PART 1

 

福岡の母をたまにはパリに呼んであげようと思って、「パリで行きたいところはどこ?」と電話で聞いたら、即座に

「ロンドンに行きたい!」

ってマミー、人のはなし聞いてる? 最近のゆとりちゃんたちの中には都市名と国名の次元整理がまったくできない人も多いのだけど、戦後民主教育時代の生徒だったマミーは大丈夫なんだろうか。生きる力以前に、現に長いこと生きてきたんだから大丈夫か。這い回る経験主義の時代だし、もしかすると・・・(笑)。マミーの滞在日程は46日なので「外国」に行くのはちとしんどいのだけれど、「そこまで行ったのなら、せっかくだからイギリスにも行ってみたい」というのは普通の発想かもね。オリンピックがあるからうんぬんともいっていたものの、アテネとか北京の際にそんな発想はなかったと思うし、まあいい加減なものではあります。

というわけで中2日をこじ開けて、名所ばかりをぎゅっと詰め込んだロンドン往復の旅。英仏海峡をトンネルで越える特急ユーロスターEurostar)がなければ1泊旅行の発想は生まれにくかったに違いありません。そうそう「トーヴァー海峡をトンネルで越えてみたい」とナポレオンかヒトラーか鉄道マニアみたいなこともいっていたぞ。12月半ばの段階でフランス国鉄SNCFのサイトにアクセスしてチケットを手配しました。包括運賃はロンドン行きが1人あたり€60.00、パリへの帰りが€72.50で、そのときの為替相場でだいたい13000円ちょっと。時間的距離でほぼ同じくらいの東京〜新大阪だと片道でそれくらいしますもんね(チケット屋さんで買っても大して割り引かないし)。もとより、ブリュッセルとかアムステルダムとかフランクフルトといった欧州大陸内なら同じくらいの時間距離でさらに安いに違いありません。ユーロスターは高めで知られます。でも、ネットで事前予約すればかなり有利。たとえばの話、パリだけに滞在する57日くらいのホテルつきフリープランに乗ったとして、1泊ぶんを放棄してロンドンを往復するというくらいの仕方でも十分に楽しめそうです。何もかも日本の業者にまるまる依存しないほうがいいですよ。西欧通&鉄道マニアの息子をもってよかったねマミー。

 パリ北駅 階段を上った階がユーロスター乗り場


2
11日(土)の朝9時すぎ、西欧あちらこちらではすっかりおなじみのパリ北駅Paris- Gare du Nord)にやってきました。ユーロスターは出発30分前までにはチェックインすることを求められています。ネットで予約したチケットは火曜日にこのへんに来た折に窓口で引き出していました。航空券同様にEチケット(送られてくるPDFデータを自分で印刷して持参する)が一般的になりつつあるのに、今回の画面でその選択肢はありませんでした。20083月にロンドン12をやっていて、そのときも同じコースでしたので、だいたいの要領は心得ています。ここ北駅から出る国際特急は、行き先がドイツ・オランダ・ベルギーなどですが、どこへ行くのにも出入国手続きや税関チェックはありません。単一市場をめざした欧州は域内自由通行・自由移動の原則を打ち立ててシェンゲン協定(Schengen Agreement)をむすび、1999年に発効したアムステルダム条約(EUの基本法。現行のものは2009年のリスボン条約)においてこれをEU法に組み込みました。英国は、歴史文化的な問題なのか国防上のことか、入り鉄砲に出女、不法移民にむやみな活動家を阻止したいのか、島国なのをいいことに大陸との往来をチェックする姿勢を固守してきたため、自由通行に関してはEU法の適用除外を求め、認められています。このため英国(とアイルランド)にかぎっては、「統合したから税関とか両替の手間がかからなくてラクだね〜」とはいえない現状。通貨のほうも、ギリシアの問題に端を発してユーロが発足いらい最大の動揺をみせていますから、当分はスターリング・ポンド体制を維持することでしょう。

その出入国手続きも前回経験しているのでだいたいわかります。まず自動改札機にチケットを通し、それからフランス当局の出国審査。シャルル・ド・ゴール空港を含め、フランスの出入国審査はもう形式的もいいところで、フランス語はおろか英語すら話せなくてもパスポートを見せるだけで簡単に通過できてしまいます(旅券の発行国によってはかなり怪しまれると聞きました。今のところ日本国民は信用されているらしい)。2008年のときはそこから角を曲がって英国側の入国審査だったのですが、いまはほんの数メートル先にあるようです。EU市民権をもつ人(加盟国の旅券のある人)はそのまま審査に入れますが、日本人などそれ以外の旅行者は英国の入国カードを書かなくてはいけません。氏名、生年月日、職業、滞在日程、最終出発日とかそんな情報ですね。ところが計算外のことに、マミーは老眼に加えて英語の綴りなどをまったく心得ていないらしく、横から1文字ずつ教えなければならなくて、それでかなり時間を食いました。1950年代に高校を卒業してから英語を使う機会なんてなかったはずだから致し方ないか。まあ英語(外語)教育ってそんなもんだよね。実際に使う機会がなければ「試験をクリアするためのネタ」でしかなくなってしまう。

  9019便は6番線から発車!


