Visite aux « Quartiers chinnois réels »: Hong Kong, Shenzhen et Macao

PART2

 


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町歩きセンサーが作動して、ふと上海街を折れて一筋西側に進んでみると、そこには肉・野菜・果物などの朝市が立っていました。新填地街(Reclamation Street)という小さな通りで、屋根つきの屋台が所狭しと並んでいます。広くない道幅いっぱいに屋台が出るため、路肩の歩道がバックヤード化していて、路面店は完全にウラになってしまっていますね。欧州各地でもこの種の野外市場に出会うことがあり、ラインナップはさほど変わらないはずですが、登場人物が東洋人ばかりなので不思議な親近感があります。それにしても活気があるね! どの店種も複数出ていて、お客は「いつもの陳さんのところ」とかあらかじめ買う店を決めているのかどうか。2日前の土曜日、お正月前の最後の週末に、買い出し客でにぎわう上野のアメ横に出かけており(めあては香水の爆買い)、雰囲気は似ていますが、アメ横は基本的に路面店形態で営業しているのに対し、こちらは仮設の屋台。今朝ほど別の地区で見かけたように、いちいち組み立てては解体しているはずなので、ご苦労なことです。私も住民になったらこんなところで食材を買い入れて、中華鍋を日々振りまわすことになるのでしょう。

 
 
活気のある朝市周辺


新填地街と彌敦道のあいだの数ブロックは、裏通り感があるものの商業地で、人通りも多い。白加士街(Parkes Street)という南北方向の道路には本格的な料理店のほか、横浜中華街にも多いテイクアウト店(簡単なイートインスペースを設けていたりする)なども見えます。店によってはすでに行列ができています。10時半なので早すぎると思うけど、ブランチということもなかろうし、スペイン人みたいに何度も外食する習慣があるのかな? ちなみに香港では、よそ行き風のフランス料理店やイタリア料理店でもないかぎり、飲食店といえば中華料理が中心で、日本の「食堂」と同様、そこに洋風のメニューなんかが混入しています。中華料理というのも大ざっぱな言い方ですね。本場ですからさすがに粤菜(広東料理)とか川菜(四川料理)といったジャンル分けがなされていて看板に記されています。川菜店のメニューに唐辛子のマークが添えられて辛さの尺度を示してあるのは、日本でもおなじみのスタイル。私、辛いの大好きなのだけどものすごい汗かきなので、外では敬遠することになりがちなんですよねえ。

飲食店の並ぶゾーンを抜けると、柯士甸道(Austin Road)という東西の道に突き当たりました。このあたりが佐敦Jordan)。香港はその成り立ち上、2言語併記を原則としており、あらゆる地名に英語名が付されます。英語から来たものと中国語(広東語)から来たものと両方が混じっていそうですが、何でやねんと突っ込みたくなる漢字表記がしばしばあります。まあ、こちらは日本式の音読みしかできないので、そんなものだと思うだけですが、どことなく暴走族の「夜露死苦」みたいな無理やり感もあるね。そのかみの万葉仮名なんかもそうだったはずで、考えてみると欧米語をカタカナで表記するのは合理的のように見えて、発音や音節をかなりいい加減に転写しているわけだから日本人がエラいわけでは決してありません。フランス人に「フランス」っていってもまず通じません。その国名は4音節どころか1音節で発音します。ホンコンという日本での発音は英語式のHong Kongに近いのでしょうが、北京語をベースとした普通話ではシャンカンに近い発音(Xiānggǎng)になります。欧州でコリアンダー、タイ料理でパクチーと呼ぶ野菜を中国語では香菜(シャンツァイ)っていいますもんね。ちなみにフランス人は香港をオンコンと発音します。フランス語のンは鼻母音という特殊な発音になるので、耳で聞いて香港のことだとはすぐに気づかないことでしょう。

 
 各種飲食店が並ぶ白加士街 フロア・厨房・持ち帰りスタッフを急募しているみたいです


柯士甸道から南側の彌敦道西側は広大な九龍公園(Kowloon Park)になっています。この付近の彌敦道は分離帯に立派な樹が植えられた並木大通りで、この景観は写真で見たことがありました。これまで歩いてきた地区、とくに裏通りはいかにもアジア的な庶民の町の造りですが、この界隈は完全に欧米式の外観になっているわけです。統治者である英国人たちが、九龍地区に進出してまず都市計画を発動したのがこの付近だったようです。大陸側の座標ゼロというところでしょう。

