Voyageur à Pologne: Varsovie, Toruń, Gdańsk

PART3

 

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買い物が済んで宿に戻る際に中央駅の構内を通り抜けます。こちらは改札口がないので駅ナカは完全フリーで、なかなか使い勝手がよい。ついでに、あす乗車する予定の列車を確認しておこう。地下構内にぎゅっと寄せられた48線のシンプルな造りなので迷いはしないだろうけど、せっかくなので事前偵察。あす8日は、1415分に中央駅を出発するICInter-City 欧州共通の列車種別で在来線の「特急」に相当する)でトルンに向かうことにして、インターネットでチケットを購入しています。構内に掲出された時刻表は読みづらいのだけれど、当該列車の発着番線などを確認できました。これがパリの各ターミナル(方面別に6ないし7駅ある)など西欧によくある行き止まり式の起終点駅だと、当日の出発15分前くらいにならないと発着番線が表示されず、みんなホーム端のたまりみたいなところで大荷物とともに待たされます。車両と線路の運用なんて事前に決まっていると思うのですが違うのかな? ワルシャワ中央駅がそうでないのは、スルー構造だからなのか西欧とは文化が違うのか、リアルに親切なのか、そのへんは存じません。16時ころ部屋に戻って小休憩。

18時に再起動し、夕食会場を探します。このへんはビジネス街なので、飲食店がちゃんとあるのかな。休憩しているときにグーグル・マップで周辺を見てみると、それなりに店はあるようなので、イェロゾリムスキェ通りの南側一帯をじわじわ歩いてみましょう。うーん、イタリア料理とかケバブなんかはあるのだけれど、ポーランドの民族色が出ているところはないかな〜。さっき歩いたメイン・ストリートの新世界通りあたりにそういうレストランがあるのはわかっているのですが、ありがちな観光レストランというのは気が進みません。さりとて読者投稿のグルメ・サイトなどは当てにしたくない。おもしろくないですもんね。じわじわならぬ、うだうだ歩いているうちに、結局は新世界通り方面に進んでいます。そのメイン・ストリートに折れるところの角に、Zapiecekというこぎれいなレストランが見えました。いま調べてみるとチェーン店のようですが、下調べをしないのでそのときにはわかっていません。玄関に立っているバイト学生風の女性店員さんは派手な民族衣装のコスチュームで、店内も民芸づくりっぽい。ま、これも観光レストランなのだろうけど、ピエロギを売りにしているようなので入ってみよう。テラスとインサイト(室内)はどちらといわれたので、後者を選択します。するとずいぶん奥まった、余裕のあまりなさそうな席に誘導されました。一人客の扱いのよしあしでサービス水準を採点してやるからな。

渡された英語メニューを見ると、ポーランド料理を中心にかなりの品数がありそうで、周囲のテーブルを見渡してもメニューはばらばらでした。隣の若いカップルは2人で大きなポーク・ナックルを頼み、インスタにでも投稿するのか、彼女が何枚も撮影しています。ナックルは2軒隣の国ラトヴィアの首都リーガで食べたな。こちらは初志にもとづきピエロギをとることにしましょう。Our grandmothers recommend(おばあちゃんたちがおすすめ)という妙な見出しのついた、Polish Fried Traditional Dumplings served in the hot panなる散文的な料理をいってみるかな。ダンプリングというのは皮でアンを包んだタイプの料理で、中華ではもちろん餃子、どの大陸にもこの種の料理はあるのでそれに応じて広く用いられる単語です。日本語版のグーグル・マップでワルシャワ市内を見ると、ところどころに「点心店」という表記が出てくるのだけど、これってピエロギ屋さんのことだよね(笑)。おばあちゃんおすすめは9個入り25.29 złで、その内訳までご丁寧に書かれています。ルテニアン(ruthenian)×2、スモークド・ベーコン入りルテニアン×1、肉×2、キノコ入りキャベツ×2、キノコ×1、ブリンザとオシペック(bryndza and oscypek いずれも東欧でメジャーな羊乳チーズ)×1。ルテニアンとかブリンザとか意味のわからん単語を英語の散文に混ぜられても理解できませんが、食べられればよいので問題はありません。リュックの底にはいつも「お守り代わり」と称して小型の英和辞典(フランス滞在時には小型の仏和辞典)をしのばせているものの、稼働したことはほとんどない。あと生ビール0.5L

