Vers la région nordique ou l’Europe du Nord!: le Danemark et la Suède

PART4

 



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イェンチェーピンの町のつくりは、大小の湖にはさまれた地形の関係でちょっとユニーク。おそらく水質保全とレジャーボートの可航化のために掘られているハムス運河を境にして、西側の町と東側の町とがシンメトリーっぽくなっています。ホテルを出てからここまで東側の、新しくつくったらしい地区を歩いてきましたので、これから西側に歩を進めます。運河を渡ってすぐのところに緑地帯があります。バス通りをはさんで北がハムン公園(Hamnparken)、南がロードフセット公園(Rådhusetparken)。こういう緑地のつくり方って欧州の人たちは得意ですよね。なおhamnは港、Rådhusetは市役所の意味です。後者はドイツ語からの連想でだいたいわかっていましたがhamnは本当にわからん。スウェーデン語辞典なんて当然もっていませんし、図書館などで手に取ったことすらありません。拙宅および大学の研究室には英語・フランス語・ドイツ語の辞書ならけっこういいやつをそろえていて、しょっちゅう引きます。何といまどき電子辞書をもっていないのです。いまあれこれ書いているスウェーデン語の意味については、書きながらGoogle翻訳を使って調べているものなので、現地でわかっていた話ではありません。便利な世の中ですな。もちろんタブレットをWi-fiにつなげば現地でも調べられるのだけど、おもしろくないじゃん。なおGoogle翻訳の日本語版はいまのところ穴だらけなので、スウェーデン語→英語またはフランス語で引くことにしています。

 
市役所前の緑地


さほど大きくないロードフセット公園を越えるとヴェーストラ・ストールガタン通り(Västra Stogatan)という道路名になります。こちらは西Storという意味。末尾の-gatanstreetに相当する語なので同語反復ですが、変なところで区切るのもあれなので、つけたままにしておきます(以下同じ)。やや緩い上り坂で、見るからに駅前商店街の趣です。こちらは手垢がついているというか、きちんと年輪を刻んだ感じの町並に見えます。靴屋さんとか宝飾店なんかもありますね。ただそれほど人通りはありません。さっきもらったマップを見ると、イェンチェーピンはかなり広い後背地をもっているようで、住宅地らしきゾーンがヴェッテルン湖の側をのぞいて全方向に広がっています。どういう産業構造なのかはっきりしないけど、「都心」に勤めに来るということでもないのかな。

 
駅前商店街  やはりというかユーロの両替所があります


ガラス張りのきれいな建物があり、小さなショッピングセンターかなと思って入ってみたら、先ほど下車したイェンチェーピン駅につながる通路でした。駅は地平にあり、いま歩いてきたヴェーストラ・ストールガタンは一段高いところを通っている関係で、インビス(軽食スタンド)みたいな店がいくつか並んだコンコースというか通路を端まで進むとエスカレータで1フロア下がる構造になっていて、そこがホームにつながるエリアになっているのでした。さっきはホテルをめざして地平面をそのまま進んだため気づかなかったのだけれど、列車を降りて町の商業的中心に抜けようとすれば、まずエスカレータを上ることになるわけですね。で、見ると切符売り場などのある地平面に下りず、そのまま跨線橋で線路を越えられるルートもあるようなので、そちらに行ってみよう。ガラス張りの跨線橋には、端っこのほうでいちゃいちゃしているカップル以外に人影はありません。それはそうで、線路を渡ったところは湖岸で、人家もお店もないからです。

ヴェッテルン湖をあらためて眺めます。表面積1,912km2でスウェーデンでは2番目に広く、ざっといえば琵琶湖の倍くらいのサイズです。ただ極端に縦長で、ここイェンチェーピンはとがったような形状の南端に位置するため、ここから眺めるかぎりではそれほどに広いという感じはしません。大津あたりで見る琵琶湖だって似たようなものではありますね。スウェーデンの地図を見ると、ヴェッテルン湖の北西に同国最大のヴェーネルン湖(Vänern)があります。ヴェーネルン湖から流れ出る川は西海岸のイェーテボリのほうに流れ、ヴェッテルン湖から流出する川は東海岸のバルト海に向かいますので、背中合わせの2つの湖を運河で結び、国土を横断しようという水路が開削されました。これがイェータ運河(Göta kanal)で、いまではほとんど実用されず観光化されているらしい。デンマークほどではないにしても、スウェーデン南部は全般に平坦な地形のようですね。地政学的に見れば、スウェーデンがいくらがんばってもデンマークがバルト海の出口をふさいでしまっているため、エーレスンド海峡を経由せずに北海方面に抜けたいという願望があったのだと思われます。

