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ファイナル・シリーズ パリの「歴史軸」を東から西へ
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1 バスチーユ〜シャトレ
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七月革命記念柱と、背後にオペラ・バスチーユ
メトロ1号線バスチーユ駅と、ホームから見たアーセナル港
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2013年2月の寒い日にパリの都心部をふらっと徒歩で回ったのをきっかけにはじめた「歩いて見よう」シリーズですが、10回目の今回で中締め。重なりが多いとはいえ、この5年間にあちこちの地区を見て回ることができました。欧州の都市はパリほどの大都会でも、東京などアジアの都市より規模ははるかに小さく、何度か行けば各地区に足を踏み入れることは難しくありません。40何年住んでいる東京にも知らないところってたくさんあるものなあ。ファイナス・シリーズは市街地の東端にあたるバスチーユから西郊のラ・デファンスまで、直線距離で9kmくらいを見てみることにしましょう。直線距離といいましたが、あとで述べる趣旨によってルートはほぼ直線。ただし完歩するにはしんどいので、町の色気に乏しい凱旋門以西はメトロでの移動をお許しいただきましょう。
2018年2月17日(土)11時ころ、バスチーユ広場(Place de la Bastille)にやってきました。第1シリーズでも経由したところで、大して用事はないけれどもちょいちょい来てはいます。広場の中心に立つのは1830年の七月革命を記念するモニュメントですが、歴史的には1789年の大革命の印象がもちろん強い。同年7月14日、ここにあった要塞兼監獄を市民が襲撃して、フランス革命が、というか欧州の近代社会が本格的にはじまります。バスチーユまではメトロ1号線で来ました。セーヌ右岸を東西に走り抜ける幹線で、2008年からホームドアを伴う完全自動運転になりました。ゴムタイヤ走行ですので、日本でいう新交通システムのようなものです。加減速がなかなかエモい。1号線バスチーユ駅は地上(広場の1段下)にあり、サン・マルタン運河のアーセナル港(Porte de Plaisance de Paris Arsenal)を渡る橋の上にホームが設けられています。いや、橋というか、運河はここから上流でトンネルになりますので、トンネル入口の真上というべきか。
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バスチーユ広場に接するサン・タントワーヌ通り東端
(左)カロン・ド・ボーマルシェ像 (右)マレ教会
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バスチーユ広場には8本ほどの幹線道路が接続しています。進むのは広場西側から出るサン・タントワーヌ通り(Rue Saint- Antoine)。交通量のある幅広の通りのわりに、パン屋や花屋、本屋など小規模のお店が並ぶカジュアルな商店街です。この5年間で1回だけ「歩いて見よう」をスキップした2017年2月に、実はやはりここから町歩きをスタートしています。この折はパリに着いてからカメラにトラブルが発生し、急きょ代車?を購入したため、機材がまだ身体化していなくて、取材を中断したのでした。代車といってもキヤノン製品なので使い勝手はよく、今回も持参して、オリンパスとの二刀流です。
サン・タントワーヌ通りに入ってすぐ右手(北側)の路肩にカロン・ド・ボーマルシェ(Caron de Beaumarchais)の像が見えます。アンシャン・レジーム期にブルボン朝の宮廷周辺で活躍した劇作家でフィクサー。
書店で
ボーマルシェ像の反対側にある印象的なドームはマレ教会(Temple du Marais)。これはパリではめずらしいプロテスタントの寺院です。
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ヴォージュ広場に面した「王のパヴィリオン」
ヴォージュ広場とルイ13世像
マレ地区のシュリー館(現 国立モニュメント・センター)
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バスチーユから数えて2つ目の道を右折するとすぐにレンガ造りの建物が正面に見えます。突き当りではなく、0階部分がアーチ状になっていて、通り抜けることが可能。そこを抜けた先が正方形をしたヴォージュ広場(Place des Vosges)です。この界隈は沼地を意味するマレ(Marais)と呼ぶ地区で、アンシャン・レジーム期まで貴族の居館が並んでいたところでした。もっとも宮廷貴族の多くはヴェルサイユに移りましたので、18世紀半ばにはかなり意味合いが変わった模様。ヴォージュ広場周辺が繁栄したのはブルボン朝初代のアンリ4世と次のルイ13世のころで、広場中央には13世の騎馬像がりりしく立っています。ヴォージュ広場の周辺はいまくぐったようなレンガの建物が取り囲んでおり、狭くて完結した貴族社会そのものを象徴するような空間だったようですね。馬術などの見せ物がここでおこなわれたそうです。19世紀には作家や芸術家がこの界隈に好んで居住しました。
シュリー館の中庭
この広場の北西方面にかけて、かつての貴族館がかなり残されており、美術館やホテル、ショップなどに転用されています。マレはまたユダヤ人が集住する地区でもあるので、中東系の料理店なども見られます。今回は表通りに戻りますのでそうした建物はあまり見ないのですが、サン・タントワーヌ通りに面したシュリー館(Hôtel de Sully)の中庭を少しだけのぞいてみることにしましょう。17世紀の建物で、アンリ4世の右腕だったシュリー卿が居館として購入したところです。
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サン・タントワーヌ通り
サン・ポール教会
歩道みたいなところを走ってくる路線バス!
