Visite aux « Quartiers chinnois réels »: Hong Kong, Shenzhen et Macao

PART4

 


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站から線路沿いに北上したあと、右折して春路(春風路)を進み、さらに左折して人民南路に入りました。この通りが目抜きっぽい感じです。和平路とか建路(建設路)とか、道路名称がいちいち国策っぽいのが微笑ましい。以前に教えたことのある小さな大学は、学生募集に苦しむあまり日本語をほとんど話せない中国人留学生を呼び込んでいましたが、おそらく授業内容を99%理解できない彼らが毎度のレビューに「教育はますます発展して国が前進します」みたいなことばかり書いているのにはまいりました。日本のイイ子ちゃん的な学生が物事の上っ面をなでて器用にまとめ、普通のおとなが喜びそうなことを書くのにも辟易しますが、中国では国を挙げてその種の教育がおこなわれているのか?なんて思ったものです。硬直した進歩史観の先にあるのは共産主義? まさかね。まあ多様ではあるでしょうけど。人民南路はおそらく都市計画のときに造られたであろう整った道路で、歩道部分も広めにとってあります。香港と同じようなテイクアウトの点心屋さんがあったりもしますが、この付近にはむしろマクドナルド(麦当)やバーガーキング(堡王)といったおなじみのグローバル・チェーン、そして意大利面(イタリアの麺というので、要するにパスタ屋さん)などの中華っぽくないカテゴリーが目立ちます。チェーン店って新興地区とかテナントビルによく似合いますよね。ただ、まだ11時前であるためか、歩行者はあまりありません。

 人民南路

 
おなじみのチェーン店 ちなみにファストフード・チェーンは「速食連鎖店」


キレイすぎる町の様子にひきつづき驚嘆しながら進むと、深圳市百(深圳市百貨市場)と金文字の楷書体で表示された大きなビルに行き当たりました。横断歩道ではなくエスカレータつきのペデストリアンデッキで道路を渡り、そのビルの2階部分に直結しているのがいまどきやね。公営の市場、というかテナントビルならば好物なので、入ってみました。ところが、メイン・エントランスらしきところは工事中で塞がれており、妙だなと思って別のところから入ると、何と絶賛工事中です。普通なら入らせないようにするだろうに、こちらではそういうものなのか、地元の人たちはそのまま歩いていってしまいます。頭上には○○はこちらという矢印の案内もあるので、仮設通路として使用されているのでしょうが、日本なら関係者でもヘルメットをつけないと通してくれそうにない鉄骨むき出しの現場。いつもいっているように、こちらに来ればこれが正解なのです。はい。

複合ビルなのか区画が分かれているのかはよくわからないのですが、工事現場のワンフロアを突っ切った先はデパートの本館・新館みたいなノリで、営業中の区画になっていました。东门町广(東門町広場)と書かれています。中はけっこう大きなフードコートで、麺飯類、点心類、肉の串焼き、焼きそば、汁物など、アイスクリームをのぞけば大半がわれわれのいう中華料理のカテゴリーに属するものです。あまりお客がいませんが、お昼になったらにぎわうのかもしれません。

 


商業ビルは好きなのだけれど、ここまで普通の感じだとシンセン味がないというか、中国に来た感じもしません。IT・電子関係の人ならば深圳に出張する機会もままあるでしょうが、そういえば観光で訪れたという話はあまり聞きません。私はよそ行きの観光スポットではなく生活の延長線上にある普通の町を見るのが好きなので、これはこれで現在の深圳なのだと考えておくことにします。

