古賀毅の講義サポート 2024-2025

Études fondamentales sur l’éducation- 1

教育基礎総論1(中・高) C


早稲田大学教育学部教職課程(全学部対象)
春学期 金曜5限(17:00-18:40)  早稲田キャンパス 14号館 402教室

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2024(令和6)年度 教職科目における指導・評定方針

 

20247月の授業予定
7
5日 日本教育史(4):高度成長期以降の教育
7
12日 岐路に立つ現代教育:1990年代以降の展望
7
19日 教員養成の歴史的展望


本年度の授業は終了しました。みなさんのご活躍をお祈りいたします。

 

 

REVIEW 7/19
*文意を損なわない範囲で表記や表現を改めています。掲載を省略したり、複数のものを統合したりする場合があります。

教育を考えるうえでは教員養成のあり方と制度に注目しなければならないことがよくわかりました。加えて、これから教師として生きていくうえで私自身がどのような学びを経験してきたのか、そしてどのように学んでいくのかを考えつづけていきたいと思います。そのことが、生徒がどのように学びを将来につなげていくのかを考えることにもつながると思います。(教育)

今回の授業で教員養成の変遷を学び、今後、中等教育で教える人をめざす立場として、質の高い、教えるのが上手な人になれるよう、自分の専門科目をしっかり学んでいこうと思った。戦前ほどは教員になる際に高い目的意識などを求められていないが、刻一刻と変化しつづける社会で生きていくために重要な、学びつづけていくために重要なことを教える中等教育を担う者として、高い目的意識をもって学びつづけていきたい。(スポ)

この科目を受講するまでは、学校制度は初等→中等→高等教育のように下から上に成立したのだと思っていました。中学校・高校の社会科の教員になろうと考えているので、生徒たちが高等教育で学ぶことに役立つ教育を提供できるようになりたいと思います。(教育)

私は、貧乏から成り上がった人が初等教育の質を支えたころもいいとは思いますが、専門機関型より開放制教員養成のほうが好みです。振れ幅はあると思いますが、専門機関型でよい先生になれるような人は、開放制でもよい先生になれると思うからです。(教育)

開放制の問題点として何があるのか考えてみたい。制度を変える際に教員の数が足りるのか見積もることができていたのか疑問に思う。教科専門性のある教員と教職専門性のある教員を別で育成して補い合うのではだめなのかと思った。(基幹)
・・・> それを真剣に考えるべき時期かと思います。教科の先生>教職の先生みたいなヒエラルキーができなければいいな。

教職を志す学生が教授法や生徒理解について深く学ぶといういまの開放制のあり方は、「よい教師」を養成するのに大きな役割を果たしていると思った。(教育)

閉鎖制?から開放制に変わって、逆コースを生まなかったのは、生徒人口の拡大が要因の一つになっていたとされていたので、ならばいまのように人口の減少がつづけば閉鎖制的な性格に戻っていくのかな、と思いましたが、そうなるには上構型と下構型の違いや学問への熱量と、限られた就職先という要因があるので、再び閉鎖制的な性格に戻るのは現在の社会では難しいのだとも思いました。ただ、先生が教科専門性の重視をおっしゃっていたように、開放制の性格のままではままならなくなり、新しい教職教育の性格をつくることが求められる(もう求められている? 実践中?)と感じました。(教育)


嘉納治五郎像(日本オリンピックミュージアム前)
東京高等師範学校(現 筑波大学)の校長を務めスポーツの近代化に貢献、
講道館柔道を創始したほか、アジア人で初のIOC委員を務め五輪精神の普及に努めた

 

現在に至るまでの教員養成の歴史を学ぶことができた。教育にかかわる大学の系譜がわかり、現在と通じる部分も多いなと思った。時代や環境の変化により教育の制度や内容が変わり、それにより教員養成も変化してきたのだとわかった。教員や教育のあり方が、将来世代と彼らの社会を少なからず規定するであろうと思うので、教職課程を履修する者として、教科に関する知識はもちろん鍛え上げたうえで、教職専門性も磨いていかないといけないなと思った。(教育)

