古賀毅の講義サポート2024-2025

Programmes et cours d’étude

教育課程論


千葉工業大学工学部・創造工学部・情報科学部・社会システム科学部 教職課程
前期 土曜67限(14:00-16:00) 津田沼キャンパス 6号館 615教室


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2024(令和6)年度 教職科目における指導・評定方針

 

20247月の授業予定
7
6日 総合的な学習(探究)の時間の構想(2)
7
13日 教育課程と評価

 


次回は・・・
13-
教育課程と評価

学校教育には評価evaluation / assessment)がつきものです。これは生徒目線であったとしても、当たり前のように受け取るかもしれません。でも、あらゆる事業には評価がつきものであって、学校教育もそうした事業のひとつにすぎない、といったらどうでしょうか。たとえば株式会社は利潤を得ることを事業目的としますが、利潤を得るためには事業の計画を立て、実行しなければなりません。その結果として、想定したとおりの利潤を得られなかった場合には、計画または実行のプロセスのどこかに問題があったということになりますし、思いがない規模の利潤を得られたのであれば、それもプロセスのどこかに要因があったことになります。事業は1回(ワンサイクル)で終わるものではありませんので、次サイクルの事業をよりよいものにするためにも、計画・実行のプロセスに対する振り返りと分析が不可欠になります。これが評価です。評価には、計画・実行の当事者自身がおこなうものと、第三者が外部からおこなうものがあります。いま述べたものは、株式会社など世間一般の事業者における評価の意義と基本的な考え方ですが、これは学校教育にもそのまま当てはまると考えてください。当科目の主題である教育課程(course of study)は、時間的な幅と順序性をもたせた教育内容のリストのことを指しますが、それにもとづいて指導計画を立て、実践(たとえば「授業」)したのであれば、その成果や効果を検証して、計画や教育課程それ自体の妥当性を確認しなければなりません。これが教育評価educational evaluation / assessment)です。学校そのものに対する評価もありますが、最も重要なのは教育課程の評価ですね。

学校の教育活動を評価する際の最大の難しさは、何をもって成果があったとか、成功したとみなすべきかという点にあります。「この単元では一次方程式の解法を指導する。内容を生徒が理解し、一次方程式を適切に運用できることをめざす」というような目標を立てたとしましょう。当然ながら、完璧に理解してこなせるような生徒もあれば、解は求められるけれど立式ができない生徒もいますし、そもそも「移項ってなに?」というレベルの生徒だっているはずです。クラスの半数くらいの生徒ができるようならば成功なのか、全員がある程度まで理解できることが成功なのか。平均点が高いことを是とするのか、理解ゼロがないことを成功とみなすのか。もとより、初めに目標を設定するわけですから、評価はそれにもとづいておこなわれるというのが一般的です(目標に準拠した評価といいます)。しかしその目標も、近年の教育でいわれるような「個別最適の学び」なるものが真ん中に入ってくると、目標は生徒一人ひとりによって違うということになりかねません。集団指導である学校教育の性質とのズレやブレが問題になります。

さて、つい先日に英国の総選挙(下院=日本でいう衆議院)がおこなわれ、14年ぶりに労働党が政権を奪還しました。大きな流れでいうと、1979年 A保守党政権→1997年 B労働党政権→2010年 C保守党政権です。このうちAの時期の大半はマーガレット・サッチャーが、Bの大半はトニー・ブレアが首相を務めました。長期政権を築いた両者に共通するのは、教育改革への強い意志でした。サッチャーが本格的に導入し、政党は違うもののブレアが継承して発展させたのが、学校教育に対する数値評価です。要するに全国的な学力検査を実施して、生徒たちのスコアの高い学校や地域を成功、その逆を失敗とみなし、予算や教員人事の配分の根拠にするというものです。「教育の成否は数字ではない」とキレイゴトをいいたくなるところですが、サッチャーの施策はやはり強烈なインパクトを業界に与えました。国家の事業である公教育は、たしかに営利を目的とするものではなく、人々の学力を保障し、近未来の社会をつくっていくための公共の作用ですけれども、それゆえに、投入した人やお金(税金)が妥当であったかどうかの検証はシビアにおこなわなくてはならないといえます。この流れが21世紀の日本にも入ってきて、全国学力・学習状況調査(通称「全国学テ」)となりました。みなさんも小6と中3で受検したのではないかと思います。生徒目線だと「テストのひとつ」にすぎないでしょうが、あれは教育課程(学習指導要領)の妥当性を検証して、次の教育課程の立案に生かすためのものなのですね。



