古賀毅の講義サポート 2020-2021

De Société contemporaine II: Perspectives à l’ère de la mondialisation- 2020

人文社会科学特論(現代社会論 II
:グローバル時代のパースペクティヴ2020 

早稲田大学本庄高等学院 3 (文系必修選択科目)
金曜 34限(11:20-13:10)  教室棟95号館 S205教室   

 

 

 

 

 

 

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202011月〜12月の授業予定
1120 再挑戦する欧州(1):欧州統合の論理と原理
11
27 再挑戦する欧州(2):逆風の2010年代の先に
124 視点としてのドイツ:十字架を負い、欧州を牽引する
12
11 グローバル時代の公教育:拡大・深化・成熟への苦闘


■■次回は・・・
22- 再挑戦する欧州(2):逆風の2010年代の先に

海外に居住ないし旅行した経験をお持ちの方は少なくないようですが、陸上国境を越えたことがある、という人はあまりいないのではないかと拝察します。アメリカや中国といった「大物」、英国やインドネシアといった「島国」ですと、その機会はなかなかありません。マレーシア〜シンガポール間とか、これを国境と呼んでよいのかという問題をさておけば中国〜香港・マカオ間とか、そのあたりであれば陸上国境越えがわりと普通(日常的)ですが、そのようなところは思いのほか少ないですよね。欧州は、小規模の国家がひしめき合っていますので、パック旅行などでもバスなどで陸上国境を越えて複数の国をセットにするのが一般的です。で、私の主たる訪問先はシェンゲン圏の欧州ですので、いつの間にか陸上国境越えが当たり前になってしまい、いまさらなんとも思わなくなりました。初めてそれを経験したとき(フランス→ベルギー)は、こんな私でもちょっぴり身構えました。そして、国境フリーのシェンゲン圏っていいな、とシンプルに思いました。――物事には「よい面」と「悪い面」があるのだ、という整理の仕方をすることがありますが、たいていは「よい面」すなわち「悪い面」です。ノーチェックで気軽に国境を越えられるからこそ、経済が活性化され、ビジネスにもツーリズムにも追い風になるのですが、ノーチェックで気軽に国境を越えられてしまうからこそ、犯罪者やテロリストや感染症のウィルスも容易に往来することになります。欧州=グローバル化の実験(実見)場である というのが、その点でも見えてきます。

国境フリーっていいな、とシンプルに受け取り、調子に乗った(笑)私が欧州各地をほいほい飛び回っているあいだに、楽観されていたはずの欧州統合、欧州の未来に悲観の影が差し、いつの間にか無視できないほどの強さになっていました。あとから思えば、2009年のギリシア金融危機が発端でした。2011年の「アラブの春」では、シリアが内戦状態になり、その余波でシリア難民が大量に欧州へとやってきます。2012年にプーチンがロシア大統領に復帰すると、資源や安全保障をめぐって大国ロシアとEUの関係が微妙になります。さらに2016年、英国の人々はEU離脱を国民投票で決めてしまいます。皮肉なことにというのか、そうした逆風が吹きはじめたあとで、欧州情勢に関する日本語の記事がたくさん出ましたので、無知で歴史に無関心なネット民は「欧州はもうダメだ」「やっぱり国家が大事なのであって、国家を超えるものなんて無理なんだ」という短絡を吹聴することになります。「挑戦する欧州」という見出しをしばしば掲げて、統合の歴史的意義をプラスの意味で訴えてきた私に対しても、「どう落とし前をつけるのか」という趣旨の反発がずいぶん寄せられることになりました。

プロの研究者、教育者ですので落とし前はいずれつけるつもりですが、さりとて反知性主義的なネット民族の言い分を真に受けるのもあれなので、私は冷静に2020年代の欧州を展望しようと考えています。統合の原点として、国家間の争いが殺し合いに発展してしまったことへの強い反省がありました。現在経済のサイズに比して政治や法のサイズが小さすぎるという問題もありました。それらは現在でも有効どころか重要な視点であるはずです。また、マジョリティ/マイノリティ問題という宿命的なことに対しても、欧州を分母とすることで、ずいぶん問題が相対化されたという実績を軽視するべきではないでしょう。えてして、ネガティブな面は報道されやすいが、普通にうまくいっていることはことさらに報じませんので、日本にいながら日本語で得られる情報の質には注意が必要です。一方で、2010年代の逆風によって明らかにされた欧州の欠陥や課題というのもたしかにあります。それらが小さな問題でないことも確かです。

