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ファイナル・シリーズ パリの「歴史軸」を東から西へ
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2 シャトレ〜コンコルド
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PART1 にもどる
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リヴォリ通り(シャトレ付近)
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サン・ジャック搭の真下にメトロのシャトレ駅があります。路線の乗り換えのための狭い通路が無理くりつながっていてヘンになりそうなのがパリのメトロですが、シャトレは典型かもしれません。モビリス(Mobilis 一日乗車券)とかパリ・ヴィジット(Paris Visit 主要観光施設も割引になるチケット)をもっているなら、いったん外に出て歩いたほうが早くて安心というところもあります。
そのシャトレ駅付近から西のリヴォリ通りは、いよいよファストファッションなどの集まるコテコテの商業地区。フランスらしさとかパリらしさはほとんどなく、私たちがよく知る商業文化の世界です。東京でもパリでも、この種の店の中に入ることはほとんどないのですけれど、若者が往来する町の様子がおもしろいので、しばしば散策コースに選んでいます。
日本料理店に掲出されたメニュー 刺身または寿司+焼鳥というのが
フランスの安っぽい日本料理店の定番 餃子がついてくるパターンも多い
10年以上も前、学生たちを案内していたら、H&Mに立ち寄りたいと言い出したので連れて行ったことがあります。東京に進出したばかりのころだったかな。欧州ではそれ以前からありふれていたので、わざわざ行くようなところかなあとも思ったのですが、グローバル商業文化を体感するのにファストフードやファストファッションというのは最良の教材ですよね。それをヒントに、「グローバル化と消費生活」という一文を書いたことがあります(宮崎・古賀編著『教師のための現代社会論』、教育出版、2014年、pp.94-99)。
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巨大なルーヴル宮が前方左に見えてくる 通りの反対側はアーケードのある土産物店群
(左)ルーヴル宮の東側のパテオ (右)ガラスのピラミッド
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小さな飲食店などが並ぶ裏道を多少ぐねぐね歩きしたのち、またリヴォリ通りに戻ってきました。メトロ1号線でシャトレの1つ先にあるのがルーヴル・リヴォリ駅(Louvre- Rivoli)。その名のとおりの位置なのですが、美術館のエントランスはもう1駅先で降りたところにあります。ルーヴル美術館(Musée du Louvre)は、いまさら紹介するまでもない世界的なスポットで、13〜17世紀にかけて建設された庭つきの宮殿(ルーヴル宮)を革命政府が美術館に転用したものですから、建物自体はやたらに巨大。リヴォリ通りに沿って東西方向に600m以上はあるのではないかな。ルーヴルが見えてくると、リヴォリ通りの北側歩道はアーケードつきの商店街となり、その大半が観光客めあての土産物店や飲食店。スーヴェニア・ショップというのは最も食指の動かないカテゴリではあるのだけど、ま、好き好きですからね。最近は欧州でもMade in Chinaが急増しています。日本の観光地でもそうですが、お土産って何なのだという自問は、経済振興の妨げになるでしょうか?
