Vers la région nordique ou l’Europe du Nord!: le Danemark et la Suède

PART6

 



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階段と坂道を登りきったところに、向こう側のビルの屋上につながる空中回廊の入口がありました。ビル自体はくたびれたマンションみたいな。そちらへ進むと、屋上部分はビアガーデンみたいな感じのレストランで、大半のテーブルが埋まりみなわいわいと飲み食いしているところでした。店員さんもせわしなく働いています。ここに紛れ込んでいいのかなと一瞬思いましたが、そのスペースを通り抜けたさらに先はレストランの客でなくても滞在できる部分らしい。回廊を延長しただけですけれども、かなりの高さがあるので眺めはよさそうです。

 
展望台?みたいなところに登る

 
(左)突き出した搭の左は市庁舎、右はリッダーホルム教会  (右)国際航路も発着するストックホルム港を遠望

 
(左)リス広場とセーデルマルム  (右)ガムラ・スタン東岸


しかし本当によくこんなところに大都市を造ったものだな〜。水上都市というのはそもそもさほど広がりようがないはずなのに、見渡すかぎり「町」がつづいていきます。どことも適度に木々の緑が見えるところがまたすばらしい。いまセーデルマルム島の北岸に立って、海(水路)の対岸を眺めているわけですが、ガムラ・スタンから東側(バルト海方向)にはシェップスホルメン島(Skeppsholmen 「船島」の意味)、カステルホルメン島(Kastellholmen 「要塞島」の意味)という2つの小島があって「本土」と橋で結ばれています。その東にはユールゴーデン島(Djurgården 「獣苑島」の意味)という大きな島があります。ストックホルムの商港はセーデルマルム北岸をもう少し進んだところ。ヘルシンキなどへの航路が出ています。そうか、ストックホルムをちゃんと回ろうとすると、地区ではなく島ごとの景観を攻略しないといけないんですね。今度ぜひやってみよう。

展望台もどき(あらためて見上げたら「ゴンドラ」と書いてあったけど、われわれとは概念が違うのかな?)から下界に戻ってきて、先ほどとは別の橋を渡ってガムラ・スタンの東岸側に出ました。ユールゴーデン島への水上バスがちょうど出て行ったところ。シティ・マップを手に英語であれこれ質問する人が多いので、このあたりは観光ゾーンなのでしょう。例によって予備知識がほとんどないので、とくにお目当ての何かがあるわけではありません。来たときとは別のルートでガムラ・スタンを縦断しようと思います。と、水上バス乗り場のすぐそばに、レンガ造り風のレストランがありました。ガムラ・スタンは飲食店だらけなので夕食をとるには困らないでしょうが、旅先では最初にピンと来たところの世話になるほうがよいです。ズム・フランシスカーネル(Zum Franziskaner)というその店に入ってみました。テーブル間の距離が近いのでお客が入るとわいわい感が高まる雰囲気です。なぜだか6人以上のグループ客がやたらに多く、窓際の人たちは英語で会話しています。

 
 


メニューを見ると、前菜+主菜+コーヒーのコースが375 SEK、アラカルトの一品料理はだいたい170190 SEKくらいです。物価が高いのは高いですがびっくりするほどではありません。ただ、ステーキだのシュニッツェルだのを食べるのは気が進まず、せっかくならノルディック・サーモンでも食べるかなと思いかけて横を見ると、黒板メニューに1品だけ、なぜか英語オンリーで示してありました。Swedish Meatballs with cream sauce, lingonberrie jam and boiled potatoesとな。139 SEKとなぜかこれだけ安い。たぶん前菜のおつまみ的なものなのでしょうが、ミートボールといえば北欧各国の名物料理でもあるので、これを発注してみよう。おともはグラスの赤ワイン。下町食堂みたいな雰囲気やなと思って店内をぼーっと眺めていたら、ヒマそうに見えたのか、店員さんがお店の由緒書きのような1枚もの裏表の印刷物をくれました。スウェーデン語、英語、ドイツ語、フランス語の4言語で書かれていて語学の勉強にもなりそう。なになに・・・ 1220年代にフランシスコ会の修道士がストックホルムにやってきて定着、旅人の世話などをしていたところへ、1416年にエリク・フォン・ポンメルン(マルグレーテ1世が擁立したカルマル同盟の初代君主で、デンマーク・スウェーデン・ノルウェーの王を兼ねた)が営業のライセンスを与えて店の歴史がスタート、2度場所を移して16世紀後半に現在の位置に開業、建物は1906年のものだとか。知らずに入ったらけっこう由緒正しいお店だったのね(「地球の歩き方」にも載っていた)。

