古賀毅の講義サポート 2025-2026

Principe de l’éducation

教育原理

千葉工業大学工学部・創造工学部・情報変革科学部・未来変革科学部・情報科学部・社会システム科学部 教職課程
後期 土曜67限(14:00-16:00) 津田沼キャンパス 6号館 611教室


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2025(令和7)年度 教職科目における指導・評定方針

20251011月の授業予定
10
25日 公教育の変容(日本)
11
1日 中等教育の諸課題(1)
11
8日 中等教育の諸課題(2)
11
15日 中等教育の諸課題(3) *オンライン(動画配信)
11
29日 近代の教育思想


次回は・・・
7-
中等教育の諸課題(1)

欧米と日本における近代の教育のあゆみを見てきました。とくに私たちの主たる関心の対象としての中等教育secondary education)が、まったく異なる2つの発生源をもっていること、ある時期以降に「誰もが受けるべき教育」として認識され、制度の単線化が図られたことなどを確認したところです。そうして誰もが中等教育を(生徒として)経験するようになって久しいので、中学校や高等学校のあり方や内容についても「そんなものだ」と当たり前のこととして捉え、そこについていけるかどうかは個々の生徒の問題である、というふうに捉えられるようになっています。「ついていけるか」というのは、教科の学習はもちろんですが、集団生活とか、課外活動、進路選択への準備といったことも含みます。実際についていけない生徒、十分についていくことが難しい生徒が少なからずいることは、みなさんも実例ごと知っていることでしょう。教職課程の学生としては、そうした事象をプロの教育者の視線で捉えなおし、専門的な見地から考えることをめざしたいところです。自身が専門家として向き合っていく対象=中等教育は、どのような姿として見えてくるでしょうか。

今回は、中等教育がもっている性質とそれに伴う教育課題として、歴史的な成り立ちに由来する構造的な問題(欠陥?)を検討します。下構型(エリート型・つらら型)と上構型(非エリート型・たけのこ型)の中等教育が、単線にまとめられたとき、どうしても下構型の性質が強く残ることになります。上構型が本来もっていた進路ごとのこまかな対応や、職業や社会生活につながるような学習の手ごたえのようなものが後退して、抽象的で概念的な学びが主になります。「みんなのための中等教育(Secondary Education for All)」にはなったけれども、「みんな」がその学習についていけるわけではなく、それ以前に動機を喪失してしまうようなこともしばしば起こりました。英語という教科を例に考えてみましょう。英語が小学校の教科に取り入れられたのは2018年度からと新しいので、ひとまず「中等教育で初めて学ぶ教科」であると考えてください。実際に、英語くらい出来のよしあし、動機のあるなしがはっきりする教科も他にありません。日本語は多くの生徒にとって母語ですので、「国語」という教科ができなくても困りませんが、英語は多くの場合、自分たちの外側にあるものですので、できる・できないが、本当にくっきり明確にあらわれます。「あまりよくできない」「どちらかといえばわからない」とかではなくて、「できる」か「できない」かがはっきりします。後者はおそらく、英語の授業で自分が何を学んでいるのかという手ごたえすら得ることができないままではないでしょうか。もともと日本の英語教育は、下構型(つらら型)中等教育に附随する教科でした。高等教育段階では英語やドイツ語などの外国語の文献を読めなくては学問ができなかったので、その準備のため(高等教育で学べるだけの前提を身につけるため)に、中等段階から必須だったわけですね。しかし戦前には、高等教育に進む者はひとにぎりの人だけでした。英語は本来的にエリート型の教科だったわけです。それが、中等教育の単線化に伴って、「みんな」が英語を学ぶようになったのが戦後です。一部のエリートだけが学ぶ場合と、「みんな」が学ぶ場合とでは、学び方(教え方)が同じであってよいはずはありません。しかし、実際には戦前のあり方をさほど変えることもないまま、「みんな」を教えてしまいました。わかりやすくするために英語を例に出しましたが、数学も理科も同じです。

