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3 グルネル通り <1> |
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ひきつづきよく晴れた2月24日(月)です。冬の晴れつづきというのは西欧ではめずらしい。日ごろのおこないはともかく、最近はかなりよく働いているので、ごほうび的なことなのでしょう、と勝手に考えておきましょう。 本当なら歩いて見ようは1滞在で1回にしておきたいのですが、日曜のサン・トノレ通り歩きが予想以上に閑散としてしまったので(いま文章化してみるとそれなりにストーリーがあっておもしろいのですが 苦笑)、連日で何なのだけどこの日も歩いて見よう。サン・トノレと同じように、地味ながら全長2kmを超す長い道、グルネル通り(Rue de Grenelle)です。こちらは左岸の、主に官庁街を通り抜ける道で、日本のガイドブックには載っているもののパリ初心者が足を運ぶことはまあないでしょうね。 グルネル通りの起点の2ブロック北、パリ市内でも超有名地点であるサン・ジェルマン・デ・プレ(Saint Germain des Prés)交差点からはじめましょう。きわめて個人的な話をいたしますと、「フランスの専門家」を志してから初めてパリに降り立った(正確にはメトロの駅から出てきた)地点がここでした。 入門者のころこのあたりに宿泊したと書きましたが、実はその翌朝、これまたむやみに周辺を散歩してセーヌ河畔を眺め、よーし自分はパリになじんでここで成果を出すぞ!と気合を入れたゾーンであります(研究出張だったのね)。どことなくインテリっぽい(先入観かも)左岸に上陸したのがよかったのかもしれませんが、その付近の景観も、そして謎の決意もなつかしい。こんな連載を1年もつづけるくらいだからパリには存分になじんでいますけど、成果は・・・。 これは9年前の記述ですがずいぶん思い入れたっぷりですね(笑)。その後もパリになじみまくり、ネタを求めて道なりに歩くようになっております。 |
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さあグルネル通りの探検をはじめましょう。デ・プレの交差点からセーヴル通り(Rue de Sèvres)を2、3分歩いたところ、ミシェル・ドゥブレ広場(Place Michel Debré)が起点になります。ドゥブレはド・ゴール大統領の下で首相などを歴任した20世紀の政治家の名。実際には広場というほどの広さはなく、10年前までクロワ-ルージュ交差点(Carrefour de la Croix-Rouge クロワ-ルージュは赤十字の意味)と呼ばれていたというのはもっともなことです。セーヴル通りの先にはパリの、というより世界最古のデパートであるル・ボン・マルシェ(Le Bon Marché)が見えます。 道路改良の関係で最初のほうのナンバーが欠落しているサン・トノレと違い、グルネル通りはきちんと?1番地からはじまります。バス通りから入り込む「普通の道」という感じで、まさかこれが2km以上もつづくなんて思えません。 |
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東(1番地側)から歩きはじめるとグルネル通りが最初に見せる容貌は、ブティック街としての顔です。この通りはモード系のショップが多いことで知られていて、左岸独特の落ち着いた雰囲気の中でゆっくりと買い物できそうです。とくに靴屋さんが目立ちます。
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ラスパイユ通り
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ブティック街が300mくらいつづいて、その先でラスパイユ通り(Boulevard Raspail)との交差点に出ました。前述のル・ボン・マルシェはセーヴル通りとこのラスパイユ通りの交点にありますし、毎週日曜にはもう少し南のほうで有機市(Biomarché)が開かれることで有名な道。5年前、私はそれを知らずにそこを通りかかり、大いに賑わっている様子に驚いたことがあります。
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マイヨール美術館 |
ラスパイユ通りを越えてさらに進むと、今度は一転してパン屋さんとか薬屋さんなどが目立つ「商店街」。パリの市街地では原則的に一戸建て住宅というのが認められておらずみなアパートメントなので、オフィスとの見分けが外見上は難しいことがあります。この界隈は明らかに住宅街ですね。カフェなどの飲食店もちらほら。
この「住宅地区の商店街」っぽさは、しかし100mもしないうちに終わります。この先はいよいよ官庁街。東京でいえば「霞が関」なのですが、パリの場合はごく普通の住宅街と違和感なく隣接しているのがおもしろいですね。 |
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このグルネル通り、道幅はずっと広くないままなのですが、この付近はバス通りになっています。建物が低めになっているので青空が広く見えます。月曜午前だから(なのに?)けっこう歩行者が多い。 「私はわが地区を愛します/私は拾います」 イタリア国旗があるので何かなと思って近寄ったら、イタリア文化研究所(Instituto
Italiano di Cultura)でした。サイトを見てみたら、イタリア外務省の一機関で、イタリアの言語や文化を対外的に普及することを目的としたところだとか。すぐ近くにブリティッシュ・カウンシル(British Council)もあって、官庁街だからなのかこの種の対外文化普及機関が集まっているものらしい。ちなみにブリティッシュのほうはほぼ同趣旨の組織ながら(日本にもある)、英国政府から一応自律したものになっています。そのフランス版はアリアンス・フランセーズ(Alliance française)で、さきほどのラスパイ通り沿いに本部があり、これもフランス政府からは一応自律した組織です。植民地主義の名残といえばそうなのですが、自分のところの言語や文化をどんどん広めれば「味方」も増えるぜというので、公的資金がじゃんじゃん使われます。真に愛国的であるならば(私は違うけど)欧州のそういうところも見習ったほうがいいよね。なお微細なことながら『比較教育学事典』(東信堂)のアリアンス・フランセーズの稿は不肖私が書いています。 |
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駐仏ロシア大使公邸 パントモン寺院 |
左手(南側)にエストレ館(Hôtel d’Estrées)という白亜の建物が見えます。パリ市は要所ごとにHistoire de Paris(パリの歴史)という説明板をつけてくれているので、散歩しながら歴史が学べて楽しい。それによれば、ここは1710年代に建てられた貴族の邸宅だったのを、第二帝政期の1860年代にロシア政府が大使公邸として購入したものだそうです。皇帝アレクサンドル2世は1867年、ここにフランス皇帝ナポレオン3世夫妻を招きました。同じくニコライ2世は1896年にパリを公式訪問しここに宿泊しているそうです。大津で切りつけられた5年後のことで、仏露独の三国干渉に怒った日本人が「臥薪嘗胆」(徳富蘇峰のアオリ)とかいって反ロシア感情を高めつつあったころになりますか。エストレ館はいまもロシア連邦の駐仏大使公邸として用いられています。 オルセー美術館はここから北へ |
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バントモン寺院の先で交わるベルシャス通り(Rue de Bellechasse)を右折してセーヌ川のほうに進めば、オルセー美術館(Musée d’Orsay)の前に出ます。オルセーにはちょうど1年前の2月24日に行ったな。リニューアル工事を終えてかなりすっきりしていました。 交差点に面して、三色旗を掲げた立派な建物。これはフランス国民教育省(Ministère de l’Éducation nationale)。日本でいう文部科学省にあたる省庁ですが、高等教育や科学技術は担当外です(というのが現在の職掌で、フランスはしょっちゅう省庁再編をやるのでそのつど担当範囲も変わる)。ときどき公言しないと自分でも忘れてしまいそうになるのだけど(汗)わたくし「フランスの教育」を研究する人なので、この省の文書や資料には尋常でないくらいお世話になっております。あらためて御礼申し上げます(u_u)。 そうはいいながら、研究のためやってきましたというのではなく、ただ散策の途中でたまたま通りかかりましたというのだから、どうなんでしょうね(汗汗)。 |
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