Un petit voyage à Londre

 

 

PART 2


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ロンドンへ行くことにしてから、いちおうガイドブックを買ってそれなりに眺めてはみたのだけれど、地図を見るだけでは街の様子がほとんど想像できません。いつでも、現地に行ってから雰囲気や景観と地図をつなぎ合わせて頭の中で立体化し、次なる実践に結びつけるという、実に教育者らしい(?)作法を採りますから、今回もその手で。最初にすこしだけ書いたように、大学生のころ初めて「外国」旅行に出かけた先がこのロンドンでした。2月の初めころ、当時は当たり前だった南回り(アジア都市でのトランジットで、私の場合は香港だった)でまる1日ちかくかけて南郊のガトウィック空港に降り立ち、雪の積もる市内に入ったものです。たしか南西のアールズコート(Earl’s Court)あたりのホテルがあてがわれ、2泊はしたと思うのだけど、テムズ川・ビッグベン・ハイドパークの記憶がすこしあるだけで、街の様子についての印象はほとんど残っていませんし、地理的なこともまったく。地名の見当がつかないところへの旅行という経験がそれまでになかったこともそうですが(幼いころから地図を読みつくしているので国内はだいたいわかっていたのです)、おそらくは同行者がいて、彼が英語を話せたということが大きいのでしょう。一人旅のほうが印象深いという話をよく聞くけど、それはそうですね。

というわけで、17年ぶりではあるが、気分的には初めてに近いロンドンです。5年前には、イングランドの頭越しにスコットランドに行きましたので、英国は3度目。最初の時は、この国を含めた多国籍軍がイラクを総攻撃している最中(湾岸戦争)で、2度目の訪英はイラク戦争の直前でしたから、どうも私が英国に来るとあちら方面で物騒なことになるという嫌なジンクスもあるにはあります。何ごともありませんように!

 1Day Travelcard


隣り合っている両国鉄駅の直下に、地下鉄キングズクロス・セント・パンクラス駅があります。下ろしたばかりの₤20紙幣を自動券売機に差し込んで、ワンデイ・トラベルカードを購入しました。市の範囲が狭いパリでは全区間均一なのに対して、ロンドンの地下鉄(Underground)はゾーン制を採用していますが、今回は最も狭いゾーン12で十分。これで£5.30です。私たちの感覚とも、パリの感覚ともかなり異なることに、1回乗車券(いわゆるSingle Ticket)は₤4.00で、円に直せば1000円ちかくにもなっていったいどうなっとるんだ!という感じですが(ロンドンの物価がバカ高いことはあるにしても)、トラベルカードは2回で元が取れるわけで、存分に使ってやらねば。魔法の切符を手にした気分で、市内へ。

 
ロンドン地下鉄は真円状のトンネルに合わせた車体がユニーク 「チューブ」の愛称で呼ばれます  赤丸に青のラインがトレードマーク


まだ午前中で、予約した国鉄ヴィクトリア(Victoria)駅ちかくのホテルにチェックインもできないだろうから、最初に中心部から遠いところに行こう。エッジウェア・ロード(Edgware Road)駅で乗り換え、ノッティングヒル・ゲート(Notting Hill Gate)駅で下車。ここは、ハイドパークの西側で、市の中心部からは西にかなり離れています。人通りはさほどでもなく、高級住宅地のようで、町並みにもゆとりがある。早春のあたたかさが感じられていいですね。

 
(左)道路と建物の曲線のとりかたが非常に英国的 (右)ケンジントン・パレス


15
分くらいでケンジントン宮殿Kensington Palace)の前に出ます。ここは、敬愛するダイアナさんが最後にお住まいになっていたところです。外から見てどうなるでもありませんけど、すこし彼女を偲んでみたいなと思ったのでした。亡くなったのが1997年秋ですからもう10年以上前で、若い読者はリアルタイムではダイアナさんをほとんど知らないと思いますが、人間のもつ明るさ・素敵さと暗さ・矮小さ、よさとダメさを一身に体現していた方で、ゆえに単なる王族ということを超えて世界的な人気があったのだと思います。皇太子との別居後、マザー・テレサに背中を押されて福祉活動に没頭されたのですが、「人々の心の王妃になりたいのです」という彼女のことばも、葬儀の様子も胸に残ります。この前日には、パリのエッフェル塔に登って、すぐ眼下にあるアルマ橋(Pont de l’Alma)を見てきました。そこはダイアナさんが事故死した現場です。ご本人には気の毒ですが、あのような亡くなり方をしたことで、本当に心の王妃になられたようにも思います。プリンセス・ダイアナ、フォーエヴァー。