運ばれた料理はどこからどう見てもミートボールで、同じようなサイズと形状のボイルド・ポテトが3個と、ジャム!が添えられています。北欧のミートボールにはジャムがつきものだというのは、その後ネットで調べて知りました。無知ですみません。フランスの魚料理でみるようなクリームソースをまぶし、さらにジャムを塗りつけて食べたら、味がふくらんでいい感じ。甘辛いというか甘じょっぱいというか。美味しい美味しい。コンデジとは別に最近の子みたいにタブレットでも料理を撮影し、食後のコーヒーを飲みながらフェイスブックにアップしたら(Wi-fiが通じていた)、元教え子のN菜ちゃんが「IKEAのテーブルに置いてあったのと同じですね!」とかいう書き込みをしていましたけど、こっちが本物でそれはダミー(笑)。IKEAはスウェーデン発祥の企業なのでこの料理のサンプルをディスプレイしたんでしょうね。ミートボール(スウェーデン語でköttbulllar)が139 SEK、グラス赤ワイン(glas rött)が80 SEK、コーヒー(kaffe)が29 SEKで〆て248 SEKでした。いまレシートを見返してみたら、料理とコーヒーには12%、ワインには25%の付加価値税(消費税)が含まれています。欧州では常識となっている食料品の軽減税率ですが、その適用範囲は国によってまちまちで、スウェーデンではコーヒーは「生活に不可欠の食料品」、お酒は「普通の物品」という扱いのようです。私が大学生だったころ日本で3%の消費税が導入され、大変な論議を呼んだのですけれど、「福祉国家スウェーデンは25%で、日本の消費税なんて甘いよ」みたいなことがしばしば聞かれました。そのころは25%の消費税なんてトンデモナイと思っていたものの、気づけばフランスの税率も20%台になりましたし、欧州各国の水準がそこに追いつきつつあります。日本は・・・

 
(左)鉄広場  (右)ヴェステルロングガタン通り


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時半ですがまだまだ明るいので散策を続行。レストランのすぐ脇を島の内側のほうに向かって1ブロック進んだところが鉄広場Järntorget)。かつては鉄の集積場だったそうです。小さな広場を飲食店が取り囲んでいます。その先はヴェステルロングガタン通りVästerlånggatan)で、飲食店とお土産屋さんばかりが立ち並ぶ、浅草の仲見世か清水寺の参道みたいな歩行者専用道。スウェーデン語を聴き分ける能力はないのですが、明らかにそれとは異なる複数の言語が耳に入ってきます。まあ昨今は日本の各地でも同じ現象がみられます。グローバル化の進展で国境を越えた人の移動がごく普通になり、また一部の「先進国」に限られなくなっているということですね。かくいう私もそんな流れに乗っかっているひとりではあります。チョコレート屋さんがあったのでのぞいてみると、カカオのにおいがむんむん。中年の男性店員が、観光客に英語で品物を勧めるのは毎度のことよという感じで話しかけてきます。これはスイス、これはイタリアから入ってきたもので・・・というので、スウェディッシュはと訊ねたら、大半のものはそうだと答えました。そりゃそうか。お土産ゲットです。

