Les deux villes principaux en Irelande: Dublin et Belfast

 

PART6

 

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21世紀に入ってからほぼずっとこの時期に訪欧しますので、「もう2月も終わりか、早いな〜」という感想をいつも抱きます。「もう2月も終わりか、早いな〜」ともう感じる時季なのか。早いな〜 228日(金)は840分ころチェックアウト。繰り返しますが8時半から朝食タイムというのはサービス業としていかんです。下見の成果かそもそも当然のことか、78分ほど歩いてコノリー駅にやってきました。独立闘争の英雄ジェームズ・コノリーを記念する駅名で、2つ隣のピアース駅は同じくパトリック・ピアースに由来します。いちいち紹介するときりがないくらい、ダブリンの固有名詞にはナショナリスティックな意思が反映されています。

  コノリー駅


ちょうど通勤時間帯のため、列車が着くとずらり並んだ自動改札機から無言の人たちがどばっと吐き出されてきます。東京でよく見る(自分もしている)のと同じ光景ですね。ヒューストン駅と違ってここは階上駅ですが、行き止まり式のホーム、自動改札機の具合などはよく似た構造です。ただ、こちらのほうが現代的な内装。まだ時間があるのでコンコース内のカフェでクロワッサンとカフェラテのコンチネンタル・ブレークファストにしようか(合わせて€4.70)。先を急ぐ通勤客を横目にコーヒーををすするのはいい気分ですが、クロワッサンは某JR系列の駅内カフェと互角の非常に残念な出来でした。フランスのだって出来のよしあしはあるけれど、さすがに一定以上のレベルは保持されているよ。今回の旅行でユーロを使うのはこれが最後です。次回までには円安が解消されていますように!(日本の景気よりわがプレジャーの都合が優越するのだ わはは)

 


ダブリン→ベルファストの切符(左下の青い線が検札の跡です)


自動改札機に名刺大の切符を通して進むと、めあての列車の停まるホームの手前に有人改札があって1人ずつ指定券を改めています。国際列車ゆえかテロ防止か、ちょっとだけよそ行きの気分になりますね。まずホーム上にあるガラス張りの待合室に通され、発車の5分くらい前になってドアが開いてホームに出られました。ところが、指定されたG号車というのが編成のどの車両なのかさっぱりわかりません。普通はドアのそばとかデッキあたりに表示があるのだけど、それがないのです。ひとまずどれかに乗り込んでしまってもよいのだけど、キャリーバッグを引いているので狭い通路を行き来したくはない。乗客のひとりに訊ねてみたものの「ごめんなさい、わかりません」というので、号車表示に規則性がないのか、この人が自由席客なのか。すると車内販売のワゴンを押している大柄の女性が通ったので、G号車はどこですかと訊いてみたら、「いちばん前の車両です。あ、でももう発車時刻だから車内を通っていったほうがいいです。あ、いやいや、まだ2分くらいあるから大丈夫か」と。――ご親切に、どうもありがとう。いったんホームに降りて小走りに先頭車両をめざしました。あらためて考えてみるとABC順でGが先頭だということは、8両編成だったんでしょうね。車内はすべて4人向かい合わせのボックス席で、窓上の座席番号のところにMr.KOGAの名と乗車区間を記したカードが挿してあります。

乗車時にばたばたしたので、上着を脱いで座席に落ち着いてまもなく列車が動き出しました。すべてのボックス席の真ん中にはテーブルが固定されています。向かいは若いお母さんと3歳くらいの男児。お母さんの話す英語が何となく訛って聞こえますが、こちらの語学力も大したことがないので気のせいかもしれません。アジア系のエキゾティックな顔立ちに見えるのですが・・・。「ベルファストまでですか?」――ええそうです。そちらも? 「はい。アイルランドへはビジネスで?」――いえ観光です。ダブリンも、ベルファストも初めてです。

男の子は飲んだり食べたり遊んだりでなかなか楽しげですが、ママさんのほうは実に上手に彼をコントロールします。叱らず、にらまず、常に優しい声ながら、要所で先回りして的確な指示をしている。私には育児経験がないのでよくわからないのですけど、昔の母親って全体に子どもの「操縦」が上手だったような気がするなあ。錯覚かなあ。男の子は機関車トーマスのジグソーパズルを取り出してテーブルで遊びはじめました。あまりにエリアが広がりすぎるので、「だめよ、そこから先はこの方(古賀)のスペースだから」と気遣ってくれます。――いやいや、自由に使ってくださいな。泣いたりわめいたりされるのは愉快でないが、そういうことには全然ならないので、むしろ癒されるし、退屈せずに済みます(笑)。