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シュリー館の2ブロック西に道幅が少し広がっている場所があり、メトロ1号線のサン・ポール駅(Saint Paul)の出入口が見えます。駅名は聖パウロのことで、ここに面して建つサン・ポール・サン・ルイ教会(Église Saint- Paul- Saint-
Louis)にちなみます。サン・ルイは聖王ルイ9世。さきほど像を見たルイ13世の命で17世紀前半に建てられた寺院で、イエズス会が営みます。今回のルートは1号線と完全に一致します。新型車両なら30分ほどで走り抜ける区間を、どれくらいかけて歩くことになるのだろう。まだ散策ははじまったばかり。
サン・ポール駅付近までがサン・タントワーヌ通りです。見かけ上は何の区切りもないものの、この先はリヴォリ通り(Rue de Rivoli)と名が変わり、その道路名はコンコルド広場までつづきます。リヴォリ通りはパリの消費文化を支えるショッピング・ストリートですが、ファストファッションなどの大衆店が大半で、観光客がのぞいておもしろいようなところではないかもしれません。シャンゼリゼを銀座だとすれば、池袋とかそんな感じ。とはいえサン・タントワーヌ通りとの接続地点付近にはまだ商店街的な雰囲気もあり、お昼が近づいたこともあって、パン屋さんや惣菜屋さんに入っていく人がかなり増えてきました。
道幅が広がっていると申しましたが、メトロ出入口を含めてふくらんでいるのは歩道部分。と思ったら、歩道に見える部分も実は車道で、細い道路がかなりの鋭角でリヴォリ通りに合流する地点なのでした。この広場状の部分の南側までがサン・タントワーヌ通りで、ここだけリヴォリ通りと並走することになります。その先はフランソワ・ミロン通り(Rue François Miron)と名が変わり、いくつかの系統の路線バスも走るので、歩道っぽいタイルの上に大型車両が突っ込んでくる様子がおもしろい。いつだったかこの光景を発見してうれしくなり、ここに来ると通り過ぎるバスを何台か見送るのが習慣になりました。乗り物オタクは意味不明のところに萌えるのよね。
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サン・ポール駅付近 路上のメリーGRとパンくずに群がるハトがパリっぽい絵
まもなく自転車レーン開通という告知 本当にあと1ヵ月で完成するのかな?
