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ネースシェー駅の昨日降り立ったのと同じホームに、同じX2000が入線してきました。下車客は今日もさほどではなく、とっとと車内へ。私の隣席は終点まで誰も来なかったのだけれど、全体としてはほぼ満席という状態です。スウェーデンの大幹線とはいえ、6両編成ですので、それくらいの容量で済むのかと逆に考えることもできます。列車は12時10分発。ここから首都まで2時間半の行程です。コペンハーゲン〜ネースシェーも同じくらいの所要時間だったので、乗りとおすと5時間ということになり、やっぱり飛行機のほうがいいかなという時間距離にはなりますね。コペンハーゲン〜ストックホルム間は直線距離でおよそ600km。列車の表定速度(停車時間などを含んだ平均速度)は100km/hあるかどうかで、フランスTGVの高速専用線区間が200km/h弱、のぞみが180km/hちょっとですから、在来線というのはやはりスピードでかなり劣るんですね。
(左)ネースシェー駅 (右)湖沼地帯を快走する
車窓はほぼ一貫して湖沼か森林で、何となく思い浮かべるような北欧そのもの。高架線やトンネルもほとんどなく、駅の前後以外には人家も見当たらないので、やっぱり北海道に行ったときに感じるテーストに似ています(北海道はトンネル多いけどね)。こういう車窓だと、やっぱり飛行機ではなく鉄道の移動のほうがいいなと思いなおします。途中、リンチェーピン(Linköping)、ノルチェーピン(Norköping)に停車。いずれも車内から見るかぎりではそれほど大きな都市ではなさそうです。14時20分ころソーデルテーリェ(Södertälje)着。この手前あたりから農耕地が増えてきました。時間からして首都圏に入ったということでしょう。列車はいままでになかった高架線を走っていきます。14時30分を過ぎたころ、終点到着の車内放送がスウェーデン語と英語でありました。日本の鉄道と似て、どちら方面へ乗り換えのお客様は何番線から何時の列車という丁寧な案内があります。あとで町を歩いてわかったのですが、ストックホルムはかなり起伏に富んだ地形をしていますので、市内では短いトンネル区間が多くなります。水路?と古そうな町並が見えてきました。かなり大きな都市のようです。14時39分、ストックホルム中央駅(Stockholms centralstation)着。
スウェーデン王国の首都ストックホルム(Stockholm)は都市圏人口100万人超の、もちろん同国最大の都市。イェーテボリやマルメなどの都市もかなり小規模のため、首都だけが突出して大きな都市に見えます。コペンハーゲンが北欧のパリなら、こちらストックホルムは北欧のヴェネツィアだといわれ、どんなものなのか楽しみ(まだヴェネツィアに行ったことがないけど)。
ストックホルム中央駅 Way outとあるのでイギリス英語かと思えばElevatorはアメリカ式?(イギリス式だとlift)
コペンハーゲンと同じような事情で、ここでも駅前のホテルを予約しています。あす12日午後にはストックホルム・アーランダ空港から帰国の途に着かなければならず、空港アクセスは列車にしてもバスにしてもここ中央駅から出るので、移動しやすいほうがいいですからね。ただ、コペンハーゲンと比べてもこの中央駅はかなり大きく、「駅前」といってもどこからどう向かえばよいのかがわかりにくい。事前に方向だけは整理していたので迷わずに進みましたが、濡れずに行ける(このとき雨が降っていた)短絡ルートがいくつかあるのを後で知りました。駅は掘割の中にあり、周囲の道路はどこも一段高くなっています。7〜8分くらいかけて、予約したファースト・ホテル・クングスブロン(First Hotel Kungsbron)にたどり着きました。駅の出口からは離れているけれど、眼下に掘割内のプラットフォームや列車を見ることのできる「駅前」で、オフィスビルの一隅だけホテルになっているのね。クングスブロンというのはいま調べたらKing’s Bridgeのことで、すぐそばにある駅を越える橋の名称でした。
