2014 WINTER

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Part 4

 

 



 
ベストウェスタン・モーニントン・ホテル



パブで一杯


ウェールズの首都カーディフに2泊して、1229日(月)の夕方にロンドンに戻ってきました。残り1泊、2014年の欧州20泊目は、パディントン駅から徒歩7分くらいのところにあるベストウェスタン・モーニントン・ホテルThe Best Western Mornington Hotel)。予約サイト経由で、シングルルーム₤90、朝食₤12.50VAT(消費税)₤18で込み込み₤120.50と、私にしてはいい値段のところをとりました。最後の1泊ならゆったりしたいしね。前回の旅行で、ホテル相場がやたらに高いスイスを回って、感覚がマヒしてきた感もあります(笑)。通されたのはレセプションと同じ1階の奥の部屋。フロアの数え方は日米の「数え年」に対して欧州では「満年齢」方式で、入口が0階(英国ではグラウンド・フロア)なのですが、緩い傾斜に面して建てられている関係で正面のランカスター・ゲート側が1階になっているようです。なるほど私の部屋から見ると、少し高くなっている。お、向かい側にパブが見えるな。あとで行ってみよう。

部屋はけっこう広く、木目調の床板で上品な感じです。水まわりも清潔で広い。これだと東京山手線内でも1万円以上するよね(現状はポンドが円に対して強すぎるので相場感が狂っています)。日本にも増えてきたベストウェスタンはアメリカ系の中級ホテルチェーンで、一種の安全パイではあるのですが。

都心に出るのは面倒なので、パディントン駅付近に戻って夕食をとり、そのあと例のパブでまったり。Young’s Bitter1パイントで₤3.85です。


 
セント・ポール大聖堂



スタバにプレタマンジェっていうのも最強!


12
30日(火)は、朝食をとってから9時半くらいにチェックアウト。ホテルに荷物を預けて出かけよう。さすがに徒歩だけで回るのは限界なので、近くのランカスター・ゲート駅から地下鉄のセントラル線(Central Line)に乗って東へ。ロンドン市内交通の運賃というのは買い方によってかなり変わってきます。オイスター(Oyster)というICカードに₤5以上をチャージしておいて使うと都心部のZone1₤2.20なのに、現金で切符を買うと₤4.70と倍以上も違います。オイスターは1日の上限額が₤8.40で、それ以上は何度乗っても引かれないため、4回乗れば元が取れるわけです。ただ、どうしようかなと思って、₤8.90の一日乗車券(Day Travelcard)のほうを券売機で買いました。このつぎロンドンにいつ来るかわからないしねえ。でも、一日乗車券もずいぶん高くなったなと思って券面をよく見ると、こちらはゾーン制限がなくZone1-6となっています。そういう棲み分けになっているんですね。お、ということは、Zone6にあるヒースロー空港までのピカディリー線も使えるわけじゃん。パディントンからの鉄道を利用しようかと思っていましたが、荷物をピックアップしてから地下鉄でも余裕じゃん。帰国便のヒースロー発が19時なので、15時ころホテルを出れば十分に間に合いますね。やった!

てなわけで10時過ぎにセント・ポール(St.Paul’s)駅にやってきました。セント・ポール大聖堂St.Paul’s Cathedral)もすっかりおなじみなのですが、ホテルと同じ地下鉄のラインにあるのでごあいさつしないのも何だかね。

セント・ポールの鐘の音は今日もがらんがらんと盛大。さきほど乗ってきたセントラル線が地下を走るチープサイド(Cheapside)という貧相な名?の道路を歩こうかなと思って、でも西からやってきたダブルデッカー(ロンドン名物2階建てバス)に飛び乗りました。わずかに3ブロック、バンク(Bank)という停留所で下車。




イングランド銀行

 中国銀行の支店も




ここにあるバンクは英国の中央銀行、イングランド銀行Bank of England)です。そしてこの界隈が金融・証券街であるシティThe City)。東京でいえば日銀と兜町(この両者はやや離れている)ということになります。イングランド銀行前に来たのは2度目だけど、やっぱり重厚な印象。あ、日銀本店も相当に重厚ですよ。イングランド銀行が発券しているのがスターリング・ポンド(Sterling Pound)で、この数日来たいへん世話になっています。てか強すぎ。通貨統合いらい、ユーロの財布をもたずに欧州に来たのは初めてです。