REVIEW 7/5

総合的な学習の時間は、私たちも一から組み立てるのは難しいため、総合の立ち位置をはっきり理解していない生徒たちが自由に活動するのは、より苦労するものになりうるということがわかった。枠組をつくるためにも、自分の専門教科外の先生方の知恵を借りて、協力し合い、よりよい時間としていく努力が大切だと思った。

今回、総合的な学習(探究)の時間で取り上げるテーマについて学び、そのテーマが非常に大切であることがわかった。たしかに生徒の気を引くテーマにしたいと思うが、そこに重点を置きすぎると授業としておこなう意味がなくなってしまう。したがって、身近な事例から知的な内容へつなげるため、あらかじめ入念な下調べと準備が必要であることがわかった。

教師は、総合的な学習の時間のテーマの案を出したり、学習をスムーズに進行させたりするだけでなく、生徒にとって接する機会の多いおとなとして、幅広い分野についてできるだけ深い知識があるとよいと思った。

前回の授業であまりつかめなかった総合的な学習(探究)の時間の具体的な内容を知り、それを通じて、この時間の本質的な意味をより理解することができた。

たしかに先生が総合的な学習の時間に指摘されたような動きをしていたなと思った。
総合的な学習の時間における教師の役割には、目標を立てることやフィードバックすることなど、こんなに準備や考えることがあるのだなと思いました。学習テーマを立案する際に、思考をめぐらせることや、いろいろな分野の広がりを意識し、協力して一つのテーマにしていくことが大切だとわかりました。

工業科出身で総合的な学習の時間についての想像がつきにくかったが、今回である程度全貌を理解することができた。

総合的な学習の時間では教員の一般教養や時事の知識がとても大切だなと思った。ネタの引き出しを集める習慣をいまからでもつけておく必要があると思った。

総合的な学習(探究)の時間では、教科とある程度のかかわりをもってテーマを決めていくことがより深い学びにつながっていくと思った。また総合のテーマを立案する際に、教科間をつなぐことにより、学ぶ意義などの発見につながると思った。

先生のつくった紙芝居風の動画はわかりやすく、またよく理解できた。テーマをどんどん広げていく必要があるのだと思った。
総合的な学習(探究)の時間の導入において、「身近でなじみ深いもの」(古賀先生のカレーのスライドのような)を取り入れるのは、生徒たちの興味・関心は集めやすいが、その導入から学習テーマにつなげていくとなると、教師の腕が試されることになると思った。

中学校や高校の総合的な学習の時間で調べ学習をしたとき、食べ物や好きなものを調べ、ただそれを羅列して発表しただけだった。教員になったら、いままでしてこなかった一歩先の学びをする必要があるので、そのための知識や考えを身につけていきたいと思った。

学習テーマの種類については、自分でも知りたい、学びたいというテーマもあるのではないかと思うが、同時にそのテーマから何を教えてどのような提案にしていくかも考える必要があるため、構成をしっかり考える必要があると思った。

総合的な学習の時間は、言葉が適切ではないかもしれないが、かなり組み立てるのが難しいものなのだと感じた。とくに私は日ごろから感想や意見などを「心がけ」でまとめることが多いので、総合的な学習の時間のテーマ設定においては、そうならないようにしたい。

