Visite aux « Quartiers chinnois réels »: Hong Kong, Shenzhen et Macao

PART3

 


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このあと銅鑼湾か灣仔を歩こうかと思ったのですが、予想外の大びんを摂取したのであと30分くらいは軽酔い状態が見込まれ、用心のため中環直行にしましょう。今度は地下鉄でとも思いかけたものの、これほどおもしろい町の景色を見ずに進むのはもったいない気がして、またトラムの2階に乗り込みました。今度は逆に都心に近づいていく感じが愉快。ところが電車は銅鑼湾の交差点で左折し、中環ではない方向に進むようです。トラムの線路はほぼ東西をまっすぐ結ぶものだけなので横道に逸れる系統を予期していなかった。これは跑馬地競馬場(Happy Valley Racecourse)のほうに行く路線みたいです。香港の競馬は有名ですよね。私はまったくやらない人なので当然スルー。適当な電停で下車して、本来の軒尼詩道に歩いて戻り、そこからまたトラムに乗ります。ロスとかではなく、期せずして銅鑼湾周辺を少し歩けてよかったです。おばあさん易者が真剣な顔で線香を振って若者を占っている露店などもおもしろい。


北角付近の英皇道 高層住宅のこんもり感は2階建てバスのサイズでよくわかる


トラムの泣きどころは電停の名前がはっきりしないこと。もちろん個々の停留所に名前があるのですが、日本のようにでかでかと表示されているわけではなく、しかも2階に乗ってしまうとほとんど見えません。2階は完全にホームの屋根より高いレベルにあります。屋根の端に小さな駅名票がついているのだけど、よほど目を凝らしていなければ読み取れません。「次は○○」というようなアナウンスもないし、路線図らしきものも見当たりません。「地球の歩き方」もなぜかトラムの電停は省略する編集方針のようです(これは欧州各都市でも同じで、いちいち記していられないからね)。ま、いまは特段の用事があるわけではないので窓の外を見ながら適宜降りればよいわけです。乗り過ごしたところで1区間250mとかそんなものなので問題ありません。そんなわけで、けさ早くに2階建ての電車を見てうなった中環に6時間ぶりに舞い戻り、徳輔道のとある電停で下車しました。その名も中環中心(The Centre)という高層ビルを目印に進めばよいことをけさ確認しています。

あらためてホテル・バタフライ・オン・ウェリントンのレセプションに通ります。お預かりした荷物はお部屋に運んでおりますということだったので、キーを受け取って7階だったかの部屋へ。香港は地代、家賃、そしてホテル料金が世界一高いと評判で、こちらのハイシーズンなので大丈夫かなと多少身構えたものの、11月下旬に予約サイト経由でこの部屋を2泊素泊まり2362.5 HK$で予約しました。本当のことをいうと予約サイトの設定は常にユーロ建てにしていて、たしか€280とかで確定していたと思います。中環のど真ん中ですし、びっくりするほど高くはない。いまどきはインバウンドの影響なのか東京や大阪でもホテルの価格がかなり上昇していて、ビジネスでも112000円くらいは当たり前になってきましたもんね。実際に部屋を見てみると、スーペリア・ダブルという余裕のある部屋のプランで、この価格ならお得かもしれないと思います。海外ツアーをはじめた30代前半に比べると、当方にも経済的なゆとりがそれなりに出てきて、下手な部屋に泊まるくらいならお金を出すよと強気な?姿勢がこのところあるみたいです。早朝からひたすら歩いていたので、1時間ほど昼寝してライフポイントを増やさなくては。

 
 
ホテル・バタフライ・オン・ウェリントン(外観は28日朝)


