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2 モンパルナスからさらに西へ

 

 


 
 


RER-B線ポール・ロワイヤル駅

 


ポール・ロワイヤル通りに面してヴァル・ド・グラースVal de Grâce)という施設があります。もともと17世紀にのちのルイ14世の誕生を祝して寄進された豪奢な教会だったのですが、現在は軍の医療施設になっています。そのエントランスのすぐそば、ポール・ロワイヤル通りの歩道部分にマルシェらしきものが出ていました。へえ、こんなところに市が出るのかと思って足を踏み入れると(ていうかここを通らないと進めない)、なかなか本格的な規模のものでした。パリをはじめ欧州の都市ではあちこちで仮設商店街のような市が立ちますが、うかつなことにここのは知りませんでした。ネットで調べたら、ポール・ロワイヤル市場Marché Port- Royal)という名称で、火・木・土に出るそうです。精肉、鮮魚、青果、生花、乾物、パン、チーズ、ハム・ソーセージ、食器などキッチンまわりのあらゆるものが売られていて、買い物客も非常に多い。平日の昼にこの付近を通ったことがないわけではないのに、いつもは91系統のバスでさっと通り過ぎることが多いため見逃していたのでしょう。たまの徒歩もいいものです。

その少し先にRER-B線のポール・ロワイヤル駅があります。B線は南北方向にパリ市内をつらぬく主要路線で、A線やC線と異なりダブルデッカー(2階建て車両)を使用しないためもあっていつも混雑している印象。シャルル・ド・ゴール空港への行き帰りに私が利用するのがこの路線で、南に進めばオルリー空港にも通じているので(こちらは未訪)、京急・都営・京成のエアポート快特みたいな役割も果たしています。一般論としては空港アクセス列車と通勤用の近郊列車は便を分けるべきだと思うのですが、実際にそれをやられるとカルチェ・ラタンに直接来る私などは条件が悪くなります(五輪に向けて、東駅起点のアクセス列車を走らせる準備が進んでいます。何でそんな中途半端なところに!)。




天文台の噴水


ネー将軍像


RER-B
線は左岸の幹線道路であるサン・ミッシェル通りBoulevard Saint- Michel)の地下を走ります。この道も「オスマン道路」の一つ。バス停の名称はオプセルヴァトワール- ポール・ロワイヤル(Observatoire- Port Royal)となっています。オプセルヴァトワールというのは天文台のことで、このすぐ南側にあるパリ天文台(Observatoire de Paris)に由来します。同時に、RER駅のすぐそばにはそれにちなむ天文台の噴水Fontaine de l’Observatoire)があります。彫刻は球体を4人で支えている構図で、カルポー作の「天球を支える世界の4つのパート」(Les Quatre Parties du monde soutenant la sphère céleste)。これはレプリカで、本物はオルセー美術館に所蔵されています。日本語を直訳的に示しましたが、ユーラシア・アフリカ・南米・北米の4大陸が地球を構成しているというイメージとされます。シンメトリー重視とはいえ4大陸でよいのか?(笑)

そのすぐそばにはミシェル・ネー(Michel Ney)の立像がありました。これにもいままで気づきませんでした。ナポレオン1世の軍事行動において最も功績のあった将軍です。1813年のライプツィヒの戦い(諸国民戦争)で敗れたのちナポレオンに退位を促し、英国から戻ったルイ18世にいったん帰順したものの、ナポレオンがエルバ島を脱出してパリに進軍するとこれに呼応、ワーテルローで最後の決戦に臨み、ついに大敗を喫しました。裏切りに怒ったルイ18世により銃殺刑となり、「兵士たちよ、私を撃て、そして正義を見よ!」と叫んで絶命。この逸話は有名なのでよく知っていたのですが、処刑された場所がまさにこの付近だったとのこと。ほんと知らんことだらけで毎度びっくりさせられます。




モンパルナス大踊り

 
(左)タイ古式マッサージ店  (右)アジア系惣菜店

 
(左)ロシア料理店  (右)中東系ファストフード店

 