長い中華王朝の歴史の中で、香港島は小さな村があるくらいでさほどの価値は見出されていませんでした。清朝時代になると珠江デルタの奥にある広州が、江戸時代でいう長崎の地位を得て、対外貿易を独占して繁栄、英国の東インド会社もまずは広州に進出しています。このあたりの歴史はあまり単純化して理解しないほうがよいのに、下手な世界史の授業は、「イギリス」対「清朝」みたいな図式を平板に扱ってしまう。18世紀後半に英国で産業革命が起こって大きな社会変革の中にあったことをきちんと捉えておかなければ間違えます。産業革命を機として資本主義は新たな段階に入りました。東インド会社のような特権的独占企業が認められるはずもなく、野心的な大小の英国商人が東アジア貿易への進出を図るようになったのです。東インド会社は独占特権を守るため、長崎出島のオランダ商館と同様に、清朝に対しては卑屈で妥協的な姿勢をとることが多かったようです。屈辱ではあっても国力で清朝が圧倒していたし、それで権益を守れるなら安いものだったからです。しかし19世紀に入って新たに極東へ進出した野心的な商人たちは非妥協的で、しばしば高圧的でした。中華王朝の伝統的なシステムなど知ったことかというところでしょう。清朝は、いわゆる三世(聖祖康熙帝、世宗雍正帝、高宗乾隆帝の3代名君による黄金時代)が終わり、財政悪化などで国勢が傾きつつありました。ティータイムの普及などで茶葉の輸入量が急増し、対中貿易赤字が膨らむ一方だった英国は、東インド会社を閉鎖し、新興商人たちを焚きつけて、ついにはインド産のアヘンを売り込んで貿易収支を改するという禁じ手に手を染めました。林則徐という立派な政治家が登場してアヘンの没収・廃棄という果断な対応があり、これを挑発とみた英国側は宣戦布告して、アヘン戦争184042年)に突入します。歴史の是非、善悪をいまさら論じるのはそれこそ禁じ手ながら、自国でも明らかに違法であるような麻薬を公然と売りつけて、それを規制されて怒り戦争するというのはどう考えてもありえません。ありえないけれど、海戦だけでなく陸戦でも英軍が圧倒して、1842年に南京条約が結ばれ、香港島が英国に割譲されました。香港島は租借地(レンタル)ではなく、主権が移動して完全なる英領になったのです。
*アヘン戦争にはじまる東アジア情勢の激変が、日本の「開国」とその後につづく幕末動乱をも惹き起こしたことはいうまでもありません。

先ほど方角を間違えて到達した太子站より少し北に界限街(Boudary Street)という東西の道路があり、そこから南がいわゆる九龍地区。第二次アヘン戦争(アロー号戦争 185660年)の結果を受けて英国と清朝とのあいだで結ばれた北京条約(1860年)では、香港島に加えて界限街以南の地が割譲されました。したがって、いま歩いているところは1860年に英領となった部分にあたります。その後、日清戦争で瀕死の重体となった清朝に対して列強がいよいよ本格的にタカるようになり、1898年に界限街より北の広大な森林地(九龍半島のほぼ全体)が英国の99年租借地となりました。これが新界New Territories)と呼ぶ地域。香港は九龍を合わせても都市部ばかりで、水や食料の供給地を少しでも確保したかったでしょうし、防衛上の拠点もほしかったはずです。新界の租借はそのような事情によるものですが、この部分のレンタル期限が1997年に切れることになっていました。国際法上の解釈では、英国が返還すべき対象は新界だけだったのですが、香港島・九龍と一体となって歩み、不可分の関係になっていたこともあり、実際に新界を切り離してやっていける状況でもなかったことから、香港島・九龍もワンセットでの「返還」となったわけです。ですから正確にいえば、新界は「返還」、香港島・九龍は「再譲渡」ないし「引き渡し」とされます。「返還」もしくは「引き渡し」から20年近くが経過して、香港よりも中国本体のほうが注目されるようになったこともあり、昨今の生徒・学生の中には香港が英領だったことも、いまも中国の中で特殊な地位の「国家」であることも知らずにいる人がかなりいます。私の授業でも、欧州ばなしもいいけれど時にはアジアのリアルな話題も取り上げなければなあという思いもあるため、取材の成果は近いうちにぜひ還元したいと思います。

