古賀毅の講義サポート2026-2027
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2026(令和8)年度 教職科目における指導・評定方針
2026年6月の授業予定
6月6日 道徳教育の構想
6月13日 キャリア教育の構想
6月20日 総合的な学習(探究)の時間の構想(1)
6月27日 総合的な学習(探究)の時間の構想(2)
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2回にわたって総合的な学習(探究)の時間(Periods for Integrated Study or
Research)について、その目標や趣旨、教育課程上の位置づけ、運用・実践上の課題などを検討します。これまで取り上げてきた道徳教育とキャリア教育は、「要」としての時間はあるもののその時数は少なく、教育活動全体を重ねる全面主義的な部分をもっていました。これに対して総合は、ここからここまでが総合ですという範囲が非常に明確で、しかも結構なボリュームをもっています。教育課程上の位置づけを理解すること自体にまったく困難はありません。ただ、道徳やキャリアと共通する問題として、とくに中等教育の教員が「教科の専門家」であり、その教科専門性と一致しない部分がかなりあるという点が挙げられます。また、学習の目的・目標については明示があるものの内容は基本的に学校側にゆだねられていますから、教科指導とは異なって、「何を学ぶのか」というところから準備しなければなりません。前述した明確な時数配当とあいまって、しっかりとした目的をもって準備すれば大きな教育効果が得られ、学校の独自性や個性を出すことにもつながり、準備や運用がいい加減だと時間の浪費のように受け止められかねない、なかなかシビアな枠組でもあります。受講生のみなさんの中には、総合を好意的・肯定的に受け止めている人と、その逆の人があることでしょう。それはおそらく児童・生徒時代の経験による判断だと思われます。賛否や好悪、是非の判断が分かれることが予想されます。それだけ、ムラがあるし課題も大きいといえます。 総合は、現在の教育課程の中では新しい領域です。といっても、最初に中教審で提唱されたのが1996年ですから、構想段階からもう30年くらいは経過しています。学習指導要領に実装された最初は、平成10・11年版でした。「ゆとり」批判で炎上してしまった例のバージョンですが、総合もその炎上とかかわりがないわけではありません。年間授業時数を削減しておきながら総合的な学習の時間という新しい枠をかなりの分量で突っ込んだため、主要教科の時数が過度に減らされ、学力低下が余計にひどくなる、という批判が多かったのです。その時点ではまだ実施していないわけですから、非難はとばっちりに近く、総合は何もはじまっていない段階で不満や苦情をぶつけられる対象になってしまったのでした。ただ、従来の学校教育にはないコンセプトの実践を組み込もうとしたわけですから、文科省(2001年までは文部省)もその意図や趣旨をもう少しわかりやすく説明して、合わせて各種の研修の機会などを設けるべきでした。仕事柄いろいろな先生とお話しする機会がありますけれど、総合についてほとんどわかっていない教員が思いのほか多かった印象です。現在は教職科目にも組み込まれていますが(本学では5S 総合的な学習(探究)の時間の理論と実践)、これが新設されたのは2019年度入学生からで、それまでの約20年間は、総合で何をどうやって指導するのかという学習がないまま、教員は指導にあたっていました。教員養成にしてからがこれですから、それ以前から教壇に立っていた先生方があらためて新領域の指導について学ぶ機会はほとんどなかったのです。総合の質にブレや幅があるのは、そうした運用上の問題も大きかったと思います。 私(古賀)は、実は古参?の総合の専門家でもあります。大学の助手だったときに平成10・11年版学習指導要領が告示され、新しい領域としての総合に強い関心をもって研究し、いくつかの論文や共著書を出しています。