ファイナル・シリーズ パリの「歴史軸」を東から西へ 



3 コンコルド〜ラ・デファンス

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シャンゼリゼ(写真の左右方向)と直交するウィンストン・チャーチル通り
左にプチ・パレ、右にグラン・パレ、正面奥にアンヴァリッドが見える


ロン・ポワンから西は、よく知られるシャンゼリゼの店舗街

 
 
ありがちな?ショップが並ぶ


意外にも緑地の中を進むところからはじまるシャンゼリゼ通り。エリゼ宮を右に見るあたりで、左(南)側に目をやると、グラン・パレGrand Palais)、プチ・パレPetit Palais)という一対の建物が、ウィンストン・チャーチル通り(Avenue Winston Churchil)をはさんで向き合っています。直訳すれば大宮殿、小宮殿となりますが、いずれも1900年のミレニアム万博に際して造られた近代の建造物。チャーチル通りをそのまま進むと、コテコテ(ゴテゴテ)の意匠で知られるセーヌ川のアレクサンドル3世橋(Pont Alexandre III)に出ます。東西幹線はずっとセーヌと並行してきましたが、コンコルド広場から西で、セーヌが南西方向に進路を変え、離れていきます。両パレはその「別れ際」に位置します。現在はそれぞれの建物に小さなミュゼ(博物館・美術館)が入るほか、グラン・パレはイベントスペースとしても利用されています。

 タイ・ラック


グラン・パレの先がロン・ポワン・デ・シャンゼリゼ(Rond Point des Champs- Élysées)と呼ぶ地点。ロン・ポワンというのは円形のロータリーを伴う交差点のことです。貴族の散歩道として造られたシャンゼリゼの、元の西端部分でしたが、都市の近代化が進んでここが重要道路の交差するところとなり、ロータリーがつくられました。ここからセーヌ川のアルマ橋方面に分岐するのが高級ブランド街として知られるモンテーニュ通り(Avenue Montaigne)。この一隅を歩いた話は第5シリーズに書いています。

この地点から西に向かって一方的な登り勾配になっています。たぶん想像しているよりキツめの坂だと思う。各種ショップが建ち並ぶ世界屈指の華やかな道、例のシャンゼリゼです。銀座通りもそうですが、この通りに出店する際には厳しい審査があり、景観への配慮も求められます。とはいえ世界の大都市ならば見かけるようなショップが大半。ある商業ビルの中に、英国のチェーンであるタイ・ラック(Tie Rack)があります。西欧各国の都心部とか空港に、わずかな隙間をねらうかのようにたくさん出店するネクタイ、スカーフなど「細長い布」の専門店。いまさらタイ・ラックの商品でもないのですが、5年前の2月の超寒い日に、ここで特価品のマフラーを購入したのでした。基本的に巻くのが好きでないので国内ではまず使用せず、欧州の寒い冬に限定してたまに使うくらいですが、いまもリュックに入れてきているただ1本のマフラーゆえにお店の印象も強い。5周年?の記念に、わりと明るい赤色のネクタイを1本買いました。


 
ルイ・ヴィトン付近のシャンゼリゼ通り


おなじみ凱旋門


地下基地みたいなラ・デファンス駅 構内はRERと共用する


メトロ1号線はこの間もずっと東西幹線の一環をなすシャンゼリゼの地下を走っています。駅でいうと、ロン・ポワン・デ・シャンゼリゼの交差点付近にフランクリン・D・ルーズヴェルト(Franklin D. Roosevelt)、ルイ・ヴィトン本店のそばにジョルジュ・サンク(George V)と、わりに小刻みにつづきます。前述のように登り勾配ですので疲れたらメトロを。ヴィトンのところで反対側に渡ります。シャンゼリゼは車道も歩道もやたらに広くて気持ちがいいですね。そして、このシリーズでも何度も登場しているおなじみの凱旋門Arc de Triomphe)へ。いつ見ても絵になるな。とくに今日みたいに晴れた日は、その存在感が際立つ気がします。

 

バスチーユからえんえん歩いてきましたがパリの市街地自体は凱旋門のあるシャルル・ド・ゴール広場(Place Charles de Gaulle)で一区切りですので、ここでちょっとキセルしまして1号線に乗っちゃいましょう。チャリティマラソンを走る芸能人がこれをやったらネットが炎上しますが、私がキセルしても失望はなかろう(本来のキセルは全区間乗りとおして両端部分だけ運賃を払う不正行為なので、ちょっと違います)。終点のラ・デファンスLa Défense)まで進むのですけれど、乗車区間の距離は凱旋門まで歩いてきた部分とほとんど変わりません。メトロ6駅分を一気に進みます。東西幹線ないし歴史軸は直線道路のまま市街西側の住宅街を抜けて、南を大きく蛇行してきたセーヌ川をヌイイ橋(Pont de Neuilly)で渡ったところに、開発地区であるラ・デファンスがあります。ここはパリ市ではなく2つ隣の自治体。パリ交通公団(RATP)の経営するメトロではありますが、終点まで乗っても均一運賃(20182月現在は1.90)です。RERで行ってもよいのですが、そちらは運賃ゾーンが1つ外側になるため高くなります。