そして、もう一つ忘れないでほしいことがあります。欧州の問題は、欧州的な部分を取り去れば「グローバル世界の問題」であり「現代社会の問題」である、ということです。他地域のことを冷ややかに見るのはかまわないが、それが高みの見物であってよいのか、ということですね。ですからマイナスに捉えてもよいけれども、それも自分たちの、私たちの社会に突きつけられた問題なのだと考えて、「現代社会を見る眼」というのを鍛える機会にしてほしいわけです。私の専門分野であり「趣味」でもある欧州のことを、2学期の最後に来て、ようやく公民科の目標に接続できるときがやってきました。

 

REVIEW (11/20
*文意を変えない範囲で表現・用字法を改めることがあります

欧州統合と表現されるが、公用語、通貨、首都等において多様であり、どこか一つの国家(地域)に集約していない。統合でありつつ内面は多様性を維持する形態こそが、グローバル化のあるべき姿であると考える。またどの民族もマイノリティであることで、互いを牽制し、すべての民族の意見を届けることにつながる。

中学生のときEUについて、「狭い国土でも大国に対抗できるようにまとまった」としか習っていなかったので、グローバル化の実験(実見)場としての役割を担っていることなど、初めて知ることが多く、欧州の奥深さを知った。

これまで授業やニュースなどで欧州統合という用語は耳にしたことがあったが、詳しくは知らなかった。欧州=イギリスという勝手なイメージをもっていた私は、ことしの英国のEU離脱を聞いて、EUはイギリスなしでは何もできないのかと思っていた。しかし実際にはEUはフランスを中心としてつくられ、当初はイギリスが入っていなかったことを学び、衝撃を受けた。そしてよく先生のおっしゃる「国家の外側にもう一つ国家があるようなイメージ」というのは、EU法の存在が背景にあった。国際法でありながら個人を拘束することのできるEU法のあいまいなあり方が、EUを「国家」であると言い切れない要因であった。今後のEUの動きに興味をもった回であった。

国境を越えて自由に行き来することができる、町なかに理解できない言語を話す人が多くいる、そんな世界があることを文献からは理解できたが、実際に行ってみなければわからないこともたくさんあるなと思い、純粋に興味が湧いた。
沖縄に行く感覚でギリシア〜パリを移動するという話は、シェンゲン圏の中での強いつながりを実感しただけでなく、これが「できる」(入国審査なしでもめない、問題が起こらない)ということの強みや意義を感じました。グローバル化しているいまの鍵というか・・・すごい。

EUの大統領・首相にあたる方の画像を見て、いわゆるグローバル・リーダーとはこのことか!と感動した。

欧州統合のメリットとして、共通通貨ユーロと、人・モノの自由な移動ということがあると思います。ユーロさえあればEU内ではどこでも使用することができます。ユーロって本当に魅力的に思えます。また本来は国家間の移動には入国審査が必要ですが、EU内では自由に行き来することができます。日本に住んでいるため他の国と陸続きに密接していないので、国の行き来が自由におこなえることの便利さがいまいちイメージできませんが、外国に住むことになったらEUの魅力により気づけるのではないかと思いました。
・・・> 本筋とはあまり関係ないのですが、シェンゲン圏内の自由通行(連合王国とアイルランド共和国間の自由通行も同じ)ということに関して、イメージがずれていたら修正してください(レビュー主だけでなくみなさんも)。陸上国境があって、自由通行=そこを徒歩や自動車や鉄道で越える ということでは必ずしもありません。それも含むが、航空機による移動も当然あります。日本「国内」の移動にだって、普通に航空を利用しますよね。例の島国エクスキューズに囚われているとわからないのだけれど、東京(羽田)→札幌(新千歳)も、東京(羽田)→ソウル(仁川)も、空を飛んで海を越えることには変わりないし、那覇に飛んでいくならそれこそ延々と海の上を飛行することになります。ソウルのほうが圧倒的に近いです(私はソウル近くまで1時間半くらいで飛んだのに、気象の関係でなかなか着陸できず上空をぐるぐる回されてイライラしたことがあります 笑)。シェンゲン圏内の移動が国内移動と同じ感覚であるということは、陸を行こうが空を飛ぼうが同じこと。マルタ共和国はシェンゲン圏ですが、島国なのでどうしたって空を飛んで行くことになります。マルタ国際空港を利用してみてわかったのだけど、国際空港の名にたがわず、発着する便はすべて外国行きでした。フランクフルトやパリに向かう便に乗る際には出国審査がなく、いっぽうロンドン行きは出国審査を経る、という違いがあります。事情はおわかりですね。

