古賀毅の講義サポート2026-2027
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2026(令和8)年度 教職科目における指導・評定方針
2026年4〜5月の授業予定
4月25日 教育内容と人間形成
5月9日 学習指導要領とその変遷(1):試案期〜昭和52・53年版
5月16日 学習指導要領とその変遷(2):平成元年版〜平成20・21年版 *オンライン授業
5月23日 現行学習指導要領(平成29・30年版)の要点と特色
5月30日 次期学習指導要領の展望:中教審の議論をめぐって
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3回にわたって歴代の学習指導要領の内容・特色を紹介します。さらにその後で、2026年現在審議中の、次期の学習指導要領についてわかるところを共有します。いってみれば「学習指導要領の歴史」ということですが、もう役割を終わってしまって過去のものになった学習指導要領を見ることに、どのような意味があるのかと疑問に思う人もあるかもしれません。前回(3- 教育内容と人間形成)にみたように、直接役に立つような学びとは別次元に、大局的に俯瞰して、現状や自分自身をも取り込んだかたちを外側から捉えるような学びこそ、本質に迫ることができるわけですね。歴代の学習指導要領には、過去の教育関係者たちの苦闘の跡が見えます。また、その時代ごとの社会情勢や教育課題の関係が見えてきます。うまくいかなかったものも、いくつかあります。なぜ失敗したのかという経過や影響も、私たちの貴重な学習素材です。そして、時代の変化にもかかわらず「あれ、いまも同じような感じだなあ」と思うようなことも結構あります。ほかならぬ人間の教育ですから、変わらぬ部分こそ大事だということかもしれません。 学習指導要領が初めて出されたのは、敗戦2年後の1947(昭和22)年のことです(学習指導要領は国の法令になりましたので、西暦でなく元号で示すのが適切です。以下、ある種の固有名詞のように昭和○○年版という表現をします)。現在では「幼小中高特の教育課程の基準」という位置づけですけれども、この昭和22年版と昭和26年版は、法的拘束力をもたない「試案」でした。学習指導要領の試案期というのは、日本の歴史でいえば占領期に重なります。以降、最新(現行)の平成29・30年版まで、約10年ごとに改訂され、9代を数えます。いま審議中のものが記念すべき?10代目になる予定。今回の授業では、その前半、昭和戦後期のものを見ていくことにします。敗戦→占領→高度経済成長→石油危機→経済大国という、社会自体がドラマティックな展開というか発展を見せた時期ですので、学校教育のほうも元気でした。現在との違いは、経済成長ということのほかに、これで学ぶ子どもの数が断然多かったということでしょう。私(古賀)は第二次ベビーブーマーの少し上の世代ですので、とにかく同世代の人口が多かった時期に育ちました。どの公園でも町角でも子どもたちが束になって遊んでいたものです。もちろん子どもが電子機器に触れることもほとんどありませんので、素朴な遊びがあり、そして家の手伝いがありました。ペスタロッチではないが、生活の中に学びの機会がいくらでもありました。昭和戦後期はまた、世界規模で見れば東西冷戦の厳しい対立の時期でもありました。日本はアメリカを中心とした西側陣営の一角を占めています。子どもの日常と、世界規模の対立。この時期の学習指導要領には、その両方の影響がかなり色濃く反映されています。 今回の範囲の一応の終点は、昭和の終わりごろ、1970年代です。高度経済成長がいったん終わり、いろいろな社会矛盾が明らかになった時期でした。経済成長をつづけているあいだには見えなかった、あるいは見ぬふりをしていた問題があれこれ噴出します。2S教育原理でみたように、学校教育とくに中等教育の問題も、そのころ顕在化したのでしたね。高等学校への進学がほぼ飽和に近づき、大学への進学もかなり一般化しつつありました。塾通いも増えています。その時期に、初等教育では教育内容の削減、中等教育では進学競争への対応が同時進行で図られました。1976年に小学校、1982年に中学校に入学した私は、あとから思えばですが、大半を昭和52・53年版学習指導要領で学んでいたことになります。もとより生徒目線でしかないため、私の記憶はあてになりません。