個々の教員に、教育の制度や仕様を変える力は残念ながらありません。でも、現状のしくみの欠陥を自覚して、そのマイナス面をなるべく抑えつつ、よさを生かしていくということは十分にできます。欠陥とかマイナスだと気づかないのであればそれはもうどうしようもなく、現に気づけない先生も少なからずいるのでしょうね。また、高校や大学に進学する際には入試という工程を経る必要があり、そこには一定の努力や準備が必要になるため、中学校や高校での学習が「受験向け」にならざるをえない面がどうしてもあって、そのことが本質的な構造の矛盾を覆い隠してしまうという側面があります。大学に入学してさほど時間の経っていない1年生だからこそ、ある程度のゆとりをもってじっくり思考できるのではないかと思います。そのような時期のみなさんに、現代の中等教育のもつ課題を、あらためて考えていただく機会にします。

 

REVIEW 10/25

今回の授業を通して、歴史を知ることで、教育の仕方や学校制度、法律が変わった理由を知ることができたと思います。戦後の教育改革は、アメリカの占領が終わったあとも、実はアメリカの思惑どおりに日本は改革していったのではないかと思いました。(機械)

授業を受けて、教育の歴史の流れが二転三転していることに驚いた。また教育行政学の授業の話と結びつくことが多く、おもしろかった。(高度、類例複数)

戦前・戦後、占領前後と、教育の変化が激しく、現在までの教育にどうつながっているのかがわかった。当時の教育が時代の流れで変化していったが、その理由を知るためには、国際情勢を知り、民衆の価値観について考えなければならないと考えた。(経デ)

日本の教育は、戦後のシステムも逆戻りコースも、戦争や他の国との関係から、されるままにそうなったのではないかと思う。(認知)
・・・> 「されるまま」と断言してしまうと、その時々に苦闘・腐心されていた人たちに悪い気もするなああ。もうちょっとマイルドにならんかな。

今回の授業を受けて、学校の制度がどのように複線型から単線型に変化したのか、変化するまでに何が起こったのかを学ぶことができました。教育実習のときに道徳を教えなければならないということを初めて知り、少し不安になりました。(認知)

公教育は、ベースは変わらず新たなシステムを入れ、少しずつ変わっていることがわかった。今後どう変わっていくのかさらに気になった。(応化)

教職の授業を受けるたびに、歴史を覚えていないので、学びなおしたいと感じる。教育改革について学んで、変化するのが速いと思ったが、現代も変化しつづけているので、それについていけるようにしっかりと学びたいと思う。(情工)

教育行政学の授業で、教育基本法は日本国憲法から抜かれてつくられたということを学んでいたが、教育をめぐるしくみにまで話が広がるという部分では、本当に必要なものを整え、つくっていくことが重要であると強く感じた。(認知)

教科書の墨塗り時代を、勝手に長期間だと思っていましたが、あまり長くなかったことを知り驚きました。(高度)

米国による戦後の日本の支配を政治や教育の面において日本のためのものであったか?という否定的な意見があったが先生はどう考えているか。(応化)
・・・> うう、国語がアレで質問の意味がよくわからん(汗)。「意見」ってどこにあるのですか?

今回、戦前・戦後の変化の話を聞いたとき、自分が生徒として経験してきた「教育」のイメージとの相違点をいくつか感じた。なぜ「経験に囚われない考え方を身につけること」が1Sの教職概論で強調されていたのかがよく実感できた。(応化)


広島市 平和記念公園

 

戦前と戦後で教育理念が大きく変わっていて、「人格の完成」を学校でしてくれて、とてもすばらしいと思った。人前に出て恥ずかしくない人になりたい。(応化)

戦後の単線型学校制度と中等教育の普遍化は、教育の機会均等を実現し、民主的社会の形成に大きく寄与したことがわかった。(都市)

戦前と戦後でこんなにも改革が起こって、新たなシステムが導入されているとは思わなかった。性別など関係なく誰もが大学に行くことができるチャンスを手にしたのは、よいことだと思った。(電電)
占領教育改革によって、日本の教育が大きく変わったことがわかった。戦前は縛られた教育であったが、戦後は自由で平等なものへと変わり、私たちが当たり前に学べてきたのは、この改革からはじまったことであるということに驚いた。(認知)