 
九龍地区のメイン・ストリート彌敦道(ネイザン・ロード) 尖沙咀付近は並木道、最南部はスマートな商業地


尖沙咀Tsim Sha Tsui)は、対岸にあたる香港島の中環とならんでこの国の中心となる地区です。大型デパートやショッピングセンター、ブランド店、ホテルなどが建ち並び、裏通りのほうも多少のアジア感はありつつも旺角や油麻地で見たような雑然さはなく、新宿というより銀座に近いイメージかもしれません。ビルの地下に上品な飲食店があって階段で降りていく雰囲気なども日本のそれと同じ。宝飾店がやたらに目立つのは香港ならでは。庶民派の商店街にある乾物屋さんとともに、いったいどこにそれほどのニーズがあるのだろうと妙に感心します。もとよりマクドナルドなどのファストフードもたくさんありますし、セブンイレブンはこれでもかというほど見かけます。北欧のコペンハーゲンやストックホルムもセブイレ(関西風の呼び方)天国だったけれど、香港の密度はそれ以上だね。セブンイレブンの店頭には「特撰宇治抹茶」なるソフトクリームのポスターがどーんと掲出されていて、「日本直送」をうたいます(20 HK$)。先ほどから店先の品々を見ていると、日本の商品に対する信頼感が相当あるようですね。

吉野家もずいぶん見かけます。メニューはけっこう独自色。いかにも的な中華料理店に交じってラーメン屋さんなんかもあります。ふと一軒の中華料理店の店先に掲出された写真メニューを何気なくのぞいて、のけぞりそうになりました。普通のお粥や焼きそばなどに交じって、出前一丁という文字が見えます。餐蛋出前一丁などという料理名があり、日本語も添えられて、誰がどう見ても日清食品の出前一丁ではないですか。写真だと出前一丁かどうかはわからないものの、インスタントラーメンに間違いありません。あとでネットで調べたところ、香港には私が生まれた1969年に進出し、大いに人気を得て定番化、現在ではシェア5割を誇るそうです。日本ではインスタントラーメンと本式のラーメンとは次元の異なるもので、前者を店で出すことはまずありませんが、ここ香港では何だったら普通の麺よりも上等なものとして扱われる由。さっきの朝食もインスタントで、そのときは疑問しかなかったのだけど、ところ変わればそういうこともあるんですね。このあと何軒もの店先メニューで出前一丁を見かけましたし、中には「うちのはパチもんではなく純正の出前一丁です」みたいな但し書きまで添えているところがありました。このところ私の事前調査ないし予習の手抜きぶりはひどいものですが、既知のことを現地で再確認してうんうんといっていても旅行はおもしろくないと思うんですよね。

 
尖沙咀は無国籍的で、しばしばどこの国だかわからなくなる・・・ Dr.スランプ」は現地の表現で「IQ博士」といいます んちゃ!


え、そういうことなのか!


繁華街とその裏手というあたりをしばし歩いて、ついに彌敦道の南端に達しました。つまり九龍の南端、海ギワということです。角の一等地に崇光(そごう)があります。ちょっとだけのぞいてみたら、ずいぶん小ぶりのデパートでした。九龍最南端を海沿いに走る道路が梳士巴利道(Salisbury Road)で、片側3車線の交通量の多いところであるためか横断歩道がなく、地下道で反対側(海側)に渡るようになっていました。歩行者を邪魔者扱いするのは許せんな〜と思いながら地下道(行人隧道横過梳士巴利道 Subway across Salisbury Road)を歩くと、香港の歴史を空撮写真などを交えて紹介するコーナーがあり、歩みがゆっくりに。こういうのはいいですね。東京ももっとやればいいのに。香港州際酒店(InterContinental Hong Kong)の立派な建物を通り過ぎると、香港文化中心(Hong Kong Cultural Centre 綴りはあくまで英国式です)が見えます。いい立地。ぼちぼち正午になるころで、これからフェリー(渡輪)で香港島に戻ることにしましょう。文化中心の先、大げさにいえばアジア大陸の先端にフェリー埠頭があります。バスの回転場があり、切符売り場や売店などが並ぶ景観は駅そのもの。しかもかなりの人でにぎわっており、観光客らしき人を見つけては勧誘しようとする観光船の客引きなども多数出ていました。観光地としての香港のピークは、クリスマスからお正月にかけてのまさにこの時期だそうなので、お天気もいい今日なんかは格好のツーリスティックな日なのでしょう。

