La tour de
l’Allemagne 2012
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2012 Winter |
PART1 フランクフルト その1 |
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ドイツの首都ベルリンは、ロンドンやパリと並んで欧州を代表する大都市なのに、東京ほか日本各地からの直行便はありません。かつてほんの一時期だけ飛んでいたことがあるので障害があるとは思えず、ベルリンへの流動というか需要があまりないからというのが本当のところでしょう。読者のみなさんにとっては、どうでしょうか。ロンドンやパリと比べて、親しみやすさとか情報量とかで、違いはあるでしょうか。より遠く感じる人もいるのではないかしら。 12月23日(日)午前8時、空はまだ真っ暗なフランクフルト中央駅(Frankfurt am Main Hauptbahnhof)に私はいます。成田からの直行便が毎日飛んでいるフランクフルトを発って、陸路ベルリンをめざそうとしているわけです。ここからベルリンまではドイツ鉄道(Deutsche Bahn: DB)ご自慢の高速特急ICE(Inter City Express イーツェーエー)で約4時間。直行便がなくてもトランジットすれば成田を発ったその日のうちにベルリンに入れるのだけど、遅くなるのも嫌だし、鉄道で向かうというのがやっぱり私のスタンダードだしというので、こういう旅程になりました。最初に記した問題意識、つまり「ベルリンは(心理的にも)遠いんじゃないのか」というのを体感するにもいいと思ってね。 フランクフルト中央駅 ICE694便は8時13分にフランクフルトを発車します。『トーマスクック ヨーロッパ鉄道時刻表』によると、この便は6時49分にシュトゥットガルトを出て、マンハイムを経てここに来たものらしい。フランクフルト中央駅(地上部分)は行き止まり式なので、いったん突っ込んでから進行方向を返して進発するということになります。私の座席は4号車35番。残念なことに2人掛け窓側の後ろ向き座席でした。このシリーズでたびたび申しているように、西欧の高速特急は後ろ向き固定の座席がやたらと多く、空いているときでもそこを割り当てられることがあるくらいで要するに座席の向きはサービスの質と関係ないと(旅客ともども)考えているようです。また、窓のサイズと座席の配置が何とも不ぞろいであり、ときにハメゴロシのような場所に座らされることもあります。この日はそうではなかったが微妙に窓枠が視線をさえぎる感じで、あまりよろしくはない。 冬至を過ぎたばかりのためなかなか明るくなりません。暗いのに「朝だ」と言い聞かせて起床するのは福岡の高校に通っていたころの真冬みたいで何だかなつかしい。UTC(協定世界時)プラス1時間の標準時を採用しているのは、東はポーランドから西はスペインまで広範で、スペインあたりだとさらに夜明けが遅れるということですよね。列車発車時点ではまだ暗く、そのうちうっすら明るくなってきました。8時29分、ハーナウ中央駅(Hanau Hbf)に早くも停車。9時11分にフルダ(Fulda)、9時43分にカッセル(Kassel)に停車します。フルダから先(北)が高速線区間なのでびゅんびゅん飛ばします。日本の新幹線は、いわゆる在来線とは別に高規格の線路を敷いて専用の高速車両を走らせます。これに対して西欧の高速特急は、主要区間に高速線を敷設するものの末端部分は在来線に接続し、既存の線路を通って市街地の中央駅などに乗り入れるところがほとんど。日本の高速バスみたいなものだと思えばよく、線路幅が同じだからできる芸当ではあります。それにしても、ICEの切符はネットで手配しましたので、それを見るかぎりではフランクフルト→ベルリンと起終点しか記されていませんから、飛行機みたいに経過を想像することが難しい。いまはトーマスクックを見ながら書いているけれど、列車に乗ったときはそれがないので、車内アナウンスで初めて途中停車駅を確認した次第です。ただトーマスクックと実際の行程は一部ちがっていて、10時03分のゲッティンゲン(Göttingen)のあと高速線を降りてハノーファー(Hannover)に入りました。時刻表ではブラウンシュヴァイク(Braunschweig)経由でハノーファーはショートカットなのだけど、ルート変更もあるのかな? ハノーファーといえばその昔の欧州プロレスのメッカ、じゃなくて(これも本当だけど)、現在の英国王室の直接的な先祖がかつてのハノーファー選帝侯だったことを思い出しますね。ここでしばらく停車し、発車してみると私の座席が前向きになっていました。つまり列車が方向転換して東をめざすのです。この先、ベルリン西郊のシュパンダウ(Spandau)に停まり、ベルリン中央駅(Berlin Hbf)には12時23分着。終点はベルリン東駅(Berlin Ostbahnhof)です。ベルリンの鉄道駅に関しては後述しましょう。
