらしい。Bienvenue – Willkommen – Welcomeと並べてあるのはいいとして、「フリブール/フライブルクとは」という総論部分が仏独2言語のみなのはどうなのだろう。いまどき英語は要るんじゃないのかな? ドイツ語はさっぱりわからないのでフランス語のほうを読むと、「フリブールはさまざまなエクスカーションの目的をもつ訪問者にとって理想的な滞在を提供します」だって。提供してもらおうじゃないですか。

インフォメーションを出て少しだけ進むと、サン・ピエール通り(Rue Saint-Pierre)に出ます。その先を右にズレるとアルプ通り(Route des Alpes)。崖に張りついた下り坂で、かなりの勾配。崖の下には赤い三角屋根を乗せた建物が緑の中に密集していて、「上」とは別世界のようです。蛇行するサリーヌ川La Sarine / Die Saane)が見えており、この川が削り込んだ部分が「下」の町なんでしょうね。これに似た景観は、7年前に訪れたルクセンブルクで見ています。あちらも、駅などのある「上」の世界に現代的な都会が広がり、「下」は箱庭のような世界でした。封建時代にあっては、支配階級が要塞を築こうとすればこのような地形がかえって好都合だったに違いありません。トラムではなくトロリーバス(無軌条電車)がこの急坂を上下していますが、下りは徒歩ということにしよう。上りは、インフォメーション近くに上の駅があるケーブルカーを利用できそうです。

 
サン・ピエール通り〜アルプ通りの下り勾配と、その右手に広がる「下界」の景色


下り勾配の道がだいたい300mくらいつづくのかな? ときどき振り返ると、傾斜のきつさがあらためてわかります。それでも、地元の人なのか観光客なのか、歩いて登る人と何度かすれ違いました。坂を下りきったところが旧市街の中心なので、国鉄駅とをむすぶこの道路は町の「目抜き」ですから、自動車の交通量はかなりあります。今夏の欧州は肌寒いということだったので夏ジャケットを着てきており、パリではまあそれでよかったのだけど、スイスのこのへんのほうが暑い。歩いているせいもあるでしょうが汗ばんできました。ホテルにチェックインできていれば半そでに着替えてくるところでしたけど、移動スタイルのままだったので。

 
「坂下」の旧市街  (左)市役所広場付近  (右)ノートルダム広場付近

 サン・ニコラ大聖堂

坂を下りきると旧市街。もらった地図によればLes Placesという地区のようです。Placeは英語と同じ「広場」で、その複数形ですから、いくつかの広場がある地区という意味合いなのでしょう。たしかに市役所広場(Place Hôtel de Ville)、ノヴァ-フリブルゴ広場(Place Nova-Friburgo)、ノートルダム広場(Place de Notre-Dame)などが集まっています。広場といってもせいぜい町なかの駐車場サイズですけど、地方都市らしくていいですね。この旧市街というか、フリブール/フライブルクのランドマークといえばサン・ニコラ大聖堂Cathédrale Saint Nicolas)だそうなので、まずはそこへ行ってみましょう。歩いてきた道の突き当たり、ノートルダム広場を右折するとすぐに尖塔が見えました。パリのノートルダムなどでみられるのはファサードに2本の尖塔を配するタイプですが、ここは1本。狭い敷地によく建てたなというような、ごちゃごちゃした町なかにそれはありました。

 
サン・ニコラ大聖堂の伽藍内部


自動車がひっきりなしに通り過ぎる道路を渡って教会に入ってみると、そこは一転して静かな伽藍。やはりというか、窮屈な敷地に建てられているため幅が狭く回廊部分がすぐ左右に迫ってきています。しばし腰かけて世の平穏を祈り、ついでに下り坂で両足にかかった負荷を逃がしました(そんなことできるのか?)。立派なパイプオルガンがありますね。やがて立ち上がって堂内をぐるりと一周してみると、尖塔に登れるようで、受付に若い女性が座っていました。「トゥール(タワー)に登れるのですね?」とフランス語で確認すると、ウィとの返事。CHF3.50をお納めして、そちらからどうぞと示された木製の古いドアを開くと、ひたすらつづくらせん階段の登り口でした。らせん階段といえばパリの凱旋門を思い出しますが、こちらのほうはさらに半径が小さく、そのためステップの刻みもかなり狭くなっています。足許を見ていないと転落しそう!

これはなかなかハードです。もとより誰もいないので私ひとりの戦い(笑)なのですが、ほとんど変化のない石の壁の中をひたすらぐるぐる回って登るというのはめったにない体験かもしれません。全体像がわからないため「あとどれくらい」というのが見えず、ペース配分もまったくもってわかりません。息が上がってくるし膝が笑いはじめるしで、どこかで休憩したいところなのですが、細長い筒の中にいるのでそのようなスペースも見当たりません。登りきるしかないか。

 
 


ようやく小さな踊り場のようなスペースがあったので、そこに入り込んで2分くらい休憩。壁に書かれた表示によれば、階段は全部で368段あり、ここまでで250段とのこと。塔の高さは85mあるそうです。垂直に85mってなかなかの高さですよね。計時していなかったのですが、何分くらいかかったのか、ようやく最上階?にたどり着きました。らせん階段の先に鉄扉があり、それを押すと、さほど広くない円形の「屋上」に出ました。汗がどっと噴き出してくるねえ。


景観を展望する前に息を整えよう。屋上に置かれていたベンチに腰かけて2分くらいぼーっとしていたら、当方と同年輩くらいの夫婦が登ってきました。2人とも高尾山にハイキングに行くようなスタイルで、それが正解でしょうね。――こんにちは、ここまで登るととても疲れますね。とフランス語で声をかけると、奥さんのほうが「そうですね。でもすばらしい眺めだから!」と明るく答えました。アクティヴというか前向きな人みたいだな〜。夫婦はさっそく展望に入ったのですがこちらはあと2分くらいたたずもう。これしきでへばるとは旅人として問題なのだけど、無理をすれば翌日以降に響くことが確実なので、ゆっくり回復を待ちましょう。どうせ予定なんかないしね。夫婦は楽しそうに景色を眺めたり、写真を撮ったり。2人が話しているのはドイツ語なので、ドイツ人なのかドイツ語圏のスイス人か、オーストリア人か。このアルプス界隈は言語境界と国境が入り乱れているので、母語以外の言語についてのセンスはわれわれとは比べものにならないはずです。

 

PART4 につづく

 

この作品(文と写真)の著作権は 古賀 毅 に帰属します。