古賀毅の講義サポート 2022-2023

Étude fondamentale sur l’éducation -1

教育基礎総論1(中・高)C


早稲田大学教育学部教職課程 (全学部対象)
金曜 5限(16:30-18:00)  14号館 402教室

 

 

 

 

 

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2022(令和4)年度 教職科目における指導・評定指針

 

20227月の授業予定
7
8日 岐路に立つ現代教育:1990年代以降の展望
7
15日 公教育の現在地(フォーラム)
7
22日 教員養成の歴史的展望


 


 


本年度の授業は終了しました。今後のご活躍をお祈りいたします。

当科目の評定、課題の総評などは819日にWaseda Moodleに掲出する予定です。しばらくお待ちください。



2021年度の授業動画(第4回〜第13回、第15回)を配信しています。本年度の授業本編と内容・構成は同じですが情報の種類や選択、説明の仕方などは異なっています。その点にご注意ください。



REVIEW 7/22
*文章や表記を統合・省略したり、修正したりしています。

教員養成について詳しく知ることができた。学術をする者が教育現場に行かないといけないという考えに、非常に賛同した。また教育者への道の話を詳しく教えてくれたのがありがたかった。(社学)

教員養成・採用の制度が変わって、教員の数は多少増えるかもしれませんが、質はまた落ちてしまうと思います。それよりも教員の社会的立場を上げ、より知的な学生がめざす職業になっていけばよいと思います。(人科)
昨今の教員不足を考えると、、大学卒業まで教員免許が取れないというのは少しハードルが高いなと思いました。普通の企業に就職するか、免許が取れることを前提として教員になることを決めるか、すごく難しい選択なのではないでしょうか。教員になりたいけれども金銭的な理由で大学に行けない、あるいは途中で退学してしまう人もいるし、とくに教員になりたいわけでもないのになんとなく教員免許を取ってしまう人もいるというのは、少し問題だと思います。(教育)
・・・> 普通の企業か教員か、というところで迷うというのが、そもそも開放制の特徴でありよさでもあったわけです。そこをつぶしてしまうと専門機関型≒閉鎖制に逆戻りして、ロクなことにはならないと思うんですけどね。上の方が指摘しておられるように、「より知的な学生がめざす職業」というコンセンサスをつくっていく努力が要ります。なんとなく、現場が自らその道を閉ざしている感じもありますのでね。また「なんとなく教員免許を取ってしまう」とありますが、ハードルないし制度的な安全弁がなお二つあります。一つは教職科目などが大増殖して、なんとなくでは4年間もたなくなってきたこと、もう一つは、教員免許という「資格」を得ることと教員採用・教員就職がまた別であるということです。教員採用試験はそう簡単に受かるものでもありませんので、そこでフィルターをかけることができています。

開放制教員養成は専門教員の養成にあたっては申し分ないものである一方で、2教科、3教科の免許をもって教える教師という像を想定していないことが気になる。学際化やIT化に対応するためには専門家だけでなく多芸家の存在を学校に取り入れてもよいのではないか。海外の教員との比較ができない(勉強していないので・・・)ため、出羽守にはなれないが、少子化の中で教員志望者が食いつないでいけないと、少教師化はすぐにやってきそうなものである。(社学)
・・・> 1990年代あたりまではむしろ複数教科の免許取得を推奨しているところがあったんですけどね。2010年前後から教職課程認定の基準が急に厳しくなりました。私の勤務校でも、機械、電気電子、建築、生命科学などの分野でも以前は中・高数学の免許状を取得できたのですが、もうできなくなりました。工学部系統で学んだ数学の先生は、理学部系の人とはまた違ったよさがあって、よいと思うのですが・・・。

学校に対して、人格的な成長を促すことへの期待と、学術的(進学的)な期待が2つ存在している。こんにちの社会ではとりわけ後者のほうが大きい。その流れで教職課程にて、教え方や伸ばし方が重視されている。少なくとも私は前者のほうに応えていきたいと考える。(教育)
・・・> おそらくわかっておられて、あえてそのように書いているのでしょうが、学術的と進学的を結んでしまうのは、私はあまり好きではないな。「後者のほうが大きい」というのは進学のほうですもんね。学術だったら別に問題はないはずです。『教育原理』p.102の拙稿(コラム)もぜひお読みください。

