PART 2

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ホース・ガーズのまた少し先に、またまた観光客が群がって写真をぱちぱち(昨今のデジカメは、当方のも含めてそんな音はしません・・・)。何だろうと思って近づくと、横道の入口を頑丈な鉄扉で封鎖してあり、数名のポリスが警護しています。街路表示にDowning Streetとあるのでわかりました。ダウニング街、つまり首相官邸ですね。道路ごと入れないとは意外だと思っていたら、最近になってそうしたのだといま調べてわかりました。「ダウニング街」というのはそれだけで英国首相あるいは政府のメタファーとなります。「永田町」(日本政界)とか「桜田門」(警視庁)というのと同じような用法ですね。1997年から政権を独占してきた労働党が総選挙に敗れて下野し、2010年から保守党のキャメロン首相がここの主になっています。野田ちゃんとは同じ増税論者ながら、英保守党政権は徹底した緊縮主義で、そこは違う。

  ダウニング街


さて、首相官邸(行政)とくれば立法府のほうもぜひ見なくては。というより、こちらがウェストミンスター地区見物のハイライトです。ダウニング街からすぐ、ビルが途切れて空が広く見えるところにウェストミンスター宮殿Palace of Westminster)がその威容を見せています。日本式にいうなら国会議事堂(House of Parliament)ということになります。これが議会であることを知らなくても、その時計台、通称ビッグ・ベンBig Ben)はきわめて有名で、これこそロンドンのシンボルといってもよいでしょう。本当に絵になるのはテムズ川越しに見る角度ですが、この時間は逆光になってしまうので写真は難しい。それでも橋の上にはかなりの人出があって、デジカメやスマホを操作していました。マミーもがぜん張り切って撮りまくります。私もたいていメモ代わりに撮るタイプなのですが、母は「有名なところ」に弱いらしく、昔の日本人みたいなノリで撮りつづけていますな(昔の日本人には違いないか)。危ないから信号とか荷物には気をつけて!

 
ウェストミンスター宮殿(議事堂) (左)左岸側から (右)ウェストミンスター橋上から


前回(2008年)ここを訪れたときの話として、私はこんなことを書いていました。

日本では昨夏の参院選で与野党がねじれる現象が生じ、何ごともどう進めたものか困惑するようです。自民党の幹部が「民主党も参院第一党になったのだから責任政党らしくふるまえ」なんて逆ギレするけれど、自民党こそ与党が長すぎて、「与党である」という態度はどうあるべきか見失っているような気がしますね。強行採決とか形式的な同意取りつけなんて、責任政党がとるべき態度ではない。議会政治発祥の地で立ち止まって考えることは多いです。

このときは福田康夫首相(自民党)×小沢一郎代表(民主党)。この翌年の総選挙で与党が入れ替わって、さらに2010年の参院選で今度は民主党が過半数割れしてしまい、このときとは逆のねじれが現出しました。3年経っても「与党である」という態度を身につけられない民主党も、立場が変われば何とやらで無責任な攻撃ばかり繰り返す自民党も、どうしたもんでしょうかね。あいつらきっとロンドンに来ても何も感じないぞ!(笑)