G号車を教えてくれた女性の車内販売員さんが回ってきて、各種の飲み物などを売ります。ワインを入れるために空にするはずだった昨夜のミネラルウォーターがあるから、私はいいや。通路をはさんで反対側の夫婦はブレークファスト・セットを注文した模様。ワゴンにセットされたサーバーからコーヒーを注いで手渡すと、携帯電話で「もしもし、ダイニング・カー?」と呼び出し、ベーグルセットを2つ、G号車に」と指示して、ファストフードでするように注文待ちの番号札をテーブルに置いていきました。なるほどそういうシステムなのね。それと、支払に際して「ユーロにしますか、スターリング?」とも訊ねていたな。夫婦はユーロ決済を希望しましたが、あとでもう1回飲み物を購入したときにはスターリングと指定していたので、「国境」を厳格に守る方針だったのかもしれません。

いま乗っている列車にはエンタープライズという愛称がついているのだけど、そうしたアナウンスはなかったように思います。架線がありませんし、イングランドの在来線で採用しているような第三軌条(線路の横にもう1本レールを敷いて、架線ではなくそこから集電する。銀座線や丸の内線がこの方式)も見えないので、ディーゼル機関車が引く列車のようです。ときどきそれなりの都市に停車するものの、あとは畑か牧草地のようなところを走ります。波状的なブリテンからの植民活動があった関係で、この島には森林というのがあまり多くないそうです。1005分ころドロヘダ(Drogheda)、1026分ころダンドーク(Dundalk)に停車。次のニューリー(Newry)には1045分で、とくに何があったわけでも、車窓の景観が変わったわけでもないながら、国際法的な意味でいえば「国境」を越えました。アイルランドの都市名はよく知らないけれど、駅名票の意匠が変わったのでそれとわかります。「あ、オレンジ色のラインだ。JR東海エリアに入ったんだ」みたいな感覚です(残念なことに、ばたばたしていたためコノリーの駅名票を撮りそこねました)。車掌が来て、指定席票を回収していきました。

前述したように、アイルランド共和国と連合王国は非シェンゲン国どうしですが互いに自由通行を認めていて、両国に関するかぎり国内扱いです。ですからパスポート・コントロールもなければ荷物チェックもありません。ともかくも、わたくし5回目の連合王国なのですが、入国審査(あの執拗な 丁寧な問答)をしないというのは初めてのことです。もっとも、過去4回の入国審査も一様ではなくて、1回目はロンドン・ガトウィック空港で普通にやりましたが、2回目はグラスゴーに向かう途中でいったん着陸したバーミンガム空港で、3回目と4回目はユーロスター乗車駅であるパリ北駅での審査でした。冒頭で述べたように、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国というのがこの国の正式名称なのに、「イギリス」という日本のガイドブックに北アイルランドが収録されているケースはほとんどありません。リュックに入れている「地球の歩き方」は、『アイルランド』という巻にアイルランド共和国と北アイルランドが入っていますので、今回の旅行にはたいへん好都合です。主権国家の意味なんてさほどのものです。――と強弁してみたいところですが、そうでもなかろうね。

  ベルファスト中央駅


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28に着いたリスバーン(Lisburn)駅は、昔の日本の国鉄駅みたいな田舎くさい造り。ここではホーム上のポスターが目に入りました。例のラグビー6ヵ国対抗選手権観戦のための切符の案内で、ベルファストに当日往復して鉄道なら₤30、コーチ(バス)だと₤25だそうです。ラグビーのアイルランド代表が南北共通なのは前述のとおり。明らかにベルファスト市内に入ったなというところで列車は減速し、1147分の定刻にベルファスト中央駅Belfast Central Station)に到着しました。ここもターミナルというには手狭な感じですね。ちなみにネットで事前予約したダブリン→ベルファストの包括運賃(特急指定料金込み)は€14.99、諸経費込みで€17.99。かなり安いねえ。