さて、噴水とネー将軍像から西が、いよいよモンパルナス大通りBoulevard du Montparnasse)です。市内でも有数のにぎやかな地区に入りました。初めてパリを訪れた25年前から、毎度のように足を踏み入れては何やら飲み食いしています。映画館とか各種ショップにはあまり縁がないので、私にとっては安直な飲食の場ということね。ただ、現在11時ちょっと前なので昼食にはまだ早い。


タイル屋さん、らしい


ずらり並んだ大小各種飲食店が、ぼちぼちランチ営業の準備に入っています。フランスの商慣習では、朝からノンストップ営業しているカフェでなければ、正午ちょっと前からランチ営業というのが普通。日本と違って12時台に混雑が集中するということでもなく、13時半くらいでもけっこう込んでいます。ただ、希望する料理があるようなときはお早めにね。

地図でこの付近を見ると町割がけっこうユニークです。いま歩いているモンパルナス大通りに対して道路が直交するのではなく、約60度の角度で交差しています。ですから交差点も四差路とか六差路になりがちで、そこに空間的なゆとりが発生します。大きな通りとしてはラスパイユ通りBoulevard Raspail)があります。4シリーズでこの道を少し歩いていますね。ラスパイユ通りとの交点付近がヴァヴァンVavin)地区。ある意味で最もモンパルナスらしいところです。



 
ヴァヴァン地区にずらり並んだ有名カフェ (左)ル・ドーム (右)ラ・ロトンド

 
(左)ラ・クポール  (右)ル・セレクト



ラスパイユ通り

 


このヴァヴァン地区に並ぶのが、エコール・ド・パリの時代に画家たちが愛用したという有名カフェの数々。日本でいえば「文人バー」みたいなものかもしれないけど、表通りのカフェ、しかも大店(おおだな)ばかりなので、明るくていい雰囲気ではあります。モディリアーニや藤田嗣治はラ・ロトンド(La Rotonde)の常連で、レーニンもここに通ったそうだからすごいですね。ル・ドーム(Le Dôme)はカキの美味しいレストランとしても知られます。あとラ・クポール(La Coupole)。

 ル・セレクトの店内


ガイドブックに載るような有名どころには日ごろ無関心の私ですが、朝の9時半から歩きっぱなしなのでそろそろ小休止。ル・セレクトLe Select)に初めて入ってみました。ここはヘミングウェイが愛用していた店で、American Barの副題?がついているしSelectの綴りも英語式。もともとアメリカ人に愛好される店だったようです(創業1923年)。パリって、京都と同じようによそ者を受けつけないような気位の高さが感じられる一方で、世界中さまざまな地域から短期・長期でやってくる人々を包容するウツワの大きさもあるんですよね。不思議。かくいう私もそうした雰囲気に惹かれて花の都に通うひとりです。さてめずらしく有名店に入ってみたら、若い女性店員さんの応対が実にスマートで感心します。パリジェンヌはときに(しばしば)よくもここまで無愛想になれるねという水準に達しますが、そこはさすがにメジャーリーグ。ランチどきにさしかかっているので、食事のお客と飲み物だけのカフェ客をさばかなければならないわけですね。テラスではなく明るい窓際に腰かけて、カフェ発注。€2.90と、場所がらを考えれば普通の価格でした。おまけにWi-fiフリーなので、ついついタブレットを開いてしまいます。ユビキタスって人間をダメにするね。で、こんなところでネットにつながれば、当然のことに仕事がらみで処理しなければならない案件が嫌でも入ってきます。隣の老夫婦は朝食セットを食べながらゆっくり午前を過ごした模様。入れ替わりに6歳くらいのお嬢さんを連れた若いお母さんがやってきました。


 
ノートルダム・デ・シャン教会とモンパルナス通り


チュロスやワッフルを売るスイーツ系の屋台


1940618日広場


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時間くらいゆっくりしてお店を後にしました。今度は別の有名店も試してみよう。前述のようにこの界隈の道路は斜めに交差するように設計されているのですが、1筋だけ直交しているのがモンパルナス通りRue du Montparnasse)。角にノートルダム・デ・シャン教会(Église Notre- Dame- des- Champs)があります。第4シリーズではモンパルナス通りのほうを歩いたのでした。同じ固有名詞でも今回歩いているのはboulevard(並木大通り)、クレープ屋さんが並んでいるのはrue(普通の通り)で表記上ややこしい。


