古賀毅の講義サポート 2025-2026
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Principe de l’éducation 教育原理 千葉工業大学工学部・創造工学部・情報変革科学部・未来変革科学部・情報科学部・社会システム科学部 教職課程 |
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2026(令和8)年度 教職科目における指導・評定方針
2026年9〜10月の授業予定
9月19日 開講にあたって/中等教育の原理を考える
9月26日 前近代の教育(欧米・日本)
10月3日 公教育の形成(欧米)
10月10日 公教育の変容(欧米)
10月17日 公教育の形成(日本)
10月24日 公教育の変容(日本)
10月31日 中等教育の諸課題(1)
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■次回は・・・ さっそく教育の歴史に足を踏み入れてみることにしましょう。ヒトがいつから教育なる営みを開始したのかはわかりませんが、歴史の教科書に描かれる古代文明のころには、それなりにまとまった形での教育が、いろいろなところでおこなわれていたものと思われます。ただ、それにしても、私たちがよく知っているような形態での教育が出現するのは、人類の長い歴史の中では「ごく最近」のことといわなければなりません。一応の見通しを立てておきます。(1)国内のほとんどすべての地域に学校が設けられ、均質な(同一の)プログラムで教育がおこなわれる (2)国内に住むすべての子どもが対象となる (3)教育するための組織とスタッフがある というような姿が、いま私たちがよく知っているような形態の教育ではないでしょうか。こまかな定義はもう少しあとのほうですることにして、いまこの仮の見通しを踏まえて、それが成立するまでの状況をみていきます。「よく知っている教育」が、いつごろ、何のために生まれたのか、どのような特質をもってつくられたのか、という、いわば「初期設定」を知ることで、現代の学校教育の基本的な性質を知ることができるからです。みんな学校で学ぶことは当たり前。そうなって150年以上が経っていますので、当たり前のことをいまさら問い返そうとはしません。しかしプロの教員になろうという際には、その当たり前のところに注目する必要があります。 日本で近代的な学校教育がはじまったのは、明治維新のすぐあとの1872(明治5)年のことです。武士の時代を終わらせた明治の政治家たちは、学校教育にかぎらずさまざまな制度・しくみを、欧米に学び、導入しました。そこでまずは欧米において学校教育がどのように形成されてきたのかを見ることが重要になります。前述したような「子どもみんなが学ぶ」教育のしくみと、それを国家が企画し主宰するというしくみを、専門的には近代公教育(Modern Public Education)と呼びます。この近代公教育は、早いところでは17世紀後半ころにそれらしい姿を現しはじめていましたが、主宰する側つまり国家の側が「こういうコンセプトで、こういうふうにしましょう!」と言語化して打ち出したのは、1792年のコンドルセ案(フランス)だったといわれます。コンドルセ案そのものは次回(第3回)取り上げます。今回は、そこにいたるまでの過程をたどっていきます。近代公教育の特色を知るには、前近代の教育との違い(と共通点)を整理することが早道であるからです。「国内のほとんどすべての地域・・・均質なプログラムで」と前述しました。しかし「国」はかなり広くて、すみずみまで同じしくみを徹底するのは困難です。鉄道がなく印刷技術も不十分だった時代に、それを徹底できたとは思えません。それ以上に「国」の範囲が現在とはずいぶん異なりましたし、専制的な王様であったとしてもその国全体に権力を行き渡らせて「おい、私のいうとおりに教育しろ」と強要することは不可能でした。そもそも、そういう動機がなかったといえるかもしれません。では前近代においては、誰が、なんのために、どのような教育をしていたのだろうか。あるときには職業準備のためかもしれません。特定の仕事に就く際に必要となるスキルや知識を、誰かに学ばなければいけませんからね。そして、現代の日本人の多くはピンと来ないのだろうと思いますけれど、宗教(religion)の役割や作用が何よりも大きなものであったことを押さえておくべきでしょう。