複線型の学校は、どのように中学校/高校/大学に分類されたのですか。旧制高等学校はなぜ高等学校ではなく大学になったのか。(都市)
・・・> 米国教育使節団報告書の「初等および中等学校の教育行政」のところをお読みください。まず義務教育を9年に延長する方針が採られました。ということは、中等教育の前半を切り出して、全員共通の学校種にする必要があり、そこで現在の中学校3年というのが確定。複線型で多様な中等教育機関のうち、新しい中学校3年より後の部分を単線化して、これを新制高等学校としました。米国教育使節団報告書では「上級中等学校」とあり、そのほうが実態に見合った表現なのですが、なぜか制度名称のインフレが起こって、中等なのに高等学校という名がつき、こんにちにいたります。高等教育機関はすべて大学に一本化するという方針だったため、高等教育の一部をなしていた旧制高等学校も大学に組み込まれました。

戦前の道徳教育は、これが正しい、といった教育のあり方だったが、戦後は考える材料を与え、無理な教養をしない教育へと変化していったことがわかった。この変化がよかったのかどうかはわからないが、それぞれが考える力を伸ばすことができると思った。(機械)

主要5教科の中では社会がいちばん新しく、いま私が選択している情報は全教科の中で最も新しいということがわかった。(高度)

占領期の社会科の位置づけが、現在とは違っていてとても興味深かった。(高度)

社会科の先生ってすごいんだなと思った。道徳の授業がどのように生まれたのか知って、よい人間になるために必要なんだなと思っていた気持ちが薄れた。(認知)
・・・> 道徳教育への思いはともかくとして、社会科の先生ってすごいんです。えっへん。

道徳が、学校生活全体で学ばれているということ、そのため知識を教えるのではなく考え方を教えているのだとわかり、とても納得した。(機械)
教育改革のひとつである全面主義道徳教育の内容が興味深かった。学校の教育活動全体が道徳教育というスケールの大きさにびっくりした。(高度)

学校教育のすべてが道徳、という言葉が印象的だった。学校に行かなくても勉強できるという環境の中で、それでも学校に行く理由が明確になったと感じた。たしかに道徳は学校でしか学べないと思って、深まった。授業でもあったように、学校全体を通しての道徳教育であることは変わらないと思った。(応化)

道徳教育の時間に、休み時間や社会科見学、お掃除の時間も含まれていることに驚きました。(認知)
・・・> 認識はほぼよいのですが「道徳教育の時間」といってしまうと、ズレてしまう可能性があります。占領期の改革で修身の教科を廃止し、1958(昭和33)年の学習指導要領で「道徳の時間」を設けるまで、道徳教育をおこなうための専用の「時間」は存在しませんでした。休み時間や社会科見学やお掃除の時間は、道徳教育の場や機会でもあった、ということです。学校教育で「時間」と表現されるのは、週に何時間、年間で何時間と表現されるように、時数の割り当てを伴う授業のことです。英語ではperiod2025年現在、これに相当するのは、学級活動の時間(小・中)、総合的な学習の時間(小・中)、総合的な探究の時間(高)です。教科ではないが、教科と同じように○時間というperiodの割り当てがある、という趣旨。

道徳教育は、私が受けたものと現行のものとでしくみが違うことを知り、教育が変化することを実感した。(応化)

全面主義道徳教育というのは、公教育が存在する意味そのものだと考える。修身のようなコマで「社会」や「自分のあり方」を学ぶのではなく、学校での生活全体で知識を得て、そこから自分はどう考え、どう生きるのかというような教育は、私教育ではできないことだと思う。(認知)
・・・> それをわかってくれたのならば、もう満点。

