古賀毅の講義サポート 2026-2027

Études fondamentales sur l’éducation- 1

教育基礎総論1(中・高) C


早稲田大学教育学部教職課程(全学部対象)
春学期 金曜5限(17:00-18:40)  早稲田キャンパス 14号館 402教室

講義サポート トップ
2026(令和8)年度 教職科目における指導・評定方針

 

202667月の授業予定
6
26日 日本教育史(3):占領期の教育改革
7
3日 日本教育史(4):高度成長期以降の教育
7
10日 岐路に立つ現代教育:1990年代以降の展望
7
17日 教員養成の歴史的展望


次回は・・・
13-
岐路に立つ現代教育:1990年代以降の展望

この教育基礎総論1は、教育職員免許法施行規則にいう「教育の理念並びに教育に関する歴史及び思想」を担当する科目です。前回、平成の入口あたりまで到達しましたので、教育の歴史に関する範囲は終わりました。第二次大戦後の日本教育史(第12回)になると、さまざまな面で「いまの学校教育」の問題が透けて見えるので、それで十分であろうとは思うのですけれども、受講生自身が直接経験して知っている時期に接続するほうがコンプリート感を得られるというのもありますし、なにより教職課程に置かれたさまざまな教職科目の各テーマに接続することができますので、「教職の学びのインデックス」のような意味も込めて、ここ30年ほどのトピックを扱うことにします。これまでの歴史編では、すでにオチのついている話がほとんどですし、「教育史」としての研究の蓄積がありますのでそれなりのストーリーを用意できたのですが、1990年代以降となると未決着・未解決の問題ばかりであり、ストーリー化も難しいですね(安易にストーリー化して「説明した気」になってしまうのは学問的にまずいと思います)。そこで今回の内容は、「こんなこともありました(あります)」と、あまり脈絡もないまま並べてお見せするという感じになります。

日本の平成元年は西暦1989年で、私はハタチの大学2年生でした。バブルと呼ばれた異様な好況は、その年末にピークを迎え、1990年代に入ってから株価・地価は続落をはじめます。のちに「失われた10年(20年)」と呼ばれる長期不況がはじまりました。日本経済がだめになって、うろうろ、おろおろしている間に、中国をはじめとしたアジア諸国が急成長を見せ、「欧米日とそれ以外」だった世界の構造が明らかに変わっていきました。私の意見では、経済・産業にしても学校教育にしても、昭和後期のある種の成功体験が、その後の転換を阻害する要因になってしまったのではないかと考えています。こんなはずではないのに、といっているうちに、少子高齢化が進み、地方の社会は底が抜けそうになってきました。ICTの発達、のちには生成AIの普及で、学校教育と並走する、あるいはそれを代替しうるものが、人々の周りに普通にある状態になってきて、では学校というのは何を学んでどうなるところなのかという肝心の部分が見えづらくなっています。1989(平成元)年が基点となるもうひとつの大きなトピックがグローバル化です。同年の夏から秋にかけて、東欧の社会主義国家が続々と民主化の波に呑み込まれ、社会主義路線を放棄することになりました。12月には米ソ首脳がマルタで会談し、東西冷戦の終結を宣言します。地球を二分していた東西の線(壁)がなくなって、そこからが本格的なグローバル化ということになります。これまで見てきたように、公教育というのはもともとナショナルな枠組が世界の基本になったのに即してつくられました。ですから「わが国の言語」「わが国の歴史」「わが国の文化」を全国民で共有するということがめざされたわけです。グローバル時代になっても、公教育の主体・主宰者が国家であることに変わりはないのですが、目的や内容が「わが国の」という範囲で収まるのか、収めてしまってよいのかという問題が降りかかってきます。

早稲田大学の大学院教育学研究科は19904月に開設されました。私は1992年入学の3期生。それまでは歴史学の学部生でしたが、修士課程進学を機に畑(専門分野)を替えました。私が教育学や学校教育の研究に携わるようになったのが、まさに今回の範囲の基点あたりのことで、したがって第12回とは異なり、児童・生徒としてではなく教育の専門家(または教壇に立つ中・高の教員)として直視ないし側聞してきたことばかりになります。教育学という学問のトーンが日本で大きく変わったのもそのころでした。マルクス主義の影響が一挙に薄れ、教育史・教育思想・教育哲学(業界では史・哲系と総称)を中軸とするあり方から、学校現場での事象に直接かかわるような分野へとシフトしていきます。いろいろなことが大きく変わっていった1990年代以降に、しかし学校教育の仕様そのものは、目に見えた変化はありませんでした。それは逆に、学校教育の儀式化・惰性化といったネガティブな傾向として言及されるようになっていきます。20世紀最後の年である2000年は、私が初めて教職課程担当教員として大学の教壇に立った年で、当クラスの直接の前身である教育原理Cというクラスをそのときにお預かりしました。それから四半世紀以上が経過して、その間の授業のあいまで「最近の学校はさあ〜」と話題にしていたようなことのいくつかを、今回の内容にも盛り込んであります。近すぎる過去の問題は、時間が経つと「さほど重要ではなかった」として捨象される可能性もありますし、その逆もあるので、今回の内容はあくまで参考程度として、これからみなさんが学生そしてプロの教育者として歩んでいく中で省察し、整理していかれるものと思います。

