PART 3

PART 2にもどる

 

4年ぶりのロンドン、12日の2日目の朝は、なぜだかマミーともども早起き。フランス時間より1時間遅いわけで、もしかするとプチ時差ぼけ? テレビのニュースチャンネルを見ると、ホイットニー・ヒューストン急死の第一報に半分くらいの時間を割いています。あとはギリシア情勢と、マードック系の新聞の違法取材問題ですね。フランスのニュースは大統領選挙一色でした。よく学生に「向こうの人は日本のことをどう思っているんですか」などと訊かれますが、基本的には「何も思っていません」。だって、君は日ごろフランスのことなんてどうも思っていないでしょ? そして、日本→欧州の視線と欧州→日本の視線は、物理的距離こそ等しいはずですが、心理的なものとしては不等です。今回、8日ほどの滞在中に見た日本のニュースは、どこかの動物園で職員が動物の着ぐるみをまとって危険回避訓練をしているという話と(要は「おもしろ動画」の扱い。大まじめのはずだけど)、2011年のGDPがマイナスになったという話だけでした。後者についてBBCだったかの東京特派員は「当面、日本経済に好転の兆しはない」と報告していました。

 イングリッシュ・ブレークファスト


ホテル・インペリアルの宿泊は朝食つき。それもイングリッシュ・ブレークファストと明記してありました。フランスの朝食はパン(クロワッサンとタルティーヌ)とコーヒー、オレンジジュースだけのコンティネンタル・ブレークファスト、ドイツやベネルクスはそれにハムやチーズ、シリアル、ボイルドエッグなどを好みで添えるもの、そして本来の英国式はトースト+卵料理+ベーコンやソーセージのたぐい+ビーンズ+シリアルというあたりです。ホテル1階(日本式でいう2階)のダイニングは、これまた部屋のお粗末さとアンバランスなまでに立派で、テーブルには真っ白なテーブルクロスが敷かれ、きちんと正装したウェイターが数名いてコーヒーなどをサーブしてくれます。見るところ、ひとりで食事しているビジネスマンらしき人たちと、34人づれの観光客らしき人たちが半々で、78人の日本人グループもいました。フランスの朝食はおかずがついていないから嫌だという向きがあって、わからんではありませんが、英国の朝食を食べてみると、おかずがあればいいというものではないことも確かです。ここのもまずくはないけど、感心するほど美味くもない。

  朝のサザンプトン・ロウ


9
時過ぎにチェックアウトしました。ユーロスターの帰便は1531分発なので、荷物は午後まで預かってもらうことにします。立派すぎるコンシェルジュデスクに申し込むと、2人ぶんで₤1とのことでした。いまでもなぜか鮮明に憶えているのですが、初めてロンドン(ていうか外国)に来たときこの「荷物を預かって」という表現を思いつかずにまごまごしました。まだ頭の中でいちいち翻訳していたので、語彙を11で考えていて、相当する語を思い出せなければアウトという状況だったんでしょうね。本式にはどうだか知りませんがkeep the (our) baggage(s)あたりで十分でしょう。「手荷物」のbaggageはフランス語ではbagageg1つ落ちて、しかも普通はなぜか複数形bagagesで表現します。バッグ(bag)という名詞があるので英語のほうが本家なのかな? そういえばluggageという表現もあってしばしば混用されています。どっちをいっても通じるので気にしていなかったけど、いま調べたらluggageはアメリカで好まれる表現みたいやね。米語と英語の違いを見分けるほどイングリッシュに通じているわけではなく、そういう話もふ〜んというレベルではあります。「出口」が米語でexit、英語でway outとか、「お持ち帰り」が米語でto go(あるいはおなじみtake out)、英語でtake awayとか、これから乗ろうという「地下鉄」が米語でsubway、英語でundergroundとか。英国でサブウェイといえば地下道ですね。なお「鉄道」はrailwayだと信じている日本人が多いのは、このシステムが英国から輸入されたものだったからで、一般的な米語ではrailroadです(ちなみにフランス語ではchemin de fer=鉄の道 と意訳的に)。いいんですよ通じれば。それくらいの用語の違いなんて東京と大阪のあいだにだってあります。大西洋を遠く隔てているのだから多少の変化があらわれて当然で、むしろそれくらいの差異でいまも通じ合うのがすごいと考えなくてはね。私、フランス屋さんということもあってか、2004年くらいまでは英語相対化論者だったのですが、このところは急進的ともいえる英語教育推進論者に変わっています。あまりに英語英語いうので辟易する受講生も多いことでしょう。でも曲げないからね!
*とかいうわりには初歩的な語彙でもたもたしていますな(汗)