ファースト・ホテル・クングスブロン ガラス張りのビルに入居している バスの走る橋がクングスブロン
ここは予約時の即時決済ではなく現地精算ということだったので、レセプションでまずは勘定。朝食込み695 SEKですので場所がらを考えるとそこまで高いとは思いませんが、中身はどうなんだろう。レセプションはエントランス階(ノンブルは見落としました)にあり、そばに朝食のダイニングが見えます。「ミスター・コガ、客室はこの階段かエレベータを下りていただき1フロア下です。まず右に行って左に曲がってそのまま直進・・・」と、ホテルの客室案内にしてはずいぶん込み入った説明だな。指示どおりに1フロア下りてみたら、PCのブラウザが客室番号を入力すれば道順がわかりますというインフォメーションを表示していました。これでわかった。イェンチェーピンのホテルと同じように、敷地面積いっぱいに客室を詰め込んでいるため、本来は1本しかないはずの廊下が何本もあってややこしくなっているわけですね。これでまた窓なしだったら部屋を替えてもらおうかと思ったものの、幸いにして(当然だけどな)私の部屋には窓がありました。駅とは反対側らしく、道路は3階ぶんくらい下に見えるので、エントランスのところが人工地盤なのか、こちらをくり抜いたものか不明。水まわりを含めてまずまず標準的な設備なので、よしとしましょう。
16時ちょっと前なので、こちらの日の長さを考えれば今日もけっこう町歩きできますね。最初に中央駅内のストックホルム地域交通(Stockholms Lokaktrafik: SL)の券売機に挑戦?してみましたが2回くらいトライして一日乗車券にたどり着けなかったのでパス。誰かに聞けばよいのですが、ホテルのレセプションでもらった1枚もののシティ・マップをさっき眺めたところでは、これから動こうとしている範囲なら地下鉄やトラムはあまり関係なさそうだなと瞬間に判断したのです。券売機の数が少なくて後ろに人が並びかけていましたし。ことのついでに、中央駅に隣接するシティ・ターミナル(City Terminalen)という名のバスセンターも確認。明日はここからバスで空港に行くかも。中央駅そばの水路を渡って対岸へ。水路と書きましたが実際には海です。それこそGoogle Mapか何かで見ていただきたいのですが、ストックホルムはバルト海とメーラル湖(Mälaren)とのあいだの陸地が細かく刻まれたようなところに位置します。13世紀に王権とこれを支えた貴族階層が、ドイツ人移民の協力で構築した要塞都市として出発しました。このため市の中心部も海上に展開するといって過言ではありません。中央駅のあるところは大陸のつづきだけど、いま橋を渡って降りたところはクングスホルメン島(Kungsholmen)。王様の島という意味ね。お目当てはレンガ色の搭がすでに見えている市庁舎(Stadshuset)です。1923年に完成した建物だそうで、なるほど宮殿とか寺院のようなクラシックな様式ではなく、現代的な造形ではあります。派手さやきらびやかさがなく質実でいいなあ。ガイドツアーはもう終了しているので外観を眺めるだけね。ほぼ正方形をしている中庭と、そこから吹き抜けを通り抜けた海側のスペースには観光客があふれていました。ノーベル賞の授賞記念晩餐会とそのあとの舞踏会が開かれるのはこの建物。日本人が受賞するたびに「ダンスはどうするんですか」とか芸のないインタビューがありますよね。
市庁舎
クングスホルメン島から大陸?に戻ったあたり
市庁舎前から眺める「対岸」の景観 左の尖塔(リッダーホルム教会)の見えるところがリッダーホルメン島、中央より右側がセーデルマルム島