ベルファストBelfast)は連合王国領北アイルランドNorthern Ireland)最大の都市です。ベルファストと聞いてタイタニックを連想する人はレオさまのファンか船舶好き(タイタニック号はここのドックで製造された)。女スパイのミハルとカイ・シデンの悲恋を連想する人は中年以上のアニメおたく(「機動戦士ガンダム」の最初のシリーズで、ベルファストは地球連邦軍の拠点になっておりホワイトベース一行も寄港したという設定)。ベルファストと聞いてまずテロを連想するのは、残念ではあるけれども社会的見識をもった人でしょうか。私が「北アイルランドに行ってくるよ」といったら、「大丈夫なの?」「危なくないですか」と訊ねてくれた人がありました。いまの30代以下の人にとってテロといえばイスラム原理主義というイメージでしょうが、冷戦世代にとっては北アイルランドこそテロの本場のように受け止められていたものです。忘れもしない19912月、生まれて初めての海外旅行としてロンドンに出発する前日に、ダウニング街(連合王国の首相官邸)にIRA(アイルランド共和軍)暫定派が爆弾を打ち込んだというので騒ぎになっていて、うわ〜欧州(外国)ってやっぱりやばいんだと緊張したものでした。北アイルランド問題が争点になっているとはいえ、IRA暫定派の標的はむしろロンドンなどブリテンのほうに向けられていたのです。後述するように、和平プロセスが相当に進んでいまは平穏になっていますので、こちらもさほど身構えずにやってきたわけではありますが、正直なところアイルランド共和国内よりも警戒レベルを高くしています。

ともあれ予約したホテルに直行して荷物を預けてしまおう。「チェックインは15時から」とサイトにはあるものの、これまでの経験で部屋が空いていれば入れてくれると思うし、そうでなくても予約客とわかっていれば荷物を預かってくれます。ダブリンよりもふた回りくらい小さな都市なのでホテル数もさほどではなく、都心ちかくになかなかよい物件が見当たりませんでした。確保したのは市の中心部から1.5kmほど南に行ったところです。東京の感覚ではど真ん中のつづきだけど、地図から想像するかぎりではCity Centre(中心市街地)のエリアが狭そうなので。

 
北アイルランド鉄道・ボタニック駅


ダブリンからの列車が到着したベルファスト中央駅は、セントラルと名乗っているものの市街地の東の外れにあります。これはイレギュラーなことではなくて、鉄道というものの成り立ちや都市の構造を地理学的に考察すれば(大げさな 笑)ごく普通のことだとわかります。ドイツのベルリンやオーストリアのウィーンでは中央駅が最近になってから造られ、当然のように市街地の外縁部にあります。ただベルファストの場合は、トラムや地下鉄がありませんので、ホテルのある地区までどうやって行けばいいのかな。いま通ってきた路線を各駅停車で1駅戻ったところにボタニックBotanic)という駅があります。そこからだと500mくらいだから歩けそうだな。エンタープライズ号ないし長距離列車専用とおぼしき改札口を出ると、隣に近郊電車用の改札がありました。駅員さんに「ボタニック・ステーションに行きたいのですが」といってダブリン→ベルファストの切符を見せると、「1153分発にお乗りください。3番ホームです」と、改札の奥を指さしました。「東京都区内ゆき」のような感じでその切符が有効なのはわかりますけど、あと2分もないじゃん! どうもきょうは乗りギワがあわただしい。欧州でよく見るタイプの近郊列車に乗り込み、1駅進みました。

ボタニック駅は、中央駅の次とは思えぬほど静かなたたずまい。いま下車した人たちがスロープを登って改札に向かうと、ホームはひっそりとしました。京王相模原線とか三浦半島の京急線あたりにこんな感じの(当然各駅停車専用の)駅があるよね。これも東京の私鉄然とした小さなコンコースにゆっくり出て行ったら、無改札ではなく駅員さんが出てきて切符を拝見しますと。

 
  