自分が好きな教科であるからその教員になって生徒に勉学の楽しさを教えたい、という考え方は筋が通っているようで身勝手な主張だと、以前の授業で先生がおっしゃっていたのを思い出した。教育を受ける生徒のほうこそ教員が常に気にかけなくてはならない対象であること、大学において自分の専攻とは別に教職課程が設置されていること、私がいま大学生として意識すべきであることなど、とても多くのことを学ぶことができた。ただ、このままでは「知った」という状態であって、何も変わらない。今後さまざまなことに積極的に参加して、大学での総合的な学びを大切にしたい。(文構)
・・・> 身勝手といった覚えはなくて、たぶん「簡単ではないよ、ためしに自分の苦手な教科のことを想像してごらん」的なことを指摘したのだと思います。私は教専門性を優先させるべきだという考えなのですが(意外でしょうかね)、自分の好きな、得意な教科の中に閉じこもるのであればやっぱりだめですね。生徒はあなたの教科だけを学ぶのではないので。


コレージュ・スタニスラス(パリ) フランスではめずらしい、小中高一貫の私立名門校で
シャルル・ド・ゴールなどを輩出した 一方、フランスの高等教育はすべて国公立である

 

師範学校が存在していたころに比べて、少しずつ大学の位置づけが変わっていき、同時に大学に通う層が厚くなり、さらに教員の受容も歴史を通して変化を繰り返してきた。その中で教員養成制度、とくに教職科目に大きな変化が表れてくる、という流れが具体的に見えてきた。(文構)

教員養成の歴史の中で、師範学校の位置づけについてさまざまな教職科目でも学んできたが、よくわかっていなかった。今回の授業で理解することができた。とくに「坊っちゃん」による説明がよくわかった。(教育)

戦前は、中等教育である師範学校の出身者が初等教育を、高等教育である高等師範学校・女子高等師範学校の出身者が中等教育を教えるという制度だったことを学んだ。師範学校は非エリート層にとって身分上昇の機会となるため、国家への報恩意識の高さから教育に大きく貢献したということに納得した。(商)

「坊っちゃん」は中学生の時に読んだことがあるが、当時は意味がよくわからなかった。当時の学校の制度を学んだいま、もう一度読もうと思った。(教育)
文学を通して当時の教育制度がわかるという意外性がとてもあった。(社学)
「坊っちゃん」の記述から、エリートである中学校と非エリートである師範学校の違いを、制服を着ているか日本服かという部分からも読み取れるというのがおもしろかった。(商)

「吾輩は猫である」なんかを読むと、昔の先生は高尚でよい暮らしをしていたというイメージがあるが、現在だと超一流大学から教員をめざすとなると「なんで教員なんかに」などといわれる風潮があるように思う。(教育)
・・・> じゃあ大丈夫だ(笑)。

島に行って先生になるというのは、大変なことではあると思いますが、私は島で生活してみたいと思っているので、そうしてみたいなと思いました。島の学校の生徒は人数が少ないため、家族のように感じられるのではないかと思い、そのような経験をしてみたいからです。(教育)

「文学にみる教員養成」のパート、見るだけで拒否反応が出てしまった。夏はもっと本を読もうと反省。ただ何を読むべきかわかりません。おすすめの本はありますか? (基幹)
・・・> 「坊っちゃん」も「二十四の瞳」も、読まないで済む作品ではないと思いますよ(たいした分量でもないし)。『君たちはどう生きるか』『窓ぎわのトットちゃん』もいまさら読みましょうね。マルクス・アウレリウスの「自省録」などストア哲学もいいな。「福翁自伝」もぜひ。私は週34冊くらいは本を読んでいますが学者としては少ないほうでしょう。今夏の一押しは 熊谷はるかJK、インドで常識ぶっ壊される』(河出書房新社、2021年)。教育者・教育学者としての私が伝えようとしていることを、JK1冊の本で(それも圧倒的な表現力で)やってしまっている。


リトアニア国立図書館(ヴィリニュス)
ソ連からの独立につながった1989年の「歌う革命」の主要な舞台のひとつ

 

