Visiter et voir les villes suisses

 

PART4

 

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フリブール/フライブルクのシンボル、サン・ニコラ大聖堂の尖塔屋上は、こう見渡してみると相当に高い位置にあります。高台にある駅からかなりの傾斜を下ってきて旧市街に来たはずなのに、そうした一連の行程を上から見下ろす感じになっているんですね。旧市街および崖下の建物はことごとく赤い三角屋根なので、調和が感じられて美しい眺めになっています。このところ欧州のあちこちで、高いところから町を展望するというのをやっていますけれど、ここフリブール/フライブルクの眺望は市街地の範囲が広くないのに高低差がかなりあるため、独特の迫力を感じます。


塔から西側を望む 写真左の緑色の崖に寄り添うのが、歩いて下ってきたアルプ通り

 
(左)サリーヌ川の下流側  (右)上流側


フリブール/フライブルク市の公式サイトによれば、この町は1157年にツェーリング家のベルトルト5世(Berthold V)が建設して以来、ドイツ史との深いかかわりの中で近代までの歴史を過ごしました。それなのにフランス語が優勢というのは興味深いですね。「スイスの中央にあり言語・文化の交差点に位置するフリブールは、欧州が激変する時代にあって、比類なき「架け橋」の役割を果たしつつあります」とはまたずいぶんスケールの大きな自画像。EU加盟国ではないので欧州統合の要という表現をできないのは仕方ありません。いまの時代、多くの都市が「欧州」を意識して自己規定するようになってきています。

ツェーリング家は、世界史の教科書でおなじみの(というか中世史は社会史優勢で政治史的記述がほとんどなく、その中では例外的に有名な)叙任権闘争、カノッサの屈辱といったどたばたの余波で現在のスイス北部から南ドイツにかけて、つまりはライン川上流沿岸地方の支配権を手に入れました。昨日私が降り立ったユーロエアポートはミュルーズ、バーゼルと並んでドイツのフライブルクの玄関をも兼ねていますが、ツェーリング家が最初に構築した都市はそのフライブルクでした。同名の都市を、今度はサリーヌ川(ドイツ史の文脈だからザーネ川というべきか)沿いに建設したのがこのフライブルク/フリブール。中世後期の欧州内陸部における都市のでき方を見ると、軍事拠点であるお城とか要塞が堅固な地形のところに造られ、特権やら優遇措置やらで呼び寄せた商人が住み着いて、やがて都市としての機能をもちはじめるという感じのところが多いです。ただ、スイス地方では封建領主の権力が育たず、商人とか職人の親玉みたいな人たち、あるいは大地主みたいな人たちが合議制で治める地域が大半で、欧州の歴史の中でも非常にめずらしい様相を見せます。フリブール/フライブルクは、スイス地方では最も早く都市が建設されたところなので、例外的に当初は明確に領主の影が見えるわけです。

 
(左)「下界」の様子  (右)遠くアルプスを望む


らせん階段の明り取りから、古い町並が


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分くらい展望台にいたかな。夫婦は先に行ってしまい、また1人になりました。階段につづく鉄扉を開いたところで、英語を話すにぎやかな団体さんが屋上にたどり着いたところでした。ハロー、ボンジュール! パリの凱旋門は左右の脚で上り下りを分けているのですが、ここは細長い塔ですので、例の階段が1セットあるだけです。来たのと同じ階段を、今度はぐるぐるぐるぐる、ひたすら下ります。どちらが楽かといえばやはり下りが少々楽ですが、ステップの刻みが狭くて足許要注意であることには変わりないし、圧迫感のある狭い空間をひたすら下りていくのは修行のような気分になってきます。かなり下ったところで、上りの団体さんたちと遭遇しました。どうやら展望台をめざすのではなく、途中のドアから伽藍の天井あたりに進む見学ツアーがあるらしい。教会の人なのか、中年の明朗なおじさんが「こちらへ進んでください」と彼らを誘導し、当方には「恐れ入りますが少しだけお待ちください」と。それにしてもずいぶん大人数のツアーのようで、560人くらいの通過を待ったような気がします。ようやくのことで地平にたどり着き、受付のおねえさんにお礼をいって、もう一度聖堂内の椅子に腰かけて、心静かに祈っておきました。


道路名はすべて独仏2言語表記 「花婿さん通り」でいいのかな?