この領域の運用がはじまった当初は、期待と心配が入り混じった気持ちで状況を見守っていたのですが、やはりというか、自分が思っていたのとは違う方向に走り出してしまっているのを見て、残念に思ったものでした。これについても、新しい領域であり教科とは違った従来にないコンセプトなのだから、おかしな方向に行かないように国がもう少し注意を払うべきではないかと思っていました。新しい領域を自分たちの考えるほうに引きずっていこうとする勢力?が、どうしてもありますからね。いったんは総合の廃止も覚悟したのですが、現行版(平成29・30年版)ではまさかの大復活で、しかも重点化するということになっています(そのあたりの経緯や私の立場は、『教育原理』7.1をお読みください)。なお平成30年版から高校だけ名称が総合的な探究の時間に変わっています。現2年生の多くは、この「探究」の1期生であろうと思われます。 REVIEW (6/6) 6月13日・20日のレビューは遅れて更新します。しばらくお待ちください。 ●高校では道徳教育はおこなわれていないと思っていたが、実際には各教科や特別活動、総合的な探究の時間などを通して道徳性を育成していることを知り、認識が大きく変わりました。(認知) ●高等学校は全面主義道徳教育になっているということに驚いた。道徳がないのではなく、すべて道徳と関係しているというのがおもしろかった。(高度) ●高校に道徳はないのではなく、他の教科と横断的に、学校全体で教えていくということを知った。専門の教科と道徳の要素をどう結びつけていくか考える必要があると思う。(情工) ●教科だけでなく総合や特別活動すべてが道徳教育。たしかに高校では道徳はおこなわれていないが、教員が道徳を教えられなければならないというのは納得した。私立中学校で宗教を教科としているところでは道徳を代替できるというのがおもしろい。(応化) ●たしかに道徳の授業を思い出そうとすると、小学生のころの記憶しか出てこなかった。高校教師が担当教科と道徳を教えているのは、日常生活でかかわる機会が多いためでもあると思った。 ●現在の日本の道徳教育は、特別の教科 道徳を要として、各科目や特別活動でも指導する、全面主義道徳教育であると学んだ。これから道徳教育を指導できるように、学んでいこうと思った。(応化)
●理科や数学を教えて、それとは別に道徳を教えるのではなく、同時に道徳を教えるという部分がとても重要だと感じた。道徳は論理的に考える力が必要だということが頭に残りました。(高度) ●当たり前のことではあるが、教員になる身として、教育課程は頭にインプットしておかなければならないと思った。高校(工業)の教員として、課題研究棟を通しての道徳教育を担えるようにしておかなければならないと感じた。(機械) ●特別の教科 道徳に変わったことで、どのように生徒の学びにつながっているのかを調べてみようと思った。自分の専門教科を教えながら、授業の中で生徒の道徳教育をしなければならないというのは大変だなと思った。(応化) ●今回の授業を受けて道徳教育の重要性がよく理解できました。やはり高校の教員は、教科と道徳を結びつけていくべきですし、おとなになるための人格形成のためにそれを使って考えるべきだと考えました。(経デ)
●中等教育では指導者が「教科の専門家」であるため、全面主義では道徳教育が薄まりやすくなるというジレンマは、納得でした。だからこそ中学校では全体を補充・深化・統合する「要」として、特別の教科を設置する意義があるのだと腑に落ちました。(都市) ●道徳教育の「要」について、各教科・領域に含まれる道徳教育的要素が集まって「要」となっている扇の例がわかりやすかった。「要」についてわかっている状態で授業を担当したいと思う。(認知) ●道徳の時間が要であるというのは強く同意するが、一方で普段の学校生活や人間関係(トラブルなど)が一番の道徳教育なのではないか。(認知) ●道徳教育が、特別の教科だけでなく学校全体の教育活動に広くかかわっていることを学び、全面主義について理解することができました。