 

REVIEW 7/3
*文意を損なわない範囲で表記や表現を改めています。掲載を省略したり、複数のものを統合したりする場合があります。

いままで話されてきた課題が生まれた過程がわかっておもしろかった。実際はこの授業でいわれたほど因果関係がはっきりしたものではないのだろうが、きっかけを知ることができてよかった。(文)

教育史を、変動する景気の視点から眺めてみるとおもしろかった。(文構)

学制→教育勅語のように、画期的な内容の後に反発が来るという構図が、占領改革→修正でも繰り返されていることがわかった。またこの事実から公教育の改革が多くの人に受け入れられるのは難しいということもわかった。たとえ変更が「正しい」ものであったとしても、さまざまな価値観をもつ人がいる世の中では、一致できる点を探すことのほうが重要だと思った。(政経)

時代によって教育の状況がかなり違うが、これからも国の状況などに合わせて教育の状況が変わると思うので、それぞれの状況で適切に指導をおこなえるようになりたいと思った。(教育)
・・・> ま、そうですね(そりゃそうですね)。状況っていう言葉お好きですか? 状況でないところにも状況というワードをさしはさむと、自分で何をいっているのかわからなくなりません?

何か大きな問題が起こらないと改革や修正の機運が起こらないというのは仕方ないことだと思うが、公教育でもそうなってしまっている(改革の内容さえも粗雑である場合がある)のは少々残念に感じられた。(教育)

1950年代の教育分野における占領改革の修正について学び、占領教育改革と1950年代の修正それぞれのよい点と悪い点を踏まえつつ、「特別の教科 道徳」の創設など現在においても進む教育関連施策の是非についても考えてみました。(教育)

 

戦後の学校教育のあり方については大きく政治がかかわっているという印象を受けた。ここでも左派vs右派になっていておもしろいと思った。(教育)
現在の教科の土台が完成した昭和に、保守と左翼での対立によって右往左往があったとは知らなかった。(教育)
戦後の教育では、単に制度などが変わっただけでなく保守派の人がいるなどさまざまな思想や価値観の対立の中でかたちづくられたというのが印象に残った。教育は政治や社会の情勢に大きく影響を受けるもので、その時代が反映されやすいものであると理解した。(文構)

占領教育改革のときに、社会科を中心としてさまざまな知識を駆使して現代の問題を解決するという理念が採用されたが、理念それ自体はすばらしいものの、生徒の立場から見て、後のただ物事を暗記させるだけで思考を伴わない社会科よりも難しいと思うし、教える先生としても難しいと思うので、定着しなかったことは納得できた。入試の面でもそれが楽で、主知主義的な教育が主流になるのだと思った。(文)
以前から、社会科が主知主義的になったことについて疑問をもち、あまりよく思っていなかったが、就学率の急上昇に伴う量的拡大に質的転換が追いつかなかった結果だと知り、納得した。質と量の両方を同時に伸ばすのは難しかったのかもしれないが、その後に進学率が高い状態で保たれるようになってからも主知主義的教育や、その背景にある受験競争がつづいていることに疑問をもった。いまさら変えるのは難しいといえば、そうかもしれないが、時代に合わせて少しずつ変化があってもよいのではないかと思った。(教育)
・・・> 次期学習指導要領に関するワーキンググループの審議経過を見ると、社会科・地理歴史科・公民科の主知主義傾向を緩和したくて、いろいろがんばってはいるようですが、「用語の暗記量の多寡により評価される社会的風潮が根強くあり、こうした学習観も背景に、小学校、中学校、高等学校のそれぞれの教科書において網羅的に内容が記載されることにより、各学校段階での内容に重複が発生し、教科書の分量を肥大化させている要因となっている」626日のWG資料より)と書いてあって、風潮なんだからもうどうしようもないぜ、みたいな投げやり感も見えます。私は、一義的には社会科の先生たちの教え方が硬直的で、世の「社会科」観をつくってしまっているのだと思うのですけどね。受験競争なんてもはやコップの中だけだし、それよりもむしろ惰性によるところが大きいと思う。

地方教育行政法の制定により教育委員が公選制から首長による任命制に変わったことを学びましたが、1956年以前の、教育委員会法のもとでは、どのように公選制の運営がなされていたのでしょうか? (教育)
・・・> 公選制の運営というのがよくわからないのですが、教育委員会の運営のことではなく選挙のやり方ということなのでしょうか? 教育委員が選ばれたあとの構成や構造は改正後とさほど違わないと思います。教育委員の選挙は、公職選挙法にもとづいて、地方議員と同じような感じでおこなわれました。当時は社会党や共産党などの左派政党が組織をもっていて選挙に強く、とくに教育委員の選挙では力を発揮しました。教育二法の制定前は、組合員である教員がそちら側について応援しましたしね。自民党が結党されてすぐに公選制廃止の方向に向かったきっかけも、そこにあったと思われます。