専門家として研究してわかったことを中心に、こんにちにつづく学習指導要領の変遷を、各時期のトピックに注目しながらみなさんと見ていきたいと思います。 REVIEW (4/18) ●これまで学校で学んできた内容の背景にある構成や意図について考えたことはなかったが、今回の授業を通して教育課程は目的にもとづいて意図的に構成されており、その編成には複数の視点がかかわっているのだなと思った。(認知) ●教育する対象は未来の日本を支える子どもたちだからこそ、多方面から考えて教育課程を編成するのだとわかった。自分が教育する側、計画を立てる側になることができるのか不安になった。(応化) ●他律的な考え方はいけないとあらためて認識できた。また教育を計画する側の意識をもつ中で、どこまで自分で自由に計画できる立場にあるのか気になった。(高度) ●授業を通して、これからの学習指導要領の動向を気にしていこうと思いました。現在対立している意見のそれぞれの考えをもっと詳しく知りたいと感じました。(高度) ●教育課程を編成する要因はたくさんあることを知り、学ぶのが大変そうだなと感じた。また今回のスライドに書いてあった名言(社会に合わせるのではなく、社会をつくるのが教育ではないのか?)はかなり刺さった。教育に携わる者として自覚が少し芽生えた気がした。(高度) ●これまでは学校側から与えられたものを学ぶだけだったが、今後はなぜこれをやるのか?を考え、学びの流れや各原理の問題点について常日頃から考えるくせをつけていかなければならないと思った。しかしどの要請に対しても、教える側と学ぶ側の年齢の差が大きすぎて、考え方や捉え方の違い、いかに生徒に興味をもたせるかといった考え方だけではない技術面の必要性を強く感じた。(機械) ●今回の授業を通して、教育課程が学問・発達・社会の3つによって編成されていることを初めて知った。それぞれの原理が利点と問題点を抱え、どれか一つに偏ると教育の質が損なわれてしまうことを知り、バランスの重要性を学ぶことができた。(認知) ●教育課程の編成には自分が思っていたよりもさまざまな編成原理がかかわっていて驚きました。これらの軽重を教科・単元ごとに調整するのは容易ではないと思いましたが、この教科はこの編成原理に重きを置く、といった例が、より知りたくなりました。(経デ) ●教育課程は3つの編成原理から成り立っていると知り、それぞれのバランスが大切だとわかった。どれが何なのかを理解し、意識して教えられるようになりたい。教員の配置や特別教室などの制約があるということをあまり考えずに授業を受けていたが、編成にはそういったことも関係していると気づいた。まだ自分の経験から抜け切れていないと感じた。(機械) ●問題点が明確になっているにもかかわらず大した解決に至れないのは、お役所仕事だからなのか、教育といえどいい加減な運用をしているためなのか。はっきりした結果がないのがもどかしい。(認知) ●教育課程の編成原理がA,B,Cという分類の仕方なのは、それぞれの要請にもとづく教育課程の問題点なども関連する点が多いからだと考えた。(高度) ●3つの編成原理は、最初に概要を知ったときには教育課程のすべてをカバーしているように思ったが、3つすべてに問題点があり、学問的要請に関しては教師が大学で学ぶ学問と生徒に教える学問が合っていないことが挙げられる。私がいちばん問題だと思ったのは社会的要請で、社会の変化に合わせていかなければいけない都合上、後手に回ってしまうので、柔軟な対応が求められると思った。(認知) ●学問的要請・社会的要請の面から考えると、国家をつくるためにつらら型のような教育課程になっていることは当然だと思う。しかし、おとな側の要求を子どもに押しつけていても子どもは学んでくれるわけではないので、教え方には発達の面を考えて教育する必要があると思った。(情工) ●塾で働いていても思うが、全部知っていることをまったく知らない人に教えるというのは難しい。また、教えない・扱わないをどう判断するのかも、もう少し考える必要があると思った。学ぶべきことは増えつづけるため、終わりがないように思う。変化を見越した「基礎」というのがどのようなものなのか、考えられるようになりたい。(応化)
