第9シリーズ 夏のセーヌ河岸を一挙歩き! 


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2 旧ソルフェリーノ橋〜アルマ橋



トマス・ジェファソン像

 
この付近の川べりにはテラス型の飲食店や船上レストランもある


ソルフェリーノ橋改めレオポール・セダール・サンゴール橋を左岸側に渡り切ったところにトマス・ジェファソンの立像があるのに初めて気づきました。2006年に造られたと台座に刻まれており、現在の橋名になったときのことなのでしょうか。ジェファソンはいわずと知れた合衆国建国の功労者のひとりで、独立革命からフランス革命までの間、178589年に駐フランス公使として新国家の欧州での利害を代表する存在となりました。

 A.フランス河岸

ロワイヤル橋からコンコルド橋までの左岸側はアナトール・フランス河岸(Quai Anatole France)。A.フランスは19世紀の小説家でその名のとおりフランスの国民的作家といえる人物ですが、読んだことない(汗)。


 
コンコルド橋 右岸側に広場のオベリスクが見える

 


実際に航行するタイプの船上レストラン 本式の食事だと景色を楽しめないのでは?


オルセー美術館付近から下流方向の左岸側は、河川敷内の遊歩道が広く、船上レストランや露店のような飲食店、各種水上バスの乗り場などがあり、川べりを散歩する人が格段に多くなります。水面に近いところを歩くのは気持ちいい。

まもなくコンコルド橋Pont de la Concorde)が見えてきます。左右両岸を結ぶ交通の要衝で、大革命の真っただ中だった1791年に落成した全長153mのアーチ橋です。石材が足りなくてバスチーユ牢獄を壊して調達したという話を聞きますが、本当なんだろうか。この橋を右岸側に渡ったところにコンコルド広場Place de la Concorde)があります。ルイ16世、マリ・アントワネットをはじめとする要人たちが革命派によって処刑された場所として有名で、王政期にはルイ15世広場と呼ばれていたが、のちに革命広場、さらにはコンコルド(調和・融和)の名を与えられました。橋のほうもルイ16世橋→革命大橋→コンコルド橋と似たような経過をたどっています。左岸側には現在では立法府下院にあたる国民議会(Assemblée nationale)となっているブルボン宮Palais Bourbon)、右岸側コンコルド広場のさらに先にはマドレーヌ寺院Église de la Madeleine)があって正対しています。両者ともファサードに古代ギリシア風の円柱を備えていて、あえてシンメトリックに構成してあるわけね。

コンコルド広場はパリの住居表示の基点となっているところで、ここからルーヴルにかけてが1区、その北が2区で、以降20区まで時計回りのカタツムリ状に数字が増えていきます。コンコルド広場はまたパリ右岸の町づくりの基点にもなっていて、ルーヴルの中庭(カルーゼル広場)からチュイルリ公園の中心線、コンコルドの中心点を通る直線を西に延ばすと、それがそのままシャンゼリゼ通りになり、凱旋門を経て西郊の新都心ラ・デファンスへと一直線に結ぶラインになります。



アレクサンドル3世橋

 
橋の右岸側にグラン・パレの丸屋根が見える

 

 



今回私はコンコルド橋付近で河岸に上がらずそのまま橋をくぐって川べりを進みました。コンコルド橋から西はオルセー河岸(Quai d’Orsay)。新聞や歴史小説などでケ・ドルセーとあったらフランス外務省のメタファーです。霞が関とか桜田門とかそのたぐいですね。外務省の建物はこのすぐそばにあります。エールフランスの空港バス(ただしシャルル・ド・ゴールではなくオルリー専用。なぜ分離するのか不明です)が発着するターミナルが見えたらすぐアレクサンドル3世橋Pont Alexendre-III)です。親仏外交を展開したロシア皇帝アレクサンドル3世(1894年死去)を記念して、その息子であるニコライ2世が資金を提供して造らせたものです。この橋の右岸側にグラン・パレ(Grand Palais)、プチ・パレ(Petit Palais)と、直訳すれば大宮殿・小宮殿なる建物が見えます。これらは1900年の万博の会場として造られたもので、アレクサンドル3世橋もこれに合わせて開通しました。