いまの大学生くらいの世代にとって、中国というのは物心ついたころから巨大な存在で、とくに工業的な大国であるというイメージが強いことでしょう。そして、やけに反日的で、尖閣諸島をつけ狙っている国で、著作権も公共のマナーも心得ない人たちがたくさんいるとかね。それらには根拠がないわけではないですが、物事にちゃんと向き合うために2点だけ指摘しておきます。(1)部分と全体、住民と国家を整理して考えないと間違えますよ(逆から見たら自分たちや自国がどう見えるか想像できます?)。(2)そのようなイメージが日本人に共有されるようになったのは、そうだなあ、1990年代も後半になってからのことだったと思います。うちの国が経済大国化してジャパン・アズ・ナンバーワンとか何とかほざいていたころは、中国は遅れているという言説こそあったものの、憎んだりマジで怒ったりする人はほとんどありませんでした。要するに、中国が急速に経済発展して「ライバル」であることが明確になったとき、よろず意識せざるをえなくなったわけです。2010年代後半のいまは、中国やインドだけでなく東南アジア諸国の工業化もかなり高度に進み、金融やITはもちろん技術開発力も相当なものになってきています。それなのに、日本の学生の中には「アジアは遅れていると思っていましたが授業を聞いて経済がものすごく発展し、先進国と同じような生活をしているのだと知って驚きました」といった反応を見せる人がいまもかなり多い。親や教師が語って聞かせる世界の像が1990年くらいで止まっているのか、欧米はともかくアジアに対する具体的な興味関心がまったくないのか、いつか内向きになって外への興味を失ったのか、まあ全部なのでしょうけど・・・。

 
(左)市街地のマンション 香港と違ってまだピカピカ  (右)はためく五星紅旗


私が中国に興味を抱いたのはやはり歴史がきっかけでした。小学56年生のころだったか、司馬遷の『史記』をベースとした、たぶん中学生向けの通史の本を図書館で読んで、ダイナミックな展開にわくわくしたのを憶えています。ありがちな三国志や水滸伝ではなく通史からというのが自分らしいところ。欧州などよりもずっと早くに中国史への興味が湧いていました。中学校・高校とその興味は持続し、歴史の教員をめざして歴史学の大学生になったあとは漢文の資治通鑑とか十八史略にまで手を出しています。ただ、日本史や欧州史の場合と違って、そうした歴史(通史)の学びが現代中国への関心には直結していません。いま思い返してみると、その原因は当時の中国が「遅れて」いたからだと思います。さすがに毛沢東は実話で憶えていないですが(私が小1のときに死去)、ケ小平という人物が最高指導者であるということはニュースで耳にしてよく知っていましたし、彼が「改革・開放」という路線を採って日本との関係を深めようとしていたこともわかっていました。NHKで放送された「シルクロード」(1979年放送開始)は、歴史の本で読んでいた場所をリアルなカラー映像で見られて、そのつど知的興奮を覚えたものですが、共産党政権が海外メディアに内陸部の(そのころは相当に未開発だった)様子を撮影させたということが当時としては画期的でした。ある年代までの男の子がよく読んでいた横山光輝のマンガ『三国志』(原作は戦前の吉川英治の小説)は、中華人民共和国との国交がなかった時期に現地取材なしで描かれています。ですから、昭和の終わりぎわというのは本当に、文化大革命などの紆余曲折を経てようやく中国が現代化をスタートさせたばかりの時期で、それを生徒・学生時代の私もスルーしてしまっていたのでしょう。私だけでなく、多くの日本人が。