 
 


10
分くらいして鉄鍋に盛られた焼き餃子、じゃなくてピエロギが運ばれましたが、生ビールは忘れられているようです。というか、どん詰まりみたいな席に案内されたためか、4人くらいいる女性店員が誰もこのテーブルの近くを通らず、用を果たせないのです。オーダーを受けた店員が責任をもってそのテーブルを担当するというしくみでもないらしく、みんなテキトーにうろうろし、2人くらいはヒマそうに玄関に立っているくらいで、サービスのスコア大幅減点な。ピエロギはどれもまあまあで、餃子というよりテリーヌとかミートローフに近い食感。キノコという1点は干しシイタケみたいなにおいと食感で、これがいちばん美味しいと思います。「焼き」のせいか全体に油っぽいので、満腹以前に食べ飽きる感じもあります。店員は下膳する際にも無言で無愛想、なんという塩対応かねえ。英語が苦手という話ならば別にいいけど、東アジア人がダメということになると困ったものです(そんな空気を感じなくもない)。ピエロギの税率は8%、生ビール10.99 złには23%が課税されて、合計で36.28 zł。小数点以下の小さなコインも全部持ち帰って、チップはあげない(笑)。19時半ちかくになっていますが、まだまだ明るく、腹ごなしも兼ねて駅周辺を散歩しました。


ワルシャワ市旗、ポーランド国旗、欧州旗
ここは間違いなくEU加盟国のようです


8
8日(水)も快晴。きょうも暑くなりそうです。前述のように1415分発でワルシャワを後にする予定なので、朝のうちにチェックアウトして荷物を預け、13時半ころホテルに戻ってピックアップという段取りでいきましょう。ワルシャワ→トルンの列車は13本程度で、朝の便だとワルシャワの見物が正味1日になってしまうので午後にしました。トルンはさほど大きな町でないはずですし、日が長いので、17時半に着いてもけっこう歩けると踏んでいます。さて、首都ワルシャワの主な見どころはきのう回った旧市街付近にだいたい集まっていて、残す「大物」はワジェンキ公園Park Łazienkowski)くらいでしょうか。旧王宮からクラクフ通り〜新世界通りとつづくメイン・ストリート、鎌倉でいえば若宮大路を南の由比ガ浜のほうに進んだ位置といえばよいでしょうか。直線でも3kmくらいありそうなのでツェントルムからトラムを利用しました。きのう少しだけ乗った路線のつづきになります。トラムの電停は手許の地図に書き込まれていないので、車窓と見比べながら下車すべきところを探そう。ところが、このあたりかなと思っていたところよりずっと手前で終点だと告げられます。見ると線路を工事中で、すべての系統の電車がループ線を回って引き返していきます。このループ線は仮設ではないようで、おそらく途中止まりの系統のために造られているのでしょう。結局たくさん歩かざるをえなくなりますが、欧州に来ると日ごろの運動不足がウソのようにほいほい歩くので、このくらいはどうということはありません。

 
ポリテクニカ電停で運転打ち止め この先の線路が塞がれて、電車はすべて右のループ線に入るようになっていた


社会主義時代に建てたらしいアパート群のあいだを抜け、例のメイン・ストリートのつづきであるウヤズドフスキェ通り(Ujazdowskie)に出て、ワジェンキ公園の入口に着きました。長辺が1kmくらいありそうな大型の緑地公園で、国王スタニスワフ2世アウグストStanisław II August)の手で離宮として建設されたものです。ワルシャワ蜂起に際してここも略奪の対象となり、あまつさえ宮殿が放火されて完全に廃墟となりましたが、そこはワルシャワ市民のこと、きちんと再建を果たしました。