  ロンドンは町なかの街区図が丁寧で、すばらしい


きょう最初のねらい目はセント・ポール大聖堂St.Paul’s Cathedral)。地下鉄のセントラル・ラインに乗ってやってきました。このカテドラルの在所は本来のロンドンであるシティ(City)の外れです。古代ローマ帝国のころから拠点とされていたのがこの付近で、中世を通じて商業都市として発展しました。前述のノルマン・コンクェストでフランス系の勢力がイングランドを支配するようになったとき、この地区を避けて現在のウェストミンスター付近に拠ったため、この都市は政・経2つの焦点が東西に分かれる構造になった模様。東京や福岡にも政・経の中心がそれぞれあるものの、ロンドンの場合はけっこうな距離がありますね。パリ市の場合は、中世における市政の中心は本来のパリであるシテ島であって商業地と一体化していました。国家権力が強大化した初期近代に王侯貴族がヴェルサイユに移りましたので、いまでも政・経の混在化した町に見えます。そもそもロンドンのスケールはパリの数倍あります。シティといえばニューヨークとならぶ国際金融の一大センターでもありますね。

セント・ポールのドームは近づくほどに圧倒的な迫力です。がらんがらんとものすごい音を立てて鐘が鳴りはじめました。鼻唄で出るのは“St.Paul’s will shine tonight”。知ってますかね、全編英語で歌われる立教大学(St.Paul’s University)の応援歌で、聴けば「ああこれね」とみんな知っているやつです。ふんふんふん×2 セント・ポールズ・ウィル・シャイン♪

 
 セント・ポール大聖堂


日曜日は奥に入れず、手前のホールで参拝するだけですが、そのため拝観料なしでした。カトリックの寺院に比べて内部は明るいですね。1666年のロンドン大火で中世の伽藍は焼け落ちたため、現在の建物は18世紀に再建されたもの。ホールにそのような歴史の解説が書いてありました。こういうところの表現はわかりにくい語句を避けて平易に書かれていますね。1666年といえば王政復古(Restoration ピューリタン革命で廃位されたスチュアート朝がイングランドおよびスコットランドの王位に返り咲いた)のすぐあとで、政治史的にはいちばん激動のころだよねえ。縁起の悪い振袖を燃やしたら当時の江戸市街の大半を焼き尽くしてしまったという明暦の大火は1657年で、似たような時期にやっちゃったものです。江戸→東京の下町はそのあと関東大震災と東京大空襲で2度までも焼かれますが、セント・ポールは第二次大戦中にドイツ軍の空襲を受けながらも持ちこたえました。ロンドンというかイングランドの象徴を焼かれてたまるかという心境だったことでしょう。

  テント村が・・・


大聖堂の真ん前にはテント村だと見てわかる一隅がありました。中にこもっているのか人の姿がほとんど見えず、静かな抗議運動のようにもみえます。立て看板などから類推すると反市場主義とか反グローバリズムなのかな? あとで調べてみたら、ウォール街で起きた例の運動に呼応して秋あたりから大聖堂前を占拠したグループで、「景観を損ねるから排除」「弱者をやっつけるとは聖職者の恥」と寺院でも意見が真っ二つに分かれて大変だったらしい。――と、これを書きながらあらためてネットを見渡すと、228日未明(これを書いている直前!)に市当局が強制排除した由です。こういうのは評価が難しいのでノーコメントということにして、とにかくそれを「見た」という事実だけを報告しますね。

