|
||
ファイナル・シリーズ パリの「歴史軸」を東から西へ |
||
|
3 コンコルド〜ラ・デファンス |
|
|
タイ・ラック
この地点から西に向かって一方的な登り勾配になっています。たぶん想像しているよりキツめの坂だと思う。各種ショップが建ち並ぶ世界屈指の華やかな道、例のシャンゼリゼです。銀座通りもそうですが、この通りに出店する際には厳しい審査があり、景観への配慮も求められます。とはいえ世界の大都市ならば見かけるようなショップが大半。ある商業ビルの中に、英国のチェーンであるタイ・ラック(Tie Rack)があります。西欧各国の都心部とか空港に、わずかな隙間をねらうかのようにたくさん出店するネクタイ、スカーフなど「細長い布」の専門店。いまさらタイ・ラックの商品でもないのですが、5年前の2月の超寒い日に、ここで特価品のマフラーを購入したのでした。基本的に巻くのが好きでないので国内ではまず使用せず、欧州の寒い冬に限定してたまに使うくらいですが、いまもリュックに入れてきているただ1本のマフラーゆえにお店の印象も強い。5周年?の記念に、わりと明るい赤色のネクタイを1本買いました。 |
|
|
バスチーユからえんえん歩いてきましたがパリの市街地自体は凱旋門のあるシャルル・ド・ゴール広場(Place Charles de Gaulle)で一区切りですので、ここでちょっとキセルしまして1号線に乗っちゃいましょう。チャリティマラソンを走る芸能人がこれをやったらネットが炎上しますが、私がキセルしても失望はなかろう(本来のキセルは全区間乗りとおして両端部分だけ運賃を払う不正行為なので、ちょっと違います)。終点のラ・デファンス(La Défense)まで進むのですけれど、乗車区間の距離は凱旋門まで歩いてきた部分とほとんど変わりません。メトロ6駅分を一気に進みます。東西幹線ないし歴史軸は直線道路のまま市街西側の住宅街を抜けて、南を大きく蛇行してきたセーヌ川をヌイイ橋(Pont de Neuilly)で渡ったところに、開発地区であるラ・デファンスがあります。ここはパリ市ではなく2つ隣の自治体。パリ交通公団(RATP)の経営するメトロではありますが、終点まで乗っても均一運賃(2018年2月現在は€1.90)です。RERで行ってもよいのですが、そちらは運賃ゾーンが1つ外側になるため高くなります。 |
|
|
ラ・デファンスのランドマークになっているのがグラン・タルシュ(Grande Arche)。直訳すると「大きなアーチ」です。ミッテラン大統領が発案して、1989年の大革命200周年に合わせて建設されました。同年の先進国首脳会議(くしくも冷戦時代最後のサミットになった)はここで開催され、アルシュ・サミットと称しました。たった2ヵ月しか在職しなかった宇野宗佑首相(ていう人知ってる?)がこの会議に参加しています。π型の巨大なアーチは展望台にもなっていて、ガラス張りのカプセルで鉄骨のあいだを上昇するという趣向になっています。 このグラン・タルシュは当初から新凱旋門の別名で呼ばれました。地下を走り抜けた直線道路がはるか向こうまで見通すことができ、凱旋門の威容をはっきりととらえることができます。これだけ離れても存在感あるな〜。こちらのスタイリッシュな新凱旋門に対し、シャルル・ド・ゴール広場のほうは元祖凱旋門・・・ かといえば、そうではありません。元祖はルーヴルの中庭とチュイルリ公園を仕切るカルーゼル凱旋門。ナポレオンは古代ローマの凱旋将軍を気取って戦争記念の凱旋門を所望したのですが、造らせてみたらカルーゼルはちっちゃすぎてお気に召さなかったらしい(たしかにちっちゃい 笑)。そこでもっとすごいやつをというので、例の歴史軸を西に進んだ先に、最もポピュラーな凱旋門を建てさせました。ただし建設途中で彼は失脚し、セント・ヘレナに遠島されて亡くなりました。死後20年目の1840年、ナポレオンの棺はパリに戻り、アンヴァリッドのドーム教会に改葬されましたが、英雄は物言わぬ姿で初めて凱旋門をくぐって、彼の都に凱旋を果たすことになったのでした。歴史軸という、ある種の整合性を都市デザインに求める発想は、私は好きです。何だかパリっぽくて。そんなこともあって、何年かに一度はラ・デファンスにも足を運んでいます。 |
|
|
ヌイイ橋
|
|
|
すーっと滑るように走る、なかなか快適な1号線はこの日3度目の利用。そのまま乗り換えてカルチェ・ラタンの宿に戻ってもよかったのですが、なぜかパレ・ロワイヤル・ミュゼ・デュ・ルーヴルで途中下車して、ルーヴルのガラスのピラミッドをまた見に行きました。これほど一次元的な動きをすることもなかなかないし、曲線でなく直線というのも愉快ですね。パリすげ〜。 うろうろ歩く、あまり行かないようなところを探るというコンセプトだったはずが、最後のほうはメジャーどころを迷わず進むという迷走?になってしまいましたが、歩いて見ようは今回で一区切り。でも花の都パリはずっとそこにありますから、今後も訪れますね。 |
|
この作品(文と写真)の著作権は 古賀 毅 に帰属します。