スイス3日目の8月30日(土)は、午前中に滞在中の首都ベルンの主だったところを見てまわり、午後は鉄道でどこか別の都市に行ってみようと思います。東京を出発前に組んだ予定では、9月1日(月)の夜にミラノのホテルを予約しており、2日の朝にミラノ空港から帰国の途に着くことにしていて、ミラノまでのルートや宿泊地はこちらに来てから整えようという心づもりでした。ただ、パリでベルン2泊を手配し、中1日でミラノということは、31日夜の宿泊はスイス中南部のどこかということになります。かねてよりスイスのイタリア語圏に関心があったので、その中心都市であるルガーノ(Lugano)にしようかな。ということで前夜、タブレットを駆使してルガーノのホテルを予約しました。

ホテル・クロイツの朝食 クロワッサンもあるけどカイザー・ゼンメルにしたのはドイツ語圏だから!
いま宿泊しているのはホテル・クロイツの3階。朝食は1階(日本でいう2階)のダイニングへどうぞというので、7時半ころ降りていきました。板張りの清潔な部屋で、パンと数種類のおかずを並べた、よくあるビュッフェ式。ドイツほどおかずが豊富ではなく、フランスほど貧相ではないという、まあほどほどというあたりですかね。もとより朝食というのは国や地域ごとに多様なので、基本的には郷に従うべきところでしょう。私なんか日本の旅館で出てくるおかずいっぱいの朝食がどうも苦手で、パンだけあればいいのにとか、フランス人みたいなことを思ってしまいます。

ホテルの部屋にあったティッシュの箱 独仏伊英の4言語で書いてある!
ベルンの町は、北流するアーレ川が巨大な岩盤にぶつかって右に避け、軟らかそうなところを削りながらぐるりと回り込んで再び北流するという地形の上に築かれています。言葉で表現するのは難しいので、ぜひグーグルマップか何かでごらんください。北を上にした地図で見ると市街地が「半島」のように東に突き出しており、その周囲をアーレ川が迂回しているのがわかります。市街中心部は南北をアーレ川にはさまれた、けっこう狭い範囲ということになります。東西のメインストリート、マルクト通り→クラム通り(Kramgasse)→ゲレヒティクカイト通り(Gerechitigkeitsgasse)を東に進むと、半島の真ん中を岬に向かって進むような感じになります。ですからベルン散策は、まずはこのメインストリートを出入りしながら東に進み、岬の部分でアーレ川を渡って、また元に戻るというようなプランで進めることにします。
9時過ぎにスタート。土曜の朝なので平日よりは町の起動が遅いかもしれません。ホテル・クロイツがあるのはメインストリートから1筋北に入ったところなので、まずはそのまま東に進みます。狭い市街なのでまず方向に迷うことはありますまい。近くの広場では何かの展示会かイベントが開かれるらしく、大勢の人が出てテントを組み立て看板類を準備している最中でした。この周辺にはホテルもちらほらみられます。コルンハウス広場(Kornhausplatz)という名前の幅広の道路に出ました。ここはトラムが南北に走る道で、ベルン駅前からメインストリートを東に進んできたトラムの線路もこの道に吸収されて、電車は南北いずれかに折れます。ここにも古着や小物などの露店が立つようで、みなさん準備に大忙し。

(左)市立劇場 (右)コルンハウス橋から左岸側の市立劇場を望む

(左)コルンハウス橋から左岸(市街地側)を望む (右)アーレ川上流を見る
せっかくなので、そのままコルンハウス橋(Kornhausbrücke)を渡って右岸側(北側)に行ってみよう。帰りはトラムに乗れば余計に楽しそうです。いまKornhausbrückeと綴ったのはベルン州の公用語であるドイツ語の本式のほうで、橋の上に実際に表示されているスペルはKorenhuisbrug。ドイツ語かフランス語かといった違いの他に、標準のドイツ語(高地ドイツ語)かスイス・ドイツ語かといった違いもあります。地図を見るとき困るじゃんよ!と文句の出そうなところですが、日本語の漢字と仮名の書き分けなんてみんな勝手な流儀でしているわけで、外国人はどうやって読み取ったらよいのかとまどうのではないかな? と思ったら標準語のスペルも出ていました。もともと要塞都市だけあってアーレ川の左岸は切り立った崖のようになっているのですが、右岸側は堆積物で形成されたとおぼしき緩やかな平地が川面のレベルに少しあり、住宅などが建てられています。でも川沿い一帯が緑でいっぱい! 夏の終わりに深い緑、いいですね〜。コルンハウス橋は流路だけでなくその川面レベルをも越えていくため、全体で400m以上はありそうな長さ。ようやく橋の端にたどり着くと、総合レジャー施設と見える大きな建物がありました。Kursaalとあるのでクアハウスの類でしょうか(Saalはホールの意味)。案内にはホテル、カジノという文字もあります。滞在型施設みたいですね。そのまま先に進めば、おそらくベルン後背地の住宅街になるのだと思います。あちこち歩いて、だんだん欧州の都市の構成というのがわかってきました。

