Vers les capitales de Habsbourg…

PART1 音楽の都へ行ってみよう

 

 


1770
年、16歳のマリ・アントワネットは生まれ育ったウィーンを離れ、フランスの王太子ルイ、のちのルイ16世の妃となるため、パリ西郊のヴェルサイユに向かいました。西欧史の17世紀、そして18世紀は、神聖ローマ帝国の皇帝を輩出するオーストリア王家のハプスブルク家と、新たな普遍帝国への野心を剥き出しにしたフランスのブルボン家との対決を軸に展開しました。オーストリアのマリア・テレジアに、2世紀にわたる怨敵ブルボン家に末娘を嫁がせる決断をさせたのは、北辺の田舎大名と侮っていたプロイセン・ホーエンツォレルン家の強大化でした。マリア・テレジアの王位継承に異議を申し立てて侵入したプロイセンは、オーストリア国家経営上の要地であったシュレジエンを最終的に奪います。新たな敵の出現を前に、積年の敵と同盟を結ぶ。外交とは時にそのようなものでしょうし、18世紀の欧州といえばまさにそうした近代的な「国際関係」が本格的に始動した場面でもあったのです。

 ウィーン国際空港に着いたAF1738便
 「こうもりポルカ」(ヨハン・シュトラウス2世作曲)の楽譜が出迎える国際空港


もうずいぶん長いこと欧州のあちらこちらを歩いていますが、私もいつの間にか、マリ・アントワネットが1793年にパリのコンコルド広場で亡くなった年齢をかなり上回りました。アンシャン・レジームの民衆の苦しい生活はよく聞くけれど、王族っていうのもまた大変だったんだろうなあ。マリさんは馬車か何かでパリに向かったに違いありませんが、私はエールフランスのエアバスA320で、シャルル・ド・ゴール空港からウィーン・シュヴェヒャート国際空港Flughafen Wien-Schwechat)へ、花の都から音楽の都へと、彼女とは逆向きに、わずか2時間弱のフライトです。英国とアイルランドをのぞくEU各国(非加盟のスイスなども含む)は域内自由通行を認めるシェンゲン協定を結んでおり、いったんどこかの加盟国で入国審査を受ければ、EU域内は「同国内」の扱い。したがってパリ→ウィーンというのは国内線扱いになって、出入国審査や税関検査などの面倒はいっさいありません。ぬるいインスタントコーヒーともったりしそうなサンドイッチ(もらわなかった)と、エールフランスの機内サービスは相変わらず色気がない。ま、でも、国内線で福岡に行くくらいの感覚で移動しているわけだからこんなものか。

そんなわけで、世界史の教科書で欧州に強烈な関心をもってから27年、実際に足を運ぶようになってから14年くらいで、201394日に初めて欧州の古都というべきウィーンにやってきました。ウィーンというのは日本語の慣習読みで、ドイツ語ではィーン(Wien)、英語ではヴィエナ(Vienna)、フランス語ではヴィエンヌ(Vienne)と例によってどう表現したものだか迷いますが、濁点だと誤植だよといわれそうなのでウィーンにしておきますか。滞在中はひたすら英語を話しているので、実際にはヴィエナで通しています。