ホテル・ウェリントン・パーク 天井裏?に広々としたライティングデスクがある


駅からホテルまでの道すがらもなかなかいい景観ですが、気温が上がってきたのもあってちょっと汗ばんできたから、とにかく荷物を置いてきてしまいましょう。ネットで予約したウェリントン・パーク・ホテルWellington Park Hotel)は、クイーンズ大学の敷地のすぐ近く、庭つき戸建て住宅と団地が混ざり込んだような郊外の住宅街のようなところに、幹線道路に面して建っていました。駅から10分ちょっと歩いたかな? グランドフロアの広々とした造りやラウンジの配置が、「日本の地方都市の一流ホテル」みたいな感じです。結婚式などのバンケットや会議室のPRもあるので、まさにそういう設定なのでしょう。私が欧州で泊まるところは、レセプション(フロントデスク)といっても、たいていはボーリング場の受付くらいの寸法というところが多いのだけど、ここのは日本のちゃんとしたホテルのそれとまったく同じような横長の造りでした。若い女性スタッフに自分の名を告げると、予約確認のためクレジットカードの提示を求められました。アーリーチェックインOKとのことで、よかったです。彼女はにこっと笑って「スイート・ルームにアップグレードされていますよ。よろしかったですね」と。私が予約したのは朝食つき75というプランだったのですが、サービスなのか部屋のやりくりなのか(安いところに集団宿泊の予約が入ると玉突き式にそうする場合がある)、グッジョブじゃないですか。カードキーを受け取って3階に行ってみたら、奥行きがあって天井が高く採光もよい、たしかにグレードの高い部屋。スイート(suite)はもともとフランス語で2間つづきのことをいうわけですけれど、控えの間があるとかいうのではなくて、天井の高さを生かした2階部分をしつらえてあり、そこにソファとライティングデスクが配置されているのです。いまホテルのサイトで確認したらmini split level suiteとあるので、「小さな中2階のある部屋」ということのようですね。そのタイプは2室しかないそうだし、後刻スポーツ選手の団体みたいな若者たちがごそごそ廊下を歩いていたので、さきほどの推測が当たっていたかもしれない。トイレ&バスルームも広々としているし、もちろんコーヒー&紅茶飲み放題(笑)。何にせよ、こんないい部屋に最近泊まったことがないので1泊なのが惜しいですね!

31日は14時前の飛行機で出発しますので、ベルファストの町歩きなどは基本的にきょうの午後だけです。2月の訪欧でこれほど晴れつづきなのはいつ以来かなと思うほど、この1週間は天候に恵まれ、この日も絶好調。ボタニック駅から緩い坂道を登るような感じでホテルに向かいましたので、同じ道をゆっくり下りながら町の様子を観察します。


ホテルのすぐそば 住宅街の向こうにテーブル状の高地が見えて、独特の景観です


すぐ右手に植物園Botanic Gardens)がありました。鉄道のボタニック駅の名称はこれから来ているわけですね。ちょこっとのぞいてみましたけれど、広くて楽しそう。ホテルのすぐそばでもあるから、あすのチェックアウト前にゆっくり歩くことにしましょう。その先はクイーンズ大学Queen’s University of Belfast)のキャンパス。名前くらいは知っていましたけど、いや立派な構えですね。ちょっと複雑なことに、カトリックが住民のマジョリティであるダブリンのトリニティ・カレッジが国教会系だったのに対して、プロテスタントが過半数を占めるベルファストのクイーンズ大学はカトリック系の大学として発足しました。いまは双方ともそうした宗教色が薄まって寛容化しているわけですけれども、高等教育のステータスというのは学生やその地域のアイデンティティと不可分ですので、深いところでどうなっているのか関心があります。このへん一帯がクイーンズ大学の門前町のような感じで、学生会館とか、大学生協のような(CITサービスのような?)購買部が見えます。私自身は生い立ちもあって都会のごみごみしたところのキャンパスでないと大学で学んでいる気がしないのだけど、こんなふうにゆとりある空間でこそ学べるという人が多いのもうなずけます。

 
クイーンズ大学

いま歩いている道はその名もユニヴァーシティ・ロード(University Road)。大学の先(北)に進むと、いくつかの赤褐色の尖塔が見えてきます。チャペルが同じ町内に近接してあるというのはあまりないことなので、要するに複数の宗派が共存しているということですね。そうそう、スターリングの現金を引き出しておかないと。今朝まで使っていたユーロの財布に代えて、6年前から使用しているスターリング用の財布をもってきましたが、50かそこらしか入っていません。もっとも宿泊料金はカード決済なので、そんなに使わないこともわかっているのだけど、連合王国にはどうせまた来ることだろうから多めに。教会の隣にあったATMVISAを挿し込んで100を請求したら、20紙幣が5枚出てきました。うーん、できれば10主体の盛り合わせのほうがいいんだけどなあ。後日届いた融資明細書によれば、換算レート1171.24円、利息が年率17.94%で込み込み17,351円。2年前にロンドンに行ったときは利息込みで1125.7円だったから、何とかミクスのせいでずいぶんと円安が進んだのね(涙)。自民党政権への苦情はそれとして、この紙幣なんだか変だぞ。ユーロに比べればスターリングにさほどなじみはないものの、何度か連合王国に来ているので、エリザベス2世の肖像が載ったお札のだいたいのイメージはあります。いま受け取ったのは全体に緑色がかった、見たこともないやつだ!