 
ダブルデッカーで中心部へ向かう


ケンジントン宮殿の南は東西に走るケンジントン・ロード(Kensington Road)で、これが広大なハイドパークの南縁をとります。トラベルカードはバスにも使えるので、地下鉄もいいけど、ここは景色の見えるロンドン名物ダブルデッカーdouble-decker 2階建てバス)に乗って、中心部へ向かうことにしましょう。観光客は路線系統のはっきりしないバスを避ける傾向にありますが、パリで会得したことに、フリーパスをもっていてだいたいの方角を心得れば、多少の誤りはあってもどうにかなるし、景色が見えるぶん地下鉄よりもおもしろいのです。今回も、中心街と知るピカディリー・サーカス(Picadilly Circus)を通ることだけ確認し、途中の経由地は無視して乗り込みました。地図を見れば、ケンジントン・ロードからピカディリーへとただまっすぐ東へ走ることがわかるわけだけど、出すのも面倒(笑笑)。前方の展望がよく利く席に陣取り、左手にパークの緑を、右手にクラシックな英国調の建物を見ながら、景観を大いに満喫します。ハイドパーク・コーナー(Hyde Park Corner パークの南東のかど)を過ぎると、今度は右手にバッキンガムからつづくグリーンパークが見え、店舗やファストフードなども目立つようになります。渋滞もかなりあってバスがあまり進まなくなるが、急ぐわけでなし、むしろゆっくりと様子が見られてうれしいです。12時ころピカディリー・サーカス下車。ロンドンの景色として写真によく映る交差点で、東京でいえば銀座4丁目なのでしょうが、道幅がせまい上に英国独特のカーブを描いていることもあって、ごちゃごちゃ感があります。ああ思い出しました。17年前にも来たんだった。かすかに憶えているよ。

 
(左)ピカディリー・サーカス (右)トラファルガー広場


ついでのことに、南へすこし歩いてトラファルガー広場Trafalgar Square)も訪ねました。ここもうっすら記憶にある。シンボルは高い塔の上に置かれたネルソン提督の像です。トラファルガーというのは、1805年にフランスとのあいだで海戦をたたかった場所(ジブラルタル海峡のちかく)のことで、ウォータールーと同様に「ナポちゃん撃退記念」の命名。ネルソンは戦勝のさなかに落命し、祖国防衛の英雄として高い人気を誇ります。

さて腹も減ったし、多少歩き疲れてもいるので、どこかへ。例によって地図も見ずにピカディリーのあたりを歩いてみたら、方形の緑地をかこんで飲食店や映画館が立ち並ぶ一角に出ました。レスター・スクエア(Leicester Square)とあり、若者がたくさんいます。あとで聞けば映画や演劇の観賞で非常に有名な場所らしく、ロンドン通の人が聞けばこういう無知とテキトーさに驚かれるでしょうが、予習しないってそういうこと(笑)。何かある、くらいに思っていけば、何かに当たります。スクエアをすこし外れたところにあった静かな店を見つけ1パブ(本日の第1パブ)。パリでは1カフェ、2カフェという行動パターンだけど、ロンドンゆえ、当然パブだわねえ。

 英国のパブはこんな看板が目印 ヴィクトリア女王のようですね?
  本日の第1パブ


ラガーをといったらカーリング(Carling)が供されました。こいつと、英国らしくというのでフィッシュ&チップスで合計₤9.99。物価の高さを考えればそんなものかね。F&Cは「ラージがいいですか、レギュラー?」と訊かれ、レギュラーを選択したのだけど、それでもゆうに25cmくらいあるからね。ラージってどれほど、ていうか、何の魚?? ということで、日本の生活では「夜の飲み会」みたいなメニューを当たり前のような顔をして昼飯に食します。味はまあ想像どおりで、とくに驚きも落胆もございません。タルタルソースをつけるか、テーブルに置かれているビネガーをじょぼじょぼかけて硬い衣をふやかして食べるわけです。緑のペーストを舐めてみると、グリーンピースの裏ごしらしく、こいつでバランスをとろうという趣向でしょうかね。ウグイス餡か仙台のずんだ餅か、あれの甘くないようなやつではあります。美味ではない。


 


満腹したところで地下鉄を乗り継ぎ、ピムリコ(Pimlico)で下車。予約したホテル、ハットンズ(Huttons)は、こことヴィクトリア駅の中間にあるようですので、どうせ使うに違いないヴィクトリアでないほうから攻めることにしました。徒歩10分くらいで、ベルグレイヴ通り(Belgrave Road)という道路に面していますが、両側は同じしつらえの白い建物がずらり。どうもここはそういうコンセプトでわりに知られる道路なんだそうです。北のほうに行くと、ベルグレイヴィアなる高級地区につらなるとか。この中のいくつかがホテルになっていて、ハットンズは中間ほどにありました。ドアを押すと簡素なレセプションがあり、無愛想な従業員からカードキーを渡されました。自室だけでなく、廊下のドアとか、ある時刻を過ぎれば玄関もこいつで開けるというわけで、欧州のいくつかの都市で経験しました(英国のB&Bはだいたいそうみたいね)。一般の建物をホテルに転用しているのか、そもそもこちらはそういうものなのか、廊下にもドアが設けられていて明らかに別区画へと歩かされます。割り当てられた400号室は、さらにそこを出て3階と4階の踊り場に面した区画・・・ 何だか昔の高田馬場のカラオケボックスみたいだなあ。部屋はかなり狭く、シャワールーム兼洗面所(ほとんど飛行機のトイレみたいな感じ)を含めて4畳半といったところでした。1泊朝食つき₤50.77で、ネットで比較検討してわりにスコアの高いところを選んだのだけど、ロンドンの相場からすればかなり安いほうで、この程度なのもまあ納得。ユーロに直せば€66くらいですからパリでもそんなものか。泊まれればよいので、ホテルにぜいたくは申しません。