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リヴォリ通りに入ったものの、このあたりは直交する道や並行する道も味わい深いので、少しだけ時間をかけてギザギザ歩き。
(左)バゲット大会2位のパン屋(よく見る表示) (右)アメリカ風ホットドッグとな
セール期間終了間際につき店内全品6割引き だそうです
リヴォリ通りの北側には小さなホテルとかカフェ、レストランがたくさんあります。ホテルはともかく飲食店はそろそろ試してみたいな。もともと左岸のカルチェ・ラタンをベースキャンプにしている関係で、右岸の商業地区にはなじみが薄く、パリ探訪歴が20年になるのにまだまだアマチュアです。「歩いて見よう」の5年間は私にとってもパリ再修行のよい機会になりました。それにしても、テロ事件いらい警察官がずいぶん増えました。だいたい複数名で行動しています。こわばった表情の3人連れのおまわりさんが、その表情のままパン屋さんに入ってサンドイッチを買って出てきました。ごくろうさまです。
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ボドワイエ広場
BHVマレ
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リヴォリ通りの南側、パリ第4区役所に面して小さな広場があります。ボドワイエ広場(Place Baudoyer)で、ここを通ると屋外マーケットが開かれていることが多い。欧州の各都市でしばしば見かける屋外マーケットですが、大都会パリでも普通におこなわれているのが興味深く、常連さんとおぼしき人たちが精肉、鮮魚、野菜、古着などの店に吸い込まれていきます。さすがフランスで、チーズ屋さんとかオリーブ屋さんがたいていあります。屋台の平鍋に盛られているパエリアが美味しそうだな〜。学生のエコノミー旅行では食事がサンドイッチとかファストフードばかりになりがちなので、こういうところでテイクアウトして公園で食べるというのもおすすめです。
市内どこにでもあるスタバ 「よき1日のスタートのために
美味しいチョイスを」てな見出し(意訳)
広場の1ブロック西にあるのがBHVマレ(LE BHV MARAIS)。ベー・アッシュ・ヴェーと発音します。市庁舎の真ん前にあるので「市役所バザール」(Bazar de l’Hôtel
de Ville)という妙な店名になり、略称が定着したあとで大手デパートのラファイエットに買収され、生活用品などを中心とした支店という扱いになりました。品ぞろえもそうですが価格とセンスがなかなかよいので、小道具がほしくなるとここに出かけます。最近は日曜も営業しているのでありがたい。
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パリ市庁舎
(左)リヴォリ通り 写真奥がバスチーユ方面で、市庁舎とBHVも見える (右)サン・ジャック搭
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きょうはBHVに用事はなく、リヴォリ通りの横断歩道を渡ってパリ市庁舎(Hôtel de Ville)の前に出てきました。現役の市役所ですがオテル・ド・ヴィユで1つの固有名詞みたいになっていて、それでBHVの店名にもなっているわけです。1882年に落成したネオ・ルネサンス様式の建物で、ファサードはギザギザで派手やか。個人的にはあまり好みではありません。冬場はこの前の広場に小さなスケート・リンクが設営されていたのだけど、もうやめたのかな? 実は今朝ほど、バスチーユへの移動のためメトロに乗り込んだのがこの真下にある1号線のオテル・ド・ヴィユ駅だったので、1時間ちょっとかけて戻ってきたことになります。
シャトレ地区のよくあるお店群
リヴォリ通り南側にサン・ジャック搭(Tour Saint-Jacques)が見えます。対岸のシテ島からこのあたりにかけてが最古のパリなのですが、ここにあった教会が大革命で破壊され、搭だけ残ったのがこれ。まだ教会本体があった1648年に、パスカルがここで気圧の実験をおこなったことでも知られます。
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フォーラム・デ・アル
猥雑な感じのシャトレ地区
2017年12月30日のレ・アル クリスマス・マーケットが出るの初めて見た!
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搭の先でリヴォリ通りと直交するのが、南北方向の幹線道路であるセバストポル通り(Boulevard de Sébastopol)で、そのあたりがパリの代表的商業地区のひとつシャトレ(Châtelet)。メトロ5路線とRER(高速郊外鉄道網)の3路線が集中する交通の要衝でもあります。20世紀半ばまでパリ中央卸売市場があったところに商業インフラが造成され、市場を意味するレ・アル(Les Halles)の地区名も生まれました。RER各線の駅名はシャトレ・レ・アルとなっています。
フォーラム・デ・アル(2017年2月)
今回はとくに用もないのでスルーしますが、市場跡に造られた複合商業施設フォーラム・デ・アル(Forum des Halles)がわりに好きで、大型メディア・ショップのフナック(Fnac)も使いでがあるため、パリに行くと1回くらいは訪れるかもしれません。昨2017年は、前述したようにここで急きょキヤノンのコンデジを購入しましたし、12月にはハンガリーからの帰途、たまたまシャルル・ド・ゴール空港でのトランジットとなったため、8時間ほどの待ち時間で市内にやってきて、ここで買い物してまた空港に向かっています。圧倒的に若者が多い地区でもあります。フォーラム・デ・アルはここ数年、大規模な改築工事をしていて不便だったのですが、ようやく完成して、ずいぶんすっきりした印象。シャトレ地区は、一般的なツーリストが求める「パリらしさ」はほとんどなく、世界を覆っている消費文化、商業文化をそのまま体現したようなところで、だから私は好きなんですよね。
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*「歩いて見よう」の表現は、五百沢智也先生の名著『歩いて見よう東京』(岩波ジュニア新書、1994年、新版2004年)へのオマージュを込めて採用しています
*この旅行当時の為替相場はだいたい1ユーロ=132円くらいでした
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PART2へつづく
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