 ホテル・ヴィエナ
 

空港から市内まではSバーン(S-Bahn 郊外線のことで、首都圏のJR各線のようなイメージ)のS7が通じています。ノンストップで市街地のミッテ(Wien-Mitte)駅に直行するシティ・エアポート・トレインもあるのだけど、そちらは料金が高いですし、私の目的地はミッテを通り越したS7のウィーン・プラーターシュテルン(Praterstern)駅なので、S7利用が当然でしょう。自動券売機でチケットを購入(€4.20)。空港アクセス線の沿線は、畑地のほか工場や草ぼうぼうの用地みたいなところがつづく一帯で、首都郊外にしてはのんびりしています。くたびれたような車両の各駅停車で、30分弱で都心まで運ばれます。車窓から見えるウィーン市街地はこれまでドイツ各地で見たのと同じような印象でしたが、ミッテ駅を越えるとまたぐんと郊外っぽくなり、ほどなくプラーターシュテルン駅に停車。プラットホームが広々としていて拠点駅には違いありませんけれど、この時間の乗降客はほとんどなく本当に「郊外」やな。今回の宿泊先はネットで事前予約しました。例によって英語の情報サイトなどを比較検討しながらまずまずのところを選び、そのサイトからではなく、ホテルの公式サイトに飛んで、お得な宿泊プランを申し込んでいます。個人旅行だとこのやり方がいちばんよいと思う。プラーターシュテルン駅から徒歩5分程度のところにホテル・ヴィエナHotel Vienna)がありました。われながらずいぶん「ど真ん中」のネーミングの宿を選んじゃったね! でも立地は思った以上に都心から離れた住宅街で、そこはしくじったかもしれない。ウィーンの市街地はリンクRing)と呼ぶ環状道路の内と外とで格が違うらしく、このへんはかなり外れていて、東京でいえば、津田沼とまではいわないが本八幡あたりまで来ちゃった感じですね。3泊朝食つき€230なので、首都だとそんなものか。中はよくあるビジネスホテルのしつらえ。2階(日本式にいえば3階)の部屋を充てられました。気のせいかもしれないけど、これまで方々歩いてきて、フランスやイタリアやポルトガルのホテルはベッドが幅広で、ドイツ界隈は日本のビジネスよりどうかすると狭いような印象です。ここも狭いですね。ゲルマン系のほうがデカいような気もするのですが。

 QBB(オーストリア鉄道)のプラーターシュテルン駅
 
(左)72時間チケット 小さく英語・フランス語も添えてある  (右)チケットの刻印機(青い装置)


荷物を置いて、洗面だけしてまたすぐ外に出ました。カギを預けたら、レセプションのおねえさんが都心方面へのアクセスを英語で説明してくれました。もらった地図がちゃちいのであまり参考になる情報ではないのだけど、要するにプラーターシュテルンからUバーン(U-Bahn 地下鉄)のU1で都心に直行できるということね。歩くならまっすぐ20分ほど、途中にヨハン・シュトラウス2世の旧宅があるようです。このほかに、先ほど乗ってきたSバーン、トラム(路面電車)もあります。いまはお勧めに沿ってUバーンに乗ろう。毎度おなじみのパターンながら公共交通乗り放題のチケットを購入。自動券売機では24時間チケットのほか48時間、72時間のも売っており、私は34日なので72時間のやつ(72-Stunden-Wien)を€15.40で求めました。けっこう安いですね。

 シュヴェーデンプラッツ駅付近


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駅目のシュヴェーデンプラッツSchwedenplatz)で下車。ここはリンクの北辺で、ドナウ運河(Donaukanal)に接しています。都心部の隅から中心へ向けて歩こうと思ったのと、2日後の金曜日にちょうどこの付近から出るブラチスラヴァ行きの船を予約しており、その乗り場を確認しておこうと思ったからでした。船着場のほうはばっちりわかりました。それにしてもずいぶん庶民的な感じの界隈です。地上に出てくるとトラムの電停があり、そこに面した広い歩道にはインビス(Imbissstand 軽食スタンド)がいくつも建っていて兄さんたちがビール飲んでいるし、縁日の屋台みたいなのもずいぶん出て賑わっていました。古着から野菜からよろず商っているようです。ここに関しては観光地のノリではないな。

  ローテントゥルム通り


しかし都心方向へ向かうローテントゥルム通り(Rotenturmstraße)に入ると、見慣れた感じの「都会」になりました。ここは中心市街地の「裏口」であることを承知しており、そういわれればそのように見えてきます。水曜の夕方ですがかなり人通りもあります。道なりに10分くらい歩くと、名高いシュテファン大聖堂Stephansdom)の後陣が見えてきました。その周辺がシュテファン広場(Stephans Platz)で、まあ人の多いこと。観光客とビジネスマンと地元の買い物客とごたまぜになっています。地図によればこの付近がウィーンのど真ん中。なるほど四方八方から人の波が押し寄せてくるなあ。大聖堂の尖塔に登れる時間はもう過ぎていたので、内部の拝観だけでよしとしましょう。中世後期、12世紀ころ建設がはじまったたいへん古い寺院で司教座が置かれています。当初はロマネスク様式だったそうですが14世紀ころゴシック様式に造り替えられました。音楽ファンには神童モーツァルトの葬儀がおこなわれた場所としても知られていますね。音楽の都というだけあって、何かというとVIP級の音楽家の名前が登場します。不肖わたくしもその昔(小学生ころ)にはピアノソナタハ長調K545を弾けたもんですが、いまは1小節も無理(涙)。今朝はパリのノートルダムに行ってきました。1日のあいだにメジャーなカトリック建築2軒を回れるというのはいいなあ。と、ミーハーな観光客みたいな感想。