入国審査は「ファミリーです」というと2人まとめてくれたので助かりました。女性の係官が明快な英語であれこれ質問してきます。「おふたりの関係は」「母子です」「英国にはいつまで滞在しますか」「明日までです」「帰りのチケットはもっていますか」「はい」「見せてください」「はい」「メモさせてください。東京へはいつ帰りますか」「月曜です」「英国には行ったことがありますか」「私はあります。母は初めてです」「職業はteacherとのことですがどのレベル(学校種)の先生ですか」「ユニヴァーシティ」「ではどうぞ、お通りください」――と、これくらいのやりとりを経て、PARISと書かれた英当局の入国スタンプが押され、ようやく次へ。私の受け答えもところどころフランス語が混じったりしていい加減なのですが、そんなのきっと普通でしょうね。国際法的にはこの先はずっと「英国」というテイで進むわけで、ちょっと微妙な感じ。そのあと荷物検査があり、ようやく待合スペースに出てきました。何やかんやでもう出発15分前になっていて、みんな列車に乗り込んでいます。欧州の鉄道は一部の近郊線や地下鉄などをのぞいて改札がなく、誰でもホームに入れますが、前述の趣旨からしてユーロスターは別格。専用ホームが背の高いアクリル板で覆われていて、上階のロビーからエスカレータで降りることしかできません(帰りはホーム先頭のアクリル板を一時的に開放してくれ、そのまま出られる)。例によって長大編成のため、指定された217号車はいちばん前のほうまで行かなくてはならず、大変よ。

 


乗客のほとんどはもう座席についており、われわれが最後くらいでした。進行後ろ向きの固定座席で、何とかならないのとマミーが訊ねるので、何とかならないんだよ西欧ではと。1等車でも固定してしまうこの感覚には私もいまだに慣れません。車内はたぶん満席。国境越え列車ゆえか各人の手荷物も多めで、2段になっている荷物棚もフルハウスです。われわれは荷物本体をパリに置いてきたので、今回は小さめのバッグ1つずつ。

1013分、ユーロスター9019便は北駅を発車しました。すぐ女性チーフ車掌のアナウンスが入り、最初にフランス語、つづいて英語。不思議なもので異なる言語で2度なぞるとだいたいわかってきますね。「何かございましたら乗務員までお訊ねください」というのが最近の決まり文句になっています。ロンドンまで2時間17分の旅程で、うち1時間ちょっとがフランスの地面を走る区間です。毎度書いているように北部フランスの景観はどこまでも原っぱで変化に乏しく、つまらない。でもマミーにとっては新鮮だったらしく、何が見えたとかあれは何だとか、車窓に見えるあれこれにいちいち反応しています。うーむ、こちらがベテラン化してスレてきたかな? 旗持ちツアーだとユーロスターに乗る機会はまずないでしょうから、そういう意味では「乗りたい」といっていたのが真っ当なのかもしれませんね。リールが近くなると車窓は雪景色になりました。1135分、ユーロトンネル突入。トンネル区間の所要時間は20分で、1055分にイングランドの空を見ました。この間に時計を1時間ぶん戻します。ポーランドからスペインまでUTC+1Coordinated Universal Time + 1h)という同じタイムゾーンに属しているのに、フランスの真北にある英国はプラマイ0UTCを使っているため、時差が出るのね。と、何でも大陸側本位で考えてはいかんか。標準時(Standard Time)というのがそもそも英国(グリニッジ)基準ですもんね。ロンドンからパリ、マドリードを経由してリスボンまで陸路行くとすると、途中でプラス1時間して、スペイン・ポルトガル国境で元に戻すということになります。