 
飲食文化は生徒の関心を惹きやすいが知的な着地点や教科的な拡張性に留意しないと雑談に終わる
(左)英国式の朝食 いわゆる食パンをトーストにしたものが出る (右)フランス式の朝食 バゲット(フランスパン)を縦に二分したものが供される
主食であるパンのやわらかさの違いには、植民地における小麦の生産と移送という世界史的な大テーマがかかわっている
なお英国は紅茶、フランスはコーヒーがつくのが普通だが、茶もコーヒーも欧州では生産されていない
どこか別の地域の労働力を、その地域の主食ではなく先進国の食のために動員し、生産させているものである

 

人が、自ら学ぶというのはとても難しいと思った。とくに学習という場では、「勉強しなければ」という、テストのための学習になってしまう。内的動機をしっかりと立てさせたい。

たしかに、自ら進んで何かの課題を探すということはあまりしてこなかったし、やろうともしなかった。学びから逃げる、学んだふりをすることがほとんどなので、これからの教育の課題はそこだと思う。

生徒が興味をもつ授業テーマというのは、考えれば考えるほど難しいと感じる。

総合的な学習の時間において、学びたいことを学ぶという生徒の主体性にゆだねることは困難であるが、このことを当然だと思ってしまう生徒目線でいることも危険である。教師側で学習テーマを設定する際には、多くの教員やおとなと協働で設定し、複数の教科の視点で練り込むことが必要だと考える。

生徒の興味・関心を引くような話題を総合的な学習の時間に取り入れると、本来の目的を見失い、趣味などと変わらないものになってしまうから、それは不可能だと思った。

テーマの設定については先生と同意見である。自分で見つけられる生徒は見つけさせて、見つけられない生徒は背中を押してあげるべきだ。
・・・> それは同意見ではないよ。私の考えは「自分で見つけられる生徒は見つけさせ」るのではなく、自分で見つけた感じに誘導するということです。

自ら課題を見つけるという理想に対し、生徒側に合わせず教師側が大まかな枠組をつくり、生徒がやりたいことをやっていると錯覚させるやり方はとてもよいと考えた。子どもは自分がやりたいことをやっているときにいちばん成長するため、この方法なら生徒の能力を向上させることができると考えたからだ。

生徒の主体性に完全にゆだねると、何をすればよいか見当がつかなくなる。自分たちで決めたと思えるようにテーマを設定する。その設定も、さまざまな生徒がありさまざまな興味があることを考慮して、多角的に取り組めるように、情報を仕入れていく必要があると思った。

いま思えば総合の学習テーマは自分たちで決めていたように思う。総合的な学習の時間は、各教科のテーマを考えるうえでも大事なことであると気づいた。総合のテーマ設定をおろそかにしてはいけないと思った。

生徒にある程度の選択肢を提示するためにも、多角的な視点が必要であり、そのために知恵を持ち寄ったり専門外のことでもやってみたりすることが大事であると思いました。

総合的な学習の時間は、教員がいっさい教えずに共に学ぶ、という形でも成り立ちますか。
・・・> 理屈のうえでは成り立ちますが、実際には難しいでしょうね。教員の役割のところを振り返ってください。それを考えるだけでも、まあ無理でしょう。

 
(左)公民権運動の指導者マーティン・ルーサー・キング牧師(ワシントンD.C.) (右)日本で初めて実測地図を作製した伊能忠敬(佐原駅前)

 

私にも「知のスパーク」が起こったことがある。やはり他の教科とのつながりに気づいたときは、表現しがたい爽快感があり、学びが楽しくなる。いまの高校生にもぜひこの感覚を味わってほしい。また、気づいたあとで知識が自分のものになったという感覚があるので、とても重要なことだと思う。

いまの総合的な探究の時間は、教科の学びと絡めメインカルチュアを深めるものであり、それを生徒の興味・関心を軸にしたところで知的な学びを得ることはできないということを知った。
・・・> メインカルチュアを深めるもの、ではありません。それはあくまでサブカルチュアを処理する際のアプローチの問題。