 
 駅前から眺めるヴェッテルン湖


マルメから3時間くらい突っ走ってここまで来たので、スウェーデンは広いなと思いかけたものの、国土面積は約45km2で、日本の38km2と比べてもさほどに広いわけではないようです。ちなみにフランスは63km2、ドイツは日本とほとんど同じで35km2。何度もいうようにスウェーデンの国土は南北に細長いので、「奥行き」を感じるのでしょう。いま南端のマルメから来て、明日は首都ストックホルムに向かいますが、そこから先のほうが圧倒的に長い(遠い)のです。子どものころ読んだ「ニルスのふしぎな旅」(Nils Holgerssons underbara resa genom Sverige / The Wonderful Adventures of Nils)はまさにそんな奥行きのある国土が舞台でした。身体を小さくされてしまったニルス少年がガチョウの背中に乗って空を飛び、向かった先は最北部のラップランド。そのあたりはノルウェーやフィンランドとの国境地帯、というかもともと主権国家の枠組には属しなかったような地域ではありました。いま思えば、同じ国といっても風土や自然観が南北でかなり異なるからこそ成立するストーリーだったのでしょう。余談ながらNHKで放映されたアニメ版も熱心に観ていましたよ。スウェーデンとの個人的な接点は、あとは人物本位になってしまいます。ノーベルの伝記を読んだこと、ヘディンの中央アジア探険記を読んだことくらいかな。ここイェンチェーピンは第2代国連事務総長ハマーショルド(コンゴ動乱の収拾に向かう途中に航空機事故で亡くなった行動派の人物)の出身地だそうです。私が生まれる前の人なのでもちろん記憶にはありませんが、ある年代以上の人にとっては、国連総長といえばハマーショルドだといいますね。

 
(左)ソフィア教会  (右)町なかだけど静か


再び線路を越えて「駅前」にやってきました。商店などが集まっているのは駅の周辺だけで、少し南側に入ると小さなオフィス的なものと住宅が混在する地区になります。首都圏でいえば、私鉄の、急行の停車しない駅の周辺くらいの規模ではあります。つくりものっぽさが否めない運河東側に対して、こちらの地区には見知ったチェーン店などがほとんどみられないのにも気づきます。どちらがよいのかは好みしだい。やがてソフィア教会(Sofiakyrkan)のかわいらしい建物が見えてきました。教会そのものが小さな緑地(Sofiakyrkogården)に建っているので、町なかとはいえとても落ち着いていて居心地がいい。教会の周辺は、たまにカフェなどがあるくらいの静寂な地区で、ゆっくり歩くうちに市役所付近に戻ってきました。

小さな時計台をいただく特徴的なファサードの建物が見え、史蹟を示す表示がありました。Länsresidensetとあり、いまGoogle翻訳に入れたらlänsle Comtéとのことだから「伯爵の屋敷」か。固有名詞はともかく説明板はスウェーデン語と英語で書かれているのでその場で内容を理解できます。かつてこの場所にはイェンチェーピン城があったが1737年に火災で焼失、その後に地方長官(County Govenorと表現)の公邸が建てられたのが現在の建物で、いまは公的な歓迎行事などの会場として用いられるとのこと。イェンチェーピンにとっては重要な歴史的モニュメントなのでしょう。

