古賀毅の講義サポート 2023-2024

Principe de l’éducation

教育原理


千葉工業大学工学部・創造工学部・情報科学部・社会システム科学部 (教職科目)
後期 土曜67 14:00-16:00)  津田沼キャンパス6号館 625教室

 

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2023(令和5)年度 教職科目における指導・評定指針

 

202311月〜12月の授業予定 *テキスト該当範囲
11
4日 中等教育の諸課題(2) *1.11.5, 3.7, 5.15.3
11
11日 近代の教育思想 *4.14.5
11
25日 新教育思想 *4.64.7
12
2日 日本の教育思想 *4.84.9

 

次回は・・
11-
日本の教育思想

本年度の担当回は終了しました。
最終課題に取り組んでください。期限は19日です。

当科目の評定等については、1月下旬をめどにmanabaにて配信する予定です。いましばらくお待ちください。

 

 

REVIEW 12/2
*文意を変えない範囲で表現・用字法を改める場合があります。

時代によらず、理想とされる教育の形は考えられつづけていたということを知った。

明治・大正と、だんだん現在の教育に近い考え方になってきた。やはり近代は、個人の能力、自己実現を重視しているなと思える。

今回は日本の近代教育思想について学んだわけだが、日本の近代史と直結している内容も多くあり、知識が抜けてしまっているところの理解に苦戦してしまった。小原國芳の愚人という話に関しては自分に刺さる部分もあるので、もっとしっかりと理解できるように読みたい。

前回、今回とさまざまな思想を学んだが、これらの思想を生かしていくのは難しいと思った。すべての思想を取り入れることはできないので、どの思想をどうやって取り入れるか、そのためには思想のもっと深い理解が必要だと考える。

「窓ぎわのトットちゃん」の学校にあった、子どもたちがしたいことをできるような校風が広がってほしいと思った。

自由が丘の地名の由来が学校にあるというのを知らなかったので驚いた。(類例複数)

初等教育の時期は、学び、成長するうえでとても大切な時期であるということをあらためて認識することができた。授業を聞きながら、新教育を公立の学校でもおこなうということについて考えてみたが、いろいろ難しいと思った。私も新教育は初等だけでなく中等教育で実現することができると思いました。

澤柳政太郎や小原國芳の新教育的な思想をたくさん知ることができた。国立の小学校で新教育が成功したのであれば、公立小学校でも少し取り入れようという考えはなかったのか。
・・・> 「考え」は方々にありました。しかし広がりませんでした。当時の小学校教師のステータスやポテンシャルの限界があり、他方で先進的な教育観を受け止められるのは都市部の豊かな人たちに限られていたということでもあります。要は、そういう話を聞いたとしても、「すごい! ぜひやろう!」という反応を示せるだけの基盤が、社会や学校業界の中になかったのです。ことしの教育原理の受講生は、新教育への反応が好意的でない人が多いように思いますが、私の話に説得力が足りていないか、自身の教育(を受けた)経験の薄さに由来して「すごい!」と反応を示せるだけの基盤が育っていないか、どちらなのでしょうか・・・。第二次大戦後、小学校の教員養成課程(各県にある教育学部や教育大学が中心)および幼稚園教員養成課程では、新教育が圧倒的に優勢になり、ヘルバルト流を一掃しました。1960年代以降の初等教育は、おおむね新教育ベースだと考えられます。そこをみんな通ってきているはずなのに、それを新教育だと思えないのは、新か旧かの二分法に囚われているせいでしょう。物事にはグラデーションがあり、多様性があります。前回(第10回)の配付プリントに、新教育と伝統的な教育をあえて対比するような表を載せ、本当は載せたくないのだといったのは、そんなふうに思考が単純化されて「ありか、なしか」みたいになるのは困るからでした。

新教育が効果的だったのは経験豊富な金持ちだったと知り、初等教育でさらに新教育をマッチさせるには就学前教育が大切で、幼稚園や保育所が大切だと思いました。
・・・> 2023年の話としては大筋でいいのですけれど、大正期とごっちゃになっているのであれば整理しましょう。現代では、1つ上に記したように、就学前教育と初等教育では新教育がベースになっていますので、金持ちも何もありません。文化資本の差に伴う学力差が広がるのは、むしろ主知主義的な中等教育でのことです。また、現在では幼稚園と保育所の違いは、法律や制度の問題で捉えられるくらいですが、大正・昭和戦前期にあっては、同じ年代の幼児を扱っていながらまるで別世界でした。幼稚園は金持ち文化、保育所は金持たず文化に由来するものだったからです。この「誕生した経緯の違い」は、こんにちにおいてもなお幼稚園・保育所の統合や一元化をはばむ壁として、根深く残っています。