香港島と尖沙咀を結ぶフェリーを運航しているのは天星小輪Star Ferry)という会社です。九龍が英領となったのをきっかけに設立された古い路線で、地下鉄や自動車用トンネルができる前は、両岸を結ぶ唯一の公共交通でした。現在でも1015分間隔で運航していて、この乗り場にもあふれるほどのお客が見えるのが不思議なくらいですが、フリークエントに加えて、何といっても安いのが魅力。片道2.5 HK$ですので地下鉄の3分の1程度。これは乗るわね。掲げられている運賃表を見ると、2.5 HK$なのは祝日をのぞく星期15(月〜金)で、土日と祝日は3.4 HK$とのこと。優恵(Concessionary 312歳の子ども、障害者手帳を保持する人)はそれぞれ1.5 / 2.1 HK$、長者(Senior Citizen 香港の高齢者パスまたは外国の高齢者身分証明書を保持する65歳以上の人)は無料。いまどき日本で何十円という2桁の単位で乗れる公共交通機関なんて皆無だろうから、これはすごいですよね。

 
尖沙咀のフェリー埠頭


尖沙咀からは、中環のほか灣仔Wan Chai)に向かう便が設定されていて、通路や乗り場が分離されています。灣仔は中環から1kmほど東にある繁華街と聞いていますが、宿泊するのが中環なのでまずは灣仔から攻略してみましょうか。天星小輪もオクトパスを使えるようでますます結構なことです。幅数百メートルの海を渡るだけなので所要時間は15分ほどですが、それにしても15分間隔で運航するわけなので、船は乗客を降ろしたらすぐに次の客を積み込んで出航するというサイクル。中は隅田川の水上バスとさほど変わらない広さで、座席はパイプ椅子みたいな粗末なつくりですが、長い時間乗るわけでもないからとくに問題はないでしょう。窓枠などが木製なので、どことなく昭和の香りが感じられます。香港っておもしろいね。ピカピカの「新」とかなりくたびれた「旧」が混在していて、中くらいのモダンがあまり見られません。対岸の香港島は本当にすぐそこに見えていて、海岸線ぎりぎりまで高層建築が建ち並ぶ様子は圧巻。本州・九州間の関門海峡もこれくらいの距離ですし、フェリーで横切る感じも似ているのだけど、香港の場合は両岸が見るからに大都会であるのがユニークです。

これから向かう灣仔も、海岸線近くと数百メートル陸側とではまるで景色が違うゾーンだそうなので楽しみ。フェリーが着くのは香港會議展覧中心(Hong Kong Convention and Exhibition Centre)のそばです。199771日の返還式典の会場となった展覧中心(幕張メッセみたいな機能の建物)とフェリー・ポートの周辺では大きな重機を入れて何やら工事しています。ウォーターフロント開発の一環なのでしょう。


香港島の高層ビルを見ながらヴィクトリア・ハーバーを渡る 右に見えるのは中環行きの天星小輪(スター・フェリー)


いまなお再開発が進む灣仔のウォーターフロントには、鷹君中心(Great Eagle Centre)だの海港中心(Harbour Centre)だの、センターと名のつく大きな建物が林立しています。アイドルグループじゃあるまいし、そういくつもセンターがあっていいものかね。フェリーを降りたところから、ひとまず流れに任せて歩いてみると、今朝はどうもしっくりこなかった空中回廊に入り、そのまま2本の道路をまたいで史サ域道(Stewert Road)に出ました。空中回廊はいくつかのビルの横腹にとりついて進み、その間に飲食店などもあります。東京でいえば品川駅港南口側の再開発地区とか、新橋の汐留方面を想像すると、まああんな感じです。ところが2ブロック陸(南)側、おそらく旧来の海岸線あたりに出てくると、そこはもう壁の薄汚れた高層建築(上階は住居)が建ち並ぶ香港らしい景観になっています。不思議なもので、半日ばかりそうした絵柄を眺めていると、手垢つきまくりのそっちのほうに居心地のよさを感じてきます。九龍でも香港島でも、それは同じ。