学校にかかわるものすべてが道徳の教育にかかわっていて、誰かから正解を教わる教育ではなく、芽だけ出す手伝いをして後は生徒自身の中で育てるという方針で道徳教育がおこなわれていたことに納得した。とくに、人が社会に出ていくときに重要な役割を担う道徳は、教育の仕方が難しい。ある意味、国民性までも決めてしまう科目であるため(戦前の教育を見てわかるように)、これからの教育でも、変わっていく社会に合わせて学校教育全体を見つめなおしていく必要があると思った。(応化)
・・・> それをわかってくれたのならば、満点。だったのだけど惜しいことに99点。道徳は「科目」ではない、ということですね。言葉尻ではあるのだけれど、学校教育の基本的な用語とその意味はちゃんと押さえて、使えるようにしておきましょう。そもそも小・中学校に「科目」はありません。また1958(昭和33)年の学習指導要領で新たに設けられたのは「道徳の時間」であって、「教科」ですらありませんでした。これが半世紀以上もつづき、2015(平成27)年の学習指導要領一部改正で、小・中学校に「特別の教科 道徳」が置かれることになりました。みなさんは中学生のときにそれを学んでいますよね。あれも正確には「特別の教科」ですので、数学などの「教科」とはちょっと違う性質をもっている、ということです。数値評価をおこなわないこと、中学校に「道徳の先生」がいないことなど、たしかに一般教科とはかなり異なります。


戦後初期の小学校の教科書(国宝 旧開智学校の展示物)

 

戦争がいかに教育に影響を与えるのかを知った。日本の教育は、私としては戦後のほうがよくなったと思うが、やはり戦争は起きてはならないとも考えた。(電電)

個人的に気になったのは教育行政の再集権化である。公選制だと政治的な考えをもった人がいるが、任命制にすることで危険が減ったと考えられた。(機械)
・・・> 2つ間違い(認識の甘い部分)があります。(1)首長に任命されたところで、委員が「政治的な考え」をもつことに違いはない。首長と同じような思想傾向に一本化されるだけのことです。(2)政治的な考えをもつことがいけない、と考えるのがナンセンス。いい齢をしたおとなが、なんらかの政治的傾向をもつことは当たり前のことであり、「中立」とかほざいている人は、実は「無知・無見識」であるだけです。考えを改めましょう。

開放制教員養成があることで、さまざまな分野で学んだ人が教員をめざすことができ、教育の内容がよりよくなる。また、教員不足の緩和などにもつながる。(都市)

開放制教員養成だけがいまも残りつづけているので、これから先も残ってほしいと思いました。(高度)

戦後になって、なぜ教員養成が師範学校から一般大学における開放制に変わり、それが今日までつづいているかがよくわかった。(認知)

アメリカによる占領教育政策によって、戦前のシステムが大きく変化し、新しく生まれた制度などもあるが、教員養成は開放制にするのもいいが師範学校も残し、より専門的な指導ができる教員を養成するのもよいのではないかと思った。(高度)

占領後に学校給食が生まれたということに驚いた。(電電)
・・・> みなさんの世代は、学校給食というとお米のごはんが中心だったと思いますが、私たちの時代(昭和後期)にはほぼ「パン」で決まりでした。占領期に学校給食がはじまったのは、子どもたちに栄養をつけさせようという政策であったことは間違いありませんが、全国の子どもが一斉にパン(小麦)を食べてくれればそのぶんのお米が不要となり、食糧不足の緩和になるという、おとなの判断があったためでもあります。子どもが給食でパンになじめば、彼らが成人したあともお米以外を食べる習慣ができ、お米が浮いて助かるという長期的な見通しもあったのですね。そのころは、国民一人あたりのお米の割当量というのが法令で決まっていて、「食糧通帳」というのが渡されていました。外食でごはんを食べるときにも、駅弁を購入するにも、この割り当て分のバウチャー(食券みたいなもの)が必要だったのです。いや時代ですね。

当時の教育改革には、世界情勢により、近隣国の共産主義などの影響もあったが、さまざまに改革していきいまのような制度になったのだと驚きました。いまの世界情勢についても目を向けていきたい。(高度)
・・・> ぜひ目を向けてください。不可欠の姿勢です。ところで、今回の内容の捉え方、とくに時系列がやや混乱しています。何と何が何に対してどのような影響を及ぼしたのか、というところがこんがらがっていないか?