新教育が私立学校の初等教育で広まっていたということを理解しました。しかし児童の活動を通して学んでいくには、すでに経験を多く積んでいるお金持ちの子どもが有利で、中等教育では知識を教えるという意識が強いなどの問題点があり、その問題を教師が解決していく必要があることを理解しました。

新教育においても教員の質がキーになることがわかった。
「窓ぎわのトットちゃん」に出てくる授業で、自分の好きなものから学習をはじめることができるというのは、よい方法だと思う面もあるが、教員の手間になるのではないかとも思った。
・・・> 新教育のウィークポイントは、なんといっても「高度な技術を要する」ということだと私は思います。「トットちゃん」のその他の章にも、それらしい記述が何度か出てきます。

新教育は都市部でハマったということについて、最初は不思議に思っていたが、理由を聞いて深く納得した。また「窓ぎわのトットちゃん」の一部を読んで、ようやく新教育がどのような影響を与えたのかを少し理解できたように思えた。
「窓ぎわのトットちゃん」のトモエ学園が私立学校であるということをいままで意識しておらず、こういう初等教育もありかなと思うところがあったが、文化資本という考え方で、金持ちの子どもが集まっている学校だったと考えると、たしかにもっと慎重に考える必要があると思った。

新教育は生徒の自習がメインなのかと思ったら、そういうわけではないことがわかった。中学校と高校で受けてきた教育の中で、新教育的なものは何かと聞かれると、なかなか思い浮かばない。いまだに生徒目線でいる証拠だ。

当時の流れや文化の発展、思想などがかみ合って、新教育が広がっていったのだと理解することができました。さまざまな経験を積むことが大事だと思いました。普段授業で教えることと、普段経験できないような実習とを、うまくつなげて教えられたらいいなと思いました。

初等教育で自由にするなら中等より上も自由にやらせるべきなんですか。
・・・> 初等教育で自由にするなんていっていないつもりだが? 思考がシンプルすぎないか?

 
成城学園(世田谷区)

 

新教育の実現には、私立の初等教育が大きな役割を担ったが、児童の文化資本の影響もあったのではないかという話があり、一概に新教育は正しいとわかった。
・・・> 書き損じなのだとは思いましたが、もしかするとそっちが主張なのかなとも思うので、あえて表現間違いのまま載せています。「一概に正しくない」「正しい」のどちらも正しいと私は思う。それぞれ明確な根拠を述べることができるなら、という注釈つきです。

新教育について今回も学んだが、先生もおっしゃっていたように、新教育にマッチするかどうかは、親がお金持ちであって、それまでにさまざまな情報が入っていることが前提であり、私のような庶民がこの時代に生きていたら、旧教育のほうがはまりそうだなと思えた。
大正時代に入っておこなわれた自由教育は、上流階級の子どもたちが受けられるものだと思った。このような教育を全国の子どもたちが受けるとなると、もともとの土台である文化資本が大きく異なるため、すべての子どもに合う教育とは限らないと思った。
たしかに新教育が初等教育でとどまってしまったため、中等教育以降においてどのように適応させるのかが課題となるが、各家庭の文化資本が豊かでないかぎり公立学校で見られる授業とは離れた特別な授業を設定しても、生徒たちがそこから得られるものが少ないのではないかと思った。
・・・> 貧富の差があまりに大きく、都市と農村の環境の違いも大きかった大正時代に、新教育が「私立」「小学校」を抜けられなかったという話と、21世紀において新教育をどう考えるかという話を、ストレートに結びつけてしまってはいけないのではないでしょうか。上のほうでも記しましたが、文化資本の差(親の経済状況)による子どもの学力格差が顕著なのはそうなのですが、それが最も顕著なのは、新教育的な初等教育ではなく、主知主義的な中等教育でのことです。そして、仮に現在でも新教育は高所得家庭の子ども以外には適用できないとしても(そんなことは絶対にないのだが)、「だから旧のままでよい」というのは、思考停止や役割放棄につながる、おっかない発想になってしまいます。3S5Sの私の授業であらためて扱いますけれど、旧式の授業があまりに硬直し、主知主義といいながら知すら得られない生徒が過半になっているからこそ、21世紀バージョンの新教育を部分的にでも導入してなんとかしようとしています。現状、「得られるもの」は多いと思いますか?