戦前は、初等教育の教員になるのか中等教育の教員になるのかによって通う学校が違っていたと知って驚きました。開放制が確立されたことで、学生側にとっては、教員免許を取ったからといって必ずしも教員にならなくてもよいという利点ができたのだとわかりました。しかし教職課程を履修したからとはいえ、そこで学んだことだけを教えるだけではなく、時代に合った教え方や専門性が求められていると思いました。(法)

他の教職科目で、師範学校がどうだ開放制がなんだみたいな話は聞いたが、その背景にあったもの、その結果生まれたもの、歴史などの話はされなかったので、今回は非常におもしろかった。ただ教員になるだけなら穴埋め式に単語を暗記すればいいのかもしれないが、やはりそれではおもしろくない。せっかく「大学」で「教育学」の片鱗に触れられるのだから、めいっぱい頭を使いたい。(文)

つらら型の高等教育を受けた人が、師範学校でも中学校などのつらら型の中等教育の学校でも教員になった。だとすると同じような教育がなされそうな気がする。それぞれの生徒に、たけのこ型・つらら型のそれぞれの特色が強く出て、それが教育に違いを生んだという認識でいいのだろうか。(文構)
・・・> よいです。学校の性格がまるで違いますからね。

「坊っちゃん」や「二十四の瞳」は読んだことがなかったのですが、当時の教育の状況が描かれていておもしろいなと思いました。(文)
戦前の中学校と師範学校の違いなどを学ぶことにより、「坊っちゃん」や「二十四の瞳」がよりおもしろく読めた。もう一度、本を読みなおしたいと思った。(教育)
夏目漱石の「坊っちゃん」を通して、当時の「先生」の様子を知ることができた。いままで漠然としたイメージしかなかったものを具体的に想像することができてよかったです。(教育)

教師は洋服を着ていたり髪型が違ったりしていたから、村人にとって異質で警戒すべき対象だったという話を聞いて、地方はそのような感じだったのかと驚いた。また、島に行った先生が意外と好きになってしまい本土に戻りたくなくなったというのは、異質な教師に対して、本土の世界を見て経験している教師に島人が徐々に関心を示すようになり、それが教師にとってはとくにうれしかったのだと思えた。私は地方出身で、地方では「国立大学第一!」といわれていた。明治のころは高等教育を受けたところで農業の道くらいしかなかったので役に立てられず、行っても国立という考えがあったと思うが、それがいまでも継承されているのだなと納得した。(教育)
・・・> ね。これが首都圏あたりで生まれ育つと感覚がバグるのですが、国公立がいまでも優越するんですよね全国的には。高田早苗先生は、そこに風穴を開けようとお考えになったのだと思いますが、その信念は私たちが引き継ぎましょうよ。

戦前の教師への考え方がいまとは違うなと思った。国を背負って一人でも立派な日本人を育てようという意思が、いまはあるのか。少なくとも私にはないと思った。(法)
戦前の教員は、師範学校出身の厳格な「国の使者」として存在していた。しかしいまの教員には、そのようなイメージが薄れているように感じる。いったいいつから、どのように教員のイメージが変化したのか。その理由が気になった。(教育)
・・・> 試験や入試における国語(現代文)の設問の仕方が原因だと思うのだけど、原因というべきところを理由と表現する人が多くなりましたね。理由は主に人や人間集団の思考や行動の意味づけを指し、状況や構造の話については原因とか要因とか、ときには背景といった表現のほうが適します。レビュー主にというより、大学生のみなさんに注意を呼びかけたい。そのようなことをレポートや論文で書く機会はたくさんあるでしょうからね。さて教師・教員観の変化ですが、戦前において「聖職」みたいに持ち上げすぎた反動や反省があって、戦後はそのような自己認識は薄れましたし、社会からの評価も同様でした。ファシズムや軍国主義の時期には、先生のいっていたことが完全に誤りだったということも多かったわけですしね。戦後、教員の多くが労働組合に加入して左派的な活動にコミットするようになると、「労働者的教師像」のようなものが自己認識として登場しましたし、社会の側もそのような見方をするようになりました。その後、経済成長とそれに伴う高学歴化(第12回の内容)によって、児童・生徒の親の学歴がむしろ教員のそれを上回ることもめずらしくなくなり、そこにメディアの発達もあって、「学校の先生なんて」というネガティブな見方もしばしば共有されるようになりました。そんなもんでいいですかね。同業者の批判は私も気がめいります(汗)。