高校の道徳は、各科目の学習の中に組み込まれていることを知って驚きました。(認知) ●高校における道徳教育と聞いて、私立学校の宗教教育を想像したが、小学校から高校まで全面主義道徳教育がおこなわれているということを学び、認識を改めることができた。(認知) ●高校の免許を取るということは道徳も教えられなければならないことを意味し、学校での教育活動全体で道徳教育をおこなうということを、教師として意識しなければならないと思った。全面主義道徳教育は、他の教科と同時におこなうことで、他との結びつきを意識しやすい一方で、教師側がそれを意識した指導をしなければ生徒は気づかないという問題が大きいのではないかと考えた。(認知) ●各教科、総合的な探究の時間及び特別活動は道徳教育の役割をも担う、という部分について、そのような設定があるのだなと思った。教科によって学ぶ内容が違うため、教師になるために内容に結びつくような道徳的考え方をどう生徒に伝えるのかも意識しておく必要があると考えた。そう考えると、小学校の先生はほぼすべての分野を教え、児童が幼いことから、高校以上に大変で、その責任も重いのだろうと考えた。質も違うとは思うが。(認知) ●私立中学校には宗教という教科がある場合がある。宗教の授業がどういうものなのか経験として一度受けてみたいと思った。(応化) ●宗教系の学校では道徳を宗教で置き替えられることを知ったが、その宗教についてはドイツと同様に宗教者が教えるのか気になった。私が学んできた道徳の記憶だと、どこか国語と似た、登場人物の心情や物語のメッセージ性について考えさせられることが多く、形式的な授業だったのだと今回再度考えることができた。(高度) ●小学校のころ道徳の時間がすごく好きだったのにどうして中学ではなくなったんだろうと思っていました。一応概念というか、相当するものはあったのだと知って驚きました。(認知) ●道徳で使用されていた図書は教科書として分類されているのではなく、副教材であることに衝撃を受けた。(高度) ●学校で使っていた道徳の本は、「特別の教科」の書であることに驚いた。道徳を教える難しさを考えるときが重い。(高度) ●高校での道徳教育の記憶がなかったが、いろいろなところで道徳教育を受けていたということがわかって驚いた。生徒会活動などはよく考えれば道徳教育そのもので、高校からでないと全面主義は難しいというのも、とても実感できるような気がした。(都市) ●高校の学習指導要領には全面主義道徳があるが、小・中学校のような特別の教科がなく、授業を受けた記憶がなかったので、学習指導要領に少し違和感を覚えた。(機械)
●各教科・科目と道徳教育が、それぞれ別ものであるとして捉えられないようにするには、教育活動全体を通じて道徳教育をおこなうという考えを教員側が常にもつべきであり、より高度化する青年期の道徳について理解するには。教科の専門家として担当教科を科学的・論理的視点で教えることが土台となりえるのではないかと考えた。(情工) ●指導計画の立案時に全面主義的な授業づくりをしなければならないので、少し自分でも研究しなければと思った。でも、学校全体で取り組むことだから、決して一人で抱え込まないようにする。(認知) ●各教科にちりばめられた道徳的な要素が道徳によってまとめられていく構造はよく理解できたが、ほとんどの高校で特定の時間を設けていない道徳は、小・中で明確に学ぶセットとして学んだ道徳とのギャップを、生徒たちは感じるのではないかと思った。(機械) ●私立高校に通っていたが、高1のとき1年間だけ哲学という授業があった。東洋大学の創立者である井上円了がごりごりの哲学者であったため、週1で時間割に組み込まれていたが、そもそも哲学は宗教に入るのか気になった。(機械) ●高校の道徳教育は、教科よりも部活内で教わった印象が強かった。逆に中学ではちゃんと道徳の授業があって、わりとおもしろかったイメージだ。宗教者が道徳を教えるのは絶対に無しだと思った。公立学校の生徒と宗教者だと、生きてきた世界がまったく違うから、よくないと思った。