電波塔の展望台からさらに階段の道を進んだところに、少し広くなっている箇所があり、眺望の案内やベンチが置いてありました。どうやら標高912mの頂上に達したようです。空気は若干ひんやりしていますが、寒いというほどでもなく、山道を歩いてきたのでちょうどいい感じ。まだ朝の10時前、だーれもいないので叫んでもわめいても問題はなさそうです(叫びはしないけど)。頂上には御影石のファサードをもつ小さな教会が建っていました。サン・サルヴァトーレ教会(Chiesa di San Salvatore)で、由緒書きによれば創建は13世紀に遡る由。いまの建物は19世紀のようですが、中世後期にこんな急峻な山の上に教会を造ったとすれば、信仰の力か、政治・軍事的な執念か。無人の礼拝堂に入って、いつものように世界平和と魂の救済を祈念しておきます。小さいけど明るくていい雰囲気の教会ですね。
サン・サルヴァトーレ山頂


サン・サルヴァトーレ教会 「展望台」の矢印をたどっていくと・・・
教会から出てきて、実にすばらしい景観をしばし堪能します。さて、教会の周囲をぐるりと回って、さきほどの電波塔の側を見ておくかなと思ったら、教会の壁にTERRAZZA PANORAMICAの掲示があります。イタリア語は不案内ながらこれくらいならフランス語からの連想ですぐにわかる。「展望テラス」ですよね。矢印は教会の勝手口のようなところに向けられているので入ってみると、階段で屋根裏のようなところまで進み、その先は表に出て、非常階段のように壁に取りついています。生来の高所恐怖症なのでなるべく下を見ないようにしてさらに登ると、何と教会の建物の屋上に出ました。一辺5mくらいの小さなテラスながら、まさにここがサン・サルヴァトーレ山の真のサミットでした。仁和寺のお坊さんの失態ほどではないにせよ、ここまで来て屋上に上らずに帰ってしまうところで、危ない危ない。前に述べたように、ルガーノ湖は山のあいだに切り込むように複雑な形状をなしており、ここから見るとその広がりがよくわかります。いやいや、ぜひものですよん。

教会横の心細げな階段を上っていくと・・・ 屋上に出た!

北側(湖の左奥がルガーノ旧市街、湖面を右奥に進むとイタリア領)

南側(鉄道・道路橋を渡った写真左の対岸も少しだけスイス領 山の切れている向こう側がミラノ方面)

北西側(ザンクト・ゴットハルト峠方面)

西側(マッジョーレ湖、ロカルノ方面とアルプス)
しばらく屋上に滞在して、もうこれ以上に高い場所はなさそうなので、下りてきました。こうなってくると町歩きでも何でもなくなってきますな(汗)。湖が切り込んでいるといいましたが、見方を変えれば、いまいるサン・サルヴァトーレ山はルガーノ湖に突き出した細長い半島の付け根(伊豆半島でいえば熱海的なところ)に位置します。半島を南からぐるりと回り込んで湖面を西側(沼津的なところ)に進めば、ルガーノ空港があるようです。普段から地図を眺めていないと、方向感覚が狂ってしまいそうです。

カローナまで1時間20分、パラディーゾまで徒歩だと1時間35分の由
さて大いに満喫したので下山することにしましょう。上の駅裏の展望台まで降りてくると、ようやく人間(複数)に出会いました。欧米人の観光客のようです。どうもこんにちは。普通の人はゆっくり出てきて、早くても10時前後のケーブルカーを利用するでしょうね。9時の口開けという当方が早すぎるだけで。上の駅に面して、レストランとペンションがありました。レストランの裏手あたりに無料の清潔なお手洗いがあったのでお借りしておきます。
かくて10時半ころ上の駅から下りのケーブルカーに乗ります。今回も最前部のふもと側に陣取りました。前述のような経緯とケーブルカーという乗り物の性質上、この時間に下る人というのはまずいないわけで、車内にいるのは車掌と私と、ハイキング・スタイルをした60歳くらいのおじさん。車掌さんと何やら楽しそうに会話していたので地元の人かもしれません。上りを経験したので新鮮な驚きはもうありませんが、急斜面を、しかしそれほど「踏ん張っている」感じもないまま下っていくのはすごい眺めです。中間駅に着くと、おじさんは隣の車両に乗り換えず、並行する登山道を歩いて下りはじめました。ここからだと登山道が整備されているのか、誰でも無理なく下りられるのか。やがて下段のケーブルカーが動きはじめ、おじさんを追い抜きました。おじさんが振り向いたので手を振ったら、にっこり笑って応えてくれましたよ。