師範学校には金持たずの優秀な庶民を集め、小学校の教員になるための教育をおこなったが、彼らのほどこした教育は浅くて薄かったということを学び、きわめて皮肉なことだと思った。(教育)

師範学校時代からの教員養成の歴史や、大学制度と教職課程の成り立ちを知ることができた。中等教育の重要性と、ある意味での危険性をあらためて感じた。学びつづける人が教える人になるとは、そのとおりだと思う。広島大学行きたいです。(教育)
・・・> 「学ぶ」かどうかは別にすれば、「行く」ぶんにはいつでもできるんじゃ(笑)。広島大学は広島市ではなく東広島市に所在し、最寄りは山陽本線の西条駅ですが、そのあたりは日本酒の一大生産地として有名。広大に行った人は一定の割合でそっちにハマるみたいですね。私は、教職専門性に不安を覚える教え子に上越教育大学(新構想の国立教員養成系大学)の大学院を勧めることがあるのですが、そこで2年間学んで公立学校の教員になったある教え子は、「いや先生、新潟はお酒がウマくて・・・」と、そっちを先に報告していました。教員養成と酒造りには共通するものが・・・ あってたまるか(^^


高田早苗先生の像(7号館前)

 

教科専門性だけがある人が教師として学校で教えるというのは、いまの教職のカリキュラムから見たら異例だと思った。いま教育についての知識がまったくない先生がいたら、かなりまずい気がする。(法)

中等教員資格の獲得に関する特許を私立学校に出すというしくみは、その当時はなかなか斬新だったのではないかと思いました。その大学で学び、卒業すれば教員になることができ、徴兵免除にもなるのなら、とても魅力的に思えます。教員が増えすぎてしまいそうなのですが、実際はどうだったのでしょうか。たとえば給料が高くないなどの要因があったのでしょうか? 早稲田の教育学部には教職課程を取る人がとても少なく、教育学科以外の各学科の必修科目に「教育学」の授業がない理由がわかりました。ただ、実際に春学期の授業を受けてみて、教職課程の授業がどれもおもしろかったので、少しくらい必修にしてもいいのではないかと思いますが・・・。(教育)
・・・> かなりの私学出身者が中等教育の教員になっていたんですよ。結構な好待遇でもあったようです。ただ、産業化の進展で民間にもそれなりに就職先が増えていたことと、何よりも「教師として生徒に教える」という仕事を自分のものとして考えられない人がかなり多かったというのがあると思います。それは現在も同じですよね。「絶対に先生にならない」人は、大学生の半数を超えるのではないでしょうか。

身近な大学や教育学部のルーツがわかり、いままでの話もすべて現在につながっていたのだと実感しました。高田早苗先生は早い段階で中等教育の可能性を見抜いていて、すごいと思います。私の高校にも何人か早稲田大学教育学部出身の先輩がいて、大学とまったく関係ないはずなのに校歌も応援の仕方もそっくりです。(教育)
・・・> 高田先生のステマ大作戦が功を奏したわけですね(笑)。いわゆる応援団の文化というのは、ルーツがいくつかあるのですけれど、野球応援に関しては東京六大学の影響が他を圧倒します。とくに吹奏楽・チアリーディングと伝統的な学ラン式リーダーとの融合は六大学の発明品で、甲子園の高校野球を通じて(テレビ経由で)全国隅々に普及しました。中でも早稲田のコンバット・マーチ、慶應義塾のダッシュKEIO、法政のチャンス法政の3曲はさんざんパクられまくりコスられまくって、そうした普及に貢献したといえます。(♪馬場の次はワセダ〜 ていうコンバットの替え歌知ってる?)