 
(左)Länsresidenset  (右)1855年のイェンチェーピン かつては立派な城郭がめぐらされていたことがわかる


それはいいけど歩き疲れて足が重たい。けさコペンハーゲンを3時間ほど歩いて、いまイェンチェーピンを1時間半くらい歩いただけなので、さほどにダメージが来るほどのことではないはずですが、4日前もパリを歩いていたらダメージが足を直撃して参ってしまったところでした。どうやらウェイトオーバーのようなのと、一時期に比べて授業コマ数が少なくなっているので日昼は基本的に着席して過ごすという習慣的な問題もあるみたいです(齢のせいだというのは認めない 笑)。ムンク湖が見えているので、湖岸のカフェに座って小休止しよう。つくりものっぽいと批判したばかりの西岸エリアに足を運びます。途中に開発の趣旨を記した案内板があったので読んでみると、イェンチェーピンの町は東岸が古くから開けたが土地が不足したので西岸にも広がった、いまいるセードラ・ストランドガタン通り(Södra Strandgatan)南側のゾーンは2009年以降に開発された、とあります。やっぱりめっちゃ新しいわけだ。テラス席を設けた飲食店が45軒あるので、そのうちの1つに入り込み、カウンターでビールを買って西日の当たるテラスに座りました。禁酒文化と聞いていたので、そもそもこの手のカフェにアルコールを置いてあるのか事情がわからなかったのですが、並んでいるときカウンターの中をのぞくとワインやウィスキーのボトルが並んでいるので一安心。冷蔵庫にはカールスバーグ(Carlsberg)のおなじみのボトルが見えたので、そいつを発注しました。フランスでも「ビールを」といったらちょいちょい出されるデンマークの代表的ラガーで、日本でもけっこう見かけますよね。デンマークは超短期滞在になってしまい同国のものを飲み食いできなかったので、ここで少しばかりフォロー? 33mLのビンが49 SEKなので、物価はやはり高いなあ。

 


私には必要ないけどテラス席には膝かけ用のブランケットが用意されています。寒くはないがわれわれが知るような夏の暑さもなく、この時間(17時半)になるときわめて過ごしやすい陽気に思われます。東京の810日なんて悪夢のように暑いに違いなく、誰にというわけではない、ひそかな優越感(うふふ)。テラス席はだいたい埋まっていて、全体に客層は若めです。晩ごはんなのかサラダなどの軽食をとっている人が半分くらいで、あとは飲み物ね。

1時間弱ばかりテラスで過ごすうちにようやく夕方っぽい空の色になってきたので、席を立ちました。高緯度とはいえパリよりは日が短いですね。それはそうで、東はポーランドから西はスペインまで同一のタイムゾーン(夏場はUTC+2)ですので、かなりの差が出てくるのは当然です。さて晩ごはん。本当はさっき歩いた西側の古い町に行ったほうがいろいろありそうなのだけど、店を探してうろうろすればまた消耗しそうだし、駅付近を往復するだけでも面倒な気分になっていました。新市街というか、運河東側の新興地区を歩いて何か見つけよう。で、ぐるりと一周する感じで歩いたのですがどこともぱっとしません。最終的にはヴォックス・ホテル1階のレストランがあるのでバックアップにはなっているんですけどね。とくに何を食べたいというのもないし、こういう開発地区の飲食店は基本的に規格化されたものばかりなので、情趣はもともと求めていません。とうとう運河のところに戻ってきてしまいました。こんなところにブリティッシュ・スタイルのパブがあるのねとさっき気づいていた店で、生ビールとつまみということにするか。

 