このヴェステルロングガタン通りは来たときに歩いたストーラ・ニーガタン通りと並行して、島を南北に縦断する道路。島は亀の甲羅みたいにこんもりしているため、ストーラ・ニーガタンよりも高いところを通っています。で、これと直交する東西の道はすべて坂道で、右手(東側)を見るとまだ上り坂なのでさらに高いところがあるのね。そのあたりを適当に歩いてみたらストールトルゲット広場Stortorget)という名の、さほど広くない方形広場に出ました。石畳の広場の周囲にはカフェなどが並んでいるし、広場の真ん中に公共スペースらしいベンチが置かれていることもあって、さまざまな年齢の人がおしゃべりしていますね。例によって翻訳に突っ込んでみると、storgrandtorgetcarré / squareだそうで、ブリュッセルの真ん中にあるグラン・プラス(Grand Place)なんかと同趣旨の、あまりひねりのない名称のようです。ですから「広場」をつけてしまうと本当は同語反復。「地球の歩き方」では「大広場」と意訳してありました。重厚感のある建物はノーベル博物館(Nobelmuseet)。ノーベル賞100周年を記念して建てられた新しいミュージアムのようで、大いに興味はあるものの、もう20時で入ることができません。明るいので感覚狂うね。小学23年生にかけて古今東西の偉人の伝記を読みまくり、あるシリーズはほとんど読破したのではないかと思いますが、小学生にはその価値というか評価基準が意味不明のものもありました。アルフレッド・ノーベルについては、爆弾(ダイナマイト)を発明して遺言でノーベル賞を設立したおじさんということと、事故で兄弟を失った話と、商売がうまくいかなかったりした話を憶えているのですが、やっぱり趣旨不明でした。スウェーデンが生んだ人物の中では突出して著名ではあります。後半生はスウェーデン当局に危険視されて祖国を去り、主にパリで活動しました。

 
(左)ノーベル博物館  (右)ストールトルゲット広場


このストールトルゲット広場はスウェーデン史というか北欧史にとって非常に大きな分岐点となった出来事、1520年に起こったストックホルムの血浴事件(スウェーデン語Stockholms blodbad デンマーク語Stockholmske Blodbad)の舞台となった場所です。コペンハーゲンのところで述べたように、1397年にカルマル同盟が成立してデンマーク王がスウェーデンおよびノルウェーの王を兼ねて3国の同君連合が成立しました。しかしこれはデンマークの優位のもとでの同盟だったので、徐々に力をつけてきたスウェーデンには、デンマークと決別して自立すべきだという勢力が拡大してきます。すでに15世紀半ばから独立派のクーデタが繰り返され、王と称する者も現れるのですが、在地に基盤をもつ貴族やカトリックの聖職者などがデンマークとの同盟維持を支持したため成功することはありませんでした。1518年、独立派の首領であった小ステン・スチュール(Sten Sture)がストックホルムを制圧し、同盟維持派の聖職者に乱暴な扱いをしたことがデンマーク王クリスチャン2世による軍事介入に口実を与えます。デンマーク軍はいったん退けられながらも執拗に攻撃をおこない、小ステンは逃走中に死んで、クリスチャン2世のストックホルム入城となりました。クリスチャン2世は「反乱の罪は赦す。仲よくやっていこう」と声明して独立派の貴族らを王宮での大宴会に招きました。想像ですが、スウェーデン貴族らの常識的な判断としては、同君連合とはいえデンマークとスウェーデンは別の国であり(議会も別にある)、クリスチャン2世も結局は在地勢力を通じての間接統治しかできないのだから、パーティーに呼んで懐柔するのだろうと考えたのではないでしょうか。――結果は最も凄惨な裏切りでした。王宮の扉が閉められて独立派はことごとく幽閉され、翌日ストールトルゲット広場にて100人以上が処刑されたのです。

権力が極大化して、反対派や批判勢力との共存を自ら拒むとき、外見的には敵なしに見えてもそれは永続しません。あまたの歴史的事実がそれを訓えてくれます。デンマークとしてはスウェーデン独立の芽を完全に摘んだつもりだったのに、この血浴事件が逆にそれを早めてしまう結果になりました。父を大広場で殺されたグスタフ・ヴァーサ(Gustav Vasa)は決然と立ち上がり、農民軍を組織して本格的な独立戦争に突入、1523年にカルマル同盟からの離脱を認めさせました。これがスウェーデン王グスタフ1世(Gustav I)で、彼が開いた王朝の6代目のグスタフ2世アドルフがバルト海地域を制圧して北方帝国を築き、スウェーデンの最盛期を現出したことは前述しました。グスタフ・ヴァーサが農民たちを説得したとき、意見がまとまらないことに失望してその地を去り、ノルウェーに新たな賛同者を求めてスキーを走らせました。「いや、このままではいかんのではないか。ヴァーサを擁してデンマークと戦おうぜ」とようやく農民の意見が一致し、彼らの代表2人がヴァーサを追って、82kmも走った国境付近でようやく追いつきました。クロスカントリー・スキーのヴァーサロペット(Vasaloppet)はこの故事に由来する伝統レースです。(ここまで主に『物語 北欧の歴史』を参照)