●私は応用化学科なので、分析化学や物理化学などの専門的分野を学んでいる。化学という分野(科目)の「親学問」という明確な位置をもった関係があるということがわかった。(応化) ●親学問をもとに学習内容と配列が組み立てられているという部分は、発達的・社会的要請より弱いと思っていたが、他と同じくらい重要だということは意外だった。(高度) ●数学は、言語・科学などに並ぶ代表的な学問だと思っていたが、16世紀ころまでは学問というより芸術などと同等に扱われていたことに衝撃を受けた。(応化) ●3つの編成原理それぞれに、現代の問題点が大きく影響しているのだと思った。とくに歴史や情報など際限なく情報量が増える教科や科目は、数年後にどうなるのだろうと思った。(都市) ●学んでいる内容に対する親と子の考え方の違いを考えるということをしたことがなかったのでおもしろかった。(高度) 学習内容の高度化がさらに進んでいくと、中等教育の学問・技術的に専門性の高いコースの設置が盛んになるだろうと考えた。(応化) ●教える学問と学んでいる学問が違うという話があった。私は工業を教えることになるが、高校は普通科だったこともあって不安なことが多いので、共感することが多かった。(機械)
●情報科は範囲が広がりつづけるので、理科で「物理以外は苦手」というような得意・不得意が大きく出てくるのではないかと思った。(高度) ●思考力を高める授業は私も大事だと考えている。思考力を上げる教育と受験の両立はできるのではないかと考えました。(経デ) ●3つの編成原理を聞いて、発達的要請をいちばん身近に感じた。自分の思っていることを言語化することに加えて、その年代に合わせて翻訳するというのはすごく大変だと思った。(認知) ●インターネットやAIの使い方、AIのしくみを学ばせるということが学習指導要領に明記されていないことが問題であると思う。だからこそ日常的に使う技術であるのに学校教育が追いつけていないことが「はどめ規定」によってさらに正確な知識を身につけることが難しくなっていると思う。(認知) ●発達的要請にもとづく教育課程の問題点として取り上げられた「はどめ規定」について、さまざまな点(教員、政治等)で関心をもったので、情報を収集してみようと思った。(応化) ●得ようと思えばどんな情報も得ることができ、アプリやサイトのアルゴリズムによってほぼ強制的にさまざまな情報に触れるこの時代に「はどめ規定」によって正しい情報を教えることができないというのは、いかがなものかと思った。(認知) ●はどめ規定があるが、インターネットでわかってしまう時代。だからこそ正しい知識を学んでおいたほうがよいのか・・・ しかし小学生などは正しく「理解」してくれるのか。すごく悩ましい。(応化) ●小学校では興味の拡大のために、専門性に固執しない教育をしているが、子どもの興味・関心をそぐような「はどめ規定」は小学校でめざされるべき「広域的に関心をもたせる」ことに矛盾する。このような規定はないほうが、正しい知識を得られるという面でも有効ではないか。(機械) ●はどめ規定というものを初めて知った。社会・理科・保健の授業は難しいと思った。学習指導要領の改正後に注目して見てみようと思った。(高度) ●時代的に生徒が知っておくべき、教員が伝えるべき問題があっても、学習指導要領的にアバウトにしか教えることができないことがあるというのが、いまの時代に合うように変わっていってほしいなと思いました。また教員の思想が生徒に反映されないように伝えるということが、私が教員になってもずっと悩みの種になりつづけそうだと思いました。(認知) ●いまとなっては当たり前に知っていることが、中学校・高校では、学問的・発達的・社会的要請が原因で、授業で扱う内容でも不確かなまま教えてしまっているということで、そこをどう適切に教えるべきなのかを、これからの教職課程で学んでいきたい。(経デ) ●児童・生徒の発達に関する研究ということにとくに興味があるため、重先生、市川先生の授業が楽しみだ。(認知) ●子どもが勝手にクレジットカードを使ってしまう件について、ではクレカのしくみを教えれば止められるのかという問いがあるが、闇バイトの危険性をいくら講じてもやってしまう人がなくならないのと同じように、教えれば問題が起こらなくなるとはかぎらないのだろうと思った。といって教えることを放棄してはならない。教えなければいけないけど従わない人はとことん従わない、という問題が、現状の教育において非常に悩ましいと思っている。(認知) ●地域の特性によって教育課程の編成が変わることがあるということにびっくりした。その地域を出たときに受験などに影響してこないのか気になった。(応化) ●生徒が興味をもったこと以外もしなくてはいけないのが今の教育現場で、のびのび勉強し学ばせるうえでの妨げになっているのでは?と当時思っていました。質問なのですが、「窓ぎわのトットちゃん」のような教育を中等教育でするのは、戦前なら可能だったのでしょうか。(応化) ●私は、社会的要請に合わせすぎる教育には少し疑問を感じた。社会情勢は常に変化するため、それに振り回されると学ぶ内容が不安定になる。いつの時代にも通用する基礎を重視しつつ、必要に応じて他の視点や考えを取り入れることが大切だと考える。(機械)