立派な時計搭をもつ市役所の周辺にはいくつかカフェなどもあったのだけど、何となくうら寂しい感じもするので、休憩は後回し。先ほどは崖上の斜面にあたるアルプ通りを下ってきたのですが、今度はその崖の下に向かう道をたどります。地図上ではアルプ通りと並行しているように見えるものの、最終的にはかなりの高低差になることでしょう。グラン・フォンテーヌ通り(Rue de la Grand Fontaine)という名前の、石畳の狭い道路です。地元の人も含めて歩行者はほとんどおらんな〜と思っていたら、下校中らしき数名の小学生とすれ違いました。ハローと声をかけたら、元気に笑って応えてくれました。こんな急坂を毎日上り下りして通学しているんですね。小さなパン屋さんがバゲットを並べて売っているのは、フランスの地方都市と同じ感じ。一方通行ではないらしく、自動車が路肩までフルに使って行き違うシーンを2度ほど見ました。

 
グラン・フォンテーヌ通りを下る  坂上を振り返ると市役所の時計搭とサン・ニコラ大聖堂の尖塔

 
さらに下っていくと・・・ 崖上のアルプ通りはあんなに高いところに見える!


それにしても、下り勾配がどこまでもつづきます。フォンテーヌというのは「泉」「噴水」あたりでしょうが、途中にあった小さな水桶のことかいな? ようやく「下の世界」らしきところに降りてきて、振り向くとかなりの急坂なのがあらためてわかる。そこにフュニキュレール(ケーブルカー)の下の駅があったので、帰りはこれに乗って「上の世界」に戻ることにしましょう。

せっかくなのでサリーヌ川のところまで行きましょうか。地図を見ると、フュニキュレールから300mくらいです。地図は垂直方向の距離を捨象して表現してありますので、こういう高低差のある町の場合は、地図から想像する景観と実際のそれとが大きく違いますね。ヌーヴヴィル通り(Rue de la Neuveville)またはノイシュタット通り(Neustadtgasse)と表記のある曲線の道路を進みます。直訳するとどちらも「新市街通り」ながら静かな住宅街。路線バスが窮屈そうに走っているのが意外でした。ま、バスがなければ上の世界との行き来が困難になりそうですしね。しばらく行くとサン・ジャン橋Pont de Saint Jean)という古そうな石橋に出ました。あとから調べてみたら、最初に架橋されたのは18世紀のことですが、現在のものは1988年に再建されたものとのこと。またずいぶん古さを再現できたものではあります。観光スポットではあるらしく、若い観光客が何組かいて、橋とサリーヌ川をバックに記念撮影していました。


 サリーヌ川に架かるサン・ジャン橋


この石橋も路線バスのルートになっている模様。かなりのお客を乗せたバスが対岸(右岸側)からやってきて、橋を渡り、おそらく駅のほうへ走り去りました。橋は狭いのでバス同士の行き合いは不可能だと思われます。私が立っている左岸側のアプローチは何やら工事中で一方通行になっており、車両は建物の裏側をぐるりと迂回させられています。その工事現場のそばに小さなカフェが見えました。オーベルジュ・デ・ブーランジェ(Auberge des Boulangiers)という店名が見え、もしかすると上の階で民宿をやっているのかもしれないけれど、パン屋さん(boulangerie)ではなさそうなので、何かに由来する固有名詞なのでしょう。道路に面したテラスでは、初老のおじさんと中年のおばさん、それぞれ1人客がいます。おじさんはタブロイド紙を熟読、おばさんは女性店員さんとおしゃべりと、よくある光景。私もテラス席におじゃまして、女性店員さんに生ビールを発注しました。フランス語であいさつ、注文するので、何となくフランスにいるような気分になってきますがここはスイス。工事現場越しに(笑)サン・ジャン橋がよく見えて、暑くもなく涼しくもなく、テラスで生ビールというのが何とも心地よいです。いま「釜の底」みたいなところにいるわけで、大聖堂の展望台とは100m以上の高低差があり、短い時間にずいぶんアップダウンしてきたものですね。燃料が浸みるな〜。1CHF3.90と普通の値段で、どうやら飲み物に関しては欧州諸国並みの相場のようです。そういえば、7年前にルクセンブルクを訪れた際に、「下の世界」をうろうろ歩いて、やはり橋のそばにあるカフェで生ビール飲んでいます。やること変わらんな!

