古賀毅の講義サポート2024-2025
Programmes et cours d’étude 教育課程論
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2024(令和6)年度 教職科目における指導・評定方針
2024年4〜5月の授業予定
4月27日 教育内容と人間形成
5月11日 学習指導要領とその変遷(1):試案期〜昭和52・53年版
5月18日 学習指導要領とその変遷(2):平成元年版〜平成20・21年版
5月25日 現行学習指導要領の要点と特色
教職課程の大学生というのは、依然として学ぶ側(student)でありながら、教える側(teacher)の視点で考える、という、結構難儀なポジションでもあります。学びながら、自身の学びを突き放して、一枚外側から捉える、という習慣をつけましょう。それでいうと、いま大学でみなさんが学んでいることは、これからの自身の生活や人生において、何に資するものだと考えられるでしょうか。一般人は「○○のために学ぶ」というふうに、学びの目的を掲げることが多いです。なんらかの職業に就くためとか、資格を取るためとか、あるいは自分の好きな分野をとことん深めるためとか。学びの先にあるものがそれら(だけ)だとすると、学習という行為は具体的な目的や成果とセットである、ということになります。乱暴に言い換えると、いま学んでいることが何の役に立つのか、という点をクリアにする、ということでしょう。で、実際に、「これを学んで何の役に立つんだよ!」というふうに思ったり、発言したりしたことが一度ならずあるのではないでしょうか。高等学校以上になると、ことはそう簡単ではないので、授業本編ではもう少し丁寧に扱いましょう。 たとえば数学を例にとります。率直にいって、数学くらいいろいろな分野にはめ込まれて活用される教科も他にはなく(国語が同等かな?)、それは工業大学の学生になると、どの学部学科に属していても実感としてわかるはずです。中高生のころ、数学が好きだ、得意だと思っていた人であっても、「ああ、こんなふうに使うんだ」と大学生になってわかってゾクゾクしました、ということはあるだろうと思います。試みに、教育課程論の教室でグループ討議でもさせてみれば、ほぼ全員がそんな感触を共有できて、数学は大事だよね〜という結論になることでしょう。でも、それは工業大学だからかもしれない。中高生の過半以上は文系ですし、スポーツ系や芸術系ですし、大学には進学しない人も半数近くあります。「数学なんて使う機会がない」と、たぶん彼らは考えますし、実際に多くはそうです。数学の先生になって現場に降り立ったら、実際にはそうした生徒のほうが多いので、あなたがつかみかけた「数学は使える」という感触が吹き飛ぶかもしれません。「歴史や古典なんて何の役にも立たないし、おもしろくない」と生徒時代に思っていた人も少なからずいることでしょう。同じことを、数学や理科に対して、文系の生徒はいうかもしれない。いや、いっています(笑)。どの教科も、高等学校段階になるとかなり抽象的・理論的になり、「使う」には高度すぎます。それでも高校生は全員、全教科を学ばなければなりません。自分の専門教科を軸に、いったい何のために全員対象で教えるのかということを、この機会に考えましょう。冒頭で述べたように、学びながら教えることを想定する、という教職課程学生ならではのリフレクション(よーく考えること)になるはずです。 あえて新教育の立場にさからっていいますと、子どもの興味・関心なんて狭小で、ちっぽけなものです。そんなものをいくら引き出して、延長したところで、社会や世界の広がりや深みには絶対に到達しません。みなさんも、おそらく教科学習やそれ以外の学びの機会において、さまざまな「興味のないこと」「興味があるかどうかも考えたことがないようなこと」の情報をたくさん受け取って、その中に自身の新たな関心を見出し、それまでの経験や知識とスパークさせて、いま大学生というところまで来たのではないでしょうか。