 

大教会(突き当たりの尖塔のある建物)と王宮(右)


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年前の阿鼻叫喚の地獄絵図を思い描くことも難しいほど平和なストールトルゲット広場を抜けると、大教会Storkyrkan)があり、そして王宮Kungliga Slottet)の威風堂々たる姿が見えてきます。欧州の旅では、いまは君主制を採らないところも含めて、王宮関係が見どころになることが多いですよね。スウェーデン王室は長くこの宮殿に居住していたのですが、1981年に郊外のドロットニングホルム宮殿(Drottningholmslott)に移られ、いまはそちらにお住まいです。ようやく日が暮れかけてきたので、この周辺の見学は明日またすることにしましょう。王宮の周りをぐるりと回り込んで、ガムラ・スタンの北岸に出ると、本土とのあいだにヘランズホルメン島(Helgeandsholmen)という小さな島がはさまっています。その大半を占める立派な建物がスウェーデンの国会議事堂(Riksdagshuset)。ストックホルム旧市街を歩いていると、どれが歴史でどれが現役なのか混乱してきます。それっていいことじゃん。

 国会議事堂を通り抜ける


国会議事堂には通り抜けの回廊みたいな部分があり、そこを歩いて北に抜け、橋を渡って、ひさびさ本土(大陸部分)に戻ってきました。そのまま直進すると新市街の繁華街、ドロットニングガタン通り(Drottninggatan 「女王通り」の意味)につながっています。20時を回って、これからがいちばんにぎやかな時間だとばかりに、老若男女であふれているね。私は駅裏のホテルをとり、市庁舎を経由してガムラ・スタンに入ったのでいわば搦手(からめて)ルートでしたが、このドロットニングガタン通りを進んでガムラ・スタンをめざすのがおそらく王道。ですから地元の人だけでなく外国人観光客も多く、お土産屋さんも多数見えます。方々のレストランのメニューにはビュッフェ料理の案内が目立ちます。中をのぞくと、お皿をもって思い思いの料理をサーヴするお客の姿が見えますね。スウェーデン料理だけでなく、店によっては中華や寿司、タイ料理のビュッフェもみられます。このビュッフェ・スタイルも北欧の名物だそうで、若いころだったら喜んで列に加わったでしょうが、いま量は(笑)。このスタイルを日本で流行させたのは帝国ホテルの名シェフだった村上信夫さんで、北欧→バイキングという安直な?ネーミング(もちろん和製英語)で定着していますね。ついでのことにビュッフェというのはフランス語式の発音で、英語だとブッフェ。


黄昏のドロットニングガタン通り 突き当たりに国会議事堂の門、その奥に大教会が見える


おっちゃんのピアノ(うまくない 笑)に合わせてみんなで歌って笑う


こちら新市街はガムラ・スタンの町並とはまったく違って、きわめて現代的な商業地です。東京というより大阪の町を歩いているような感覚になるのは自分だけかな? 欧州でも日本でも、大都市の中心市街地というのはさほどに個性のあるものではなく、むしろ無国籍化するといってもいいでしょう。それが悪いとか嫌だというのではなく、率直にいって非常に居心地のよさを感じます。そういう時代、環境に生まれ育っていますからね。ところで、欧州各都市に嫌味なほど出現するスターバックスを見かけません。エスプレッソハウス(Espressohouse)なる同種のチェーンをあちこちで見ますので、スウェーデンでは分布パターンが異なるのかもしれませんね。そういうのがかえって目立つほど、大半は標準化、規格化されています。このところ高校や大学の授業で、欧州各都市のスタバやマクドナルド、H&Mなどの写真をこれでもかとパワポに流し込み、見せるという悪趣味なことをしています。グローバル化などという巨大なムーヴメントを理解するのはなかなか困難で、下手をすると「自分は関係ない」といって逃げられてしまいます。君たちの大好きなファストフードやファストファッションにこそ端的にそれが現れているんだよ、という話ね。