メイン・ストリート側のエントランスを入ってすぐのところに、フレデリック・ショパンの像が置かれています。そこにあった由緒書きによると、ショパン像の設置はかなり古くから企画されたもののロシア帝国の妨害で果たせず、第一次大戦後の独立を待ってようやく成し遂げられましたが、ナチスによって持ち去られます。1958年、古い記録をもとに復元され、この場所に再び像を建立したとのこと。今日では「ワルシャワで最もよく知られたシンボルのひとつ」になっているとあります。たしかに公園の名の記憶ははっきりしないものの、この像の写真は何度か見たことがある。残念ながらクラシック音楽の素養がないのでショパンのすごさを語る資格も能力もありません。おピアノをたしなんでいた幼少のころ、「子犬のワルツ」の楽譜を見て引き下がったということはあります。あれくらい弾けていたらカッコよかったのにね(主題になっている「子犬」は当時交際していたジョルジュ・サンドの飼い犬がモデル)。実際のところショパンその人がこの公園や前身の離宮とかかわりをもったというわけではありません。彼が生まれた1810年はナポレオンの手によってつくられたワルシャワ大公国の時代ですが、たちまち独立は失われます。マリ・キュリーと同様に、ショパンもまた愛国独立運動にかかわった父のもとで育ちました。その後、七月革命後のパリに移り、二月革命からほどなく亡くなっています。

 
ワジェンキ公園のショパン像


この公園というか離宮の造営を命じたスタニスワフ2世はちょっと変わった経歴の持ち主です。ポーランド・リトアニア連合は選挙王制ですので、政治の主導権を握る領主階級の支持を得られれば、それなりの貴族か、外国の王族でも王になることができました。その代わり、その権限は大きく制限されます。世襲も許されません。スタニスワフ・ポニャトフスキは貴族の家系に生まれ、議会の議員に選ばれて政治家として活動しますが、どういうわけか1755年に駐サンクトペテルブルク英国大使館の吏員に転じます。ロシア帝国は18世紀前半ころからポーランド・リトアニア連合への内政干渉をしばしばおこない、影響力を強めていましたので、外交工作を託されたのかもしれません。幸か不幸か、皇太子妃エカチェリーナ・アレクセーエヴナ(Екатерина Алексеевна)の知遇を得ます。ロシア皇太子ピョートルは性的不能だったらしく、エカチェリーナは半ば公然と何人もの男性と関係を結び、次々に子をなしていますが、スタニスワフも愛人のひとりとなり、女児をもうけました。スタニスワフは1759年にポーランドに戻りますが、その3年後、エカチェリーナはツァーリとなっていた夫ピョートル3世を廃位し暗殺、自らが女帝として帝国を統べることになります。いうまでもなくこれがロシア史でも屈指の君主といわれるエカチェリーナ2世(Екатерина II)、大黒屋光太夫と謁見し、フランス革命のどさくさにまぎれて使節ラクスマンを日本に差遣した人物にほかなりません。元カレへのプレゼントというかポーランド奪取への口実を得たというべきか、女帝は軍事的圧力をかけてポーランド・リトアニアの議会に親ロシア派の勢力を広げ、スタニスワフ・ポニャトフスキを王として選出させることに成功したのでした。(すげーな)