●その学問を学んだ人が教員になる、開放制の教員が普通である。社会に合わせる教育には限界がある。教育課程の編成は難しい。(応化) ●1年生のころから先生がおっしゃっていた、自身が中・高で学んだことを教えるのではなく大学で学んだことを教えるのだということは、教育課程の編成によって変わるからという意味も含んでいるのではないかと思いました。(高度) ●「教科」ではなく「学問」を学んだ人間が生徒に対して教育するという部分で、間違えやすいが、教師が大卒以上を求められるという事実から、絶対に間違えてはいけないものだとあらためて感じた。教員の配置において、今後の社会の動きや科目によって相当な負担がかかることについて、これからの日本の学校はどうなってしまうのだろうと、不安な気持ちでいっぱいになりました。(認知) ●教える側と教わる側の思考のミスマッチという問題がある中で、どの教科も内容が高度化していることから、教える側は抽象的になってしまい、教わる側は未知の状態から抽象的に教わっても理解度が上がらないということが、あらためてわかった。これから先も学問の内容が高度化する中で、ミスマッチを緩和するために、親学問の研究を教える側である私たちがやるしかないと思いました。(機械) ●高度情報化によって、学習したものと社会とのギャップが広がる中で、たけのこ型の思想や実業高校の存在はどのように変化していくのか、考えていかなければならないと思った。親学問の理解と生徒発達への理解は、相互に支え合うべきだと思う。開放制で学ぶ立場として、生徒発達に関してももっと注力していくべきなのではないかと思った。(認知) ●親学問や児童・生徒の発達は、大学でがんばればしっかり学べるので、社会に関しては自分なりに考えていきたい。(認知) ●中学生のときは小学校や中学校の先生にあこがれていたが、今回の話を聞き、いま自分が受けているような授業よりもより専門的で子どもに対する接し方をわかっているのだなと思った。(都市) ●小学校の先生は全教科を教えるといっていたが、最近はそんなことはないと私は思う。というのも、私が小学校(とくに高学年)のとき算数・理科は担任、音楽や家庭科は隣のクラスの先生、それ以外の教科は他の先生というように分かれていた。地域によって異なるのかもしれないが、小学校でも教科ごとに先生が違う学校は増えているのではないか。もしよければいまの小学校の状況を教えてください。(機械) ●社会が変化していくにつれて学ぶべきことも変化する。その中で教育課程論がどのように変化するかが気がかりです。(応化) ●これから教職をめざすうえで、グローバル化やIT化、AIの発展などから想定できる問題点がどのように教育現場に響いてくるのかがよくわかった。SNSにひたり、情報を得るのが好きな自分は、そんな時代の中では活かしようがあるのではないかと思えた。 ●保護者は子どもを「いい大学」「いい企業」に入れる過程がほしいことがよくわかった。近年は大学名だけでいい企業に受かってしまう社会になっている。いわば大学は就職塾のようなものだと思う。(都市) ●数学I,II,IIIと数学A,B,Cの記号には意味があるということを初めて学んだ。A,B,Cの順序で学習しなくてもよいということに驚いた。(高度、類例複数) ●天皇家の相続問題は知っていたが、養子の話はまったく知らなかった。天皇に関するニュースを見て学びたいと思った。(高度)