私自身がちょっと左傾していたこともあって(現在もか? 笑)、香港に隣接する町を経済特区にしてそこでは大っぴらに市場経済をやるのだと聞いたときには、そりゃ邪道でしょと思ったものです。共産党の一党支配と中国本土の計画経済をそのままに、一部だけ資本主義にすることなんてできるわけがないと考えるのが普通です。しかしケ小平は「白いネコでも黒いネコでもいい、ネズミを獲るのがよいネコなのだ」という趣旨のことを述べています。国が発展することが大事なのであって資本主義的な手法をそこに取り入れて何が悪い、というある意味で堂々とした方向転換でした。若いころ走資派(資本主義に走ろうとする共産党の裏切り者、というニュアンスで毛沢東らが劉少奇・ケ小平らを失脚させるときに貼ったレッテル)呼ばわりされ、失脚と復権を繰り返しただけに、胆力は超人的だったのでしょう。邪道どころか、見る見るうちに中国本土のほうが深圳化していき、計画経済などというのは20世紀の歴史の中に閉じ込められてしまいました。中学校の地理の先生は、あとから思えば相当に左寄りだったのか、人民公社やソ連のコルホーズ(集団農場)のしくみをやけに詳しく解説し、その意義を教えようとしていました。20年後には霧消する運命のしょーもない知識を教えやがって、と恨み言をいっているのではありません。それらを教わったからこそ、中国のいまを踏みしめ、噛みしめようということになったのだし、皮肉ではなくて、変化に耐えうる「社会の見方」というのを学んだと思うので。


中国信(中国電信 China Telecom)のショップ さすが電脳都市という風格?


非常によく整えられた大通りを23ヵ所歩いているとユニクロの入った商業ビルがありました。ファストファッションの習いで、ユニクロというのもどこへ行っても同じテーストだね。けっこう大きなデパート風の施設なので、エスカレータで上階に行ってみます。さっきのよりは小規模のフードコートがあり、その奥は超市(超級市場=スーパーマーケット)になっています。以前に経験した中国の超市はドン・キホーテかと思うほどゴテゴテした中身だったけれど、ここは非常にスマートに整理されて、高級感があります。深圳の地域性なのかもしれませんし、そういう業者を指定して土地ないし場所をあてがった可能性もあります。吹き抜け式のビル内をエスカレータでさらに進むと、その上は衣料品コーナー。こっちはデパートみたいです。気に入ったネクタイでもあれば買ってみようかなと思うものの、食指が動きませんでした。紳士服のエリアを一回りすると、売り場ごとに女性店員さんが近づいてきて商品を勧めようとします。Sorry, just lookingてなことを伝えるとさっと引き下がりますが、はたして英語が通じるのかどうかは不明。というか、私のことをイチゲンの観光客と認識していたかどうか。パリにいたって「こちらにお住まいですか」と聞かれることがあるくらいなので、中国の都市部なら地元民に見られなくもない顔じゃないですかね。ほとんど何もなかったところに都市を造営して中国全土から人を集めた深圳は、中国内グローバルといった趣があって、華南とか広東省とかに限定した民族構成ではないようですから。お手洗いを借りたら、一流ホテルのものかと思うほどキンキラしていました。

 
 


フードコート階に降りて、スタバというよりはタリーズに近い感じのカフェでカプチーノ(卡布奇)を頼みました(10元)。カフェの構造や店員さんの物腰などはグローバル・スタンダードですが、やはり英語はまったく通じないようで、簡体字中文と英語で書かれた壁のメニューを指さして、ワン・カプチーノとあらためて伝えます。もう1回くらい何か聞き返されましたが、中国語なのでわからないままです。後ろに並んでいた女性客が何ごとかアシストしてくれたようで、店員さんは納得したように品物を準備しはじめました。細長いスプーンで表面をささっといじる例の手法でつくられたカプチーノが提供されます。本当は普通のブレンドコーヒーがいいのだけど、メニューの「珈琲系列」(Coffee)部門のいちばん上がカプチーノで、あとはカフェモカやヴァニラ・コーヒー。(紅茶)系列というカテゴリーに添えられた英語はMill Teaなので、そもそも牛乳なしのストレートという飲み方が存在しないのかな? 香港の朝食セットでもミルクティーでしたしね。ごく普通の味のカプチーノを飲んでしばし休憩。並びの軽食店にはそろそろ昼食の客がやってきて、汁そばみたいなものを食べていました。そういえば今回、中国領内で買い物したのは初めてです。数時間しか滞在しないつもりでしたし、深圳のちゃんとした店ならVISAも使えるだろうと思ったので、5年前に中国出張した折に使い余した200元ほどの現金を持参していました。私の外貨財布は3つあり、1号がユーロ用、2号がユーロ以外用、3号が英ポンド用。1号と2号は紙幣・硬貨とも2系統の通貨を収納できる優れもの(しかも安全対策のチェーンつき)なので、この日は2号に香港ドルと人民(人民元)の2系統を入れてきています。人民元は、以前は米ドルにペッグされていましたが、2005年に変動制に変更されました。変動制といっても市場での需給関係にゆだねるドルやユーロや円などと違って、主要通貨の動向への連動を図りつつ、あくまで中国人民(中国人民銀行)が操作する管理変動制です。中国経済の巨大化で人民元もグローバル通貨への道をまっしぐらだと思いますが、当局の恣意が入るその制度だと国際的な信用を得ることはできないと思う。――といいながら、邪道だったはずの社会主義市場経済を実力でやっちゃったわけだから正解はわかりません。