その意味で、高校レベルの高度で複雑な内容の知識を生徒に振り浴びせることには、大いに意味があります(もう少し設定年齢は低いのですがルソーも「エミール」の中でそんなことを述べています)。いってみれば「将来の可能性のために学ぶ」ということかな? それは、何かの役に立つべきだという学びの見方と両立可能なのでしょうか。そして、学びの意味というのはそれだけなのでしょうか? REVIEW (4/20) ●教育課程の編成原理とそれぞれの特徴について学んだ。教科や単元ごとに3つの編成原理を調整していくということに驚いた。これは、教員の力量によって少しずつ変わってしまうものなのではないかと考えるが、実際にどれほどの差異があるのか気になった。 ●教育課程の編成原理について学び、想像していたよりも複雑に各教科が配置されていることに驚くと同時に、親学問について他の学生よりもしっかり理解しなければならないと再認識した。 ●児童・生徒の発達に関する研究を通して多種多様な生徒を知り、生徒のレベルに合った教え方や言い換えなどができるように、親学問に関する研究もしていけるようにしたいです。 ●私のように、子どもの教育についてバリバリ勉強するわけではない学生は、自身の専門の学問的なところでがんばらなければならないと思いました。しかし発達も重視して教えたいし、そこが重要であるので、自分でも積極的に発達を学んでいこうと思いました。 ●親学問に関しては、自分が生徒に教える立場になるのだからしっかり勉強しないといけない。またひとりの社会人として世界情勢とか常識を知っておかなければならないと思う。 ●学習指導要領にもとづいた授業はもちろんのこと、それに加えて自分の考えなどを織り交ぜていく必要があると考えた。そのバランスを考えることが今後の自分の課題になると思った。 ●教育課程が3つの編成原理で成り立っており、それぞれがどのような意味をもっているかということを理解できた。大学生活で、親学問への理解と教育技術の獲得はある程度できると思うので、いまのうちから教科教育法などの授業で意識していきたい。 ●中等教育の教員になるうえで私たちがいまできる一番大切なことは、親学問といわれる科学の知識を深め、高等教育だからこそできる学びをすることである。ただ、発達的要請にもとづく編成で生まれた問題点をなくすために、ちょうどいい兼ね合いを見つけるのが、難しいが必要だと思った。 ●先生になる者として、大学での学びをもっと大事にしていこうと思いました。教育課程の編成原理を理解し、社会の変化に対応できるように深い学びを得ようと思いました。 ●とくに工業系は、日々絶えず技術力が高まっていくため、教育内容が増える傾向にあるが、基になる部分を確立させることに重点を置くことで、時代に対応できると考える。 ●3つの編成原理で完全に分けるのではないという話に納得した。 ●社会変化が停まらない中で、社会に流されて教育が変わるのではなく、教育をしっかりとおこなうことで社会をつくっていくということが重要である。そのためには、スライドにもあったが基礎をしっかり学ぶ必要がある。教員は生徒に基礎をちゃんと教えるべきである。 ●3つの基準の中で、発達的要請にもとづく編成がいちばん対応が難しいと思いました。現在、子どもの心の成長が早期化しているので、教員も常に学ぶ姿勢が大切だということを実感しました。 ●社会システム科学部は数学の親学問に通じていないと指摘された。逆に、それが数学の親学問に通じている他の人とは違う強みを見つけていきたいと思った。 ●学問的要請による教育課程は、2S教育原理で学んだような昔の教育の名残のように思われたが、そういうことなのだろうか。 ●『教育原理』のp.86を自分で事前に読んでみたが、授業を聞いてやっと少しわかった気がした。 ●教育課程の3つの編成原理によって、教師が親学問の全体に精通し、生徒の心身の発達や認知に沿って順序と内容を組み立てることで教育していくことに納得した。 ●年齢や学校によって教える教科が異なり、内容も少し変わることに驚いた。 ●平安時代の文学、平家物語などは、古典(国語)とも歴史(社会)とも受け取ることができ、どちらで扱ってもよいということだったが、これを利用して片方の教科に力を入れた学校などはあるのだろうか? 私自身や周りの経験では古典に入れられることが多かったわけだが、その理由もあれば知りたい。 ●小学生の様子と中学生の様子の違いの例を聞いて、そうした発達に沿った教育が必要だと思った。 ●学問的要請にもとづく教育課程と発達的要請にもとづく教育課程が、小学校と中学校のあいだでぶつかってしまい、中1ギャップが生まれているのだとわかった。 ●授業を受ける側の興味を惹くには、体系的な内容であるべきと考えていますが、学習指導要領とのすり合わせが難しく、そのため、いきなりつながりのない話からはじまってしまうのだろうと思いました。 ●私は、7割親学問についての研究、3割生徒の発達に関する研究と考えていたが、生徒は全員がその科目を専門とするわけではないので、社会に関するものとその科目のつながりもかなり大切だとわかった。そのため、考え方を改め社会に関する研究をおこない、社会変化に対応できるようにしたい。 ●大学で教員免許を取得し、社会に出ないまま教員になるパターンが多いと思うので、社会の流れにはとくに注意を払いたいと思った。 ●教育課程の編成において、社会的状況や今後起きるであろうことなどをしっかりと見据えていく必要があり、努力しなければならないと思った。 ●授業等での発言におけるタブーは、自分が認識していないものもあると思うため、視野を広くもって気を配っていこうと思った。 ●社会的要請に振り回される?という話に関して、まだ学んでいる途中なのに学んでいるところが変化したり、学び終えたところが社会に出たときには変化していたりするというのを想像すると、それに適応できるのか不安に感じた。 ●社会について知らなければ要請にこたえることもできないし、生徒に教えることもできない。現状を知るだけでなく、自分の言葉で説明できるように理解することも大切だ。多方向から物事を見る目を養うことも重要である。 ●時代によって、社会に出たときに必要とされる知識やスキル、知っておいたほうがよいことは変化するのに、いまだに「はどめ規定」があるというのには少し違和感を覚える。(類例複数) ●発達段階を考慮して「扱わない」と学習指導要領に書かれていることがある。現在はネットなどで情報や知識を得ているという状態だと知りました。子どもの危険を避けるためにも、時代に合わせた教育が必要だと思いました。 ●発達段階に応じて、教えられる部分を教えないということを、以前はそこまで不思議に思っていませんでしたが、いまとなってはたしかになぜだろうと思いました。グレーゾーンではあるのですが、性教育はおとなになっていくうえで重要なことだと思うし、まだ中学生には早いからとためらってしまってはいけないと思います ●はどめ規定があるのに、それを越えて生徒たちに教えた先生を批判する風潮ができてしまっているということに納得できなかった。人の命や将来にかかわることについては、もう少し規定を緩めるきっかけがないのだろうか。 ●大学での専門科目の学びを社会と結びつけて考えやすいという点が、教育学部などと比較したとき、工業大学の強みでもあり弱みでもあるなと考えた。 ●塾で中学校の理科と社会を教えているが、内容面では高校より簡単だが、幅が広く大変である。理科・社会を教えている先生方はすごいと思う。とくに自分たちが学んでいたものとは別のものを教えなければならなくなるため、過去の自分の経験から教えるのはやめようと思う。 ●この教科を教えることでどんなことを学んでほしいか、どんな考え方をしてほしいかなどの意図をもって生徒に教えられるようになりたい。 自分が教師として教壇に立つとした場合に、科目や、そうでなくても学ぶべき事項や知識が不足するのではと不安になりました。いまからできる対策は、科目の勉強や大学の授業のほかに何がありますか?
