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1 リュクサンブール公園の西側 |
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町の真ん中にある、広大な英国式庭園。八角形の人工池では、いつも子どもたちがヨットを走らせて遊んでいるのだけど、お天気のよい夏休みのためかいつにも増して多いですね! 公園内に置かれたスチールのイスはほぼ「満席」。文字どおり老若男女が集って、憩っています。池の正面にあるカワイイ宮殿は、もともと貴族の邸宅だったものですが、いまはフランス議会上院(Sénat)の議事堂として用いられています。このため近くにあるRER-B線のリュクサンブール駅は、「セナ」という副題をもっています。 |
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リュクサンブール公園から東へまっすぐ伸びるスフロー通り(Rue Soufflot)に入ると、正面にパンテオン(Panthéon)の巨大なドームが見えます。パンテオンはただいま大改修中。白い覆いをかけられています。この建物にもいろいろ思い入れがあるのだけど、その由来と「素顔」についてはこのシリーズの1ページ目に載せましたのでそちらをどうぞ。公園でしばし過ごしたのち、左岸の散策に動き出しました。歩いて見ようをやろうと思って出かけてきたのではないのですが、お天気と気分がそんな感じなので。公園の北門を出たところに、有名なオデオン・ヨーロッパ劇場(Odéon Théatre de l’Europe)があります。 オデオン劇場 |
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サン・ジェルマン通りはそれこそ飽きるほど歩いているので、今日はその南を並行するサン・シュルピス通り(Rue Saint-Sulpice)を西に向かって歩いて見ようかな。小規模のホテルとか飲食店なんかが多いですね。そして何よりも服飾関係のブティックが目立ちます。ショッピングといえば右岸というのは昔の話で、最近は日本のおしゃれ雑誌などでも、この界隈の小さなブティックを紹介することが多くなりました。
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おお、無印良品(Muji)があるね。こんなところにブティックを構えているとは知りませんでした。欧州各地で見かける同店ですが、当然のことにNo Blandというニュアンスはあちらにはほとんど伝わらず、Muji(フランスではミュジ)というブランドだと解されています。 |
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サン・シュルピス教会 |
ほどなく、通りの名にもなっているサン・シュルピス教会(Égllise
Saint-Sulpice)が現れます。1646年に建設が開始され、ほぼ100年を経て完成したパリで2番目の大きさをもつ教会(1番はもちろんノートルダム)です。ここには何度か来たことがありますが、いつもサン・ジェルマン・デ・プレ側から来ており、東からアプローチするのは初めてかもしれない。『ダ・ヴィンチ・コード』で謎の仕掛けがここにあるという設定になったため、一時は観光客が増えたそうです。教会前の広場にある大きな噴水も見事。 |
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ボナパルト通りの一筋西側を並行して南北に走るのがマダム通り(Rue
Madame)。おばちゃん通りということでもなかろうし、どこのマダムなのか以前から不思議に思っていたのだけど、最近は道路名表示に由来となった人物の生没年と属性が添えられるようになって、ある程度はその場で答えがわかるからうれしいですね。表記によれば「のちにルイ18世となったプロヴァンス伯の夫人」だそうです。ただこれでもわからないので帰国してから調べてみると、現代では男性の敬称(○○さん)であるムッシュ(Monsieur)は王朝時代には国王の兄弟で最年長の者を指しており、ルイ16世の在位中はプロヴァンス伯がそう呼ばれていた、で、その妻であるサルデーニャ家出身のジョゼフィーヌ・ド・サヴォワが「マダム」になったということらしい。それはいいけど、なぜこの夫婦がこの地域とかかわりをもったのかは依然としてわかりません(汗)。 |
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学校の壁面にあるのは、大戦中にナチス・ドイツとヴィシー政権により |
もう少し南に進むと、その名もマダム小学校(École primaire publique
Madame)がありました。幼稚園(École
maternelle)も併設されています。おもしろいのは、各クラスの保護者代表委員(délégués réprésentatants des parents d’élève)の顔写真と名前が広報板に掲出されていること。「ジュリアンのママのセリーヌ」みたいな感じで、くだけているのがまた興味深い。それと、こちらの学校は1週間分の給食のメニューも表に出しますね。ちなみに来週の9月1日のメニューは「ワールドカップ2014」なる意味不明のタイトルがついていて、マカラナ・サラダ(Salade macarana トウモロコシのチップスとトマト、赤インゲン、パイナップル、ココナツ入りフレンチ・ドレッシングのミックスサラダ らしい)と、ブラジル・ディップに自家製バーベキュー・ソース、ライス、チーズはブリまたはゴーダ、そして新鮮なフルーツ。これだけ見ても意味不明ながら、どこかの国の民族料理をイメージした異文化教育なのかもしれませんね。 |
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ほどなく、少しばかりブティックや飲食店がある一帯に出ます。1ブロック東を見ると、リュクサンブール公園の西門。この公園は本当に広くて、今回の出発点であった八角形池の西側は木立に囲まれうっそうとしたゾーン。そこを抜けると、いま立っている地点に出ます。私は15年前(1999年)から5区のホテル・ド・レスペランスを常宿にしているのですが、1回だけ浮気というか、違うところに宿泊したことがあります。その次にパリを訪れるとき、レスペランスに国際電話してみたら、あいにく予約で埋まっていて部屋を確保できないといわれ、やむなくこの西門付近のホテルを取りました。この通りを歩くのはそれ以来かもしれない。見ると、ホテルは今も営業中でした。その折の滞在中に、前回滞在時の写真などをもってレスペランスを訪ねてみると、マダムは「何でうちに泊まらなかったの? 満室なんてことないのに」と。レセプションの対応がよくなかったのか、当方のフランス語が不十分だったのか、まあそういうことだったらしい。「次からは絶対にうちにいらっしゃい。最優先してあげますからね」と親切にいっていただいたこともあって、以降はこちらも航空券と同時に予約を入れるようにしています(電話でなくメール)。浮気先が6区だったのは、リュクサンブール公園の近くを希望したためです。 |
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この作品(文と写真)の著作権は 古賀 毅 に帰属します。