余計なことですが、これから欧州個人旅行を志す人のために申しますと、事前に宿泊予約したほうが有利(価格、場所、条件)かどうかは季節と都市によります。中小都市だと駅前や市内中心部にある当局のインフォメーションに相談すれば、だいたい希望に沿って選んでくれますが、ハイシーズンには難しいようですね。飛び込みという手もあります。欧州のホテルは、玄関にタリフ(料金表)を掲げており、カジュアルな宿では「空室あり」等の掲出もしばしばありますので、契約前に実際に部屋を見せてもらうとよいでしょう。まあしかし、インターネットはやっぱり便利です。面倒なやりとりが省けるし、英会話の苦手な私にとっては、辞書を引きながら文面を解読するゆとりもありがたい。何より、宿が決まっていれば現地でうろうろする時間を省けます。それをも楽しむ方針じゃなかったのといわれそうだけど、ロンドンは巨大都市で土地勘もなく、12日で時間もきつきつだったから、今回はあえてネット予約しました。次回はきっと別の手を使うはずです。なお、ホテル検索は日本語のサイトだとどうしても限界があります(サンプル数とか、そういうのを利用する日本人のセンスの問題として)。英語サイトをぜひ参照したいですね。

 バッキンガム宮殿


身軽になって、さっそく市内見学に戻ります。宿から10分ほどで国鉄のヴィクトリア駅に出ました。最初の訪英ではガトウィック空港から電車に乗ってここに着いたことを憶えていますが、例によって景色には見覚えなし。それにしても本当に何も憶えていないもんですね。私としたことが。

駅から10分ほどで、エリザベス2世のお住まいであるバッキンガム宮殿Buckingham Palace)にたどり着きます。ここは記憶にあります! 昨年の旅行では、ルクセンブルク大公の宮殿とベルギー国王の王宮を訪れていますし、君主国ではどうしても王様がらみが見どころになるんですね。女王はまもなく82歳におなりですが、テレビなどで拝見するといたってお元気のようで何より。はるか昔のことですが、1975年に女王が来日された折、国道1号線沿いの幼稚園に学ぶ園児だった私は、小旗を振ってお車を沿道で迎えた経験をもっています。お顔が見えたかどうかそれこそ記憶にないのですが、それで私、エリザベス2世には不思議なシンパシーがあるのです。

バッキンガムからテムズ川へ向かう一帯は、いうところの官庁街で、丸の内みたいなコンセプトでしょう。ビッグベンをめざすことにして、また歩きはじめましたが、どうも足が重たい。土曜の夕方にパリに着いて、翌2日はミュゼ無料の第1日曜とあってルーヴル、オルセーを超高速ではしごし、さらに市内各地をいつも以上のパワーで歩き回って、何と実質初日にして足が痛んできました。きのう3日はゼミ生たちとこれまたパリ市内をぐるぐる。先生の威厳も示さなきゃならんしで、ダメージがさらに蓄積しました(苦笑)。ロンドンではまださほどに歩いていないはずだけど、たとえば同じ500mでも、知っている場所と知らない場所では後者のほうが長く感じるし、疲れます。それにしても齢だな〜。ビッグベンへ通じるビジネス街のぺティ・フランス(Petty France)という通りにパブがあったのを幸い、2パブして休息と燃料補給をしよう。

  本日の第2パブ


こんどはADNAMSTHE BITTERなる品を注文しました。英国ビールの銘柄などわかるはずもなく、サーバについているブランドマークを適当に指差して発注するだけです。ビターというからにはペールエールの類でしょうから、さきほどのラガーとは対照的でいいかと思って。1パイントで₤2.65。こちらのパブ独特の、木製のスツールに腰掛けてずびずび飲み込めば、これもなかなか美味です。しかし何というか、燃料補給などと称しているこの行為が実は消耗の一因かもしれないし、フランスでは「ドゥミ」と称する25clが基本単位なのに対して、英国は1パイント(=56.8cl)ですから、同じペースで立ち寄れば倍以上のアルコールを摂取することになります。うむう。英国通の姉が以前に「男は黙って1パイント!」とかいっていたので、お説に従っているわけです(人のせいにしている 笑)。大学生だった17年前はウブだったのと、いまみたいに酒類をがぶ飲みする生活をしていなかったのとで、パブでビターを1杯飲み干すのがけっこうしんどかった記憶があります。いまは前述のように、ずびずび


PART 3 へつづく

 

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