クアザール
右岸側に滞在正味5分ほどで引き返します。クアザール前の電停に立つと、ほどなくトラムがやってきました。1駅つまり橋を渡るだけで、さきほどのコルンハウス広場まで乗車します。これも欧州のあちこちで乗ってきた新型LRT車両で、地面をすーっと滑るように走るため気持ちいい。まだ10時前ですが立ち客もいるほどの乗り具合でした。
さていよいよベルンの「半島」部分に押し出します。メインストリートのクラム通りはあとで通るはずだから、1筋北側のラートハウス通り(Rathausgasse)を歩いてみようかな。こちらは人通りもあまりなくて静かなのだけど、商店がないわけではなくて、各種ブティックなどがちゃんとアーケードの中にあります。そう、建物の下がアーケードになっているのはメインストリートだけではなく、前後の道もなんですね。この周辺の旧市街一帯がユネスコの世界遺産に登録されているというのも、雰囲気的にはわかります。こういう町はいったん壊してしまったら取り戻せないですからね。といって「古都」っぽいわけでもなく、あくまで現代の消費生活に結びついたお店が大半。

ラートハウス通り
ベルンの建設は1191年に遡ります。源頼朝がイイクニをつくった前の年。フリブール/フライブルクを建設したのと同じツェーリング家の手になります。河川が切り込んだ台地の上に要塞都市を築くという発想はまったく同じでした。日本の鎌倉時代は武家社会の基盤が形成された時期にあたりますが、同じようにスイスの12世紀末〜13世紀に、スイスの基本的秩序の基盤がかたちづくられました。それは農村部・都市部という異なる歩みのベクトル合成です。当時の普遍権力であった神聖ローマ皇帝は、正味はドイツ帝国なのですが、ローマの称号に実体をもたせようというので南進してイタリア北部を支配することに躍起になりました。世界史の教科書的には、そんなことに夢中になってお膝もとのドイツ諸侯をうまくまとめられなかったから国家が分裂したのだと説明されています。イタリアへの道筋といえばスイスであるわけで、ザンクト・ゴットハルト峠(Sankt Gotthard イタリア語読みではサン・ゴッタルド峠 San Gottardo)の前後はきわめて重要な通り道でした。皇帝シュタフェン家はこの回路を確保するため、封建領主たちの影響を排除して、これらの地域を直轄地とし、自由特許状を付与しました。つまり皇帝自身が本所(封建的領地の上級支配者だが、そこを直接支配するのではないという意味で)になって、その土地の統治は住民の自治にゆだねたということです。このとき特許状を得たウーリ(Uri)、シュヴィーツ(Schwyz)、ウンターヴァルデン(Unterwalden)の3地域は、皇帝がやがて直接統治をねらってきたのを機に、自由自治の伝統を固守するため攻守同盟を結びました。1281年8月1日のことで、この「永久同盟」(Ewiger Bund der Drei Waldstätten)こそがスイス国家の出発点となりました。3地域と書きましたがいずれも「国家」であり、自国を守るために同盟を結んだということです。これらの地域は農村部で、住民総会などの方法で自治がおこなわれました。なお8月1日がスイスの建国記念日です。シュヴィーツがスイス(ドイツ語でシュヴァイツ Schweiz)の語源。スイスの国名はラテン語でConfederatio Helveticaだと前述しましたが、ドイツ語ではSchweizerische
Eidgenossenschaftといいます。Eidは「誓い」、genossenは「仲間・同志」の意味で、直訳的にはシュヴァイツ誓約者同盟ということになります。1291年の3地域同盟が母体となり、その後に自治権をもつさまざまな地域が同盟に加わって連邦化したため、いまもこの呼称を用いているわけです。
いっぽう都市のほうは、13世紀を通じて帝国都市(皇帝直轄の自治都市)となり、こちらも封建領主の手を離れて自治を獲得しました。その利害関係は入り組んでいましたが、皇帝の位をめぐる争いなどに乗じて政治力を強め、またこのころ大いに回復した商業により経済力を高めたこともあって、誓約者同盟とのあいだに個別の同盟が結ばれていきます。ベルンの加入は1353年と、その中ではかなり遅いほうでした。このように、スイスというのは自立した地域(カントン
独Kanton / 仏Canton)の水平的な同盟として出発し、1648年のウェストファリア条約では神聖ローマ帝国からの独立が承認され、主権国家とか国民国家とかいった近代的な括りがあとからのっかって、いまではベルンを首都とする「スイス連邦」が対外的な主権をもつ一国としてカウントされています。しかし、税制や公教育は依然としてカントンの専権事項。町を歩いても、赤地に白十字のスイス連邦旗と同じくらいかそれ以上に、クマの絵を描いた(ベルンの語源はクマBär 複数形でBären ちなみにドイツの首都ベルリンも「クマの町」)ベルン・カントンの旗が目立ちます。