この橋はとにかくコテコテの意匠で知られます。全長115mの鉄製アーチ橋ですが、アーチ部分のデザインも凝っているし、欄干の彫刻、ガス灯なども凝りまくっている。1900年の万博といえばアール・ヌーヴォー(Art Nouveau)運動が最高潮に達したときの博覧会で、もろその影響下にあるわけですね。個人的にはアール・ヌーヴォーは好かないし、この橋も景観との調和を無視したイモ物件だと以前から思っています。ま、でも、こういうのもあるのがパリかもしれません。右岸側、大小宮殿のあいだを抜けるとシャンゼリゼ、さらにはエリゼ宮(Palais de l’Élysée フランス共和国大統領官邸)へとつづきます。生活のにおいゼロの地帯。左岸側は広大な前庭を経てアンヴァリッドHôtel des Invalides 廃兵院)に達します。ナポレオン1世のお墓のあるところです。オルセー河岸の外務省の話を出しましたが、この左岸側一帯が官庁街になっていて、下町風なのだけど品のある不思議な雰囲気を味わうことができます。



3世橋の右岸側からアンヴァリッド橋越しにエッフェル塔を望む

 
アンヴァリッド橋の左岸側、フィンランド広場


つづいてアンヴァリッド橋Pont des Invalides)。全長152m、石造りのアーチ橋で、落成は第二帝政期の1856年とアレクサンドル3世橋より半世紀近くも古いのですが、なぜかその名に反してアンヴァリッドの表参道を3世橋に奪われ、地味な場所に架かっています。景観の問題があって少しずらしてこの橋を架けたのに、あとから「やっぱりど真ん中に」というので3世橋が造られたということのようですが、そのせいで地名の対応関係が狂いました。RER-C線のアンヴァリッド駅は3世橋の真下にあり、アンヴァリッドそのものの最寄り駅はまた別のメトロ駅でアンヴァリッドからは1駅先と、ツーリスト泣かせ。もっとも東京の浅草橋駅も、JR線が走っているだけに浅草の最寄りと思い込む観光客が多いらしく、浅草はここではない旨の掲示が見えます。

コテコテ橋を見たあとだけに、控えめな?アンヴァリッド橋には好感がもてます。この橋の左岸側はフィンランド広場(Place de Finlande)と名づけられており、目の前にフィンランド大使館があります。学力高そうやな。フランス語で発音するとファンランドなので、地名としてはファンランド広場といっておくべきかも。


 
 


と、ここでランチタイム。13時半になっています。この先はエッフェル塔の門前町のような地区で観光レストランばかりになるため、官庁街の端っこあたりでカフェめしでも食べておこう。アンヴァリッド橋を通る(つまりセーヌ川と直交する)トゥール・モブール通り(Boulevard de la Tour Maubourg)を少しだけ廃兵院の方向に進んだところにいくつかカフェが見えたので、Le Centenaireというカドの店に入ってみました。暑い日ですが東京のように湿気があるわけではないため屋根の下に入ると涼しくなります。夏のパリではたいていそうであるように、ガラスの壁を取り払ってテラス席とサル(salle 店内席)を地続きにしています。昼ごはんというのも大事だけど、朝からずっと歩きっぱなしなので足を休めないとね。

このところ歩いて見ようのランチで選びがちなクロック・ムッシュ(€11)を今回も。そして暑い夏場なので昼ビーの魅力にはかなわずクローネンブール25cL€4.50)も頼んじゃおう。いや美味しいですね〜。ムッシュはごくごく普通の味。というか、この料理を特別美味しくするとかまずくするワザがあったら知りたい。隣席はスペイン語を話す家族で、彼らが去ったあとまた別のスペイン語家族がやってきました。店員さんとは英語でやりとりしています。店員さんの対応がスマートで少し点数アップ。後でグーグルのクチコミを見たら、低評価や苦情を書き込んだ客にだけオーナーが激しく反論しています。この記事を翻訳して読まれてもいいようにしておこう(笑)。いや普通にごちそうさまでした。