総合科目も中学校→高校とつながった教科のため、中学校では地域社会を、高校では世界などの大きなテーマに変わるべきだ。総合探究のテーマは結果的に教員が定めることが多い。特活、ある一つのみの探究(つながりのないもの)にならないようにする必要があるということを学んだ。
・・・> 中学校で地域社会、高校で世界を学ぶ、というのは私の趣旨とはまったく違います。違ってもかまわないですが、それでいいですか? また総合的な学習(探究)の時間は、教科でもなければ科目でもありません。3Sも終わりかけていますので、そろそろ学校教育の枠組や言葉遣いをきちんと心得るようにしましょう。

ひとりでテーマを決めることは難しく、専門の範囲から抜け出しにくい。他の教員と協力してテーマを決めたら専門外の意見も聞けるけど、テーマ決めの段階で対立が起きたら話がまとまらないと思う。ある程度の着地点を決めないと、ディベートとして機能しないから、授業のテーマとして設定してよいものなのだろうか。
・・・> 授業内容として教員同士が対立する(論する)のは大いに結構ですが、テーマ決めで決着できないものを持ち込んで生徒に学ばせるのは不遜というか、職業倫理にもとるのでは?

生徒の主体性について、疑問をもたせるというのは生徒が受身にならないが多少リスクのある方法であると考える。生徒に「○○はどうして××なの?」等の疑問をもたせ、その疑問を教師とともに解決していくという活動が発生する。しかしそのあと多くの場合、X=Yのようにプロセスを無視しておこなうことがある。たとえば図形の合同問題について、「方法」を学んでしまえば、内容を理解していなくても「二角挟辺相等」「三辺相等」などと教科書どおりに書けば解けてしまう。これが、私が挙げたリスクの部分である。「どうやって解く?」→「なぜそうなる?」というように、その次の踏み込んだ疑問をもたせ、説明できるようにする。つまり、深い疑問をもたせ理解したことを説明できるような授業をおこなえばよいと思った。

高校生のときの総合的な学習の時間で、いろいろな科目の先生がオムニバス形式で、ファストフードのよい点や問題点について説明し、それを受けて生徒同士で意見交換した。既知を未知につなぐ内容であり、先生方でよく話し合って構成された授業だったなと思う。

「ひとまずのゴール」の設定の難しさがわかった。場所や建造物にフォーカスしすぎなのではと思っていたので、スティーブ・ジョブズの話がとても共感できた。

総合的な学習の時間に人物についての学習を取り入れるというのは、先生のいうとおりあまり聞いたことがないが、とてもおもしろいことであると思う。有名・無名を問わず、人物について知ることは、何かの分野を学ぶにあたりその意欲につながったり、目標になったりする。これはまさに総合的な学習の時間の意義であると考える。

私も、複数のクラスが協働で総合的な学習をおこなうのはよいことだと考える。同じテーマで何かに取り組み、クラスごとに発表するというのも、クラスごとの特色が出て有意義な時間になりそうだ。以前から、総合を指導するには自分の専門とは異なるさまざまな知識をたくさんもっておきたいと思っていたが、今回の授業を通してあらためて必要なことだと思った。

私は工業の免許を取得しようとしているが、工業的な視点で考えると、歴史的な方向や環境問題、法律などと結びつけやすいと思った。

総合的な学習の時間の授業では、ある教科で得た知識を他の教科で学んだ知識とつないでいかなければならないので、教師自身も他教科を学んだり、他の先生とともに考えて授業の構成をつくるべきであり、生徒に学ばせるためには自身も学びつづけなければならないと思う。