○○大学よりも格上だと知って、少し千葉工大を好きになりました。(認知、類例複数)
こんなに(よい意味で)頭のおかしい人たちがいる大学なのに、実は○○大学工学部より格上ということを知って、周りに自慢したくなった。(機械)
・・・> おい、ネタだってば(笑)。

 
蒋介石(1887-1975年) 中国国民党を孫文から受け継ぎ、1949年まで「中国の国家元首」であったが国共内戦に敗れ
台湾に逃れてそこで中華民國を維持した いまの「台湾」国家の実質的な創設者である
(左)台北 中正紀念堂の蒋介石像(かなり巨大です) (右)市川市の中山法華経寺の境内にある蒋介石像 なぜここにあるのかはよく知りません

 

なぜ逆コース的な教育の変革が起こったのか疑問だったが、世界情勢によると聞いて、納得してしまった。いまの教育の基盤ができているような感じでおもしろかった。(高度)
教育が戦前に戻るような動きがあったのは知っていましたが、その主因が東西冷戦だったと知り、納得しました。(経デ)

教育行政学の授業で学んだ逆コースというのが、どのような世界情勢のもとで起こったのかを今回の授業を通して学んだ。(高度)
教育改革の修正(逆コース)は教育行政学の授業でも学んだが、その背景に冷戦があるという視点は目から鱗だった。教育行政も社会の情勢によっては政治に従属することもあるのだろうかと思った。(情工)
教育改革の修正(逆コース)は、戦前の国家主義的な教育を受けた人々の動きによるところが大きいのだと一時は考えたが、冷戦の影響もあって、いまにつづいているのだとわかった。当時の日本の人々に合うように、修正をかけはじめたときと、そのときの情勢が絡み合って、現在につながっていると思う。(情工)

今回の授業を通して、逆コースがなぜ起こったのかがわかった。アメリカから反感を買いそうだったのにおとがめがなかったのは、冷戦のためだったということが理解できておもしろかったです。(経デ)
せっかくつくった教育のシステムを変えられてしまって、アメリカ側はそれをなぜ無視するのかなと思っていたが、冷戦の話を聞いて、なるほどなと思った。教育について読み解いていくためには、周辺国の歴史を知っておくことで、より深く考えられることがわかった。(応化)
・・・> なるほど、アメリカが日本に教育改革(民主化)をやらせて、それなのに日本側が勝手にそれを逆戻りさせたのだから、アメリカは怒ったのではないか、と考えていたわけですね。戦後史の知識が要るのでちょっと複雑になりますが、ぜひ知っておいてください。本質的には、アメリカが民主化をやらせて、アメリカがそれを逆戻りさせた、というのが占領期〜講和独立期のパターンです。つまりアメリカ側の方針(占領政策)が大きく転換されたのです。それに呼応して、日本国内でも、政治を担う勢力の移動がありました。だいたい194849年あたりが、占領政策の大転換が起こった時期です。要因はもちろん冷戦の激化。終戦直後は、日本が二度と暴れないようにその牙(きば)を抜く(=軍事的に無力化する)ことに主眼が置かれ、徹底的な民主化が指示されました。しかし中国や朝鮮半島で社会主義勢力が優勢になってきたこと、欧州でもソ連の影響力が東欧を覆うようになったことで、アメリカは危機感を募らせます。日本の無力化をこれ以上進めたら、社会主義勢力の拡大を食い止めるどころか、むしろ日本が社会主義になってしまうかもしれないと思うようになります。そこで、経済改革の路線を修正して、援助がなくても自力で経済を復興させられるようなテコ入れをおこない(ドッジ・ライン)、いったんは拡大させた労働者の権利を再び抑制し(たとえばポツダム政令201号で公務員のストライキ権を剥奪)、財閥解体を緩和し、レッド・パージといって社会主義や共産主義の疑いのありそうな人物の公職からの排除を日本政府に指示しました。最も大きな転換は、非武装化をやめて軽武装という路線を採用したことです。これは朝鮮戦争の勃発(1950年)を直接の契機とするものであり、憲法9条で「戦力」を保持しないという規定はそのままに、自衛力としての警察予備隊(現在の自衛隊)を設置させました。いずれも、アメリカが最初にやらせた方針を、アメリカ自身が変更したことが直接の契機となっている転換でした。教育政策の修正も、まずはこのような文脈の中で考えると、わかりやすくなります。