道徳の教科書が副教材だということに驚きました。(教育、類例複数)
・・・> いや雑だな〜(汗)。時間の感覚ちゃんと押さえているでしょうか。「特別の教科」になった2018/2019年度以降は道徳の「教科書」で、それまでは「副読本」。文部科学省がつくって配付した『心のノート』『私たちの道徳』は副教材。これはちゃんと知っておかないとだめですよ。

1950年代の占領改革の修正でさまざまなところが変化し、現在の状況に近づいたが、道徳が完全な教科ではなく「時間」であったという点が最も印象に残った。小学校のときは教科書を用いて授業をおこなっていた記憶が強いため、教科になる前の道徳を経験していたと知り衝撃を受けた。(文)
・・・> 受講生によって学年もいろいろなので、各自それぞれに計算してくださいね。高校→大学ストレートでいま1年生だという人の場合、2014年小学校入学、2020年中学校入学、2023年高等学校入学であるはずです。小学校で特別の教科 道徳が実施されたのが2018年度、中学校では2019年度からなので、少なくとも小学校4年生までは道徳の時間(特設道徳)だったのではないでしょうか。いまの若い人はやたらに「衝撃を受けた」とおっしゃるので衝撃を受けるのですが(笑)、特別の教科になっても、教科書ができたくらいでさほどの変化はありません。いまのところ。

社会科という教科が道徳的な側面、社会で生きていくための方法等を教えるというものから、現在のような歴史易や地理を教えるものへと変わった経緯が、道徳という教科が新設されて初期の社会科が担っていた特徴が吸収されたからだという話は初めて聞いた。その道徳をつくる過程で、右派は道徳という教科をつくるのに熱心になり、左派は道徳科新設に反対して全面主義を貫くという対立があったという話がありました。どうして左派はそれに反対したのでしょうか。平等や人権、個人の自由などのことを道徳科の中で面と向かって教えたほうが、生徒の記憶に残りやすいのではないかと、自分の政治思想とは関係なく疑問に思いました。(教育)
・・・> まず修正。1958年に新設されたのは「道徳という教科」ではなく「道徳の時間」です。そこをはっきりさせないと趣旨がぼやけます。当時の左派が道徳の教科化に反対したのは、一連の逆コース施策の中で出てきた話であったため、「平等や人権、個人の自由など」を教える枠ではなく戦前の修身の復活だと捉えたからです。それは勘ぐりや邪推ではなく、本当のことだったろうと思う。戦中・戦後の苦しい経験を直接知る世代が現役ど真ん中でしたので、道徳を教科にするという提案(自由民主党の中でも右寄りの、旧・民主党系が中心)には警戒感が強く、それが教科化にいたらず「時間」特設で妥協した要因だろうと思われます。

小・中で習う教科(国数英社理)ですら身につかないことがあるので、道徳も主知主義的な授業だと身につかない人もいて、そこに周囲の環境もあいまって犯罪だとかにつながり、道徳教育(主知主義ver.)に力が入っていくのでは?と感じた。社会科がエースで4番だった時代の授業を受けてみたい。小学校の歴史で、徳川家康・織田信長・豊臣秀吉の顔とやったことを結びつけるテストで全問外してしまい、軽くトラウマなので、主知主義でないものを受けたい。(教育)
・・・> あれ、肝心のところを外しているかもしれません。「道徳」が主知主義的な授業だったことは一度もなく、おそらく日本では今後もないことでしょう。社会科(とくに初期の)と道徳教育との関係がレビュー主の中で整理されていないのではないでしょうか。学科名を見ると社会科の教員志望だと思うのだけど、大丈夫ですかね。三英傑がその順になっている時点で、あれれという感じです(汗)。三英傑の話は、社会科の授業で学ぶというよりドラマや漫画などのメディア経由で得られる「日本人の常識」みたいなところがあります。文化資本の問題かもしれません。主知主義であるかないかにかかわらず、徳川家康をアンカーにしてくれないといかんですよ。

社会科の教員をめざしているため、「社会科」そのものの歴史まで学ぶことができてよかった。高校生のときに古賀先生の授業を受けたかったです。(教育)
・・・> 来年以降に社会科教育法4の私のクラスをぜひ受講してください。めちゃハードな公民をやります。

日本史で学んだこととどんどん関連が出てきて、いまになって日本史で学んだこれがいまの学校に行きついているのかと感じました。(教育)
・・・> つららですもん。

ピアジェ、ちょうどいま教育心理学の授業でやっているところです。(教育)
・・・> ピアジェを扱わない教育心理学があったらモグリですもん。教育基礎総論としても当然扱います。「やっている」のは当たり前なので、どのへんが勉強になるとか、わかりにくいとか、重なるとかズレるとか、そういうところをコメントしてほしい。