察しのよい方ならすぐおわかりのように、これはダブリンのアイルランド銀行(Bank of Ireland)が発行した紙幣です。日銀にあたる連合王国の中央銀行はイングランド銀行(Bank of England)で、ロンドンやパリや東京で両替すれば当然ながらイングランド銀行券が出てくるわけですが、民間の市中銀行であるスコットランド銀行やアイルランド銀行にも歴史的経緯によりスターリング・ポンドの発券権が与えられています。でも、スコットランド銀行はともかく「別の国」にある銀行が紙幣を発行しちゃっていいのかなと私たちの感覚では思いますよね。アイルランド銀行の₤20紙幣の裏面には、ダブリンのブッシュミルズ醸造所(最もポピュラーなアイリッシュ・ウィスキーを生み出すところ)の絵が描かれていて、「別の国にある民間企業の絵」ということであればなお混乱してきますね。もとより連合王国内であればいずれのお札も問題なく使用できます(帰りに立ち寄ったロンドン・ヒースロー空港でちゃんと使えました。当たり前だけど)。ただ、日本の銀行で円に逆両替してくださいといっても受け取ってはくれないことでしょう。

 アイルランド銀行券だった!(上) 下はイングランド銀行の₤20紙幣

 
ボタニック駅ちかくのユニヴァーシティ通り


中央駅であわただしく乗り換えてしまったため、1枚もののシティ・マップを入手する機会を逸しました。リュックの中に「地球の歩き方」が入っているのでバックアップは大丈夫なのですが、都心まで一本道を進むだけであるのと、町のあちこちに立派な周辺地図が掲出してあるのとで、散策に何の支障もありません。ロンドンはこの手の地図の整備が行き届いていて感心しました。パリは不合格です。東京は、区によって濃淡があるのがいかんです。外国人にかぎらず「外」から来る人にとっては区の違いなんてどうでもいいことなのだから。さて、さきほど列車を降りたボタニック駅の周辺は、小さなパブとか雑貨店などが並ぶイカニモな駅前地帯。なぜか中華料理店が3軒ほど並ぶゾーンもありました。歩行者はあまりないけれど自動車の通行量はかなりあります。

郊外ではなく明らかに「市内」なのだけど、背の高いビルがほとんどなく、商店もまばらで、共同住宅や小さなオフィスなどが目立つ感じは、典型的な地方都市の景観といえます。何となくですけど私の本籍地である福岡県の久留米市を思い出しました。何かそのへんの不動産屋の隣とかに「地元では評判のラーメン店」とかありそうだもんなあ。

 
(左)BBCは中心市街地の南にある  (右)こういう地図があちこちに掲出され歩きやすい(赤い「現在地」がBBCの建物)


BBC
(英国放送協会)の建物があるあたりから、ようやく中心市街地に入っていきます。ここまで2025分くらい歩いたかな? コンサート会場として名高いアルスター・ホール(Ulster Hall)を過ぎて、市の中心にあるシティ・ホールCity Hall)の前に出てきました。ここは文字どおり現役の市役所です。ドームを戴くネオクラシックな建物は1906年に建てられました。前庭が市民の公園として開放されているほか、周囲に長方形の道路が配されて1つの大きなスクエア(方形広場)を成しています。大きな銀行とかショッピングビルなどもありますね。