 シュテファン大聖堂
  

  シュテファン広場


いま歩いているシュテファン広場は、リンクのちょうど真ん中、ウィーンのセンターのセンターというべき位置にあります。いわゆる目抜き通りはそこから南に向かうケルントナー通り(KärntnerStraße)と、西に伸びるグラーベン通り(Graben)で、ともに歩行者専用の広い道路です。有名ブランドを含む各種ショップの路面店が建ち並び、人の出入りもかなりあってにぎやかなことこの上ありません。夏場の欧州ではおなじみのことに、カフェやレストランなどの飲食店は路面に仮設した席に中心を移して営業中。いずれも日よけのテントがあって、常設に近い本格派です。銀座の歩行者天国だといかにも仮設なんですけどね。まだ日が高いのだけど、みんなビールやワインのグラスを手にわいわいやっていて、どのテーブルもほぼ埋まっています。

何となくグラーベンのほうへ歩いてみました。由来はよくわからないながらペスト記念柱(Pestsäule)なるモニュメントがあります。中世末期に全欧を恐怖に陥れた黒死病のからみだと思いますけれど、その祟りか、旅先の疲れなのか、すこし頭痛がしてきました。2月のパリでは風邪を引いて発熱してしまったので再来を恐れましたが、寒気とかはありません。ウィーンに到着したその日でもあるのできょうは無理をせずにあとちょこっと歩いて引き返そう。グラーベンの突き当たりにスーパーが見えたのでミネラルウォーターのペットを2本購入。水分補給しておきませんと体調に障ります。

 ペスト記念柱
  音楽パフォーマンスあれこれ

グラーベンには何組ものパフォーマー(主に若者)が出て路上で演奏しています。弦楽器、管楽器、民族楽器、電子楽器も含めて実に多様。音楽の都ですなあ。喧騒というほどではないが、わいわい、ざわざわという「にぎやか」な音が町の景観を彩っていて、パフォーマンスの音もそこに混じり込んでいるようです。ゆったりとしたベンチなども置いてあって感心。何を見たいという当てもないので、しばし座って様子を眺めました。パリのシャンゼリゼ、ロンドンのリージェント・ストリートといった中心商業地のにぎやかさに通じるものはありますが、決定的に違うのは自動車と歩行者の道路を分離していて、いま視野の中に自動車が入り込んでこないということです。欧州の都市にはこのような町づくりをしているところが少なくありません。

ウィーンに行きますといったら、いいなあという人と、あそこはちょっとという人が経験者の中では半々くらいでした。クラシック音楽好きの人にとってはまさしく「都」でありますし、それにまつわる見どころも多いので、居心地のよさを感じるのでしょう。ウィーンはどうもねえ、という反応が何に由来するのかはまだよくわからないですけど、この中心部を見るかぎりだと「大都会すぎる」かもしれません。欧州屈指の大都会なのでそれはそうなんですけどね。石畳(ふう)の道と、石造り(ふう)の建物、そして静かな装い。そんな欧州を想像していると、たしかにここはにぎやかすぎます。都会育ちで田舎の苦手な私にとっては好都合な感じではあります。

 フェラガモ、グッチ・・・ 有名ブランドのならぶコールマルクト


グラーベンから少し折れると、コールマルクト(Kohlmarkt)に出ます。マルクトというのは「広場」の意味なのですが、どうしたことかこれは普通の道路。欧州のあちこちでこのパターンは見てきましたので驚きません。かつては本当に広場だったか、拡大解釈されたか、そのような機能をもっているのか、そんなことでしょう。昨冬に訪れたプラハ新市街のヴァーツラフ広場(Václavské náměstí)も「幅広の道路」でしかないという印象でしたけど、1989年の民主革命に際しては数万人が埋めつくして体制転換を叫んだわけで、人々が集まるところこそマーケット(マルクト)なのだということはできそうです。コールマルクトには、ルイ・ヴィトン、フェラガモ、グッチなどの路面店があって、上品なショッピングゾーンの機能をもっているようです。