 
五輪マークが掲げられたセント・パンクラス駅


イングランド側は高速新線の区間なのでトンネルが多い。アナウンスの順序が変わり、英語→フランス語になりました。工業地帯とか都市郊外のような景観がちらちら見えて、1130分、ロンドン- セント・パンクラス・インターナショナルLondon- St.Pancras International)駅に到着。古い駅らしいのですが2007年のユーロスター乗り入れに際してカサ上げし、上階部分を専用ホームにしています。たっぷり採光できるドーム型のガラス屋根が印象的。すでにパリで英国の入国手続きを済ませましたので、ここは逆流防止だけでスムーズに出してもらえます。4年前に来たばかりだから構造や雰囲気を含めてばっちり憶えており、とまどいはありません。あのときと何が違うといえば、当時は₤1207円くらいだったのに対し今は120円。あの年の秋にリーマン・ショックがあり、それから円が急伸してこうなりました。輸出業者や株・債券類を運用する人はたまらんでしょうが、旅人には超・追い風です(それで気前よく母を呼び寄せたりできた面はありますな ^^)。

 地下鉄キングズ・クロス・セント・パンクラス駅の切符売り場


まずは予約したホテルにチェックインして荷物を置いてこよう。セント・パンクラス、キングズ・クロス(King’s Cross)と長距離便が発着するターミナルが2つ並んでいて、地下鉄(Underground)のキングズ・クロス・セント・パンクラス駅は両者を結ぶように設定されています。宿は幹線系統というべきピカディリー・ライン(Piccadilly Line)で1つ目のところにとりました。これだと明日も手ぶらで観光して帰りがけに荷物をピックアップしやすいですからね。自動券売機が不人気で窓口に行列をつくるパリジャンとは違って、ロンドンっ子(いや、自分たちみたいなヨソモノなのかな?)は券売機に列をなします。ロンドンのやつは日本語を含む主要言語に対応するすぐれもの。中・韓はいまのところないけどそのうちきっと出てくるぞ(笑)。すぐ前に卒業旅行らしい日本の若者が2人いて、後方で待っている仲間のぶんも含めて1日乗車券(One Day Travelcard)を購入しようと話し合っています。ゾーンはどうするか、オフピークを選ぶべきかうんぬんと聞こえたので、「今はオフピークですよ」と教えてあげました。彼氏はやや自信なさげにガイドブックの該当欄を見せ、「オフピークは夕方のラッシュ時をのぞくとなっていますが・・・」といいます。なるほど。でもそんなはずはないですよといったものの、こちらもいうほどロンドン通ではありません(何しろ21世紀の滞在実績3日目です 笑)から見守ることに。券売機にトライした彼氏は「あれ、オフピークの₤7のやつしか出ませんね」。やっぱりそれしか選択肢はないんだよ、大丈夫、大丈夫。ということでこちらも同じものを2枚購入しました。あとでロンドン交通当局のサイトで確認してみると、1日乗車券に関しては夕方の適用除外はなく930分以降終電まで有効、オイスターカード(Oystar Card スイカと同じようなチャージ式ICカード)のオフピーク設定が930分〜16時と19時以降ということでした。ガイドブック業者は、こういうところだけはきちんとつくってほしいですよね。それと、「日本のガイドブック」を根拠に物事を考える習慣はやめましょうね。情報が違っていたときは本が間違っているはずなのに、何だか逆のような気分に陥ってしまいます。ま、古賀も威張れたものでなかったのは、前回の経験から930分以降というアタマでいたため、翌12日もその時間を待って出動したのだけれど、土・日・祝日は全日オフピーク扱いなのでした(いま調べて気づきました 汗)。マミーのほうはさらにトンチンカンで、オフピークをどう聞き違えたのか「オリンピックだから割引があるの?」だって。もしそうなら割高になるんじゃないの?

 
 インペリアル・ホテル


ピカディリー・ラインで1駅目のラッセル・スクエア(Russell Square)駅で下車。卒業旅行君たちは関西の男女5人づれだそうで、この駅近くのホテルなのだそうです。よい旅を。こちらは駅名にもなっているラッセル・スクエア横にあるインペリアル・ホテルImperial Hotel)に投泊。ロンドンは不慣れなので、セント・パンクラスに近いところをとネットで宿さがしをしたのですが、サザンプトン・ロウ(Southampton Row)に面して同系列の複数のビジネスホテルがあり、お値段も手ごろ。パリと違って勝手も利かぬでしょうからツインルームを押さえて、すでにカードで決済ずみです。マミーは怖がるだろうから黙っていたのだけれど、20057月のロンドン同時爆破テロでやられたのが、いま乗ってきたキングズ・クロス・セント・パンクラス〜ラッセル・スクエア間で、逃げ出した乗客たちでラッセル・スクエアは騒然となったのです。同じ区間で何かが起きる確率は低いし、そんなのが怖かったらロンドンはどこにも行けませんね。日比谷線なんかにも乗れなくなってしまいます。ホテルは駅から5分くらい。玄関とロビーがものすごく立派で、レセプションの物腰や言葉づかいも格式ばっているのだけれど、いかんせん建物が古く、外観も内装も昭和40年代の公団住宅みたいだぞ。まあそれでも眼下にスクエア、その向こうに大英博物館の建物が見えて眺望はよく、バス・朝食つき1₤112だからそんなものか。なお、欧州のホテルは日本のように1人いくらではなく1室いくらで価格表示されます。2人づれの旅行は宿泊費が半分くらいになるのでお得といえばいえます。パックツアーで「1人だと割り増し」というのはその関係ですね。