初めて海外旅行を経験した高校生や大学生が報告してくれることに「私たちにおなじみのチェーン店やショップが向こうにも普通にあってびっくりしました」というものがある。「パリにもスターバックスがあるんですね」「ソウルでもH&Mを見かけました」――そのとおりではあるが、きっとフランス人や韓国人が初めて東京を訪れても同じ感想をもつのではないか。(拙稿「グローバル化と消費生活」、宮崎・古賀編『教師のための現代社会論』、2014年、教育出版、所収 pp.94-95

ドロットニングガタン通りをさらに直進したところに、新市街の中心とおぼしきセルゲル広場(Sergels Torg)がありました。広場といっても吹き抜け式に掘り下げられた地下1階面を四方から見下ろすかたちになっていて、中ではパフォーマンスがおこなわれ、多くのお客が見守っています。広場の北側には例のH&M。いつもお世話になっています(笑)。私もファストファッションは好きだけれど欧州に来てまで入店する気にはなれず、外観を撮影して教育活動に生かす!だけだったのですが、たまに現地での衣類が不足したりすると利用することがありますね。あ、ここメスター・サミュエルスガタン通り(Mäster Samuelsgatan)の前後に展開しているのが世界のH&Mの本店ですよ。

 
 
セルゲル広場周辺は新市街の中心


そうそう、めざすべきはH&Mではなくデパートでした。欧州に行ったら自分用のネクタイを購入するのが佳例になっています。H&Mの隣に、かなり大きなビルがあり、それがオーレンス(Åhléns)というデパートでした。札幌の大通、名古屋の栄、福岡の天神みたいな交差点に面していると思ってください。20時半ころなのですが店内にはお客がたくさんいて、いまがピークなんじゃないかと思うほど。明日も昼間は町歩きできるのですが、朝チェックアウトしてキャリーバッグをホテルに預けてしまう関係で、お土産を買うなら出発前日である今日のうちがいいのです。このデパートには無印良品もあるね。MUJIも各地で見かけるようになりました。メンズのフロアに行ってみたら、ネクタイは妙にカジュアルなラインナップだったけどそれでもいいか。スウェーデン滞在3日目ではありますが、いまだにクローナの相場感覚がつかめず、価格を見ても安いのか高いのかさっぱりわからん(汗)。よさげなのを2本選んで精算したら、70%オフのセールとかで、209.4 SEKでした。3000円ちょっとくらいのもので、最近になく安いのを買っちゃったね。

オーレンスの前の大きな道路(クララベルグスガタン通り Klarabergsgatan)を西に3ブロックほど歩けばストックホルム中央駅。コペンハーゲンで買ったワインの残りが少しだけあるけれど、アルコールを買い足すなら国営酒店を探さなければならず、それは面倒なので次回の宿題ということにしよう。ホテル近くのセブンイレブンで、紙パックに入ったミネラルウォーターを購入。これはナチュラル・ウォーターですかと訊ねるのを忘れてはいけません。どこでも英語が普通に通じるので楽ちんなのだけど、商品の表示などはスウェーデン語ばかりのことが多く、そもそも何であるのかを判別しがたいことになります。ドイツ語にはかなり慣れたし、イタリア語やスペイン語はフランス語からの連想で何とかなるけれど、北欧語はやっぱり難しいね。私自身が(一応)フランスの専門家だからいいようなものの、フランスに行くと表示がことごとくフランス語オンリーなので、その言語になじみのない観光客がテンパってしまうのも無理はありません。

 

PART7につづく


この作品(文と写真)の著作権は 古賀 毅 に帰属します。