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PART9

 

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ルガーノ(伊・独 Lugano)/リュガーノ(仏 Lugano
  スイス連邦                                                                   

 

定刻にルガーノ行きICNが入線しました。ICNというのはスイス国鉄独自の種別でIntercity Neigezugの略称だそうです。帰ってから独和辞典で調べると「傾斜式車両」という感じの訳になるのかな? 日本でいうところの振り子式車両(カーブに差しかかるとコロの原理で車体が内側に傾斜し速度を緩めずに走行できる。中央西線の特急用電車やJR北海道の特急用気動車などで採用されている)なのでしょう。RABDe500系という専用車両だそうで、フランスやドイツのように高規格の新線をネットワーク化するのには財政的な限界があるため、在来線をできるだけ高速で走る車両を開発したということのようです。日本ではそういうコンセプトを「スーパー特急」といったりしますね。乗り込んでみると、ごくごく普通の特急車両ながら、TGVICEよりもゆったりした印象。乗客が少ないせいかもしれません。私の乗った車両には10人前後しかいなかったような・・・。

自由席なので、当然のことに(欧州ではさほど当然ではないことに)進行方向の窓際に座ります。1130分に発車すると、しばらく田園地帯を疾走。けっこうな頻度でローカル駅があるのがわかります。セメント工場なども見える平原を走り、いったん人家のある景色が切れ、正午が近づいたころ急に「町の中」に入ってきました。ルツェルン市内か郊外に入ったのでしょう。

 
ICNでスイス南部のルガーノへ


「町の中」はけっこう広いらしく、車輪をかなり転がしてから、ようやく複雑な分岐器が連続する駅構内に入りました。1206分、ルツェルンLuzern)に到着。ルツェルン湖(Vierwaldstättersee)の西端にある都市で、昨日訪れたトゥーン湖とトゥーン市の位置関係と同じ。私たちはルツェルン湖といっていますが、ドイツ語のフィアヴァルトシュテッター・ゼーの原義は4つの森の国の湖。「四森州湖」などと漢字表記しているガイドブックもあります。ここルツェルンはドイツとイタリアとを結ぶ交易の一大拠点で、ゆえに台頭しつつあったハプスブルク家にねらわれ、これを阻止して自治を守ろうとした市の政府は1332年、ウーリ、シュヴィーツ、ウンターヴァルデンの永久同盟(「スイス連邦」の原点である誓約者同盟)とのあいだに攻守同盟を結びました。1291年に結ばれた永久同盟の3地域はいずれも農村カントンなので、41年後に初めて都市カントンであるルツェルンと同盟することで、周囲の「国家」に比肩する存在へと飛躍していくことになったわけです。したがって、歴史的にみればベルン、チューリヒ、ジュネーヴ、バーゼルなどの都市カントンよりも先に「スイスの中心」としての役割を果たした場所ということに。

時間のゆとりがあればルツェルンにも立ち寄ってみたかったんですよねー。行き止まり式になっているホームの先を抜ければ、すぐ湖畔の旧市街が広がっているので、乗り換えを2時間くらい見て歩くくらいでもよかったかもしれない。スイスの町はどこで降りても楽しそうです。1218分、列車は逆向きに動き出しました。地形というより、旧市街に直結するためにわざわざ線路を突っ込んでいるため、このようなスイッチバック式になってしまうようです。列車は徐々に標高を上げ、ヤギの牧場などが広がる景色の中を軽快に走ります。1235分ころ、左手にきれいな湖が現れました。これはルツェルン湖の1つ北側にあるツーク湖(Zugersee)。ほんと、日本なら一流の観光地になりそうな景観がそんじょそこいらにあるのがスイスです。1244分、山間の町アルト-ゴルダウ(Arth-Goldau)着。ここでチューリヒから南下してきた路線に合流します。これから通る路線は南北の大幹線で、ザンクト・ゴットハルト峠を越えイタリア北部とを結ぶ中世からの街道に沿います。このラインをめぐる神聖ローマ皇帝と地元の自治勢力との葛藤がスイス連邦の端緒をなしたわけですけれど、アルト-ゴルダウは原初の永久同盟を構成したシュヴィーツ・カントンに属します。その先の車窓は明らかに「山間部」のそれに代わりました。進行左手には絶壁の山が迫り、やがて右手に湖(ルツェルン湖の東端)が見えますが、湖岸は切り立った崖のようになっていて、鉄道はかなり高い位置(山肌)を走っているらしい。1305分ころフリューエレン(Flüelen)を通過。見たところ湖岸の小さなリゾート地のようです。ここは永久同盟の1つ、ウーリ・カントンに属します。車窓から見るかぎり、自動車で通れば道の駅に降りてお手洗いを借りる程度の「山の中」で、そうか、こういう景観の中からスイスの歴史がはじまったのだなと。

