Aimez-vous la Méditerranée?

PART 9- マルセイユ港を見て、パリへ

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219日はカンヌ駅908分発の普通列車でマルセイユまで2時間ちょっとの行程、というところではじまるはずでした。行列不要のユーレイルパスをもっているのだし、真下に駅が見えるホテルに泊まったのだからあわてる必要はないのだけれど、何しろ相手は西欧の鉄道、何があるかわからないので、845分ころコンコースへ。で、出発予定表を見上げると・・・ à l’heure(定刻どおり)、retard(遅れ)といった注記が並ぶなか、わが908分発17478列車のところだけ<supprime>の文字! 動詞のsupprimerはたしか「廃止する」だったはずですが、一覧にあるのだから廃止ではなく運休ということでしょう。この日はマルセイユ1328分発のパリゆきTGVを予約していました。次の1030分でも間に合うし、マルセイユからのTGVは他にもあるので指定料金を捨てればいいだけなのだけれど、それにしても何があったの? 周りにも困惑するお客が何人か。コンコース内にいる国鉄のコンシェルジュの女性に「運休とはどういうことでしょうか」と訊ねると、理由や原因を説明するではなく、「マルセイユ?」と一言。外国人らしき旅行者がバッグを担いで運休の事情を訊ねるのだからだいたいそうなのでしょうか。ウィというと、「レイルパスをもっていますか?」。あらら、これもお見通しか。現物を提示すると、それをさっと手許に引き寄せ、別のチケットを出してボールペンで何ごとかを書きつけます。

 

953分のTGVに乗車してください。このチケットを、ユーレイルパスと一緒に見せれば乗れます」とのこと。ユーレイルに記載された当方の名、MR.T.KOGAを書き写してあり、下に<valable avec Eurail France no 70013939*A>と手書き。当該ナンバーのユーレイルがあるとき有効、ということです。機械をいじって発券したわけではないので、キャンセルされた誰かの切符の名義を変えて渡したのかと思ったら、チケットの料金欄には€ 0.00とありますので、JRでいうところの0円券なのでしょう。運休の振替輸送のために0ユーロ券を何枚か用意していたに違いありません。マルセイユまでは在来線区間なのでTGVも本領を発揮できず、普通でもさほど所要時間が変わらないので、ローカル列車でのんびり行こうと楽しみにしていたのですが・・・ まあいいや。そういうわけで、1時間ほどゆとりができて、PART 8の最後で記したようにもう一度海岸の様子を見に行ったのでした。

 
急きょTGVで移動 (左)カンヌ駅 (右)マルセイユ・サン・シャルル駅

 TGVの車内で

 

トリノに着いたあとは昔ながらの車両ばかりだったので、TGVはやっぱりよそ行きふうで、すこし違和感があります。指定された席番に行くと、車端部のボックスシート28席ぶんをドアで仕切ったミニ・コンパートメント。日本の特急車にもこういうのがついていることもあり、家族連れとか団体のときはいいと思うのだけれど、こちらの不規則な?発券システムではたしてそのようなアジャストが図られるのかどうか。隣席のムッシュは始発駅のニースから乗ってきたようですが、やはり振替客だったようで、ケータイを取り出して「乗る列車が変わっちゃいましてね」うんぬんと連絡しています。マルセイユからの接続が気になるらしく、車掌に質問するのですが、車掌も明快な答えは持ち合わせていませんでした。向かいは70歳くらいのマダムで、テレビ雑誌を丁寧に1ページずつめくっては、赤いサインペンであちこちにチェックしている。通路をはさんだ反対側には、すらりとした背の高い美人がいて、どうやら離れた席を割り当てられたらしい妹ふたりがちょくちょくやってきては姉としゃべるのだけれど、これがまた美人三姉妹で将来楽しみです(何が?)。途中、軍港都市トゥーロン(Toulon)から、20代とおぼしきヤングママと2歳くらいの男の子が乗ってきて、目の前の席に着きました。テレビチェックおばさん本当は反対側だったらしい。このママさんがまた美人で、幼い子どもの扱いもスマートで上手。パパも同乗していて何度か姿を見せますが、デッキでケータイを片手に仕事している様子です。幼い僕ちゃんはほぼ「ママ」「パパ」しかいわないのだけれど、人見知りしないので、たちまち三姉妹を含めたミニ・コンパートメントのお客たちのアイドルになっていました。この区間は線路が地中海を離れてしまうので退屈するかなと思っていたから、ほんわか車内でよかった。普通列車の救済を含むためか、そもそもそういうものなのか、トゥーロンあたりからはデッキにも立ち客があふれる満席。

