古賀毅の講義サポート2025-2026
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2025(令和7)年度 教職科目における指導・評定方針
2025年5月の授業予定
5月10日 学習指導要領とその変遷(1):試案期〜昭和52・53年版
5月17日 学習指導要領とその変遷(2):平成元年版〜平成20・21年版 *オンライン(動画配信)
5月24日 現行学習指導要領(平成29・30年版)の要点と特色
5月31日 次期学習指導要領の展望:中教審の議論をめぐって
ひきつづき過去の学習指導要領を考察します。今回は平成元年版(1989年)、平成10・11年版(1998/99年)、平成20・21年版(2008/09年)の3代です。当科目の受講生の大半が、この最後の平成20・21年版の内容を学んできたはずですが、歴代の特色をあわせて見てきて、ようやく自分たちが学んだ内容の特徴や問題点などがわかってくるのではないでしょうか。また、改訂にあたってその時々の教育課題への取り組みがまず掲げられるわけですので、ああなるほど自分たちはこんな課題を背負って教育されてきたのだ、と考えていただけることでしょう。昭和(戦後)は経済成長の時代、平成は停滞の時代です。平成元年=1989年末をピークとして日本経済は下り坂に突入し、のちに「失われた10年」「失われた20年」と呼ばれるような苦境を経験しました。社会がうまくいっていないとき、教育も指針を見失って右往左往するというのは、なんとなくわかるのではないでしょうか。同時に、学校教育に社会変革の処方箋を求めたところで、そんな即効性などないことも、多くの人がわかっているはずです。 時代が平成に入ったのとほぼ同時に東西冷戦が終結し、グローバル化と呼ぶ事象が本格稼働しました(『教育原理』1.5)。また、それとほぼ同じ時期にIT化(=高度情報化)も動きはじめています(『教育原理』1.1および1.2)。いまの大学生の世代にとって、グローバル化もIT化もない時代など想像もつかないことでしょう。そのように現在では当たり前すぎる事象が目の前にあらわれ、教育課題を突きつけてきました。英語をどうにかしろとかコンピュータの教育に注力すべきだとか、いまもいわれているようなことが主張され、あわてて?プログラムされることになったわけです。一方で科学の超・高度化とか(『教育原理』1.4)、少子高齢化(『教育原理』1.3)も進行します。どれか一つだけでも大変です。昭和時代にはさほど必要のなかった(あるいは一部の人だけが学べばよかった)ことが、学校教育のタスクとしてもたらされました。いうところの社会的要請にもとづく教育課程の編成が急がれます。結果からいえば、新しい時代の教育を期して出された平成10・11年版は意欲や理念が空回りし、すさまじい批判を浴びて、実施前に修正されるという前代未聞の展開を見せることになります。みなさんが小・中・高で学んだ平成20・21年版は、そのしくじりを挽回し、どうにか本線に戻そうとしてつくられた教育課程であるといえます。 個人的なことをいえば、私が初めて高等学校の教壇に立ったのは昭和53年版が適用されていた最後の時期でした。ですからすでに戦後9代のうちの5代を教えた経験をもっていることになります。教育学の大学院に入ったのが1992年で、まさにグローバル化やIT化の入口の時期であり、教育研究を本格化していたころに新しい評価規準とか総合的な学習の時間のプランが浮かび上がってきましたので、そうした教育改革の動向を専門家の視点で検討するようになっていました。受講生のみなさんが児童・生徒という意味での当事者であったのに対し、私は教員として、そして教育研究者としてこれらの学習指導要領に向き合ってきたことになります。したがって、前回の内容と違って、ここはかなりリアルな実感をもってお話しできるのではないかと思います。この次の現行版(平成29・30年版)、そしていま審議中の次期学習指導要領がどんな展開を見せるのか、自身の中で想像をめぐらせながら思考してみてください。