  大英博物館


アーリーチェックインが認められたので、荷物をおいて外に出ました。目の前のラッセル・スクエアを少し見て、その向こう側にある大英博物館(British Museumの前に。ここは入館無料だけど12日だから時間の余裕ないなあ。あす隙間があれば少しのぞこうかね。先ほどのサザンプトン・ロウに戻ると、南行きのダブルデッカー・バスが来ました。ふだん何がどこ行きなんて気にしないし、テキトーに乗って外れればそれも楽しいという人ではありますが、一応マミーの「ガイド」ということになっているのでそうもいかんね。たまたまやってきた91系統の行先表示はトラファルガー・スクエアTrafalgar Square)行きとあり、それならばめざす都心方向だから合格。1日乗車券は地下鉄・バスの両方に効力があります。地下鉄に比べて路線系統を把握しにくいバスは旅行者には敬遠されがちですが、階段の上り下りがないし、駅間距離が短いですし、何より町の様子を見られるのでいいですね。マミーを促して上階にあがりました。ロンドンといえばダブルデッカーのバス(と、ブラックキャブと呼ばれるタクシー)が名物で、それらごと町の景観になじんでいます。目の前を通り過ぎる車体を見たマミーはカメラを向けましたが、実はめずらしくも何ともなく、福岡の西鉄バスと同じくらいわんさかやってくるよ(と思ったものの市街地における西鉄バスの頻度はそんなものではない)。20年以上前に初めてこのバスに乗ったときには、まだ旧型のごっつい車両も走っていましたが、いまはほとんど緩いカーブをまとった新型車になっていますね。土曜日のためか都心部も交通量が少なく静かです。

 
  トラファルガー・スクエアとネルソン像


トラファルガー・スクエアは市中心部のすぐ南にあり、商業地と官庁街の結節点みたいな交通の要衝。トラファルガー(もとはトラファルガル)というのは1805年にフランス・スペインの連合艦隊と戦って勝利したスペイン沖の戦場の名で、ナポレオンはこれで英国侵略の見通しを立てられなくなりました。英艦隊を指揮したネルソン提督はこの戦闘中に死亡し、救国の英雄として尊敬を受けることになります。マミーはといえば、西欧史のいきさつを知っているわけでもなく、ユーラシアを横断した猿岩石がここでゴールしたという話も知らんでしょうから、有名な場所というだけで感激してひたすら撮影。

 ハンガーフォード・ブリッジ(Hungerford Bridge)が見える


ロンドンの見どころといえば、まずはウェストミンスター(Westminster)界隈の諸物件ということになるでしょうね。バスの関係でたまたまトラファルガーに来たので、テムズ河岸をめざしましょう。同類の観光客とおぼしき人がたくさんいます。さすが世界のロンドン。花の都パリに対してロンドンは「霧の都」ながら、きょうは文句ないほどに晴天です。冬の西欧はとにかく曇りやら小雨やらで写真写りがよろしくないのですが、マミーのおこないがよかったんやねきっと。

大勢の観光客がむらがって撮影しているので何かと思えば、真っ赤なマントを羽織った衛兵が騎乗して門前に立っています。クラシックな門を抜けると広大な公園が広がっていました。バッキンガム宮殿方面につらなるセント・ジェームズ・パークSt.James’s Park)ですねこれは。何となく英国の固有名詞では「公園」とか「通り」なんて書かずに「パーク」「ストリート」とそのままカタカナ書きにしてしまいたくなります。例の衛兵がいたところは、いま調べたところ、ホース・ガーズHorse Guards)なるもので近衛騎兵連隊の本部らしい。非常に直截なネーミングではあります。君主の位置づけや歴史文化の違いを承知で申せば、東京の皇居には観光客にとっての「絵(写真)になるもの」が少ない気がします。衛兵というのは無理にしても、皇宮警察あたりで何か演出できないかな?(無理か)

 
ホース・ガーズとセント・ジェームズ・パーク


*この旅行当時の為替相場はだいたい1ポンド=123円くらいでした

PART 2へつづく

この作品(文と写真)の著作権は 古賀 毅 に帰属します。