1159分の定刻から数分遅れてマルセイユ・サン・シャルル駅(Marseille Saint Charles)に到着。西欧の列車がターミナル近くになると急に減速してなかなかホームに入れない理由は明らかです。どこも行き止まり式の「櫛型ホーム」で線路数も多いため、発着便数が多いほど支障時間が長くなってしまい、入線を待たされるのです。列車を降りてから車両を見上げると、動力車(機関車に相当する、お客の乗れない車両)のパンタグラフがさっと上がって架線に触れます。これから高速専用線に入るので、いわば本気モードになるわけ。ここまで乗ってきたTGV5198便ははロレーヌ地方のメス(Metz)ゆきで、マルセイユでスイッチバックして高速専用線に入り、リヨン、ディジョンと進んで1848分にメスに着くという先の長い旅路で、ごくろうさま。メスといえば2007年の旅行で最初に泊まったところでなつかしいですが、どうにも方向が違うように感じます。コート・ダジュールからロレーヌまで10時間もかけて走るTGVがあるとは思いませんでした。何となくパリ中心で物事を考えてしまうせいかもしれませんが、通しで乗るお客はどれくらいいるのだろう。

 
マルセイユ・サン・シャルル駅

 

さてさて、マルセイユの滞在は1時間20分ほど。普通に考えれば駅にとどまって昼ごはんでも食べていればよいところだけれど、もちろんそんなもったいないことはしません。目的地を1つにしぼれば、街歩きも可能でしょう。パリゆきのTGVには3時間以上も乗るので、あとで駅サンドでも買って持ち込めばいいわけです。

マルセイユMarseille)は、南仏最大の港湾都市にしてフランス第二の都市。18年前の最初の訪仏のとき、ニースにつづいて宿泊して、旧港付近の食堂で名物のブイヤベースを食べたところです。小高いという以上に高い丘の上にあるノートルダム・ド・ラ・ギャルド寺院(Basilique de Notre Dame de la Garde)にも行き、港湾都市独特の雰囲気も気に入りました。パリと比べればどことなくエキゾチックな感じがするからでしょうが、まあ当方がお子さまだったということね(笑)。マルセイユが悪いというわけでもないし、それ以来ご無沙汰なので、旧港を往復しておこう。

 サン・シャルル駅からノートルダム・ド・ラ・ギャルド寺院を望む

 
駅をあとに、市内へ

 

サン・シャルル駅自体が丘の上にあり、駅正面を出るとすぐに下りの階段があって、都心部と旧港へ向かってはかなりの下り坂。道路が広々として通行量も多いのが、これまで歩いてきた地中海岸の街とは違います。300mほどで右折すると、目抜きと知るカネビエール通り(La Canebière)に出ます。人出も多くにぎやか。トラムがかなりの頻度で走っています。

 カネビエール通り

 

駅から徒歩15分くらいで、マルセイユ旧港(Vieux Port)に出ました。空は晴れて、広々とした港をいっそう明るく見せています。マルセイユは、紀元前にはギリシアの植民市として拠点化された、現在のフランスで最も古いといえる都市です。18年前には歴史博物館を訪れて、ギリシア時代の遺構も見学しました。「フランス」への統合は近代初期のことで、それまでは地中海交易圏の軸の1つとして重要な役割を果たしていたようです。ただ、イタリアン・リヴィエラ、コート・ダジュールと見学してマルセイユまでやってくると、街の雰囲気はそれらとは明らかに一線を画するものに感じられます。その理由は近代都市としての発展ぶりにあるのかもしれないですが、パリとはかなり違うものの、私がよく知る「フランス」の都市だなと感じる。そういえば、フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」(La Marseillaise)は「マルセイユ人(の女性)」という意味でしょうが、もともとはライン方面軍の歌で、1790年のチュイルリー宮襲撃の際にマルセイユ義勇軍が歌ったことからそういう名になったものです。フランス革命のころ、南仏の言語はパリあたりのものとは隔絶したものでしたから、それ以降のフランスの近代化の歴史は、フランス語の全土への普及という課題を常にはらんだものでありました(もちろん歴史もね。このへんは私のド専門なので舌が滑らかです 笑)。言葉は満足に通じなくても歌ならばすぐに共有できるというわけで、あの歌に「マルセイユ」というタイトルがつけられているのには、想像以上に重大な含みがあると思うのです。

 マルセイユ旧港

 
 
旧港には、漁船直営?の魚屋さんが何軒も 買い物客が集まっています!

 

さて旧港です。いちばん日の高い時間帯で、水面に陽光が当たってきらきらするのが美しい。岸に横付けした漁船から引き揚げたらしい魚介類を直売する露天のお店がいくつも出ており、それを目当てにしているらしいお客さんがとりまいて、商品の品定めをしています。本当ならこのあたりにもう1泊してシーフードでも食べていきたいところなんですけどねー。一時期、どういうわけか南仏ブームなるものがあって(ピーター・メイル『南仏プロヴァンスの12か月』がきっかけね)、日本の雑誌などにもプロヴァンスとかコート・ダジュールの特集が多くみられましたが、マルセイユは足場にされるばかりで街そのものが観光の対象ではなかったと思います。観光地があまり好きでなく街歩きばかりしている私にとっては、プロヴァンスあたりの田舎で12ヵ月も過ごすなんて信じられないわ(笑)。田園好き、海岸好きという人はぜひどうぞ。