戦前は、中学校と師範学校の教師はどちらも高等師範学校で学んだようですが、中学校の教師になるのと師範学校の教師になるのではクラスが違うといったことはあったのでしょうか。(先進)
・・・> 高等師範学校の構成は、いまの早大教育学部のようなものだとお考えください。すなわち教育学+各教科の親学問です。時代によって推移はありますが、東京高等師範学校には、文科(国語・英語・地理歴史)・理科(数学・物理・化学・博物)・特科(体育)といったコースがあり、教育学・修身・心理学などが共通科目として必修化されていました。これらの組み合わせによって卒業時に中等教員資格が付与されました。師範学校の根幹部分を支えたのはもちろん教育学を中心に学んだ人ですが、師範学校や実業学校などの上構型学校にも国語・数学・体育といった普通教科はありますので、それらの教員は相応の科目を中心に学んでいたとお考えください。

早稲田の教育学部に理学科や数学科が入っているのがずっと気になっていたので、教員養成の改革をそのまま受け継いだものだと知って非常に驚いた。(教育)
・・・> 社会科と理学科は、教員養成の改革の理念を受け継いだ延長線上で、第二次大戦後に新設されました。理学科に物理・化学がないのは不自然ですが、理工学部との役割分担と、中等教育にあっては重要なのに理工学部に相応のコースがなかった生物・地学を優先したということのようです。理学科数学専修が独立して数学科になったのは21世紀に入ってからのことです。教育学科には、1988年入学の私の2学年上まで体育学専修があり、阪神の岡田監督などの名選手を輩出したのですが、人間科学部(のちにスポーツ科学部が分離)の創設と同時にクローズとなり、現野球部の小宮山悟監督やラグビー蹴球部の元監督・清宮克幸さんの学年が最後になりました。学科専修コード、教育学専修のAから順に附番しているのですがI(アイ)がないのにお気づきでしょうか(学部コードにもない)。教育学部には愛(I)がないからだというのが古典的なネタでした(もちろん算用数字の1とまぎらわしいからですね)。教育学部には愛しかないです。(誰目線?)

 
「東洋のシンドラー」杉原千畝(1900-86年) 早大高等師範部で学び外交官になった大先達である
(左)リトアニア カウナス駅のホーム上に掲出された記念プレート (右)「命のビザ」(カウナス 杉原記念館蔵)

 

身分の格差や男女の格差によって、より高度の教育を受けることができなかった優れた人たちが初等教育を担っていくことで、質のよい教育ができる時代だったということがわかった。現在は教師の立場がかなり低くみられがちだから、モチベーションにも影響して、質の確保をしていくのが難しそうだと思った。(人科)

金持たずである一般人であっても、人柄がよくて学問の面で向上心のある優秀な生徒は、師範学校に行って小学校の先生として生きる道があったということを知り、学びになりました。師範学校が中等教育であったというのは驚きですが、やりがいのある、誇らしい職であったということを、われわれは噛みしめて、教師になるべきだと思いました。(法)

初等教育を受けたあとお金持ちではないが優秀な人は師範学校へ進んで中等教育を受け、小学校の先生になる。その後、時が経つと優秀な女性が小学校の教員になる。こうしたことによって長年、初等教育の質が高かったと考えられるが、現在の初等教育と比較してみると大きな差があると思う。この差はジェンダー格差がなくなっていくとともに大きくなったと思われ、ジェンダー格差問題の解決と初等教育の質の低下が同時に進んでしまったことを考えると、なんともいえぬ気持ちになった。(人科)

何か不平等があったほうが教育の質が上がるというのが、不思議に思います。誰かの負担によって成り立つのなら制度に問題があると思います。(文)
ジェンダーと教育の歴史的観点から、教育の質のよさを担保するのは初等教員であったということを初めて知った。立場が低い女性や師範学校生が身分を上げるために、意欲的に知識を吸収しているという点で、差別が皮肉にも質の高さを生み出したのだと考えた。(スポ)

戦前は教員になることが名誉とされていたため教育の場にたけのこ型の人が多く存在していたこと、そして昭和末期まで初等教育においてはその流れが残っていた。その結果、質のよい教育ということでは生徒にとっては平等であったのではないだろうか。もちろん男女平等や職業の平等の問題はないのかと問われればあるが、向学心さえあれば公教育のみでも生徒が十分に出世する可能性を残しておくべきではないだろうか。そのためには質を犠牲にして教員を濫造することはあってはならないと考える。塾に頼ることができる人がレベルの高い大学に受かるというしくみになりつつあるのであれば、平等性は存在しない。人生を逆転する機会がないと、国民の質の劣化という結果を生むのではないか。(文構)