「窓ぎわのトットちゃん」を読み、これは公立の学校では難しいと思いました。アルバイトで塾講師をしていますが、その中でも、文化資本が豊富な家庭とそうでない家庭の子どもによって、学び取る力がかなり違うなと感じます。だから自由教育が正しいとも思わなかったし、すべての公立の学校で実現できるとも思いませんでした。しかし公立の学校で校風や教育方法を選べるようにできるのなら、自由教育を取り入れた学校があるといいなと思いました。

中等教育段階における新教育について、「教科の専門家」だからこそできる反主知主義、活動主義的な教育というのが可能だと私は考える。ICTの発達により、教育においてできることの幅が広がった今だからこそ、教師のもっている知識を用いて、抽象化に対応できる思考をもった人間に育てることができるようになったと考える。
・・・> 私もそのように思います。思いますが、上のほうの議論でもわかるように、突破しなくてはならない壁もまだあります。自分が生徒として受けてきた教育を突き放して、教育そのものの本質を考えるというのは難しいですね。だからこそ各国各時代のいろいろな考え方に触れるべきだと私は思う。

小原國芳の全人教育は、知識をつけるだけの教育だけでなく、性格教育や情操教育にも力を入れる教育である。勉強にまったく意欲のない子どもには合わない教育なのではないかと思った。
・・・> そうかもしれないですけど、それを指摘してどうする? 他の教育観だってそうだし、そもそも教育者として、「まったく意欲のない子ども」にどう向き合うつもりですか?

生活綴方運動という考え方はとてもよいものだと思った。現代において自らを客観視し自分の状況を把握できていない人が多くいるため、このような考え方は、現代の教育の現場にもより強く導入するべきだと考える。この運動によって積極的な人材が増えれば、もっと社会はよくなると考える。
・・・> 生活綴方運動の話はしていないので、配付物とテキストを読んでいただいたものと思います。生活綴方運動は、大正自由教育と似たような時代に、似た傾向を示した運動ではあるのですが、明らかに違う点がありました。それは、実践されたのが農村・山村部の貧しい家庭が多い地域の公立小学校だったことです。ペスタロッチの「シュタンツだより」を再読してみてください。教育すること自体が困難なのではないかと思うほどの、極貧の子どもたちが集まっていました。そういう子どもは、そもそも道徳的でなく、邪推に満ちていますし、社会や自分自身のことも肯定的に捉えることが難しい。自分や社会をよくしていこう(→豊かになろう)ということを、教育を通じて理解させるのは大変なのですね。綴り方(要するに作文のことです)を通じて、自己や自分たちの置かれた境遇そのものに冷静で真剣な目を向け、自分の願望や希望を具体的に表現し、クラスメイトと読み合う活動を通じて、自己肯定感を高め、社会的能力を少しずつつけていこうということでした。高度成長がはじまったころまで、この流れはかなりあったのですが、1970年ころまでにはほぼ終息しています。ことし96歳で亡くなった無着成恭さんの「山びこ学校」が、大きな話題を呼んだものとしては最後の実践でした。

 
(左)小原國芳の「夢」(千葉工業大学新習志野図書館)
(右)津田沼キャンパス通用門=旧陸軍鉄道聯隊のレンガ門 玉川学園と分離したのち、興亜工業大学は千葉工業大学と改称して君津に移転
その後の1950年に旧鉄道聯隊の用地を取得して現在の場所にキャンパスを構えることとなった

 

澤柳政太郎さんは、私立学校を嫌っていたのに、今度は私立学校を推すようになったので、その環境に合わせやすい人だったんだと思います。
・・・> そんなことはないと思いますよ。直接お会いしたことはないけど(笑)。いったん不利な立場になって覚醒し、真っ当な考え方をもてるようになった人とか場面というのを、私はいろいろ知っています。いいおとなになってから考え方の土台を変えるというのは、恥ではなく、しばしば必要なことです。

小原國芳先生の「ペスタロッチを慕いて」を読んでみると、小原先生は本当にペスタロッチ命であることがよくわかるし、ペスタロッチの考えが現代の学校においてもまだ残っていて、この先にも残っていくと思うと、教育においてとても良いことだと考える。

師弟同行という言葉がペスタロッチに由来するものだというのは衝撃だった。

小原國芳は小学校を創り、中等教育もつくって、大学も創ろうとした。しかし国にはねのけられる中で、軍部を利用して大学を創ることができた。大学まで創らないと意味がないと考え、根気強くつづけた結果だったのではないかと思う。このように現代の教育が少しずつできてきたのだと思うと、歴史を変えた人だなと思う。

