Malte, la forteresse invincible

PART4

 


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ヴァレッタに到着してから何度も、グランド・ハーバー越しに対岸の様子を見ています。あちらまでは湾というよりは川というくらいの幅で、狭いところだと300mくらいです。ただ橋やトンネルはないので、バスで大回りするか、いましているみたいにフェリーで渡るかということになります。屋根のついたいわゆる客室もありますが、晴天で無風に近い陽気なので、ほとんどの乗客がデッキに上がっています。船はヴィットリオーザとセングレアのあいだの深い入り江にそって奥に進みます。進行方向左手つまりヴィットリオーザ側はヨットマリーナになっていて、100隻以上はありそうな数が繋留されています。このマリーナのために入り江の実幅はかなり狭くなっており、運河クルーズみたいな感覚になってきました。

 
(左)ヴァレッタ側 アッパー・バラッカ・ガーデンとエレベータが見える (右)ヴィットリオーザの突端部にある聖アンジェロ砦

 
フェリーは湾内深くへ (左)ヴィットリオーザ側のヨットマリーナ (右)セングレア側

乗船時間10分ほどでスリー・シティーズの桟橋に到着。そういえばこちら側の地図をもっていないんですよね。さっきヴァレッタのツーリスト・インフォメーションを少しだけのぞいたとき、これといった資料もなさそうだというのでそのまま出てきてしまいましたが、対岸側のマップくらいあったかもしれません。地図が整っていることで定評のある「地球の歩き方」も、なぜかマルタに関してはダメで、島の全体図とヴァレッタ半島限定の地図しか載せていません。スリー・シティーズの記事はあるものの、ヴァレッタとの位置関係やフェリーの乗り場くらい明示しておくほうがいいと思うけどな。ま、でも何か具体的に見たいものがあるわけでもないので、船の着いたヴィットリオーザ側の「小半島」を歩けばいいかなと思います。あまりに完結した行き止まり空間なので、行って帰ってにそれほどの技術や方向感覚は要しません。

桟橋のそばの坂道を登ると、こちらにも戦争博物館があります。ここのはMalta at War Museumつまり「戦時中博物館」で、第二次大戦中のダークな時代(公式サイトより)にかかわる展示ということらしい。1日に2つも戦争ものは見たくないので立派な外観だけ見学しておきました。建物自体は18世紀の兵舎とのこと。

 セングレアを望む


こちらスリー・シティーズ側も岸からすぐに急勾配という地形は同じ。町は高台の上にしつらえられているようです。高いところからセングレアやヴァレッタをしばし眺めてから、再び海岸レベルに降りてきたら、一般車乗り入れ禁止のような区画に出ました。ヨットマリーナに沿って歩けるみたいです。そのまま進むと45軒の飲食店が並ぶゾーンに出ます。いずれも店の外にテラスを張り出して営業しています。13時くらいなので昼ごはんかな。ただ、さほどに空腹ではないのでちょっとしたものでいいや。1軒の店のテラスが空いていたので腰かけました。一応日陰なのだけど、道路やテーブルの照り返しが強くて日焼けしそう。12月なのに。

前後の店の掲出されているメニューを見比べてみても、だいたい同じような感じで、一般的な食堂ですね。イタリアに近いせいかピザとかパスタを載せています。トラットリアを名乗る店もあります。そもそもイタリアでいうパスタというのは総称なので、本来は部分集合であるスパゲティの置き換え語として使用してきた1980年代以降の日本の情勢を常々憂えているのですが(何と大げさな)、メニューを見るとPASTAのページにペンネ、スパゲティ、タリアテッレ、リングイネとあって、これが真っ当な整理の仕方です。本場の海つづきなんだから、そりゃそうか。ちなみにフランスでもパスタにあたるPâteがほぼスパゲティという状況はあるのだけど、ペンネやタリアテッレもかなりポピュラーです(ただしパットと書いてあるとやはりスパゲティが多い)。サーモンクリームのタリアテッレなんて美味しそうやなあ。しかしつい最近それを東京のどこかの店で食べちゃったんだよなあ。やっぱりあれか、そばは盛りそば、パスタはペペロンチーノという具合に麺そのものを食べるのがいいかな。ということで、Spaghetti aglo-olio e Pepperoncino (Slightly garlic spiced spaghetti with pepperoncino) €8.95を発注。イタリア語のほうは形容詞が3つ重なっていて、アーリオがニンニク、オリオがオリーブ油、んでペペロンチーノが唐辛子のという意味です。われわれはなぜだか最後の形容詞だけとって名詞化しているわけね。買い物に行くのがかったるい休日の昼なんかに、常備してある乾燥ニンニクと鷹の爪を使ってペペロンチーノつくることがあります。簡単だもんねえ。注文を取りにきた店員さんは、「この料理はオイルだけですが、よろしいですか」と確認。ペペロンチーノ頼んでおいて「具が入っていない!」とか文句いうやつがいるんだろうね。