 
灣仔地区にもグラデーション (左)コンヴェンション・センター周辺は超スマートな外観  (右)少し進むと香港らしい雑然さが


さらに歩くと軒尼詩道Hennessy Road)という東西方向の道に出ました。何となくコニャックの香りがしそうな道路やね。この道路の地下には、香港島北岸を東西に結ぶ地下鉄の港島綫が走っています。香港島の市街地は北岸に集中しているので、これは重要路線。興味深いことに、この路線とほぼ全線にわたって並行するトラムの路線があるのです。地下鉄や郊外鉄道の運営主体であるMTR(港鐵)とは別の民間企業が1世紀以上にわたって営業しており、港島綫の開業後もめげずに対抗しているとのこと。モータリゼーション熱に浮かされた戦後の日本では、各地にあった路面電車をことごとくはぎ取ってしまいました。自動車だけでなく、地下鉄を建設するからというので並行路線を廃止したところも少なくありません。でも、地下鉄は路線網がどうしても粗くなりますし、駅間距離が長く乗り場までかなりの階段を下らなければなりません。利用者目線で真に便利になったといえるのかどうか。世界的な観光都市なのに公共交通がバス頼みという京都の例を考えてみれば一目瞭然ではないでしょうか(地下鉄が2本あるものの、平安京の真ん中を十字に貫くだけで面的な広がりがなく、主要スポットへの観光に使えない)。香港のトラムは並行する港島綫に対して、停留所の数とフリークエンシー(運行頻度)、そして何といっても運賃の安さで勝負しています。最低運賃が4.5 HK$の地下鉄に対してトラムは均一運賃2.5 HK$なのでこの点では圧勝。ていうか、天星小輪もそうだけど、運賃安すぎでしょ!

そうだ、灣仔地区を歩くつもりだったけれど、トラムに乗ってもう少し東のほうに行ってみることにしよう。予習していないので、どんな由来の何があるのかさっぱり知りませんが、生来のマニアなので電車に乗っているだけで楽しいですし、気が向いたところで降りればいい。景色が見えない地下鉄に対する優位性はそんなところにもあります。手ごろな電停を見つけると、すぐに電車がやってきました。香港のトラム車両はすべて2階建てです。路線バス(ミニバスでなく本ちゃんのほう)もそう。建物が上へ上へ伸びていくのと同様、そうした建物の谷間を走るトラムやバスもタテに長い造りになっていて、限られた面積に可能なかぎりの人間を詰め込むというのがこの町の基本姿勢かなと。

 
トラム2階の最前列で町の様子を堪能!(銅鑼湾付近)


軒尼詩道を往くトラムは本当に頻発していて、視界から消えるということがほとんどありません。福岡の西鉄バスに匹敵する密度だね。灣仔の1kmばかり東にある繁華街が銅鑼湾Couseway Bay)地区。2階の最前部に乗っているので非常に眺めがいい! ダブルデッカーといっても窮屈さはなく、天井の低さは感じられません。つまりかなり背の高い2階建てであるわけです。ロンドンのダブルデッカー・バスに乗ったときも高いなあと思ったけど、それ以上に高いような気がします。ですからカーブを曲がるときなどは遠心力が感じられて少しだけ怖い。銅鑼湾は前述した「野心的な英国商人」の代表格であるジャーディン・マセソン商会(Jardine Matheson 怡和洋行)の拠点が置かれた地区として発展しました。同商会はアヘンを売りつけ、没収されると英国政府を動かして戦争を惹き起こした張本人。幕末の日本で薩長側と結んで活躍したグラバーはこの企業の分家みたいな立場でした。いまは若者も多い大きな商業地区になっています。たしかに、まあにぎやかなこと。