実験校は学習指導要領に従っている学校と何がどのように違いますか? 例とかあったら知りたいです。(文構)
・・・> 目的が「教育課程の実験」なので、教科(や科目)の枠組とか、配当時数とか、内容なども独自のものになります。学校側が計画を作成し、文部科学省が認可して、その範囲で実験するわけですね。検索したら出てくると思いますので、実際の学校のサイトで見てみるとよいかもしれません。以前に勤めていた私立女子高校が実験校の指定を受けて、地理歴史の教育課程の一部が独自設定になったことがあります。私は公民なので関与していませんが、研究会の会場設営などしてお手伝いしました(笑)。いまの「歴史総合」につながる実験でした。

先生ご自身は教育の歴史をおもしろいと思っているのか? どのように? 中学校まで道徳を学んでいたものが倫理になるというイメージがあったが、間違っていたかもしれない。(基幹)
・・・> おもしろいと思っているからその筋の研究者になったのではないですかね。後段、倫理というのが高等学校の科目(現在は公民科の中にある)という趣旨であれば、完全に間違いとはいいきれないけれども、本質的な部分では間違いです。小・中学校の道徳は特別の教科+全面主義、高校の道徳は全面主義オンリーです。特別の教科 道徳は普通の教科ではなく特別の教科なので、数値評価をしませんし、教科担任制を採る中学校にあっても「道徳の先生」なる立場の人はなくて担任中心に指導します。対して高校の倫理は教科の中の科目ですから、卒業単位に組み込まれ、数値評価もあります。高校・公民の免許をもっている教員しか教えることができません。ただ「高等学校学習指導要領解説 総則編」によれば、全面主義を採る高校の道徳教育でも、教科・公民に属する公共および倫理と、特別活動に足場を置く旨が記載されています。公民は大きく分けて政治・経済・国際・倫理の4分野から成りますが、倫理だけトーンが違うような印象をもつかもしれません。初期社会科の名残だと考えてください。歴史や地理や政経などがどんどん系統化して自立していき、残された倫理が浮いてしまっている(「盲腸化した」なんて陰口をいわれます)ということですね。倫理おもしろいんですけどね。

「学びに向かう力」を何かで見たことがあるが、初等教育・中等教育について道徳が導入された背景を重ねて考えると、教育行政も学んでみたくなった。(教育)
・・・> なぜ教育行政なのかがいまいちわからないのですが、それはともかく、「学びに向かう力、人間性等」というのは2010年代に改定された評価規準の一つで、道徳教育とも、今回扱った昭和期の歴史とも関係ありませんので、混線させないようにしてください。


人間125歳まで生きられるといった大隈先生の言にちなみ大隈講堂の高さは125
大隈タワーはその倍の250尺で建てられた タワーの位置にかつて第二学生会館があったが
学園紛争(1969年の全共闘)の舞台となり竣工からほどなく閉鎖された
高等教育がマスプロ化してよいのかという問いは、私が学生のころにも繰り返されていた

 

高度経済成長の裏で、中等・高等教育が量的に拡大し、内容やシステムが追いつかず、多くの課題が生まれたというところが印象に残った。(基幹、類例多数)

いまの教育におけるゆがみ・問題点の原因が、急激な経済成長に伴う教育の量的転換に少し影響を受けていたことに驚いた。時代の政治・経済状況が教育に反映され、人が形成されてしまっていいのか、わからないです。よくない。(教育)
・・・> よくないですか?

高度経済成長がいまの教育のひずみを生み出したのか・・・。制度的な問題というのは、なんだか理想がかなり入っているような気もします。制度をつくるおとなは、青年期についてよく知っているというわけでもなく、(とくに中・高は)先生が学習指導要領に沿って教えればよい!という、生徒や先生の現場を理想化した見方があるのではないかと思います。(教育)

高度経済成長期に中等・高等教育は拡大したが、生徒指導や教科教育自体は発展せず、そのままだったというところから、教員や学校のシステムが追いついていなかったことがわかった。また、それまでに確立されて安定していたシステムを改革することには恐れもあったのではないかと考えられる。(スポ)

「あゝ上野駅」が出てきて驚いた。フルコーラスで聞きたかったです。(政経)
・・・> ♪ど〜こか〜に故郷の香りをのせて は〜いる列車のなつかしさ 上野はおいらの心の駅だ〜 くじけちゃならない人生が あの日ここから始まった〜〜

高度経済成長で家電の普及や都市化が進み、社会が便利になるほど、学校にも高い知識や協働する力が求められていったという点が印象に残った。教育が生活をよくする力になった半面、偏差値で人を一列に並べるしくみも強まった。便利さの裏で学校は何を失ったのか気になった。(教育)

高度経済成長以降の教育は量的拡大のために効率性や正解のみを重視してしまっていたのだろう。それが、いじめが生まれる原因になったのではないか。また人生の選択肢や人間の価値を測ることができるのが「学校」に絞られていったため、単一の価値観しか存在しない(学べない)という環境ができてしまったのだろう。(社学)
・・・> 後半部分は、イヴァン・イリッチの「脱学校の社会」やそれをもとに社会学の方面で展開された学校化社会という考え方に相当します。それを勉強なさっていてコメントされたのならばすばらしいし、知らずに書いたのであれば社会学者になれるかもしれない!