マルセイユ旧港はかなり奥まった湾になっており、湾を出たところにはイフ島があって、『モンテ・クリスト伯』の主人公が投獄されたシャトー・ディフ(Château d’If)があります。地中海を愛でて歴史に思いを馳せようとするなら、本当は1回くらい船に乗って沖に出てみるべきだったかもね。

 マルセイユ都心部

 

1245分になったところで駅に向かってリターン。ルートをすこし変えてみたら、ショッピングセンターの脇に小さなサンドイッチ屋さんがあり、肉などをその場で焼いて突っ込むトルコ式。イートインの席には白人でない男性が3人ほどいて、マスターと早口で会話しています。よし、駅サンドでなくこれを持ち帰ろう。その前後のお店はどことも移民系の人が集まるところらしい雰囲気です。鶏のエスカロプ(escalope 薄切り肉)のサンドイッチなる品を注文したら「キュリー?」と。キュリー? ああcurryね。こちらのトルコ式はだいたいそうですが、寿司屋のカウンターみたいにガラスケース内に並べた材料を取り出し、鉄板で調理して、各種野菜とともにバゲットに突っ込みます。若いマスターはお好み焼きのコテみたいな道具を巧みに使って鶏肉を炒め、刻み分け、香ばしいカレー粉を振りかけて、3分ほどでサンドイッチを仕上げました。€ 3.50と、パリの相場より€ 1以上安いですね。あつあつを持ち帰り、サン・シャルル駅の待合室で開封してさっそくいただきます。たっぷりの肉に、刻んだトマト、タマネギ、レタス。フランスでは、トルコ式であれギリシア式であれ、お持ち帰りにするとフライドポテトは別に添えるのではなく一緒にパンに突っ込むのが普通で、そのあたり意味不明なんですが、これもてんこ盛りでした。おいしー。

 駅で昼ごはん食べて

 帰りのTGV

 

売店でビールなどを買い込んでホームに行くと、1328分発のTGVパリゆきが入線するところでした。1等は最後部、つまりホームを歩く距離がいちばん短くていいわけですが、それは同時に、パリ・リヨン駅でいちばん長く歩かされるということでもあります。18年前、早朝のサン・シャルル駅で、当時はオレンジの塗色だったTGVを初めて見て、鉄道少年はいたく感激しました(実際に乗ったのは2日後)。マルセイユまでの高速専用線が開通するずっと前なので、リヨンから在来線をたどって乗り入れていたはずです。ニース〜メス便でわかるように、いま、フランスのたいていの幹線にはTGVが走っていて、ターミナル駅では何本もの編成を同時に見るのが普通になり、正直にいえば見飽きて、感激はなくなりました。日本の新幹線も同様、非日常ではなく日常の乗り物として定着したということですね(私も今春から定期的に新幹線通勤します)。TGV高速専用線が開通するたびに、飛行機の国内路線は縮減を迫られます。鉄道の可能性はまだあるはず。マニアだからいうのではなく、環境や高齢化のことを考えても、もっと鉄道の値打ちを生かす政策を採るべきです。

 TGV1等の車内 2階建ての階下で、天井が低くすこし窮屈
 TGVに乗ってパリへ帰ろう2009

 

パリ行きは、定刻どおり静かに発車しました。1等車の乗客は定員の3分の1ほどで、時間帯のためなのか流動が薄い。線路規格がよくなるので、数分で高速専用線に入ったのがわかります。在来線と新幹線が隔絶される日本では得にくい感覚なのだけれど、高速バスが都心を離れて自動車道に入るようなものではあります。高速線はリヨン郊外をかすめていて、その気になれば?在来線に入って市内のターミナルに停まることも可能なのですが、マルセイユ便はスルーします。マルセイユ、アビニョンあたりの客を一気にパリまで運び、リヨン便とは系統を分離するのね。おそらく、マルセイユ〜リヨン間の流動がさほどではないということでしょう。おかげでパリまでの3時間半をゆったり過ごすことが(飲むことが)できた!

3日前に出発したパリ・リヨン駅に戻ったのは17時前。さようなら地中海、ただいまセーヌ川! まだ夕方なので、このところ恒例になっている駅前でのステーキというわけにはいかず(日曜の夜にゼミ生たちと行ったばかりだし)、常宿ちかくのなじみのカフェでフランスのビールを一杯飲んで打ち上げ。パリは今回で10回目になります。リヨン駅に降り立ち、何だか居にくい、よそよそしい都会に来てしまったなと感じた18年前とはかなり意識が変わっていて、地中海もいいけど自分のアイデンティティにフィットするのはやっぱりパリね。夕飯どきもこれからだし、夜の都心に行って、セーヌ川を愛でてくることにしよう。


<地中海を愛でたらね おわり

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