市庁舎の足許、いわば大陸部分の端っこに立って対岸を眺めてみたら、あ〜なるほどストックホルムってこんな町なんだと一瞬で認識できました。本当に水の都です。橋がそれほど架かっていないので空間的に広々と見えるのがすばらしい。時間に余裕があれば水上バスか何かに乗ってぐるぐる回ってみたいよね。これから、目の前に見えている橋を渡って対岸のリッダーホルメン島(Riddarholmen)に行こうと思います。ストックホルム市街はけっこう広めの「海」(リッダー湾 Riddarfjärden)によって南北に分けられており、その北岸(大陸部分)と南岸(セーデルマルム島 Södermalm)とのあいだを埋める踏み石のようになっているのがガムラ・スタン(Gamla Stan)という島。ストックホルムを観光するならこの島の名前は絶対に外せないという、いうところの旧市街です。リッダーホルメン島はガムラ・スタンと地続きになっていて実質的には一体のもの。先ほど特急列車で渡ってきた橋(中央橋 Centralbron)には自動車道路と歩道が併設されており、そこを渡ります。広々とした「海」の眺めも、かなり頻繁に往来する列車も、どちらも興味深くてきょろきょろします。橋の中ほどでは何人かのおじさんが釣り糸を垂れています。いやおもしろいな〜
(左)鉄道橋に併設された歩道橋を渡ってリッダーホルメン島へ (右)リッダーホルム教会
島に入ってまもなく現れるのがリッダーホルム教会(Riddarholms Kyrkan)。広々とした空に突き出した尖塔が印象的です。ここにはスウェーデン最盛期の国王グスタフ2世アドルフ(Gustav II
Adolf)から1950年に亡くなったグスタフ5世(Gustaf V)までの歴代国王が葬られています。グスタフ2世アドルフは三十年戦争での活躍で知られ、その戦場で落命しました。グスタフ5世時代のスウェーデンは、2度の世界大戦という、さほど力のない国にとっては災難としかいいようのない事態に直面し、国王は大いに指導力を発揮しました。とくに第二次世界大戦に際しては、連合国・枢軸国のいずれにも属しない中立の立場を早々に明らかにしますが、デンマークとノルウェーがかなり早い段階でナチス・ドイツの侵略を受けて占領され、フィンランドはソ連の侵攻を受け屈辱的な講和に追い込まれましたので、一国のみで中立を維持するというのは相当に困難なことでした。実際には国際法的な意味での中立要件をしばしば犯しており、政治・外交的なやりくりとしての中立政策ではありました。枢軸陣営の一角だった日本の側から見ると、世界が真っ二つに分かれて激戦したように思えるのですが(規模としてはそんな感じですが)、国の数でいえば圧倒的多数が連合国に属しており枢軸国は少数。欧州における中立国はスウェーデンのほかスイス、ポルトガルだけでした。このためスウェーデンには日本も世話になっています。広島・長崎への原子爆弾投下とソ連の満州侵攻を受け、1945年8月10日以降にポツダム宣言受諾のための外交交渉をするのですが、連合国への問い合わせや通知はスウェーデンおよびスイス政府を介しておこなわれたのです。なお、グスタフ5世のあとを継いだグスタフ6世(Gustaf VI)は政治的な行動をせず象徴的な君主として振る舞いました。グスタフ6世の嫡孫としてあとを受けたのがカール16世グスタフ現国王(Carl XVI Gustaf 1973年即位)です。ときどきスキャンダラスな話も聞くのですが、私たちにとっては「ノーベル賞を授賞してくださる方」としての印象が強いですね。スウェーデンでは1980年に憲法が改正されて王位継承が性別を問わず出生順となったため、ヴィクトリア王女が王太子となっています。
ちなみに現在のスウェーデン王室の直接の祖は19世紀初めのカール14世ヨハン(Carl XIV Johan)です。この人が王位に就くまでの経緯はなかなか興味深い。元の名はジャン-バティスト・ジュール・ベルナドット(Jean-Baptiste