教育課程論は、教職課程のうちいわゆる教職専門性(担当教科にかかわらずすべての教員に共通する専門性)の形成にかかわる科目のひとつです。おおまかにいえば、2S教育原理が教育の目的・目標、この3S教育課程論が教育の内容、5S教育の方法・技術とICTが教育の方法を学びの対象としますので、目的・目標を踏まえた教育内容(educational contents)を考える、ということになります。ただ、教育の内容といってもピンとこないことが多いかもしれません。学校種によっても、教科によってもさまざまですし、広がりがかなりあります。また、生徒目線で考えると、教育の内容というのは初めから決まっていて(決められていて)、個々の教師はそれを順に教えていくだけだ、というふうに捉えている人もあることでしょう。たしかに生徒としては、先生が繰り出してくる内容を順に学び、消化していくのが常で、そこにどんな論理や特色があるのかなど、考える余地はほとんどありません。しかし、教育内容というのは自明でも不動でもなく、常にリフレッシュされるものです。グローバル化の進展とともに英語の学習が強化され、ICT/AI時代の本格化とともにプログラミング学習がカリキュラムの中心に入ってくるということからもわかるように、社会のあり方が変わることに伴い、教育課題・教育目標も変化ないし拡張して、それに伴って教育内容も再編成されます。時代とともに不要になる部分ももちろんあり、「私が中学生のころは普通に学んでいたのに、いつの間にか教科書から消えている」といった項目も、思いのほかたくさんあります。社会科とくに公民の内容が、社会状況に応じて変化するのはわかりやすいですが、みなさんの専門である理系教科もまた、科学や技術、そしてそれをとりまく社会状況の変化などに伴って、内容をリフレッシュしていきます。 学校の教育内容を時系列に沿って配置したものを教育課程(course of study)といいます。したがって、教育課程論という名の当科目では、教育の内容だけでなく、それをどのような順に配置するか、どのラインに配置するかといった点も重要になります。とくに高等学校段階では、教科のサブカテゴリとして科目があり、教科そのものはめったに変わらないものの科目のタイトルや切り分け方、必修パターンなどは約10年おきに変動します。自身が中高生だったころの経験に依拠して考えるのがナンセンスであるのはいうまでもありませんが、プロの教師になってキャリアを重ねるあいだに何度も科目構成などが変わりますので、そもそも何のためにそういう配置になっているのかという点を適切に理解しなければ、その時々の生徒に対して指導することはできなくなります。1年生のとき以上に、プロ寄りの視点が重視されることになります。 当科目は3部構成をとります。第1部は、教育課程とは何か、いかなる論理や原理に沿って編成されるのかということを考察します。かなり重要で、基礎的な内容ですが、ゼネラルであるぶん抽象的で、ふだんそのような頭の使い方をしていない人にとっては難解で混乱するかもしれません。しかしこれを突破して自身の頭で思考できるようにならなければ教育者の道は相当に厳しいと考えてください。第2部は、教育課程の基準として国(文部科学省)が示している学習指導要領の内容とその変遷、そして現行の(最新の)学習指導要領の要点を学びます。現行の学習指導要領は、中学校が2021年度、高等学校が2022年度から実施されているもので、すでにみなさんが中高生時代に学んだ内容、構成から変わっています。自分が学んだ内容が過去のものである、と考えると、学習指導要領の歴史(歴代の要点)を整理しつつ、最新のものの新しさや従来のものから受け継がれている部分などを検討することの意味や重要性がわかるのではないでしょうか。第3部は、現在の教育課程を構成する教科以外の領域を一つずつ取り上げて、教育課程上の位置づけやその特色、課題などを考察するブロックです。道徳教育、キャリア教育、総合的な学習(探究)の時間、特別活動、特別支援教育を取り上げます。これらに関しては、それぞれ個別の教職科目があり、4S以降で順次学んでいきますので、そのあらましを紹介するインデックスの意味を含みます。教育課程の全体像を捉えるために、あえて個別の内容を考えるという試みです。当科目では、教育用語が頻出します。「学校の先生」であれば誰でも普通に知っているが、生徒を含む一般人は知らない単語が毎回のように出てきます。意味は調べればすぐにわかりますが、位置づけや「意義」は一筋縄ではいきません。2年生になって、いよいよ教職課程の学びも本格化していきます。心と頭のギアを切り替えて臨むようにしてください。
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