このシティ・ホールはベルファスト市の政治の場で、北アイルランドという「国」の政治は郊外のストーモント(Stormont)がその舞台になっています。そもそもは1920年に連合王国の議会が制定したアイルランド統治法(Government of Ireland Act)が、連合王国の傘の下におけるアイルランドの自治権を認めたところからはじまりました。アイルランド側の主体性がきわめて不十分だったのと、アイルランドに32あるカウンティを266に分割してそれぞれに自治を認めるという方針が反発を受け、やがて前述したアイルランド独立戦争に突入していくことになります。しかしベルファストを含む北部の6カウンティはこの法を受け入れました。そして、独立戦争の結果として英愛条約が結ばれアイルランド自由国が成立する際には、そこに加わらず、従来のまま連合王国の枠内にとどまります。統治法にもとづいて北アイルランド議会(Parliament of Northern Ireland)が設けられ、「連合王国内での一定の自治」がはじまりました。

  シティ・ホール


アルスターUlster)全体には9のカウンティがあります。なぜそのうちの6だったのかはもう1つ判然としませんが、プロテスタントが過半数を得られるぎりぎりの範囲が切り取られたのではないかという憶測が、たぶん当たっているのでしょう。古代ローマ帝国から受け継いだ連合王国による支配技術は、分割統治(divide and rule)にほかなりませんので。クロムウェル時代の前後に続々とアルスターに入植したプロテスタントの子孫たちは、アイルランド島がブリテンから切り離されて1つの独立国になった瞬間に、今度はマイノリティに転落してしまうことになります。それまで受けてきた特権を失うばかりか、今度は抑圧される側になってしまうかもしれません。6カウンティの分離の主因がロンドンにあるのか当地にあるのかはともかく、事実としてこれらの地域は連合王国に残留しました。そうなると、この状況について2ヵ所から不満が出てきます。1つはアイルランド共和国を形成した人たちです。これも前述したように、「6カウンティが参加しないのは不十分だが、自由国というひとまずの前進(妥協?)を受け入れるかどうか」で独立派どうしが殺し合いをしたほどでした。手順はともかく、北アイルランドを回収して島全体を1つの国にしなければという思いが強くなりました。いま1つは、もちろん北アイルランドのカトリックでした。19世紀にあっては、連合王国に島全体が植民地的な統治を受けており、でもその中ではカトリックがマジョリティでした。しかし6カウンティが切り取られて小さな「国」になると、彼らは多くの仲間を失っていよいよ本物のマイノリティに成り下がってしまいます。そこで、北アイルランド議会では、常にユニオニスト(連合王国でありつづけることを望む人たち)とナショナリスト(アイルランド共和国と合流して1つの国家を形成することをめざす人たち)とが対立する情勢になりました。

実は、ここ北アイルランドにおいてもプロテスタントが圧倒的に多いというわけではありません。しかし政治の主導権は常にプロテスタントが握りました。11名の小選挙区制と与党によるゲリマンダー(選挙区の区割りを自分たちに有利にする恣意的な線引き)で、選挙をすればユニオニストが「圧勝」するのです。その彼らが「民主的な選挙で選ばれたのだからこれが正義だ」として、プロテスタント優位のもろもろの制度をつくっていったのです。北アイルランドは「自治」の世界ですから、連合王国の政府が後ろで操っていたということは、公式にはありません。でも、実態がどうだったのかはうすうすわかりますよね。1960年代に入って、アメリカの公民権運動が大きな波を起こすと、北アイルランドのカトリックはその影響を強く受けて、正当な選挙をおこない、民主主義と社会正義を確立せよと訴え、行動を起こし、世界に向けてその声を発信するようになりました。そうやって、ついにまともな民主主義が機能しはじめるようになったのかと思うのは、同じ時期に高度経済成長という奇蹟を経験して、最近までその楽観モデルにぶら下がっていた私たちの安直な発想なのでしょう。――従来からの特権的優位性が失われ、それを維持するためにカトリックに対してしていたさまざまな不正義が表出してしまうことを、プロテスタント、ユニオニスト側は大いに恐れ、過剰に反応しました。カトリック側のデモを強硬に封じ込めろ! イレギュラーな活動はいっさい認めるな!という、最悪の結論が世論になってしまいます。「最悪」といったのは、人間が人間を生まれながらの属性のみで判断し、自分と異なる側に属する人を丸ごと排除しようという心理・行動についてです。そういうのって、いつだって「あっちが先にやったんだ。こっちは防衛策なんだ」という主張の応酬に終始することになりますよね。ほんと最悪です。(どちらが、とは申していませんからね)

 

PART7へつづく

この作品(文と写真)の著作権は 古賀 毅 に帰属します。