The Bishops Arms
(司教の腕?)なるパブの店内に入ってみると、ブリティッシュには違いないけどどことなくウェスタン仕様。英国のパブでビールを頼むときには、カウンターに並んでいるビアサーバーの銘柄を適当に指さすのですが、メニューにビールのリストが載っていたので、せっかくなら地元のものにしよう。Visby Pilsという銘柄にスウェーデン国旗が付されています。店員さんに聞くと「イエス、ディス・イズ・スウェディッシュ」とのことだったので発注。食べ物はハンバーガーとかフィッシュ&チップスなどのパブフードで、ごっついハンバーガーは数日前にパリで食べちゃったから、Steak Sandwichというやつにしてみました。サンドイッチが137 SEK、ビールが68 SEKで〆て205 SEK。やっぱり高いなあ。でも、いちいち換算しながらだと健康によくないので、なるべく当地の相場のままにゆだねましょう。一応ブリティッシュ式なのでその場で勘定してビールをもらい、運河に面したテラス席に腰かけました。サンドイッチはあとから運んでもらいます。Pilsとあるのはドイツ語でいうピルスナー、チェコのプルゼニ発祥のスタイルで、われわれが「ビール」と聞いて思い出すタイプそのものです。あれ、ブリティッシュ式なのに1パイント(≒568mL)ではなく0.4Lなんですね。甘みが少なくて、きりっとした味わいです。やがてサンドイッチが運ばれてきました。焼いたバゲットに、ステーキ、トマト、マッシュルーム、タマネギ、ピーマン、チーズがはさんであります。ぎゅっとつぶして口に運ぶのが本来の流儀だけど、そんなの無理なので、ナイフとフォークで適当に切り分けていただきます。ん〜、想像どおりの味やなあ。すごくわかりやすくいうと、焼いた牛肉にナポリタンの上ものを載せたような味がします。ソースらしき小皿が2つついており、1つはブルーチーズ、もう1つはなぜかイチゴとオレンジのコンポートみたいなやつ。ものすごく甘いので、何でこれが添えられるのだろうと思ったのですが、いまにして思えば、名物のミートボールにはジャムを添えるのが定番なので(後述)、そういう味の組み立てが普通なのかもしれません。テラスの目の前が運河、そのすぐそばに鉄道の踏切があって、ときどきカンカンと音が鳴って電車や貨物列車が通り過ぎます。いいBGMだわ。まだ暗くなる前の19時半ころホテルに戻り、いったん休憩(仮眠)してから夜中にひとりで酒盛りという、最近よくあるパターンの過ごし方になりました。

811日(火)は少し遅めの8時に起床。もう足の疲れも回復したことでしょう。この日は1051分の列車で出発することになっているので、けっこう余裕があります。イェンチェーピンの町の中心部はだいたい見てしまったと思うので、あまり遠くに行かない感じで少しだけ散策してからチェックアウトすることにしよう。8時半ころ朝食。ファッションホテルと銘打っているだけあって、ダイニングの造りと朝食の内容はなかなかよいです。ま、もうここには泊まらない(ていうかイェンチェーピンにたぶん来ない)と思うけどね。

 朝食


昨夜のパブのすぐそばにあった踏切を渡ればヴェッテルン湖岸。昨日、駅の真上を越えて降り立ったところは何もないただの湖岸でしたが、ここには小さな桟橋(Hamnpiren)とボートハウスがあり、小さな船舶が停泊しています。一応これでイェンチェーピン港ということなのでしょう。早い時間なのでもとより人影はありません。スキューバダイビングの用具を貸し出す旨の掲示が見えます。ヴェッテルン湖は欧州でも屈指の「澄んだ湖」らしいので、潜水すればけっこう楽しいかもしれません。

 
 
ヴェッテルン湖の桟橋付近


飲み残した赤ワインをいつもの要領でペットボトルに詰め替え、荷物を仕立てて、10時ころチェックアウト。到着時にカードで決済していますので、ここはキーカードを返却するだけです。若いホテルウーマンが「昨夜はよく眠れましたか」とにこやかに訊ねるので、イエス、サンキューと義理?で答えておきました。その代わり、ブッキング・ドットコムから後日求められたアンケートには、窓ないとかまぢありえね〜と書き込んであげました。眠れたかといえば眠れたので、問いへの答えとしてはウソでもないか。

荷物を転がしてイェンチェーピン駅へ。昨日たどった線路をネースシェーまで戻り、本線に復帰して、昨日の残り部分を走るというシンプルな道筋です。出発までには余裕があります。コペンハーゲン駅にあったのと同じ自動的券売機に予約番号を入力してチケットを発券し、ホームに出ました。室内の待合スペースには売店を兼ねた簡易カフェなどもあるのだけど、うっすら暑く、風の通るホームのほうが気持ちいいのです。あらためて構内の様子を観察すると、この駅はなかなかよくできている。ホームは1面のみなのに正味3つの乗り場が設定されています。長いホームの前方と後方に2a2b2列車がタテに入るようになっていて、クロッシング(×型の渡り線)を通れば2bに停車中の列車を通り越して奥の2aにそのまま入れるのです。その他に欠き取りの1番線。いずれも段差なしでバスから乗り換えられます。タテに番線を並べる方式は京阪の淀屋橋駅とか西武の池袋駅にもあるのだけど、イェンチェーピン駅はたぶんバリアフリーを最大化するという思想のもとで設計されたものでしょう。前後の用地に余裕があるからだともいえますが、けっこう余裕があるはずの日本のローカル駅など、合理化と称してむしろわざわざ階段のアップダウンを伴うホーム移動を強いる場面が多くなっているのでは。