小原國芳が、いろいろな道を経てこの千葉工業大学を創ったことに驚きました。またこんなにも教育に貢献した人だったとは知りませんでした。

今回とくに印象に残ったのは、千葉工業大学のルーツに関することです。以前の授業で、千葉工業大学はペスタロッチの考えを受け継いでいるとありましたが、小原國芳がペスタロッチの考えに強く賛同し、それをもとに興亜工業大学ができたという歴史があったことに驚きました。私もペスタロッチの考えを、さらに学びたいのですが、おすすめの書籍などありますか?
・・・> 大学図書館の蔵書を検索したら、10件以上の関連書籍があるみたいですね。さすが。その中では村井実『ペスタロッチとその時代』(玉川大学出版部、1986年)がおすすめ。村井実さんはペスタロッチに関する著作をたくさん残されていて、若いころずいぶん読んで学ばせてもらいました。岩波文庫だと『隠者の夕暮・シュタンツだより』くらいしか出ていないのですが、それらは両方ともすばらしい内容で、ペスタロッチの基本文献です。「白鳥の歌」もどこかで読めるといいですね。ペスタロッチの教育や思想について書かれた論文は、それこそ無数にあります。学会誌や大学紀要に載っているものを入手したい場合には、大学図書館のカウンターで相談してみてください。

大学を創るにあたって軍事力を・・・ という話の中で、陸海軍という言葉があったが、空軍はそこに含まれなかったのか、また含まれなかったとすればなぜですか?
・・・> 大日本帝国がもっていたのは陸軍と海軍だけで、空軍は敗戦までつくられることがありませんでした。太平洋戦争というと零式戦闘機(いわゆるゼロ戦)を思い出す人もあるかもしれませんが、ゼロ戦が配備されたのは陸軍または海軍(両方)だったのです。アメリカ軍でも、空軍が独立したのは第二次大戦後の1947年。主要国で最初に空軍をつくったのはナチス・ドイツです。

友人が玉川大学に通っていて、キリスト教色が強いと聞いていたので、小原國芳の「理想の教師」に、キリストの言葉があったり、神という単語が使われているのかなと思いました。


九品仏浄真寺(世田谷区)

 

小原國芳の「理想の教師」に関連して、高校生のころ通っていた塾の先生が、「わからないことがわからない」ということがないようにする、ということが真に賢い状態だ、とおっしゃっていました。教師になるにあたって、これは本当に大事なことだと思います。自らの知ることが世界という大きな構造のどの部分にあるのかを知ること、これは自らの知識を深めるだけでなく、未知を学ぶ姿勢を絶えず与えてくれます。私はこの点に関しての「貴い愚人」でありたいです。

今回もいろいろな話を聞きましたが、小原國芳の言葉がとても心に響きました。一つ一つの言葉に対して強い信念や願いというのが込められている気がして、心が引っ張られるようでした。
小原國芳の「人を見るは自己を以て見る」というところが印象に残った。この段落を読んで、たしかにそうだと思う箇所がたくさんあり、感動した。
小原國芳の「人を見るは自己を以て見る」という言葉を受けて、もっといろいろなことを経験して、人としての価値を磨いていこうと思った。

小原國芳の本は非常におもしろい。思っているだけでは何も起こらないため文字で書き起こすというのはすばらしいことでもあった。だが事実を羅列し、手厳しい言葉を使っているため笑ってしまうこともある。

理想の教師とは何か?という問いを自分の中で考えてみたが、過去の教育に関する説などを数多く調べ、自分でしっかり解釈していかないと答えにたどり着けない気がした。
今回は自由教育に関する文章をたくさん読みました。まだまだ読み足りないので、冬休み・春休みを使っていろいろな本を読みたいです。また、そこから私自身の教員像を考えることができると思うので、長期休暇を有意義なものにしたいです。

教育思想に関する授業でいろいろな教育思想や考えを聞いてみたが、とても情報量が多く、かなりかみ砕くのに時間がかかると思いました。もっと多くの時間をかけて理解していきたいと思います。

教育原理は、普段わからない、使わない用語を使用していて、理解するのが難しく、とくに前回までの内容である海外の思想は難しく感じました。しかし今回は日本についてのものだったので、よく理解できたのかなと思う。「窓ぎわのトットちゃん」は今回読んでみてとても興味を惹くものでした。先生のおすすめの本は何ですか。教育関連の本、先生がいちばん印象に残っている本、それぞれ教えていただきたいです。
・・・> おすすめとか、一番というのはなかなか難しいんですよね。若いころに比べるとだいぶペースが落ちましたが、いまでも月に20冊以上はなんらかの本を読んでて、仕分けもランクづけもしないまま放置しているからです。せっかくならば、読みやすいとか手に取りやすいというところを少し踏み越えて、多少ハードなものに挑戦してみませんか。佐藤学、佐伯胖、苅谷剛彦といった方々の本は、少しだけでもいまのうちに読んでおいて、「教育」というものを外側から捉えて自身の思考を再構築するきっかけをつくっておいてほしいなと。(それにしても東大系ばかりだなああ)