旧王立証券取引所 ここにもウェリントン像が


イングランド銀行の隣に旧王立証券取引所(Royal Exchange)のギリシア風の建物があり、そこに観光客向けの説明板がありました。それを引用してこの地区のガイドに替えます。「この説明板はロンドンの心臓部に立てられており、この首都で最も重要な金融および官公庁の建物が周囲に林立しています。ここは、日昼は35万人もが働き、夜は5000人ほどの住民がいるというロンドンの一街区です。もともとはテムズ川の北にローマ人が拠点を築いたその中心にあたり、のちには城壁に囲まれた中世ロンドンの中心となって、富と権力をもつ人たちがしだいにギルドやカンパニーを形成するようになっていきました。この説明板の近くには、現在では新しい小売店が入っている旧王立証券取引所、ロンドン市長(the Lord Mayer of London)の在任中の公邸となるマンション・ハウス(Mansion House)、1694年に民間企業として創設され後に国家の銀行という役割を行使するようになったイングランド銀行などがあります」。


 ザ・モニュメント

 ロンドン橋




バンクの交差点からつづく緩い下り坂はキング・ウィリアム通り(King William Street)。ウィリアムってノルマンディから来た1世なのかなと思っていたら、いま調べるとこの道が造られた当時の王であるウィリアム4世らしい。ヴィクトリア女王の前任者ですね。産業革命でロンドンの空が煤煙にいぶされていたころではないかなあ。ビジネス街だけあってお店はほとんどなく、わずかにスタバなどの軽食系チェーンが店を開けています。スーツの似合う地区ですね。その先にザ・モニュメントThe Monument)。正しくはThe Monument to the Great Fire of London of Londonで、1666年のロンドン大火の記念塔です。自立式石塔としては世界最長の62mの高さがあります。

 

モニュメントからほんの少しだけ歩けば、童謡にも歌われるかのロンドン橋London Bridge)があります。最初は「有名なだけでぱっとせん橋やな〜」と思ったのですが、慣れてくるとここがいちばんロンドンぽい景観のようにも思えてきました。お天気がよいので、リバーサイドの遊歩道は最高にいい感じになっています。自分も含めて、どう見ても外国から来たらしいヴィジターばかりですね。今回は行かないけれどロンドン橋を渡ったテムズ右岸は、サザーク(Southwark)という地区で、再開発というか新たな見どころが続々とできています。ガラス張りの四角錐というファンキーな外観をもつ高層ビル、ザ・シャード(The Shard)もオープン。観覧車はダメだけどビルの展望台なら大丈夫なので今度来たときには登ってみようかな。

 


 
(左)オールド・ビリングズゲート・マーケット (右)テムズ・パス


テムズ左岸から、対岸のザ・シャードを見る


ロンドン塔


この川沿いの遊歩道にはリバーサイド・ウォーク(Riverside Walk)またはテムズ・パス(Thames Path)という名があります。ロンドン橋を背に東(下流側)へ少しだけ歩くと、オールド・ビリングズゲート・マーケット(Old Billingsgate Market)の建物が見えます。かつての魚河岸、東京でいうところの築地市場だったところですが、1980年代に市場は東の郊外へ移転し、ヴィクトリア時代に建てられた優雅な建物を生かして、現在はイベントスペースとして使用されています。


その先には有名なロンドン塔Tower of London)。タワーという語は現代的な感覚ではそれこそザ・シャードのようなスケールを想像させますが、中世にあっては城郭や教会の尖塔がいちばんそれにふさわしいものだったと思われます。ウィリアム1世によって構築が開始されたこの城塞の中には何本もの尖塔があって、往時は相当に「上から目線」を行使できたのでしょう。なぜかいままでここに入ったことがなく、今回はどうしようかなと思ったのですが、チケット売り場にものすごい行列ができていたのでヒヨりました(汗)。ここは国王の居所、軍事施設、そして監獄・処刑場としても使われました。そのため誰それの幽霊が出るとかいう話がしばしば聞かれます。夏目漱石の『倫敦搭』もぜひどうぞ。



 


タワー・ブリッジ
見学コースは橋を動かすエンジンや、上階のThe Glassed in Walkwayを含みます

 


