古賀毅の講義サポート2024-2025

Principe de l’éducation

教育原理


千葉工業大学工学部・創造工学部・情報変革科学部・未来変革科学部・情報科学部・社会システム科学部 (教職科目)
後期 土曜67 14:00-16:00)  津田沼キャンパス6号館 622教室

 

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2024(令和6)年度 教職科目における指導・評定指針

 

20241112月の授業予定 *テキスト該当範囲
11
30日 近代の教育思想 *4.14.5
12
7日 新教育思想 *4.64.7
12
14日 広がる教育観:新・新教育への道? *動画配信+課題作成
12
21日 日本の教育思想 *4.84.9

 


次回は・・・
11-
新教育思想

前回、ルソー、ペスタロッチ、ヘルバルトの3人を取り上げました。時代的には、3人目のヘルバルトの没年が1841年ですから、彼自身が欧州各地の公教育に直接かかわったということはありません(それなのに、死後の思想の影響力が強すぎて猛反発を食ってしまったのです)。歴史編でみたように、それから数十年のあいだに、日本を含む各国では公教育が急速に整備され、近代国家を強化する仕掛けとして、きわめて重視されていくことになります。そこでは、国家本位、おとなの都合優先にどうしてもなってしまい、子どもの特性や彼らの学びたいことなどは後回しになりがちでした。せっかく公教育が普及して、それまで教育を受けられなかった人たちもその恩恵を受けられるようになったのであれば、もう少し子ども側に寄り添った教育をしてはどうか。そのように考える人たちが出てきます。以上の流れを考えるとわかるように、公教育が普及して、ワンテンポの呼吸を置いて、そのあとの時代のことになるわけですから、実際には20世紀に入ってから、子ども側にシフトした教育という主張が本格的に展開されるようになりました。

教育という漢語は実によくできています。出典は「孟子」だそうです。教と育、「おしえる」と「はぐくむ」で、どちらの要素がなくても教育は成り立ちません。欧米から輸入したeducationに、うまい訳語を充てたものですね。さて、みなさんは教育という文字をあえて分解するとき、教と育では、どちらに重きを置くべきだと考えますか。両方なのはわかっています。あえていえば、どちら? ――近代公教育が確立されたころ、それはどうしても「教」のほうが優先されました。国家やおとなの側が、子どもたちに教えたい、教え込みたい知識や情報や道徳や価値がたくさんあったのです。いかにたくさん、量的に押し込むかというふうになってしまうのは目に見えていますね。その反動ないし反省ということで、20世紀に入るころに、「育」を重視する教育観が勢いをつけてきました。最も盛んになったのは1920年代。第一次世界大戦が終わったあとの、あとから思えば小休止の時代でした。国家やおとなたちの考えを教え込むのはいいが、その結果どうなったのかというと、国家と国家の利害が全面衝突して、空前の大戦争になり、勝者(英仏)も敗者(ドイツなど)も相当のダメージを受けました。あれだけ教え込んだものは、いったいなんだったのかという反省も、教育観の転換に影響したことと思われます。この時期に隆盛を迎えた、子ども本位、子ども中心の教育観に立った教育思想を、新教育思想といいます。新とついていますが100年前です。この新教育思想は、実際の教育運動(世界新教育運動)と結びつき、世界各地で学校がつくられ、新しいカリキュラムを試行する動きも強まりました。世界同時多発的だったのがおもしろいところです。

率直にいって、新教育思想が大きな流れになってくれたおかげで、教育思想も、そして実際の公教育も硬直化しないで済んだといえます。新教育は、それに反対する人も多かった(多い)のですけれど、でも間違いなく公教育に新しいエネルギーを注入してくれたと私は考えています(新教育は「知識注入」を嫌うので皮肉な表現にはなります)。ルソーやヘルバルトも、子どもの特性というのを念頭に置いて、「学ばせ方」を構想したのですが、ただそれらは経験や空想によるものでした。子どもの発達というのを観察し、実験や分析を繰り返して、科学的に整理したのがスイスの心理学者ジャン・ピアジェです。ピアジェの構築した児童心理学が、子ども本位の教育実践を科学的に支えました。当科目でもしばしば発達(development)に言及していますね。発達を適切に捉え、教育実践はその上でおこなわれなければならないと考えるのが標準になったのです。これも新教育の重要な功績です。今回は、欧州における新教育思想のあらましとその影響について論じ、少し時代はさかのぼるのですが、北米の独特な新教育思想であるジョン・デューイの「民主主義と教育」も読んでみることにしましょう。デューイは、占領期の教育改革を通じて日本の学校教育にも多大な影響をもたらした人物です。その日本でも、教育実践と結びついた新教育思想が192030年代に大々的に展開されたのですが(大正自由教育)、これについては最終回であらためて取り上げることにします。