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時半ころ再起動。ネットで調べると18時前後が日没のようなので、残り時間があまりないようですが、この町にかぎっては夜こそ命。いうところの100万ドルの夜景とやらを見てみようかねえ。そこいらの観光客みたいなミーハー行動をするのはシャクですが、まあたまには。というので夜景のベスポジといわれる扯旗山Victoria Peak)に登ってみることにしました。中環地区の南東にある山で、ふもとからピーク・トラム(Peak Tram)なる100年もののケーブルカーで登るのが一般的です。地図を見ると、ホテルの面している威霊頓街の2筋南を並行する雲威街(Wyndham Street)を道なりに東に進めばピーク・トラムの乗り場に着きそう。しかし歩きはじめてみると、香港島の立体構造が体感できました。このあたりは条里的な町ではなく、同じ東西方向の道路でも南(陸側)に行くほど曲がりくねっているのを地図で確認できますが、それはここが急斜面で、道路は山の中腹に取りつくようにぐねぐね敷かれているからでした。繰り返しになりますが、現代建築が建ち並ぶゾーンからわずか数ブロック陸側に入るだけで、そこは庶民の町になります。自動車の走る道は威霊頓街と並行の東西方向がほとんどで、それと直交する南北の道は当然ながら斜面をまっすぐ登る急坂。たいていは歩行者専用で、野菜や果物、乾物などの屋台がぎっしり並んでいます。観光客、それも欧米人の姿がけっこう見えます。例の空中回廊はこのあたりまで高度を稼ぎながらつづいていて、どうやらエスカレータが設置されているらしい。これはこれでおもしろそうなので、明日にでも歩いてみることにします。この付近は本当に一筋進むだけでかなり登ったことになり、ときどき振り返ると愉快な気分になります。

 
 


ホテルの裏山がノーホー(NoHo)、その坂上がソーホー(SoHo)と呼ぶ地区で、欧米化されたおしゃれタウンらしい。ちらと見ただけでその感じがわかります。いまはそこに背を向けて南東に進みます。荷李活道(Hollywood Road)そして雲威街と連なる筋は、対面通行の狭い道ですが交通量がけっこう多い。これだけ勾配があれば自動車を使わないとやっていられない人も多かろうね。リアル中華街とは別もののパブやバーなどが軒を連ねる一角を通り抜け、道路はアップダウンと左右のカーブを繰り返して、下亞厘畢道(Lower Albert Road)という名前に変わったあたりは高級住宅地のエリアらしい。といっても戸建てというのはなくてよろず集合住宅、それも日本の基準ではタワーマンションに属するような高さのものばかりです。すごいな〜、どうやって建てて、耐用年数が来たらどうやって壊すんだろう。

どこまでもつづく急斜面に高層建築がにょきにょきというのが香港島の景観なんだなということをあらためて確認しながら進むと、ピーク・トラムの乗り場が見えました。ぐねぐね分を含めれば2kmくらい歩いたかもしれません。ところがそこにはこんもりと人の山。ケーブルカーに乗るにはかなり並ばなければならないみたいです。最後尾を探すこと自体が難しくてうろうろする一群に、係の人が「あっちですよ」と指さすのは道を隔てたずっと先でした。ひとまず行ってみると「約2時間待ち」とあります。うわ、だめだこりゃ(いかりや長介風に)。2時間も待っているあいだに日が暮れてしまうし、この調子だとピーク=山頂には相当の人がいるはずで、次々とケーブルカーで送り込んでいるわけだから、ベスボジどころか展望台にたどり着かない恐れが大。

 
 ピーク・トラム乗り場は長蛇の列!


もともと百万ドルに執着しているわけではなく、実をいうと学生に見せるパワポのネタがほしいなと思ったくらいだったので、転戦して別の場所から夜景を見ることにしましょう。はたと思いついたのは、午前の九龍めぐりを切り上げてフェリーに乗船した埠頭の付近。埠頭につづく岸壁に展望公園のようなタタキが造られているのを見ています。最初は中環站から地下鉄に乗って対岸に渡ることを考えました。もうこの付近の位置関係はだいたい頭に入っていて、地下鉄なら2ブロックほど坂を下ればいいし、所要時間も短くて済むと考えたのです。でもフェリーのほうが楽しそうだし、先ほどと逆に九龍に向かう景色も見てみたい。何より目的地がフェリー埠頭のすぐそばで、地下鉄の尖沙咀站からだとけっこう距離があります。で、フェリーを選択しました。先ほど利用した便は灣仔に着くやつでしたが、今度は中環渡輪碼頭から出る便に乗ります。本当は、地下鉄中環站付近から例の空中回廊をたどれば、車道を横断することなく乗り場に直行できるのですが、何となく下道を歩いてしまいました。やっぱり遠い(汗)。ただ、下道を歩いていて奇妙な光景を目にします。ビル街から海側の歩道や、ちょっとした公園や広場に、実に大勢の人が出て、花見客のように敷物の上に座り、談笑したり飲み食いしたりしています。明らかに漢族の顔立ちではなく南方系ですが、大半が若い人で、雰囲気からしてホームレスではありません。謎の集会は港のほうまでずっとつづいています。おそらく数千人から1万人くらいはいるのではないでしょうか。