高度経済成長以降における中等・高等教育の量的拡大に伴って、生徒を指導するのが教科専門の教員であるのは、いわれてみればよいことばかりではない。道徳や人格完成の面で見れば、中高生の時期が大切なのに、生徒一人ひとりを見てくれるおとなが少ないからだ。メリット、デメリットがあると感じた。(教育)

教科の専門家であるのに子どもの専門家でもあることをも求められる教師は大変だと思った。(文)

青年期の専門家がいるとしたらそれは部活の先生や保健室の先生、と言及していたが、部活の先生は(その競技についてもあまり詳しくない)「教科の専門家」がなることが、よくあるのでは? (法)
・・・> 青年期の専門家がいるとしたら、ではなく、小学校で担任の先生が果たしているような非教科的な支援をおこなっているのが、中学校ではその2種だと申しました。部活動の先生は「教科の専門家」なので、青年期の専門家としてそうしているわけではなく、その立場で対応しなければならないからしている、というにすぎません。だから専門性が不十分であるうえ、そうした人たちに負担が集中してしまう、という趣旨でいったのです。

体育が嫌いな生徒もいるのだということを忘れぬようにしなければと思った。自分の物差しは万能ではないのだなと思った。(スポ)
・・・> 生徒いるというより、たぶん嫌いor苦手な生徒のほうが多いです。


古賀の出身高校 1964年創立の県立で、田んぼしかないところに建てられたと初期の先輩が
口々にいっていたことにかんがみれば、「生徒増に対応するためがんばって創設した学校」だったわけね
校歌に「福岡の街も目覚めて青年の進路あざやか」とあるけれど、青年の進路が本当にあざやかだった
時代というのは歴史上にない ただ、高度成長期の勢いみたいなものは感じられるかもな〜

 

高度経済成長によって高校が足りなくなり、当時の財政事情により立地の悪い場所への建設や、私立高校が増加したことが理解できた。(教育)
公立高校がアクセスの悪いところにあるというのが、土地が足りない(高度成長の関係で)こととリンクしていることが驚きでした。心当たりがありすぎました。小・中は公立でまかなえるが高校になるとまかなえず、私立に流れたりしたという歴史も、現在とは異なる点で、興味深かったです。(国教)
・・・> 首都圏(とくに東京都)はまた特異な傾向がありますが、全国に均してそのような流れであったのは間違いありません。その時期に創立された神奈川・埼玉・千葉の県立高校は交通アクセスのよくないところが多く、都内の私立に行ったほうが早いということすらあるので、どうしたもんだかと業界が頭を抱えています。3年前に千葉県教委の依頼を受けて県立高校の再設計に向けた会議の座長をしたのですが、まあ見事に中堅の普通科で特色を打ち出せない学校ばかりで、少子化の中で競争したら勝てないだろうなと思うような感じなんですよね。現場の校長や先生方はかなり努力されていますけれど、おそらくその次元の話ではありません。公立学校は地方税(と国税)の世界ですので、建物を造るといっても大変なのです。

日本の中等教育は選抜を通して学力の統一がおこなわれている。しかし中・高に入学した後の学力の向上は個人差があるが、内容やシステムの量的拡大は生徒にとって負担になる。その中で教育の質的転換がおこなわれていくことで生徒個々人に着目させ、中等教育の底上げが期待されるが、量的・質的な教育の両者のバランスを保つことが重要であることを学んだ。(教育)
・・・> 量的と質的が何を指しているのかもうひとつわかりにくい。「バランス」って? 少なくとも私は「バランス」的なことをいわないので、どこかで脳内変換してしまったかもしれませんね。前半部分を読んだかぎりだと、ご自身が経験上注目していた部分に、授業の文脈をくっつけてしまったのかもしれません。

高度経済成長以降の中等・高等教育の需要の拡大が高校不足につながり、公立だけではキャパをまかなえず私立高校の増加につながっていった。その結果、現在の高校生の3割が私立に進学している。また現在の私立中高一貫校には再複線化の可能性があると評されていたのは非常に興味深かった。(政経)

私は地方の田舎出身で、公立が基本で私立はめずらしいという雰囲気が残っています。この授業、とくに今回の戦後から現代の教育に移っていく過程の話で、私立に行く人が増えたわけを学び、大学以前で私立に通っていた人がとても少ないわけではなく早稲田に関しては私立高校卒業の人が多いという、自分の当たり前を崩して、新しい考え方を学ばせていただきました。(文)
・・・> 慶應義塾はもっと多いと思いますよ。

