PART6にもどる
8月12日(水)は6時半に起床して北欧最終日の活動を開始。レセプションが客室より上の階にあるというのはあまりない構造ですが、考えてみれば前日のイェンチェーピンも地下室だったのだから同じことでしたね。レセプションの隣に、ホテルの規模を考えれば小さいと思えるサイズの朝食会場があり、7時半ころブレークファスト。日本人観光客らしき2人連れの女性をようやく見かけたなと思ったら中国人でした。混雑しているので、朝食終わりかけの70歳くらいの男性に声をかけて相席を請いました。「ほほう、日本からいらしたのですか。私は仕事をリタイアしたあと社会事業の活動をしています。こうしてストックホルムにもたびたび来るんですよ。あなたのお仕事は? ああ、フランスの研究をなさっているんですか。私もフランス人と一緒に仕事する機会がけっこうあります。彼らはどこに行ってもフランス語しか話しませんね。わはは」。
9時ころチェックアウトして、予定どおりというか例によってキャリーバッグを預かってもらいます。この日はアーランダ空港を17時に出発するSAS機でフランクフルトへ向かい、そこでANAに乗り継いで帰国の途につく行程。空港までは小一時間と聞いていますので、ゆとりをもたせて14時くらいにここに戻ってきて荷物をピックアップすればいいですね。目の前の掘割にある中央駅の線路群を橋で越えたところに駅直結のバスターミナルがあるのは、前日確認したとおりです。空港アクセスはバスまたは鉄道で、いずれにしても中央駅からなので迷うこともありますまい。念のためもう一度バスターミナルを確認したら、そのすぐそばに空港アクセス列車アーランダ・エキスプレス(Arlanda Express)の専用乗り口がありました。中央駅の入口はもう一筋南側の橋のそばだと思うのですが、バスに対抗するためホーム直結のエレベータを設けているのではないかな。
朝の感じですよね(クングスガタン通り)
昨夜、オーレンスでネクタイを買ってホテルまで戻ってくるときにはクララベルグスガタン通りを通りましたが、いまは駅北側から東に向かうクングスガタン通り(Kungsgatan 「王様通り」)を歩いています。このあたりの新市街は基本的に碁盤目のような構造になっているので方向感覚さえしっかりしていれば迷うことはありません。欧州の大都市でこのような造りはめずらしく、より本格的なところではスペインのバルセロナがそうですね。通勤時間帯よりは少し遅めで、市街地に人が集まってくるまでにはまだ時間の余裕があって、いまは平穏な朝の都心部といった様子。駅の近くだけに、ケバブや寿司、中華といった大衆的な食べ物屋さんが多くみられます。当方と同じ外国人観光客らしき人もちらほら。リュックを背負いデジカメを握っているのでそれとわかります。こっちも同じように見えるに違いない。昨日歩いたドロットニングガタン通り(のつづき)を北に折れてみたり、パサージュみたいなところに入り込んだりしながら、じぐざぐに歩いてみます。
(左)ヒョートリエット広場 (右)ヒョートログス・シティ
ヒョートリエット広場(Hötorget 「干草市場」の意味)というほぼ正方形の空間に出ました。周囲を背の高いビルに囲まれていて日比谷とか大崎あたりのテーストですが、マーケットの名にたがわず野菜や果物の市が出ていました。こういうのは欧州だよね。ここは100年くらい前から野外マーケットとしてにぎわった場所だそうです。その南側一帯はヒョートログス・シティ(Hötorgscity)という複合商業・オフィスビルで、朝の9時台にはさすがに開店しているところも少ないですが、昼になればたくさんの人が訪れるのでしょう。伝統的景観(っぽさ)にこだわるパリには絶対にみられない、スマートかつ現代的な絵だなあ。したがって飲食店も基本的にはチェーン系ばかりです。おもしろいかどうかは人によります。
開店前の商店が密集する新宿東口みたいなエリアを一回りして、H&M本店のある界隈に出てきました。オーレンスの前には10時の開店を待つお客があふれています。デパート本体よりも早く、その一角にある銀行のATMが開いていたので、現金300 SEKをキャッシング。1日前にネースシェー駅前で同額を引き出したばかりですが、5000円くらいのものだし、物価も高いのでやっぱりすぐに吹き飛んでしまいますね。いつもと違って妙に小出しにしているのは、ユーロと違って今度いつ使うかわからないので、滞在中に余さず使いきれるようにしているためです。かつて国境をまたいだ欧州旅行ではそうした配慮が常に要ったことを思えば、通貨統合は画期的というほかありません。がんばれギリシア(とドイツ)。
