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4 グルネル通り <2>

 

 


パリ第7区役所


労働・雇用・職業訓練・社会的対話省

国民教育省の隣はパリ第7区役所(Mairie du VIIe Arrondissement)、その隣はサン-シモン図書館(Bibliothèque Saint-Simon)、さらに私立高校がつづきます。官庁街が同時に文化的な地区にもなっているわけですね。


今度は労働・雇用・職業訓練・社会的対話省Ministère de la travail, de l’emploi, de la formation professionnelle et du dialogue social)という看板を掲げた役所がありました。あとで調べてみるともう少し先のほうに本館があるみたいですが、それにしても長い名前の役所だね。この系列の省庁も政権交代のたびに名前と職掌範囲が変わります。全般に、社会党政権になると重視され、それゆえ2012年に成立したオランド社会党政権では「社会的対話」とかいう、およそ日本では考えにくいタイトルまでついてきました。

 

サント・クロチルド教会

歩いているうちに店らしきものがなくなってしまった前日の反省もあるし、そろそろカフェでお茶でもしようかなと思っていると、右折した少し先に教会の尖塔とおぼしきものが見えました。このへんはほとんど歩いたことがないので、教会なんかあったかなあ、でも西欧はたいていの地区にあるよなあと思いつつ、グルネル通りをそれて、のぞいてみることにしました。

もっていた日本語の地図には固有名詞の記載がなく、フランス語の1枚ものにはサント・クロチルド教会Basilique Sainte-Clotilde)とありました。観光化されていない町なかの教会っていいなあ。入ってみたらどなたもいらっしゃいませんでした。いつものように人々の救済を静かに祈って退出。この教会が属する小教区のサイトによると、パリで最初のネオゴシック様式で造られ1857年に完成した由。ナポレオン3世の全盛期で、毎度のことながらパリって大半がそのころ造られたんですね。フランス語版のウィキペディアを見てみたら、これに付随するチャペルでジャック・シラク夫妻が結婚式を挙げたのだと。

 


 

教会のファサードに面して小さな方形の公園(Square Samuel Rousseau)があり、幼児とお母さんたちが憩いの時間を過ごしています。スクエアの前だけにLe Squareという名のカフェがありました。小休止しましょう。こういうときはほぼカフェ(単にun caféといったらcafé express、いわゆるエスプレッソ)に決まっています。最近は生ビールを頼むことが少なくなりました。いいことです。€2.20

パリのカフェにしてはゆったりとしたイスを配置してあり、窓際の席で1枚ものの地図を広げて今後の道筋を確認します。といってもグルネル通りを道なりに歩いていくだけなんですけどね。どうやら中間地点は過ぎているようですが、まだ先は長いです。立ち飲みのカウンターとテーブルが数席で、ちっちゃなお店だなと思ったのは早合点。お手洗いを借りに奥へ入ったら、3倍くらいのスペースがあって、テーブルクロスとナイフ&フォークをセットして昼食の準備中でした。そのうちネクタイをきちんと締めた男性たちが続々と入ってきます。官庁街なので官僚のみなさんかもしれません。壁のテレビではちょうど正午のニュースがはじまりました。前日の教訓があるにはありますが、私のランチはもう少しあと。月曜日のグルネル通りなら、この先にも飲食店はたくさんあるに違いありません。

 
(左)駐仏韓国大使館  (右)駐仏スイス大使館




アンヴァリッド(大砲の先にアレクサンドル3世橋の欄干とグラン・パレが見える)

30分くらいカフェで休憩して再出発。少しだけ本来の道路を外れましたので、まずはグルネル通りに復帰します。お、よく見る国旗が風にはためいています。左手(南側)に駐仏韓国大使館、右手に駐仏スイス大使館です。ちなみに駐仏日本大使館は昨日の終点ちかくにあります。


アンヴァリッド側からグルネル通りを見たところ

韓国大使館の先ですぐ広い空間に躍り出ます。ここからセーヌ川まで500mはあると思うのですが、そこが全部ぶち抜き。そのまま歩くとパリでいちばん派手な橋であるアレクサンドル3世橋Pont Alexandre III)に出ます。そしていま歩いているところのすぐ南側、グルネル通りの左手にある大きな建物がアンヴァリッドHôtel des Invalides)です。和訳すると「廃兵院」。戦争で傷を負った兵士を収容する施設で、いまもこの一隅はその機能を果たしていますが、国防省が管轄する軍事博物館Musée de l’armée)がかなりの面積を占めています。昨年9月に久しぶりに行ってみたけどおもしろいですよ(戦争ものをおもしろいとかいってはいけないですが、純粋に興味深い)。


ナポレオンの墓所(20139月)

軍事博物館に隣接したドーム教会(Église du Dôme)には稀代の英雄ナポレオン・ボナパルトの墓所があります。博物館と共通のチケットですので、ナポちゃんファンの方にとってはぜひものでしょう。

 



謎のセグウェイ隊と、かわいい僕ちゃんのキックボード(アンヴァリッド前)

 


どれだったか忘れたけど、下関戦争で奪った長州藩の大砲もここにあるよ

たまにこのへんに来ることがあっても、たいていはメトロ駅からすっと出てくるか、セーヌ川のほうからタテに歩いてくるので、アンヴァリッドの正面を横切るというのは初めての体験です。視点というか見え方が変わっておもしろい。半年前に来たときには、ナポちゃんのお墓をお参りしたあとユネスコ本部のほうへ歩いていったんだよな。いま歩いているグルネル通りは、セーヌ川のカーブにほぼ並行してじんわりと左(南)に曲がっていきます。

 



多言語メニューは親切なのだけど、これって中国語かね?(笑)

官庁街はアンヴァリッドの東側で終わりです。ここからはグルネル通りの最後の局面、何となくわさわさした庶民的な住宅街に入ります。この界隈には何度か足を踏み入れたことがあり、様子を心得ていましたので、先のほうでランチを食べられる機会があると踏んだわけです。



こんな小さな路地にもちゃんと固有名詞がある(Passage Jean Nicot

サン-ジャン教会(ルター派) 


玩具店の雑然としたディスプレイ パリの子どももエッフェル塔買うのかなあ?

 


今回パリに来るまでは2日連続で歩いて見ようをやるつもりなんてなかったのに、やってみたらけっこう愉快です。20代のころはこれと決めた駅でテキトーに下車して、目的もなくただ町を歩く(で、あとで地図と照合する)というテレビ東京の番組みたいなことをしばしばしていましたが、行動範囲がヨーロピアンになったいまでも本質的にはあまり変わりません。一般性のある趣味ではないので、よい子はマネしないように(しないよね)。

お、アイリッシュ・パブだ。ギネスの看板が出ているぞ。まだ開店していないし昼間から黒ビールかっ食らうつもりもありませんが、翌々日にはいよいよ念願のアイルランド上陸を果たす予定なので、わくわく感が高まってきます。さきほど述べたように初めてサン・ジェルマン・デ・プレに降り立ったときは、パリというよりも「外国」に行くというのでわくわく、どきどき、はらはらしていました。20代のとき日本国内でしていたような町歩きを30代以降は欧州でも難なくできるようになったのは、花の都パリに鍛えられたからにほかなりません。早いもので、かれこれ17回目のパリ滞在になりました。本当に好きなんやね。

 

 

5へつづく

 

この作品(文と写真)の著作権は 古賀 毅 に帰属します。