REVIEW (4/25) ●中学校・高校のころになぜ将来役に立つともいいきれないものを学ばなければいけないのかと疑問をもつことが多々あった。しかし今回あったように個別の知ではなく、型・枠を学ぶことが本質なのだと思った。情報を教える際に「型」を教えるとはどうすればよいかを今後考えていきたい。(経デ) ●これまで自分たちが思っていた、この勉強は将来なんの役に立つのかという問いが、いかに限定的であるのかを痛感しました。また陶冶の観点での教育の話にあった、「個別の知を結びつける教育」が「知識を切り取る」より難易度が高いので、暗記の教育がどうしても多くなってしまうのかなと思いました。(経デ) ●教育の根本的な目的は、まだ十分に理解できていないが、一つの目的として、各教科の学びはあくまでも具体例として、問題解決に向けた考え方を模索するための力を身につけることではないかと思う。(認知) ●学校で学ぶ知識の「有用性」に対する認識が大きく変わりました。教師をめざすうえで、単に「答え」を教えるのではなく、生徒一人ひとりの器を広げていきたいと思う。(都市) ●何かを学ぶことは、何かに直接役に立つということではなく、汎用的に対応できるようにするために学ぶのだということがわかった。またそのような汎用的に使える学びになるような授業設計をすることが必要であることがわかった。(認知) ●見方を転用するという話を聞いて、数学はそういうやり方が主流であるように思えるが、それ以外のところでこの方法を使うのは難しいと思った。これを学んで何になるの?という問いに対して、中高生に説明することを考えたときに、話を聞いた自分の理解も浅く、言語化もうまくできそうになく、教養がないなと感じた。(認知) ●生徒に対し、知の光を受け止める状態をつくるということがどれだけ大切なのか、穴あき問題やダミーの話と合わせて、強く意識していかなければならないと感じました。(認知) ●「学んだことを使う」は、たしかに目の前のわかりやすい役立ち方としては入試なので、それを伝えてしまいそうだなと思った。ヘルバルト的な考えである陶冶を頭の片隅に置きながら、生徒からの「なんの役に立つの」という疑問に答えられるようにしたい。(都市) ●陶冶に関して、総合力を高めることを、OS側がアップデートするという喩えがわかりやすかった。直接ではなく、よいアプリ、学びと合致すれば能力が発揮できるということをイメージしやすかった。知が一つ一つばらばらではなく、つながっていることを生徒が理解できるようにする。だからこそ教材研究は大事なのかと考えることができた。(認知) ●本当に個人的なことになるが、最近ゲーム制作をはじめてから、大学のあらゆる講義で学ぶ→一般化・言語化→ゲーム制作に生かす、という習慣がついて、いろいろな勉強が楽しくなり、まさにスパークが起きている。数学で「数値だけ変えるテスト」を見たことがあるが、それは形式陶冶風の実質陶冶にすぎないと考えた。数学は全部つながっていると私は考えているので、各テストでの「こういうロジックさえわかっとけば大丈夫」というのをどこにするのかの塩梅が難しいと考えている。(認知) ●教科教育法の授業で、探究の必要性や、そもそもなぜ学校教育があるのかを学んだので、また違う視点で学ぶことができておもしろかった。より深く重要性を学べた。これも時代の流れで変わるのかなと思った。(応化) ●私も昔、数学って学んでも将来使えないから学ばなくていいじゃんって思っていました(いまは思っていません)。昔に戻れるなら、いってあげたいです。将来、生徒に「なんで学ぶ必要あるの〜?」って聞かれたら、古賀先生がおっしゃっていた話を長々と話そうと思います。知のスパーク、1回だけ経験したことがあるので、もう1回経験したいと思いました。(高度) ●具体的な内容から抽象的・一般的な思考ができるように教えることで、教科を飛び越えて知のつながり(スパーク)を体験させることが、人格の陶冶につながるのではないかと考えた。そのためにも、生徒に学びや知について興味をもたせる技量を身につける必要があるし、自らもその姿勢で生活すべきだと思う。(情工) ●知のスパークを体験してみたい。(複数)
●授業として特定の分野だけを語るのではなく、個別の知をたくさん取り入れて「知のスパーク」を起こし、楽しいものにする」 この流れを生み出せる授業をできたら楽しいだろうなと思った。(高度) ●その教科はどう役に立つのか、教えられた知識から考え方を身につけ、どのように他に活用していくのかが重要だと思った。また形式陶冶が教育には大事だということだった。現代の教育ではその機会が少ないのではないかと考えたが、実は意識していないだけで機会はある。意識して知識を活用するほうがよいのではないかと考えた。(認知) ●今回の授業を受け、学びの例を見て、私自身が学ぶ姿勢や方向を改めなければならないと感じた。そういう誤った考え方をなくすためにも、個別の知識を切り取るような学び方をしてはいけないので、改善していきたい。(経デ) ●個別の知識を切り取るような考え方になっていた。