今度は別のビルにも入ってみましょう。金光華廣場Kinggoly Plaza)となぜか繁体字で記された、ガラス張りの大きなショッピングモールのようです。入ってみると上階まで曲面の吹き抜けを設けた、相当にキンキラリンの仕様で、まあゴージャスなこと。有名なブランドもいくつも入っており、高所得層とかヴィジターをターゲットにした営業戦略なのかもしれません。築地魚河岸寿司とかUCCコーヒーショップとかが入居しているのが妙に微笑ましい。寿司食いねえ、飲むんだったらUCC。こちらにその商慣習があるのかは存じないながら、クリスマス商戦が終わったばかりだとすれば、春節まで中休みというタイミングではないかと思います。

 


午後は香港の九龍サイドをもう少し歩きたかったので、そろそろ深圳を切り上げて国境を越えましょう。その前に、正午を回ったところなのでランチを。最初に来たのとは別のルートで出境地点に戻ることにして、人民南路をそのまま南(香港側)に歩いていくと、道路に面して多数の飲食店が並んでいるゾーンがありました。火站やイミグレーションの中には、ヴィジター向けと思われる飲食店がかなりありましたけれど、それではおもしろくないので町なかのほうがいいよね。香港と同じように、こちらでも玄関先に主要メニューを表示しているのが普通なのでわかりやすい。通りに面してチャーシューやアヒルの焼き物をぶら下げている店があり、けっこうにぎわっているようなのでドアを押しました。間口は広くないが奥行きはかなりあり、70人くらいは収容できそうな区画で、フロア店員も78人いてきびきび動き回っています。1人ですと指で示すと、壁際の席に案内してくれました。

横浜中華街のたいていの店よりがっしりしたアルバム式のメニューを見て、これくださいと指さしたのですが、指示が不適当なのか品切れなのか、早口であれこれいっています。すみません、英語を話せますかと英語で訊ねると、ようやく中国語の通じない相手だと気づいたみたいで、40代くらいのマネージャー風の男性を呼んできます。この人もまた英語を話せないらしく、自分の腕時計を指さしながら熱心に説明しようとする。ついにメモ帳を取り出し、12:45と書きつけてこちらに示しました。ああなるほど、この料理は30分かかりますよということね。周囲を見ると手軽な麺飯類を食べている人がほとんどなので、おそらく昼の時間はできればグランドメニューではなくランチメニューを注文してほしいのでしょう。なるほど中華街っぽい(笑)。では、これならどうですかというので別のページの写真を指さして訊ねたら、OKですと話が通りました。(焼鴨飯)で30元。玄関付近にぶら下げていたアヒルの焼き物に違いありません。ついでのことに、やっぱり青島ビールをオーダーしよう。今度は指さしではなく口頭でチン・ダオ・ビアとゆっくりいってみたら速攻通じました。私自身、中国語がまったくわからないので彼らの言語の種類を判別することはできないのですが、深圳は前述したような事情で中国全土から人が集まっており、広東語ではなく普通話が主流なのだそうです。