専門として学んでいることも、歴史的に根本をたどると、本来地続きになっている自然から、人間がこれを理解するために恣意的に分離したものと考えることができるのだと、大学に入学してから学んできました。私が専門として知っていることが、本来の自然に対してどこに当たるのか、知らないことは何かを知るということは、結局知っていることをより知ることにつながるのだと思います。うまく言語化できませんが、このようなニュアンスの概念を、総合的な学習の時間では直に扱うことになっているのだと考えました。
・・・> それを紀元前に言語化したのは孔子大先生。論語にこういう箇所があります。「子曰、由、誨女知之乎。知之為知之、不知為不知。是知也」 読み下しと意味は生成系AIに聞いてください。


古賀が高校でたまにやるハンズフリー授業
教員がいっさい介入せず生徒の問題提起とディスカッションの展開に全面的に依拠する
これ以前の授業での雰囲気づくりと知的構築の方法の共有が成否のカギ

 

学生であるいま、古賀先生のようにあらゆることに興味をもつことで、何十年後になっても楽しい人生になると思います。また興味をもつことで専門ではないことも知識として獲得できると思うので、それらを土台に思考していきたいです。この経験をもとにしながら、知らないことは生徒と一緒になって取り組んでいきたいです。

総合的な学習の時間の、教科との結びつけ方や特活との連携は、どうすればよいのか少しずつ理解できたが、実際に授業として展開するのはかなり難しいと思った。

総合的な学習の専門家はいたほうがいいと思った。どんな小さいことにも専門的に学んだ人はいるので、先生に教える先生がもっと増えるといいと思う。
総合的な学習についての、教師に対しての講義などがあるといいと思った。
・・・> 甘ったれるでない(笑)。教師がみずから課題を見つけて学ぶことを放棄して、研修の先生に習おうという姿勢で、生徒が主体的に学ぶと思いますか? でも現場で訳がわからなくなったら研修の講師を(有料で)引き受けますから呼んでね(大笑)。

総合的な学習の時間は、専門外の内容であることから、生徒とともに学ぶ姿勢が大事であるということがわかった。

中・高の教員には教科外教育が苦手な人が多いと思われている。総合などでやる内容は、社会の歴史や地域社会のことであるため、教科のことだけでなく常識などもしっかり知っておかなければいけないかなと思う。

総合的な学習の時間の指導スキルが教科の指導力に直結するということが腑に落ちた。自ら学ぶことを促せるかどうか教師としての力が試されるところなんだなと思った。

学習観・教師像のシフトということに関して「生涯学びつづける教師」というキーワードに深く共感した。たしかに私が中学校で学んでいた総合では、明確な答えをもつ問いはほとんどなく、われわれの意見をもとに生徒と教師で答えを探究するという内容であったからだ。

教師も進みつづけることが重要であると再確認することができた。教師自身が殻にこもっていては、成長にもいずれ限界が来る。教師もタコツボ化するのは避けるべきだと考えた。

 

 


開講にあたって

教育課程論は、教職課程のうちいわゆる教職専門性(担当教科にかかわらずすべての教員に共通する専門性)の形成にかかわる科目のひとつです。おおまかにいえば、2S教育原理が教育の目的・目標、この3S教育課程論が教育の内容5S教育の方法・技術とICTが教育の方法を学びの対象としますので、目的・目標を踏まえた教育内容educational contents)を考える、ということになります。ただ、教育の内容といってもピンとこないことが多いかもしれません。学校種によっても、教科によってもさまざまですし、広がりがかなりあります。また、生徒目線で考えると、教育の内容というのは初めから決まっていて(決められていて)、個々の教師はそれを順に教えていくだけだ、というふうに捉えている人もあることでしょう。たしかに生徒としては、先生が繰り出してくる内容を順に学び、消化していくのが常で、そこにどんな論理や特色があるのかなど、考える余地はほとんどありません。しかし、教育内容というのは自明でも不動でもなく、常にリフレッシュされるものです。グローバル化の進展とともに英語の学習が強化され、ICT/AI時代の本格化とともにプログラミング学習がカリキュラムの中心に入ってくるということからもわかるように、社会のあり方が変わることに伴い、教育課題・教育目標も変化ないし拡張して、それに伴って教育内容も再編成されます。時代とともに不要になる部分ももちろんあり、「私が中学生のころは普通に学んでいたのに、いつの間にか教科書から消えている」といった項目も、思いのほかたくさんあります。社会科とくに公民の内容が、社会状況に応じて変化するのはわかりやすいですが、みなさんの専門である理系教科もまた、科学や技術、そしてそれをとりまく社会状況の変化などに伴って、内容をリフレッシュしていきます。