 Swiss Travel Systemより


ここからルガーノまで、見飽きることのない車窓に目を奪われつづけました。鉄道マニアだけでなく地学マニアにもこたえられない景観でしょうね。1330分ころヴァッセン(Wassen)付近の山岳地帯に突入。まず時計回りにループ線を一周して高度を稼ぎ、つづいて逆S字のヘアピン・カーブ(セミループ線)でさらに高みをめざします。長大トンネルを抜けるとアイロロ(Airolo)ですがここは通過。トンネルのあいだに分水嶺を越えてティチーノ・カントン(Tichino)に入っており、大ざっぱにいった場合のスイス・アルプスの南斜面にかかったわけです。例のザンクト・ゴットハルト峠に並行する箇所を通過しました。列車はティチーノ川が掘り込んだとおぼしき峡谷に沿って進み、ファイド(Faido)の手前で時計回り→反時計回りの連続ループ線で高度を下げ、そのさらに先で反時計回り→反時計回りの連続ループ。ループ線というのは基本的にはトンネル内なのですが、異常なまでのカーブに沿って車両が折れ曲がる感じで体感できます。その昔、日本を代表するループ線として有名な肥薩線・大畑(おこば)駅付近のループ線を通り抜けたときには感激したものですが、わずか1時間でセミループを含めて6連発というのはもちろん初体験。いやしかし、よくもこんなところに鉄道を建設したものではあります。並行する街道のほうはさらにすごくて、バスで通過するとたまらん!という話も聞いたことがあります。この感じは言葉を尽くしてもなかなか伝わらないので、ぜひ乗ってみてくださいな。

1424分、久しぶりの停車駅、ベリンツォーナ(Bellinzona)。乗客がけっこう降りて、車内はますます閑散としました。地図を見れば、ここで乗り換えると映画祭で有名なロカルノ(Locarno)に行けるらしい。ついでのことに、ロカルノから先はイタリア領なのだけどスイス国鉄の「インフラ飛び地」みたいな路線がつづき、シンプロン・トンネルを経て昨日訪れたシュピーツにつながる路線もあります。私は古くからの王道路線を選択したということね。いつの間にか車内アナウンスがイタリア語→ドイツ語→英語の順になっており、車端部のLED掲示板もイタリア語表記に代わっていました。ドイツ語はおろかイタリア語もさっぱりわからないのですが、「フェルマータ」(fermata)という単語が聞こえてくるので、音楽記号からの連想で「停車」かなと思う。列車はたびたびトンネルに出ては入り、定刻より2分遅れて1449分にルガーノLugano)に到着しました。3時間ちょっとの長旅も、アルプス越えという愉快な体験ゆえに、あっという間に終わってしまいました。

 