ポーランド・リトアニア王としてのスタニスワフ2世の業績はなかなかのものです。1つは、私の専門分野にかかわることでもありますが、世界で初めて教育省に相当する公的機関を設置したこと。いま1つは、君主としての地位を安定させ、領主階級の勢力を削ぐこともねらって、1791年に欧州で最初の成文憲法である五月三日憲法(Konstytucja Trzeciego Maja)を制定したこと。年号でお気づきのように、アメリカ独立宣言と合衆国憲法、フランス人権宣言の影響を強く受けて、当時としては相当に進歩的で民主的なものになりました。日本国憲法の施行日と同じ日付なのはもちろん偶然です。領主階級は当然これに反発し、ロシアに介入を要請します。周囲の強国の支配層もこのような「前例」を認めては自分の国内が動揺しかねないため、ポーランドへの締めつけを本格化しました。かくてポーランドは内乱状態に陥り、17931月、領土の約半分をロシアとプロイセンに割譲することに同意させられました(第二次ポーランド分割)。亡国の危機に、アメリカ独立戦争ではワシントンの副官を務めたコシチュシュコをリーダーとする最後の抵抗が起こりますが、ロシアなどはこれを弾圧するとともに、179510月、第三次ポーランド分割を実施して、ついに地図の上からポーランドの国名を消し去りました。スタニスワフ2世は憲法制定まではよかったが、すぐにヒヨったらしく、最後はコシチュシュコらに罵倒されながら王座を降りています。結果的に、ポーランド最後の王となってしまったわけです。ポーランドの歴史って、常にこの種の不運がつきまといますね。何かするとそれが裏目になって、国家が危機に陥るという。いやもしかすると、あえてそういうふうなストーリーとして描くのがポーランド・ナショナリズムで、私たち(私)もそれに踊らされているかもしれない、という疑念はもっておくべきでしょう。

 
 


水上離宮というべきメインの建物は思いのほか小さいけれど、端正なフォルムで、あまり権威的な感じはしません。最後の君主スタニスワフ2世の存念が本当はどこにあったのか、それは知る由もないことです。エカチェリーナ2世という歴史上の超VIPが出てきて興味をいたくかきたてられるものの、その後にナチスの蛮行という事案があって上書きされてしまっており、そこに当地とは直接関係ないショパンだから、もうぐちゃぐちゃ(笑)。公園そのものは非常に快適で、気分よく過ごせる場所でした。

11時を回っています。時間的にはまだまだ余裕だけど、今度はメトロに乗って中央駅方面に進もうかな。ウヤズドフスキェ通りを西に越えて、無表情な団地群の中を歩きます。このあたりではナチス占領下の19442月に、国内軍の命を受けたヒットマンたちがドイツ軍幹部を暗殺する事件(クチェラ暗殺事件)が起きています。ドイツ軍は報復措置として、収監していたポーランド人約100人をウヤズドフスキェ通りの路上に引っ張り出して処刑しました(『物語 ポーランドの歴史』、pp.138-141)。なんだかこの種の話が多すぎて感想がなくなりつつあるのが怖い。さきほどトラムを下車したポリテクニカ(Politechnika)付近に戻り、そこからメトロ1号線を利用します。1号線は冷戦終結後の1995年の開業だそうで、なるほどコンコースなどはすっきりしていますが、ホームの感じが社会主義っぽい。もしかすると社会主義時代に基本設計ができていたのかもしれません。やってきた車両も昭和そのものという感じの鋼製車で、センスないな〜。ワルシャワは地盤が弱いらしく、メトロの建設が1990年代までずれ込みました。社会主義圏の大都市にはメトロがありがちなのにね。シングル4.40 złと強烈に安いのはその名残かもしれず、その点はありがたい。2駅進んでシフィエントクシスカ駅(Świętokrzyska)で2号線に乗り換えて西へ1駅、ONZ広場駅(Rondo ONZ 「国連広場」の意味)で地上に出ました。ここは中央駅の裏側にあたります。2015年に開業したばかりの2号線は、さすがに最新型のいい車両を使っています。路線ごとのそうした落差はハンガリーのブダペストでも経験しました。

 
メトロのポリテクニク駅付近 ソウル郊外の幹線道路の感じによく似ているんだよな〜

 
ワルシャワのメトロ (左)昭和チックな車両の1号線 (右)今風の大型ドアを備えた2号線


ますます日差しが強くなるので表をうろうろしたくなく、きのう歯ブラシを買った駅前の大型ショッピング・センターに入り込みます。施設名称ズウォテ・タラシー(Złote Tarasy)で、ゴールド・テラスとかいう意味らしい(Googleさまサンクス)。何かお土産でもと思いますが、この手の施設ですので現地の人がメインの利用者であり、ワルシャワばな奈的なものはないようです。ここでゴディバのチョコレートを買ってもな〜。紳士服屋さんに入ってみたらネクタイの品ぞろえがよかったので、自分用を2本買いました。1本はメイド・イン・チャイナ、もう1本はヴェトナムでした。グローバルな時代よね。