資金調達・・・
オーレンスの開店を待つ人たち 向こうにH&Mの本店が見える
(左)セルゲル広場 (右)ツーリスト・インフォメーション
昨日もちらとのぞいたセルゲル広場を横切ったところに、ツーリスト・インフォメーション(観光案内所)がありました。さすがに首都ストックホルムだけあって、イェンチェーピンのような貧相な場所、サイズではなく、堂々としたものです。ま、ただ、シティ・マップはホテルでもらっていたし、いまさら町の情報を得るということもないので、表に出ていたイスで10分くらい休ませてもらうだけにとどめました。見るからに安全なストックホルムですけれど、長年のクセと、やっぱりそれなりの警戒もあって、歩きながらとか路上で立ったまま地図を見るのは控えています。こうして休んでいるときに地図を確認。地理オンチの方って、ぱっと見たときの地図の切り取り方がうまくないんですよね。進むべき方向の主な道筋と、その前後左右のブロックのみを切り取って頭に入れるという操作ができれば、町歩きはかなり上手になります。町なかに街区地図を掲出してくれる都市はなおありがたい。東京はないことはないのだけど英語表記がきわめて不足。パリは絶望的にダメ。国全体で街区地図がしっかりしているのは意外にも?英国で、コンパクトかつ平易で距離感までわかるような地図を町のあちこちに掲出してくれています。
いま地図を見ながら歩いた跡を確認しているのですが、インフォメーションの真裏にスウェーデン中央銀行(Riksbanken)があったんですね。あったところで用事はありませんが、気づいていれば写真を撮って、公民の授業あたりで見せられたのに残念。そのまま東のほうに歩いていくと緩やかな下り坂で、オフィス街にそれなりの商店が点在している地区のようです。途中にスターバックスを見つけました。こんなにもスタバに出会わない大都市は初めてかもしれません。
同一ホームをバスとトラムが共用する(クングストレードゲルデン電停)
東へ伸びる道はハムンガタン通り(Hamngatan)。イェンチェーピンにもあった道路名で「港通り」ということらしい。セルゲル広場から3ブロックほど東へ歩いたところに、トラム(路面電車)の電留線がありました。手許の地図ではトラムがセルゲル広場から出ているのですが、どうやら工事中で1つ先が仮の起終点になっている模様です。近づいてみるとクングストレードゲルデン(Kungsträdgården)電停とのこと。路線バスとプラットホームを共用しており、うまいことやりくりしているらしい。トラムがホームに入ると、道路の両側から大勢の人が渡ってきて、われ先にと電車をめざしました。今回はストックホルムのトラムや地下鉄を試せずに残念でした。次回はバスを含め公共交通機関をじゃんじゃん使って行動範囲を広げよう。
電停の名にあるクングストレードガルテンというのは王立公園のこと。南北に細長い緑地で、見たところイベントスペースとして機能しているようです。町なかなのに緑がたくさんあってうらやましい。そのすぐ先にもベルツェリー公園(Berzelii Park)。小さな空間ですが芝生もしっかりと管理されています。ただ、ホームレスたちのねぐらになっているらしく、社会的な発想は別にしてのんびり散歩するのはためらうかもしれない。公園の真ん中に銅像が立っており、この人がベルツェリーことベルセリウス。名前を聞いたことはあったけど何ものだったか思い出せないままでしたが、いまも用いられている元素記号の表示法を提案したスウェーデンの大化学者でした。職場がらサイエンス系の専門家との付き合いが多くなり、こちらの無知や不勉強を思い知らされる機会が非常に多くなっています。基本的な人物くらいは知っておかないと恥をかいちゃいますね。
(左)王立公園 (右)ベルツェリー公園
ベルツェリー公園の一角はそのまま湾の奥まったところに接していました。各方面への水上バスや遊覧船が発着していて、多くの人でにぎわっています。英語をはじめとしてさまざまな言語が聞かれるのはどことも同じ。電停ならぬ舟停の名はStockholm Nybrokajenで「新停泊地」といった意味のようです。国際航路などの外洋船は都心部の水路には入ってきませんので、かつて王宮があったころなどはハシケを走らせたのかもしれませんね。
水の都ストックホルムでは水上バスが重要な交通手段になっている(いまいるところは地図上の赤丸)
王宮(右)とガムラ・スタンを対岸から望む