教育学部の歴史がわかってよかった。(複数)

教育学部といっても教職が必須でなく、専門的もしくは興味のあることへの学びに傾倒できるのはとてもうれしい(必修の比重が重くて結構大変ではあるけれど)。教育学として教員養成に必要な学び、学習スタイルが開放制であると考えて、早稲田は全学部で教職を実施しているんだな。(教育)

高田早苗先生がそこまですごい人だったとは・・・。(教育)
教育学部の成り立ちを初めて知った。高田早苗先生に頭を下げて帰ろうと思います。(教育)

早稲田の教育学部は教員免許を取らなくても卒業することができるというのがめずらしいなと思っていましたが、それに加えて、教職課程の授業を取らなければ教育について学ぶことがないというめずらしさも、開放制教員養成の型であるからということがわかりました。(教育)

 

高校や大学への進学が普遍化したことで、知的なバックグラウンドが薄い生徒が多くなり、「教えれば学んでくれる」わけではなくなったため、教えるための技術がなければならなくなった、ということに納得しました。(教育)

教職科目の増え方がすさまじいなと思った。1989年以降、生徒に寄り添う、生徒に対して手厚くサポートするようになっている感じがする。(基幹)
教員養成も時代の流れに沿って変わっていくが、このままだと、20年後、30年後、40年後の教職課程どうなっちゃうのかと心配になった。(教育)

教職に関する科目が、平成に入ってからどんどん増えていて驚いた。戦前には教え方を重視していなかったのに、現代は「教育」についてこれほど学ばなければならなくなっている理由を知ることができて興味深かった。意識を高くもって学んでいきたいと思った。(教育)

現在は以前よりも教職の科目が増えているが、だとすれば教員の質は上がっているのか。この問題は、教員をめざす者として、これから考えていかなければならないと思った。先生がおっしゃるように、公教育を自分の問題として捉え、学びを深めていきたい。(教育)
教職に関する科目が、昭和のときここまで少ないということにとても驚いた。その世代の先生が定年退職を迎えていく中で、教職科目をたくさん習っている世代が跡を継いで、はたして教育がよくなっていくのかという先生の指摘は、教員を育てるという今後のさらなる改善策を考える手がかりになると思った。(教育)

単位を修得しなければならない教職科目の数が増える傾向がつづいているが、増えるにつれて学生の負担も増加する。教科専門のほうにも影響すると思うので、必要になったからといって科目を追加していくのにも限度があると思う。(教育)

高校・大学進学の普遍化と、親世代から根づいている過去の経歴・経験への執着は、大学での学びを軽視させやすく、実際には教職科目を履修する学生は意欲が高いといっても、教員になる人材の考究を妨げることになる。その過去・経験を意識する人々が、教員や親になった際に、それが普遍化してしまうのが危機である。(法)

教師は、専門性は高いが「専門職性」は高くないという話が他の授業でありました。教師という職業は身近であるがゆえに難しいものだと思います。(教育)
・・・> 専門性は高いのか。それならいいけど、それなら・・・。

最終課題を考えるうえで、中1ギャップに苦しむ子どもたちやその親とのかかわりなど、考えなければならないことがあまりに多く、広くて、頭を悩ませています。自分の経験を論拠にしないことを、より心がけていこうと思います。(教育)

 

近年は大学を指して「就職予備校だ」と揶揄する人が多いが、ルーツをたどれば戦後の教育改革の時点ですでに予備校の側面があった。そうである以上は、そのそしりは甘んじて受けなければならないのだと思った。(社学)

近年の大学生は学習意識が低いというのには大変共感しました。そしてそのような大学生が先生になっても、子どもたちによい影響を与えることができる可能性は低いと思います。教員になろうとしている大学生が自ら進んで学びにゆくことで、教育者としてふさわしい立場になれるというのはもはや自明だと思います。この授業を受けて、学生時代にもっと貪欲に学問をしたいと思いました。(基幹)

15回の授業を通して、教育の歴史の重要性をあらためて確認できた。教職科目が増えたのも、教育がそれだけ重要であり、教育の質の低下を防止するためである(できている?)のかとも思った。(文構)

