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4 バスチーユ→サンシエ・ドーバントン
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アンリ4世通りにお花屋さん お、パンテオンが見えてきた!
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バスチーユから、今度は南西に伸びるアンリ4世通り(Boulevard Henri IV)を歩きます。この道を歩いたのは初めてかもしれない。道幅は広いもののお店も人通りもあまりありません。カルチェ・ラタン南端の常宿からパリ市街地に出る際にはメトロ7号線で直接右岸にアプローチするか、バス27系統でサン・ミッシェルをめざすか、今回やったみたいにジュヌヴィエーヴの丘(パンテオンが建っている左岸の高台)を歩いて越えるかですので、都心を外れたこのへんの地上を歩く機会があまりないのですね。もっと季節のいいときならヴェリブに乗って川辺を走るのもいいのでしょうが、今シーズンのパリはやけに寒く、この日もたぶん最高2度とかそんなもの。われながらよくこんなに歩いていられるなと思うほどです。
寒さはともかく散歩道としてはなかなかいい景色で、セーヌ川のアンリ4世河岸(Quai Henri IV)に出てきました。ここからアンリ4世通りはシュリー橋(Pont de Sully)でサン・ルイ島(Ile Saint Louis)の末端部を串刺しにするようにして左岸に抜けます。シュリー公はアンリ4世の宰相で産業振興に功があった人物で、いまもなお「主君」を堅固に支えているということね。
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シュリー橋からの眺め (上)下流側はトゥルネル橋越しにノートルダムの後陣
(下)上流側にはオステルリッツ橋とメトロ5号線の鉄橋
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メトロ7号線はこのあたりでセーヌ川の下をくぐり、右岸側のシュリー・モルラン(Sully
Morland)駅付近で急カーブを切ってシャトレをめざします。何十回も乗っていながら前述の事情で遺憾にもこの駅を利用したことはありませんでした。反省したので翌朝の散歩はこのへんからサン・ルイ島を通ってノートルダムへ行ったよ。シュリー橋はちょっとおもしろいレイアウトになっています。「中州」にあたるサン・ルイ島にちょこっとだけタッチするのもそうですが、川面に対して直角でなく左岸側では45度くらいの角度がついている。
シュリー橋
それこそ何十回も見ているけれど、セーヌ川の眺めはいつでも格別だなあ。
東京の隅田川とかロンドンのテムズ川も捨てがたいですが、いずれも都心部ということでいえば真ん中をズレて流れています。セーヌ川はパリの市街地のど真ん中を貫流します。地図で見ても市域を横に真っ二つ。13時前ころポン・デ・ザールで右岸に渡り、いま左岸側に戻るわけで、出発点に近づいてきました。
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左岸に渡ったところにアラブ世界研究所(Institut du monde arab)があります。中東22ヵ国とフランスの政府が提携協力してアラブ世界の文化・情報発信や研究、相互交流、関係強化のためのさまざまな試みをおこなう機関で、こういうコンセプトがフランスらしい。ちなみにパートナーはアルジェリア、サウジアラビア、バーレーン、ジブチ、エジプト、アラブ首長国連邦、イラク、ヨルダン、クウェート、レバノン、リビア、モロッコ、モーリタニア、オマーン、パレスティナ、カタール、ソマリア、スーダン、シリア、チュニジア、コモロ、イエメン。破綻国家ソマリアはともかくパレスティナは国家なの?という人もいるでしょうが、フランスは国家承認しています。ていうか、世界の半数強の国が承認しています。イスラエルの製造主?である米英はもちろん承認しておらず、ということで日本はもちろん未承認。もっとも、ドイツやイタリア、ベネルクスなども未承認で、欧州ではより微妙な問題であるわけですね。
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研究所の横を抜けるフォセ・サン・ベルナール通り(Rue
des Fossée Saint Bernard)へ。途中からかなりの急坂になり、メトロ10号線カルディナル・ルモワーヌ(Cardinal
Lemoine)駅付近に出ました。そういえば、パリ初心者だったころパンテオン付近からテキトーに歩いているうちにジュヌヴィエーヴの丘を下ってこのあたりのお店に入ったのがカフェのデビューだったなあ。要領がわからないもんだからけっこう緊張したような気もします。
写真のお店は、その件とは無関係。場所がら、というか左岸ではよく見かけるレバノン料理のレストランのようです。