このあとはテムズ河畔の散歩といきますか。きょうは曇りで、まあロンドンらしい。セント・ポールから真南に向かうプロムナードは、そのままテムズ川を渡る人道橋へとつながっています。西暦2000年を記念して架けられたミレニアム・ブリッジMillennium Bridge)です。4年前に来たときには、足の裏がかなり痛くて散策を抑え気味にしたため、このあたりは断念しています。あとでわかったのは、履いていた靴がちゃちくて疲労したらしい。というのは、その靴を履いて授業に行ったら1コマ目の途中でおかしくなってきたので、体重とか体力の問題ではないなとようやく気づいた次第。シューズは少し馴らしてから旅行に出ましょうね(当たり前すぎる教訓です)。ミレニアム・ブリッジは金属質のモダンなデザインで、なかなかスマートです。よく揺れるという評判を聞いていたけど、それほどでもないな。ただ、大勢の人が同時に歩けばそうなりそうな気はします。

 

ミレニアム・ブリッジ (上左)左岸側から右岸を望む 正面はテート・モダン (上右)逆に左岸側を見ると、セント・ポールが (下)右岸側から見た橋


テムズ川の右岸側がミレニアム・マイルと呼ぶ遊歩道。ところどころ河岸を離れて私有地みたいなところやビルの裏側などを回るのですが、よく整備されています。ビル裏なんかも変化を感じられておもしろいですよ。テムズ川は西から東へ流れますので、パリのセーヌ川とは逆で、北が右岸で南が左岸ということになります。右岸側には、テート・モダン(Tate Modern 現代美術館)、グローブ座(Shakespeare’s Globe Theatre これは近年復元された劇場で本物は17世紀に終焉しています。模造品?が拙宅の近所にあるよ!)など文化的なスポットも多いので、今度ゆっくり歩いてみたいなあ。

 
(左)サザーク・ブリッジ付近の遊歩道 (右)サザーク大聖堂


このへんを歩いているのは、マミーが「ロンドン橋に行きたい」と当初からいっていたためです。歌になるほどなのでどれほどの名橋かと期待しているらしく、実は変哲のない普通の橋だというのも気の毒だけど、見てみなくてはね。鉄道のロンドン・ブリッジ駅の付近はやや猥雑なミニ繁華街で、カフェでお茶して小休止。日曜なので閉まっているお店が多いです。態勢を立てなおしていざロンドン・ブリッジLondon Bridge)へ。

 
 ロンドン・ブリッジ上で  向こうは戦艦ベルファストとタワー・ブリッジ


その昔はここにだけ橋が架かっていたとのことで、パリのポン・ヌフに匹敵するものなのでしょうが、架けなおされているのでありがたみが・・・。現在のものは1973年建造です。幹線道路のため日曜でもかなりの交通量があります。きっとあれだね、小学生の孫たちに「ロ〜ンドン橋落っこちた〜♪のところに行ったよ」と自慢したいんでしょう。いまどきの小学生が輸入童謡(マザー・グースの1つやね)を知っているかは怪しいぞ、という情報もいわずにおきました。私が子どものころは、ワンコーラス終わるところ(My fair lady または さ〜どうしましょ〜♪)で落っこちた橋(向かい合った2人の両腕)にはまった人が鬼になるという他愛もない遊びをずいぶんやったものです。アナログ時代だったというより、この遊びの性質を考えればわかるように、同時に遊ぶ人数がかなりいたということですね!

  「モニュメント」


橋を渡って左岸側に戻ると、すらりと伸びた円柱が見えました。予備知識なし(笑)。すぐ近くなので寄ってみると、The Monumentとあり、形容詞句がかかっていません。で、由緒書きを読んでみたら、例のロンドン大火(1666年)の記念碑ということです。ほほ〜。すぐそばの地下鉄駅はその名もモニュメント駅。もう正午ちかくになっていますが、マミーがどうも買い物で満足できていない様子なので、「ハロッズHarrods)に行ってみる?」ともちかけてみました。ロンドン最大のデパートは中心街を西に外れたナイツブリッジ(Knight’s Bridge)地区にあるため距離的には遠いのですが、地下鉄に乗ればそう時間はかかりません。博物館見物などをオミットすれば余裕でしょう。何よりハロッズは日曜も開いていますしね。