REVIEW 11/30
*文意を変えない範囲で表現・用字法を改める場合があります。

250年前にルソーが書いた小説がなかったら、教育というものの発展が遅くなり、いまのような感じにはなっていなかったかもしれないと考えると、「昔の人の考えだから知らなくていいや」と思わずに、表現や思索の跡を借りて、教育だけでなくいろいろなことに使いたい。(高度)

「エミール」というルソーが想像で書いたものを実践するのは難しいのにもかかわらず、それを実践し、後継者たちによって近代の公教育がつくられていったことを学ぶことで、その間に起きた問題を考えてみようと思った。(応化)

近代の教育思想家としてルソー、ペスタロッチ、ヘルバルトについて学んだ。ルソーは小説というかたちで教育を語り、ペスタロッチはそれを実践した。ヘルバルトは、それらの思想を受け継ぐも、人格形成には知識が必要であるということで、発券からの学びよりも教えることの重要さを唱えた。この3人によって公教育の土台がつくられた。(情工)

思想編の授業は、いままでと比べてかなり抽象度が高いと感じた。他人の思想を理解するのは大変だと思った。ルソーは、250年後の現在とつながる思想をもっていてすごいと思った。これから先の子どもの状況もそうなっていくのか、考えてみたい。ペスタロッチ、ヘルバルトは、教育を広げ現在の公教育につながるような思想であり、とても先を見通していると思った。彼らが残した文章はかなり難解だが、教育に深くかかわった思想を少しでも理解し、これから先につなげていきたい。(電電)

その時代の一般常識や制度に囚われない姿勢が、ルソーの思想を生んだのだと思った。ルソーも幼少期に他のおとなから常識を植えつけられていると思うが、それなのにどうしてそういった思想が生まれたのかが気になった。ヘルバルトのところまで話が進むと、歴史と思想がどんどんかみ合っていって、おもしろかった。(情工)

ルターやロックは、宗教のことにしかかかわっていないと思っていたが、教育にもかかわっていることがわかり驚いた。歴史上でさまざまな人が教育にかかわったことで、いまの教育があるのだとわかり、教育の本質などを理解するためには過去の歴史を深く考察する必要があるとわかった。(認知)
・・・> 歴史編のあとに思想編を学びはじめて、いまごろ気づきましたか!と、ダメ出ししているわけではありません。この気づきが実感として得られるまでには相応の時間が必要で、ある意味で真っ当です。私が歴史と思想を分離して、同じ時代をなぞりなおすように授業を構成しているのも、「ああ、わかりました! 歴史編までさかのぼって、ようやくわかりました!」という気づきを得ていただきたいからです。さて、マルティン・ルターの教育とのかかわりについては第2回で取り上げていますので、おさらいしておいてください。宗と教に同じ漢字が使われているのは偶然ではありません。どちらも「教」なのです。ジョン・ロックは、宗教とは直接のかかわりがありません。17世紀に活躍したイングランドの哲学者・思想家です。公民では「市民政府二論」という著作ごと覚えさせられたのでは? 教育ではタブラ・ラサ(人間白紙論)が知られます。

教育思想家の思想を適切に吸収して、子どもたちに適切に教育しなくてはならないと思った。また一つの方法ではなくさまざまな方法で教育することが大事なのではないかと考える。(機械)

ルソーやペスタロッチ、ヘルバルトの本を読んでみようと思った。宗教のように自分の中に強い芯がある人は、信じられないようなレベルの善人になるのだなと思った。私も自分の中の芯を見つけ、大切にしたい。(応化)

ルソーと聞くと「社会契約論」が思い浮かんでいたが、今回の授業で扱われた「エミール」という小説があることを知った。(機電、類例複数)