このところ塩分制限を自らに課しており、昼ごはんは抜きというのもありなのですが、13時を回り、さすがに空腹になってきたので、サンドイッチ1本買ってくるかな。リヴォリ通りの一筋北を並行するサン・トノレ通り(Rue Saint-Honoré)に小さなパン屋さんがあったので、ショーケースを見てProvençal(プロヴァンス風)なる品を購入(€4.00)。英語を話す観光客風の人がけっこう並んでいましたが、表通りのツーリスティックな店で買うよりはよいような気がします。冬場なのでもとより寒いですが、晴れていて無風なのを幸い、ルーヴルの中庭に行って食べることにしました。ルーヴルは、コの字に配置された建物が東西方向に引き伸ばされたようなレイアウトになっていて、東西(ヨコ)方向にリシュリュー翼(Pavillion Richelieu)とドゥノン翼(Pavillon Denon)、南北(タテ)方向にシュリー翼(Pavillion Sully)と呼ばれる建物があります。シュリー翼自体が独立したパテオ(中庭)をもっていて、そこから入り込みました。中庭だけならチケットを買わずに入ることができます。古代エジプト、ギリシアなどの展示がある付近をくぐり抜けて、メイン・エントランスであるガラスのピラミッド(Pyramide, entrée principale)のそばまで進みます。テロ事件のあと、パリを訪れる観光客自体が激減したため、ルーヴルも並ばずに入館できる時期がありました。かなり持ちなおしているようで何よりです。私はといえば、暑すぎる日とか急に雨が降ってきたときなどに屋根を借りるため?に入館することが多くなっています。アーティスティックな人間にはなれそうにないですね(涙)。
プロヴァンス風サンドイッチは思いのほかいい味でした。ツナ、トマト、オリーヴ、レタスに少々スパイシーなチリソースがかかっています。外側のパンもかなり美味しい。フランスのパンは想像以上に香ばしくてぱりっとしているため、どのようにかじっても破片が飛び散ります。それはもう、パリ子さんたち(ハト)のお食事になるわけですねえ。今日もたくさん集まってきました。一緒にランチしようね。
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(左)自動車も通り抜けるルーヴルのメイン・ゲート(リヴォリ通り側)
(右)振り返ると、正面にオペラ座が見える ただしメトロで2駅ぶんある!
誰が買うねん
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パリに来はじめのころはまだ「若手」だったので、サンドイッチへの依存度がかなり高かった気がします。このごろはフランス式サンドの大きさとハードさに多少ひるんで、あまり買わなくなりました。齢やね。当たり前だけど、ツーリスティックな売店などよりもパン屋さんのサンドのほうが美味しいです。さて、腹ごなしというほどでもありませんが、歩いて先に進みましょう。広いルーヴルの中庭から、またリヴォリ通りに出てきました。オペラ座の正面にまっすぐ進むオペラ通り(Avenue de
l’Opéra)が斜め45度で分岐する、交通量の多い交差点です。右手には喜劇の殿堂コメディ・フランセーズ(Comédie française)や、元の王宮でいまは官庁と飲食店が雑居するパレ・ロワイヤル(Palais Royal)などが見えます。ルーヴル美術館最寄りのパレ・ロワイヤル・ミュゼ・デュ・ルーヴル駅(Palais Royal-
Musée du Louvre)がこの直下にあり、メトロ1号線と7号線が並行。7号線は私の常宿近くを通ることもあって重宝します。ここでオペラ通り下に移り、右岸の商業地をぐるっと回って進みます。なかなか便利。今回は東西幹線を西に進むという趣旨なので、このまま1号線の上を歩きつづけることにしましょう。
なお、ルーヴルはここから中庭に進んでピラミッドに入るのが正攻法なのですが、暑さや寒さ、雨の中を並ぶのはかなわんという向きは、リヴォリ通り側のカルーゼル・デュ・ルーヴル口を利用しましょう。メトロとも直結しています。各種ショップが並ぶデパートっぽい雰囲気の通路を抜けたところに「裏口」があり、すべて建物内なので、同じ並ぶのでも気楽です。なかなか充実したフードコートもあるよ。
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ピラミッド広場のジャンヌ・ダルク像
リヴォリ通り 左(南)側は広大なチュイルリ公園
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前述のように、リヴォリ通りのルーヴルと並行する部分はひたすら土産物屋がつづきます。両替店なども見えますね。高級ホテルのレジーナ(Régina)の先に、広場と呼べがたいほど小さな方形のスペースがあり、ピラミッド広場(Place
des Pyramides)の名がついています。その真ん中にあるのがジャンヌ・ダルクの騎馬像。説明するまでもないフランスの大英雄ですが、パリに来たのは一度だけ、それも終盤のかなり無理な遠征のときだけです(1429年)。中世のパリはフランス王国と別次元の自律した共同体で、このころはイングランドにやられて各地を転々とするヴァロワ王家をしり目に、独自の勢力を築いていました。ブルゴーニュ公国やイングランドがこれを支援しています。ですからパリは、ジャンヌ率いる王国軍の敵となりました。ジャンヌはここで負傷して撤退、その翌年のコンピエーニュ攻囲に失敗して捕縛され、例の魔女裁判にかけられていくことになります。
あれ?