教員養成のしくみの変遷がわかった。教員になる気のない人が教職課程を履修することで、いままで自分が学んできたものの意味や本質がわかるようになるのではないかと思った。(基幹)
・・・> 誤解を恐れずに申しますと、このご指摘はかなり重要で、その面をもう少し重視すべきだと私は考えています。キャリア教育が強く要請される事情でもわかるように、いまの時代、全員が18歳で先の職業を確定するというのはよろしくないです。自分の適性や能力の見極めだって、大学卒業間際にならなければわからないですよね。ご指摘のように、あまり気乗りしなかったが教職課程を学んでみたらその気になったという人と、教員になる気まんまんで乗り込んできたが大学に来て「違うかも」と感じて降りた人とを入れ替えるというのは、人材の適正配分という意味でも、もちろん高等教育の機能としても大事なことだと思うのです。気乗りしないで教職にエントリーしたというみなさん(手は挙げないでしょうけど!)、遠慮せず方針を転換して「教員になります!」といってくれていいんだよ(笑)。

 

 

教職科目が増えていく一方で当初の開放制がめざした高度な専門知識や教養もまた重要になってきているという話が興味深かった。社会の変化に伴って必要となる知識だけでなく、生徒も変化しており、それにも対応しなければならないと思った。(教育)

中等教育と高等教育の両方の変容によって、教職の授業は多くなってきていると聞きましたが、たしかに教員免許を取るのは大変だと思います。最近では塾やYouTubeで勉強する生徒が多いので、教師の意味がなくなってしまうと心配でした。先生の話を聞いていま一度、自身のもつ教師像を見つめなおし、さまざまな知識を得ようという意識が出ました。(教育)

戦前の教員養成は、師範学校による教職専門性が高い学びのみをおこなうか、大学で教科を専門的に学んだ者に教員をさせるもののいずれかで、戦後は教科専門でそこに追加で最低限の教職の学びをするだけだった。近年は教職科目が増え、教職課程が難しくなっている。23年生になって実験等が増えたときに教科・教職ともに学びの質が低下する恐れがあり、よくないと思う。ただ、中等教育が変化し、求めるものが高度かつ複雑化している中で、教職科目も多くやる必要が出てくるのは当然で、その2つの対立に対応するための抜本的な改革がどこかで必要になると思う。(基幹)

生徒の教科の力を引き上げるためにも、教員自身の高度な専門知識は本当に大事になってくると思いました。大学での日々の授業を大切にし、学びつづけることができる人になりたいとあらためて思いました。(教育)

私は教科専門性が大切だと考えた。教師として、ひとりの人間として、教室で教える立場として、人間性も大切だけどそもそも学力がなければ教師として一流とはいえないからである。(文)

教師の質として、教科への理解度がいちばん重要だと私は考えているため、開放制の当初から増えた教職科目は、「教師」から「先生」へと学生のめざす先を変えているように感じた。初等教育に必要なのが子どものしつけ的な教育をおこなう先生で、中等教育においては教科を教える教師が必要だと考える。(文構)

私も教科専門性のほうが大事だと考えていて、教職専門性にかかわる教職科目はいまほどは必要ないと思います。ある程度現場に出てから学ぶというのもよいのではないかと思いました。(先進)

かつての教員養成では、各教科の専門的な知識をもつ学生に、教育方法などを教えることなく中等教育機関に送り出したが、いまの教員養成では各教科の専門知識を学ぶ学部にいない学生でも、教職課程を経れば免許を取れてしまう。つまり教科専門性と教育についての知見が逆転してきていると思う。教科に対する専門性の担保がこれからの教員養成の課題だと感じる。(文構)
・・・> まあそうなんですけどね、でも大学の学部学科で学ばれている学問と、初等・中等教育の教科の枠組はかなり違いますので、基本的には不一致です。学校の教科に沿って学科・専修を配置している早大教育学部のようなところがむしろ圧倒的に少数派。かつての社会科が二分されてできた片割れの高等学校公民科ですら、政治学・法律学・経済学・社会学・心理学・哲学・倫理学・国際関係学などにまたがり、最近では環境科学や生命倫理などもあるため理系分野の知見も不可欠になってきていて、そんな学部学科などあるはずはないですよね。私(古賀)は公共の教科書を書いている公民科のプロパー(のつもり)なのですけど、前述のどの分野の専門家でもなくて教育思想史が本来の専門です。おっしゃっているようなことを十分に尊重しつつ、でもそこを「教育」「次世代の育成」という視点で、はみ出して、飛び越えてでも教えにいこうという人が、これからの中等教育にはぜひ要るかなあと考えています。