東京で、中学校から私立に行く生徒の増加とともに、高等学校入学を受け入れない学校が増えてきている。そのことを教育の「再複線化」と捉える見方に、非常に納得できた。いわれてみればそうなのだが、いままでそれを考えたこともなかったので衝撃的だった。しかしそのように考えれば、国の意図に関係なく複線化してしまっているわけで、それが広がりすぎてしまうのも怖いことだと思った。(政経)
・・・> 東京は大問題だと私も思うのですが、東京以外にこの事象が広がることは、いまのところないと考えています。学校経営というのは基本的にペイしないもので、とくに少子化がさらに進めば公立だけでなく私立学校の統廃合や再編統合が進むことが予想されます。地方に行くほど生徒人口が少なくて、そこで野心的な私学経営をおこなうほどの余裕はないものと思います。

日本国内で、義務教育までは一律で通わせるのに、高校・大学進学になると地域差が激しくなるのはなぜだろうか。私は、私立中学校・私立高校に進む人がまったくいない環境で育ったので、早稲田に来て私立出身者の比率の高さ、そして中高一貫校出身率の高さに驚いている。この時代の流れを見ると、教育を受けさせようとしているのが、終戦直後には政府だったのが親に変わっていくのは、高度経済成長のおかげだなと感じた。(基幹)

高等学校等への進学率のピークが高度経済成長期から少しズレた時期に来ていることについての話が興味深かった。また最近は私立高校が多くなっていることが問題でもあるという話も印象的だった。(教育)
・・・> 後半がちょっと正確さに欠ける。「私立高校が多くなっている」と書くと、学校数の話になります。そうではないのでは? 私立依存率(割合)も、分母が下がっているわりにはあまり変わっていません。ただ、率が変わらないということは公立高校に通う生徒の「数」が少なくなるということでもあります。

国公立高校の生徒数が私立高校の生徒数より多いですが、受験競争が激しかった197080年代は、国公立大学の志望者数のほうが多かったのですか? (商)
・・・> 第二次大戦後の日本の高等教育は、一貫して私立大学が数的に優位であったという特徴があります。大学数だけでなく志願者数・入学者数も私学が圧倒しています。とくに高度成長期以降に進学率が急上昇したときに、もともと(「私企業」なので当然のことに)収益性を重視する私立大学がマスプロ化し、悪い言い方をすれば「質より量」を地で行く感じになりました。それもありますので、公立学校(幼小中高特)の教員を多く輩出しているのも私立大学なのだ、という、歴史を知らないと意味のわかりにくい状況が持続しています。関私教協事務局長としてはそこを強調したい(笑)。

いろいろな学び方があるのに、全日制が正しくそれ以外が正しくないというような状況があると考える。(スポ)
・・・> そうですね。普通科も同様。いずれも高度成長後1970年代に定着してしまった流れです。

中・高の先生→産業界に呼ばれないデモシカteacher・・・ 私も先生になるとしたら、でも・しかの場合であるような気がします。(社学)
デモシカ教師というのを初めて知った。自分の周りにも、子どもに興味のなさそうな、淡々と授業するような先生もいたので、そのようにならずに子どもに寄り添う教員になりたいです。(基幹)
・・・> デモシカ自体は死語だと思うので、ご存じなくて当然でしょう。大学進学者数の増加(率ではなく数)やデモシカの反動などもあって、1990年代以降は教員採用倍率が高止まりし、デモシカはおろか単願でもなかなか採用されない時期がつづきました。2000年代以降は、首都圏などで競争率が下がり、とくに小学校は危険水域まで落ち込んでいます。地方は高止まりがつづいていたのですが、2020年代に入って事態が急変し、田舎の県ほど「いい教員をまともに採用できない」状態がつづいています。いまは新・デモシカ時代なのでしょうか?

結局、「質的転換のつまずき」は、本質的には解決できないまま子どもの数の減少のおかげで混乱が収束していったように思った。デモシカ教師はその後どうなったのか。(文構)
・・・> 質的転換のつまずきの末路(昨今のSNS的な表現 笑)は、次回の話の中にヒントがあると思います。デモシカ教師は世代交代でいなくなりました。1つ上の私のコメントもお読みください。

 
教育王国シンガポール 英国人ラッフルズ(右写真)が1819年に上陸してその歴史がはじまった

 