前回はそのあとで、英国議会はParliamentで日本の国会はDietだとか名称ウンチクを語っています。Parliament13世紀からずっとその名称。英語のspeakをフランス語ではparlerといい、<Vous parlez français?>(あなたはフランス語を話しますか?)などの基本会話に登場します。議会はそもそも話す(parler)ところであります。ここで少しだけ中世史のおさらいをしておきましょう。1066年、イングランドの王位継承権を主張するノルマンティー公ギョーム(Guillame de Normandie)は率兵渡海してハロルド2世らをヘースティングスの戦いで破り、王位に就きます(イングランド王ウィリアム1世「征服王」 William I of England, the Conqueror)。これ以降、13世紀初めのジョン欠地王(John the Lackland フランス語ではJean sans Terre)がそのありがたくないニックネームのとおり大陸側の領土の大半を失うまで、ノルマンディー公を兼ねるイングランド王はフランス王の封建的臣下であり、だけど勢力ではフランス王カペー朝をしのぐという状態でした。王や貴族はノルマンディーの人ですので(中世の)フランス語を話します。ParliamentなのかParlement(フランス語)なのか、ともかく議会や行政ではフランス語が用いられていました。ジョン王のヘマは、長期的にみればイングランドの精神的・政治的そして言語的な面での大陸からの自立を促す出来事であったといえます(それでも15世紀くらいまではフランスとの争いがやみませんでした)。現在のリンガ・フランカ(普遍語)になっている英語という言語がすごいのは、文法はともかく語彙をやたらに移入借用しまくって形成されたというその歴史です。概念語ばかりでなく、生活にまつわるような基本語彙まで借用していることも少なくありません。9世紀あたりからデーン人(Danes いわゆるヴァイキング)の入植がはじまるとその語彙を吸収し、上記ノルマン・コンクェストに際しても中世フランス語を抱き込み、ルネサンス期にはラテン語・ギリシア語・オランダ語なんかもばんばん取り入れました。民族的にも異種混交(ハイブリッド)を避けられなかったためか、文法も格段に易化されていきます。だからあれよね、私たちが英語を学習するとき、文法は非常に易しい(格変化とか性数一致とかないし!)のに対して、語彙の体系性とか一貫性というのが薄くてとらえにくく、覚えにくいという面があります。英語の語彙がちょっと入ってきただけで「国語の危機だ」とかいって騒ぐフランス人はどうなのよ。

 ジャケット・ポテト


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時ちかくになっていて、ランチを食べないとだけど、官庁街なのであまりお店がありません。ある一軒に、どう見ても観光食堂みたいなところで気乗りがしないながら、席を見つけて入り込みました。アジア系らしい店員の英語はコテコテのカタカナ・イングリッシュ。ロンドンの人たちの英語は、本当に階層によって多様ですね。周囲の観光客はパスタとかピザとかハンバーガーを食べています。まあいちおう英国に来たのだからそれらしいものをというのでジャケット・ポテトを発注。ジャガイモをオーブンで焼いたもので、イモさえちゃんとしていれば食えるというものです。ここのはイングリッシュ・ブレークファストについてくるようなビーンズがかかっていました。あんがい美味い。

  ウェストミンスター寺院


ウェストミンスター寺院Westminster Abbey)は議事堂のすぐそばにあります。1997年に亡くなったダイアナ妃の葬儀はここでおこなわれました。長男のケンブリッジ公ウィリアム王子は先ごろここでケイト妃と結婚式を挙げたばかりですね。ケイト(キャサリン)さんも、どうかみんなに愛されるプリンセスになられますように。

実はここまで英国用の財布には前回使い残した₤20くらいしか入っていませんでした。ジ・アビーのそばにバークレイズとHSBC2行が並んでいたので前者のほうでキャッシング。建物の壁に据えつけられているATMVISAカードを差し込んで、現金₤100を引き出しました。帰国後に届いた明細を見ると、貸付金額12298円、金利約18%で利息ぶんが272円、返済金額は12570円でした。利息ぶんも含めたレートは₤1125.7円ということになります。行く前に両替すると手数料でこれをかなり上回りますから、まあバランスですけど、キャッシングは有利といえますな。ただ、学生用のクレジットカードはキャッシングの設定ができないものが多いそうなのでご用心。

 
  バッキンガム宮殿


次の見どころはエリザベス2世のお住まいであるバッキンガム宮殿Buckingham Palace)。ここに来るのは3回目ですが、いつでも観光客がわさわさいますね。女王は週末になると離宮でお過ごしになるそうですからたぶんご不在。いらしたところで手を振ってくださるわけでもないですが。1年前に訪れたオランダ・ベアトリクス女王のお住まい(デン・ハーグのハウステンボス)は木々に囲まれた公園の中の高級別荘みたいな感じ、こちらバッキンガムは町の真ん中の堂々たる建物で対照的です。

それにしてもバッキンガム宮殿の正面付近には地下鉄の駅が1つもないんですね。ヴィクトリアのほうに行くと後退した気分なので、目の前にあるグリーン・パークを突っ切っていくことにしましょう。夕方が近づいて、マミーはぼちぼち買い物気分になりかかっています(ここらへんが長男の町歩きとは違うわけね)。グリーン・パークの先は大商業地だからいいと思います。公園内には宮殿付近から何本かの道が敷かれていますが、地下鉄方面へ斜めに進む道をほぼすべての人が歩きます。考えることは同じだな。