トロリーバスも走るクラム通り アーケード面の階下にも別のお店があり、独特の雰囲気を出しています
アーケードは通りに沿うだけでなく、それと垂直に、隣接するビルのあいだにも造られている場合があります。ちょっとしたトンネルのようになっていて、そこを抜けてクラム通りのほうへ出てきました。何とも印象的な時計搭は13世紀に建てられたものだそうで、まさに都市ベルンの歴史とともに時を刻んできたことになります。メインストリートは石畳。両側の建物もすべて石造りふうなので、絵に描いたような欧州のクラシックな都市の様相ですなあ。時計搭の東にはトラムの線路はなく、無軌条電車(トロリーバス)の架線が張られて、ときおり2両編成が通り過ぎます。よし、あとで乗ってみよう。多少なりとも環境への配慮があるのでしょうか。
10時前なのでまだ半分眠っているような雰囲気ですが、カフェのテラスなどには人が出ていて、おしゃべりしたり、静かに読書したり(あ、もちろんスマホに夢中の人もいる)。メインストリートのところどころに、美しい意匠を施した噴水が置かれ、鮮やかな花が飾られています。夏の欧州はお花の色がいいですよね。トロリーバスや路線バスも、この噴水のところでは少しだけ外側に膨らんで走行するのが見ていておもしろい。

(左)メインストリートにはスイス連邦とベルン・カントンの旗が交互に掲げられている (右)小さな薬局に出っ歯のクマちゃん

聖ペテロ・パウロ教会
もう一度、北側のラートハウス通りに戻ると、ラートハウスすなわち市役所(Rathaus)と、その向かいに聖ペテロ・パウロ教会(Kirche St.Peter und Paul)がありました。メインストリートだって中世サイズなので狭く、前後の道となるとさらに狭くて、もう「路地」に近い風情です。首都の市役所がこんなところにあるのか。教会を見れば入ってごあいさつするというのが恒例なので、ここでも少しだけのぞかせていただきました。両使徒の名を冠したこの教会は、19世紀半ばに建てられたカトリックのもの。小ぢんまりしていますが清潔で明るく、どこか家庭的な雰囲気です。そのあと教会の北側に下りると、アーレ川の河畔に出ました。半島部分はまだまだつづきます。市役所付近から東に向かって一方的な下り坂。いったんメインストリートに戻ろう。


このあたりはゲレヒティクカイト通り 東(写真の奥)に向かって下り勾配です
この先のメインストリートはゲレヒティクカイト通りに変わります。下り坂なので、アーケードと道路面のあいだの段差が広がり、アーケード側で階段を下りてまた同じレベルに、という繰り返しです。世界遺産なのにコテコテのスーベニア・ショップがないのは感心(ていうか世界遺産=一流の観光地というのはとんでもない誤解!)。あくまで日常の延長です。ベルンの人口は12万人とかそこらで、スイスでは第4位ながら、フランスやドイツに行けばトップ20にも入らない規模。地方分権(前述のようにそもそも自治地域の連合体なので)ゆえ、首都がこの規模でも不思議ではないか。地形的に見て市域を広げられないということでもありましょう。あと、飲食店はけっこうあるのですが欧州各都市で頻繁に見かけるエスニック料理が少ないですね。

(左)メインストリートの坂を下りきったところ (右)「下の町」に行くにはさらにそこから急勾配を下る
思ったよりも急な下り勾配が終わると、アーレ川の湾曲部を渡り越すニーデック橋(Nydeggbrücke)が見えてきました。半島の尾根にあたるメインストリートはそれでもなお高い位置にあり、川沿いの住宅街には急坂を下っていかなければなりません。それなりに生活感も見えていい感じですね。全般に、何だか自動車のCMに使われそうな町並みではあります。各店舗のテラスのお客はさっきよりもかなり増えました。土曜のブランチかな? 中高年のおっちゃんとタブロイド紙というのはよく似合いますね。

(左)ニーデック橋からアーレ川の下流側を見る 尖塔はニーデック教会 (右)ニーデック橋から旧市街側を見る
ニーデック橋を渡って右岸側へ。といっても、この付近のアーレ川は真北を向いて流れていますので、同じ右岸でもさきほどのクアザールあたりとは位置関係が違います。カタカナのコの字でいえば、縦棒の右側。見るとその先はまた登り坂になっているので、アーレ川がずいぶんがんばって?削り込んだのだなと思う。あるいは河岸段丘もセットになっているかもしれません。まあそれにしても絵になる都市。昨日のフリブール/フライブルクも同様に川が削り込んだところに形成された都市ですが、建物の密集具合とか石畳の感じなどで、ベルンのほうが「都市」としての凝縮を感じさせます。そういえば、昨日から日本人や中国人の観光客をほとんど(まったく?)見ていないなあ。たしかにスイスは超人気の観光国ですが、それを好む人の多くはツェルマットとかサン・モリッツとかインターラーケンなんかに行くのかな? 今回の旅行のコンセプトは、そういう有名観光地には目もくれず、いつものようにひたすら町歩きしようというものです。ベルンは大当たり。クラシックな欧州がお好きな方にはおすすめです。
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