 
 


この陽気ならすぐに蒸発するなというので昼ビール。昨夜も缶で買ってきて飲んだマルタ産のCISKで、旧英領らしく1パイント(pint)ないしハーフの分量表記があります。ところが運ばれてきたグラスを見ると0.5Lのめもりが打ってある。パブでおなじみ英国式の1パイントは0.568リットルなので矛盾しています。インチキをしているというより、英国式の呼び方が慣習として残っていると考えたほうがよさそうです(このあと他のところでもそうでした)。日本のナマチューorチューナマなんて何が基準の大中小なのかさっぱりわからず、国際的にはより不適切だと思いますもんね。日曜のお昼とあって店は大繁盛しており、スパゲティが運ばれるまでに15分くらいかかりました。うわっ、かなり量があるな〜。さほど期待していなかったけど普通に美味いです。アルデンテではなく普通のゆで具合。イタリア料理の知識としては、北部はやわ麺、ナポリなどの南部はカタ麺、ローマはハリガネ麺といわれ、地理的には南の南に位置するマルタはハードなほうに属しそうですが、英領の関係でしょうか。いや、1軒だけでは判断できませんね。

小一時間の小休止でリフレッシュし、半島歩きを再開。海際のわずかなエプロン部分が歩道になっています。5分くらい進むと、明らかに史蹟というゾーンにさしかかりました。フェリーで湾内に進入する際に見えた、そしてヴァレッタ側からも見えていた聖アンジェロ砦Fort St. Angero / Forti Sant'Anġlu)ですね。普通に入れるみたいです。

 
(左)対岸のセングレア側 勾配に合わせてなのかフロアが傾斜しているのがおもしろい (右)聖アンジェロ砦入口に、ブラジル・コーヒーの屋台

 砦への登り口


この砦はもともと中世の城郭で、13世紀にはこの地に確立されていました。16世紀に入ってオスマン帝国の脅威が高まると、マルタ騎士団はここを防衛拠点と定め、要塞化します。いまの眼で見ても守るに易く攻むるに難しというのがすぐにわかる地形ですよね。前述したように、この砦を中心として鎖と船で水路を封鎖し、敵艦隊の進軍を阻もうとしました。もちろんオスマン軍は大艦隊なのでたびたび防衛線は破られたようですし、東海岸のマルサシュロック方面などから陸路で攻撃を仕掛けられることもあって、かなりの消耗戦になったようです。

解説板によれば、この砦には20世紀に入ると英海軍地中海艦隊の司令部(Royal Navy Headquarters)が置かれるようになりました。1979年の英軍引き上げまで使用されたそうだから、主を替えてはずいぶん長いこと地中海の守りの拠点でありつづけたわけです。1998年に世界文化遺産に登録され、EUなどの支援を得て整備されているとのこと。史蹟公園として開放されたのは最近のことのようです。無料で入れるのは結構だけど、メンテナンス大丈夫なのかな?

 
聖アンジェロ砦から対岸のヴァレッタ市街を望む (右)グランド・ハーバーの開口部 左端の緑地はロウヤー・バラッカ・ガーデン


砦というだけあって道がぐねぐね曲がっており、展望台のあるトップに行くのにまっすぐ進めません。展望台というか「屋上」なのですけれど、数百メートル先にヴァレッタ市街がパノラマ的に見えます。こちら側から見て初めてヴァレッタの全容というのがつかめた気がします。尾根にあたる部分に向かって手前側(半島南側)に急斜面があり、建物が密集して隙間がありません。何度か歩いて確認したとおり、ヴァレッタ内部のアップダウンというのもこちらからかなり見ることができます。そして、いま立っているヴィットリオーザと比べても全体が「高い」のは一目瞭然。マルタ包囲戦のあと騎士団が対岸に都市を建設して首都機能を移したのもよくわかる。要塞単体ではもはや防衛しきれないから、町ごと要塞化しなければならない、だとすると海面からより高いところに町を建設するのがよい、ということになりますからね。