おじさんは中間駅で下車して、元気に徒歩で下っていきました・・・

ふもとから山上の電波塔を見上げると、かなりの急斜面であることがわかる
やがて町並みが近くに見えてきて、国鉄の線路を渡り、下の駅に到着。こんなにすごいケーブルカーに乗ったことはなく、しばらく語り草にしよう。昨夕のふらふらで、柄になくリゾート地に紛れ込んで失敗したかなと思ったところではあるのですが、この朝の登山?とケーブルカーでルガーノの印象がとたんによくなりました。たしかにイタリア語圏ではあるものの、展望台から眺めた感じはやっぱりスイス。欧州のど真ん中にある国ですし、他にも見どころがたくさんありそうなので、また来ることになるでしょう。今回はロマンシュ語圏(サン・モリッツなど)にかすってもいませんしね。

けさ見つけたホテルのはす向かいのチョコ屋さんに行ってみたら、Paticceria, Panetteriaとあったので実はケーキ屋さん兼パン屋さんだった模様。でも入ってみたらチョコが最前列に並んでいて、やっぱりチョコ屋さんだと思う。ブォンジョールノ!(こんにちは) 品物の表示を見ると、この店内でつくったものらしく、それなら何よりのお土産になりそうです。イタリア語圏のスイスなんて普通の日本人にとっては優先順位が高くないでしょうからね(といいつつ、ここのチョコをプレゼントしたのはいずれも欧州経験の長い研究者さんでした)。スイスフランって、紙幣はともかくコインが面倒で、すべての種類が銀色、それにしては大きさや厚さが額面と釣り合っておらず、レジで「○○フランです」といわれてもなかなか上手に取り出すことができません。しばらく滞在すれば慣れることでしょう。思い返せば、フランスフランの感覚を身につけるまで10日くらいかかったし、ユーロ導入でそれがいったんチャラになってしまい、またしばらくかけてお金の感覚を身につけました。ユーロは便利。たいていの国で使えるので、そのつど「これはいくらだから、このコインを組み合わせて・・・」とか考えなくていいですから。
前夜調べたタイムテーブルによれば、パラディーゾ駅を出てスイス最南端のキアッソに向かう普通列車は毎時06分と36分発。所要26分でキアッソ着が02分と32分です。キアッソからミラノ行きの12時08分急行があったので、11時06分に乗ればキアッソで切符を買うゆとりもあることでしょう。いったんホテルの部屋に戻り、荷物をまとめて10時40分ころチェックアウトしました。価格帯とか地域の問題はあるでしょうが、これまで欧州のホテルで英語が通じなくて困ったということはありません。「ルガーノはいかがでしたか、またぜひおいでください」と、若い男性ホテルマンが丁寧にいってくれるので、とてもよい町でした、また来ますと応答。グラッチェ、アリヴェ・デルチ(ありがとう、さようなら)。