日本の教育の逆コースについて、その原因となったのが、冷戦による社会主義の広がりを防ぐためという話。やはり歴史は一つの出来事を他の出来事とつなげながら見たほうがおもしろいと感じた。日本が表向き独立したということでも、アメリカの思いどおりだったのかもしれないと思った。(機械)

戦後の教育改革を進めていたが、冷戦によって、日本は自国の防衛、アメリカは日本を共産主義にしたくないという利害の一致があったことで、修正がおこなわれた。冷戦という要素を考えると、いまの日本の教育には地理的な要因も大きくあったのだと思った。(認知)
もし日本が社会主義になっていたら、太平洋側も社会主義になり、資本主義と社会主義が同じくらいの数になった可能性があると思うと、ぞっとした。(電電)

逆コースを別の角度から見ることができた。逆コースが起きたのは、国民の思想を統一するためなのか、民主化の修正をしたい逆コースだが、いまはなぜその動きはないのか、なぜ止まったのか? (応化)
・・・> あれから70年も経っているので、もう「逆」ではないのでは。それよりも、「動きがない」「止まった」と思っているとすれば社会観察が甘いか、右派に甘い(笑)。F先生がため息をついちゃうかもよ。

戦後の教育改革の内容の節々に、「国から押しつけたい」という考え方を感じた。国際社会の動きに教育の形が振り回されているように感じた。(認知)
・・・> いわんとするところは「戦後の教育改革」ではなく「戦後の教育改革の修正」もしくは「逆コース」では?

戦前から戦後で大きく変わった教育システムを戦前のように再び戻すという動きがあった影響でいまの日本の教育があると考えると、占領期の教育改革は意味はあったのかと思った。(認知)
・・・> 後半の国語がイマイチで、二通りの解釈ができてしまいます。(1)占領期の教育改革って、本当に意味はあったのだろうか?と考えてしまった。(2)占領期の教育改革って、意味なかったんじゃね?と思った。さ、どっち? 「あったの」みたいな口語的な書き方をすると、誤読されたり意味を逆に受け取られたりするリスクが生じますので、修行しましょうね。私が考えるのは、1950年前後の動きは、あくまで「修正」であって「戦前への逆戻り」ではなかった、ということです。ベクトルの向きとしては戦前のほうを向いているかもしれないが、戦前タイプの教育に戻ったわけではありません。それは戦前・戦後の比較の表を確認すればわかります。逆コースがあったとしても、どちらに近いかといえば、圧倒的に占領改革の後のほうですよね? そのため私は、1950年前後の修正を経てもなお、「現在の教育の出発点」は占領期だと主張しているわけです。意味がなかったなんてとんでもない。意味しかない。(ある/なし を二進法的に考えないほうがよさそうですね)

 

 

教員の数が足りずに質よりも量を優先した結果、誰でもできるような主知主義にもとづいた教え方に戻ってしまったのは、とても残念に思う。現代に求められる教師像は、知識を求めるだけでなく非主知主義のような、考え方や知識を用いてどのように社会を生きていくのかを教える姿なのではないかと考える。(情工)

教員が足りず、質より量ということで開放制が残ったというが、いまの教員、教育の質は昔と比べてどうなっているのか、考えてみたい。(高度)

最近のニュースで、女子生徒にわいせつな行為をして免許を剥奪され、再取得するということを2回くらいやって、最後は無免許で教えるということをやった人が逮捕されたというのを見て、日本の教員の管理が少し緩いと感じた。今も昔も、理由や背景は違えど、教員は不足しているのだと思った。ただ、数だけ増やすことはよくないと私は思う。(認知)
・・・> ニュースの内容として認識している部分が、少し事実と違うようです。福岡県で逮捕された容疑者は、教員免許の再取得をしないまま、失効した免許状のコピーをもとに偽造するなどして(その際に名字を変えるなどして)各地で何度か再任用されていました。報道によれば、再取得はしていない模様です。また逮捕されたときには「無免許で教える」ことをしていたのではなく、教員免許状の不要な職務(学校補助員)をしていました。教員免許状の取得・更新・失効などのしくみは少し複雑で、一般人にはわかりにくいため、今回のニュースをうまく受け取ることができなくても仕方ありませんが、教職課程の学生ですのでそこは正確を期しましょう。ここから先は、私の意見ですが、今回の事件は「教員の管理が緩い」という話ではないと思います。教員免許状の電子化と全国的なデータの統一という単純なことすらしていなかった国の政策の誤り、緩さが主因ではないか。個々の教育委員会が、教員免許状の原本をチェックする責任があるのは当然ですが、もとのしくみが緩すぎるのです。私も、いわれてみれば原本を確認されたことは一度もなく、コピーと免許状番号の提出だけで採用されていました。