高度経済成長期の日本では「工業型モデルへの傾斜」が強まり、経済発展と引き換えに過度な受験競争やプレッシャーを生んだという歴史に納得した。他の授業で、優秀な人材を育てるために能力主義を重視するというシンガポールの教育方針を学んだが、それと本質的に共通しており、いろいろな国で懸念される課題だと思った。(文構)
・・・> 私もそれほど多くのサンプルを知っているわけではないが、「いろいろな国で懸念される」というほど共通する問題でもないように思います。「高度」「長期」の経済成長が発生した日本ならではの問題だと、ひとまず考えておいてください(日本特有というつもりはない)。シンガポールはまたちょっと事情が違っていて、1965年にマレーシア連邦から強制排除され、第一次産業のない都市国家として自立していかなくてはならなくなったときに、人材こそ資源であるというリー・クアン・ユー首相の方針のもとで極端なまでの学力重視、競争政策が採られたのです。よく知られるように、生徒の学力でいえば、西の横綱がフィンランド、東の横綱がシンガポール。シンガポールの競争は、敗者復活のないトーナメントみたいに苛酷なものですが、一回戦敗退の人たち、準々決勝敗退の人たち・・・ とそれぞれに受け皿となる産業部門が用意されています。能力主義というか、機能主義みたいな感じで社会運営が進められてきたのが特徴。あれに比べれば日本の競争なんてヌルいと思いますよ。

中曽根さんはなぜ世界史を必修にしたのでしょうか。そして、いつごろ、なぜ止められてしまったのか教えていただきたいです。(文)
・・・> 中曽根首相自身が指示して学習指導要領を書いたわけではないので念のため。ただ中曽根さんが主導してつくった臨時教育審議会(臨教審)は、たしかに世界史必修化を志向しました。日本経済がイケイケの時代だったので、日本(日本人・日本企業)が世界をリードするくらいの意気込みでいたわけですが、だったら世界の歴史や文化を知っておかねばね、という感覚だったと思います。消極的にいえばトラブル(文化摩擦)の回避、積極的にいえば相互理解を深め「世界の中の日本」という見識を身につけさせるということです。終わったのはつい最近。現行の平成302018)年版学習指導要領が実施に入った2022年度の1年生から、世界史の必修がなくなっています(歴史総合と地理総合が必修に)。世界史の必修化は、とてもよい施策だと私は思っていたのですが、学ぶのがほぼ文系エリートに限られていた当時のやり方を「すべての高校生」に適用し、あれもこれもむやみに覚えさせて、挙句に歴史の全体像も歴史的な考え方も身につけられないまま、タスクとして消化するという事態が全国の学校で生じました。進学校であっても、世界史よりも日本史のほうが学びやすい(覚えやすい?)という軟弱な受験生と、教えやすいという軟弱な学校の体質があいまって、世界史必修の意義が形骸化していったのです。そして2006年、世界史未履修問題というのが教育界を揺さぶりました(これはお調べください)。そのころから右派の政治家が「日本人なんだから日本史を必修にするべきだ」という主張を強くするようになります。いろいろな綱引きや駆け引きもあって、いまの歴史総合に落ち着いたわけですね。

教育が国家において重要であるにもかかわらず優秀な人材が他に行くというのは残念に思ったが、金という欲望を前に自分であっても抗えないと思った。(政経)
・・・> 揚げ足を取るようですが、金は欲望ではないし、優秀な人材が産業界に行きがちであることの要因を「金(かね)」で説明するのは、結構浅いかもしれない。社会科学を志すならばもう少し精緻な考察を。

かつては優秀な人が教師になったのに、いまは一流の人は産業界に行ってしまう。実際、早稲田で教職課程を取っている人の多くは教員志望ではなく、教員人口の減少について対策を講じる必要があると思った。(政経)
・・・> う〜ん、少なくとも戦後、敗戦から20世紀いっぱいあたりまでということでいうなら、学生の中で「最も優秀な層」が教員志望だったという時期はありません。基本的には中堅層?が一貫して担ってきました。最終回であらためて取り上げますが、ジェンダー別の傾向はたしかにあって、産業界などに就業する機会を十分に得られていなかった女性のほうでは、わりと優秀・最優秀の層が教員になっていたのですが、その多くは幼児教育と初等教育に向かいました。これも早稲田や慶應義塾にいると感覚がバグってくるのだけれど、たいていの大学では「最も優秀な学生層」が教職志望であり、まずまずまともに機能しています。

「正解」を「最短距離で」が主流になった挙句、複雑な社会を単純化するような空気が蔓延し、民主主義の弱さにすらかかわってきているかもしれないと考えた。(社学)

効率だけを求める教育体制のままではいけないと思うが、自分自身も高校時代に「受験で使わないから」などの理由で一部の教科を切り捨てるようなことをしてきたため、手放しでは批判できない。しかし入試で使うか使わないかで学ぶ価値を判断してしまうような考え方が一定のスタンダードになっているいまの状態は改善されるべきだと思う。(教育)

産業が高度化したのに教育のあり方は複雑になっていくどころか逆に単純化していくという流れが、教育のかたちとして失敗していると思いました。(文)

工業化が進み、第二次産業が盛んだったときには知識伝達型の教育が絶大な効果を発揮すると思うが、第三次産業が7割を占める現在の日本社会においてどこまでその「教え込む」形の教育が社会の発展に役立つのか知りたい。(政経)