ルガーノ駅 (左)写真奥の山はサン・サルヴァトーレ山 (右)「線路横断禁止」を伊独仏英の4言語で示している


ここルガーノは、スイス最南部の都市ですが、地図で見ればイタリア領に食い込んだ先端ちかくにあるというほうがわかりやすい。イタリア語を公用語とするティチーノ・カントンの中心都市です。古代ローマ帝国のころからイタリア本土(ただし「イタリア」が国家の名になるのは19世紀で、それまでは地域概念)との結びつきの強い地域だったのですが、中世末期になるとヴァロワ朝フランスの影響力が北部イタリアに浸透してきて、アルプスの南斜面もその支配下に入ります。当時の誓約者同盟は傭兵を「輸出品」にしており、フランスもイタリア進出に際してはスイス人傭兵の力を大いに活用したのですが、費用の支払をたびたび滞らせたこともあり、反発した傭兵たちを誓約者同盟側が煽るようなかたちでティチーノを占領、その勢いのままに一時はミラノまでを勢力下に収めました。しかしその後にフランスがミラノを回復したため、ティチーノ地方を確保することで互いの領域を画定することになりました(1516年)。ティチーノは長いこと誓約者同盟を構成する各カントンの共同支配地だったのですが、フランス革命の影響で中央集権体制が一時的に樹立された(ヘルヴェティア共和国 17981803年)のち、ナポレオンの調停で分権的な「同盟」が再スタートした際に、独立したカントンとしての地位を得ました。どう見ても「イタリアのつづき」のような地方がスイス連邦の一部になっているのは、そうした歴史的経緯によります。

さて私が予約したホテルは1駅先のルガーノ・パラディーゾLugano Paradiso)駅ちかくにあります。予約サイトで探してブッキング完了としたあと、グーグルマップで住所を入れて場所を確認してみたら、ルガーノではなく次の駅だったことが判明。「地球の歩き方」のルガーノの項に載っている地図の範囲には含まれないのでちょっと不安になりましたが、こういうときITは便利ね(さっきは批判めいたこといってごめんね)。マップをずらしてみたら、ルガーノ中心部からさほど遠くないらしく、ルガーノ湖沿いに細長くつながっているようです。自宅に置いてきた別のガイドブックは両方の地区を地図でフォローしており、旧市街のルガーノ、ホテル街のパラディーゾというふうに説明してありました。まあ、事前情報なんてそれほどなくてもどうにかなるさ。

 
ルガーノ・パラディーゾ駅


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04分にパラディーゾを経由するキアッソ(Chiasso)行きが同じホームに来るとのことなので少しだけ待ちます。欧州各地でよく見るタイプの近郊型新型車両がやってきました。パラディーゾまではものの3分もかかりません。降りたところはずいぶん田舎っぽい無人駅。事前調査はしないといいつつ、宿までは最短距離で行きたいので、駅とホテルの位置関係を手書きでメモしておきました。ここも鉄道が山肌に取りついているらしく、駅から湖畔に向かって下り坂を進んだところにホテル街が広がっていました。

予約したのはおなじみのイビス(ibis)。欧州屈指のホテルチェーンで、体裁がわかりきったところはなるべく避けたいなという思いはありつつも、しばしば利用しています。201212月のライプチヒ、201312月のアヴィニョンは、いずれも予約なく飛び込みで泊まりました。今回は前々日の予約だったものの、ルガーノは名の知れたリゾート地なのでやはり相場が高く、安いところはこういうチェーン系になってしまうようなのです。イビスの場所はすぐにわかりましたが、レセプションで名を告げても心当たりがないというような顔をされます。ムッシュは何かに気づいたらしく「お客さま、もしかしてイビス・バジェットのほうをご予約ではないですか」と。バジェット(budget)という単語の意味が一瞬わからなかったのですが、ムッシュはどこかへ電話してすぐに話が通じたらしく、「ご予約はバジェットで承っております。ここをいったん出まして、1つ隣のドアからお入りください」と。

 
 