REVIEW (4/26) 5月10日のレビューは遅れて更新します。しばらくお待ちください。 ●今回は陶冶というキーワードを設定して、なぜその教科・単元を学ぶのかということを考えた。生徒の学びが表面上だけになってしまわないような授業づくりをしていく難しさを感じ、知を通底させるためにはどのようにすればよいのかと考えさせられた。汎用的・一般的なものに対応させるための学びを深めて、いまの自分の学習を見つめたい。(機電) ●陶冶の観点から見た教育の内容というのがすごく納得できた。全部が全部そうではないのかもしれないが、学び方を学ばせるためにも教育が必要なのだと考えた。そのためにも、自らの学び方についての考えも改めたい。(認知) ●知によって自分の能力を高めていくという概念は、いままで意識できなかった。陶冶がまだふわっとしか理解できない。(都市) ●形式陶冶という考え方は日ごろから納得している。ただ勉強といっても、解き方ではなく考え方を理解することの重要性はここにあると思う。(高度) ●教科に関係なく、実質陶冶にとどまることなく形式陶冶をめざし、もっと広い視点で活かせるようにしなければならないと思った。知識を踏み台として考え方を育てることが目的なので、小テストのつくり方や入試問題についても考えなおす必要があると考えた。(高度) ●アプリじゃなくてOSをつくるというのは、とてもイメージしやすくてしっくりきました。「数学ができる」というアプリを生徒にダウンロードさせるのではなくて、数学を自分で学べるようなOS(ダウンロードできるシステム)を身につけさせることが大事なのかなと感じました。(機電) ●何のために学ぶのか、に対する自分なりの考え。教員は、学びの場できっかけを提供する立場であると考えた。みんな同じ内容を一気に学ばせたほうが、効率よくきっかけを与えることができる。そのきっかけが基になり、さらに自分から学び、その人にとって自分の人生が満足できれば、学びが役に立ったといえるのではないか。啓蒙思想と似ているところもあると思う。(機電) ●自分から興味をもったこと、気になったことを学ぶと形式陶冶のような能力が身につき、教え込まれる場合だと実質陶冶のような能力だけが身につくのだと考えた。(高度) ●インターネットが普及したことにより、考える前に答えが出てしまう世の中だからこそ、昔のように知らない知識を得られたときの「うれしい」「楽しい」等の感情が薄れつつあると考える。そのため現代では知の獲得を通じた陶冶が困難になっているのかなと思った。(認知)
●個別の知を得るのではなく、個別の知のあいだを通底する部分を捉えるという学び方を自分でできていないと、教えることが難しいと思うので、そういう学び方をしていきたいと考えました。(高度) ●学校で教科を学ぶ理由は、大学に入ってからすぐくらいの時期は高校・大学など試験のための学習のように思っていたが、いまはよくわからなくなっている。自分が個別の知識を得るような学習をしていたのもあるが、ただ時間を過ごしても得られるものではないと思うので、精いっぱいあがいていきたいと思う。(高度) ●意味のある学びを生徒にさせるためには、方法を間違えてはいけないと思った。思考することを基本として授業を展開していけるように、知識と経験を得ていきたい。(応化) ●個別の学び、とくに理系の分野に進む人であれば容易に説明できるが、それでは意味がない。個別の話題に対してだけだと汎用性がないので、人生に意味のある授業を意識したいです。本を最近読みはじめているので、よかったです。その話は授業などには関係ありませんが、知として、とても価値があります。(高度) ●前回のレビューでは、一般化を生徒に任せるのかといいましたが、今回の授業を受け、一般化も視座も生徒が自分でその必要に気づき、自主的にそれらを得ようとするというのは難しいと思いました。だからこそ私は理科を通じて科学的な現象に対して、メタ的に思考できるようにすることを目標としたい。(応化) ●中等教育で学ぶ知識は、考え方を得ることだというのを、頭の中に入れておきたいと思った。自分の専門教科に関してなんのために学ぶのかという考えではなく、楽しいと感じられるまで勉強しようと思った。工業に関する勉強は何の役に立つのかと疑問をもたれないような教え方ができるようになりたいと思う。(機械) ●教育とは、知識について学ぶ、教えることよりも、汎用的に対応できるところを鍛えることが大切だと感じた。また人間を育てる、いわゆる人間の中身である心やウツワを大きくすることも大切だと思った。(認知)