宗教は「教」の文字が含まれていることからも想像できるように、教育との接点がかなりあります。教義(宗教のおしえ)を広め、わからせていくことは、すなわち教育そのものです。ということは、その時代の教育の内容は宗教的なものであり、教える人は宗教者であり、教え方は宗教的なそれであった、ということが想像できます。もちろん、ここでいう宗教とは、欧州で最もメジャーなキリスト教です。 ところで、みなさんの中には外国に住んで現地の教育を受けていたという方も含まれるでしょうが、大半の方は日本の学校教育をずっと受けてきたのではないかと思います。小学校1年のはじめに、まず「ひらがな」を学び、そのひらがなを通して、算数やその他の教科の学習も開始されます。そこで用いられている言語は、日本語であったのではないでしょうか。当たり前ですここは日本だから、というのは現代人の思い込みかもしれません。前近代の教育においては、言語(language)を明確にしなければなりませんでした。教えられる(子どもが学ぶ)対象としての言語と、子どもに教える際に用いられる言語の両方です(後者を教授言語 teaching languageといいます)。いまフランスと呼んでいる国の範囲では、日本でいう国語はフランス語(français)ですし、算数も理科も歴史もフランス語を介して学ばれますが、フランス革命が起きたころ(18世紀末)は、フランス語が通用するのは現在の国土の北半分だけでした。南部では別の言語が話されていたのです。欧州では、どの地域でもそのような感じでした。欧州は大陸で地続きだからじゃないですか、日本は違うはずです、と思うでしょうか? ところが、程度の差はあっても日本でも事情は似たようなものでした。近代の教育は言語を統一し、いうところの「国語」を確立するという大きな使命を負っていました。ちなみに日本の「国語」が確立されたのは明治末期の1910年前後です。統一された言語のない時代の状況というのは、なかなか想像しがたいものがありますが、そのあたりもゆっくりじっくり探っていくことにしましょう。 REVIEW (9/19) ●中学校・高校は、教科の専門家でありつつ、子ども(青少年)のことを知る必要があるのは、とても大変だと感じた。先週、中学校の活動に参加した。教室に40人くらいいる学校なのだが、10人くらいはノートの進みや問題を解くスピードがついていけない生徒で、教科の専門家であっても、生徒のことを知らないと授業の運営は難しいと感じた。(材料) ●千葉工業大学で学んでいく中等教育は、初等教育の義務教育の延長線上でありながら高等教育のような「教科の専門家」という面もあり、「教師のあり方」を学ぶ重要性を感じた。一方で、一教科を取り扱う中等の教師と、授業全般やクラスの子どもを取り扱う初等教師では大きな違いがあることもわかった。(認知) ●授業を理解するうえで、ただ話を聞いて覚えるだけでなく、自分なりに解釈してそのつど理解することが、教員になるうえでも必要なスキルだと感じた。授業を受ける前は、中等教育は初等教育に近いものだと思ったが、教科の専門性を考えると、また異なるものだと考えた。さまざまな視点から見ることで、教育について深くまで考えることができると思うので、日々新聞などで情報を得るようにしたい。(認知) ●今回の授業を通して、それぞれの学校がどの教育段階にあり、またそれぞれの学校で制度や考え方にどのような性質があるのか、どのような相違点があるのかについて学ぶことができた。戦前の日本の学校制度である複線型を採用している国が現在もあることに驚いた。国ごとの学校制度について、より興味が湧いた。(認知) ●今回の授業で教育段階の話を聞いて、いままで高校生としてどの立場で授業を受けていたのかを知ることができて楽しかった。私は総合学科の工業科の出身で、教員への意欲がより強まりました。(宇宙) ●中等教育の教員にしかなれないと思っていたが、初等教育を対象とする免許も取れるようになることがわかった。だがすべてをできるようになるのは難しいと感じた。初等教育の教員は子どもの専門家ということにすごく納得した。記憶をさかのぼってみても、いっていることと何ひとつ違わなかった。(認知)