ショッピング・センターはなぜか大好物なので、各都市にあれば入って見学するのですが、ここはデザインや機能性を含めてかなり高評価を与えられそうです。似たような店舗ばかりになりがちなところをそれなりに散らしてあるし、曲線をうまく配置していて見通しがよく、どんなお店があるのかが視覚的によくわかるようになっています。そして、座って休憩できるスペースが多いことと、無料で清潔なお手洗いが各フロアに複数あることでボーナス点をあげたくなります。最上階2フロアぶんが吹き抜けのレストラン街になっていて、総ガラス張りのため採光がよくとても明るい。フード・コートになっている部分と個別店舗の部分がありますが、全体にオープンな設計なのが好ましい。それにしても、見ていると肉でもパスタでもエスニックでも盛りがかなりよくて、昼間からこんなに食べるのかねと感心します。ポーランドは全体に飲食エコノミー。

 


予定どおり13時半ころホテルに戻り、レセプションに預けていた荷物を請け出します。レセプションまわりが今風のカフェみたいで温かみがありますね。第一印象のとおり、部屋も施設もしっかりしていて従業員の対応もスマート、そして中央駅近くという位置もあって、よいホテルでした。See you!

一昨日来、ホテルのある駅南側〜地下道〜駅構内〜駅北側のショッピング・センターという何度も通ったルートも歩き納めで、プラットフォームに降りました。私たちの感覚と少し違うのは、ホームと線路とで別々のノンブルを付してあるという点です。これから乗る列車が着くのは2番ホーム(peron / platform 2)の1番線(tor / track 1)。島式ホームなので、たしかにこのように案内するのが親切ではありますが、作法が世界的に共通しないのであればかえって混乱するかもしれません。以前から、日本の駅の英語案内でのtrackの使い方に違和感がありました。本来trackは線路、軌道の意味ですので、たとえばモノレール浜松町駅のように軌道が1本だけで両側にホームがあるときにtrack No.1とかいってよいのだろうか?と。辞書によればこの単語を○番線の意味で用いるのはアメリカ式のようですが、ではplatform No.1とすればよいのかというと、ホーム1面の両側に線路がある島式ホームの場合に混乱します。外国を旅行する際には、早めに駅に行って位置を確認しておくことです。ところによっては○番線以降が地下や離れなどまったく見当はずれの場所にあることもあり(東京駅だってそうだ)、欠き取りといってホーム片面の一部を凹ませ、そこに短い線路を突っ込んでいる場合などもあります。また、欧州では列車編成表が掲出され、○号車がホームのだいたいどのあたりという停車位置を示しています。停車位置にぴたりと停まる日本の列車に慣れていると「だいたいこのあたり」という表示がユルく見えますが、文化の違いだと考えておきましょう。「だいたい」なのにまるで違う場所に停車することもめずらしくないのが、また笑えます。「日本のようになればいいのに」と思わないこと。その必要性をとくに感じないからこそ、そうなっているのです。ですからみんな、整列したりせず、適当に散らばっています。

 
 