イビス・バジェット  児童用のベッドが上空?にあるのが不思議


何のことやらわからないまま表に出たら、ああなるほど、イビス・バジェットという別の看板が出ています。イビスというチェーン名はよく知っているのでそこにつられて予約したのだけど、バジェットというのは地名などの固有名詞かと思っていました。バジェット(「予算」の意味ですがinexpensiveつまり「格安」のニュアンスがある)という別業態なんですね。魚民と笑笑みたいなものか(違うよ!)。わりに高級な同系列のノヴォテル(Novotel)を含め、3つのチェーンを同じ建物に押し込むという、ちょっと考えにくい状況だったわけです。バジェットの自動ドアをくぐると、先ほどとは比べものにならないほど狭くてチープなレセプションがあり、男性従業員が「ミスター・コガですね。お待ちしておりました」と受けてくれました。たしかに私の旅行にはこちらのほうがしっくりくる(笑)。電子キーと折りたたみ式のシティ・マップを受け取り、5階の部屋へ行ってみると、素泊まり99CHFならこんなものかというほど安易な造り。ビジネスホテルというより会社の保養所とか大学の合宿所みたいな広さとしつらえです。まあでも清潔だし、Wi-fiも使えるので別にいうことはありません。窓からはルガーノ湖も見えるしね。

 ホテルの窓から


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時前にホテルを出て、ルガーノ散策に出かけました。湖畔まではものの34分。これまたきれいな景色ですが、見るからにリゾート地で、「普通の町々めぐり」になるんかいな(汗)。ルガーノ湖(Lago di Lugano)は何とも喩えようのない形状をしており、その形状に沿ってスイスとイタリアの国境が入り組んでいて、一言ではとても説明できません。いま立っている中心部はもちろんスイスのティチーノ。湖岸に沿ってホテルなどの施設が建ち並ぶさまは、5年半前に地中海岸のリゾート地カンヌで感じた雰囲気に似ていますね。湖岸に立って左を見ると、さきほどのルガーノ駅を降りてそのまま下ったところに広がる旧市街が見えます。いまから徒歩であそこをめざしましょう。湖岸には並木もある遊歩道が設けられていて、さあどうぞ歩いてくださいなという場面。

 
 
ルガーノ湖畔  「お魚ガイド」なども完備した遊歩道がつづく


いまは夏休み最後の日曜の午後で、家族連れの人たちもけっこういます。全体には白人の中高年カップルが多いかな。湖面にはいくつかのボートが浮かび、魚釣りに興じています。氷河が削り込んだ山の谷間に水がたまったという感じのため、湖の周囲がどこもかなりの急斜面になっているのがおもしろい。前方に、旧市街らしき町並みが見えています。ルガーノ駅からそのまま坂を下りてきたあたりと思われます。湖はさらにその先にも細長く食い込んでいて、そこまで行くとイタリア領。

 
免許不要の貸しボートは1時間CHF6580(高くね?)


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分くらい歩くと、ホテル街からルガーノ旧市街へと景色が変わりました。湖岸の通りから1筋陸側に入ると、シックなトーンのショッピング街。もとより日曜日なのでお店は閉まっています。ブルガリやルイ・ヴィトンのショップなどもあるね。もともと買い物好きでもないので、店舗が開いていても中に入り込むことはあまりないのだけど、すべてクローズだと町の雰囲気そのものが静寂になってしまうので、この感じはあまり得意ではありません。もう慣れましたけどね。欧米の人が日本に来ると、逆に「いつ町が休むんだよ!」って思うのではないかしら。R.レッツォニコ広場(Piazza R.Rezzonico)に面して市役所があり、周囲にいくつかカフェなどの飲食店が開いていました。何をするでもない人たちがテラス席でくつろぐ光景も日曜午後によく見る景色。いまはまだ16時半、あまり大きな町ではなさそうなので、晩ごはんまで過ごすにはどこかのカフェで読書でもするかなと思いつつ、何となく気乗りがしません。さてどうするかな。

 
 
R.レッツォニコ広場付近  日曜のためお店は休業中

 

PART10 につづく

 

この作品(文と写真)の著作権は 古賀 毅 に帰属します。