宗教的な授業をしている学校ならよいと思った。(認知) ●高校には道徳科は存在しないが、全面主義道徳教育として学校の活動全体を通して道徳教育をおこなっているので、それぞれの教科で倫理的なことを教えたり対話したりすることが必要なのだと考えた。(高度) ●教科での学びや活動を通して道徳教育をしっかりおこなえているのか疑問に思った。(応化) ●どの教科でも道徳はベースになるのだと思った。宗教と教育を、外国ではどう結びつけているのか、調査したい。(高度) ●道徳を教科にするかどうかの昭和22年の議論の中で、道徳が本当になくなっていたら、いまの教育はどうなっていたのか、全面主義があるとないとで、5教科の内容はどこまで変わるのか気になりました。(高度) ●教育課程からみた全面主義の問題点として、折々の意識づけやアウトプットなどがないと全体を通じて学んでいるということ自体を生徒も教師も忘れがち、という点が挙げられた。これは今の教育現場にも多いケースであると考える。教師自身が、この授業はなんのためにするのかというのをしっかりと認知し、それをベースにした授業づくりをしないと、この問題点のようなことが発生するのではないかと考える。(応化) ●他の教科とは異なり、専門の教員のいない道徳は、他の教科と比較すると教科専門性が優先されやすい中で、扱いが難しいと思いましたが、教育活動の「要」となっていたことは初めて知り、各教科に道徳教科的な要素が含まれていることに驚きました。またこの教科をめぐって、再教科化など最近まで頻繁に手を加えられていたこともあり、その重要性を理解しました。(経デ)
●中学校でも当初は全面主義だけであったが、道徳の時間がつくられた理由として、中学生に対してわかりやすさを意識した結果であると考える。しかし、わかりやすさを意識すると、科学的・論理的な思考にもとづくという考え方がほぼなくなってしまったのではないかと思う。だから、あくまでも各教科の延長や、それにもとづく道徳教育をしなければならないと考える。(認知) ●道徳の教科書に載っている題材で、「学級規模で何かをする際にどうしても協力しない人がいてもめごとになるが、なんとか説得して改心させる物語」があるが、その物語の中ではかなりスムーズに説得に応じていた。しかし現実は簡単に事が進まず、むしろ逆ギレされるのが普通でさえある。ここで、こういった題材に必要なのは、半分理想論のような展開ではなく、あえて逆ギレのような展開にして、反面教師として取り扱うのもありなのではないかと思った。(認知) ●新教育でも課題とされている教員の質の低さが、全面主義でも存在している。私は「教科の専門家」としてどのように道徳教育にかかわれるのかを考えていこうと思う。AIや認知科学と社会とのかかわりを、研究を通して理解していきたい。(認知) ●高等学校の中でも、学校生活や各教科を通して道徳教育がおこなわれていることがわかった。私は、道徳という授業が高校にあってもよいと思った。最近はインターネットの普及により自分ひとりでは判断するのが困難なときがあるので、教師がいままで以上にしっかりと教育していく必要があると考えたからである。(機械) ●中等教育の道徳は、単なる個人の心がけではなく、生命倫理やコロナ禍の自由の制限など、おとなでも判断に迷うテーマを扱います。客観的・論理的思考ができる発達段階に合わせ、科学や論理と結びついた道徳的思考を促すことの重要性を学びました。(都市) ●現在、倫理の科目は人気がなく公共の教科書はよく売れているとおっしゃっていましたが、次の学習指導要領の数学再編のように、公共と倫理が一本化される可能性もあるのでしょうか。(応化) ●私が通っていた中学校が中高一貫校で、宗教系の学校でもなかったのに、道徳の授業がありませんでした。一度先生に「なぜ道徳がないのか」と聞いたところ、授業時間数がない?といわれたことがあり、これは学習指導要領違反か、平成20年版の学習指導要領で止まっているのではないかと思いました。いまはどうなっているのか知りません!!