 
(左)グリーン・パーク  (右)ピカディリー


やってきたのはロンドンの東西幹線道路たるピカディリーPiccadilly)。小休止してお茶を飲んだり、ウィンドウショッピングしたり。マミーはよくわかっていなかったみたいだけど、超有名なフォートナム&メイソンFortnum & Mason)に誘導しました。英国の紅茶といえばこれじゃんね(フランスの定番紅茶はマリアージュフレール)。深緑色の缶のやつ・・・といいかけてみたものの、どうもデザインが変わったらしく、昨今ではシルバー缶に緑のラベル。私、有名なものに関心が薄いし、紅茶なんて買ったことないですもん。土曜の夕方近くとあって店内はかなりの人で賑わっています。マミーはもっともらしい紅茶缶の3個セットなどをお土産にするらしく、カード決済になるので横でアシストしなければね。パリからずっと見ていると、マミーが買い物するときに財布からいくら出せばよいのかという基本的なところでテンパっているのがわかります。それはそうかもしれません。たかが買い物ですが、(1)当該国の通貨体系と紙幣・硬貨の種類、(2)買おうとしている物品の現地での相場(だいたい何ポンドくらいという線)、(3)手持ちの紙幣・硬貨、という情報を一瞬で処理して判断しなければならない。国内では長年やっていて慣れていますから考えなしにできるのだけど、異なる通貨の地域に行くとたしかに混乱しますね。私がこの手のとまどいをほとんど感じないのは、しょちゅう渡欧していて相場を心得ているためにほかなりません。たぶんいまスイスとかデンマークに行けば少しは混乱するかな? 外国人相手におつりをインチキするという話を聞くけど、なるほど可能かもしれません(するなよ)。日本人観光客、それもあまり外国経験がない人は、毎度のように「日本円ではいくら」と換算して考える傾向があります。あまり意味のある手続きとは思えませんし、計算の軸がブレますから、現地通貨建てで考えるクセをつけたほうがいいですよ。もっとも、いま欧州大陸のほうは€1100円と非常に計算しやすい状況になっていますが。

で、考察というか発展学習を2つ。小学校の算数で買い物計算というのがあります。おとなにとっては呼吸するくらい簡単なことなのに、低学年児童がなぜうまくできないのかといえば、上記(1)(2)の感覚が身についていないからです。高校生でも、たとえば政経の授業で「日本の国家予算が90兆円。では防衛費はいくらくらい?」とかいわれると類推して答えられないのは、額が大きすぎて自分たちの実感エリアを飛び越えてしまうためです。もう1つは、つい十数年前までの欧州では国境を越えるたびにこうした相場の見当を切り替えなければならなかったのであり、通貨統合というのは心理的な統合にもなっているということ。ユーロ圏ならばどこでも気軽に売ったり買ったりできるようになり、それが経済を活性化させることにつながるのです。ギリシアに端を発するこのところのユーロ危機で、「いままで欧州統合を賞揚してきた落とし前をつけろ」と直接間接にいわれるようになっています。学者としての落とし前はもう少しあとで、結果が見えてきてからつけることに異存ありません。が、目下の現象をとらえてギャーギャーいうのも品がない。きわめて短期的な主観でそういうことをいうのは、1000円とか10000円といったインフレ額面の通貨を日常的に使うことに疑問を感じず、外国に行けばいちいち換算して日本より高い安いといいつづける人だと思いますよ。そういう人は、相手側から自分たちがどう見られているのかという観点がまったく欠落しています。

 ピカディリー・サーカス


フォートナム&メイソンからさらに東へ進めば、ロンドンの銀座4丁目(?)ピカディリー・サーカスPiccadilly Circus)に出ます。初めてロンドンというか外国に来た21歳のとき、ここで東西南北の感覚を失って瞬間的にテンパった記憶があります。いま思えば何を迷うことがあったのかな? マミーは「デパートみたいなところに行きたい」というので、それならばもう少し北にあるオックスフォード・ストリートOxford Street)かな。歩くと少し遠いので次々にやってくるダブルデッカーのバスをつかまえました。そうそう、ピカディリー・サーカスから伸びるリージェント・ストリートRegent Street)は、サーカス付近での滑らかなカーブが上品で美しく、ロンドンならではの景観を見せています(髪形のリーゼントはこのカーブに由来)。今回のタイトルカットに使用しているのでこのページの最上部をごらんください!