もっと全体を見なければ。やわらかい考えを心がけたい。これからもっと考え、学んでいく身なので、早い段階で気づけてよかった。(応化) ●苦手だから個別の知識を切り取って覚えるようなやり方になるのか、個別の知識を切り取って覚えるから苦手になってしまうのか。どちらだとしても、そこから脱するのは難しい。一度苦手意識がついてしまうと、得意になることはないと思った。だからこそ最低限だけ苦手分野を勉強して、いまは得意な理系に進んだ。(応化) ●高校時代、古文の必要性がわからず、文句を言いながらテストのために勉強していたが、それは実質陶冶で、直接必要な知識だけを取り入れようとして、使い方を理解しようとしていなかったからだと気がついた。私が情報を教える際には、汎用的・一般的に使えると思ってもらえる授業をしたいと思った。(経デ) ●個別の知識を得ることは手段であるという感覚は、なんとなくあったが、言語化したのは初めてだった。(高度) ●例として出されたミニテストの内容は、脳内にある自分自身の考え方とそっくりそのままだった。考え方の軌道修正をする必要があるなと考えた。(高度) ●数学や国語をなぜ学ぶのか。数学は計算だけでなく、どうしてそうなるのかを考える力が必要だからだ。国語は相手にわかりやすく伝える力を養うために重要だ。先生もいっていたが、国語力は話していれば、あるかないかすぐにわかるので、重要だと思う。テストをつくる際に、単なる穴うめではなく、問いに対して理由や考えを説明できるような文章問題をつくることによって、生徒が社会に出たときに知識だけでなくどのように使うかを理解できるようになる。(都市) ●ミニテスト案の話で、穴うめ式の問題は地理や化学においては、それだけを覚えさせては何になるのかまったくわからないが、公民の、たとえば法律の名前のように知らないと損をする可能性があるものの穴うめに関しては意味があると思った。(認知) ●私は、勉強は苦手で嫌いだが、知識を得るのが楽しくて好きだから今の道に進んでいる。自分の中になんとなく感覚としてあった「知識の体系化」が、地理の例を通して、具体的に教育のプロセスとして見えて、体系化の感覚が理論に近づいた。またこれによって義務づけられた「学習」ではなく、知識を得て体系化するための「学び」の楽しさを再確認できた。(応化) ●単なる知を教えるのではなく、そのプロセスや考え方が別の要素などと結びつくような指導が必要なのではないかと考えた。(情工) ●考え方よりも試験のための勉強、入試に対策すべくより多くの知識を得る勉強を重視してしまいがちだが、アルミ工業のスライドで「なぜその立地などか」などの、知識をつなげるような考え方が大切だと思った。(機械) ●Bildungからの学びで、他の科目も学んでおかなければその専門科目から少し外れたことを教えなければならないときに、つながりがないまま教えることになってしまうので、他の科目もなるべく勉強しようと思いました。(情工) ●中学生のころ、歴史とか学んで何の役に立つんだ、と思っていたが、いまになって自分の暮らす国の歴史を知ることの必要をすごく感じているので、中学生たちに、いまのうちに学んどけといっておきたいと思った。(機械) ●今回の授業を通して、一見役に立つかわからないと思ったものでも、何かの社会の出来事や身の回りの出来事に対して考える力を養っているとわかった。たとえば、ある国に関することが報道されたときに、「この国は地球のここにあったな」「この国にはこんな特徴があるな」と自然と思い浮かび、「私は○○がいいと思う」と考えることができる。また将来何か新しいことをおこなうときに「学校で学んだ○○の知識が使えそう」となる。だから、学ぶ意味がないことでもいつか役に立つことがあると思った。(機械) ●「役に立つ学び」は、知識を覚えて使うことではなく、人としての理解力を深めるためのものだと感じた。個別の知識を暗記するだけでなく、背景にある共通点やしくみの理解も大切だと思った。(都市、類例複数)