キアッソ行き普通列車が入線 車体のすこし上にケーブルカーの鉄橋が見える
ルガーノ・パラディーゾ駅に向かって坂を登るのは今回が初めてです。かなりの急坂なのでキャリーバッグを引くのもけっこう大変。昨日2回利用したのと同じ、南行きの1番線ホームに着きました。先客はなく、のんびりとした空気が流れています。それでも自動券売機とか監視カメラはちゃんと作動中で、何ならどこかの駅(たぶんルガーノ)と会話しながら切符を買うこともできそうです。パスをもっているので切符は不要ですが、キアッソからミラノまでのを買えるかなと思って、ちょこちょこ触ってみたものの、よくわからずに断念。そのうち若い女性の2人づれがやはりキャリーバッグを引いて現れ、ほどなく11時06分発のキアッソ行きローカル列車がやってきました。
ルガーノ湖畔を走る
キアッソ駅
半分くらい座席が埋まる感じの乗車率で、観光客らしき人はさほど多くなく、国境周辺だというのに地元の人の流動がけっこうあるようです。国境ちかくかどうかは関係ないといえばないですけどね。列車はサン・サルヴァトーレ山の東の裾あたりを、ルガーノ湖すれすれに走り抜け、メリーデ(Melide)という小さな集落に停車しました。その先でルガーノ湖を渡ります。山頂から見たときに、湖面を横切る橋の印象が強く残っていたのですが、鉄道と道路が並行して通る橋梁でした。対岸もまだスイス領。ただし、その少し北側、パラディーゾの対岸あたりに、カンピョーネ・ディタリーア(Campione d’Italia)というイタリアの飛び地があります。ナポレオン時代のちょっとした境界変更のいきさつがきっかけで、スイスではなくイタリアに編入された場所で、イタリア領なのにスイスフランが主に使用され、関税特区に指定されていることからカジノなどの観光で収益を得ているという地区です。11時32分にスイス最南端の町キアッソ(Chiasso)に到着。
国境の町といってもさほど大きくありません。改札を出たところに小さなコンコースと売店、そして切符売り場がありました。切符売り場にはけっこうな列が。持ち時間30分強なので余裕かなと思っていたけど、欧州の行列というのはなかなか進まない(譲ろうとか急ごうという発想が係にも客にもない 笑)ので、けっこうぎりぎりになるかもね。ミラノまでは非常に近いし、別に先を急ぐわけでもないので、今回も成り行きまかせ。並んでいる客を整理しているのは、どう見ても少年だよなあ、鉄道マンの制服がどうもしっくりきていなくてこども店長みたいだなあと思っていたら、カウンターで発券業務をしている2人も、ローティーンくらいの女の子。背後にプロとおぼしきおとなもいるので、もしかすると職場体験学習的なやつなのかな? そうだとしても私たちの感覚では発券業務なんてやらせないですよねえ。機械の操作に加え、地図だけでなく鉄道のルールもある程度は心得ていなくてはならないはずで、よくこんなことをさせられるなと妙に感心。10分くらい待ってようやく自分の番が来ました。その中学生?は金髪の美少女で、将来が楽しみです(何が 笑)。――次のEC、ミラノ・チェントラーレまでのシングル・チケットを1枚。スイス・パスをもっているのですが、これはこの駅までで終わりですよね? 「はい、ここからの切符が必要です。片道CHF18です」と、女の子は淀みのないきれいな英語ですらすら答え、タッチパネルをささっと叩いて、ものの見事にチケットを出してくれました。


キアッソ駅 スイス方面(per la Svizzera)とイタリア方面(per
l’Italia)が明確に分離されている
4日間有効のスイス・パスは、きょう1日は使えるのだけど、これで終了。最も長距離だったベルン→ルガーノが通常運賃でCHF80なので、手数料なんかを上乗せされたぶんを差し引けば元を取れてはいないことでしょう。ま、ただ、いろいろ悩まずに乗り物を使えるというのは気分的にずいぶん楽で、用意してきてよかったのではないかな。ここまでお世話になったスイス国鉄(SBB/CFF/FFS)は、正確なダイヤと頻発ダイヤ、そして内装のきれいな車両で、鉄道旅行の好きな人ならぜひものといえます。日本のローカル線なんか、新幹線網が伸びるのと引き換えにすっかすかになってしまったものね。学生時代には国鉄/JRのワイドorミニ周遊券(一定範囲のJR線に乗り放題+出発地からの往復 1998年廃止)を駆使して、北海道から九州まで乗り歩いたものですが、夜行列車はなくなり、普通列車は削られて、いま同じことをしようとしてもうまくいかないことでしょう。種村直樹さん一門の鉄道おにごっこ(エリア内で追いかけっこする集団遊び)など、本を読んでいて楽しそうだなあと思っていたものですが、スイスでなら現在でも実行できそうですし、眺めもいいのでおもしろいかも。
*小中学生だった私に、著作を通じて鉄道旅行の愉しさと切符など鉄道知識の基本を伝授してくださった種村直樹さんは、2014年11月6日に逝去されました。心よりご冥福をお祈りいたします。
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