湾内に突き出した小さな半島みたいなところには、大きなベンチが置いてあったりして散歩道としてこのうえない景色。半島の突端部に国立美術館(Nationalmuseum)があるのですが改築工事中で開館していません。その半島をぐるりと回りこむと、ガムラ・スタンと水路を隔てて向き合う場所になります。とくに急ぐ話でもないのでいつも以上にゆっくり歩いて、橋を渡ってガムラ・スタンに入りました。小さな島の構造とか位置関係はだいたいわかったので、昨日足を踏み入れていない東半分を歩くことにしよう。
昨夜は遅くて開いていなかった王宮の中庭に入り込んでみると、思ったよりもギラギラさのない落ち着いた空間でした。いまは現役の宮殿ではないので、市民や観光客の憩いの場として用いられています。夏の欧州は3年連続ですが、色あざやかな花が咲いていてやっぱり美しいですね。来年も来るぞ。王宮中庭には屋台カフェがありました。ホットコーヒーは35 SEK。余談ながら、来日したフランス人の学者さんを東京案内する機会がしばしばあるのですが、ほぼ例外なくPalais impérialすなわち皇居の見学を希望します。欧州の各都市で王宮を見るのと同じ感覚といえばそうだよなあ。パレ・アンペリアルの半分は「現役」なので二重橋を眺めるくらいにして、昼間は無料で入場できる皇居東御苑に案内し、天守台に登るというコースですかね。東御苑は大きな石垣をのぞけばさっぱりした西洋風の公園になってしまっているので、見ておもしろいとはいいがたいのが残念です。もうちょっとジャパニーズ・クラシックにしておけばなあ。なお、両陛下がお住まいになっている現在の皇居本体は江戸時代に「吹上」と呼ばれた江戸城西側の緩衝地帯で、現在の東御苑が江戸城本体にあたります。宮殿(palais)といっても、徳川将軍のそれと明治以降の皇室の話を混同するわけにもいかず、フランス語や英語の表現をいつも工夫しています(来日する学者は歴史を予習してくるのでだいたいわかってくれます)。
王宮の衛兵と中庭カフェ
正午を回っているので、ガムラ・スタンのどこかで昼食をとって、ゆるゆると中央駅のほうに戻るというイメージで歩いています。王宮を出て、500年前の惨劇の場であったストールトルゲット広場を通り抜け、昨日とは逆の方向、東側の下り坂に入りました。20人くらいのガイドツアーみたいなのが何組か来ていて、中国人のは方々で見かけるとおりですが、インド人とおぼしきツアーに出会ったのは新鮮でした。いまや世界経済のメインエンジンだもんね。その先でエステルロングガタン通り(Österlånggatan)という南北の筋に入ります。道の両側はほぼ何らかのお店。飲食店、ブティック、小物屋、玩具店などなど。おもちゃ屋さんのウィンドウには欧州各国の看板列車のモデルが並んでいて、「鉄道の絵本」みたいなのも見えたから、つい何かに手を出してしまいそうになったのですが、「ねえ電車、電車」とママに話しかける幼い男の子の声でわれに返りました。鉄道好きの男の子というのはどの国にも一定の割合でいるよねと思ったものの、日本語で会話する日本人の母子でした。
コープマン広場〜エステルロングガタン通り界隈
京都の新京極かモンマルトルの参道かというような、定冠詞がつくような観光ストリートであるヴェステルロングガタン通りに対し、このエステルロングガタン通りは静寂なおとなの町らしく、「裏通り」の環境を生かした雰囲気づくりに成功しています。ただ、ランチしたいなと思えるお店がなかなか見当たりません。もともとスウェーデン料理なるものの知識があるわけでもないし、何かを期待しているわけでもないのですが、ピンと来ないものは仕方ない。アダルトな雰囲気よりも雑然とした界隈のほうが飲み食いにはいいような気もしてきました(勝手やね)。
エステルロングガタン通りを歩きとおした先が、前日も訪れた鉄広場です。ミートボールを食べた古いレストランはすぐその海側でした。最初に歩いたストーラ・ニーガタン通り、目抜きのヴェステルロングガタン通りをうろうろしてみて、入店したのはSallysというレストラン。店内は物静かな雰囲気でしたが表の坂道に面してテラス席をしつらえてあったので、店員さんに声をかけて座りました。手渡されたメニューはランチ用のもので、だいたい130〜155 SEKといったところ。ハンバーガーやシーザーサラダ、ペンネのチーズクリームといった欧州のどこでも出てくるメニューを別にすれば、やはりミートボールが主役みたいです。ニシンを揚げてポテト・ピューレを添えたものとかいうメニューはおもしろそう。タラやニシンの漁業と流通が欧州の歴史を動かしたとかすごいことをいっている同僚の越智先生としゃべるネタが増えるかも〜(越智敏之『魚で始まる世界史』、平凡社新書、2014年)。と思いつつ、北欧といえばサーモンだよねというのであっさりそちらに乗っかることにしました。ポテト・マスタードを添えたサーモンのマリネ(Husets gravade lax med tillbehör)で、これがランチ最高値の155 SEK。若い店員の兄さんにドラフト・ビア(生ビール)がほしいといったら、「私のおすすめはコレ。少し強いですがスウェディッシュ・ワンです」とのことだったので発注しました。Mellerudsというビールで0.4Lが65 SEKでした。ストロングというほどのものでもなく、ごく普通のラガーですね。