持参している「地球の歩き方」でこの先のルートを確認すると、この電車の終点は香港島が大陸に向かって最も張り出した部分、北角North Point)で、その付近がなかなかおもしろそうです。商業地を抜けたトラムはそのまま道なりに進み、海岸線の形状に沿って北東に方向を変えます。地下鉄の港島綫もずっと一緒(笑)。商業地を抜けたといっても田舎とか郊外になったわけではなく、品川区とか世田谷区あたりの幹線道路を走っているような感じです。道路のアップダウンもかなりあります。「地球の歩き方」『香港 マカオ 深圳 20162017年版』(ダイヤモンド・ビッグ社、2016年、p.157)にはこんな記述が。「英皇道を天后から北へと「北角」行きトラムは真っすぐ走り、皇都戲院大厦を過ぎると、突然北角道North Point Rd.へと左折する。と、同乗の香港人はほとんど降りてしまい、ここが終点か、と慌てるのだが、そうではない。/トラムはさらに春秧街へと右折して、街市(市場)の中へ突入していく。下車して街市を冷やかすのも楽しいが、トラムの2階席に陣取って見物するのもよい」。――何だよ楽しそうじゃないか。この記事を読まなければ現場で驚きがあってエキサイトしただろうけれど、そこまで乗っていたかどうか怪しいので、まあいいか。どうも「歩き方」の筆者は私と同じ趣味の人らしい。

  
 
トラムは商店街に突っ込んでそろりそろりと進む・・・


なるほど、電車はここまで走ってきた英皇道(King’s Road)を離れて左折し、1ブロック先を右折。そこが春秧街(Chun Yeung Street)で、市場が出ていました。さっき油麻地で見たのとは違って、片側は路面店が主力のアメ横スタイル。電車優先レーンは車幅ぎりぎりに取ってあり、路肩には自動車が駐められ、お店の荷物なども積んであるなどほとんど余裕がありません。そこに買い物客がたくさんいるので、普通に考えれば路面電車が通るような場所ではありません。なぜこんなところを走るのかというと、日本の路面電車が前後に運転台を設けてあるのに対して香港のトラムは片側だけ、つまりバスと同様に前・後のある車両なので、終点ではブロックをぐるりと一周する線路を敷く必要があるのです。最近見たところではオーストリアのウィーンやイタリアのミラノで、町なかの狭い道路を回して電車の方向を変えていました。東行きの路線にはさらに先へ進むものもありますが、要衝である北角止まりの便も多く、それにはこうした車両回しの線路が不可欠なのでした。町の人も慣れたもので、どうせ電車のほうが加減してくれるのだろうとばかりに、小走りになるようなこともありません。運転士はファンファンとタイフォンを鳴らして、そろりそろりと車両を進めます。お店とお客のやり取りが聞こえてきそうな距離なので、おもしろくてたまりません。東西に長い1ブロックを終えたところで、電車は再び右折して本線上への復帰をめざします。ちょうどそのあたりに北角電停があり、私も下車しました。オクトパスは下車時にタッチ。


北角電停で西行きの出発を待つトラム 窮屈そうですね


いま電車で通ってきた春秧街を徒歩でバック。ああ、市場というより商店街ですねここは。路面店といいましたが上階はすべて住居になっているわけで、景観は香港そのものです。香港ではお店の看板を道路上に向けて建物と垂直に突き出すのが普通ですが、各戸の洗濯物までそのように突き出して干されているのが愉快ですね。そういえば、地理学と歴史学を学ぶ大学生だった平成の初めころ、人文地理学の先生が「香港は何でも突き出すのだ」といっていたのを思い出しました。学生を巡検に連れていくような話もあったと思うので、乗っかっていればおもしろかったかもしれません。欧州というのはやっぱり遠くて割高ですが、香港ならば大学生がバイトして行けそうな範囲ではあります。47歳の私が到着直後からおもしろがっているのだから、20歳前後の若者にはもっと楽しいのではないかな。何となく、海外に不慣れな日本の大学生でも動きやすい都市であるような気がします。

道ゆく買い物客を見ていると、明らかに漢族と思われる人が多いですが、東南アジア系の顔立ちの人がかなりいます。ムスリムや欧米系の人の姿も。私なんてナニ人に見られているのかね。マジョリティ民族による排外主義の動きがあちこちで出てきており、困ったことですが、香港はどうなのだろう。この国(町)の歴史的経緯にかんがみれば、民族や宗教というよりも、中国共産党への支持の距離感によってグループ分けされていそうです。自分たちの国の運命を最終的に自分たちで決められないもどかしさは、あるいは植民地時代以上にあるのかもしれません。

 