予習なしのためこの現象もあとからネットで調べるということになりましたが、彼らは出稼ぎ労働のフィリピン人で、週末や祝日にこのあたりを「占拠」して同胞と憩うのだそうです。きょう26日は月曜ですが、旧宗主国の英国ではボクシング・デー(Boxing Day)という祝日なので、きっと香港もそうなのでしょう。ということはフェリーの運賃は高いほうが適用されるのかな?(ICカードなのでいちいち見ていない 汗) バブル世代の当方としては、ある時期の上野公園周辺にイラン人たちが集まっていたのを思い出します。あれは男性ばかりでしたが、香港のフィリピン人はメイドさんが多いらしく女性が圧倒的。シンガポールやアラブ首長国連邦などアジアの金持ち国では、飲食店の下働きやメイドなどの家庭内労働を他のアジア諸国からの出稼ぎに負っていることが多く、香港もそうだと聞いたことがありました。フィリピン人女性は日本にも「芸能人」(という名の水商売)としてかなり来ているくらいだから、距離的に近い香港には大挙して来るのかもしれませんが、旧植民地というのもなかなか複雑ですね。

 
スター・フェリーであらためて九龍に渡る


中環渡輪碼頭は第1〜第10まで埠頭が櫛状に並んでいて、天星小輪は第7埠頭を使用。乗船を待つ人の数は先ほどよりもかなり多く、廊下を埋めつくしていますが、便数が多いので案ずるまでもなく15分ほどで乗船できました。とはいえもう18時を過ぎていて、日が暮れかかっています。船は九龍に向かっているのだけど、振り返ってみると香港島の海岸沿いはすでにライトアップされたビル群できらきら輝きはじめています。光彩が藍色の水面に反射してきれいですね。フェリーを降りて、数時間前に下見しておいた場所に直行。オープンデッキのような展望台は海岸に沿ってそこそこの長さに展開していて、すでにかなりの人出がありますが隙間もあります。適当なところにもぐり込んで、もう少し本格的に暗くなるのを待ちました。まだ20度くらいはあって寒くはありません。

夜景見物の人は人種・民族も多様で、さまざまな言語が飛び交っています。ただ全体に若い人が多いかな。みんなスマートフォンがフル稼働。当方はコンデジとiPadですがいずれもこの微妙な明るさ(手許があんがい明るくて対象が暗い)だと調節が利きにくいですな。写真はともかく私自身は十分に味わいましたので満足です。キレイなのを見たい人はぜひ現地へどうぞ。なお、世界三大夜景としてこの香港のほかにナポリと函館を挙げる場合があるけれど、いくらきれいでも一昔前の人が函館をカウントするはずはないし、何だったら香港というアジア都市もスルーされていた可能性があります。そもそも三大なんちゃらというのは日本人の創作であることがほとんど。バランス的に「三」って大好きよね。それと「100万ドル」というのも日本人の創作です(これはネットにたくさん載っているのでお調べください)。表現としてのミリオン・ダラーというのは実際の100万ドルではなく「たくさん」なのでしょうが、尖沙咀の現場でふと考えたのは、ここの夜景の100万というのは米ドルではなく香港ドルかもしれない、ということ。米ドルにしても1億円くらいだから大したことはないし、香港ドルだとすれば1500万円くらいのもので、高値で知られる香港のマンション1部屋も買えないじゃん!