 
発車を待つ列車がタテに並ぶイェンチェーピン駅 手前の赤い電車が先に出発(手前方向に)したあと、奥2aの気動車が2bに移動して乗車となる


バリアフリーだからというわけでもなかろうけれど、ホーム上にいる人の大半は高齢者。非常にのんびりした情景です。ヴェッテルン湖の景観とモダンな駅舎のコントラストがまたいい。生来の鉄ちゃんである私にとっては、鉄道関係の構造物はだいたい癒しのタネになります。やがて、2aで乗客を下ろしたまま待機していたイエローの列車が2bに入線してきました。欧州の各地のローカル線で最近よく見るタイプの連接車(車両と車両の接続部分に台車を取りつけている。2両編成で台車が3つ)で、台車付近が高床、それ以外がホームと同一平面で車内に段差があります。でもよく見るとこれは気動車(内燃動力車、いうところのディーゼルカー)ですね。2日前に乗ったプロペラ機と同じボンバルディア製のようです。あちこちのトラム(路面電車)でもボンバルディアの車両をよく見ます。ここからネースシェーまでは単線区間なので、下り列車の到着を待ってからでないと出発できません。そのため予定を4分くらい過ぎてから発車となりました。

 


電化区間なのに気動車を走らせるのも不思議ですが、要はそのほうがコスト的によいということだと思われます。この車両の走りはなかなか軽快でした。日本の新幹線に刺激されて欧州の高速鉄道網が急速に広がり、便利で快適になったのはいいとしても、往時の「鉄道旅行」とはやっぱり感覚的に違ってきました。日本国内だってそうだよねえ。JR化の前後から赤字ローカル線が続々廃止され、北海道の鉄道地図なんて見事にすっかすかになってしまいました。さらに許せないのは、新幹線の開通と引き換えにJRが並行在来線を破棄して、地元自治体などに引き受けさせるのが当たり前になっていること。ネットワークの寸断とか高齢者などの交通弱者への虐待にほかならず、震災のときのことを思い出しても、それでよいとはとても思えません。私の世代はぎりぎり幸運だったな。周遊券(1998年に廃止された)などを駆使して、夜行と普通列車ばかり乗り継いで全国を旅行できましたからね。新幹線に代わって、若い人たちの旅行がそちらにシフトしたのかといえばそうではなく、単に鉄道離れを起こしているだけじゃないですか。あるいはスマホ検索で、面とか線を無視した点と点の移動だけとか。

 ネースシェー駅前の広場


11
29分にネースシェー着。ここは勝手をわかっています。ストックホルム行きの特急は1210分発なので少しだけ余裕があるけれど、食事するほどではないな。駅前は欧州の地方駅によくあるようにカフェなどがあるもののいたって静かで、そこから緩い坂道を1ブロック進んだところに広場がありました。イェンチェーピンと同じような駅前商店街があります。おおそうだ、スウェーデンクローナの現金が底をつきかけているのでATMで引き出しておこう。スーパーの壁面にあったATMVISAを差し込んでキャッシング。スウェーデン滞在はあと1日ちょっとだけどいくらくらい要るかな? 足りなければまた引き出せばいいかというので300 SEKをオーダーしました。後日送られてきた融資明細書によれば年利17.94%の利息込みで4,448円とのことなので換算レートは1 SEK14.8円ということね。昨日も利用した駅構内の売店で、クロワッサンとオレンジジュース(ミニッツメイド)合わせて36 SEK也を購入。もうビストロ車に行くのは面倒だし、さほど空腹でもないので昼はこれで十分でしょう。

 

PART5につづく


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