●高等学校は高等教育だと思っていた。高等教育は大学と高等専門学校のことだと知って驚いた。(類例多数) ●中等教育と高等教育を混同していた。高等教育についても再度復習しておきたい。また前期の授業にもあったが、教科と科目についても少し混同していた。科目(とくに理科)は9科目もある点についてもかなり難しいと思った。理科は1つの科目を(高校の範囲でも)究めるだけでも大変なのに、すべてを理解し教えられるようにするのは多大な努力を要するうえ、中途半端な気持ちでは絶対教えられるものではないと感じた。(高度) ●化学で9科目でびっくりしたけど、工業は60科目と聞いて衝撃を受けた。大変そう・・・。(応化) ●理科の教員免許を取りたいのに、9教科あるというのを初めて聞いて驚いた。自分が高校とかで受けていなかった教科は、どうやって補えばいいですか。(応化) ●教員免許状には理科と記載されるが、「化学を勉強したので化学を教えたい」というような希望は、いつ伝えればよいのか教えてください。(高度) ●初等と中等で大きく変わったところはないと感じていたが、説明を聞いて、思ったよりも変わっていることがわかった。(電電) ●今回の授業で、初等教育と中等教育の違いをよく理解することができました。中等教育は高等教育に近いというのが、予想と違いましたが、納得できる理由でした。今後は、初等は子ども、中等は教科の専門家というので、しっかりと理解していこうと思いました。私も教科の専門家になるために今後自分の学科の授業をがんばっていきたいと思います。(機械、類例複数) ●先生は、大学の先生には免許が要らないという話をするときに毎回、ワニの先生の話をしますが、なぜ数ある生き物の中でワニなのですか? 男の子だったからですか? (応化)
●中等教育は初等教育に近いと感じた。それは、彼らが未成年であることに関係していると考える。先生は生徒に教えることとして学問の他に、おとなになるためのさまざまな事柄を伝えることがある。それはただ学問を教える高等教育と違い、生徒たちの普段の生活とより近くで接してゆくということである。教科の専門家であると同時に、人生の先輩という立場であると感じた。(応化) ●私は、初等・中等教育と高等教育の一番の違いは、生徒指導をメインとしておこなっているかいないかの違いだと考える。(電電) ●中等教育の教員は、教科の専門家であるということをあらためて認識した。教科の専門性を高めるために、普段の授業をきちんと受けたうえで、教職課程の授業も意欲をもって取り組みたい。(認知) ●中等教育は、初等教育に近いと私も思った。大学はHRもなく自分で学びたいものを選ぶところが専門的だと思った。(材料) ●中等教育が初等教育に近いと思う理由。どちらも教員免許が必要、社会進出させるための教育をおこなう。逆に高等教育は免許が要らないし、高等教育に入った時点で学生はすでに社会進出できる状態にある。それぞれの将来のため専門を追加で学びたい人が入学する。(高度)
●小学校と中学校には大きな段差があると聞いた。小学校では、1,2,3の数字や四則演算など、目で見て確かめることができ、日常的に認識することができるが、中学校では -1,-2,-3など実際に目で見て確かめることが難しいのに、数学においては基礎で、できて当たり前のことを教えられるからだと考えた。(高度) ●中等教育にはクラスがあり、ホームルームがある。先生との二者面談・三者面談など、高等教育に比べ、より生徒個人個人を見ているイメージがあります。ですが中等教育に含まれる高等学校は義務教育ではないため、自分で行動するといったところは高等教育に近いと思いました。(電電) ●自分の中学時代を思い返して、初等教育と中等教育に段差があったことを思い出した。あらためて中等教育の難しさを実感した。(宇宙) ●高校受験である程度、学力(能力?)がそろうまで、とっても個々人の力に差が大きくあったのは、実感としてありました。(電電) ●初等教育と中等教育の間には大きな段差があるという言葉には、納得できるようで、腑に落ちない感じがしてしまいました。教育の自分の理想像は、初等と中等では変わらないと考えるからです。(高度) ●中等教育の先生になるうえで教科の専門家として学びを深めるのはもちろん、教科以外のスキルも求められると知り、かなり大変だと思った。(認知) ●初等教育と中等教育の差を緩和する動きは、来年にある学習指導要領改訂と関係ありますか。(高度) ●教育段階と学校種の話で、義務教育学校というのが出てきて、初耳だったので詳しく調べたい。次回からも国外の教育についても学ぶことができて、日本の教育と比較できそうで楽しみ。(宇宙) ●教科書p.15の4行目の義務教育学校とはなんですか? 義務教育学校は、小学校や中学校とどのような違いがありますか? (応化) ●特別支援学校が、就学前教育から中等教育までまとめられていることが驚いた。(経デ)