●実際自分が、これ学んで何の役に立つの?と聞かれたときにはっきり答えられるのか、少し自信がない。その問いへの回答に正解はないが、少しでもその質問者が納得できるような回答ができるような教員になりたい。(認知) ●「こんなの学んだって将来つかわない」 心当たりしかなくて恥ずかしい。実際は自分の知が足りなくて気づいていないだけだと思いました。(応化) ●学んだことが何の役に立つのかという問いは、塾講師をしていてよく聞くことである。そのたび、学んだことは直接役には立たないが、物事を覚えた、問題を解決した、という過程が役に立つんだよ、といっているが、この考えにもよい部分と悪い部分があるなと感じた。生徒目線から見た、この問いに対する完全な答えは出ないと思うが、もっと具体的な言葉にしていきたい。(電電) ●どの年代にも絶対に「○○(科目)って何に使うの? 勉強する必要ある?」という人はいるが、総じてあまり人生をちゃんと考えていない。私の弟もそうだが、学ぶことはダサい、がんばることはマジメのすること、というイメージをもっているよう。(応化) ●何のためにこの教科を学んでいるのかという質問が生徒から出てしまうのは、ひたすら授業で出てきた内容や単語などを暗記するが、試験が終わるとそれを忘れる。やはり試験で点数をたくさん取って合格できるかを考えてしまうことが原因であると理解できた。その先の人格の陶冶(形成)には結びつかない。(応化) ●なぜ勉強するのかというかなり大きな疑問に対し、自分は仕方なくやるものだと思っていたが、知の獲得=自由というワードに、すごく納得できた。(認知) ●教師側が、学校での勉強が入試のためだと思っていたり、ここはテストで出題されやすいよと伝えたりすることで、生徒側は勉強=入試での合格のため という考えになってしまうのだと感じた。もちろん入試に使えるようにすることは大切だが、本来学校で学ぶ目的は何なのか、教師側が理解しておくべきだと思った。(応化)
●学びの本質としては、単なる一問一答の知識を詰め込むのではなく、知識の根底となる部分を学び、体系化・構造化することが大事だと思う。そうするほうが、ある事象に対して考える力を身につけることが可能になり、学びを暗記から理解へと変えることができると思う。(情工) ●生徒に教える際に、その知識をどのように考えさせるか、またその考えをさまざまな物事に活かしてもらえるような教育をしていきたいと思った。(応化) ●AはBでつくられる、と覚えるのではなく、Aは○○という理由があるためBでつくられる、という傍線部分を知ることで、異なる状況でも使うことができるようになるべきだと思う。(応化) ●個別の知識はダミーであり、なぜそのようになっているのかと一段上から見ることで、思考することができる。引いて考えるようなイメージ。たしかに個別の知識それ自体にあまり意味はないのかもしれない。そのように考えると、効率化を求めすぎる傾向のある現代では、じっくり物事を考える余裕をもつことが大切なのかもしれないと思う。(認知) ●ミニテストの例を見て、暗記した単語をただ埋め込むよりも、学んだ知識から自分でどう考えるかというほうが、自分の力が伸びると思った。ただ知識を覚えさせるよりもどうやって知識を使うかのほうがやはり大事なのだと思った。(経デ) ●高校のときテストでよく穴埋めを出す先生がいて、平均点がどうのこうのという話をよくしていました。これが、結果を重視した教え方なのかなと思いました。穴埋めテストは問題をつくるのが簡単であるなど、作成する側にもいくつかの理由があるのかもしれないけど、作問の意図を示したときに誰もが納得できるような問題をつくれるようにしたいです。その問題を解くために、個別の知識の使い方等も教えられるようにしなければならないと思いました。(機械) ●穴埋め問題について深く考えたことがなかったので、切り取り方について意義をもたせられる(役立つものにする)ようにしていきたいと思う。(認知) ●陶冶から教育を見ると、実質陶冶と形式陶冶に分けることができる。人間形成は形式陶冶がかかわる? 形式というと、電気の回路なんてオームの法則とキルヒホッフでなんとかなるみたいなものだろうか? (情工) ●表面的で薄い知識を補うために探究活動があるのかな?と思った。(高度)