 
 
香港名物、100万ドルの夜景


授業のネタも仕入れたところで、香港島に戻ります。空港からの途次を含めて朝からつごう5度目のヴィクトリア・ハーバー越えになりました。今度は尖沙咀站から地下鉄で2駅、中環站まで乗車。ホテルのある威霊頓街とその周辺にカジュアルな飲食店が多かったので、そのあたりで晩ごはんということにしましょう。朝と昼にこのあたりを歩いていますが、夜になってから歩くとまた景色が違って見えます。屋台が3店くらい並んでいる路地があり、大いににぎわっていますが隙間はなさそう。威霊頓街ももう少し南東のほうに行けば大型の中華料理店などが多数見受けられますが、ホテル寄りは麺飯類中心の小食堂がほとんどで、それぞれに顧客があるらしく活気があります。そのうちの一軒に入ってみました。小雨天という店で雲南料理の看板を掲げていますが、まあ麺飯類のメニューがほとんど。漢字を読めるし写真もついているのでまったく苦労しないで済みます。何だったら横浜中華街の大陸ニューカマー系の店なんかだと日本語のオーダーがまともに通じなかったりするので、似たようなものかも。

その中華街では定番なのに町の中華屋さんではあまり見かけないのがバラ肉の煮込み。牛バラの入ったお粥があったので、それを発注しました。骨湯冬幕腩泡飯(42 HK$)という品名です。青島ビールはないそうなので、藍妹(Blue Girl Beer)という初見の銘柄を頼みました。これも大支装と書いてあるので大びんですね。こちらは25 HK$でやっぱり安い。日本や欧州ではまず見かけない色なしのボトルに入ったビールが運ばれました。ラベルの由緒書きを読むと、「1906年に香港に紹介されたドイツの伝統的なビール」だそうです。普通のラガーであまりドイツっぽくはないと思うけど、美味しいので文句はありません。ただ、ビールがやってきて30秒後には食事の丼が到着。すでに煮えている飯と具材を盛り合わせるだけなので松屋の牛めし並みに早いのは当然か。お米は長粒米で普通の茶碗2杯ぶんくらいの量があり、汁ごと胃に入れればかなりヘヴィーだな! でもこのダシが美味しい。中華というより韓国のクッパの系統だと思うのだけど、どうなのだろう。牛バラもかなり載っています。あとは発酵の進んだ高菜漬け、シイタケ、三つ葉みたいな植物の茎。美味しい美味しい。牛バラには八角の風味があり、そこは中華っぽいですが、大鍋でしっかり煮込んだらしく口の中でほろほろと崩れます。うちでビーフシチューをこしらえると、だいたいこんな味わいになるね。周囲には一人客もかなりいて、スマホ片手にもりもり食べています。当方はビールとお粥(概念としては雑炊かな)を交代で流し込み、予想どおりに水分が胃にたまっていく感じが募る。ここも、あとでネット検索してみたのですが、香港のあちこちにお店のあるチェーンだったようです。汁物については私のようにお米を選んでもよいし、米麺(ビーフン)または出前一丁を選ぶこともできるとありました。まじか。

 
 


まだ20時を回ったばかりですが、何しろ早朝に到着してまる1日歩き回ったので、もう打ち止めにしませんと。威霊頓街の小さなセブンイレブンでビールとワインを購入して部屋に戻り、ゆるゆる動画観賞しながら飲むという恒例のパターンになりました。欧州通を気取ったところで中身はアジア人、やっぱりなじみやすいな〜などと、フランスワインを飲みながら思ったことです。


テレビはマルチチャンネルで英仏露日などマルチリンガル
それにしても中国主権下でダライ・ラマ14世の映像とチベット文字を見るとドキッとします

1227日(火)もいい天気。今日は少し遠出して、香港に隣接する中国の深圳に行ってみましょう(深センのセンは土へんに川)。9時前にホテルを出て、青物の屋台のあいだをすり抜けて中環站へ。新界を含めても東京都の半分ほどしかない都市国家の香港ですが、地下鉄のほかに郊外鉄道もあって、新界の住宅街や新興地区などと都心を結ぶ役割を果たしています。今日はそのうちの大動脈である東鐵綫East Rail Line)で終点の羅湖Lo Wu)をめざすことに。東鐵綫は尖沙咀に近い紅磡(Hung Hom 後ろの字は石へんに勘)を起点にしていますが、中環からは直接行けないので、旺角で地下鉄觀塘綫Kwun Tong Line)に乗り換えて九龍塘(Kowloon Tong)へ、そこから東鐵綫ということになります。昨日の朝、觀塘綫に乗り継ぐのは油麻地でなくホーム乗り換えの旺角が便利だということに気づいたので、そのようにしましょう。オクトパスも使えそうだけど、ちょっと遠くまで行くため別に切符を買ってみます。券売機からオクトパスと同じ形状のハードタイプのチケットが出てきました。羅湖まで51 HK$です。東鐵綫はもともと英領香港と広州を結ぶ路線として英国資本により建設された九廣鐵路(Kowloon Canton Railway)の一部でしたが、共産党が大陸支配を確立したときに羅湖で分断され、以降は別々の鉄道として経営、運行されてきました。香港領内の東鐵綫は2007年に地下鉄を運営するMTRと合併したため、現在は一元経営で、1枚の切符で改札なしの乗り換えが可能になっています。