もともと宗教を教えるためだった教育だったからなのか、こうした教育学者みたいな人は、同時に哲学などをやっていて、ちゃんとつながりがあるということに気づきを得た。(機電)
・・・> 今回取り上げた3人の中で、教育学者であるのはヘルバルトだけ。彼が元祖ですからね。もちろん、ルソーやペスタロッチの中に「(いまでいうなら)教育学的な要素」を見出すというのは大いにありえます。同時に哲学などをやっていて、といっていますが、ヘルバルトの世代あたりまでは、哲学≒学問でした。紀元前のギリシアから、ずっとそうです。いまは哲学というと、いろいろある○○学のうちのひとつ、みたいになっていますけれど、本来は学問そのものであり、思考や学びそのものでした。19世紀に入って、プロイセンにベルリン大学(現 フンボルト大学)が創立され、そこで学科・講座制が確立されます。物理や化学などの理系分野の強い影響を受けて、文系がいよいよ学問系統ごとに分化されていく一つのきっかけになりました。でも、その後であっても哲学というのは「学問の共通文法」みたいな面を有していましたので、理系の人も含めて、たいていベースとして共有していたのです。最近じゃないですかね、哲学をほとんど学ばずに大学を卒業してしまう人が大多数になったのは。


ルソーの出身地 スイス ジュネーヴを上空から見たところ
レマン湖からローヌ川が流れ出す付近に展開し、中世後期から商工業で繫栄した

 

ルソーの教育思想には、現代でも多くの点で関連するところがあり、感動した。250年前に青年期について気づいていたということに驚いた。(電電)
ルソーのイメージが変わった気がします。思想から教育の本質を求めていることがイメージでき、「エミール」がリアルなものだと理解できました。(高度)

250年前にもかかわらず、生き方が縛られていた世の中で、主張しようと思ったことを、学びが少ない時代でここまで表現できるのもすごいと思いました。また青年期に世間に放り出されてしまったことが、不幸中の幸いだったのかなと、いまを生きる私は思ってしまいました。人間としての教育というのは、生きるための基盤を教えることだと知り、いまの教育とはあまり似ていないと思った反面で、「学問のすすめ」などを見ると似ていると思ったりもしました。(認知)

子どもはおとなと違うから、伝え方や教え方を工夫しなければいけないというのは、当たり前のことのように感じるけれど、おとなになってしまうと子どもの立場に立って考えるというのが自然とできなくなってしまうのかなと考えました。子どもがさまざまなことに興味をもてるように教える力を身につけたいです。(応化)
・・・> 「できなくなってしまうのかな」と自問しているところを見ると、まだおとなになりきっていないのかな? 「自然とできなくなってしまう」というのはそのとおりです。ですから教育者は、子どもの発達や学習・認知の特性、行動のあり方などを「観察対象」として捉え、分析し、学ぶ必要があります。

ルソーが知識を教えることに消極的だったのは、当時の貴族の学校を見ていたからでは? (機械)
・・・> それは大いにあると思います。

特定のことにしか役に立たないことを教えるのではなく、人間として自由に生きていくために必要なことを、身分に囚われずすべての人に教えるというルソーの考えは、すべての人が同じ内容を学ぶことができる公教育につながっている。当時の状況で、現代の教育につながる考え方を生み出したルソーの偉大さがすごく伝わった。(機械)

人々がまだ身分に縛られていた時代に、知の光を灯し、青年期を発見したルソーは本当に頭おかしいと思った。(材料)

ルソーのように、「人間」を育成し、その後は自由に職業に就いてかまわない(それには興味がない)という考えは、自律性を養い、主体性を重視していることが感じられる。一人ひとりがそれぞれの考えをもてるようにし、考えや職が受け継がれてしまう社会に対する批判的思考の推進が望まされていたのではないだろうか。(高度)
人間はみな平等で、天職は「人間」であること、というのは、あくまで特定の職についてではなく人間として教育する現代の公教育につながる考え方であり、驚いたとともに、このルソーの思想によって、公教育についての理解が深まった。(高度)