それで、一転してナイツブリッジにやってきました。ハロッズには前回も来ているので道順とか要領は心得ています。ここはさすがに広く、品数も豊富ですね。「ハンドバッグみたいなもの」はやっぱりしっくり来ない様子でしたが「スカーフみたいなもの」に反応して購入。そっちのほうが軽くてがさばらんから絶対にいいぞマミー。バーバリーだけでなく、よく知らない(と思うだけかもしれない)スペインの品にも手を出していたので、いいんじゃないですかね(笑)。とはいえ、店員さんと「これはいいですよ」「他にありますか」なんて会話するのはもとより私で、普段はこんなものは買わないためどう言ったものか迷いますな。それと、前日のパリ・プランタンにつづいて免税手続き(tax refund)をしなくては。長いこと西欧をあちらこちらのたくっている私も、高額な買い物とは無縁のため、今回これを初めて経験しました。要は消費税ぶんが戻ってくるというものです。英国の消費税は20%ですから相当なもので、私たち外国人が英国人の老後のために貢献することもないわけです。日本の税率は5%だから西欧人からすれば無いようなもんで、観光で来た人はデタックスやるのかなあ? 西欧かぶれの古賀もさすがに税率を英仏並みにしましょうとはいわず、いえば野田ちゃんの思惑にはまってしまいますが、ただ、それくらいでないと財政を回せない時代になっているということはわかっちゃうんですよね残念ながら。なお、この件に関しては英国もEU加盟国としてのルールに従っているため、ロンドンで手続きしたぶんの証書はパリの空港(最後にEUを出るところ)で検印を受け投函すればよいことになっています。

  ハロッズ


買い物を済ませてすっきりした感じのマミーを促して、ホテルに戻りましょう。どこかでゆっくり昼食をとる余裕はなくなりました。ホテルのG階に路面からも入れるレストランがあったので、そこで食べよう。ナイツブリッジからはピカディリー・ライン1本で約15分。パリに比べてロンドンが広いといっても、東京のでかさからすれば大したことではありません。行ってみればホテルの食堂はレストランではなくパブで、ありがちのウッディな造りでないのでそう見えないだけでした。縁起ものということで、一応フィッシュ&チップス食べておくか(笑)。それと、料理には合わない気もするけどギネスね。東京のHUB(英国風パブのチェーン)で1パイント飲んだらロンドンの倍の900円しますよ。それでもけっこう飲んじゃいますが。私の行動を見て、この子は昼間からアルコールばかり飲んで大丈夫なのかねとマミーは思っているかもしれませんが、昼はビールかグラスワイン1杯だけですし、西欧ではそれが当たり前でござんす。飲まなくたっていいのだけど、飲んでも不道徳ではない。すばらしい。荷物を引き取って、セント・パンクラス駅に向かいましょう。

  


なぜか英国の出国手続きというのはなくて、フランス側の入国手続きのみ。書類関係もいっさい無しです。したがってパスポートの検印は、英国が1つにフランスが2つという不均衡なものになっています。それにしても、英国がシェンゲン協定の適用除外を解除する日はまだまだ先かもしれませんね。荷物検査は無事でしたが身体検査でピーピー鳴らされ、ごっつい体躯のおっさんに全身を本気で触られ、ポケットの中身もすべて出させられました。何が反応したのかわからずじまいで気分がよろしくない。

 
ユーロスターに乗ってパリへ帰ろう2012


母のリクエストで思いがけずやってきたロンドンでしたが、思いましたよ、これは1週間くらい滞在して深める値打ちがあるなと。十数回も行っていて、このところ福岡よりも滞在日数が長いかもしれないパリだって、いまだに知らないところとか新発見のところが多いですし、話のネタに事欠きません。ロンドンはもっと大きな都市ですからね! こんどロンドンに行きますといったら、あそこに行くべきだとかロンドンは最近こうだとか、56人の方からあれこれ提案とか助言を受けました。初心者づれの12日だからそうはならんよ〜と思いながら聞いていましたが、たしかにあれこれ体験して話題を共有化してみたい場所です。それと、ロンドンって思い入れを抱きやすい町なのね。とかいいつつ、自分もパリのこととなるとウザがられるほど話が止まりませんですが。

 

西欧あちらこちら にもどる

この作品(文と写真)の著作権は 古賀 に帰属します。