となると、パリにある騎馬像はどんな趣旨のモニュメント? 私の知るかぎり、パリ市内ではこのほかに左岸のサン・マルセル通りとノートルダム大聖堂内にジャンヌの像があり、いずれも合掌して祈る立像。二次元でよければパンテオンのメイン・ホールに描かれた歴史画が有名です。個人的にはノートルダムのやつが好きで、ここピラミッド広場のキンキラした騎馬像はどうもね。顔というか表情が歌舞伎役者みたいで、「オルレアンの乙女」らしさがない。
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高級ホテルに混じってワインなどのショップもある
濃厚ココアで有名なサロン・ド・テのアンジェリーナ(左)には今日も行列が
ヴァンドーム広場 モニュメント上部に載るのはナポレオン1世の像
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ピラミッド広場の向かいあたりでルーヴルの建物は切れ、その先はチュイルリ公園(Jardin des Tuileries)になります。200m×500mほどの長方形をした公園で、ルイ14世夫妻が収監される前まで住んだ宮殿がかつてはありました。これについては第9シリーズで触れています。前回はセーヌ川を下流に向かって進むという趣旨だったので、ここまでのところは100mかそこらを隔てて、前回とほぼ並行するコースをたどっています。セーヌのほうが絵になるし散策にもいいのだけど、同じことをしても芸がなく、今回はやっぱり東西幹線を進もう!
さて、その東西幹線ですが、ルーヴルから西側についてはパリの歴史軸(Axe historique de
Paris)という名が与えられています。本来の軸はチュイルリ公園の東西の中心線。その東側にカルーゼル凱旋門(Arc de Triomphe du Carrousel)、そしてルーヴルの中庭があり、軸を延長すればルーヴルの中心線にもなります。フランス人はしばしばこうしたシンメトリーを好みます。ルーヴルの建物もこの中心線を軸として上下対称に造られていますし、ル・ノートルの作であるチュイルリ公園も同様です。この先、コンコルド広場〜シャンゼリゼ通り〜エトワール凱旋門〜ラ・デファンスと進む予定なのですけれど、それらもみなこの軸の延長線上に設定されています。これだけしょっちゅう来ているのでパリは地図要らずですよと豪語しているのは事実ですが、今回の企画は直線をひたすら進むだけなので、寄り道さえしなければ誰でも地図要らずになります。東京などのアジアの大都市に比べて欧州は大したことがない、パリだってバスチーユから凱旋門まで歩こうと思えば歩けるし、その範囲にだいたい収まりますと、あちこちでいってきましたけれど、実際に歩きとおしたことはないので口説の徒であることには違いない(汗)。今回ようやく実践してみているわけね。
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チュイルリ公園 池の向こうにカルーゼル凱旋門、ルーヴル美術館がつづく
知っておくと便利な観覧車そばのトイレ 「使用料」と飲み物メニューが普通に並んでいる(笑)
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だらだら歩くうち14時を回りました。先はまだ長い。変化のあまりない道を歩くだけだとつまらないので、ちょっとだけ浮気?してチュイルリ公園の中に入ってみました。歴史軸を歩くということであれば、公園の真ん中を歩くほうが正しいことはいうまでもありません。午後のひとときを過ごす老若男女がたくさん。お天気よくて無風なので、冬の公園としてはベストなコンディションでしょう。地理の教科書に出てくる西岸海洋性気候というやつで、冬場はどうしても曇りが多くなり、建物などの色合いもあって視界全体がモノクロームになってしまいがちです。私はもともと2月の渡欧がレギュラーだったので(いまは年3回)、そのモノクロな感じがデフォルトという気もしています。
チュイルリには人工池が東西2ヵ所に配置されていて、もとよりシンメトリーで幾何学的な文様に整備されています。西側の池をぐるりと回り込むと、コンコルド広場に面した公園西側の出入口。ゲートを出てすぐのところに観覧車があります。乗ったことはないですが、パリは高い建物がほとんどないので、この程度のサイズでも見晴らしがよいでしょうね。