「天職は人間である」、という言葉に少し共感した。ルソーのいう地位、つまりは職業であるが、それに向いているかどうかなど、そのときに行動すれば変えられると考えた。それに対し、われわれがいま存在しているということは、自分の力では変えることができない。人間としての生をもらったことが奇跡なのだと考えた。(機械)
・・・> おお、すばらしい論じ方で、するどい。デカルト(神によらず存在することの発見)→ルソー(属性を離れたゼネラルな人間像)→カント(個・主体の確立)という1718世紀の思想史をきちんと押さえられていますね。日本国憲法13条とか、教育基本法1条も、おおまかにはその系譜の下流にあります。

当時はみられなかったはずの青年期について、ルソーが想像で細かい内容まで書けていたのはすごいと思った。とんでもない想像力だと思った。(高度)
「エミール」の一部を読んで、ルソーは予言者のようだと思いました。18世紀には明確になっていなかった青年期の特徴(とくに精神的な面)を表現し、社会や周りの人間が青年期の人間に与える影響が大きいことを示していました。(機械)

ルソーの青年期の表現、「暴風雨(あらし)」というのが、たしかにそうだと思った。第二次性徴で多感な時期をあらわすのにぴったり。そこから「第二の誕生」の時期にあたる中高生を教えるというのは、一通りや、一方通行ではいけないということもわかる。(認知)

ルソーは極貧生活だったという話があったが、その生活の中で出した教育小説をどうやって広めたのか疑問に思った。私のイメージでは、そのような時代は、貴族でもない庶民の、しかも極貧の者の意見が世間に広まるとは思えなかった。(高度)
・・・> 極貧だったのは少年時代。ヴァランス夫人のもとに出入りするようになって生活は上向き、その後もアップダウンはあったものの、1750年ころから論文が注目されるようになり、知識人にその名が知られるようになっていました。当時の西欧は一種の出版ブームのようになっていて(それが最大唯一の「メディア」だった)、革新的な社会観を示す書を刊行すれば、たちまち売れっ子になっていたのです。

 
ジャン-ジャック・ルソーの墓所(パリ パンテオン)
フランス革命直前の「夜明け前」の時代を、強靭な意思と独創的な思考で駆け抜けた超人

 

ルソーの理論を、ペスタロッチ、ヘルバルトの2人が、一般的?な教育現場で使えるようなレベルにまで持ち込んだ。ただ、文学で多くの人にわかりやすく伝えたのはルソー。(高度)

ルソーの小説内での出来事が現実になるというのは、いまでも同じようにあり、マンガやアニメの出来事が実現してきたかのように思えて、いかに理想の言語化とその実現が世界を革新するのかがわかりました。(高度)

ルソーの思想を受けて、それを実写化し、さまざまな人に伝えたペスタロッチがいなければ、いまの公教育にはつながっていなかったのだと思った。今回の授業で出てきた作品を最後まで読んでみたくなった。(機電)

ルソーによってよみがえらされた古代の思想をペスタロッチが実写化し、公教育への道を開いたというのがすごいなと思いました。教育と子どもに対するペスタロッチの姿勢に感動しました。ルソーの妄想を実践し、本に書いて残したことにより、後の世界に貢献していてすばらしいです。(情工)

ルソーは当時の社会に不信感をもっていたが、貴族たちはそれを感じていなかった。生い立ちによって考え方が大きく変化したのだと思った。「エミール」は、いまの教育の基礎になっている内容が多いと思った。これが、ペスタロッチのおかげで広く知られたことで、いまの教育につながったと考えると、ペスタロッチの存在はとても大きなものだったと思う。(機電)
・・・> そうですね。ペスタロッチが「エミール」を広く知らしめたというより、同書の教育観を実践してみて、その有効性や意義を知らしめたということのほうが大きいのでしょう。「エミール」自体は、公刊された直後から全欧で知識人などに読まれ、大きな反響を呼びました。ゆえにヴァチカンのローマ教皇が激怒したわけですからね。「エミール」が描いた人間観に、強い衝撃を受けて、自身の思想を転換(というよりアクセル、でしょうか)したのが、近代哲学のある種の到達点ともいえるイマニュエル・カントです。いつも同じ時間に同じ道順で散歩しているカントが、「エミール」を読んで感動しすぎたため散歩を忘れ、カントの通過を時計代わりにしていた町の人たちが心配したというエピソードは、倫理の教科書などにも載っていますね。