私が利用する1415分発の前に1番線を出る1355分発ルブリン(Lublin)行きICがやってきました。電気機関車に引かれた昭和タイプの客車編成のようです。乗客の半分以上がここで下車し、ホームで待っていた人たちと入れ替わります。スルー構造なので機関車の付け替えや方向転換の必要はないけれど、乗り降りの手間と時間がかなりありますので、発車は1401分ころになりました。数分間隔で走る東海道新幹線が、1分くらいの停車時間で乗客の入れ替えを完了するのは神業です。これも文化なのだろうけど、欧州の人たちは、何だったら下車駅の5分くらい前から荷物を引っ張り出して通路に立ち、待機しているのに、なんやかんやで出ていかないんですよね(笑)。さて、わが1415分発IC1521列車は1410分ころ入線しました。こちらは頭が流線型のカッコいい電車です(くどいようですが、機関車が引く客車やディーゼルカーは「電車」じゃないからね!)。車両の中ほどにドアがあり1車両が2つの空間に分離されている、このごろ方々で見かけるタイプで、このほうが落ち着きます。2階建てグリーン車や東北・上越新幹線MAX車両のフラット席(両端の1階建て部分)なんて落ち着いていて好きなんですよね。指定席なのでその番号を探してみると、ドアのすぐ前(デッキはないが一応の仕切りはある)で、車いすを固定する空間に面した不思議な配置。座ってみると、目の前に座席も壁もないのです。座席の埋まり具合からして隣席に誰かが来る可能性は高くなく、妙なレイアウトながら気に入りました。もとより車いすの乗客とこちらの客が連れの場合には向かい合うようにすればいいのですね。この区画は2列×4シートのみという不思議なスペース。目の前にお手洗い、その向こうは売店&BAR車なのでいろいろと好都合ではあります。

ネットでの発券はすべて英語で済ませましたが、券面そのものはポーランド語で書かれているので、数字部分以外は読み取れません。3週間ほど前に予約・購入し、トルンまで約3時間、243kmのところ38.50 złでした。安すぎでしょ。列車はほぼ定刻に発車し、ワルシャワの市街地と郊外の住宅地をしばらく走ってから、予想どおりの真っ平らな畑地のあいだを突っ走ります。1445分ころ車掌による検札があり、パスポートの提示も求められました。「国内線」の鉄道ではめずらしい。すっきり晴れているし車窓もなかなかなのだけど、何しろ真っ平らなので変化に乏しい(笑)。スマホがないと1分ももたないというような昨今の軟弱者ではないので(そもそもそんなのもってきていない)、ぼーっとしたり考えごとをしたりするだけでも平気ですが、目の前が売店なので燃料くらい入れてもいいかな。若い女性店員にピルスナーを1本ほしいといったら、Lager Brzeskiなるボトルが供されました。12 zł。渋い麦の風味がノドの奥を刺激して美味しいねえ。

 


15
30分ころ、売店のおねえさんがワゴンを引いて車内販売に現れました。その間は売店をクローズにするようで、臨機応変な運用なのでしょうか。1558分、イワヴァ本駅(Iława Główna)に停車。まあまあ大きな駅で、下車客がかなりあります。本駅というのは中東欧の、とくに旧社会主義圏に独特の名づけ方で、英訳はmain station。中央駅(central station / hauptbahnhof)と同じようなものです。列車はなかなか動かず、接続待ちなのかなと思ったら、1616分ころに動き出したら方向が変わっていました。ワルシャワからここまでは、私からすると背中側に向かって走っていたのですけれど、ここからは前向きです。地図を引っ張り出して見てみたら、ワルシャワとトルンを直線的に結ぶ路線はなく、いったん北西のイワヴァに向かい、そこで90度左折するような感じでトルンをめざすようです。ヴィスワ川に沿って行けばほぼ直線ですが、今回の鉄道の経路はヴィスワ川を斜辺、イワヴァを90度とする直角三角形の2辺をまわるようになっているのですね。この間、車窓はずーっと原っぱ、畑、牧草地のどこか。そしてワルシャワ付近をのぞけば高架線はなく、地平を走っています。1714分にトルン東駅(Toruń Wschodni)に停車。ヴィスワ川をトラス鉄橋で渡って、定刻より4分ほど遅れて1720分ころトルン本駅(Toruń Główny)に停車。この列車はもう少しだけ西に走って、ビドゴシュチュ(Bydgoszcz)が終点です。


 
トルン本駅


今回2つ目の訪問地であるトルンToruń)は人口20万人ほどの中規模都市で、ワルシャワからヴィスワ川を約200km下ったところにあります。ポーランドの国土をS字を描くようにして北流するヴィスワ川、ワルシャワからトルンへはSの右下がりラインにあたります。トルンの先、ビドゴシュチュで90度向きを変えてバルト海をめざします。今回、バルト海に面した港湾都市グダンスクに行きたかったので、ワルシャワから北に向かうことにして、そうすると中間地点にあたるトルンが頃合いの滞在地ということになりました。もとより旧市街の美しさが有名ですし、かのコペルニクスの出身地ということでも興味があります。