地下鉄の九龍塘站は普通の地下駅で、東鐵綫は地上を走る模様。改札なしの乗り換えなので北千住の常磐線快速〜千代田線みたいなものです。地下鉄のホームが地下2階、コンコースが地下1階にあって、コンコース部分には売店やコンビニなどが複数あるのがこのあたりの駅に共通しています。今回は素泊まりで朝食をとっていないので、パン屋さんでツナパン1個(8 HK$)買いました。朝を抜いたってどうということはないのですが、この先の中港国境でどれくらい時間を要するかの見当がつかず、行列してお腹をすかせるのも嫌だなと思ったので用心。予習しない方針とはいいながら、相手は日ごろお付き合いしているEU加盟国ではなく天下の中華人民共和国ですし、中港国境は1日の国境越え人数で世界一だと聞いていますので、用心していくらかネット検索していたのです。そんなに時間はかからないよというアドバイスが多いのでさほどには心配しておらず、あくまで念のため。ツナパンはサンドイッチではなく、中に具の入ったアンパン型で、なつかしいコッペパンみたいなパンが美味しい。ツナだく。

 
九龍塘駅  (左)地下鉄駅構内のパン屋さん  (右)東鐵綫北行きのホーム 柱に設置された黄色の機械は一等車改札機


東鐵綫のプラットフォームは22線のよくある郊外駅でした。羅湖行きらしい列車がちょうど出発したところでしたが、電光表示を見ると数分間隔で続々やってくることがわかります。羅湖の1つ手前の上水(Sheung Shul)で分岐して落馬洲(Lok Ma Chau)に行く系統もあって、羅湖行きと交互に出ている模様。見ると頭等確認(First Class Validation)という機械があります。全線乗っても1時間かからないような距離ですが一等車が設定されているんですね。一等運賃は倍くらいするので、乗る人いるんかいなと思うのだけど、日本円に直して1500円くらいなので余裕のある人だったら楽ちんをとるかもしれません。このヴァリデーション機には繁体字と英語のほかに等确と簡体字の表示もありますので、中国領からやってくる人が一等車を好むのかも。

7分ほどでやってきた羅湖行きはたしか8両編成で、けっこうなキャパなのにロングシートの座席はほぼ埋まりました。断面にするとおたふく型の車両なので、ゆとりが感じられます。英国の地下鉄はだいたいこのタイプなので、もしかすると旧宗主国の影響かもしれません。乗客のほぼすべてが漢族と思われます。ただ、こちらの人なのかあちらの人かは見た目ではわかりません。スーツケースなどの大きな荷物をもった人も多い。京急線のように車両の両端にだけクロスシートが設けられていたのでそこに座りました。

 東鐵綫の二等車内

京急といいましたが、九龍塘を出るとすぐにトンネルに入り、そこを出ると緑に包まれた丘陵地の団地地区に入っていくので、三浦半島の京急沿線のような趣ではあります。郊外の団地も高層なんですね。いま走っているのは1997年まで租借地だったニュー・テリトリーズ、新界のど真ん中です。体感できるほどの上り勾配を進み、どんどん高度を上げて、大學(University)站に到着。英語で授業する香港大学に対し、主に中国語で学ぶ香港中文大学(Chinese University of Hong Kong)の最寄駅。けっこう山の中だけど、やっぱり高層団地が見えます。