教育の視野に入っていなかった子どもにも教育を提供することの重要性を説いたペスタロッチの思想は、公教育の普及の足がかりとなった。彼がルソーの思想を実践していなければ、子ども中心の教育というのが抽象的な理論のままとどまり、教育現場が停滞してしまっていたかもしれない。「最も憐れな・・・」という言葉、すごく感動しました。(都市)

ジャン-ジャック・ルソーは、プラトンなどの古代の考えを自ら学んだ。「エミール」はフィクションではあるが、思想として教育を推し進めていて、物事の本質を捉えるきっかけをあたえてくれた。ペスタロッチはルソーの書いたものを視覚化した。子どもには本よりも絵を見せたほうが理解しやすいため、そこに着目して劇などをつくった。これにより教育方法が現代に近づいたのではないか。(応化)
・・・> ペスタロッチについて少し誤解があります。絵を見せたほうが理解しやすい話は、17世紀のコメニウス(「世界図絵」)に関することでしょう。「実写化」というのは私の独特の言い方だったのですが、「視覚化」とは違います。メディアに親しんでいるいまの若い世代には実写化のほうが伝わりやすいのかなと思いましたが、よくなかったですかね。「実践化」つまり架空の話ではなく実際の教育活動にしてみせたということ。

ルソーは自己の後悔も含めて書いており、教育をこうすればよいといっているが、ペスタロッチは生きるために必要な力を教えていて、すべての人にこの教育をするのは大変だがいっていることは正しく、子どもを見捨てない教育は理想的だと思った。(情工)

ルソーの考えを実社会で実践したペスタロッチの実行力がすごいなと思った。また、教育しないと治安が悪化するのだなと思った。ペスタロッチのように、人に恵まれることは重要なのだと感じた。(高度)

ペスタロッチの聖人的な人格は、彼の家庭環境や周囲に何かあったからなのですか。それとも元から備わっていたものなのでしょうか。(機電)
・・・> どうなんでしょうね。同じような境遇の人は同時代に結構いたはずですが、ペスタロッチのような人は他にはなかなかいません。近代という、ある意味で混沌の時代のはじめに、神がお遣わしになったのではないかと本気で思いたくなります。

「シュタンツだより」においてペスタロッチは、どんな子どもにも人間性の可能性を見出したといっているが、私にはどうしても受け入れがたい。たしかに、どんな子どもにも教えるのをあきらめなければ可能性はあるかもしれないが、その子ひとりに注力することはできないし、中学校でも高校でもその生徒を見ることができるのは、せいぜい3年である。可能性を信じるのは大事だが、あくまで公教育の一端を担うであろうわれわれには、あきらめが必要だと考える。(認知)

キリスト教圏であるので性善説が前提となる思考だった。もとは清らかであるのに貧しさによってそれが汚れている。だから、自らがほどこし、人格の形成をおこない、最終的に教化するというのは、現代の中等教育にも必要だと考える。私も教師として、教育の範囲で生徒のコミュニティに入り、より近い場所から発達を導きたい。(応化)

今回出てきた3人の思想、行動にとても感銘を受けた。前回の課題の中で出てきた学びの本質ということを絡めて思ったのだが、ペスタロッチの「生活が陶冶する」という言葉が絶賛されたのなら、公教育の単線化に際して、なぜ下構型に合わせてしまったのだろうと、少々遺憾だった。現代のhow to teachを見直して、ヘルバルトの陶冶を考えていきたい。(機電)
・・・> そうねえ。私の考えですけど、ペスタロッチはやっぱり初等教育なんですよね。時代の要請がそこだった、ということ。20世紀に入って、みんなのための中等教育(secondary education for all)が必要とされたときに、なぜ必要になったのかという部分(社会の高度化)ということを考えるなら、抽象度の高いつらら型に集約するのが当然だったのではないでしょうか、やっぱり。ただ、それは目的や内容の話であり、教育方法までつらら型のそれを踏襲してしまったのが、まさに遺憾だったと思うのです。

この大学がペスタロッチと関係あったなんて驚きました。いったいどのような関係があったのですか。(高度、類例複数)
・・・> 最終回で、私が忘れていなければお話しします(^^)。


ペスタロッチと子どもたち(Wikimedia Commonsより)

 

数百年前の思想家の考えたことが、いまの世界をつくっている。画期的なシステムを考えて、かつ実践したからこそ、彼らは歴史上に名を遺したのだろう。ヘルバルトは、よくも悪くもいまの世界に爪痕をつけたと思う。(高度)