鉄道はヴィスワ川の左岸(南側)を走っていますが市街地は反対の右岸側にあり、本駅からバスに乗り橋を渡って最初の停留所で降りるようにと「地球の歩き方」に指示があります。北口の駅前広場は閑散としていて、急行の停まらない私鉄の駅前みたいな雰囲気ではあります。お店などもほとんどありません。バスが2台停まっているので、1台の運転士に訊ねると、もうすぐ発車だからあそこで待つようにと、少し離れた乗り場を指さしました。いわれないとなかなかわからない乗り場ではあります。市内方面には510分くらいの間隔で便があるようで、例のバスがすぐに動いてこちらに来ました。運転士からチケットを購入。これは30分以内のシングルのようで、2.80 zł。問い合わせた際に「シティ・センター」と告げたので自動的に出してくれたのでしょう。車内には自動券売機も備えられていて立派です。バスはすぐに橋を渡ってヴィスワ右岸に入りました。ガイドブックの指示どおり最初のバス停、ラパチュキェゴ広場(Pl. Rapackego)で下車。


 


地図を見ると、世界遺産にも登録されるトルン旧市街というのは長径1kmもないほどの狭い区域のようです。バス停のすぐそばに、衝立のように並ぶ建物の0階部分に穴(トンネル?)が空いていて向こうに抜けられる地点が見えます。これが旧市街の入口なのでしょう。このような造りは欧州の各地で見ることができます。18時近いですがまだまだ明るく、歩行者専用の道にけっこうな人が出て、楽しみはこれからだよという雰囲気。

 
トルン旧市街の石畳エリアに入る ホテルのチェックイン前だけど、なんだよ楽しそうな町じゃないか!


予約しているホテル・ニコラウスHotel Nicolaus)は、旧市街西端にある、その町の入口から2ブロックほどのところにあります。白い壁のすっきりした外観をもつ2階建てで、近づいてみないとホテルとは思えないかもしれません。4つ星で、1泊朝食つき€91(税込み389 zł)と、ポーランドの地方都市にしては高めの相場をとりました。地方都市のしょぼい宿は気分がしぼむからね。0階にレストランがあり、宿屋の帳場というより会員制サロンの受付みたいなレセプション。名乗ると、当然ですがきれいな英語で対応してくれました。パテオ(中庭)を囲む口形の建物で、階段や廊下はあえて木張り。エレベータが透明のカプセルになっていてパテオが見えるなど、全体によくできています。部屋に通ると、1階(日本式でいう2階)の「最上階」のため屋根の部分の角度が天井についていて、かえっておしゃれな演出になっています。部屋の床も木張り。そして水まわりが何ともスタイリッシュです。チェックインしたばかりの記述でオチまで述べてしまいますが、総合点では2月のアテネのホテル(3泊朝食つき€287.10)といい勝負で、当たりでした。おしゃれなだけで機能性がダメという宿があるので、見た目がよければいいというものではありません。利用者の立場で設計するというのは大事なことですね。

 
  ホテル・ニコラウス


あす9日は、トルンのバス・ターミナルを1535分に発車するバスでグダンスクに移動する予定です。トルンでの持ち時間はこの夜とあすの午後までですが、町のサイズを考えれば十分でしょう。もとより「ぜひ見たい」という場所があるわけではなく、いつもの町歩きです。子どものときから世界地図を愛読していますが、ポーランドの地方都市の名というのはさほど頭になく、実際にこの国に来ることに決めてガイドブックを買うまで、トルンの名は知りませんでした。コペルニクスの地元となれば、その一点ですでにネタとして成立しちゃいますね。18時を回って、町のにぎやかさが出てきたころだと思いますので、夏場の町歩きには最適の時間帯かもしれません。さっそく出かけることにしましょう。

 

PART4につづく

 


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