●東大の学生歌にある「人格の陶冶」は、教育基本法第1条に書かれている「人格の完成」と似たようなイメージをもった。(機械) ●汎用的能力の内容が時代によってどんな変わり方をしているのか気になった。(情工) ●陶冶の話から工業にもつながっている点もあって、おもしろいと思った。汎用的能力というと日本人の多くが実学的なものを想像するのでは?という指摘があったが、外国、とくに哲学を学ぶフランスなどとは捉え方も違うのかと考えた。(材料) ●抽象的ではあるが、学習を通して、まとめる力や分野を超える考えは大切であるが、自由のたえに勉強するのはとても苦しく、つらい。しかし知によって自由を得られるように、日々小さなことから学んで、思考していきたい。(情工) ●個々の知識を身につけたとしてもそれを他の分野で応用・利用できないようでは陶冶できていないということだと思う。知を結びつけるのは難しいかもしれないが、がんばろうと思う。(高度) ●昔のものを学ぶと、現在便利なものがどのようなしくみなのかがわかる。将来何の役に立つのかではなく、役に立つように学ぶことが大切であるということがわかった。一つの答えにしぼるよりも、多くの解答があり、自分が考えて解答するほうが身につくということを学んだ。(応化) ●先生の授業で、洗剤と洗濯機の話から、どうジェンダーの話に着地させたのかとても興味があり、聞いてみたかったです。(機電) ●サブカルチャーはメインカルチャーあってのものだと考えています。とくに日本のものは、妖怪や歴史、宗教など多くのメインカルチャーをもとに生み出されています。最近はやりの異世界転生も、ヨーロッパの歴史などがもとになっているように思います。そうしたことを大切にしてこそだと思います。(機電) ●大学で専攻した学問のみの狭い知識で教師にならないよう、他科目などとのつながりを見つけていきながら、これからの教職科目を受講していきたいです。(認知) ●いまさらではあるが、教育の歴史を学ぶうえで、そもそもの日本や世界の歴史が必要であることが多いと感じたので、このGWの期間におおまかな歴史を学びなおしてみようと思った。教育の目標は人間の成長であるため、教える側に回る立場として、大学で学ぶことにも本質を見抜いた学習をしようと思った。(認知)
教育課程論は、教職課程のうちいわゆる教職専門性(担当教科にかかわらずすべての教員に共通する専門性)の形成にかかわる科目のひとつです。おおまかにいえば、2S教育原理が教育の目的・目標、この3S教育課程論が教育の内容、5S教育の方法・技術とICTが教育の方法を学びの対象としますので、目的・目標を踏まえた教育内容(educational contents)を考える、ということになります。ただ、教育の内容といってもピンとこないことが多いかもしれません。学校種によっても、教科によってもさまざまですし、広がりがかなりあります。また、生徒目線で考えると、教育の内容というのは初めから決まっていて(決められていて)、個々の教師はそれを順に教えていくだけだ、というふうに捉えている人もあることでしょう。たしかに生徒としては、先生が繰り出してくる内容を順に学び、消化していくのが常で、そこにどんな論理や特色があるのかなど、考える余地はほとんどありません。しかし、教育内容というのは自明でも不動でもなく、常にリフレッシュされるものです。グローバル化の進展とともに英語の学習が強化され、ICT/AI時代の本格化とともにプログラミング学習がカリキュラムの中心に入ってくるということからもわかるように、社会のあり方が変わることに伴い、教育課題・教育目標も変化ないし拡張して、それに伴って教育内容も再編成されます。