コールマルクとの先はミヒャエル広場(Michaelerplatz)。大天使ミカエルの名を冠するこの場所は、ウィーン屈指の見どころである王宮Hofburg)のエントランスに面しています。この反対側、リンクに面して広い庭があるので、どちらが表で裏なのかははっきりしません。地図を見れば、王宮とその付属地だけでリンク内の何分の1かは占めているようです。ただ、これほど都心の商業地にくっついた宮殿というのはあまり見たことがありません。ロンドンのバッキンガム宮殿は商業地とグリーン・パークの緑地などを隔てていますし、デン・ハーグのオランダ国王宮殿(ハウステンボス)は「森の家」の名前どおりどっぷり森林の中に所在します。東京の皇居も、お堀や内堀通りなどで市街地とはかなり隔たっていますし、その外側も大手町のビジネス街などであって、決して商業地ではありません。ウィーンの場合、きょう歩いた範囲で観察したかぎりでは、町が思った以上にぎゅっと凝縮されています。また、いま歩いてきたリンク内部も、そもそもは王宮に付随するものだったのが、近代に入ってから商業地に化けたのではないかなと思う。前述した例との違いは、オーストリアは1918年に皇帝が退位してから世襲君主が存在しなくなっていて、ここの王宮も今は「遺蹟」でしかないということですね。そういえばフランス共和国の首都にもブルボン宮(現・国民議会下院議事堂)やパレ・ロワイヤル(直訳すると「王宮」ながら現在は小さなショッピングセンターになっている)など、商業地ともろに隣接する旧宮殿があります。

 
(左ミヒャエル広場からみた王宮 (右)中庭からみた新王宮(Neue Burg) 何かのフェスタが数日後に開催されるらしく、舞台装置などがセッティングされていた


王宮見学は明日を期することにして、中庭あたりをぶらぶら散策。王宮の入口付近には、白いくるくるのカツラと赤い楽隊の衣装みたいなのを身につけた兄さんが何人もいて、バインダーに綴じたパンフレットを見せながら、チケット購入を勧誘してきます。「あすここで開かれるコンサートですよ。ウィーンに来たのならこれを聴かなきゃ」みたいな内容を英語でいうわけですね。この王宮に入っている礼拝堂(Burgkapelle)の日曜ミサは有名で、かのウィーン少年合唱団が歌うというのでなかなかチケットは取れないそうです。あまり詳しくないのだけど、音楽の都においては大小さまざまなコンサートが開かれるので、それに関するセールスもまたすごい。赤い兄さんたちは町のあちこちに出現して活動?しています。どれがまともなやつで、どれがインチキなのかを見分ける能力も、意思も、今のところ私にはございません。音楽の都で本場の音楽に触れたいという目的でいらっしゃるなら、詳しい人にあらかじめ取材して、どのルートならちゃんとした音楽を聴けるのかを調べないとだめですよ。ダフ屋に変なチケットを買わされたという苦情もずいぶん目にしているので。

 リンクを走るトラム 電停にインビスが複数出店しているのがおもしろい


リンクを越えた先にはマリア・テレジア像などの見どころもあるのですが、それも明日。リンクを走るトラムに2駅乗って、オーパー(Oper)電停で下車しました。シュテファン広場からケルントナー通りをまっすぐ南下すればここに出てきます。オーパーというのはフランス語でいえばオペラ(Opéra)で、かの国立オペラ座Staatsoper)の目の前でした。パリのオペラ座は2日前の月曜に裏側を通り抜けました。ウィーンのオペラ座も、ひとまず内部に用事はなく、いまは目の前をスルーしてごめんなさい。もう18時を過ぎているので入場を待つ人や例のセールス兄さんたちもみられませんでした。ケルントナー通りを北上すると、こちらもにぎやかな歩行者専用道で、高級ブランドというよりはカジュアルなショップが目立ちます。マクドナルドやスターバックスなどのファストフード、H&Mなどのファストファッションは、いまや欧州のどこで見ても当たり前すぎて、驚きも感慨もございません。そうそう、ドイツに行ったとき、マクドナルドよりもバーガーキングのほうが多いんじゃないかと思いましたが、ウィーンでもそんな気はしました。また、ソーセージやピザ、そして生ビールなどを供するインビスが、目抜き通りのあちこちにあります。フランクフルトやベルリンではたぶんそんなことはなかったと思うので、ウィーンならではの景観なのでしょうか。トラムの屋根つき電停にも普通にインビスが入り込んでいて、いいにおいを漂わせています。