今回の授業で、地理的な問題の大きさを実感しました。地理的にイギリスがヨーロッパっぽくないというイメージは私の中にもあります。しかしイギリスのジョンソン首相がアメリカ大統領選挙の結果により決断を迷っているという話から、「歴史的背景」のさらなる強さを実感しました。何か一つ変わると別の地域の動向が変わるというように、昔からのつながりがグローバル化した現在の歯車をコントロールしている?と思いました。

ジャンヌ・ダルクの像を見て楠木正成を連想できる先生がすごいなと思いました。たくさんアンテナを張っておけば、旅行をはじめ何をするにも楽しそうですし、他の文化をおもしろがる気持ちは、かけ算的にどんどん広がりそうだと、うらやましく思いました。
・・・> もっと褒めて!(笑) コロナ禍が明けて、外に出られるようになったらパリに遊びに来てください。褒めてくれた御礼にワインか何かごちそうします。

 
ドーヴァー海峡を越えてロンドン・パリ間を2時間15分で結ぶ高速列車ユーロスター
英国が欧州大陸と本当に分かれてしまったいま「ユーロ」の冠が痛々しく感じられるものの、それでも両岸をつなぐ「星」でありつづけてほしい
(左)パリ北駅 (右)ロンドン・セント・パンクラス・インターナショナル駅
フランス側の拠点駅名が「リール欧州Lille Europe)」なのに対し英側は「St.パンクラス国際」で、そこに意識の差があったのかな?

 

欧州は、想像以上に理想的な統合のされ方であった。とくに欧州を分母にするとどこの国家・民族もマジョリティではなくなるという点に関心をもった。これはいいことであると思っている。マジョリティ、マイノリティの意識が存在すると、排他的な考えのもとで、結果的に全体としてマイナスの方向に進んでしまうのではないかと思うからである。

私は、欧州という大きなアイデンティティをもつことがマイノリティを相対化する、ということは、欧州域内のさまざまな地域の人々に存在するアイデンティティを、それぞれがつぶすことなく尊重し合うこと、といえるのではないかと考えた。そのように考えると、「国家の外側にもう一つの国家がある」というのは、それぞれの主権国家を保ちながら、呑み込むことなくむしろ尊重し受け入れたうえで、EUという大きな組織に身をゆだねることだと思った。

欧州連合は「国家の寄り合い」ではなく「国家の外側にもう一つ国家があるようなもの」であるということの意味について考えた。経済的な統合を目的として発足したECであったが、その後に各主権国家のアイデンティティを保ちつつ政治的・文化的な統合をめざしてEUとなった。人の移動が自由化され、異なるアイデンティティをもつ人が共生するようになるということで、衝突が起こることが容易に考えられる。アイデンティティが衝突したとき、それらの均質化をめざすのではなく、お互いのアイデンティティを認めつつ、同じ「EU」という集合の中に生きるものとして一体化をめざそうとし、そこに新たなEUとしてのアイデンティティが生まれるのではないか。それこそが、国家の寄り合いではなく多様な国家の外側にある、欧州全体を包み込むような「EU」という擬似国家のようなものといわれる所以なのではないだろうか。