時代とともに不要になる部分ももちろんあり、「私が中学生のころは普通に学んでいたのに、いつの間にか教科書から消えている」といった項目も、思いのほかたくさんあります。社会科とくに公民の内容が、社会状況に応じて変化するのはわかりやすいですが、みなさんの専門である理系教科もまた、科学や技術、そしてそれをとりまく社会状況の変化などに伴って、内容をリフレッシュしていきます。 学校の教育内容を時系列に沿って配置したものを教育課程(course of study)といいます。したがって、教育課程論という名の当科目では、教育の内容だけでなく、それをどのような順に配置するか、どのラインに配置するかといった点も重要になります。とくに高等学校段階では、教科のサブカテゴリとして科目があり、教科そのものはめったに変わらないものの科目のタイトルや切り分け方、必修パターンなどは約10年おきに変動します。自身が中高生だったころの経験に依拠して考えるのがナンセンスであるのはいうまでもありませんが、プロの教師になってキャリアを重ねるあいだに何度も科目構成などが変わりますので、そもそも何のためにそういう配置になっているのかという点を適切に理解しなければ、その時々の生徒に対して指導することはできなくなります。1年生のとき以上に、プロ寄りの視点が重視されることになります。 当科目は3部構成をとります。第1部は、教育課程とは何か、いかなる論理や原理に沿って編成されるのかということを考察します。かなり重要で、基礎的な内容ですが、ゼネラルであるぶん抽象的で、ふだんそのような頭の使い方をしていない人にとっては難解で混乱するかもしれません。しかしこれを突破して自身の頭で思考できるようにならなければ教育者の道は相当に厳しいと考えてください。第2部は、教育課程の基準として国(文部科学省)が示している学習指導要領の内容とその変遷、そして現行の(最新の)学習指導要領の要点を学びます。現行の学習指導要領は、中学校が2021年度、高等学校が2022年度から実施されているもので、すでにみなさんが中高生時代に学んだ内容、構成から変わっています。自分が学んだ内容が過去のものである、と考えると、学習指導要領の歴史(歴代の要点)を整理しつつ、最新のものの新しさや従来のものから受け継がれている部分などを検討することの意味や重要性がわかるのではないでしょうか。また2024年12月に文部科学大臣から中央教育審議会への諮問がおこなわれ、次期の学習指導要領の輪郭が少し見えてきたタイミングです。いままさに中教審において審議中であり、早ければ年度内(2026年3月ころ?)には、学習指導要領の骨格となる答申がおこなわれるものと予想されます。多くの受講生にとって、自分たちが学んでいないもの(現行版である平成29・30年度版)を飛ばして、さらにその「次」を見据えなければならないわけで、めぐりあわせとしては大変なのですけれど、前述したような変化や推移を捉えるという点では、他の学年よりもすぐれた専門性をもつことができるかもしれませんね。第3部は、現在の教育課程を構成する教科以外の領域を一つずつ取り上げて、教育課程上の位置づけやその特色、課題などを考察するブロックです。道徳教育、キャリア教育、総合的な学習(探究)の時間、特別活動、特別支援教育を取り上げます。これらに関しては、それぞれ個別の教職科目があり、4S以降で順次学んでいきますので、そのあらましを紹介するインデックスの意味を含みます。教育課程の全体像を捉えるために、あえて個別の内容を考えるという試みです。当科目では、教育用語が頻出します。「学校の先生」であれば誰でも普通に知っているが、生徒を含む一般人は知らない単語が毎回のように出てきます。意味は調べればすぐにわかりますが、位置づけや「意義」は一筋縄ではいきません。2年生になって、いよいよ教職課程の学びも本格化していきます。心と頭のギアを切り替えて臨むようにしてください。
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