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2 サン・トノレ通り <2>

 

 


 
アンドレ・マルロー広場から西側には個性的なブティックが点在

日曜日なのでお店はほとんどすべてクローズしています。花の都パリといえばショッピングだという旅行者が、国内と同じ感覚で日曜の買い物を計画すると大失敗になってしまいますね。それにしても日曜のショッピング街というのは人通りもほとんどなくて、閑散という言葉がふさわしい状況。


マルシェ・サン・トノレ(正面ガラス張りのところ)


サン・ロック教会の先で通りを右折したところにマルシェ・サン・トノレ広場Place du Marché-Saint-Honoré)があります。近年の再開発でガラス張りのウワモノが乗っかり、わりとおしゃれなショッピング街になりましたが、けっこうディープな歴史をもつ場所。長く修道院だったところ、のちにジャコバン・クラブClub des Jacobins)が入りました。初めは政治活動に携わる市民たちの交流の場だったのですが、フランス革命の進行とともに右派や穏健派が脱落し、1792年後半から急進的な山岳派(Montagnards)が実権をにぎりました。その中心人物ロベスピエールがテルミドール政変で処刑されると、クラブも閉鎖されます。静かな日曜の散策ではなかなか体感しにくいけれど、壮絶な歴史の現場を、いまたどっていることになります。「クラブ」という英国的なネーミングをしているところに、そもそも18世紀後半のニュアンスを感じますね。




実際に歩いて見るとよくわかるのだけど、パリの「主要な部分」というのはかなり狭い範囲に集中しています。主だった見どころといえば、バスチーユから凱旋門までの直線距離にして4kmくらいの範囲にあり、それこそ下手にメトロに乗るよりは歩いたほうが早いようなこともよくあります。革命期のパリはさらに狭く、コンコルド広場から西側のシャンゼリゼ方面は郊外扱いでした。

フランス革命といえば世界史を変えた一大変革ではあるのですが、この凝縮されたエリアでの出来事が、フランス各地の社会的事象と連動し、さらには全欧レベルでのあれこれに結びついていった(それも間をおかず)というのが実に興味深いです。


サン・トノレ通り側から見たヴァンドーム広場のモニュメント


 

 

もう少し先で右折すると、すぐに青銅色のモニュメントが見えます。その周囲は正方形(実は四隅をカットしてあるので八角形)に整えられた広場。ここがヴァンドーム広場Place Vendôme)です。後述するフォブール・サン・トノレ、シャンゼリゼ、そしてモンテーニュ通りと並んで高級ブランドが建ち並ぶエリアとして知られています。もとより日曜なので人影はありませんが、平日に来ても、シャンゼリゼのような騒々しさはありません。ヴァンドームで買い物するような人はエレガントすぎるみたいで、車でさっと乗りつけてお目当てのショップに直行するものらしい。ついでのことに、リッツやパークハイアットなどの高級ホテルもこの付近にあります。1€800以上とかどんなところなんやろうな〜。日本の女性雑誌でパリ特集があると、買ってきて安いワイン飲みながら読むのだけど、もちろん「ご参考まで」以上の何ものでもありません(笑)。


広場のモニュメントはナポレオンが戦勝記念のために造らせたもの。のち政体が代わるとてっぺんの像が置き換えられたりしたのですが、現在ではナポレオンその人が復活して、町の様子を見守っています。


マドレーヌ寺院


マドレーヌ寺院からセーヌ川方向を見通す
コンコルド広場のモニュメントと、左岸側のブルボン宮(国民議会下院議事堂)が見える

 コンコルド広場

サン・トノレ通りに戻って少し西に進むと、右手にどかんと巨大な建物。マドレーヌ寺院Église de la Madeleine)です。何ちゅうか、私なんか町の景観と不調和な感じがするんですよね。教会っぽくないのももっともで、パルテノン神殿などを模した古代ギリシア様式で建てられているのです。19世紀前半の創建。これもナポレオンの戦勝モニュメントの一環でした(ただし彼の没後に完成)。


マドレーヌの北に、サン・トーギュスタン教会(Église Saint-Augustin)が見える
ナポレオン3世時代の創建

185060年代の第二帝政期に、オスマンの指揮下でパリの大改造が進んだ話は前述しましたが、いま歩いているマドレーヌ寺院付近から西側では、やたらに広い直線道路が目立ってきます。この時期のパリ拡張の「成果」といえます。

 ラデュレ

マドレーヌ寺院周辺は、ヴァンドームから一転してポピュラーなお土産を入手したい向きにぴったりのショッピングゾーン。フォションやエディアールの旗艦店もここにあります(今日はお休み)。

 

 

マドレーヌ寺院へ向かうロワイヤル通り(Rue Royal)を逆(セーヌ川方向)に進むと、すぐコンコルド広場Place de la Concorde)があります。ルイ16世とマリ・アントワネットが1年違いでギロチンにかけられた現場。シャンゼリゼ通りの東の起点でもあります。ロワイヤル通りとの交差点を過ぎたところで、道路名がフォブール・サン・トノレ通りRue du Faubourg Saint-Honoré)と微妙に変化します。フォブールはふつう「○○街」と訳すのですが日本語の感覚と違うので難しいですね。この交差点から300m弱がブランド街になっています。交差点そばにプラダがあり、その先にもカルティエ、エルメス、ジバンシィ、シャネル、ヴァレンティノ、グッチ、イヴ・サン-ローラン、フェラガモなどなど。空港内の免税ショップに出店するような大物ぞろいですな(笑)。もとよりこうしたものとの付き合いは、おそらく今後もないですが、後学のためにウィンドウだけでものぞいていこう。