欧米の教育思想では、教育する対象についての認識など、日本の公教育の概念に影響を与える考え方が生まれた。教育学の出現によって、その概念が強化されていったのではないかと思った。(認知)
・・・> まったくそのとおりだと思います。明治期に入って以降の日本では、学問としての教育学は東京帝国大学などの大学で学ばれ、それ自体は理論であり実践の技術ではありませんでした。一方、そこで学んだ人たちが教員養成の現場である師範学校(初等教員養成の学校で、たけのこ型の中等教育機関)に降りていって、未来の教育者たちを鍛えました。ちょっといいにくいのだけど、国立大学を想定したときに、法学部や経済学部、文学部などに比べて、教育学部となるとワンランク下がるようなイメージありませんか? 戦後は高等教育がみんな「大学」になってしまったので、整理がつかないだけで、教育(すること)を学ぶ、という教育学にはいまもうっすら2段階あるのではないかと思うわけです。私自身は、実践化できないでなんの理論なのかと強く考える人なので、ランクが低かろうと「ワザじゃないか」とけなされようと、必要で重要だから教育学を研究し、教えています。

ヘルバルトが嫌われてしまった原因は、対面ではなく本で教育について述べたからだと思う。対面で同じことを論じていたら、相手の反応を見ながら話せるので、伝わりやすい言葉を使ったのではないか。(高度)
ルソーが「エミール」を書いた当時は、そのような思想が生まれるような状況ではなかったのに、現代の教育にまで通じるような教育思想を生み出すことができていてすごいと思った。だが、ヘルバルトの思想が通じなかったと学んで、文章力が大事だと思った。(経デ)
・・・> ヘルバルト先生が文章下手すぎたから伝わらなかったのか(汗)。いや、そうではなくて、全部ではなくても伝わりすぎた(そして影響を与えすぎた)からこそ嫌われたのだと考えてください。

ルソーの考えたこともすごいが、ペスタロッチの実行力がすごくて、見習いたいと思う。ヘルバルトの理論は難しく、誤解されたのは悲しい。多面的なことから興味を引き出して教えるのは必要だと思ったが、それが人間の形成になるというのは理解できなかった。しかし二の舞にならないようにワザだけど磨くことは危険だと思った。(認知)

ヘルバルトの話は複雑で難しかった。ルソーよりもハインリッチのほうがいまの教育に近いと思った。(情工)
・・・> 本当に難しかったんでしょうね。ハインリッって誰? (そもそもファースト・ネームで呼ぶのは「ナポレオン」など例外的な場合だけだし、ハインリッヒはミドル・ネームだし)

5段階教授法によって、安易で低次元なhow to teachが蔓延することになったが、逆にいまの教育でヘルバルトの教育学と同じことをやっても、難しすぎるのではないかと思った。(認知)
・・・> 5段階教授法は時間の関係でカットしたため、次回の冒頭で扱います。ヘルバルトの語彙が難しいだけで、いっていることは超シンプルです。そうでなくては全国の小学校で実践するというわけにはいかなかったことでしょう。

書くことがわからなくて、急いで知識を詰め込んで、何か書く。かなり図星だった。知識を教えて2段目の「道徳的品性の陶冶」につながるとは、やはり思えない。(機械)

ヘルバルトが、教育の目的を「興味の引き出し(任意)」と「人間の形成(必然)」の2段階に設定したことが革新的だと感じた。このように段階的な教育が、現在の教育の基礎になっているように思えた。(経情)
・・・> 19世紀後半に入って、実際に公教育へのコミットをはじめたころのヘルバルト派の学者たちは、意図的にこの2段階設定を強調したのだと思う。国内すべての子どもを初等教育に就学させるとなると大量の教員が必要になるが、その人数的にも、そして彼らが下層の出身で教養的なバックグラウンドを十分にもっていなかったこともあって、すべての教員(をめざす人)が2段目まで理解するとは思えません。せいぜい1段目の「いろいろな知識を教える」ということだけでも達成できれば上々、というふうに考えざるをえなかったのでしょう。「現在の教育の基礎になっている」というのは、まったくご指摘のとおりですが、だからよくて、だからダメなんじゃないの、ということですね。