地区のシンボル モンパルナス・タワー


そこから1ブロックで1940618日広場Place du 18 juin 1940)。東西を走るモンパルナス大通りに、北のサン・ジェルマン・デ・プレから南進してきたレンヌ通りRue de Rennes)が突き当たる箇所です。レンヌ通りもまた市内屈指の商業ゾーン。初めて来た25年前に、そのあたりのマクドナルド(たぶんあそこだと思う 笑)でコーラを頼み、大?小?と聞かれてグラン(大)を指定したらばかでかいコーラが出てきてびっくり、という変な記憶が。固有名詞になっているのは、ナチス・ドイツに占領されたフランスを解放するためにシャルル・ド・ゴールがロンドンで発したレジスタンス宣言の日付です。国家にとって大事なのはわかるけど、発音するとディズユイット・ジュアン・ミルヌフサンキャラント広場となって大変。きっと地元流の略し方があるはずです。この広場と、1ブロック南のモンパルナス駅とのあいだに大手デパートのギャルリー・ラファイエット(Galerie Lafayette)と、地区のシンボルでありながら景観上のあれこれをいまだにいわれてしまうモンパルナス・タワーTour Montparnasse)があります。




SNCFモンパルナス駅の正面入口

 
 SNCFモンパルナス駅 

 


左岸大縦断の行程としてはこのあとモンパルナス大通りをさらに西進する予定なのですが、思うところあってSNCFモンパルナス駅Gare Montparnasse)に寄り道します。ボルドー、ブルターニュなどのフランス南西部方面へのターミナルで、TGV大西洋線も発着する、オステルリッツより2回りくらい大きな構えです。前述のレンヌ通りの名は、鉄道経由でレンヌにつながっているという含みもあるらしい(もちろんその昔は「レンヌ街道」だったのでしょうが)。1年前の2月には、ここからTGVに乗ってブルターニュに向かいました。タワーに面した建物はオセアン口(Porte Océan)、長いホームの真ん中あたりにパストゥール口(Porte Pasteur)、そしていちばん先頭側にヴォジラール口(Porte Vaugirard)と呼ばれます。それぞれモンパルナス123という名もあります。1年前はバスの関係でパストゥール口を利用したら閑散としていて退屈しました。


こちらは側面側の入口


まだ初心者のつづきだったころ、シャンプーを持参するのを忘れてこの駅構内の薬局で適当な品を購入したのだけど、その香りが気に入って、いまにいたるまで同じ銘柄を愛用しています(来るたび購入して持ち帰る)。おかしなことに、欧州に来る際には日本製のミニを使用し、日本ではフランス製を使うという倒錯状況にありますです。

モンパルナス駅に立ち寄ったのは、オステルリッツからはじめた町歩きなので対比のために見ておこうというのと、そろそろ昼ごはんをどこかで、駅周辺ならいろいろ選択肢があるぞということによります。618日広場からこの駅にかけての地区では何度も食事しており、だいたいの傾向がわかっているのですが、ピンと来るところがない。ま、こちらもベテラン化してなるべく安直なのは避けようというふうになってきたのでしょう。駅前食堂って外れが多いですからね。



 

 


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18日広場西側のモンパルナス大通りも、ひきつづき飲食店街。両側にさまざまな種類の店が並びます。だいたいはカジュアルですが、中には布のテーブルクロスを敷いた本式の店もあります。希望は「中の上」クラスなんだけどな。