Jules Bernadotte)。さして裕福でもないフランスの一般人の家庭に生まれ、革命期にジャコバン派の軍人として頭角を現したものの、同じような境遇のナポレオンには歯が立たずその出世を横目で見るだけでした。実は彼の妻デジレ・クラリー(Désirée Clary)は若き日のナポレオンの恋人で、彼女の父が貧乏軍人との結婚に猛反対したことなどからその機会を失い、ジャン-バティストと結婚しています。権力を握ったナポレオンから目をつけられながらも生き延びたのはデジレの存在ゆえだったとみられます。ナポレオン戦争の一環として北欧に遠征したことはありますが、ここまでスウェーデンとの縁はほとんどありません。ところが1810年、スウェーデン側の事情により瓢箪から駒のように彼の運命が変転します。老齢のスウェーデン王カール13世には子がなかったため遠縁のクリスチャン王子が王太子に指名されましたが、その直後にあやしげな事故で死亡します(下手人として噂されたのはマリ・アントワネットの恋人で『ベルばら』にも登場するフェルゼン。彼はこの騒動の末、市民に惨殺されました)。このころスウェーデンは欧州大陸を制覇したフランスの軍門に下っており、カール13世も反仏的な前国王に代わって即位したばかりでした。スウェーデン側はクリスチャン王子の弟を順当に指名するつもりでしたが、ナポレオンにその旨のおうかがいを立てにいった使者が、「陛下、こういう時代でございますのでスウェーデンの人々も軍人出身の力強い王を求めております」的なことを越権でいったらしい。元カノへの贖罪意識からか、目障りなやつを追い出すチャンスとみたか、英国やロシアを信用できない以上は北欧に有力な同盟国を得たいと考えたか、この使者の「ベルナドットを王に」という唐突な申し出をナポレオンは受け入れました。こうして成り上がり将軍ジャン-バティストはプロテスタントに改宗した上でカール13世の世子となり、スウェーデンの王位継承者カール-ヨハンとなります。しかし、ようやく居場所を得たというのか元来がナポレオン嫌いだったのか、まもなくカール-ヨハンはスウェーデンの国策を反フランスに切り替え、全面戦争に突入しました。1813年のライプツィヒの戦い(いわゆる諸国民戦争 la Bataille des Nations)では彼自身がスウェーデン軍を率いて、かつての同僚たちであるフランス軍を撃破しています。このあとの戦後処理でスウェーデンはフィンランドをロシアに譲る代わりにノルウェーを獲得しました。1818年、カール-ヨハンは王位に就いてカール14世ヨハンとなりベルナドッテ朝を開きました(ここまで主に前掲『物語
北欧の歴史』による)。デジレはスウェーデン王妃となり、のちには王母となって国民から慕われました。ナポレオンに振られてよかったのかどうかは本人に聞いてみないとわかりません。移民批判の声が高まったときに現在のグスタフ国王が「私の先祖もフランス人でしたよ」とおっしゃって、国民をはっとさせたことがあったそうです。
小さなお店が並んで楽しいストーラ・ニーガタン通り界隈
リッダーホルム教会の前の狭い水路を渡ると、いよいよガムラ・スタンです。地形から見て、このあとの散策コースは、この島を突き抜けて対岸のセーデルマルムに行き、そこからもう一度ガムラ・スタンを経由して大陸側に戻るはずですから、島内ではなるべく違う道を歩きましょう。2つ目の角を折れてみたらとてもいい感じなのでこの道を歩くことにしました。名はストーラ・ニーガタン通り(Stora Nygatan)。いまこの固有名詞をGoogle翻訳で調べたら、storaはgrand、nyはnouveauとのことなので、固有名詞というか「新・大通り」というニュアンスでしょうかね。広めの石畳の道で両側には間口の狭い小さな商店が立ち並び、多くの通行人がいます。まあ観光客向けのルートで、生活感があるわけではありません。興味深いのは南北に伸びるこの道と直交する小路の景観で、どこも狭く、旧市街テーストに満ちています。「将軍」という日本料理店が妙にハマっています。小物屋さんとかもあるので、ツーリストにはとてもいいんじゃないですかね。それにしてはハイシーズンなのに日本人観光客の姿がほとんど見えないのはなぜ?
