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4 中華/アジアな街区を往く
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イヴリー通り沿いのそのお店は、漢字で文華飯店とあり、フランス語ではTrésor d’Asie(アジアのお宝)という看板を掲げてありました。意訳にもなっていないんだけど、いいのかな? 外もまだ明るいし、先客はゼロだしで、準備中のような店内に入って「こんばんは」というと、ちゃんと席に案内してくれました(当たり前だ)。華僑系のホール係は何とも無愛想な中年男性。まず何はなくとも、とりあえずビール。男は黙ってサッポロビール・・・じゃなくて、中華料理店のデフォルト、青島ビール(€3.90)を注文します。さほどの距離ではないながら歩きつづけたので、渇いた喉に冷たいビールというのは、まぢ美味い。パリ初心者だったころ、ムフタールにあった(今はない)中華料理店の店員と仲よくなり、たびたび足を運んで、毎度のように青島を飲んでいました。昔の中国ビールは飲めたものではなかったという話を聞くものの、昨今のものは普通に美味いです。
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什錦炒麺
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さて本日のメインディッシュは什錦炒麺(€8.40)。フランス語ではnouilles sautées à la viande et
fruits de merとなっています。直訳すると「肉と魚介類(さらに直訳すれば「海の果実」)の入った、炒められた麺」。まあ、そこは毎週横浜に通っている成果で、中国語の料理名を知っているから問題ありません。私の大好物である「五目焼きそば」です。
この4〜6月の3ヵ月間は「焼きそばしばり」というマイルールをつくって、横浜ではひたすら各種の焼きそばを食べつづけました。私の焼きそば好きは、子どものころからそうだったというより、成人してからのような気がします。中華料理店のも、屋台のソース味も、自宅でこさえるやつも、どれも大好き。震災の余波で東京のスーパーから米やパンが消えた(でも肉や魚や野菜などは普通にあった)2011年3月には、米を節約するためもあって、ほぼ毎日夜は焼きそばという生活をしていました。あ、味は毎度変えましたよ。運ばれてきたパリの焼きそばは、異様に白い麺(ビーフンかと思った)、アンには、白菜・青菜・イカ・エビ・ヤングコーン・キクラゲ・フクロダケが入っています。出来合いの具材が多いのは横浜中華街のダメなお店と同じ(笑)。肉は、牛・豚・鶏と3種混合ながら、豚はチャーシュー、鶏は蒸し鶏と、要は前菜盛り合わせに使うやつを転用しているわけね。横浜中華街でこの水準の焼きそばだと中の下かもっと下でしょうけど、欧州ならまあまあのレベルでしょうか。だいいち、中華は値段が安いのです。中華以外のレストランに着席して食事すれば、温かい料理で€10を下回ることはまずありませんからね。醤油よりも塩味が強いような味つけで、ショウガの風味がしっかりとついていました。時間が経過するとアンが浸透して麺がふやけ、味わいが増してくるのはどこでも同じ。ごちそうさまでした。
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イヴリー通り あまり「中華街」という感じはしませんね
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フランス人(欧州人)は中華料理やアジア料理がわりに好きだと思います。おそらく、一般家庭で最も食べられているのは、持ち帰り惣菜屋さんのアジア料理でしょうね。そういうところに行けば、餃子も炒め物もベトナム春巻も(ついでに握り寿司も)安く買えるし、たいていイートインカウンターがついているので、手軽な外食としても使えます。また、さっき通りかかった小学校で見たように、学校給食でエスニック料理を出すことがしばしばあるらしく、日本人がそうであるように、自国の伝統料理に固執する人なんてほとんどいないです。もとより頻度などに個人差はありますけどね。「フランス料理に比べて野菜をたくさん食べられるからアジア料理は好きなのです」という話をフランス人から聞いたことがあります。
海鮮鉄板焼き&中華風鍋料理(具は食べ放題 buffet)ということだけど
赤ワイン(vins à la bouteille -Rouges)は合わんと思うぞ!
ここは人気のベトナム料理店
ぐるりと回り込んでショワジー通りに入ると、こちらは中華というよりもベトナム料理やタイ料理のほうが多いゾーン。アジア系のお客が多いのは確かですが、いわゆる欧米人顔の人もけっこう見かけます。それと、町の成り立ちを考えれば当たり前なのだけど、安めのホテルが実に多いですね。
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在仏日本人も重宝する陳氏商店(中華スーパー)
イタリア広場
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ようやく薄暗くなってきて、パリではこれからが本格的なディナータイム。すでに食事を終えてしまった当方は、ゆっくり歩いて宿に戻るだけです。来たときにはトルビアック駅で降りて、ショワジー通りに側面から入ったのですが、今度はそのショワジー通りをまっすぐ進みます。さきほどメトロを乗り継いだプラス・ディタリーことイタリア広場までは、徒歩10分くらい。その間にもエスニック料理店やホテル、そして中華スーパーなどがあって、歩いていて退屈しません。
ここだけ見ると、東京のどこかみたいですね
イタリア広場はかなり広めの円形の広場。南側に複合商業施設があります。常宿から近いのに、どうしても都心方向ばかりに足が向いてしまって、このへんの住宅街を歩く機会がありません。「たまたま見つけたビストロでごはん食べたら当たりでした!」とかいう報告をそのうちしなければなとは思います。
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ゴブラン織製作所
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ノープランというかノンセクションというか、今回の歩いて見ようは実にいい加減で、そしてミーハーな感じの散策になりましたね。ま、そういうのもたまにはいいんじゃないですか。何でも歴史の話にもっていってしまうのが好きではないと指摘されることもありますので(笑)。といいつつ、最後にちょっとだけ歴史の話。イタリア広場から北北西に向かう幹線道路、ゴブラン通り(Avenue des Gobelins)を歩いていくわけですが、フランスにおける重商主義政策のはしりともいうべき17世紀初頭のアンリ4世が、ビザンツあたりの技術を引き取って、初めて本格的な絹織物の生産をはじめたのがこの地。ゴブラン織製作所(Manufacture des Gobelins)は、アリバイ程度にだそうですけど、なお稼働中です。建物のファサードが立派。アンリ4世のころは、この界隈なんてド田舎もいいところだったんじゃないかなあ。
ゴブラン通りが終わるところにスターバックスがあります。その先を左折すれば常宿のレスペランス。前述のように、もう15年のお付き合いになります。穏やかな人柄で、いつもにこやかに話しかけてくださったムッシュ・アンドレ(女主人エレーヌさんの旦那さん)が先月亡くなったと、息子さんに聞きました。80歳をだいぶ過ぎておられたはずですが、年齢を感じないほどいつも元気だったのに、残念です。合掌。
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5へつづく
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