九龍塘から30分ほどで上水着。ここから終点の羅湖までは1駅ですが、羅湖は香港辺境禁区(Frontier Closed Area)内にあるため構内から外に出ることは許されておらず、いわば越境専用駅となっています。辺境禁区と聞くと中国側が設定しているような印象があるかもしれませんけれど、これは香港領。かつて共産主義の侵入を防御するために設けたシビアな地帯の名残で、いまも国境地帯の役割を果たしています。上水で下車する人はほとんどいない。ということは立ち客もあるこの列車の乗客がみんな国境を越えることになるわけで、やっぱり出入国手続きにかなり時間がかかるんじゃないかな。こんな列車が数分おきにやってきますしね。羅湖站は、ちょっとした私鉄のターミナル程度の規模の終着駅で、当然ながら全員がホーム先端にある深圳へのゲートをめざして歩きます。まず自動改札機。中環で購入した切符をタッチしましたがバーが出てきて通れません。すぐ後ろの人が、ここに入れるんですよと教えてくれました。なるほどオクトパスみたいにタッチするだけでなく、切符を呑み込ませなければならないのですね。東京メトロと同じ作法だけど、ハードタイプなのでついタッチしてしまいました。改札機のすぐ奥が香港の出国審査。おおすごい、ゲートがずらり30くらいは見えます。そうでなくてはこれだけの国境越えを処理することはできないでしょう。正確な表現は忘れましたが(国境地帯の撮影はほぼ不可能なので)、特別のカードを保持する香港の住民および中国の住民は専用ゲートを通ることができるようで、それがほとんどを占めます。私たち外国人は12の訪問者ゲート(Visitors)へ。私のほかには欧米系の人が20人くらいなので、おそらく中港国境を頻繁に越えることのできる層がかなりあって、彼らが世界最多の国境越えの本体なのだといえそうです。香港国際機場でカーボンコピーの片割れを提出したあと手許に残していた入境票の残り(出境票)がここで回収されました。そうか、香港を出国したわけやね。その先が長い廊下になっていてどうやら一方通行。回廊のまま緑がこんもりした川を渡りますが、これが香港特別行政区と中華人民共和国の境界です。きりっとした警備兵がおっかない。その前後にあまり大きくない免税コーナーがあり、酒やたばこなどが並んでいます。川を渡り切った先に、今度は中国側の入境ゲートがやはりずらりと設置されています。外国人は入国カードを記入して提出。若い美人の係官が一言も発しないまま、当方の顔を何度も見て旅券と照合します。どきどき。香港は小さなレシートをくれるだけでスタンプ省略でしたが、ここでは中国辺検という入国スタンプをしっかり押しました。そのあとが荷物検査で、ルーヴル美術館のほうが厳重なのではと思うほどシンプルなチェックだけで完了、出てきたところは到着ロビー風の一隅で、観光案内所や両替所がありました。

 中国側に出てきたところ


国境越えに要した時間は込み込み15分かそこらだったと思います。私のいつもの行動範囲は主に日本とシェンゲン圏のEUですので、陸路の出入国手続きの経験はありませんでした。これに近いのはパリ・ロンドン間を結ぶ特急ユーロスターで、実際の国境があるユーロトンネル内ではなく、パリ発はパリ北駅でフランスの出国審査と英国の入国審査を立て続けに受け、ロンドン発の場合はロンドン・セント・パンクラス駅でフランスの入国審査のみ受けるしくみになっています(英国は空港を含めてなぜか出国審査がないのです)。この中港国境は、回廊で川を渡る距離がそれなりにあるので、いかにも「関門」(关)だなあという感じがしました。でも、こうしてみるとあらためて香港「返還」って何なのかと思いますね。