ストーラ・ニーガタン通り(を抜けたところが島の南端で、コルンハムンストーク(Kornhamnstog 大麦港広場?)という小さな方形広場でした。対岸のセーデルマルムは水際からすぐ急勾配になっている様子で、カラフルな建物が立体展示のように見えます。広場にはテントを張っただけの仮設カフェがあったので、ここで一休み。ビアサーバーがあったので例によってブランドを指さして「これ1つ」で発注です。Sofieroというラガービールで、0.4Lのグラスが56 SEK。普通の味やね。屋外カフェなので犬を連れたお客などもいてみなのんびりしています。日ごろがせわしないので、海外のカフェなどではつとめて「何もしない」ことに徹します。で、ここでも40分ばかり何もせずただ景色を眺めました。17時を回っていて、涼しくて快適ではあるけれども寒いというにはほど遠いのに、屋外カフェのテントに取りつけられた電気ストーブがONになりました。パリのカフェのテラス席ではおなじみの装備ですが、いまは不要なんじゃないの?
Kornhams広場からセーデルマルムを望む
セーデルマルムの入口、スルッセンには市も出ていた
ガムラ・スタンとセーデルマルムをつなぐ部分は、高速道路・一般道・歩道・鉄道がそれぞれ各方面に分配されるため立体化されているので、配線がこんがらがった機械みたいに見えます。どこを進めば向こう側に行けるのか、一瞬見失いかけました。でも、ややひいき目にいいますと、そういう近代的な仕掛けが古い町並とさほど矛盾していなくて、むしろ一体化しているように見えます。建物の外壁が暖色系で落ち着いているのと、多分に豊かな水面のゆえでしょう。ビールを飲みながら観察したとおり、セーデルマルム島に入るとすぐに坂道になっていて、建物にして2フロアぶんくらい登ったところに方形の広場がありました。そこがリス広場(Ryssgården)。リスというのはロシアのことです。地下鉄のスルッセン(Slussen)駅の入口が見えます。青果物などの市も出ていて、多くの人でにぎわっているのですが、ガムラ・スタンとは一変して大半は地元の人のようですね。ここはセーデルマルムの拠点駅として機能しているんじゃないかな?
ストックホルムはもともと1泊2日の予定でしたので、大きな都市のあちこちを見学することは想定していません。残念ながらセーデルマルムの内部まで入り込んでしまうと時間と体力を使いすぎてしまいますね。想像していたよりもずっと気に入ったので、今度また来て、数日くらい見て歩きたいです。ミヤコばかりがすべてではないとかいいつつ、大東京の住民である私もやっぱり首都を外さない傾向があります。欧州の首都としては、主権国家のレベルでいえばパリ、ロンドン、ダブリン、リスボン、ブリュッセル、アムステルダム、ルクセンブルク、モナコ、ベルン、ベルリン、ウィーン、プラハ、ブラチスラヴァ、コペンハーゲン、そしてストックホルムと、ずいぶん見てきました(ヒマね)。私の視野が広がり、学生が「また欧州か」とうんざりするネタが増えます。
コレが気になって・・・
登っていきました・・・
そんなわけでセーデルマルムは「地面を踏んでみる」だけのつもりだったのですが、ロシア広場の隣に建つ普通のビルの上に、何やら気になる物体があります。屋上から海に向かって、間延びした非常階段みたいなものが突き出していて、そこに人々の姿が見えます。あれは展望台なのかな? 見上げた感じでは通りすがりの人でも入れそうに思えます。ダメだとしても高台に登ってストックホルムを見渡してみたいという気持ちになったので、崖みたいな斜面に張りついていた歩行者用の階段を登って、その方面をめざしました。日本式に数えて9階建ての屋上に相当するのでかなりの高さがあります。同じ思いの観光客らしき人がいるので心強い。斜面の途中はごく普通の住宅地で、アパートなどが並ぶ日常生活の空間です。
PART6につづく
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