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坂を登りきったところからモンジュ通り(Rue Monge)に入ります。この通りの終点すぐそばに宿があるので、いよいよラストスパート。丘のふもとを歩く感じになります。この界隈にはもちろんなじみがあるのですが、いつも丘の稜線というべきムフタール通りを歩いてしまうので、あんがい歩く機会が少ない。お、オトリブ(autolib’)がありました。自転車シェアシステムのヴェリブもすごいけど、こちらは電気自動車のシェアシステムです。2011年暮れにはじまったばかりのサービスで、1日券だと€10、30分乗るごとに€7〜8。お徳なのかどうか私にはわかりませんが、環境と市内交通をどうにかしようという意思は十分にわかります。
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すぐにモンジュ広場(Place
Monge)に着きます。ここは住宅街に囲まれた方形の広場。生活雑貨屋さんとか食品スーパーなどが目立ちます。このへんまで来れば地元みたいなものなのでどこに何があるかだいたいわかるな。モンジュ広場から西に入るオルトラン通り(Rue Ortolan 写真右)の奥に見える赤いひさしのレストランは、ムフタール通りと鉄鍋通りの角にあるラ・フォンテーヌ。色と場所でよく目立つため私のレポートにはしばしば写り込んでいますね。この店の左を抜けると鉄鍋通りで、カジュアルなレストランがぎっしり並ぶあたりですが、今朝ほどトゥルヌフォール通りで横切ったポイントもすぐで、「一周」に近づきました。
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(上)モンジュ通り(南側を望む) (下)ヴィラージュ・モンジュ
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パリのメトロは駅間がトラム並みに短く、プラス・モンジュ駅から次のサンシエ・ドーバントン(Censier Daubenton)までなら歩いたほうが早いくらいです。ついでにいえばその次のレ・ゴブラン(les Gobelins)も近いので、私はその日の気分でサンシエかゴブランを選びます。ただサンシエ・ドーバントンはいつもパリへの第一歩に決めている駅なので(シャルル・ド・ゴール空港→RER-B線→サン・ミッシェル・ノートルダム→徒歩連絡→クリュニー・ラ・ソルボンヌ→10号線→ジュッシュー→7号線→サンシエ)、ちょっと特別な思いがあるといえばある。パリ初心者だったころの気分を思い出す場所でもあります。
メトロ駅の出口をはさんで、ヴィラージュ・モンジュ(Village Monde)、コントワール・デ・ザール(Comptoir des Arts)と2軒のカフェがあります。西欧あちらこちらのパリ編ではしばしば登場させていますので探してくださいな。
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コントワール・デ・ザールの左横を歩くとすぐお花屋さんがあります。その先を右斜めに進めば、小さな公園を従えたサン・メダール教会(Église Saint-Médard)。教会としての歴史は中世に遡りますが、現在の建物は18世紀に完成したものです。その先を右折すると散歩の出発点だったムフタール通りになります。半年くらい前に見たNHKの番組に、この教会の前でアコーディオンを弾いて歌って踊る人たちが登場しました。ムフタールで出会って恋に落ちて〜♪みたいな、和訳するとこっぱずかしい内容だったのだけど、何とも楽しそうでした。「地元」を愛好するということにおいては私もまったく同じ。
サン・メダール教会
この付近には雰囲気のいいレストラン、美味しいパン屋さん、何かと重宝する何でも屋さん、使ったことないけどスターバックス、買ったことないけど評判の高いケーキ屋さんなど多数。
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測るのも面倒ながら、だいたい8kmくらい歩いたのではないかな。9時半から17時くらいまでかかったわりには距離が伸びていないですが、お茶したりビール飲んだり立ち止まって深呼吸したりして、けっこうゆっくり歩いていますからね。パリは、東京なんかの感覚でいると驚くほど町が狭いので、ついつい歩いてどこかに行くことが多くなります。
サン・メダール教会からほんの少し進めばクロード・ベルナール通り(Rue Claude
Bernard)を横切るパスカル通り(Rue
Pascal)になります。常宿レスペランス(Hôtel de l’Espérance)はパスカル通り15番地、すなわち教会側から数えて8軒目の左側ということね(パリの番地の数え方はどこかで調べてくださいな)。まだネット探索が一般的でなかった14年前、土地勘がまったくないパリに研究出張することになって、ガイドブックに載っていたエコノミーなホテルに国際電話をかけても残念ながら満員と2ヵ所に断られました。3軒目にこの宿が受けてくれた、というたまたまの話ではあったのです。長い付き合いになりましたねえ。
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これで花の都を歩いて見る話は終わりですが、なぜか5へつづく
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