 
春秧街は日々の生活をまかなう商店街


最近は東京周辺でも商店街がダメになりかかっていて、シャッターが閉まったあとにコンビニとかチェーン店のたぐいが入ればまだよいけれど、そのままになっているところが多い。自分自身の行動様式を振り返ってみれば、たしかにスーパーは便利で気楽だし、最近ではさらにネット通販で食べ物や日用雑貨を買うのも当たり前になっているので、商店「街」である意味がどんどん薄れているのは確かです。ノスタルジーだけで惜しんでいるのではなく、町づくりという観点から見てどうなのだろうということ。シャッター通りが増えれば従来の繁華街が過疎化して、治安が悪化し、上層の住民が退去します。先進国のあちこちでそういう現象が起きています。香港はいまのところ大丈夫なのかな? それにしても、肉や魚や野菜のナマナマしいにおいが道路全体に立ち込めています。これはたしかに「市場」のにおいですね。人間が生きて、生活しているんだなあという実感がダイレクトに伝わります。そこにまた2階建てのトラムが突っ込んできて、人波が左右に分かれます。

 
 昼ごはん


商店街を西に抜けたところを、線路と反対方向に曲がってみたら、いくつか食堂が並んでいます。13時を過ぎたことだし昼ごはんにしよう。この界隈はあまりツーリスティックな感じがしないのでいいですね。交差点に面した小辣椒(Little Chilli)という店を見つけて入店。思ったより広くて30人くらいは入れそうです。ほとんどのテーブルが埋まっていて、手前の大きな丸テーブルに案内されました。地元のサラリーマンとかOLさん(古い)のような感じの23人連れか、1人で来ている人かというところ。メニューを見ると麺類とごはんものが主のようで、どれもせいぜい30 HK$台と安い。朝からラーメン+食パンを食べていることもあってさほどに空腹ではないので、麺飯類は避けて、鐘水餃というのを頼んでみよう。水餃子のたぐいに違いなく、鐘というのは釣り鐘型というフォルムの意味ではないかと推測。壁を見ると、横浜でも愛飲している青島ビールのポスターがどーんと貼ってあります。それを指さしてオーダー。店員さんの発音はチンタオではなくチンダオと聞こえるので、今後発注するときにはそのようにいおう。地元の人たちはほとんどがアイスティーやアイスコーヒーなどの冷たい飲み物を食事に添えています。それが香港流のようだけど、やっぱり中華にはビールだよね。さっそく運ばれた青島啤酒は何と大びん(640mL)。青島の大なんてあるんですね! ポスターには「大樽装」とあり、あれが大びんの意味かもしれません。かつての中国を知る人がしばしば「中国のビールはぬるくてまずい」と証言しますが、それは20世紀の話で、当今は日本と変わらなくなっているよと聞いていました。この青島もキンキンに冷えていて美味しい。横浜では昼でも青島(ただし小びん)を飲むので、いつもの感触です。私はサッポロが好きでキリンが苦手のため、7割以上の店がキリンを出す中華街ではそれを避けて青島を注文しているわけです。横浜でキリンビールが優勢なのは生麦工場の関係でしょうかね。よく考えると青島ビールは中国本土の産なので(第一次大戦までドイツ資本、以後はアサヒとサッポロの親である大日本麦酒が敗戦まで経営し、戦後国有化)、香港と直接関係があるわけではないのだけど、そういうものに国境はまったく不要。

鐘水餃はすぐに運ばれました。やや深めのお皿に6個。辛そうな店名だからかこの料理もラー油を回しかけたみたいに真っ赤で一瞬びびりますが、食べてみると見た目ほど辛くはありません。豚ひき肉をよく練り込んであり、ぷりぷりした歯ごたえがあります。もとより皮はもちもち。これは美味しいな〜。冷たいビールとの組み合わせはアジア最強じゃないですか。ついつい汁も飲んでみます。あ、やっぱり辛い(汗)。帰国後に初めてこの店名をググってみたら、食べログ的な投稿サイトに日本語の記事がいくつも見えて、穴場のB級グルメといった紹介が多い。へえ。こういうサイトを事前に見るのは私は嫌いです。発見のおもしろさが吹き飛んでしまって、それで旅行して楽しいのかね。事後に見ると自分の評価と違うことが多々あり、そういう場合には自分の舌を信じればいいということです。鐘水餃28 HK$、青島啤酒22 HK$で、非常にエコノミーでした。ごちそうさま。

 

PART3につづく


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