ヘルバルトの設定した2段目の「人間をつくる」という部分は、文化資本に恵まれている人でないとわかりづらいのに、当時の教員たちはたけのこ型で学んだというのがとても残念だ。ただ、つらら型が多かったとしても、結局一般人には伝わらず、そこまで変わらなかったのかとも思う。(材料)

ヘルバルトが設定した「道徳的品性の陶冶」というのは、道徳という分野でまかなえるのではないかと思った。(機械)
・・・> そのように思う人が、とくに日本人には多いと思う。むしろヘルバルトや、(覚えているかな?)コンドルセのように、知を入れ込むことによって道徳を磨くという発想のほうが、「なにそれ?」っていうふうになるでしょうね。でもそれだと知育(端的には知識を入れ込むこと)は個別の知識をただインプットし、どこかで使えるようにするというくらいになってしまいます。いろいろな教科や分野の学びを通して、「考え方」「見方」「捉え方」という抽象的な能力が鍛えられ、それによって道徳とか倫理といった「人のみち」を高度に、かつ応用可能なように捉えられるようになったという自覚はないでしょうか。道徳を、単に道徳として知識から切り離して教えると、低レベルで「心がけ論」の範囲を超えない道徳に終始するというふうに、私は考えています。『教育原理』p.102の私のコラムをお読みください。

ヘルバルトの話を受けて、あらためて、難しくても深いところまで理解することが大事だと思った。(電電)
・・・> はい。そうだと思います。普通に考えて、高校や大学レベルの学びが、シンプルで「わかりやすい」はずはありません。工業大学の学生であれば専門分野にかかわらず思い知っているだろうけれど、おとなが使う「ちゃんとしたもの・システム」というのは、たいてい専門家が見ても複雑で、すぐには理解不能なものばかりです。「わかりにくいです。もう読むのやめます。複雑なのが悪いんです」となってしまうと、大学生としての存在意義が薄まってしまいますし、そのまま教育者になると、こんどは生徒にそれ(その病気)が伝播してしまいますよね。

アンケートでも「知識を求める」を答えた人が少なかったが、やはり教科専門性をもつ教員としての学びを追求したい。(認知)

「知った」「わかった」で終わらせている部分が自分にもあるので、改善していこうと考えた。(認知)
いままで知識暗記的な勉強をしていたので、急には難しいが、少しずつ授業中に自分の考えや疑問をもつ練習をしようと思う。(認知)

知識をただ教えて終わり、ではなく、その知識を通して人間をつくっていけるような教え方とはどのようなものか? もっとがんばって理解したいと思う。(機械)

ルソーの、人間が自然に備わっていることに沿って支援していくという教育方針は、人が自ら動くので、自分で考える力も身につく気がしました。またヘルバルトの考え方、「多面的な興味をもたせて、まともな人間をつくる」というのは、いまだと興味のあることをネットで調べられるため、暗記する量が増えるだけで多面的な興味をもたせることがしづらいのではないかと思いました。

ルソーは、子どもに教えるのではなく自然から学び取らせ、ペスタロッチは日常生活から学ぶべきだと説いている。ただヘルバルトは、知識を教えることによって人間形成になると考えている。いったいどのように知識を得て社会で応用するのか、難しい問題だと考える。(応化)
・・・> 時代と、場面と、対象と、そして発達段階の違いがあるのではないかな。

木曜日に、ある英語の先生が、期末テストに出る英作文は事前にお題を発表し、一度書いてもらったのをこちらで添削するので、それを暗記してきてくださいといっていました。暗記力のテストと間違えているのですかね。(応化)
・・・> どんな文脈でおっしゃったのかわからないので判断できないのですが、外国語の学習においては(漢文などもそうです)、それはアリというか、有効な方法だと私は思います。文章の「型」や、それぞれの場面で固定的に用いられる語彙などがありますので、それはまず暗記して自然に出てくるくらいにしなければ、身につきません。学生が「テストのための方便で、それが終わったら忘れていいのだ」と考えてしまうと、そうした意図まで吹き飛んでしまってもったいない。

家に帰ってからmanabaでちゃんと読んでみようと思いました。ルソーに感銘を受け、ペスタロッチが自分自身で学校をつくったのがすごいなと思いました。(都市)

特定の分野のことだけを教えるのではなく、さまざまな知識を与えることでもなく、それによって人間をつくるというような教育をできるようになりたいと思いました。(高度)