高度な専門知識をもつ人がより重要になってくる。ただし、決められた内容でペーパーテストに挑むといったシステムから、具体的にどのように変化するのだろうか。(教育)
・・・> もうCBTComputer Based Testing)への移行は時間の問題だと思います。全国学力・学習状況調査が2027年度からCBT化されるという話を前回したと思いますが、大学入試でも導入が加速することでしょう。ただ評価(assessment / evaluation)というのはそれ単体としてかなり高度で専門的なスキルを要するものですので、教職課程というより教員採用試験や研修への強度な組み込みが望まれるところです。

他の教職科目でロールプレイングをした際に、業務に手が回らずスクールソーシャルワーカーに依頼しようとするのを他の先生が「現場で鍛えるべき」と反対しているのを、平成10年の教職科目を通じて、実際にありうることだと思った。(文構)
・・・> 後半がよくわからないのですが、あれこれ教職科目が増えて教員の能力範囲が限定されているということ? それとソーシャルワーカーへの発注の話がどうもつながらない気がするのですが、何か腑に落ちるところがあったのでしょうね。日本の教員はあれこれ仕事を抱え込みがちで、ゆえに多忙で大変だというのですが、他の職種の人と協働・分担するとか、他の専門家にゆだねるといったことが不得意で、「それでも自分がやりたい、やらないと気が済まない」と考えるタチの人が多いといわれます。それは私もわかる。そして同時に、そういう先生が多いせいで困惑・迷惑している先生がたくさんいることも承知しています。

教職科目が増えるほど、教員それぞれの教科専門性が低くなるだけでなく、増えた教職科目が負担となって、特定の分野を専門的に学んだ人が教員という進路を選ばなくなってしまうと思った。(教育、類例複数)

教員が人手不足になっている中で、教員免許を取得するための科目がどんどん増えているといういまの状況がつづくと、そう遠くない未来に日本の公教育は崩壊してしまうのではないかと危機感を覚えました。(教育)


公教育の父二コラ・ド・コンドルセの像(パリ 学士院前)

 

入試に合格するための勉強や子どもの興味をとにかく惹く勉強は、塾や予備校、YouTubeのプロに、教員はかなわないと思っていましたが、そもそもその土俵で戦うべきではないのだと思いました。教育を商品にしている方々は社会の潮流に合わせて短期的に成果を出すコンテンツを出すしかないので、人格の陶冶や数十年後まで生徒の力になるような学びは、公教育にしか担えない部分なのだと思います。(教育)

いまスタサプやYouTubeなどネットを通じて勉強する生徒が圧倒的に多い中で、教師にしかできないことや、そのうえで教師に必要とされるスキルとは具体的にどのようなものなのか、開放制の理論と結びつけて、もっと考えたいと思った。(教育)

何年か前に齋藤孝さんの本で「本を読む習慣もない人は教育者にはなれない!」というような本を読んだことがあるが、当時はピンときていなかった。教師に学びつづける姿勢がないのは、生徒に勉強する意味を「テストのためだ」と教えるような教師になってしまうのと同義であるのかも、と納得した。(教育)
・・・> 本を読まなくても教育者にはなれますが、そんな教育者に教わった生徒は不幸だなと思います。「○○するべきだ」を背中で(自身の態度や実績で)示すことができるならば上々で、逆に「○○しなくてもよい」ことを示してしまう先生には、私だったら退場を勧告したい。

教職について深く考えた授業だった。大学を出ただけでは教員免許を取れないし、教職課程を取っているならば教師として学びつづけるべきであり、その義務があると感じた。秋学期もがんばって教職を取りつづけます。(文)