 

 


開講にあたって

入学直後の1Sで教職課程の履修・受講を開始したみなさんは、いよいよこの2Sから本格的な教職科目(教職専門性を形成するもの)に取り組むことになります。教育行政学とこの教育原理がまず設定されているのは、法令上の構成がそのようになっているということもありますが、児童・生徒という立場ではあまりになじみ深く、それゆえに主観や経験をなかなか脱することができない学校教育という対象を、いままで考えたことが(たぶん)ないような角度、視点から捉えて、専門職をめざす立場で思考するためです。教育行政学は、学校教育にかかわる法・制度やその運用を中心に学び、教育原理は歴史・思想を軸に教育の理念を深めるものです。高等学校での区分でいえば、前者が政治・経済や現代社会、後者が歴史や倫理に近いといえます。いずれも学校教育を外側から捉えて、輪郭や性質を明らかにすることに主眼があります。この作業を怠れば、いつまでもユーザー(児童・生徒)側の記憶をひきずったまま教育する側に回ってしまうという失敗につながります。また、学校教育は不変・不動のものではなく、時代や社会状況、地域や、ほかならぬ生徒たちの傾向などによっても変わります。より正確にいえば、変わらない不動の部分と、変わる部分とがあります。自身の児童・生徒時代の経験というのは世の中全体からみればごくミクロのものでしかなく、それを一般化することはできませんし、何より「過去」のものですので、それを基準に未来の教育に携わることのまずさは、おわかりいただけるのではないでしょうか。

学校教育は曲がり角にあるといわれます。詳しくは本編で述べますが、いまのような学校教育のしくみが生まれたのは100200年くらい前のことです。日本では明治維新のあとで確立されました。そのころと現在とでは社会状況がかなり違います。私たちが情報や知識をどこから得るのかを考えてみると、テレビや新聞などのマス・メディア、そして現在ではそれ以上にインターネットの果たす役割が大きくなっています。メディアが未成熟だった明治時代にあっては、おそらく学校教育というのが最大の情報源だったはずで、全国に小学校がつくられ、そこで同一内容が教えられたということの意味は、現在よりもはるかに重かったのではないでしょうか。いま、学校の先生よりもインターネットの情報のほうがアテになると思っている児童・生徒は結構多くなってきていて、学校は情報や知識を得て自己を形成する場ではなく、友達と遊んで交流する場、さらには「行かなければならないことになっているから行く」というノルマやタスクの場になっているかもしれない。要は、社会全体の中で占める比重が軽くなっているということです。その学校教育のメイン・スタッフである教師をめざすみなさんは、そうした学校教育の本来の性質、今日的な変化、いまも変わらぬ優位性や特色などを専門的な見地からよく知り、今後もずっと上書きしていかなければなりません。学校教育を動態的に把握し理解することが、専門職への第一歩ということになります。

この教育原理は3パートから成ります。第1部が教育の歴史、第2部が教育の思想、第3部が社会教育・生涯教育(学校外での教育を通して学校教育の輪郭を知る)です。第1部はテキストの第3章、第2部は第4章が相当し、とくに歴史編の第1部ではテキストの構成に沿って授業を進めます。第3部は草野滋之教授の担当です。

理系の大学は、文系に比べて専門の間口を狭く設定しています。したがって自身の専門分野というものを堅実に捉え、深く探究するというよさがあります。反面で、専門以外のことについての目配りが難しく、心理的にも「これは専門と違うので」というふうになりやすい。教職科目は基本的に文系ですので、専門ではないどころか関心や得意分野からかなり遠いものということになりやすい。しかし職業適性や専門性の形成ということを考えるならば、そうしたエクスキューズは自分自身の得にならないばかりか、将来の教え子の教育にまで悪影響を及ぼしかねません。教職課程の学生はダブル専門をもっているのだという気概と自覚をもって、教職科目の授業と、その先にある教育の深遠な世界に向き合っていきましょう。

<使用するテキスト>
古賀毅編著『教育原理』(学文社、2020年)

 

当科目の評定方針

古賀担当回の課題(合計85)+草野教授担当回の課題(15)により評定します。古賀担当回の課題は23回を予定しています。
古賀担当回については、出席点はいっさいありません。

 

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