生徒に教える立場として、教科を学ばせるのを極めればよいと私は考えていましたが、丸暗記させることが目的ではなく、人間性を形成する手助けをすることも教員としてする必要があると考えました。やはり教育を受けていないと、人格がゆがんだ人になってしまうのかと思うと、教員はかなり責任重大代と思うし、知識を覚えるだけで結局学びになっているのか、生徒たちのためになっているのかと考えていくことが求められているのだと考えます。(高度)

 


開講にあたって

入学直後の1Sで教職課程の履修・受講を開始したみなさんは、いよいよこの2Sから本格的な教職科目(教職専門性を形成するもの)に取り組むことになります。教育行政学とこの教育原理がまず設定されているのは、法令上の構成がそのようになっているということもありますが、児童・生徒という立場ではあまりになじみ深く、それゆえに主観や経験をなかなか脱することができない学校教育という対象を、いままで考えたことが(たぶん)ないような角度、視点から捉えて、専門職をめざす立場で思考するためです。教育行政学は、学校教育にかかわる法・制度やその運用を中心に学び、教育原理は歴史・思想を軸に教育の理念を深めるものです。高等学校での区分でいえば、前者が政治・経済や現代社会、後者が歴史や倫理に近いといえます。いずれも学校教育を外側から捉えて、輪郭や性質を明らかにすることに主眼があります。この作業を怠れば、いつまでもユーザー(児童・生徒)側の記憶をひきずったまま教育する側に回ってしまうという失敗につながります。また、学校教育は不変・不動のものではなく、時代や社会状況、地域や、ほかならぬ生徒たちの傾向などによっても変わります。より正確にいえば、変わらない不動の部分と、変わる部分とがあります。自身の児童・生徒時代の経験というのは世の中全体からみればごくミクロのものでしかなく、それを一般化することはできませんし、何より「過去」のものですので、それを基準に未来の教育に携わることのまずさは、おわかりいただけるのではないでしょうか。

学校教育は曲がり角にあるといわれます。詳しくは本編で述べますが、いまのような学校教育のしくみが生まれたのは100200年くらい前のことです。日本では明治維新のあとで確立されました。そのころと現在とでは社会状況がかなり違います。私たちが情報や知識をどこから得るのかを考えてみると、テレビや新聞などのマス・メディア、そして現在ではそれ以上にインターネットの果たす役割が大きくなっています。メディアが未成熟だった明治時代にあっては、おそらく学校教育というのが最大の情報源だったはずで、全国に小学校がつくられ、そこで同一内容が教えられたということの意味は、現在よりもはるかに重かったのではないでしょうか。いま、学校の先生よりもインターネットの情報のほうがアテになると思っている児童・生徒は結構多くなってきていて、学校は情報や知識を得て自己を形成する場ではなく、友達と遊んで交流する場、さらには「行かなければならないことになっているから行く」というノルマやタスクの場になっているかもしれない。要は、社会全体の中で占める比重が軽くなっているということです。その学校教育のメイン・スタッフである教師をめざすみなさんは、そうした学校教育の本来の性質、今日的な変化、いまも変わらぬ優位性や特色などを専門的な見地からよく知り、今後もずっと上書きしていかなければなりません。学校教育を動態的に把握し理解することが、専門職への第一歩ということになります。

理系の大学は、文系に比べて専門の間口を狭く設定しています。したがって自身の専門分野というものを堅実に捉え、深く探究するというよさがあります。反面で、専門以外のことについての目配りが難しく、心理的にも「これは専門と違うので」というふうになりやすい。教職科目は基本的に文系ですので、専門ではないどころか関心や得意分野からかなり遠いものということになりやすいかもしれません。しかし職業適性や専門性の形成ということを考えるならば、そうしたエクスキューズは自分自身の得にならないばかりか、将来の教え子の教育にまで悪影響を及ぼしかねません。教職課程の学生はダブル専門をもっているのだという気概と自覚をもって、教職科目の授業と、その先にある教育の深遠な世界に向き合っていきましょう。

<使用するテキスト>
古賀毅編著『教育原理』(学文社、2020年)

 

当科目の評定方針

課題の成果により評定します。課題は23回を予定しています。
出席点はいっさいありません。

 

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