 
 昼ごはん


すぐに青島が運ばれます。これは15元と香港の相場よりさらに安く、やはり大びんでした。ただ香港の大びんは640mLだったのに、本家?の中国では600mLと微妙にサイズが異なります。日本の大びんは633mLで、こういうものに国際規格というものはあるようでないわけですねえ。昼のビールはやっぱり美味しい! 前日香港で昼ごはんを食べた店と同じように、ここも職場の同僚ふうのお客が多く、わいわいという雰囲気です。壁の大型テレビでは競馬中継をやっていて、スポーツ紙を片手にそれを注視している人も。向かい側のテーブルのおっさんは隣のテーブルの女性客や女性店員にひたすら絡みまくり、かと思えばぶつぶつと独り言をつづけるものの、すべてシカトされています。ほどなく焼鴨飯がやってきました。かなりの量の長粒米がポーションされています。そこに骨のついた焼アヒルがスライスされてトッピング。そしてやけに太い、菜の花みたいな色と味の茎が下敷きになっていました。うんうん、皮がパリッとしてなかなか美味しいですよ。チャーシューと同様に、水飴をまぜたタレで味をつけて焼いているみたいですね。ソースということなのか、小皿にとろみのついた液状のものが添えられているので舐めてみたら、リンゴかアプリコットのような風味のジャム、ないしジャムっぽいタレ。この視野からすれば肉につけるほかにはありえないので試してみると、思いのほかいい味です。スウェーデンではミートボールに甘酸っぱいジャムが添えられていたし、フランスでもカモ(という名のアヒル)にはオレンジやベリー系のジャムまたはハチミツのソースというのが定番なので、理にかなった食べ方なのかもしれません。だいたい日本の焼き鳥のタレだって砂糖たっぷりですものね。店の看板を確かめずに入店したのですが、テーブルにあった店章には景豪港式茶餐庁と店名が書かれてありました。香港スタイルの例の飲食店という趣旨だったわけです。せっかく香港を抜け出したのだから本土っぽいものにすればよかったかな? でもこの店は、香港のあのコアな雰囲気とはまったく違って、ファミレスかデパートの食堂みたいな雰囲気です。そこは深圳流なのでしょう。その店章にはWi-FiPWが示されています。さすが電脳都市! そこいらの若者みたいに、タブレットで撮ったばかりのアヒル丼の写真をアップロードして「中華人民共和国なう」とやってやろう! ――が、Wi-Fiは見事につながってバームクーヘンが3本出ているのだけど、その先がうまくいきません。そうだった、中華人民共和国はグレート・ファイアオール(中国では「金盾」)という巨大なインターネット検閲システムを構築していて、フェイスブックもグーグルもツイッターもすべて遮断されるんだった。500mくらい先は香港領で、そちらではおそらく問題なく接続されるのに、すごいことだな〜。住民になればフラストレーションがたまるかもしれないけれど、こちらは数時間の超短期ヴィジターなので問題はありません。それにしても、中国人がどんどん例の国境を越えて香港に出かけているわけだし、世界中に行って爆買いしている人も相当数いるはずなので、「自由」を経験した人たちは自国のそうした部分に不満をもたないのかなと不思議に思わなくもありません。共産党政権に満足している金持ちだけが外に出ているということではあるでしょうが・・・。

横浜中華街に行くと、中華街大通りの同發本店の店頭にぶらさげられたチャーシューを1本買って帰るのが秋冬の習慣で、この年末もずいぶんいただきました。老舗の名店ながらまだ中で食事したことはなく、香港式午餐と称するチャーシューなどのセットが気になっているところでした。いままで気にしなかったけれど、なるほど日ごろから香港式に近い食生活ではあったようです。支払伝票は当然ながら45元ですが、50 HK$という数字も併記されていました。香港ドルでの決済もできるんですね。