(高度) ●技術と道徳・倫理に接点が多くあった。とくに軍事転用の話がわかりやすかった。教えるときに、よい面だけでなく悪い面を教える。そのうえで、それをどう活用するのかの判断基準を養うことにもなると思った。(経デ)
教育課程論は、教職課程のうちいわゆる教職専門性(担当教科にかかわらずすべての教員に共通する専門性)の形成にかかわる科目のひとつです。おおまかにいえば、2S教育原理が教育の目的・目標、この3S教育課程論が教育の内容、5S教育の方法・技術とICTが教育の方法を学びの対象としますので、目的・目標を踏まえた教育内容(educational contents)を考える、ということになります。ただ、教育の内容といってもピンとこないことが多いかもしれません。学校種によっても、教科によってもさまざまですし、広がりがかなりあります。また、生徒目線で考えると、教育の内容というのは初めから決まっていて(決められていて)、個々の教師はそれを順に教えていくだけだ、というふうに捉えている人もあることでしょう。たしかに生徒としては、先生が繰り出してくる内容を順に学び、消化していくのが常で、そこにどんな論理や特色があるのかなど、考える余地はほとんどありません。しかし、教育内容というのは自明でも不動でもなく、常にリフレッシュされるものです。グローバル化の進展とともに英語の学習が強化され、ICT/AI時代の本格化とともにプログラミング学習がカリキュラムの中心に入ってくるということからもわかるように、社会のあり方が変わることに伴い、教育課題・教育目標も変化ないし拡張して、それに伴って教育内容も再編成されます。時代とともに不要になる部分ももちろんあり、「私が中学生のころは普通に学んでいたのに、いつの間にか教科書から消えている」といった項目も、思いのほかたくさんあります。社会科とくに公民の内容が、社会状況に応じて変化するのはわかりやすいですが、みなさんの専門である理系教科もまた、科学や技術、そしてそれをとりまく社会状況の変化などに伴って、内容をリフレッシュしていきます。 学校の教育内容を時系列に沿って配置したものを教育課程(course of study)といいます。したがって、教育課程論という名の当科目では、教育の内容だけでなく、それをどのような順に配置するか、どのラインに配置するかといった点も重要になります。とくに高等学校段階では、教科のサブカテゴリとして科目があり、教科そのものはめったに変わらないものの科目のタイトルや切り分け方、必修パターンなどは約10年おきに変動します。自身が中高生だったころの経験に依拠して考えるのがナンセンスであるのはいうまでもありませんが、プロの教師になってキャリアを重ねるあいだに何度も科目構成などが変わりますので、そもそも何のためにそういう配置になっているのかという点を適切に理解しなければ、その時々の生徒に対して指導することはできなくなります。1年生のとき以上に、プロ寄りの視点が重視されることになります。 当科目は3部構成をとります。第1部は、教育課程とは何か、いかなる論理や原理に沿って編成されるのかということを考察します。かなり重要で、基礎的な内容ですが、ゼネラルであるぶん抽象的で、ふだんそのような頭の使い方をしていない人にとっては難解で混乱するかもしれません。しかしこれを突破して自身の頭で思考できるようにならなければ教育者の道は相当に厳しいと考えてください。第2部は、教育課程の基準として国(文部科学省)が示している学習指導要領の内容とその変遷、そして現行の(最新の)学習指導要領の要点を学びます。現行の学習指導要領は、中学校が2021年度、高等学校が2022年度から実施されているもので、すでにみなさんが中高生時代に学んだ内容、構成から変わっています。自分が学んだ内容が過去のものである、と考えると、学習指導要領の歴史(歴代の要点)を整理しつつ、最新のものの新しさや従来のものから受け継がれている部分などを検討することの意味や重要性がわかるのではないでしょうか。また2024年12月に文部科学大臣から中央教育審議会への諮問がおこなわれ、次期の学習指導要領の輪郭が少し見えてきたタイミングです。いままさに中教審において審議中であり、年度内(2027年3月ころ?)には、学習指導要領の骨格となる答申がおこなわれるものと予想されます。第3部は、現在の教育課程を構成する教科以外の領域を一つずつ取り上げて、教育課程上の位置づけやその特色、課題などを考察するブロックです。道徳教育、キャリア教育、総合的な学習(探究)の時間、特別活動、特別支援教育を取り上げます。これらに関しては、それぞれ個別の教職科目があり、4S以降で順次学んでいきますので、そのあらましを紹介するインデックスの意味を含みます。教育課程の全体像を捉えるために、あえて個別の内容を考えるという試みです。当科目では、教育用語が頻出します。「学校の先生」であれば誰でも普通に知っているが、生徒を含む一般人は知らない単語が毎回のように出てきます。意味は調べればすぐにわかりますが、位置づけや「意義」は一筋縄ではいきません。2年生になって、いよいよ教職課程の学びも本格化していきます。心と頭のギアを切り替えて臨むようにしてください。
学習指導要領および学習指導要領解説は随時紹介します。下のサイトから各資料にアクセスできます。書籍版もありますので希望者は購入してください。 <評価> ●提出物(レポート)の内容により評定します。 |