●高校の学習では、答えを求めるだけ、個別の知識を切り取るようなものではなく、間違えた情報に騙されないためにも一般的に対応できるよう学習するのが重要であると考えた。(高度) ●人によって役に立つ学びが違うという意見があるからこそ、横断学習というもの(言葉)がでてきたのか、と考えた。しかしこのような言葉やものがあっても、説得されてしまう学習もある。よってAI、インターネットで学習が事足りてしまう。今回の授業で教員の仕事がどうAIに奪われてしまうのか知れた。(応化) ●より「役に立つ学び」を実際に生徒に教えるには、さまざまな壁や難しいことがあると感じた。(応化) ●学校は、正しいこと、化学を教える場所であるから、道徳の授業であっても、スピリチュアルなこと、生徒が誤解してしまうような教え方は避けなければならない。(応化) ●理科の、とくに化学の教員をめざすうえで、化学とエセ化学の違いを理解し、見抜けるようになり、最終的にはその違い自体を正しく生徒に教えられるように、日々努力していこうと思いました。(応化) ●最近になって、やっと自分の専門としたい分野が見つかり、それを学ぶことが楽しくなってきたが、いまだに自分の中では試験のために学習してしまっている節がある。教員になって生徒に教えるためにも、学習の仕方を改め、もっと理解を深めるような学習を進めていきたい。(電電) ●数学などの教科用図書は、他の分野にしばしば関連づける。先生のおっしゃっている知のスパークを誘発させ、モチベーションを向上させるためのものであった。大学の専門書は、その分野のみで他分野に関連づけることが少ないため、大学生には知のスパークが起こりにくいのではないか。(機械)
●サブカルチュアだけでなくメインカルチュアにも触れて、汎用的な能力をつけていきたいと思った。(高度) ●サブカルチュアの拡大も、取り入れ方によっては、生徒の意識をこちらに向けさせる方法として有用ではないかと考えた。(高度) ●陶冶の現代的困難として、読書しないおとなという話があった。私もめったにしか本を読まないので、本を読む習慣をつけたい。(応化) ●自分の専門以外の教科につながるような教育をすることで、生徒の学びの質を高めたり、探究心を高めたりできるのだと思った。教師自身が専門にこだわらず、広く探究していくことの重要性をあらためて実感した。(応化) ●教育における根源的な理念は、知識を覚えさせることではなく、それぞれの教科学習を通して汎教科的な物事の考え方を身につけさせ、知を俯瞰できるようにすることだと学んだ。私は理系でありながらかなり文系寄りの趣味をもっています。そんな私からすると、教養は学生みんなにもっていてほしいですが、時代の流れか、そうなってはいないことが少し悲しいです。(応化) ●教師自身が「試験のための学習」という枠組から抜け出せていないため、個別の知識を切り取るような教え方になってしまう。生徒たちの問題としてではなく自分たちのこととして考えなければいけないと思った。(機械) ●「なんのために学ぶのか」に対する回答をまだ出せていません。試験のためといってしまえば、その道をめざす生徒は学んでくれそうですが、学ぶ本質とずれが発生してしまう気がします(本質すら説明できない)。(認知) ●schoolの語源も「暇」から来ているわけだし、子どものときくらいモラトリアムを謳歌していればよい。文系だろうと理系だろうと一定のレベル(研究)まで至らなければ、物質的な意味で役立ちはしないわけだし、好奇心を満たすことができればよい。いまはその役割がスマホ(SNS)に変わったため、学力が低下するというのは自然。強いていえば効率的なドーパミンの放出ができるような毛級をした人間、SNSを用いて儲けている人間が悪い。麻薬やアルコールと同等なものが子どもに広まっている以上、教育は非常に厳しい状況にある。(認知) ●PISAの読解力で日本が最下位だったことがあったが、その汎用的能力を身につけ、複雑化・高度化し常に変化する社会で生きる力を身につけたいのに、それを機器(その社会で生まれたもの)によって日本の生徒の能力が低下しているという皮肉について、もっと考えるべきだと思います。先生はどう考えていますか? (認知)
教育課程論は、教職課程のうちいわゆる教職専門性(担当教科にかかわらずすべての教員に共通する専門性)の形成にかかわる科目のひとつです。おおまかにいえば、2S教育原理が教育の目的・目標、この3S教育課程論が教育の内容、5S教育の方法・技術とICTが教育の方法を学びの対象としますので、目的・目標を踏まえた教育内容(educational contents)を考える、ということになります。ただ、教育の内容といってもピンとこないことが多いかもしれません。学校種によっても、教科によってもさまざまですし、広がりがかなりあります。また、生徒目線で考えると、教育の内容というのは初めから決まっていて(決められていて)、個々の教師はそれを順に教えていくだけだ、というふうに捉えている人もあることでしょう。