開放制教員養成によって多くの教員が誕生したが、その中には生徒ひいきをする教員や、やる気がない教員、罪を犯す教員さえもいる。教員不足ゆえ、質より量を重視しなければならないのはわかるが、それが前述のような事態を招いているような気がする。(認知)
・・・> 私もおおむねそのように思います。ただ、開放制のゆえというよりは、教員それ自体の数が多くなったのだから(中等教育が拡大した分)、質のよくない教員の数も増えるということだろうと思う。そして、レビュー主だけでなくみなさんに考えていてほしいのは、自分もまた「そっち側」になる可能性があるかもしれない、という点です。罪を犯すのは問題外ですが、生徒のえこひいきや、やる気のなさって、大学生としての自身のあり方の中にそのような芽のようなものがないかどうか、自省的に考えておきましょう。(ちなみに私はめっちゃ「ひいき」します。それが何か?てな感じで)

教員採用試験の一次試験が国によって統一されるのは、黒板さえ書けない人を青田買いするようになったからなのかと考えた。(高度)
・・・> 「なったから」のかかり方、それでいいですか?

教育について、私はあまり口を出せる立場ではないのですが、そろそろAIの授業をつくらないと、国家の利益が損なわれると思いました。(応化)
・・・> それはそのとおりです。国もいまそこに向かって、具体的にどうするかを煮詰めている段階。ま、しかし、実際にはなかなかうまくいかないだろうな。高校の情報IIすらまともに教えられる教員が少ないといわれています。AIにまで進むと、いよいよアレですよね。われわれの大学は「そういうのが売り」なので、われわれこそ「AIをきちんと教えられる教員」を送り出さなければならないと思う。ですよね情報方面のみなさん。

かつて東京都が、東京府と東京市の2つに分かれていたことに驚きました。(認知)
・・・> 教職関係の本筋の話ではないのですが、昨今の政治情勢にもかかわるので触れておきましょう。日本の地方行政が、「都道府県」(広域地方公共団体)と「市町村」(基礎地方公共団体)の2階層になっていることは誰でも経験的に知っていますね。しかし東京23区だけは、都があって市に相当するものがありません。その代わりに特別区(千代田区、港区などの23区)が市のような役割をもっています。このような地域は全国で東京都だけですね。授業でも少し触れたように、戦前はちゃんと東京府・東京市の2階層がありました。首都を政府直轄にして合理化し、戦時体制を強化するねらいで、第二次大戦が最も激しくなった1943(昭和18)年に、東京府と東京市を合併して市を廃止し、府の直属にしたというのが東京都のはじまりです。このほど自民党と連立政権を組んだ日本維新の会は、もともと大阪に拠点のある地域政党から発展したものですが、大阪では過去2度にわたって「大阪都」をつくるための住民投票をおこない、いずれも失敗(賛成が過半数に足りなかった)しています。そこでめざしていたのは、戦時中の東京都と同じように、大阪府と大阪市(と堺市)を合併して市をなくし、東京23区のような特別区を置くということでした。今回の与党入りで、維新の会は「副首都」を制度化するという政策を自民党に同意させています。大阪の地位の引き上げということにほかなりません。最近の動向を理解するうえでも、東京都の成り立ちという知識をもっておくほうがよいかもしれません。

ころころ変わる教育のシステムにも歴史的な意味があった。よいと思われる点も悪いと思われる点もあるが、結果的にいま日本が戦争しているわけではないはずなので、このまま現在の教育まで学びをつなげていく。(認知)

時代とともに変化する教育が、今後あらぬ方向に進んでしまわないか不安になった。(情工)