これから学問を楽しく学び、学問を生徒に提供し、私のような「こなしていく生徒」ではなく、学問を学ぶということを教えられる教師になりたいという目標をつくることができました。(教育)

教員像に関する話を聞いて、私が中等教育を経て学習面で得たものの多くは「受験」を目的にしたものだったと振り返りました。将来教員になって、そのような教育をしないよう、大学4年間を大切にしたいと考えました。(教育)

高校の先生になるなら高校卒業でいいのか? なぜ大卒が必要なのか。知的基盤のない人が教育者になったことへの反省、大卒という要件が教育界に厚みと深みをもたらしたという部分で、いま自分が大学という場に在籍できていることをしっかりと受け止めたいと思った。今期の授業を通して、自分が生徒に与える影響が大きすぎる、責任が重すぎるというプレッシャーを感じたのと同時に、しっかりと生徒に光を届けられるような教師になりたいと思った。(教育)


セーヌ川と自由の女神像とエッフェル塔 知の光と理性と歴史が交錯する花の都パリ

 

最後の授業らしく、いままでの内容を振り返るシーンが多く、点と点がつながる感覚であった。古賀先生の教育に対する考え方に共感できる部分が多々あり、非常におもしろい14回の授業でした。(教育)
いままでの授業のさまざまな点がつながるような内容で興味深かった。歴史を知り、教職課程がただ複雑になったのではなく、社会の変化に応じてこのようになったということが理解できた。教職科目が増えたからには、質の高い教員になれるようにしたい。専門性も高く保てるようにしたい。(法)

早稲田の教育学部の歴史がおもしろかったのと、今回のお話のような課程を私の中高の先生は乗り越えてきたのだという実感のようなものが湧いたので、教育史を勉強したいと思いました。なんとなくで教員をめざしていましたが、教員ってやりがいのある仕事だなと、本気でめざしたいと思いました。めざします。(文構)

4ヵ月のあいだでしたがお世話になりました。中高生時代にずっと中等教育に対して抱えていた疑問や、それへのぼんやりとした対応策などを、この4ヵ月で劇的に言語化できるようになったと思います。これは先生の授業のおかげです。しかしまだまだ未熟です。いまのところライフワークにするつもりなのだから、これこそは!と思っている所存です。(文)

半期のあいだありがとうございました。最初のほうの授業で自分のことを川勝知事にたとえて話されるので驚いていたのですが、とくに第13回・14回はとても考えさせられる、私にとって深い学びとなるものでした。教科専門性の大切さは教育の長い変化を俯瞰すると理解できました。私も、このへんは適当にテスト前にちょちょっとやればできるできる、なんて生徒にぽろっとこぼさないよう、この試験期間を含めて学んでいきたいと思います。(人科)
・・・> 川勝知事に自身をなぞらえたことなんてあったかな? まったく記憶にないのでいい加減なことを申したのでしょうが、多少の凸凹や確からしさを捨象してでもいいから大づかみに歴史や社会の流れを捉え、言語化しようということでいえば川勝先生の学風は(多少インチキくさいしゃべり方も含めて)共感するところがあるんですよね。私が大学院生になったときの入学式の記念講演が川勝先生で、そのお話があまりにおもしろくて、学問すげ〜と心から思ったことをいまでも憶えています(中身は憶えていません 汗)。

促音の「っ」やICTTの発音にこだわっておられた理由があればお聞かせください。(文)
・・・> 促音や「ティー」「ディー」といった発音は音声だと聴き取りにくく、他の語と錯覚することもあるため、キーワードはわざとらしく発音して違和感を発生させ、印象を強めるという、スピーチ上の技術です。誰か私をICT(あいして〜)。

最後に指摘された、「学びつづける人が教える人になる」というのはそのとおりだなと思いました。いま勉強している数学でも、昔の定理や証明が訂正され、日々新しくなっています。また生徒のあり方もどんどん変わっていく中で、接し方やかかわり方のよしあしもどんどん変わっていっていると思います。教える側も、考え方と専門分野を日々更新していくべきだと思いました。(教育)

これまでありがとうございました。大学に入って最初の教職科目でこの授業を選択してよかったです。課題が他の科目より大変なのは負担ですが、それでもぜひまた先生の授業を受けたいです。講義サポートのアーカイブを見られないのが残念ですが(笑)。(文)