 




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時間ちかくのんびり過ごして回復に努めます。あとから思えばこの時期は体重がマックスで、長時間の歩行は膝や足先にけっこうなダメージがあるなと感じていました。このごろは海外に出たときくらいしか歩かない、というか海外に出るとやたらに歩くので、余計にバランスが悪くなっているのでしょう。再びアンヴァリッド橋に出て、左岸側を下流方向に向かって歩きはじめます。アンヴァリッド橋から次のアルマ橋までの間は1kmほどあって、このあたりでは最も距離があります。左岸側はオルセー河岸の外側にかなり広い遊歩道が設けられていて、絵になる散歩道といった感じ。ハビブ・ブルギバ遊歩道(Esplanade Habib Bourguiba)という固有名詞がついていました。チュニジア共和国の初代大統領である由。

 バトー・ムーシュ

この対岸に、バトー・ムーシュ(Bateaux Mouches)の発着所があります。セーヌ川を行き来する遊覧船の中でもとくに有名なもの。何社あるのか知りませんが、各社がそれぞれ河岸のあちこちに発着所を設けてあり、コースもさまざまで、客の勧誘に努めています。この日はとくにたくさん見るような気がする。どの船にもお客さんがいっぱいです。日本人や中国人が激減したとはいえ、パリが世界最大の観光都市であることには違いなく、まずはご同慶というところでしょうか。ただここだけの話、24回もパリに来ていて、セーヌ川のバトーに一度も乗ったことがないんですよね。乗るとすれば夏場でしょうが、何だかめんどくさくて。



アルマ橋

 



アルマ橋付近からエッフェル塔を見たところ

 


さてアルマ橋Pont de l’Arma)が見えてきました。パリ市内では例外的な、しかし東京都内では最もよく見るタイプの、普通の鉄製の橋。もとは石造りアーチ橋だったようですが、1970年代に架け替えられ、現在の姿になりました。全長は141mです。右岸側を進むと高級ショッピング・エリアとして知られるモンテーニュ通り、さらにその先のシャンゼリゼへとつながります。そういう要衝なので交通量はかなり多い。

 
 

5シリーズで訪れた折に書いていますけれど、この橋の右岸側の地下を通る道路で英国のダイアナ元妃が事故死されたため、炎のモニュメントが彼女の追悼碑のようになっています。亡くなったのは1997831日。ちょうど20年になるのですね。いつになく人の数も、花束やメッセージの数も多くなっていました。正式離婚をはさんだ最後の数年の出来事や事績には、リアルタイムで激しく共感していましたので、ダイアナさんのことを文字にするだけで現在でも泣きそうになってしまいます。



 
休業中のRER-C線ポン・ド・ラルマ駅 FERMÉは「閉じる」の過去分詞形


ところでこの橋の左岸側にあるRER-C線のポン・ド・ラルマ(アルマ橋)駅は、パリではきわめて例外的に対岸のメトロ9号線アルマ・マルソー(Arma Marceau)駅との地上・改札外連絡が認められているのですが、工事中のため運休中で駅も閉鎖しているとの案内が掲出されていました。パリでは路線の一部とか駅まるごと閉鎖しての工事というのをどこかで必ずやっていますけれど、RER-C線のオステルリッツ〜ジャヴェル間というのは市の中心部まるまるなので、よくそんなことできるよなと東京人は感心してしまいます。先ほどのオルセー美術館もあるし、エッフェル塔最寄りのシャン・ド・マルス・トゥール・エッフェル駅もあり、その先を西に向かうとヴェルサイユ宮殿の最寄り駅なので、ハイシーズンによくやるなと。ちなみにRERはパリ市内ではメトロと同じチケットで乗れますので、使い道を知っておくと移動がラクになります。今回の行程は全区間がC線に沿っていて(C線自体がセーヌ左岸に張りついているのだから当然)、駅でいえば5つぶん。RERはメトロに比べて駅間距離が長いのですが、たった5つか。ふえ。

 

PART3へつづく

 

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