あとから隣席に男性2、女性1の組が座りました。男性たちは店員とスウェーデン語で話していますが女性は英語で、3人のトークはすべて英語。様子からしておそらく接待のたぐいでしょう。スウェーデン滞在がちょうど2日間というところにさしかかっていますけれど、英語が通じなくて困ったということは一度もありません。ガムラ・スタンなんかはきょうびの京都・奈良や浅草界隈と同じで、外国人を相手にしなければ商売にならない地区だと思うので、むしろスウェーデン語はどこにあるの?てなふうでもあります。ややあって運ばれたサーモンは、けっこう肉厚で量もあります。マリネの漬かり具合がさほど深くなくてお刺身に近い状態なのが個人的にはいいと思う。ソースは実に「酢味噌」的。それにワケギみたいなネギが散らしてあり、味もワケギそのものだな。あとカイワレみたいな葉っぱが乗っかっていますけれど、草っぽい味の野菜で、これは余計でした(笑)。おイモはバター風味でやっぱりネギがかかっています。この店の料理が特段に美味いかどうかはともかく「北欧でサーモン」という絵はばっちり決まっていますね。どうもこのところ、あとでパワポのネタにすることを一義的に考えて行動しているふしが自覚されます。旅先でも本業を忘れていないということだから社会人としてはむしろよいことなのでしょう。
ガムラ・スタン北辺から見た市庁舎の塔
勘定を済ませると13時過ぎ。実に計画どおりに行動していることになります。2度目のヴェステルロングガタン通りをゆるゆる歩き、前日はリッダーホルメン島経由だったから通っていなかった島の北辺も歩いて、ガムラ・スタンのほぼ全地区をコンプリートしたことになりました。観光化した旧市街というのはどこでもある種のわざとらしさと無縁ではなく、ときに現代人の生活感覚から離れすぎてしまうので好きではないという人もいます。私もときどきそんな気分になるけれど、ガムラ・スタンはいいなと思いました。小さな「島」として完結しているせいかもしれない。
前日と同じドロットニングガタン通りをしばらく歩き、途中で商店街の喧騒を離れて官庁街&オフィス街の静かなブロックに入り込みました。クララ教会(Klara Kyrka)という赤レンガの建物があり、周囲では若者たちが集まっておしゃべり&お昼寝の模様。プロテスタントの教会はシンプルですね。そして再三の繰り返しになりますが、ストックホルムは町なかに緑を取り込むのがとても上手で、散策していてもちょっとした変化を感じますし、目にやさしい気がします。
新市街の静かな小径を抜けると、クララ教会がある
14時ちょっと前にホテルに戻り、荷物を請け出しました。クロークから出してもらったキャリーバッグの柄を引っ張ったら、そのまますぽんと抜けてしまった! 金属部分が出し入れの衝撃に耐えられず途中で折れてしまったらしい。旅行の最終盤で、バス乗り場が目の前だから転がしていくのにさほどの問題はないけれども、羽田に着いたらクロネコの世話にならなきゃいかんな〜。12年使った初代のキャリーバッグの車輪が脱落したのちの2011年夏に現在の2代目を購入しましたので、まる4年とはひ弱でいけません。次はもっと頑丈なやつを購入しなければ。ただ、初代のころは年に1回の遠征だったのが最近では年3回に激増?しており、消耗という意味ではむしろ初代以上の負荷をかけていたかもしれませんね。
空港へは鉄道のアーランダ・エキスプレスではなくバスのエアポート・コーチ(Flygbussarna)を選択しました。前者が所要20分で260 SEK、後者は45分で119 SEKで、鉄ちゃんとしてはお金を出してでもエキスプレスを体験すべきところ、バスに即決しています。キャリーが壊れたので移動距離を短くしたいということ以上に金額の問題があります。いい齢をしていまさらケチっているのではなく、財布の中のスウェーデンクローナがまたまた払底しかけていたのでね(諸事情?によりデンマーククローネはまだけっこうある 笑)。けさ引き出したときに、ちょうど使い切るようにという計算をしたとおりに収まったわけです。空港でまだ何か買ったり飲んだりするかもしれないけれど、そこはユーロでもカードでも問題ないだろうから。チケットカウンターで最後の100 SEK紙幣を出し、小銭だけは機械に入れるようにと指示されました。