たしかに生徒としては、先生が繰り出してくる内容を順に学び、消化していくのが常で、そこにどんな論理や特色があるのかなど、考える余地はほとんどありません。しかし、教育内容というのは自明でも不動でもなく、常にリフレッシュされるものです。グローバル化の進展とともに英語の学習が強化され、ICT/AI時代の本格化とともにプログラミング学習がカリキュラムの中心に入ってくるということからもわかるように、社会のあり方が変わることに伴い、教育課題・教育目標も変化ないし拡張して、それに伴って教育内容も再編成されます。時代とともに不要になる部分ももちろんあり、「私が中学生のころは普通に学んでいたのに、いつの間にか教科書から消えている」といった項目も、思いのほかたくさんあります。社会科とくに公民の内容が、社会状況に応じて変化するのはわかりやすいですが、みなさんの専門である理系教科もまた、科学や技術、そしてそれをとりまく社会状況の変化などに伴って、内容をリフレッシュしていきます。 学校の教育内容を時系列に沿って配置したものを教育課程(course of study)といいます。したがって、教育課程論という名の当科目では、教育の内容だけでなく、それをどのような順に配置するか、どのラインに配置するかといった点も重要になります。とくに高等学校段階では、教科のサブカテゴリとして科目があり、教科そのものはめったに変わらないものの科目のタイトルや切り分け方、必修パターンなどは約10年おきに変動します。自身が中高生だったころの経験に依拠して考えるのがナンセンスであるのはいうまでもありませんが、プロの教師になってキャリアを重ねるあいだに何度も科目構成などが変わりますので、そもそも何のためにそういう配置になっているのかという点を適切に理解しなければ、その時々の生徒に対して指導することはできなくなります。1年生のとき以上に、プロ寄りの視点が重視されることになります。 当科目は3部構成をとります。第1部は、教育課程とは何か、いかなる論理や原理に沿って編成されるのかということを考察します。かなり重要で、基礎的な内容ですが、ゼネラルであるぶん抽象的で、ふだんそのような頭の使い方をしていない人にとっては難解で混乱するかもしれません。しかしこれを突破して自身の頭で思考できるようにならなければ教育者の道は相当に厳しいと考えてください。第2部は、教育課程の基準として国(文部科学省)が示している学習指導要領の内容とその変遷、そして現行の(最新の)学習指導要領の要点を学びます。現行の学習指導要領は、中学校が2021年度、高等学校が2022年度から実施されているもので、すでにみなさんが中高生時代に学んだ内容、構成から変わっています。自分が学んだ内容が過去のものである、と考えると、学習指導要領の歴史(歴代の要点)を整理しつつ、最新のものの新しさや従来のものから受け継がれている部分などを検討することの意味や重要性がわかるのではないでしょうか。また2024年12月に文部科学大臣から中央教育審議会への諮問がおこなわれ、次期の学習指導要領の輪郭が少し見えてきたタイミングです。いままさに中教審において審議中であり、年度内(2027年3月ころ?)には、学習指導要領の骨格となる答申がおこなわれるものと予想されます。第3部は、現在の教育課程を構成する教科以外の領域を一つずつ取り上げて、教育課程上の位置づけやその特色、課題などを考察するブロックです。道徳教育、キャリア教育、総合的な学習(探究)の時間、特別活動、特別支援教育を取り上げます。これらに関しては、それぞれ個別の教職科目があり、4S以降で順次学んでいきますので、そのあらましを紹介するインデックスの意味を含みます。教育課程の全体像を捉えるために、あえて個別の内容を考えるという試みです。当科目では、教育用語が頻出します。「学校の先生」であれば誰でも普通に知っているが、生徒を含む一般人は知らない単語が毎回のように出てきます。意味は調べればすぐにわかりますが、位置づけや「意義」は一筋縄ではいきません。2年生になって、いよいよ教職課程の学びも本格化していきます。心と頭のギアを切り替えて臨むようにしてください。
学習指導要領および学習指導要領解説は随時紹介します。下のサイトから各資料にアクセスできます。書籍版もありますので希望者は購入してください。 <評価> ●提出物(レポート)の内容により評定します。 |