学校の教育内容を時系列に沿って配置したものを教育課程course of study)といいます。したがって、教育課程論という名の当科目では、教育の内容だけでなく、それをどのような順に配置するか、どのラインに配置するかといった点も重要になります。とくに高等学校段階では、教科のサブカテゴリとして科目があり、教科そのものはめったに変わらないものの科目のタイトルや切り分け方、必修パターンなどは約10年おきに変動します。自身が中高生だったころの経験に依拠して考えるのがナンセンスであるのはいうまでもありませんが、プロの教師になってキャリアを重ねるあいだに何度も科目構成などが変わりますので、そもそも何のためにそういう配置になっているのかという点を適切に理解しなければ、その時々の生徒に対して指導することはできなくなります。1年生のとき以上に、プロ寄りの視点が重視されることになります。

当科目は3部構成をとります。第1部は、教育課程とは何か、いかなる論理や原理に沿って編成されるのかということを考察します。かなり重要で、基礎的な内容ですが、ゼネラルであるぶん抽象的で、ふだんそのような頭の使い方をしていない人にとっては難解で混乱するかもしれません。しかしこれを突破して自身の頭で思考できるようにならなければ教育者の道は相当に厳しいと考えてください。第2部は、教育課程の基準として国(文部科学省)が示している学習指導要領の内容とその変遷、そして現行の(最新の)学習指導要領の要点を学びます。現行の学習指導要領は、中学校が2021年度、高等学校が2022年度から実施されているもので、すでにみなさんが中高生時代に学んだ内容、構成から変わっています。自分が学んだ内容が過去のものである、と考えると、学習指導要領の歴史(歴代の要点)を整理しつつ、最新のものの新しさや従来のものから受け継がれている部分などを検討することの意味や重要性がわかるのではないでしょうか。第3部は、現在の教育課程を構成する教科以外の領域を一つずつ取り上げて、教育課程上の位置づけやその特色、課題などを考察するブロックです。道徳教育、キャリア教育、総合的な学習(探究)の時間、特別活動、特別支援教育を取り上げます。これらに関しては、それぞれ個別の教職科目があり、4S以降で順次学んでいきますので、そのあらましを紹介するインデックスの意味を含みます。教育課程の全体像を捉えるために、あえて個別の内容を考えるという試みです。当科目では、教育用語が頻出します。「学校の先生」であれば誰でも普通に知っているが、生徒を含む一般人は知らない単語が毎回のように出てきます。意味は調べればすぐにわかりますが、位置づけや「意義」は一筋縄ではいきません。2年生になって、いよいよ教職課程の学びも本格化していきます。心と頭のギアを切り替えて臨むようにしてください。


<当科目で使用するテキスト>
A
古賀毅編著『教育原理』、学文社、2020
B
古賀毅・高橋優編著『教育の方法・技術とICT』、学文社、2022
Aは教育原理で使用したものです。主に第5章〜第7章の内容を学びます。B5S教育の方法・技術とICTでも使用します。当科目では主に第3章の内容を学びます。

学習指導要領および学習指導要領解説は随時紹介します。下のサイトから各資料にアクセスできます。書籍版もありますので希望者は購入してください。
https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/1384661.htm

 

<評価>

提出物(レポート)の内容により評定します。
出欠はとりませんし、評定には組み込みません。ただし欠席がちの学生が当科目で単位を修得するのは相当に困難であると心得てください。

 

 


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