飲食店の列が途切れそうになったヴォジラール通り(Rue de Vaugirard)との交差点の角に、Le Bec Rouge(赤いくちばし?)というレストランがありました。黒板ではなく木製ボードにフォルミュル(formule 前菜+主菜または主菜+デザート)が掲出されています。なになに、タラのグラタン(Gratin de Morue)か若鶏とスペアリブのミックス・グリル(Mixed grilled- coquelet et travers)のチョイスとな。入店してみるとパリのレストランにしてはめずらしく採光がよくて非常に明るい。テーブルや調度品がやけにウッディで、テーブルに置かれたダミーのお皿も木製と雰囲気づくりが徹底しています。先客は2組。私の少しあとに家族連れが入ってきました。一品ものもいろいろあるようですが、やはり日替わり€20のフォルミュルにしよう。この価格でグラスワインとカフェがついてくるそうです。ドゥミ・プレッション(0.25Lの生ビール)に替わりませんかと訊ねたらOKだったのでそちらにしました。昼のワインは効きそうだからね。前菜はよくあるウサギのテリーヌですが、チコリとトマト、ラッキョウみたいなのが黒いまないた皿の上にアーティスティックに配置され、なかなか凝っています。これだったらワインのほうがよかったかな? メインのタラのグラタンは、すり身にした魚のクリーム煮込みみたいになっています。食感はユバ包みみたい。ブロッコリー、ジャガイモが一緒に調理されています。美味しいし、冬場はほっとする味だけど、どちらかというと田舎の家庭料理みたいやな〜。あとで店のサイトを見ると、アルザス料理の店だったようです。なるほどね。なのに魚系を選んでしまいました(汗)。セットされているコーヒーまで飲んで、ゆっくり過ごしました。



正面にアンヴァリッドが見えてきた!

 ネッカー子ども病院

 
サックス通り


陸軍士官学校とエッフェル塔


モンパルナス大通りはそこから2ブロック、セーヴル通り(Rue de Sèvres)との交差点まで。セーヴル通りといえばデパートの元祖ル・ボン・マルシェ(Le Bon Marché)の横から来ているはずで、日ごろの行動範囲からかなり離れたところまで歩いてきたなと思います。そこから先の道路名はアンヴァリッド通りBoulevard des Invalides)に変わります。なるほど正面にアンヴァリッド(Hôtel des Invalides)の黄金ドームが見えてきました。3シリーズで紹介したように廃兵院の建物に軍事博物館が同居、黄金ドームはナポレオン1世の墓所です。ただ今回はセーヴル通りを左折。左手にネッカー子ども病院(Hôpital Necker- Enfants malades)があります。ルイ16世時代に病院が設立され、ナポレオン時代に早くも子ども病院として整備されたという長い歴史をもっています。

子ども病院の正面入口付近で今度は右折し、サックス通りAvenue de Saxe)に入りました。すぐブルトゥイユ広場(Place Breteuil)という円形広場があり、ぐるり見渡してみればアンヴァリッド、エッフェル塔、モンパルナス・タワーがそれぞれの方向に見えます。そもそもは閑静な地区のよう。その先のサックス通りは広い中央分離帯を抱いた道路ですが、屋台の解体作業中のようです。あとで調べたらここにもマルシェが立つらしい。サックス・ブルトゥイユ市場Marché Saxe- Breteuil)と呼称するそうで、木・土のみの開催だということです。終わったばかりで撤収しているのね。

サックス通りを300mばかり歩いた突き当たりが陸軍士官学校(École militaire)です。その向こう側にはシャン・ド・マルス公園(Champ de Mars)そしてエッフェル塔(Tour Euffel)が待っています。でも今回はここまで。もう少しくらいなら歩けそうだけど、明日からロレーヌとドイツに遠征するので余力を蓄えておかなくてはね。士官学校の手前にある、カーブを描いた不思議な外観の建物は、国際連合教育科学文化機関United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization / Organisation des Nations unies pour l'éducation, la science et la culture)略称ユネスコの本部。上から見ると三叉の、メルセデス・ベンツのマークみたいな形をしています。ユネスコが注力する文化多様性の重要性をいろいろな授業で力説してみるのだけど、なかなか伝わりませんね。私自身も含めて商業文化という短期的で消費的なものに毒されすぎると、あとの世代に何も残らないということになりかねません。教育との関係でいったいどうすればいいのだろう。というようなまじめな課題を自問したところで、左岸大縦断はおしまいです。



本日の終点 ユネスコ本部

 

 

PART3へつづく

 

 

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