そろそろ日が落ちて暗くなってきました。オーストリアはいわゆる西欧標準時のゾーンに属します。東のポーランドから西のスペインまでを包摂するゾーンで、グリニッジ標準時からは1時間早く、サマータイムだとさらに1時間早まります。日本との時差は夏場でマイナス7時間。同じゾーンに属するパリは、21時くらいまで余裕で明るいのですが、ウィーンはかなり東にあるため暗くなるのが早いですね。いま地図を見たらパリからは経度にして15度くらい東。経度15度といえば360度÷24の商ですから時差1時間にまるまる相当することになりますもんね。

気のせいかな、収まるかなと思っていた頭痛がなかなか止まないので、暗くなってきたこともあり、いよいよ切り上げなければ。これからレストランを探して美味なるものを食べようとすれば、また時間がかかりますし、この健康状態ではせっかくの食事がうまくないかもしれない。こういうときは知っているところにかぎります。ドイツのシーフード・レストランのチェーンであるノルトゼー(Nordsee 北海の意味)が都心部にいくつもあるのは散策の途中で気づいていましたので、その1軒に入りました。カフェテリア方式で、メインの魚介と付け合わせを指さして注文すればよいので、旅先でのおもしろさには欠けるものの、ラクではあります(たいていの店舗でサンドイッチなどのテイクアウトもやっています)。数名の中国人観光客が注文の作法をわからないらしく、店員とトンチンカンなやり取りをつづけている横を通り抜けて、当方はマスのムニエル(Lachsforellenfil €8.65)に付け合わせのパエリア(Paella-Beillage €4.10)を難なく発注。付け合わせとはいえ、これだけコメを食べれば主食にもなろうてなものです。せっかくドイツ語圏に来たことだし、体調いまいちでも1杯くらいなら大丈夫だろうというので、small draft beerといったらZipfer0.3リットル入りのグラスが供されました。〆て€15.50。まだ頭が痛いものの食欲には支障なく、大き目のマスのピースもさくさく胃に入っていきました。パエリアには小エビ、イカ、白身魚、グリーンピース、カキの小さなやつまで入っていて、これだけで一品料理ですよね。美味美味。ビールはごく普通のピルスナー系でした。中国人たちはテイクアウトだったのかいつの間にかいなくなっており、入れ替わりに何組もの客が訪れますが、移民とおぼしき店員さんはひたすら訛りの強い英語で応対しています。

 


都心のど真ん中にあるシュテファンプラッツ(シュテファン広場)駅からUバーンに乗って、19時半ころホテルに戻りました。2時間くらい眠ったら頭痛も解消されていたので、0階のレセプション裏にあるホテルバーでウェルカムドリンクのサービスを受けることに。ドリンクは何でもよいというのでビールを頼み、そのあと赤ワインを追加。頭痛をこじらせて今後の旅程に差しさわりがあってはおもしろくないので、ひとまず治ってよかったです。それはいいのだけれど、部屋に戻ってどきっとしました。こういうビジネスホテルなのだから当然オートロックになっていて、ドアを閉めれば施錠されるのだと思い込んでいたのに、どうやらそのつど外側からカギを突っ込んでロックしなければならないらしい。小さな民宿風の宿なら初めから警戒したでしょうが、それなりの規模なので油断していた! 幸い、何者かが侵入した跡はありませんでしたが、外国では「常識」の感覚がズレることがしばしばあるので、やっぱり注意しておかなければいかんですね。

 

*この旅行当時の為替相場はだいたい1ユーロ=132円くらいでした

PART 2へつづく

この作品(文と写真)の著作権は 古賀 毅 に帰属します。