 


ぼちぼち夕方が近づいてきているので、駅に引き上げて、ベルンに戻るとするかな。フュニキュレールは崖を切り込んで鉄橋を渡し、線路をとりつけてあります。ケーブルカーであるわけだから2台の車両が上の駅と下の駅を同時に発車して中間地点ですれ違う、つるべ井戸と同様のしくみ。ただ、ここのは電力式ではなく水力式で、上の駅で車両のタンクに水を満たし、下の駅で水を抜いた車両との重さを入れ替えて、そのバランスで引っ張らせるという、ピタゴラスイッチ的なものなのです。19世紀末に開業していまもなお現役というのがエラいですね。

小さな下の駅に入ると、2台の車両が途中で行き合うところでした。どことなく遊園地の乗り物のようでもあります。西欧あちらこちらでも、最近はケーブルカーの世話になる機会が増えました。パリのモンマルトルの丘にあるやつは、お寺の階段をショートしたい人のための小型のやつで、JR王子駅前の飛鳥山公園に登るゴンドラみたいなものだと思えばよく、でも一日乗車券をもっていれば乗れるのでちょいちょい使いました。1年半前のリスボンでは、ここと同じように高低差のある地域を直結するため、3系統のケーブルカーが走っており、すべて踏破?しました。昨年末のバルセロナではモンジュイックの丘をめざす観光用のケーブルカーに乗っています。国内では6年前に男山(石清水八幡宮)で乗ったのが最後かなあ。ケーブルカーのベストポジションは、上りでも下りでも坂下側なのですが、何となく登っていく様子を見たくて坂上側に陣取りました。周囲はほとんど観光客で埋まります。若いお母さんと1歳くらいの僕ちゃん、その祖父母というファミリーがやってきて、僕ちゃんがたちまち周囲にちやほやされアイドル状態になりました。僕ちゃんはアーとかウーとかいうだけですが、ご家族はドイツ語を話しています。

 
 


イケメンの運転士さん(というのかな?)が鉄でできた大きなハンドルを操作して、車両は静かに動きはじめました。私の乗っているほうはタンクを空にして、他方の車両の重みと入れ替えに引き上げられるわけです。がたがた音を立てながらゆっくりと進み、ものの3分もかからずに上の駅に到着しました。CHF2.70だそうですがスイス・パスで乗ることができます。

上の駅は、駅を降りてサン・ニコラ大聖堂のほうへ向かって歩いたルート沿いにありますので、そこから先の地理的な位置関係は心得ています。来たときには通らなかったルモン通り(Rue de Remont)に出てみると、新市街のショッピング街でした。夕方にさしかかっているため、買い物したり、テラスでお茶飲んだり、ぶらぶら歩いたりと、大勢の人がこの目抜き通りに出てきていますね。人口規模のわりにはしっかりした中心市街地で、いまのところシャッター通りみたいなものは見えません。見るところさまざまな表示は大半がフランス語で、バイリンガル(二言語併用)といいながら実際には多数派の言語をマスターしないと生活しづらいのかも。