自ら学びたいことを見つけて究めることの大切さを、14回の授業で学びました。いつも刺激的な授業内容で、先生のおっしゃる学生や社会への指摘も常に的確で、自分自身の変えていかなければならない点がたくさん見つかりました。毎週いちばん楽しみにしていた授業だったので寂しいですが、これからは自分でアンテナを張って、変動する社会の状況を見極められる教員になれるようがんばります。(教育)

 

 


開講にあたって

教職課程へようこそ。この教育基礎総論Iは、その名のとおり教職課程の基礎として位置づけられるものであり、教員免許状の取得要件を規定する教育職員免許法施行規則において「教育の理念並びに教育に関する歴史及び思想」とされている分野にあたります。当クラスの受講生は、中学校 and/or 高等学校の教員免許状の取得をめざす学生です。中高の免許状には「教科」名が明記されており、たとえば「国語の先生」「保健体育の先生」というように、特定の教科の専門家として指導にあたります。大学入学前のみなさんは、「国語の先生」「保健体育の先生」になるためには、国語や保健体育の関係科目を学べばそれでよいと考えていたでしょうか? 実際には、担当教科を問わず全員が受講し、単位を修得しなければならない科目がたくさんあります。これが「教職科目」と総称される一群であり、基本的には卒業単位の外側ですので、みなさんは教職課程を履修しない学生と比べて、おおむね2割増しくらいの授業を受けなければならない(もちろん授業を受けるだけでなく、それ以上に頭を動かして思考しなければならない)ことになります。それにしても、中高の教員になるにあたって、教育の理念、歴史、思想の学習がどうして必要なのでしょうか? 不思議に思われるかどうか、この分野は、1949年にいまの教員養成の制度ができたときからずっと、基礎の基礎として設定され、ただの一度も揺らいだことがありません。端的にいって、未来の教育者になるためには、教育の理念、歴史、思想を学ばなければならないというコンセンサスができているのです。

理念はともかく歴史や思想というのは、文系の一部門であり、高等学校でいえば世界史、倫理あたりに相当するものですから、これを全員が共有するというのはなかなかわかりにくいところがあります。その答えらしきものは当科目の最終回(第14回)で回収できるはずですが、開講にあたって一つだけ申しますと、現代教育の基本理念というのは歴史的に形成され、それには思想が内包されているということです。なぜ、どのような経緯でそうなったのか。そしてそれは時代の変化や地域の違いなどによってどのような実態をもつのか。課題や矛盾は何か。そうした点を知るには、歴史や思想の学びが不可欠です。忘れてならないのは、みなさんがこれから教員になるとして、その数十年のキャリアのうちに、また社会は変化し、教育も変移します。いま、この瞬間の教育だけを知って、わかったようになっていても、動体視力は養われず、化石のような認識を振りかざすどうしようもない先生になってしまいます(そういう人は残念ながら少なくありません)。

このクラスでは、最初の3回で問題意識を共有して、第4回以降の歴史・思想編で順次、問いへの答えを回収していくというプロセスを踏みます。第4回〜第6回が欧米教育史、第7回・第8回が教育思想、第9回〜第12回が日本教育史、第13回・第14回がこの先の学びへの展望を含む、整理・まとめです。「卒業単位外だし資格モノだから、テキトーにやる」という人は向きません。おそらく脱落します。最終回で明示するように、中学校・高等学校の教員になるために(実は幼稚園・小学校も同じです)なぜ大学を卒業する必要があるのか、という点をよく考えてみてください。大学での学び、大学ならではの学びこそが、教員に必要不可欠だからです。大学での学びとは、要するに学問です。みなさんには14回にわたって「学問」をしていただくことになります。でも、それはなかなかおもしろく、有意義な作業でもあります。教育者としてのしっかりとした足腰を備えるためにも、週の最後のほうの授業になりますが、万全の態勢で臨み、大いに思考し、深めてください。


<使用するテキスト>

古賀毅編著『教育原理』、学文社、2020
*大学生協ブックセンター扱い 主に第2章〜第4章を扱います。

 

<評価>
複数回の課題の内容によって評定します。
出欠は評価の対象としません。

 

 


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