 
地下街を抜け、火站を抜けて「香港」へ 火は鉄道、汽はバスのことです


3
時間ほどの中国滞在を切り上げ、再び国境を越えて香港領内に戻ります。地下鉄の通路と火站への連絡通路を兼ねた地下道に入り込んだら、大きな駅などによくある地下商店街でした。ここ深圳は何もかもわれわれのよく知る都市の姿そのもので、驚くというか妙に感動します。ただ、おしゃれなブティックの店先で店員さんがテイクアウトのチャーシュー丼みたいなのをばくばく食べている姿は中国ないし香港っぽいかもしれません。再び地上に出ると、火站のコンコースへつながる広い通路。マクドナルドなどが普通にあって、ゆりかもめの汐留に向かう新橋の通路みたいな感じです。

先ほど通ってきた国境の関門に再びさしかかりますが、今度はエスカレータでワンフロア上がります。香港→深圳と深圳→香港の流れを一方通行化して分けているようです。まず出国審査。今度は中年の男性でしたがやはり当方の顔と旅券のデータを何度も見比べて念入りに確認します。ただし無言で。ここで出国ならぬ出境カードを提出し、旅券には出境を示す中国辺検のスタンプが押印されました。そのあと荷物チェックがあり、免税品売り場、国境の川を渡る回廊と進んで、今度は香港側の入国審査。ヴィジターは流れが分離されているの非常にスムーズです。私と同じ向き、つまり深圳側から香港に向かう人もかなりの数です。中国人なのか、香港人なのか。

 
  中国→香港


先ほどと違って国境越えのイベントを心得ているため、余計に早く感じられます。あっという間にMTR羅湖站のコンコースに出てきました。自動券売機を操作してもなぜかエラーが出てしまうため、やむなく有人窓口に行きます。中国語知らずとしては、ここまでは指さしなどでどうにか買い物してきたものの、切符売り場では口頭で伝えなければなりません。もとより英語は通じるでしょうが、中国語の固有名詞を発音できないわけです。中環ならばCentralでよいはずなのですけど、手前の九龍側に行きたいんだよね。そうだ、来るときの地下鉄車内で広東語の自動放送を聞いて、そうか油麻地(Yau MaTei)は「山手」みたいに発音するんだねと思ったんだった。中国語の声調(普通話は4声ですが広東語は9声!)なんてもともとまったくできないので、そこはテキトーに、I’d like to buy the single ticket for やぉまて、といってみたら文句なく通じました。1342分発の列車に乗り、来たときの逆コースで、九龍塘で乗り換え油麻地へ。

あまりにキレイすぎる深圳中心部から1時間ほどで、雑然と雑音に満ちた香港の市街地に舞い戻ると、景色が違いすぎてヤバい(いろいろな意味で)。昨日来、何度目かの上海街に入り込むと、鍋釜などの調理器具や台所用品を扱う店が建ち並ぶ合羽橋みたいなエリアでした。業務用と家庭用がおそらく入り混じっています。それと仏具屋さんも多数あるので、浅草界隈みたいなものなのでしょうか。

 
 
香港の合羽橋! 業務用かもしれないけど、左下の電気釜は実家で30年以上使っていた昭和スタイルのものと同種でなつかしい


深圳を歩いているときから、というか深圳を一目見たときから、人間の息づかいがあふれるような香港へのシンパシーがいっそう強くなっていました。欧州のキレイな都市からパリに戻ったときの気分に近いかもしれません。未訪の人は花の都パリこそ芸術的でキレイだと思うのかもしれないけれど、実際にはフランスのどこより汚れているし、生々しい人間の生活が満ちています。高度成長期の東京で生まれ育ち、中国人をはじめとするアジア系住民がやたらに多い新宿区で長く生活しているため、体質的にそうなっている可能性は大いにあります。事実上の都市国家である香港の総人口は700万人ほどで、人口密度は何と6500/km2。東京都が6200/km2なのでほぼ同程度です。私もほんの少しだけ貢献?している東京23区だけだと15000/km2とものすごいことになるのですが、香港の数字にも新界や香港島中・南部など人口密集していない地域が含まれるので、市街地の密度は香港のほうがずっと高いように思います。背の高いアパートやマンションが空間を奪い合っているし、どこで生活しているものか、午後の油麻地にはものすごい数の人間が歩いています。あの「国境」がなくなる日が来るのかどうか。1898年に設定されたその壁をひょい、と取りのけたとき、塩分濃度のまったく異なる2つの世界はどのように溶け合うのでしょうね。