静かな教室で声を出して笑うのは恥ずかしかったのでこらえていましたが、先生のジョークが大好きでした。また取れる授業があれば取りたいです。(人科)

たしかに大学の授業を受けるだけでは、教員として働くまでに成長することは難しい。しかし大学の授業は、教職に関する自分の視野を広げたり、教員を志す他の人の気持ちの大きさや考えを知れたり、生徒目線から卒業できたりするといったことに関しては非常に意味のあることだと、春学期の授業を通して思った。秋学期からはさらに自分の教職に対する気持ちをもっとよく考えながら授業に臨み、教師になる準備をしていこうと思った。(教育)

今期唯一の教職科目だったのでいろいろ不安だったのですが、教育とは?をほんの少し、本当に少しだけれど考えられた気がします。(基幹)

教育について考えるとき、自分の経験を根拠にしないこと。そのことを忘れないようにしようと思いました。(文構)
教育を歴史の視点から学ぶことによって、自らの経験に依拠せず、客観からの視野を獲得することの重要性を学んだ。しかしまだまだ経験に依ってしまうことが多々あるので、これからの教職課程の学びを通して、客観視する力を身につけていきたい。(社学)

教員養成についてたどっていくと、求められるものがどんどん増えて高度になり、私たちにはそれを踏まえた覚悟が必要なのだと思った。教えることにも学ぶことにも真摯であらねばと思った。自分の未熟さや甘さを実感し、いままでになかった視点から教育について考え、まだまだこれからだが、大学1年のいまの時期に先生の授業を受けられてよかったと思いました。(文構)

なんとなく教職課程を履修しはじめましたが、この授業を通して、公教育を中心に現在の教育の姿についても学び、自分の中の「教育」の定義やめざすべき教師像が、少しずつ見えてきたように思います。(教育)

 



科目概要

教育基礎総論は、教職課程の入門的科目として、教育の理念・思想・歴史・制度や学校教育およびその周辺のアウトラインを広い視野から学び、教育のプロをめざす上での専門性(教職専門性)の基礎を養うことをねらいとしています。早稲田大学の教職課程で取得できる免許状にはさまざまな学校種(小・中・高)や教科が含まれますが、その違いにかかわらず共通して基盤とすべきものといえます。受講生の多くは12年生で、教職課程はもちろん専門分野についても初歩的な段階にあると思われますので、プロをめざすのだという前提に立ちながら、個別・具体的な知識やスキルの習得よりも、教育・学校・青少年・教員といった事象を見つめる視点・視角やアプローチの手法を学ぶことを優先したいと思います。教育は、誰もが主観的には(児童・生徒として)経験しています。そのため、何となくわかった気になっていたり、メディア等で報じられることをそのまま受け取ったりする弊を招きやすい分野でもあります。職業としての教員は、職業的な専門性というものを当然もたなければなりませんので、当科目あるいは他の教職科目の学習を通して、広く深い知見をも身につけられるよう期待しています。

この教育基礎総論1では教育の歴史・思想・理念などを中心に扱うことになります。教育に興味がある、教員になりたいという人の場合、その関心の大半は現代の学校教育、たとえば学力の問題、いじめや学級崩壊、少年犯罪、ブラック校則といった社会的現象として報じられる部分や、各自が児童・生徒として経験した学校や教員の問題(不満や批判を含む)にあるのではないかと思います。そうした観点からみますと、当科目で扱う教育の歴史・思想・理念といったものは、これまで最も視野に入りにくかったのではないでしょうか。「21世紀の日本の教員になるのに、どうして18世紀の西欧の思想家について勉強しなくてはいけないのか」という不満を感じ、モチベーションを得られないという人もいることでしょう。しかし、教員養成(未来の教員を育成するプロセス)のしくみがどう変化しようと、当科目のような学習が基礎にあるという点は不変なのです。歴史・思想・理念を探究する学習活動は、社会と人間と教育がどのようなかたちで相互にかかわり合っているのか(つまり教育は何のために存在するのか)、あるいは私たちが学校教育と呼んでいるものの原理・本質はどこにあるのか、といったきわめて大事なことを知るにつながります。目先の技術や教育内容を学ぶだけでは、10年どころか5年ほどの変化にすら対応できないことでしょう。また、教育分野にかぎらず原理や本質を深めようとせず、表面や上っ面を要領よくまとめて点数を稼ぐという方法で学ぶクセ(悪癖)がついてしまうと、それは教員としての教え方にそのまま反映されてしまいます。次世代にツケを回してよいはずはありません。