ストックホルム・アーランダ国際空港 往年のスウェーデンのスターABBAがいますね
空港バスは15分間隔と頻発しています。切符売り場の目の前の乗り場を指定され、待つほどもなく現れました。途中から乗り込んだ人も含めて20人ほどで空港に向かいます。ストックホルム・アーランダ空港(Stockholm Arlanda Airport)は都心から42kmほど北に行ったところに位置する大規模な国際空港。大都市のメイン空港の環境というのもだいたい共通していて、市の郊外を高速道路で突っ走った先という感じでしょう。その途中の車窓にはけっこう大規模な工業団地みたいなのが見え、日本企業を含め世界的なメジャー企業の看板も並んでいたので、国または自治体が誘致した結果かもしれません。アーランダ空港は相当に大規模で、私が利用するのは中でも最大の第5ターミナル。ここが国際線や欧州の幹線航路を扱っています。もちろんスカンジナビア航空のハブ空港ですからたいていのものはSAS仕様になっている。大きなターミナルなのに、チェックインカウンターのすぐ横が保安検査場になっていて、その先に免税ショップがずらりと並ぶ制限エリア、さらに搭乗口があります。バスを降りてからまったくノーステップで機内まで進めるというのはすばらしい。
フランクフルト行きSK673便のエアバスは定刻の17時に出発し、19時ころフランクフルトに着陸しました。欧州の真ん中に戻ってきて、アウェイ感がすっかりなくなったのを自覚します。われながらおかしな感覚になっていますな。でもよく考えてみてください。私たちはだいたい「ヨーロッパ」の全体図を見せられることが多いため、スカンディナヴィア半島などの北欧はその「上のほう」「端っこ」のように思い込んでいるのだけれど、地球儀を取り出して、東京から欧州までどのように飛ぶのかというルートを指でなぞってみればわかる。北欧は日本から見れば「いちばん手前」なのです。私はANA〜スターアライアンスのユーザーなのですがJAL〜ワンワールド組がこのところヘルシンキ乗り継ぎを推しているのもうなずける話ですね。北欧の地面に降り立ったのは今回が初めてながら、実はもう何十回も上空は通らせていただいております。パリに行く場合は、だいたいこの上空あたりで朝食?が出ますです。
問題の?SASに乗って(フランクフルト経由で)東京・羽田へ帰ろう
エアバスの機内では、飲み物を配っていたCAのおねえさんにスルーされてしまったり、呼び戻してコーヒーをもらったらそれをズボンにこぼされたりと、SASとの相性の悪さはなおも継続中のようですが、その程度はいまさらどうということでもありません。その後、メール画面にあざとく広告を出してくることでおなじみのGmailが、SAS北欧航空券のCMを毎日のように提示してくるのが妙におかしい。でもフィンランドやノルウェーにも興味があるんだよね。デンマークも消化不良だし、また行くか。
フランクフルトからの羽田行きNH224便は20時45分発。国際線の搭乗時刻は30分前なので、フランクフルト空港での持ち時間は1時間ほどです。お腹がすいたし、機内食はどうせ美味くないだろうから、ここで何か仕込みたい。ただこの空港で欧州便と日本便を乗り継ぐときには長い地下通路を移動しなければならず、出国審査もあるので(シェンゲン協定の関係で、私が北欧に行った証拠は旅券上にはなく、ドイツを出国したことになっている)、さくさく動かなければ。ANA便が発着するターミナルの造りは熟知しており、1フロア上に気楽なカフェテリアがあるのを承知しています。昨年のクリスマスは、ロンドンへの乗り継ぎ便を待つあいだにそこでフランクフルター・ソーセージ食べたんだよね。今回もそれでいきましょう。ソーセージとドイツビールというなじみ深いセットを口にして、ああこれぞ欧州やな〜と、北欧のよさを語っていた件を台無しにするような感想。そして合わせて€13.90という理性的な価格と、何よりユーロの手ざわり(笑)。アウェイ解消だね。欧州といっても、やっぱり広くて多様ですね。でもそのうちまた、独仏あたりのテーストとは違う北へと向かいたくなるに違いありません。
北へ!北欧へ! おわり
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