 


安い衣料品店とか渋い漢方薬の店など、しばしウィンドウ・ショッピングを楽しみました。4度目の年男を前にしてのデビューとは遅すぎましたが、香港を歩きこなせるなという確信を2日目の午後にしてもてました。地理はもうだいたい心得たので、今後はもっとディープなところに入り込むような探検をしてみたいです。彌敦道(Nathan Road)に出て、佐敦站で地下鉄に乗り、朝いらいの香港島に戻ってきました。ちょっと疲れているのでいったんホテルに戻って一休みし、晩ごはん前のタイミングでまた出動することにしましょう。

17時ころホテルを出て、すぐ東側で威霊頓街(Wellington Street)をオーバークロスしている空中回廊に登ります。機場快綫(エアポート・エクスプレス)の中環站から皇后大道(Queen’s Road)までは大きなビルの中などを経由して、だいたい2階の高さで推移する空中回廊は、それより南側では土地の勾配に合わせてこちらもかなりの傾斜になっており、上り方向だけエスカレータが設置されています。山の中腹という意味らしい半山區に向かう1km近いエスカレータには中環至半山自動扶手電梯Central-Mid-Levels escalator and walkway system)という固有名詞がつけられていて、香港名物の一つ。江の島のエスカーと同じような趣旨ですが、こちらは生活・行動上のニーズに即して造られており、無料です。香港島の北岸エリアは前述のようにかなりの斜面で、自動車の走れる道は勾配を緩和するためジグザグに登るような配置になっています。マリオブラザーズの舞台設定みたいだ!(スーパーマリオではなく画面固定の初代のほう。何だったらそのルーツにあたるドンキーコングのほうが私にはなじみがあります) 空中回廊は地面よりもワンフロア以上高いところを通っていますが、空中を提供している些利街(Shelley Street)の両側には、おしゃれなブティックとか小物屋さん、カフェ、パブなどがあって、地べたにも楽しいことがあるよと呼びかけているように見えます。

 
 自動扶手電梯でソーホーに


エスカレータを途中下車?したところが伊利近街(Elgin Street)。ヨコ筋のあいだを走るナナメ筋の道路のためかなり傾斜があります。坂を下ってみると、両側にあるのは欧風のパブやカフェ、レストランばかり。おしゃれなカウンターで白人男性らがビールを飲んで語らっているのを見ると、またまたどこの国に来たのかねと思ってしまいます。昨今の神楽坂あたりもそうだけどねえ。このあたりを指すソーホー(SoHo)という地区名はもちろんロンドンのソーホーに寄せているわけですが、本来はSouth of Hollywood Roadの意味だということになっています。ハリウッド・ロードは空中回廊で渡り越した荷李活道のこと(なおニューヨークのソーホーも同様の仕方でSouth of Houston Streetを略したもの)。ですから荷李活道の北側の区画はノーホー(NoHo)と称されます。ま、いまさら欧風のしゃれた店に入ろうというつもりはさらさらないので、こういう地区も香港なのだという感じで眺めるにとどめ、マリオよろしくタテ筋の急坂も利用してジグザグに斜面を下っていきます。1ブロック違うだけで庶民的な商店街や市場が現れたりするのは本当におもしろい。もう日が暮れかかっていて、空中回廊の下の空間には若者たちが集まって騒ぎはじめていました。

 
(左)伊利近街  (右)些利街

 

PART5につづく


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