 ルモン通り


ゆっくりぶらぶら歩いて駅に戻ると17時前。15時前にここに来たので正味2時間くらいしか滞在していないわけだけど、あわただしく回ったという感じはしません。高いところ(大聖堂の展望台)に登って町を一望したので、それで満足を感じたのでしょう。時刻表を見るまでもなく、ホームには1704分発のチューリヒ行きICがやって来ました。オール2階建ての車両で、当駅でかなりの下車と乗車があります。2階に上がるとほぼ満席。ICの趣旨どおり、都市間を移動する人がかなりあるのでしょう。ボックス席に一人分の空きが見えたので、PCを操作していた隣席のおじさんに頼んで座らせてもらいました。ややあって検札が回ってきて、私はスイス・パスで一発パス、おじさんは「おや? あれ?」というふうにポケットやカバンをごそごそ探しており、トボけているのか本当に見失ったのかと注目して見ていたら、3分くらいしてどこかにはさんでいたらしい切符を無事に探し当て、車掌に示しました。よかったね。

 
フリブール/フライブルク駅で発車を待つIC列車  カフェ車はスターバックスが請け負っている模様

 

ベルン(独 Bern)/ベルヌ(仏 Berne)/ベルナ(伊 ロマンシュ Berna
  スイス連邦                                                                   


今度は30分弱でベルン駅に着きました。ドイツ語の世界に戻ったわけです。ここで予想どおり、ごっそり乗客が入れ替わります。これからホテルに戻ってチェックインするのですが、その途中にスーパー的なお店があったかどうか記憶が定かでなかったので(実はありました)、駅ナカで飲み物などを買って行くことにしよう。駅ナカといってもこちらの鉄道は改札がないため、お店だけ利用するぶんにはショッピングビルと変わりありません。飲み物を中心に売るコンビニ的なお店が構内にあったので、500mLのミネラルウォーターを2本と、寝酒用にハーフボトルの赤ワイン、そして500mLの缶ビール(パリでもおなじみのアムステル)を購入。お水のペットは何と1CHF0.80で、日本のコンビニで売っているPB商品くらい安いじゃないですか。ワインとビールの値段は失念したものの、全部でCHF8.90でした。ホテルで飲み物を買えば高いだろうから、いつもこうして持ち込むのですが、何となく小心者なもので、リュックに収納してスタッフの目に触れないようにしています。

駅から徒歩78分のホテル・クロイツに入り、レセプションで名前を告げてチェックイン。Wi-fi利用はここではオプション料金で1泊あたりCHF3とのことなので2泊ぶん頼んでおきます。アカウントとパスワードを記した紙片を渡してくれました。「Wi-fiの精算は、いまなさいますか? お帰りの際に?」と訊ねられたので後者を選択。ただ、翌々日の朝チェックアウトして明細書を見てもCHF6が徴収された形跡はなく、上乗せするのを忘れてしまったようです。さほど得した気にはなりませんけどね。きょうびWi-fiは宿泊料金に込みでもいいような気がするなあ。日本のホテルもかなりそうなりつつありますしね。ついでのことに、14時前に預けたキャリーバッグを請け出したいと頼むと、それも忘れていたようで、「ああ、このお荷物はあなたのでしたか。ウェルカム・バック!」と。

 
 
ホテル・クロイツ


ホテルは意外に大きく、廊下に面してドアがずらりと並んでいました。共用の流し台みたいなのがあるのがおもしろく、飲み物の自動販売機と、無料で飲めるティーバッグなどが置かれています。電熱ポットなどともども各室に置くのではなく共用にしているのはめずらしい(湯治宿みたいだ)。大手宿泊予約サイト経由で確保した部屋の宿泊料金は2泊でCHF260VAT3.80%込み)。いまどき消費税3%台って安くていいな、なんて物価の高さを忘れています(汗)。部屋はeasy singleという最も安いタイプで、ベッドと小さなライティングデスクがあるだけの実に簡素なもの。水まわりも最小限といった感じで、それにしては1CHF130というのは高めですよね。でもベルンの相場はそんなものなのです。ま、そのくらいでおたおたするようなキャリアでもなく、スイスを数日間旅しようと思った時点でお金がかかることは承知しています。ホテル前の通りは歩行者専用の広場ふうになっており、金曜の夜ということもあってかかなり人出があってにぎやか。窓を開けなくても、わいわいがやがやと楽しそうな声が聞こえてきます。