ホテル・ハンブルガー・ホフは左から2軒目の青い看板のHOTEL(中央駅前から) ヘッセン州のフランクフルト市、より正確にはフランクフルト・アム・マイン(Frankfurt am Main)はロンドンと並ぶ欧州の経済首都ですから名前は誰でも知っています。ただ、観光的な要素が他の都市に比べるとあまりないようなので、ツーリストにとっては旅の起点とか足場にされるばかりのような気もします。前回私がここに来たのは、カールスルーエからライン川沿いに北上する途上で、半ば勢いでのことでした。雨に降られ、切符の要領がわからず、電車の方向を間違え、ズボンにケチャップをつけられるなど散々。でも私、こんなことをいっていますね。
これは別に強がりではなくて、旅行ってそんなものだといつも思っているのです。失敗したくないとか損したくないとばかり思っていると楽しくないですよ。そういうのもネタにできればいいじゃないですか。いずれまたという予想にたがわず、3年弱でまた戻ってきました。見覚えのある大きな駅構内を抜け、勝手知った感じでホテルに入りました。なつかしいなあ。23日は朝早いのでこの夜はフランクフルト市内に出て見物しなきゃ。中央駅地下からSバーン(郊外電車)に乗って市街地中心部のハウプトヴァッヘ(Hauptwache)へ。前回、ホテルのレセプションに無料のいいシティマップが置いてあるのを知ったので、それを手にしています。2度目となれば都心部の構造などはわかっているよ。
東京の自宅を出た日のつづきではありますけれど、西欧に来るとやっぱり気分が高揚するねえ。いつもはパリのカルチェ・ラタンに降り立って毎度おなじみの行動をなぞり、ある種の安心感の中であちらこちらを開始しますが、今回はパリとかフランスには行かないので既視感のあるフランクフルトがスタートというのはいいですね。 クリマの光景 変則的で長い1日のためあまり空腹ではなく、晩ごはん食べると重たすぎるなと思っていたら、クリマの屋台にはソーセージ(ドイツ語でWurst)を売る店がずいぶんある様子。何種類かのソーセージを焼いて、パンにはさんで供します。個々の品名は知らないのでテキトーに指さして注文しました。1個€2.80。あ、外為相場ですが、リーマン・ショック以降に円高が進み、一時は1ユーロ=100円を超える勢いだったのだけど、この11月中旬以降に円がかなり下がり、この時点で111〜112円くらい。急速な円安化の原因ははっきりしています。12月16日の総選挙での自民党勝利が確実になり、政権に復帰することになった安倍総裁がインフレ・ターゲットも念頭に入れた金融緩和策を打ち出していたのです。政策の是非はおいておいて円安に向かうことは確実だったので、私は12月上旬に105円くらいのとき換金しました。超円高の時代は終わったのかなあ。日本経済にとってはどうだか知らんけど(政経の先生とも思えぬ発言 笑)、旅行者にとっては円高ってステキだったんだけどなあ。なお、ソーセージはスパイシーで美味。 地図なんか見なくてもこのへんの位置関係はわかっています。ビルの隙間にも建ち並ぶクリマと、ウソみたいにその周辺にあふれる人並みをかきわけて、旧市街のレーマー(Römer)をめざします。その昔の市庁舎だったという建物で、三角形のとんがり屋根が3つ連なったさまがユーモラス。フランクフルトのランドマーク的な存在です。何があると知っていたわけではなく、この手のところはさらににぎやかだろうという予想ね。 レーマー前は期待にたがわずハウプトヴァッヘ以上に賑わっていました。大きなクリスマスツリーが何ともきれいです。みんながでかい声で話すので、広場全体は「わいわい」というオノマトペで表現するのがいちばんでしょうね。飲み物のスタンドに行ってみれば、多くのおとなが酒を飲んでいます。寒空でビールかなと思ったら、彼らが手にしているマグカップのような瀬戸物から湯気が立っている。ああこれは話に聞いたアプフェルヴァイン(Apfelwein)、リンゴのワインだなきっと。フランクフルトの名物で、各レストランでも個性的な品を出すのだと、少し前の旅行番組で見たばかりでした。€3.50と舌代にあるので€5紙幣を出したら、€1コインと、ゴルフのボールマーカーみたいなプラスティックを渡されました。マグカップが立派なのでそれのデポジットということなんでしょうね。あつあつのアプフェルヴァインは、まあパリでたまに口にするホットワインに近い味わいではありますが、アルコール分は薄い気がします(あとで調べるとだいたい5%くらい)。カップとマーカーもどきを戻したら50セント硬貨がやっぱり返ってきました。雨が降っていなかったらもう1杯くらい飲んだかも〜 アプフェルヴァイン
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