ロンドン塔の周囲には堀が切ってあり、その外側に遊歩道がつくられているので、ゆっくり歩いて外から塔を眺めました。しかし大変な数の観光客で、午前中なのに大いに賑わっています。ほぼ台形の敷地の三辺をぐるりと回り、再びテムズ河岸に出てくると、そこにタワー・ブリッジTower Bridge)が架かっています。1894年に完成した可動橋(跳ね橋)で、これもまたロンドンのランドマークの1つ。産業革命が進展してロンドンの東側が大いに発展したため、テムズ川の両岸を結ぶ橋が必要になってきたわけですが、当時の港湾施設の中心はいま歩いてきたロンドン橋の東側にあったため(だから魚市場や税関があった)、可動橋でなければならなかったということらしい。「商船」の時代が過ぎ去り、現在の船舶輸送といえばタンカーとかコンテナですので、可航河川に入り込んで市街地に接岸するというスタイルはもうほとんどありません。かくてタワー・ブリッジは観光資源として生き残っているわけです。

 焼き栗屋さん


シティがなぜ栄えたのかといえば、そもそもテムズ川を遡上して船を着けるのに好都合な立地だったことと、防衛上も有利な地形だったことによります。最初に拠点を造ったのは古代ローマで、1世紀ころロンディニウム(Londinium)という名の都市を建設しました。外洋船と川舟、ないし荷車との結節点であったことは容易に想像できます。

しかしここもまた大変な行列。チケットを買うのと入場するのと、両方に長い列ができているため、たぶん450分は待たされる感じです。またヒヨろう(笑)。ちなみに入場料は₤9。予定があらかじめわかっているならネットで事前予約することを勧めます。₤1ばかり割引になるだけでなく、少なくともチケットを買う行列は回避できるので。欧州の多くのスポットではそうした作法が推奨できます。もちろん気分で動いている私には無用の作法・・・



 
大英博物館とロゼッタ・ストーン
ナポレオンのエジプト遠征に際して発見され、古代エジプトの文字読解の
手がかりとなり、古代史の解明に寄与した超一級の歴史史料


そのあとしばらくイースト・エンド方面の路線バス乗り継ぎというマニアックな行動をしていたので、そこはカット。路線バスはトラム(路面電車)と同様に、町の景観を見ながら「次はどっちへ曲がるんだろう」といった楽しみがあるのですが、ロンドンのバスは2階に上がればさらにその楽しみが増すというものです。

そうしてバスを何度か乗り継いでやってきたのはご存じ大英博物館British Museum)。時間の制約があるので何かを見ようという意図はまったくなく、ただ経路の関係で無料のお手洗いを借りられるのはココかなと思っただけです。何しろこのミュージアム、入館料というのがありません。ここもものすごい人出で、人の波をかき分けて進むという感じでしたが、少なくとも男性用お手洗いを借りるぶんには何ら問題はありません。女性はお気の毒です。世界三大ミュージアムにやってきて他の用がないというのも何ですし、縁起物?ということで、入口近くにあるロゼッタ・ストーンを拝んでおきました。ガラスケースの周囲を幾重にも人が取り囲んで、接近するのにも一苦労します。教えてシャンポリオン、ときめいてヒエログリフ、いつだってファラオ、暮れてもロンドン、あしたもコロッケ(何だか暴走しています 笑)。



韓流ストア 店名が「ソウルメート」なのが何気におかしい

 
信頼と実績の、日本製刃物屋さん


ソーホー


天下の大英博物館を滞在わずか15分ほどで仕上げました。とくにこの先の当てはないものの、いま12時半くらいで、15時くらいまでには荷物を預けたホテルに戻らなくてはならないから、じわじわ西に向かっていくことにしましょう。金曜と違って、何となれば地下鉄やバスで進んでしまえばよいので、それなりに余裕はあります。ならば、ソーホー方面に進もうかな。

 センター・ポイント


見るからに外国人(英語を話していない集団)ばかりの博物館周辺の雑踏を脱け出し、1960年代の高層建築であるセンター・ポイント(Centre Point 東京でいえば霞ヶ関ビルと同年代で、ほぼ同じ高さ)を回り込んで、南北の幹線道路であるチャリング・クロス通り(Charing Cross Road)に入りました。この西側一帯がいわゆるソーホーSoho)地区。かつては絵に描いたような歓楽街・風俗街だったわけですが、この20年ほどでブティックや飲食店などの立ち並ぶファッショナブルな地区に変貌しました。もちろん以前の姿を知っているわけではありませんが、読み物で「ソーホー」と出てきたときは旧態こそそのメタファーの意味するところです。ま、でも、映画館の派手なサインとか、レストランの大作りな外観など、随所にそれっぽさが垣間見られます。そーほーするうちにお腹も減ってきたようなので、昼ごはんを食べにいきましょう。実はこの地区は、金曜のランチをとったレスター・スクエアの真横なのです。

 

 

Part5 へつづく

 

この作品(文と写真)の著作権は 古賀 毅 に帰属します。