このゲートのそばに売店があり、有料のお手洗いが併設されています。このあたりにはトイレがあまりないので、ここを覚えておくと便利。パリは、慣れるまでトイレを探すのに苦労する町ですので、見かけたら使っておきましょう。小さなお子さんを連れていく際にはとくにね。ちなみにここは1人あたり€0.80で、有人改札?があります。有料トイレにもいろいろあり、コイン投入型やトークン購入型、お賽銭方式など。町なかでトイレを使いたくなったら、カフェに入って€1くらい出し、「トイレ使わせてください」といえばまったくノー・プロブレムです。無料というのはほとんどありません。そういうものだと心得ておきましょう。現地に行けば何ごとも現地の流儀が正解ですから。
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コンコルド広場 オベリスクの足許には、ルイ14世夫妻最期の地である旨が刻まれる
ここからシャンゼリゼ通りがはじまる
セーヌ川の対岸にはブルボン宮
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さてコンコルド広場(Place de la Concorde)にやってきました。エジプトのルクソールから運んだオベリスクを中心に、南北方向に長い八角形をしたスペースになっています。アンシャン・レジーム期にイベント仕様の広場として造成され、当初はルイ15世広場と称しました。大革命勃発後は革命広場(Place
de la Révolution)、そして総裁政府の時代に入ると「調和」を意味するコンコルドの名が与えられました。ここで結婚式を挙げたルイ16世とマリ・アントワネットが、革命の急進化で囚われの人となり、この広場で相次いで断頭台にかけられたことが知られます。八角形には、多様な人々、そしてフランスの各地域があらためて仲よくできますようにという願いが新たに含意されるようになりました。
コンコルド広場はパリの近代化にあたって町づくりの基点となりました。パリ市は20区に分かれており、数学の国らしく固有名詞ではなくノンブル(数字)で呼ばれています。コンコルド広場のあるところが1区で、そこから時計回りのエスカルゴ式に2→20区とノンブルが増えます。いつも滞在しているのは左岸の5区。フランスの郵便番号(code postal)は5桁で、頭の2桁は県を示します。こちらは地理的な順序ではなくABC順に機械的に割り振られており、県に相当する特別地域のパリ市は75番。ですからパリ1区の郵便番号は75001となります。覚えたところで大して役には立ちません(苦笑)。広場に接続してセーヌ川のコンコルド橋(Pont de la Concorde)があり、左岸の7区側に渡ったところに見えるのはブルボン宮(Palais Bourbon)。革命ののち議事堂に転用され、現在は立法府下院にあたる国民議会(Assemblée nationale)が入ります。
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シャンゼリゼ通り
エリゼ宮
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17世紀ころまで現在のコンコルドから西側は沼地と畑の広がる郊外でした。いまでもパリは(アジアの都市に比べれば)かなり小さな都市ですが、初期近代まではさらに小さかったようです。人間の行動範囲とか必要な都市機能を考えれば、まあそんなものですよね。ルイ14世時代にヴェルサイユやチュイルリを設計したル・ノートルが起用され、現在のコンコルドから500mばかり先まで庭園を造りました。軍事用とか商業用の道路でなく、貴族が散策するお庭の延伸という発想ですね。こうしてシャンゼリゼ通り(Avenue des Champs-
Élysées)の基礎が築かれました。固有名詞のうちシャン(Champs)は原っぱ、エリゼ(Élysées)はギリシア神話に出てくる美しきあの世エリュシオンのこと。呑気な貴族たちが花園とか楽園をイメージして造らせたということなのでしょう。画像や動画で見るパリの「絵」としては、エッフェル塔やノートルダム以上にシャンゼリゼ(凱旋門つき)がおなじみなのではないでしょうか。普通は両側に上品な店舗の並んだ広い坂道が登場します。でもコンコルド広場から1kmばかりは平らで、両側は緑地公園。
その緑地の北側にエリゼ宮(Palais de l’Élysée)が見えます。共和国大統領官邸になっていて、この国の権力の中枢。にしては地味で渋すぎます。リエゾンしてしまうのでわかりにくいですが、エリゼ宮も楽園のつづきにある宮殿。
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PART3へつづく
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