 
パリ市街とは景観が一変するラ・デファンス シンボルはグラン・タルシュ

 




グラン・タルシュを背に、東西幹線(歴史軸)を見通す


ラ・デファンスは196070年代に整備されたオフィス機能集約のための地区です。歴史的景観を残すパリ市街地は開発の余地があまりないため、近郊の町にビジネス機能をもってこようというわけですね。たびたび述べているようにパリの町は東京などに比べて小さいので、メトロで30分以内の移動ならば都心のつづきといえなくもありません。市内には原則として高層建築を造れませんが、ここにはあえて高層ばかりを集めました。1870年の普仏戦争に際し、この付近で首都を防衛(défense)する激闘があり、地名はそれにちなみますが、英訳すればザ・ディフェンスということになり、国防のにおいがあふれます。

ラ・デファンスのランドマークになっているのがグラン・タルシュGrande Arche)。直訳すると「大きなアーチ」です。ミッテラン大統領が発案して、1989年の大革命200周年に合わせて建設されました。同年の先進国首脳会議(くしくも冷戦時代最後のサミットになった)はここで開催され、アルシュ・サミットと称しました。たった2ヵ月しか在職しなかった宇野宗佑首相(ていう人知ってる?)がこの会議に参加しています。π型の巨大なアーチは展望台にもなっていて、ガラス張りのカプセルで鉄骨のあいだを上昇するという趣向になっています。

このグラン・タルシュは当初から新凱旋門の別名で呼ばれました。地下を走り抜けた直線道路がはるか向こうまで見通すことができ、凱旋門の威容をはっきりととらえることができます。これだけ離れても存在感あるな〜。こちらのスタイリッシュな新凱旋門に対し、シャルル・ド・ゴール広場のほうは元祖凱旋門・・・ かといえば、そうではありません。元祖はルーヴルの中庭とチュイルリ公園を仕切るカルーゼル凱旋門。ナポレオンは古代ローマの凱旋将軍を気取って戦争記念の凱旋門を所望したのですが、造らせてみたらカルーゼルはちっちゃすぎてお気に召さなかったらしい(たしかにちっちゃい 笑)。そこでもっとすごいやつをというので、例の歴史軸を西に進んだ先に、最もポピュラーな凱旋門を建てさせました。ただし建設途中で彼は失脚し、セント・ヘレナに遠島されて亡くなりました。死後20年目の1840年、ナポレオンの棺はパリに戻り、アンヴァリッドのドーム教会に改葬されましたが、英雄は物言わぬ姿で初めて凱旋門をくぐって、彼の都に凱旋を果たすことになったのでした。歴史軸という、ある種の整合性を都市デザインに求める発想は、私は好きです。何だかパリっぽくて。そんなこともあって、何年かに一度はラ・デファンスにも足を運んでいます。


 
ここも歴史軸の上

 


凱旋門とエッフェル塔をこういう角度で見られます


肝心の東西幹線ですが、ラ・デファンス地区では自動車道は完全に地下化されています。地上部分は静かな遊歩道。日本の都市郊外に造られた団地の中みたいで、味気ないというか、変な意味での人工物くささも感じられます。今回の趣旨は、東西幹線(歴史軸)を東から西へということだったのですが、キセルするばかりではあれですので、少しだけ逆走しましょう。新凱旋門から1km弱でセーヌ川のヌイイ橋に出ます。その付近にはチェーン系のホテルなどが目立ちます。

 ヌイイ橋


ヌイイ橋を渡ってセーヌ右岸へ。もっともこの付近では流路が南北方向に向いていますので、左右という感覚が狂いますね。ここから先はヌイイ・シュル・セーヌ(Neuilly sur Seine)という小さな市で、首都郊外の高級住宅地として知られます。第一次世界大戦の講和条約のうち、連合国とブルガリアのあいだのヌイイ条約というのはこの地で締結されたものです。



ヌイイ橋上を走るメトロ1号線 写真右奥でラ・デファンス地区の地下に入る

 


ポン・ド・ヌイイ駅の地上部分はバスターミナルになっている


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時半が近づいています。キセルはしたもののそろそろ歩き疲れました。ヌイイ・シュル・セーヌの中心駅であるポン・ド・ヌイイ駅(Pont de Neuilly)で今回は打ち止めということにしましょう。1号線の途中駅にすぎないのですが、地上部分にはバスターミナルが備えられていて、交通の要衝ではあるようです。

すーっと滑るように走る、なかなか快適な1号線はこの日3度目の利用。そのまま乗り換えてカルチェ・ラタンの宿に戻ってもよかったのですが、なぜかパレ・ロワイヤル・ミュゼ・デュ・ルーヴルで途中下車して、ルーヴルのガラスのピラミッドをまた見に行きました。これほど一次元的な動きをすることもなかなかないし、曲線でなく直線というのも愉快ですね。パリすげ〜。

うろうろ歩く、あまり行かないようなところを探るというコンセプトだったはずが、最後のほうはメジャーどころを迷わず進むという迷走?になってしまいましたが、歩いて見ようは今回で一区切り。でも花の都パリはずっとそこにありますから、今後も訪れますね。

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