砦の最上階は催し物スペースになっていて、子どもの遊具や物産の販売コーナーなどがあり、屋上カフェにもなっていてにぎわっていました。簡易ステージではアマチュアなのか数組の人たちが熱唱しています。日常生活が歴史に包まれているというのは不思議な感じがします。

 
激戦の要塞はいま市民の憩いの場に

 
ヴィットリオーザ グランド・ハーバー・マリーナ


最初は桟橋に戻ってからセングレア側に渡り、もう1つの半島を攻略?しようかなと思っていたのですが、朝から歩きっぱなしなのでけっこう疲れてきました。ゲストハウスの部屋に戻って昼寝しよう。15時前のフェリーでヴァレッタに引き返します。進行方向左手のセングレアは、建物のあいだに見える石段の感じなどに趣がありそうなので、今度マルタに来ることがあればぜひ歩いてみましょう。とかいいながら同じ都市を繰り返し訪れることはあまりないのですが。

ちょうど10年前、気分的にヒマだったのと仕事(主に授業)が気乗りしないものばかりだったことも手伝って、サイト上にBienvenue à Paris!! 超主観的パリ入門という記事を週11年間書きました。方々から絶賛されたという事実はないものの関係者さんなどからそれなりに好反応があったので調子に乗って、その番外編とばかりにドイツの旅という紀行を書いてみました。元来あまり記録をとるほうではなかったのに、これ以降はもろもろの経過とか場所の背景を時系列的に記すのが通例になり、もう10年もこんなことをしています。長年の読者はお気づきかどうか、最近では現地を歩きながら「日誌はこんな文章になるのかな」などとその場で構想を練っていることもあります。ためにするってやつね。長くやっているうち、西欧あちらこちらという総合タイトルも実態に照らしてどうなのかということになりかかっています。夏の北欧、今回のマルタなんかは西欧と一括できるかどうか怪しいですし、EU加盟国をコンプリートしようなどという発想が持続するとすれば、今後は中東欧、バルカン半島、キプロス、バルト三国など明らかに西欧ではないエリアに向かうことでしょう。でも、私がこんなふうにして欧州各地を歩き回っているあいだは、欧州は平和だということでもあります。真に持続されるべきはそちらのほうです。

 
繋留中の小舟で狭められた水路を往く


船は聖アンジェロ砦の真横を通り過ぎてグランド・ハーバーを横切り、ヴァレッタの桟橋に着きました。さきほどはアッパー・バラッカ・ガーデンからエレベータで降りてきたので、別のルートで宿に戻ることにします。といってもヴァレッタの地理は易しすぎ。逆方向、つまり半島先端のロウヤー側に向かって海沿いの道を歩く(勾配を登る)と、ヴィクトリア門Victoria Gate)という立派な石造りの門がありました。由緒書きによれば1885年に英当局によって建てられたとのこと。ヴィクトリアというネーミングセンスが19世紀やね。後から補充した知識を交えていいますと、もともとヴァレッタは町全体が要塞なので、険しい丘の上に都市機能が集約され、周囲は分厚い城壁で覆われていました。町への出入りは限られた城門を通るしかなかったわけです。ヴィクトリア門が建設された19世紀後半になると、要塞としてより貿易港としての機能が重視されるようになり、港湾地区と市街地を結ぶこの地点にメインゲートとしてのヴィクトリア門が造られた、ということのようです。町の中心は騎士団長の宮殿(Grandmaster’s Palace)、いまパレス広場になっているところですので、ここを通り抜けて坂を登り、左折すれば徒歩15分ほどで到達することができます。その途中に滞在中のゲストハウスがあるので、私もそのルートで往時をしのびつつ、いったん宿へ。前日の午後にヴィクトリア門の裏を通り過ぎており、海に抜ける穴が開いていて妙な景観だなと思っていたのですが、海側から見ると立派な門なんですね。裏は場末のガード下みたいな雰囲気なのだが。