●私は、世界の学校制度が日本と同じ単線型だと無意識に考えて過ごしていましたが、初めて複線型の学校制度を知って、自分自身の視野の狭さを実感しました。広い視野を得るために、世界についても調べます。(応化) ●単線型と複線型という、哲学のようなテーマについて、より深めたい。(応化) ●単線型だと本人が決定できるが、複線型のほうが未来の計画を立てやすいと思う。(認知) ●小さいころから自分の道を選べるという点ではたしかに複線型はおもしろいが、じっくり時間をかけて幅広い知識を身につけてから選択するほうが、よく考えて選ぶことができると考えた。(機械) ●学校制度に複線型と単線型があることに驚きました。単純に自分が単線型の制度で育ったので当たり前に感じていましたが、複線型も、年齢によってはよい方法だと思いました。しかし小学生のうちに進路が決まるのは速すぎですね。(認知) ●私は、単線型の学校制度のほうが将来の幅が広がってよいと思ったが、それは選択を後回しにしているだけなのかとも思い複線型もよいのかもと思った。(認知) ●学校制度は、単線型のほうが、みんな共通の学びの中で自分のやりたいことをじっくりと決められるのでいと思った。初等と中等の段差については、近年では中学校の内容を先取りして小学校でも教えているので、段差をなくそうとしているのではないかと思った。(認知) ●小・中学校は学校を選ぶという人が少ないので、自分で選べるというのもいいと思いました。(経デ) ●複線型と単線型の話を聞いて、現在の単線型の制度は、まだ優しいのかなと思いました。正直、高校生の段階で文・理を決めさせて、残り70年くらい生きなければいけないかもしれないのに、そこで人生決めさせるのかと思っていたのですが、かなり猶予をくれているのかもなと思いました。(都市) ●今回は、中等教育の原理を勉強しました。複線型を採用している国はどのような理由でそうしているのですか? 単線型に関しても。(認知) ●私個人としては複線型の学校制度がよいと思うのですが、先生はどちらがより優れた制度だと思われますか? (認知) ●現代のドイツ等の学校制度と日本の学校制度とを比較し、初等教育と中等教育の間には大きな違いが存在することを学んだ。(材料) ●西ドイツの複線型はよく知られた制度であるが、これを採用するにあたって経済的な要因は影響したのだろうか。ドイツといえば製造業で、たしかに分岐には合理的な面があると思うが、同様に第二次産業の国と比較して相違点はあるのだろうか。(情工) ●中等教育について考える際には、生徒の発達段階だけでなく学校制度や教科専門性など、さまざまな視点が必要だとわかった。教科の専門性を保ちながら学校全体を見通すためには、何が必要で、大事なのかを知りたい。初等教育と中等教育の段差はなぜ埋められないのでしょうか? (認知)
●生成AIも効果的に使えるようにして、レポートや自習に活用したいと思います。時代や地域によって教育も変わっているので、とてもおもしろいと思います。(材料9 ●初等教育(小学校)に、通信制の学校が入っていないのはなぜか? 小学校の通信制学校はどこに含まれるのか? (材料) ●教育理念の地盤を固めていれば、時代で変わる環境にも対応できる教員になれるという考えには共感した。フンボルトの影響が財団や制度として今まで残っているのは、当時相当な衝撃だったのだと思いました。(材料) ● ●きょうの心の天気は雨です。先生の心の天気を教えてください。 ●教職の人が教わるところが3割カットされることでのメリットは何ですか。教職の勉強でいちばん身につきやすい勉強方法は何ですか。(経デ) ●中学校と高校の免許を考えているので、情報がアップデートされるように、新聞や本などをしっかり読んで、授業に加えて新しい情報を得て学びを深めていきたいと思った。(認知) ●古賀先生はどこの会社の新聞を購読していますか。(宇宙) ●今でも新聞を読む必要があることに驚いた。思ったより教育原理が細かくてびっくりしました。(高度) ●新聞以外にもチェックしておくべきものはありますか。(機械) ●新聞についてのお話がありましたが、ここは絶対・最低限読むべきといったトピックがあったら教えてください。(認知) ●今回から、より本格的に教職がはじまったが、教育という事柄をしっかりと勉強していこうと思った。今回の授業で、教員という職業に就きたいと前よりも強く思うようになった。(材料)