グッチのところから道路名に「フォブール」がつきます

 



エリゼ宮
フランス大統領府の公式サイトはこちら

 

ブランド街が終わったかなというあたりで、左手(南側)に重厚な石造りの建物が見えてきます。ここまで間口の狭いショップばかりだったので唐突な感じもします。これがエリゼ宮Palais de l’Élysée)。18世紀の貴族邸にはじまり、ナポレオンの退位署名(ワーテルローで敗れたあとの2度目のもの)がおこなわれた現場でもあります。第三共和政期からは共和国大統領官邸として使用されています。つまり現在の主はフランソワ・オランド大統領。

アメリカ政府を「ホワイトハウス」、英国政府を「ダウニング街」などと呼ぶように、「エリゼ宮」といえばフランスの最高権力の暗喩になります。1958年にド・ゴールが制定した第五共和国憲法では、首相をトップとする行政府(内閣)の存在を規定しながらも、共和国大統領にそれを上回る権限を付与していて、一般には大統領制に分類することになっています。「大統領も首相もいるなんてよくわからん」という人がけっこういるのだけど、両方いるのが普通で、アメリカはイレギュラーな形態なんですよ(大統領制の元祖ではあるけれど)。



スタバは開いている(笑)  


登り坂になってきた・・・

 

エリゼ宮の少し先に、これも超高級ホテルのル・ブリストル。へぇ、こんなところにあるのかなどと感心しつつ歩きますが、そろそろ疲れてきました。カルチェ・ラタンの常宿を9時半くらいに出て、そのあと徒歩でノートルダムまで行き(これはいつもの作法)、ちょっとだけ休憩して11時前くらいからサン・トノレ散策をつづけています。ルーヴルの中庭に入り込んだのが正午過ぎ、いまはもう14時くらいになっています。カフェでもと思ったものの、不思議なほど開いている店がありません。日曜は完全に機能を止めてしまうのかなあ。

と、メトロ9号線のサン・フィリップ・デュ・ルール駅(Saint Philippe du Roule 同名の教会がそばにある)付近から登り坂がはじまりました。傾斜はそこまできつくないですが、長くつづくためやがて足にダメージが来ます。パリの地図を頭に入れているのですぐピンと来ますが、ここはシャンゼリゼ通りAvenue des Champs Élysées)に並行する部分なのですね。シャンゼリゼも、凱旋門に向かって東から西へ歩くと、けっこう登り坂がきつい。たいていの店が閉まっていて、1軒だけ開いていたのはステーキハウス。普段なら肉でも食うかとなるけど、前夜ビフテキ食らったばかりなんだよねえ。回避。



凱旋門が見えてきたのでこの日の散策は終了

 


シャルル・ド・ゴール(エトワール)広場の凱旋門

 

こうして14時半ころ、オスマン通り(Boulevard Haussmann)との交差点にたどり着きました。フォブール・サン・トノレ通りはあと少し、ワグラム通り付近までつづくのですが、オスマン通りの先に凱旋門(Arc de Triomphe)も見えてきたことだし、実質終了ということにさせていただきましょう。

 バルザック像があったよ


フランス革命の時点ではパリの西郊にすぎなかったコンコルド以西は、オスマンの時代に大いに変貌しました。ルーヴル〜チュイルリー〜コンコルド〜シャンゼリゼ〜凱旋門が一直線に並べられ、新たな商業地として開発されたのです。だから、パリに慣れた目で見ると、シャンゼリゼは最もパリっぽくて最もパリっぽくない通りというふうに見えます。地図を見て、パリの見どころでここだけは妙に中心からズレているなと感じるのは、そうした経緯ゆえでしょう。例外的に日曜でも大半の店が営業しています(いま首に巻いているマフラーはちょうど1年前の寒い日曜に、ここなら開いているだろうというのでシャンゼリゼまで来て購入したものです 笑)。

「裏道」にあたるフォブール・サン・トノレ通りの静けさがウソのように、シャンゼリゼは今日も大賑わい。凱旋門前はいつものように記念撮影の列が切れません。歩道には何となくチャラい路上パフォーマーがいて、妙に気取った口調で観光客とやり取りしていましたが、無許可だったらしく(許可するのかな?)警察官に強く注意され退散。警察官が馬に乗って現れるというのがカッコいいね。

空腹だけど、変な時間なのでがまん。宿に戻って、18時くらいに早めの(20時過ぎが当たり前のフランスからすれば相当早めの)夕食をたらふく食べることにしよう。RERとメトロを乗り継いで、カルチェ・ラタンまで40分以上かかったから、けっこう遠くまで歩いてきたことは確かです。

 

 

3へつづく

 

この作品(文と写真)の著作権は 古賀 毅 に帰属します。