 ヴィクトリア門


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時前に再出動。といっても夕食をとってすぐに戻ろうと思います。パリなら夕食タイム自体がめっぽう遅いのでもう少し後で出動するでしょうし、ロンドンなら食前または食後にパブに行ってビールをかっ食らうところでしょうけれども、ヴァレッタでは静かに部屋飲みがいいかな。例の赤ワインもあるしね。というわけでそれらしいレストランを探索しましょう。長年の経験というほどでもないが、そういうやつに照らしてみるならば、メインストリートと直交する細めの道路というのが飲食店の多いところです。初日のレストラン、昨夜の持ち帰り店とマーチャント通りがつづいているので、それ以外のストリートがいいなと思い、いくつかの筋を行ったり来たり。そう、さきほど対岸から眺めて確認したように、この町は一筋の尾根(リパブリック通り)の両側はかなりの傾斜になっているのでした。「直交する道路」は、したがっていずれも坂道です。行ったり来たりでけっこうくたびれます。

それらしいお店は何軒かあるものの決め手がなく、どうしようかな。掲出してあるメニューはよくても店内ががらんとしているところは、居心地が悪くて、食事が美味しくないはずです。ぐるりと一周したところで面倒になり、パレス広場から宿に戻る途中の飲食店街にテラス席を出していた店に声をかけ、席に着きました。12月の夜なのでさすがにストーブの火が入っていますが、それでも表で食べるんですね。ひざ掛けが添えてあったので使いましょう。


 


チリチリ頭に丸メガネのマンガみたいなウェイトレスが現れ、早口の英語でおすすめメニューの紹介。ラビットは一昨日に食べてしまったし、お魚も食べたので、何か他のものってないかな? 薄暗いというかかなり暗い中でメニューに目を凝らすと、ムサカ(Moussaka)があります。ギリシア料理の人気メニューで、ひき肉とナスなどを重ねてオーヴンで焼いたやつ。これにしましょう。ただ不思議なことに、メニューに赤ワインがありません。ボトルはあるのだけどグラスはロゼになるようです。しかも€6.90と高め。やむなくそれを頼んでみましたが、やっぱりロゼは甘くて口に合いません。早めに飲み込んで、あとはスティル・ウォーターを添えて食事することにします。最初にパン2個とオリーブオイルの皿が運ばれました。ゴマ風味でおそらく焼きたて。これはなかなか美味しい。つづいてムサカ。この店はサーヴするのが早いですね。私の知っているムサカはラザニアみたいに四角くカットした状態で供されるものでしたが、ここのは円形の耐熱皿に載ったものでした。ベシャメルソースとかマッシュポテトのようなものをトッピングするのではなく、ひき肉がむき出しになっています。メニューにはthe Maltese wayとあったのでこれがマルタ風ということなのかな? フォークでほじくって食べてみると、香辛料が利いていて美味いのは美味いけど、ムサカってこんな感じなのかな?と再び自問。食感はスコットランドのハギスみたいだし、味はひき肉そのもので、口の中がだんだんぽそぽそしてきます。ウォーター頼んでおいてよかった。

デザートは省略しますが、あれやこれやでけっこうな予算になりました。ムサカ€16.90、パン€2.50、ワイン€6.90、ウォーター€3.90、食後のエスプレッソが€1.90で〆て€32.10也。昨今の私の相場からすればさほど高いというほどでもないですが、満足度との関係でいえばいまいちです。おそらく観光レストランまたはやや上級の設定の店だったのでしょう。会計を頼んだら生意気にも?iPad miniをもってきて「確認キーをタップしてください」などと安物居酒屋みたいなことをするから、チップ1セントも払わなかった(笑)。

 夜のパレス広場


滞在中のゲストハウス、プリンセス・エレナは実に静かです。夜はスタッフがいなくなってしまうし、他の客とすれ違ったのも5日間で2回くらいなので、はたして同時に何人くらいいるものやらという具合。最上階の部屋はやたらに広く、ダブルベッドのスペースが部屋全体の3分の1程度で、広々とした残りの空間にテーブルとソファがゆったり置かれています。天井も高くて2フロアぶんくらいはありそうです。ただ、ソファの角度が悪くてテレビやタブレットを見るのに不向き。それと、なぜかクローゼットにハンガーがない(笑)。安くはないし、アメニティも並み程度ではありますが、まずまず快適に過ごすことができています。この夜も赤ワインその他を注入して就寝。

 

PART5につづく


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