リージェント・ストリートの両側には、東京でいえば銀座通りのような有名ショップのウィンドウが並びます。歩道はもうまっすぐ歩けないくらいの人出で、「世界の中心」の1つに来たんやなあという不思議な感覚に見舞われます。よくウンチクばなしで出るところでは、この一筋西側のサヴィル・ロウ(Savile Row)は仕立て屋さんゾーンで「背広」の語源ですね。

 リージェント通りのユニクロ(とルフィ いまタイアップ商品出していますからね)


オックスフォード・ストリートにはマミーのいう「デパートみたいなところ」が何軒か並んでいます。「みたいなところ(もの)」てのが大昔からの彼女の口癖で、「デパートならあるけど」と、ときどき突っ込んでやるのです(いひひ)。ファストファッション系の大型路面店も、雰囲気としては「デパートみたいなところ」に見えますし、それを補完する機能をもっていますね。で、ここは正真正銘のデパート、ジョン・ルイスJohn Lewis)へ。どうも昨日のラファイエット、プランタン(パリ・オペラ座の裏手にあり、2つの大型デパートが隣り合っている)から「ハンドバッグみたいなもの」を探しているらしいのですが、しっくりこない様子。イメージとか嗜好の問題なので、こういうのは私もアシストできませんもんねえ。有名ブランドなら日本のドンキホーテで買ったほうが安いよ、とはいいませんでしたが(笑)。グランドフロア(日本式でいう1階)はやはりコスメとか香水、アクセサリーなどのコーナーで、なかなか盛況です。方向オンチのマミーが行方不明にならぬようちらちら見ながら、私もしばしブランド見物。気に入ったメンズコロンでもあれば買っていこうかなと思ったものの、不調。よく聞く話として、書籍は迷ったら買え、洋服は迷ったら買うなといいます。実際には迷ったら買う人が増えるほど、世の経済は好転します。

  ジョン・ルイスの店内
 オックスフォード・ストリート


孫(私から見れば甥)がサッカーをしているのでそれらしい品をというので、以前に訪れて知っていたライセンスショップへ。それこそ「サッカーみたいなもの」で、チームも傾向も知らないわけだからお土産の選びようもないよね(笑)。ただセール期間中なので各種グッズはかなり値引かれており、私もつい50%オフで₤3.99というリストバンドを購入。アーセナルやチェルシーなどもろもろで、これなら誰か欲しがるじゃろ。私がプレミアリーグに興味をもつことは、たぶんないんだろうなあ。

 
(左)老舗デパートのリバティ  (右)日没後のピカディリー・サーカス付近


日も落ちたし、オーバー70の母親をいつまでも歩かせては翌日以降にたたるので、夕食をとってホテルに戻ろう。どうもマミーはレストランなどで食事することに積極的でない様子なのだけど、国内ではそんなこともないので、要は異国の雰囲気に物怖じしてしまうんでしょうね。どこぞでローストビーフとか何とかの「イギリス料理」を食べてもいいけど、コメ食の世代だから、中華料理ならばどうだろう。ピカディリー・サーカスの東側一帯は欧州最大の中華街になっています。私も夜行くのは初めて。ちょうど春節(旧正月)明けですが、チャイナタウンは大賑わいで、中国人ないし中国系の人はだいたい3分の1くらいかな。中華レストランのメニュー構成はどこも似たようなもので(これはフランスでもそうですし、横浜でもまあそうです 笑)、あとは料理の腕ということですがそれは見ただけではわかりません。いくつかのぞいてみて、流行っていそうだけどすぐに入れそうな店をチョイス。マミーは「チャーハンみたいなもの」「汁そばみたいなもの」などなど、おなじみのメニューをいくつか提案しますが、どこでも食べられるものを食べておもしろいのかねえ。たまに福岡の大型中華店に行っても同じような態度なので、もはや冒険はしないということか。で、世界中どこでも出てくる揚州炒飯(₤6.80)と、私のセンスで何だかのミックス・ベジタブル炒めみたいなもの(品名失念 ₤13.30)、スープ(₤3)をとりました。炒飯は薄味ながら量はたくさん。何ちゃらベジタブルというのは下の写真のような野菜炒めで、われわれの感覚だと中華街というより「町の中華屋さん」の日替わり定食みたいな内容ですが、旅行中は繊維質が減り気味なのでちょうどいいですね。これも薄味で、醤油やらお酢やらで味つけ。