いまも教員不足であると思いますが、開放制教員養成の他に、教員養成の方法が追加されることはあると思いますか? (高度)
・・・> ありそうですよ、というのが目下の業界のウワサです。来年あたりにははっきりすることでしょう。




開講にあたって

教育原理は、同じく2S配当の教育行政学とともに、最初に教職専門性に触れる機会となる科目です。学校教育というあまりにおなじみの対象に対して、自身の経験や思いではなく、歴史的・社会的な文脈からアプローチするのがこの両科目。教育行政学が、法・制度・政策といった面から学校教育を考察するのに対し、教育原理は、教育の理念・歴史・思想を扱います。1949年に現在のような教員養成のしくみ(授業本編で紹介する「開放制教員養成」)が成立した当初からあるのは、この教育原理と教育心理学(本学では4Sに配当)だけです。教育の歴史や思想って、後ろ向きというか、もう終わってしまった過去を学ぶので、なぜこれが教職専門性の最初に来るのかよくわからないという人もいることでしょう。真の意味は学んでいく中で自ら感じ取って(体感して)いただかないとどうしようもないのですが、逆にこの部分の知識や見識が欠けてしまうと、場当たり的で根拠の薄い教育を連発するようなダメな教員になってしまうかもしれません。そもそも、いま私たちが知るような学校教育がはじまって、200年になるかどうかです。学校教育がはじまって、よかった(進歩した)と思いますか? 副作用も起こったと思うのだけど、それを上回るだけのプラスが生まれたといえるでしょうか? それは今後もずっとつづくのでしょうか? 歴史的な思考は、そうした未来へ向けての展望に直結します。

千葉工業大学の教職課程で取得できる教員免許状は、中学校と高等学校のものです。これらは教育段階でいう中等教育secondary educaction)に属します。いま大学生であるみなさんは、初等・中等教育を経て高等教育の入口にたどり着いたところですね。では、初等教育や高等教育と比較した場合の中等教育には、どのような特長や特質があるでしょうか。また、どのような弱点や欠陥があるでしょうか。特長は生かし、弱点はそれを意識して回避すべきですね。学校教育の「中の人」になると、そうした性質を熟知したうえでの役割を求められます。中等教育は、二つの面で複雑さ、ややこしさを抱えています。一つは、そこで学ばれる(私たちを主語にするなら「教える」)内容が高度で専門的だということです。高等教育ほどではないが、かなり抽象度が高く、量もそうですが質がとにかくハード。いま一つは、そこで学びの主役となる中学生や高校生の年代というのが、発達段階でいう青年期という時期である点です。子どもでも、おとなでもないその過渡期。この青年期は、子どもやおとなと違って、まるごと把握して理解するのがきわめて難しい対象です。そんな相手に、抽象的で高度な内容を教えるのが私たちの任務ということになります。この教育原理では、中等教育の成り立ちにとくに注目して、その特長や弱点をじっくりと観察します。日本でいえば、第二次大戦後の改革の中で、初めて中等教育がすべての人に開放されました。それまでは「中等教育は任意なので、受けたい人だけどうぞ」だったのです。なぜその時期に中等教育がすべての人に開放されたのか。それは「よい結果」だけをもたらしたのか。歴史の中から、そうした重要なものをすくい上げていってください。

当科目のもうひとつの重要な内容が教育の思想です。教育は人類につきものですし、誰もが学校教育を(児童・生徒として)受けていますので、理想の教育とか、教育の問題点というものに対する意見を各自それなりにもっているのではないでしょうか。しかし主観や経験だけから導かれる教育観は、しばしばハイリスクなものです。独りよがりで、およそ自分以外には通用しない論理なのかもしれません。学校教育がはじまってから現在までのあいだに、無数の人が経験した教育の中から特徴的な要素や側面を取り出し、適切な言葉で表現した教育思想は、私たちの教育観を立体的で「使える」ものに鍛え上げてくれます。いずれも典型的な文系のアプローチですので、理系のみなさんにはちょっと面食らうところもあるのでしょうが、教育者をめざすのであれば避けては通れない思考法といえます。ゆえに、大半の教職科目に先立って、この科目が設定されているのだとお考えください。


使用するテキスト
古賀毅編著『教育原理』(学文社)

 

 

 

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