さいきん気になっているのは、学部学科を問わず、少なからぬ大学生が歴史や外国事情、概念、思想など直接経験しにくいものを苦手としていることです。教育にかぎらず、大学生が真に学ぶべきは、すぐに役立ちそうなものではなく、物事の土台(コンピュータでいうOS)となる部分であり、歴史とか思想といったものもその重要な一部をなします。高校までの歴史学習がどれほどの水準であったかは知りませんが、どうであっても、いま大学生としての学びを見つめなおし、大いに取り組んでください。その学びこそが、教壇に立ったときの基準になるからです。私たち教育者は、自分が学んだようにしか教えられないという宿命を負っています。自身の学びが単語の丸暗記ならそのような教え方になりますし、自身がネットをパクるやりかたなら生徒にもそれが伝播します。教職科目への取り組みの甘さがプロとしての欠陥の原因にならぬよう、心して臨んでください。

 

授業の内容・受講の方法

当科目は教室での対面授業です。2020年度・2021年度は社会情勢にかんがみて全編オンライン授業となりました。オンライン授業の経験は、受講生にとっても私にとっても貴重で、大いに示唆を得られるものではありましたが、教職課程の意味やそこでの学びの意義を考えると、教員と学生相互が顔を突き合わせての(これは表現上のあや。実際には距離をとりましょう)対面授業がより望ましいというふうに考えます。ただ、2021年度の動画配信による授業と本年度の授業は、基本構成がほぼ同じですので(ただし第4回〜第13回、第15回)、「前年度のものだが」とお断りしたうえで再配信し、みなさんの学びに資することにいたします。相当する授業の1週間前に配信を開始し、年度終了まで掲出しますので、予習・復習のいずれに活用されてもかまいません。

1回の授業90分を、およそ次のように構成します。

A 受講生の問題提起ないし質問(1015分)
前回までの内容、テキストの内容、教育関係のニュース・記事等にかかわる問題提起ないし質問を2名のみ受けます。希望者は授業当日の正午までにWaseda Moodleのフォーラムに概要を記してください。先着順ではなく、テーマや内容に照らしてこちらで指名します。古賀のコメントだけでなく、教室にいる受講生も自由に発言してください。
B
授業本編(7075分)
本年度は、なるべく子細な内容に入り込まず、歴史・思想のアウトラインを明瞭にするように努めます。したがって動画教材(2021年度授業)の視聴、テキストの読み込み、そして各自の学びを組み合わせて精緻で立体的な教育像をくみ上げてほしいと思います。授業内でも繰り返し申しますが、小中高大を問わず、学びの本体は「授業」ではなく各自の学びのほうです。「授業」ですべて完結すると思ったら大間違いであり、大間違いの教師になってしまいます。なお私の授業では、基本的に発言フリーです。空気や流れを読んだりクラスメイトの雰囲気を察したりすることなく、思いついたタイミングで思いつくままに発言・質問してくださって結構です。他の方はそれをとがめたり、うるさがったりしてはいけません。
C
レビュー(5分)
受講してあらためて/新たに考えたこと、疑問に思ったことなどをB6判のシートに手書きしてください。事後、当ページに掲出し、必要なものに対してはコメントやアンサーを記します。


テキスト(教科書)として次のものを指定します。必ず購入してください。

古賀 編著『教育原理』(学文社、2020年 2100円+税ですが生協では組合員割引があります ISBN:9784762029707
*大学生協ブックセンター扱い

当科目の直接の範囲は第3章・第4章ですが、学校教育や公教育を立体的に思考するため、第2章・第5章・第6章・第7章の内容とも深くかかわります。また当科目および教職課程全体にかかわる問題意識を第1章にまとめてあります。平易で自習しやすいように編集したつもりですので、各自でどんどん読み進め、掘り込んで、リアルタイム授業やフォーラムで議論してみてください。

 

 

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