教育の改革、見直し、つまずきは頻繁に起こっていて、単に教育の方針や方法の欠点が表出するだけでなく、社会情勢の変化にも影響されて起こるものだとわかった。私たちはいろいろな授業で「これからの教育」のようなことを考えさせられているが、ネット、スマホ、AI・・・ と次々に大きな変革が起こる現在、「これからの教育」もすぐ時代遅れになってしまうだろう。絶対的に正しい思想や方法論は存在しないのだとあらためて考えた。(教育)

1980年代の経済のピークのあと目標を見失って、世界の中の日本として失敗しつづけている(ように見える)のは、なんとかならないのかなと思う。なんとかする人を育てられるようになりたい。(基幹)

経済成長、学齢期人口の増加に伴って学校のキャパが追いつかなくなり、さまざまな問題が噴出したというのであれば、反対に経済も停滞し若年人口が減少している現在、転換や大きめの改善が必要であり、可能なのではないか。(社学)
高度経済成長期以降に大幅に中・高が増えたのに対して、質的な成長がついていかなかったという点で、人口が減り中・高の合併が進む中で、質的な成長は逆についてくるはずだと考えるのですが、現実問題はそうではないと感じるので、興味深いと思いました。(教育)




開講にあたって

教職課程へようこそ。この教育基礎総論Iは、その名のとおり教職課程の基礎として位置づけられるものであり、教員免許状の取得要件を規定する教育職員免許法施行規則において「教育の理念並びに教育に関する歴史及び思想」とされている分野にあたります。当クラスの受講生は、中学校 and/or 高等学校の教員免許状の取得をめざす学生です。中高の免許状には「教科」名が明記されており、たとえば「国語の先生」「保健体育の先生」というように、特定の教科の専門家として指導にあたります。大学入学前のみなさんは、「国語の先生」「保健体育の先生」になるためには、国語や保健体育の関係科目を学べばそれでよいと考えていたでしょうか? 実際には、担当教科を問わず全員が受講し、単位を修得しなければならない科目がたくさんあります。これが「教職科目」と総称される一群であり、基本的には卒業単位の外側ですので、みなさんは教職課程を履修しない学生と比べて、おおむね2割増しくらいの授業を受けなければならない(もちろん授業を受けるだけでなく、それ以上に頭を動かして思考しなければならない)ことになります。それにしても、中高の教員になるにあたって、教育の理念、歴史、思想の学習がどうして必要なのでしょうか? 不思議に思われるかどうか、この分野は、1949年にいまの教員養成の制度ができたときからずっと、基礎の基礎として設定され、ただの一度も揺らいだことがありません。端的にいって、未来の教育者になるためには、教育の理念、歴史、思想を学ばなければならないというコンセンサスができているのです。

理念はともかく歴史や思想というのは、文系の一部門であり、高等学校でいえば世界史、倫理あたりに相当するものですから、これを全員が共有するというのはなかなかわかりにくいところがあります。その答えらしきものは当科目の最終回(第14回)で回収できるはずですが、開講にあたって一つだけ申しますと、現代教育の基本理念というのは歴史的に形成され、それには思想が内包されているということです。なぜ、どのような経緯でそうなったのか。そしてそれは時代の変化や地域の違いなどによってどのような実態をもつのか。課題や矛盾は何か。そうした点を知るには、歴史や思想の学びが不可欠です。忘れてならないのは、みなさんがこれから教員になるとして、その数十年のキャリアのうちに、また社会は変化し、教育も変移します。いま、この瞬間の教育だけを知って、わかったようになっていても、動体視力は養われず、化石のような認識を振りかざすどうしようもない先生になってしまいます(そういう人は残念ながら少なくありません)。

このクラスでは、最初の2回で問題意識を共有して、第3回以降の歴史・思想編で順次、問いへの答えを回収していくというプロセスを踏みます。本年度は他所での業務の関係で、スケジュールが若干入り組んだものになりますが、おおむね欧米教育史+教育思想史→日本教育史という流れになります。最後の2回がこの先の学びへの展望を含む、整理・まとめです。「卒業単位外だし資格モノだから、テキトーにやる」という人は向きません。おそらく脱落します。最終回で明示するように、中学校・高等学校の教員になるために(実は幼稚園・小学校・特別支援学校も同じです)なぜ大学を卒業する必要があるのか、という点をよく考えてみてください。大学での学び、大学ならではの学びこそが、教員に必要不可欠だからです。大学での学びとは、要するに学問です。みなさんには14回にわたって「学問」をしていただくことになります。でも、それはなかなかおもしろく、有意義な作業でもあります。教育者としてのしっかりとした足腰を備えるためにも、週の最後のほうの授業になりますが、万全の態勢で臨み、大いに思考し、深めてください。


<使用するテキスト>

古賀毅編著『教育原理 第二版』、学文社、2026
*大学生協ブックセンター扱い 主に第2章〜第4章を扱います。

 

<評価>
複数回の課題の内容によって評定します。
課題作成における生成AIの使用に際しては、適切なルールを定めます。
出欠は評価の対象としません。

 


講義サポート トップ