さあ深圳Shenzhen)! 中国躍進を象徴する経済特区で、ファーウェイ(華為技術 Huawei)やテンセント(腾讯/騰訊 Tencent)といったグローバルIT企業の本拠地としても知られる、世界屈指の電脳都市でもあります。改革・開放路線を採用して中国発展の基礎を築いたケ小平は、1980年に香港との国境があるだけの小さな町だったここを経済特区に指定し、社会主義国家の中の資本主義という歴史的な実験に取り組みました。もちろんアジアを代表する金融・産業都市である香港に隣接していることが、この実験に有利な条件だったわけです。以降、国家主導のインフラ投資を加速させ、海外からの投資を呼び込み、自国民の特区内への入域はむしろ統制するなど、21世紀のグローバル経済を先取りするような施策を次々と送り出しました。海辺の寒村は、いまや人口1400万人の巨大都市に生長しています。そういう外形的な知識はもちろんあるのだけれど、国境を越えてまず目に飛び込んでみた景観には圧倒されました。ぴかぴかのビル群がどどーんとそびえ立っています。そんなの東京にもパリにもあるのですが、歴史あるところだと古いものと新しいものが混在して、それが味だったりするけれども、この20年くらいで一気に開発された都市なのでとにかく全体がぴかぴかで新しい。未来都市に紛れ込んだような感覚に襲われました。香港がグレーだとすれば深圳はシルバー。いやすごいな。もちろん、かなり広いらしい深圳の全体を見ればいろいろあるのでしょうけれど、越境してきた人に繁栄を見せつけようという中国当局の思惑があるのは間違いありません。


左が深圳火車站、私の背後に「国境」があります


ここはもともと九龍と広州を結ぶ九廣鐵路の一通過点にすぎなかったわけですから、分断されても鉄道の線路は一直線上に配置されています。中国側の駅は深圳火と称して、事実上のターミナルになっています。その火站は国境を抜け出てすぐ左手。広場をはさんだ反対側には湖商城(羅湖商業城)なる大型商業施設があります。堂々とパチもんを並べて売っているとどこかで聞いたことがあります。帰りに寄ってみてもいいかな。今回は都心部をぐるりとひと回りできればよいと考えていて、行動は徒歩の範囲にとどめましょう。国境に接しているわけだからいまいるところは当然市街地の南端で、町の中心は北に700mくらい進んだところのようです。駅前にはタクシーがたくさん客待ちしていて、乗らないかというような言葉をかけられますがスルー。見ると火站から列車が出発するところでした。電気機関車が、ふた昔前のような客車を18両も連ねてゆっくりと走り出しています。広大な中国大陸では、航空の充実はもちろんあるものの、鉄道による客貨の長距離輸送はいまなお健在だと聞きます。駅の出発案内板には北京西站行きという表示もあってびっくりしました。いまネット検索してみると座席+寝台の混結で29時間半かかるとのことです。しかも数千円から1万円台でチケットを購入できそうなので、鉄ちゃんとしては一度試してみたい。というのはウソで、中国大陸を一昼夜かけて縦断したら鉄道旅行が嫌いになりそうな気がする(爆)。

この路線は英国資本が建設したと前述しましたが、清朝末期には欧米日の列強が鉄道や鉱山の利権を食い荒らし、自前の民族資本はほとんどありませんでした。辛亥革命の直接のきっかけは、広州〜武漢間の粤漢線などの権利を清朝が接収しようとしたことにあります。この路線はアメリカ資本、ついでベルギー資本が権利を保有していたものを、民族資本が買収して、ようやく中国人による幹線鉄道の経営が実現すると期待されていたのに、政府が国有化を宣言したのです。一瞬「え、それでいいんじゃないの?」と思うかもしれませんが、「中国人」というのが微妙。清朝の皇帝や貴族は満州族で、人口の大半を占める漢族は清末になるととくに華中・華南で異民族支配への反発を強めていたからです。孫文の三民主義にある「民族」というのも、時期によって狭義の漢族を指したり、広義の中国国民を指したりするので歴史を考える際には要注意ね。近代の世界史においてこの孫文くらいドラマティックな有為転変を経験した主要登場人物はいないと思います。いま台湾にある中華民国は孫文が初代の臨時大総統となった中華民国の正統な継承者を自認しており、他方の中華人民共和国も辛亥革命と孫文を高く評価し近代のはじめに位置づけているので、「一つの中国」の正統性を争う両政府にとって共通の偉人になっています。孫文の出生地は広東省香山(現在は彼の号である中山に改称されている)で、珠江をはさんで深圳の対岸にあたります。都の北京からはるか隔たった華南のこの界隈は、激動の中国近代史の重要な舞台でもありました。


深圳火站の出発案内板の隣に、「一切の恐怖主(テロ)」を禁止する法律の布告 助けたやつも責任を問われるらしい

 
絵柄だけ見ているとどこの国に来たのか一瞬わからなくなる?

 

PART4につづく


この作品(文と写真)の著作権は 古賀 に帰属します。