きょうはバーゼル、そしてフリブール/フライブルクとかなり歩いて疲れたのと、Wi-fiが通じるような場所では仕事関係も遠慮なく降りかかってくるのとで、しばし休憩。シャワーを使い、複数のメールに返信しておきます。
 
日没直後(20時前後)のベルン中心街  正面に時計搭が見える


さて晩ごはん。前夜のバーゼルと同じで、日昼にその町を歩いていないのに食事だけしようとするため、町の様子とか、どこに飲食店があるといった雰囲気を知らないままです。ホテルが中心街にあることは承知しているので、まずはそのへんをぐるりと一回りしてみようか。駅前からつづくメインストリートは、このへんではマルクト通りMarktgasse)という名になっています。監獄搭につづく目印は時計搭(Zeitglockenturm)。大きな三角屋根を載せた、すこしユーモラスな感じの搭です。前述したように、ここベルンでは道路両側の建物の0階部分がアーケードになっていて、歩道と建物が一体化している。20時になっているので、衣料品店や小物屋さんなんかはもう閉まっていますが、カフェみたいなところだとさまざまな年齢層の人がごちゃっと集まって、ワインか何かを飲んで楽しそうに語らっています。何を食べようかな。スイスの食費の高さを警戒している自分がどこかにいます(笑)。

 
北部スイスの郷土料理レシュティを味わう


ぐるりと一周して、ホテルちかくのベーレン広場Bärenplatz)にもどってきました。自動車の乗り入れはできないものの、私たちの感覚では広場というより広い道路。欧州ではこのような広場を何度も見ているので違和感はありません。両側の飲食店がテラス席を張り出していて、老若男女が金曜の夜を思い思いに楽しんでいる様子が見えます。写真つきメニューを掲出して、英語や日本語を添えてあるような観光レストランには食指が動きませんが、でもどこかに入ろう。Gfeller am Bärenplatzというお店は間口が広く、室内席とテラス席がある模様。このあたりの名物料理であるレシュティ(Rösti)がメニューに見えたのでこいつを食べることにしましょう。室内の席はもうクローズなのでテラスでお願いしますと、店員さんに誘導されました。

英語のメニューをもらって検討するものの、料理名というのは基本的に当該地域の言語で表現されるため、細部まではわかりません。TempuraとかSukiyakiみたいなものだわな。で、レシュティにも56種類あったので、値段的に2番目に安いものを頼みました。定食評論家の今柊二さんの「下から2番目の法則」に従ってみたよ。私も普段からだいたいそのような頼み方をしていて、前夜のバーゼルのサラダもそうでした。品名はRösti gemischtで、直訳的にいえばミックス・レシュティというところか(ドイツ語の辞書を持参していないのでこれを食べた時点ではgemischtの意味がわかっていません)。CHF13.80で、それほど高くない。飲み物はメルロー(フランス南西部系統の赤ワイン)のグラスを1杯で、こちらはCHF4.40。ラップに包まれた麦芽入りの食パンが2枚、運ばれてきました。しっとりしたパンをアテにしてワインを舐めるうち、レシュティが運ばれました。「とても熱いので気をつけて」と店員さん。お皿ごとオーヴンに入れて仕上げたようです。レシュティは北部スイス地方の定番で、朝の主食とか夕食の添えものに使うことが多いとのことですが、別にメインにしてもよさそうですね。じゃがいも、タマネギ、ベーコン、ハムの細切りをバターで炒め、チーズをかけてオーヴンで仕上げ、揚げたオニオンスライスをトッピングというつくり方が透けて見えるのだけど、どうだろう。たしかにテレビの「新婚さんの朝ごはん」みたいではあるよね。本体部分といえるじゃがいもがほっこりしていて美味しいのは美味しいけど、非常に素朴で、家庭料理そのものの味。たまにはこういうのもいいやね。それと、あのあとは落ち着いているものの、いつ奥歯の痛みが再発するともかぎらず、このように負荷のかかりにくい食べ物は歓迎なのです(涙)。そういえば、テーブルにつまようじがある。欧州ではめずらしいな。

 

PART5 につづく

 

この作品(文と写真)の著作権は 古賀 毅 に帰属します。