中華料理のいいところは、コメや醤油味を食べられることに加えて、メニューを漢字で書いてあるので内容の見当をつけやすいこと、そして何といっても安いことです。アラカルトならだいたい1人あたり1000円ちょっと(飲み物別)で収まります。これはパリでもだいたい同じです。西欧の「日本料理」はわれわれの「フランス料理」と同じで高級品ですから、コメが欲しくなったら中華屋さんに行きましょう。見回すと、お客の半分が中国人、半分は英国人(かどうかはわからない、欧州系の人)。英国人らしい人は1パイント入りの生ビールで乾杯していて、そこがロンドンっぽいですね。パリだと同じシチュエーションでワインの栓を抜きます。私は青島ビールよん。

  活気あふれるロンドンの中華街
 


ピカディリー・サーカス付近にはスーベニア・ショップがいくつかあり、ロンドンのグッズが揃っているので、マミーの希望でしばし見物しました。この手のお土産はもう買わなくなったなあ。パリだとノートルダムの裏手とモンマルトル付近にその種のお店が多いです。甥っ子がもう少し小さければダブルデッカーのミニカーでも買ってあげるところだけど、もう高学年だし、私が子どもだったころみたいに「赤くて2階建てのバス=ロンドン、すげ〜」という時代環境でもなかろうね。1970年代の児童周辺に世界の情報があふれていたのは、日本人がまだ外向きの向上心をもっていたためか、単にうちの親の趣味だったのか。「外国」というのはまだそうそう簡単に行けるところではなくて、はるか向こうの「すごいところ」、ある意味で憧れの対象だったのかもしれません。いまは情報過多なのと、バブルを経て少なからぬ日本人が外への関心(と向上心)を失ってしまったことで、欧州に関する情報がウソみたいに共有されなくなっています。うちのマミーはそういう社会動向とは無縁のところで往年の価値観(憧れ)を抱きつづけていたようなので、現場に来てみるとかなりストレートに感心しておられます。

 地下鉄ピカディリー・ライン


地下鉄に乗って20時半ころラッセル・スクエアのホテルに戻りました。あとは寝るだけながら、せっかくロンドンまで来ているのにこのまま就寝するのはおもしろくにゃい。母を部屋まで送ったあと、昼のうちに目をつけていたホテル近くのパブGo!!

  ロンドンといえば、ね
  


あーこれこれ。ビールの銘柄を知らないので、サーバを指さして「1パイント」と注文します。男は黙って1パイントだよ! Young’s London Goldというやつで₤3.30。ビター系のビールでした。パブのビアタンクは多くの場合地下にあるようで、けっこう力を入れてサーバを引き、タンブラーに注ぎます。精算はその場でおこない、ビールは自分で好みの場所へもっていき、フードメニューを頼んだ場合にはあとから運んでくれます。安い値段でビール(お酒)だけ飲んでいればいい英国のパブは実に素敵な場所。ていうか、西欧は基本的に酒飲みには天国みたいなところなので(日本酒や焼酎を探してもないが)、1滴も飲めないマミーと違って大量消費者である父も誘ったのだけど、欧米は好かんと最後まで首を縦に振りませんでした。戦後民主主義の世代でけっこうリベラルなのに、かくも欧米嫌い(食わず嫌い)というのは、子どものころ進駐軍に何かされたのか、英語の勉強ができなくて神経を消耗したか、いい齢をして精神的に優位に立てない場所には行きたくないのか、まあそのあたりかな。母のほうは前述のように欧州萌えなのに、行動力やら突破力やらが備わっていないらしく、今回声をかけたら2つ返事で乗ってきました。やれやれ。21時を回るとお客が一気に増えて、すべてのテーブルが埋まり、カウンターにも隙間がなくなりました。いつもの一人旅ならもう1軒くらいハシゴしていたかもね。

 

PART 3へつづく

この作品(文と写真)の著作権は 古賀 毅 に帰属します。