教育原理は、同じく2S配当の教育行政学とともに、最初に教職専門性に触れる機会となる科目です。学校教育というあまりにおなじみの対象に対して、自身の経験や思いではなく、歴史的・社会的な文脈からアプローチするのがこの両科目。教育行政学が、法・制度・政策といった面から学校教育を考察するのに対し、教育原理は、教育の理念・歴史・思想を扱います。1949年に現在のような教員養成のしくみ(授業本編で紹介する「開放制教員養成」)が成立した当初からあるのは、この教育原理と教育心理学(本学では4Sに配当)だけです。教育の歴史や思想って、後ろ向きというか、もう終わってしまった過去を学ぶので、なぜこれが教職専門性の最初に来るのかよくわからないという人もいることでしょう。真の意味は学んでいく中で自ら感じ取って(体感して)いただかないとどうしようもないのですが、逆にこの部分の知識や見識が欠けてしまうと、場当たり的で根拠の薄い教育を連発するようなダメな教員になってしまうかもしれません。そもそも、いま私たちが知るような学校教育がはじまって、200年になるかどうかです。学校教育がはじまって、よかった(進歩した)と思いますか? 副作用も起こったと思うのだけど、それを上回るだけのプラスが生まれたといえるでしょうか? それは今後もずっとつづくのでしょうか? 歴史的な思考は、そうした未来へ向けての展望に直結します。 千葉工業大学の教職課程で取得できる教員免許状は、中学校と高等学校のものです。これらは教育段階でいう中等教育(secondary educaction)に属します。いま大学生であるみなさんは、初等・中等教育を経て高等教育の入口にたどり着いたところですね。では、初等教育や高等教育と比較した場合の中等教育には、どのような特長や特質があるでしょうか。また、どのような弱点や欠陥があるでしょうか。特長は生かし、弱点はそれを意識して回避すべきですね。学校教育の「中の人」になると、そうした性質を熟知したうえでの役割を求められます。中等教育は、二つの面で複雑さ、ややこしさを抱えています。一つは、そこで学ばれる(私たちを主語にするなら「教える」)内容が高度で専門的だということです。高等教育ほどではないが、かなり抽象度が高く、量もそうですが質がとにかくハード。いま一つは、そこで学びの主役となる中学生や高校生の年代というのが、発達段階でいう青年期という時期である点です。子どもでも、おとなでもないその過渡期。この青年期は、子どもやおとなと違って、まるごと把握して理解するのがきわめて難しい対象です。そんな相手に、抽象的で高度な内容を教えるのが私たちの任務ということになります。この教育原理では、中等教育の成り立ちにとくに注目して、その特長や弱点をじっくりと観察します。日本でいえば、第二次大戦後の改革の中で、初めて中等教育がすべての人に開放されました。それまでは「中等教育は任意なので、受けたい人だけどうぞ」だったのです。なぜその時期に中等教育がすべての人に開放されたのか。それは「よい結果」だけをもたらしたのか。歴史の中から、そうした重要なものをすくい上げていってください。 当科目のもうひとつの重要な内容が教育の思想です。教育は人類につきものですし、誰もが学校教育を(児童・生徒として)受けていますので、理想の教育とか、教育の問題点というものに対する意見を各自それなりにもっているのではないでしょうか。しかし主観や経験だけから導かれる教育観は、しばしばハイリスクなものです。独りよがりで、およそ自分以外には通用しない論理なのかもしれません。学校教育がはじまってから現在までのあいだに、無数の人が経験した教育の中から特徴的な要素や側面を取り出し、適切な言葉で表現した教育思想は、私たちの教育観を立体的で「使える」ものに鍛え上げてくれます。いずれも典型的な文系のアプローチですので、理系のみなさんにはちょっと面食らうところもあるのでしょうが、教育者をめざすのであれば避けては通れない思考法といえます。ゆえに、大半の教職科目に先立って、この科目が設定されているのだとお考えください。
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