日本では欧州統合のようなことがなく、私はそれまでも詳しく調べたことがなかったので、統合による影響をまったくイメージできず、よくわからなくなってしまった。よい影響があり、成功といってよいものだとはわかったが、さまざまなアイデンティティをもつ国の寄せ集めだから、ものすごく複雑で、難解な課題が起こりそうだと考えた。
EUには多くの国家が加盟していて、それにより非常に多様なアイデンティティをもつ人々の集合体になっている。そしてそれらの人々が近い距離で共存していく中で、さまざまな問題が生じるのは避けられないことなのだろう。しかし、これからグローバル化がさらに進行していき、徐々に人々の思考が変わっていくことにより、いつかの未来にはアイデンティティの違いによる問題は起きなくなるのかもしれない。

国家の境目と言語の境目という話に関して、中学生の妹が学んでいる公民について話しているときに、感じることがあった。妹はロックとルソーの区別ができないと困っており、私たちに話を聞いていたのだが、ルソーが「何人(なにじん)」なのかという話になったとき、境界についての感覚を実感したような気がした。ルソーはジュネーヴ共和国出身で、フランスで活躍した、と記事にあったらしいが、それを見た母が「ルソーはスイス人なんじゃん」といっていたことに違和感を覚えたのである。朝鮮半島の歴史に関して、現代の国境をもとにいうのはおかしいという話を聞いたことも関係していると思う。ジュネーヴ共和国はフランス語圏らしく、授業で聞いた話を妹と母に伝えたかったが、うまく伝わらなかった。残念である。
・・・> おお、ジュネーヴ出身のルソーの話でそのことを思い出したのであれば立派。学びましたね。あなたの違和感のとおりで、ルソーが生まれたときのジュネーヴは、ジュネーヴ共和国という国家(étatではなくcanton)でした。彼の死後しばらくしてから、ナポレオンに引っかきまわされたスイス地方の諸カントンが全体として主権を設定され、現在のスイス連邦(フランス語でConféderation suisse)になります。スイス連邦のドイツ語の呼称はSchweizerische Eidgenossenschaft。誓い(Eid)を立てた同志たち(Genosse)の体制(-schaft)という連語で、「スイス誓約者同盟」と訳せます。小さな国(カントン)だが、それぞれの文化や理念を周囲の大国から守り抜くため、違いを認め合いながら軍事同盟を結ぶ、というのを13世紀以来やってきて、それが19世紀になって主権国家に発展したものでした。ジュネーヴのようなフランス語のカントンも、ベルンやバーゼルのようなドイツ語のカントンも、ティチーノのようなイタリア語のカントンも、カトリックもプロテスタントも、とにかく「同盟」しました。ルソーが『社会契約論』などで理想化して描いているのは、実はジュネーヴ共和国ではないかともいわれています。この授業翌日、21日の教職課程の授業で、ルソーをメインで扱いました(近代教育史のうえで非常に大きな意味がある)。私はいつも、ルソーが憑依したんじゃんじゃないかくらいの勢いで彼の思想を紹介しています。幼いころ父が破産して一家離散し、辛酸をなめ地を這いながら少年・青年時代を過ごしたルソーは、学校教育をまったく受けなかったのにラテン語の古典などを読みこなせるようになり、現世の社会への怨念・憎悪と、するどすぎる社会批判のまなざしを携えてパリに出ます。音楽の心得があったルソーは(「むすんでひらいて」はそのころの作品)、貴族どものダンス・パーティーなどに潜り込んで伴奏で小銭を稼ぎながら、社会のおかしさを自身の思想の中で理念化していきます。フランス革命を前に亡くなりましたが、思想の巨人であり変人でした。

今回の授業で、国家間のナショナル・アイデンティティの衝突について考えた。国家は当然それぞれのアイデンティティをもっている。EUでは人々の移動の拘束を緩やかにし、経済的・文化的・法的な統合、一体化をめざしている。こうした状況で各国のアイデンティティが衝突する可能性は少なからずあると思う。この衝突は、他国の人々が自国内にいるという認識が払拭されるほど他国の人々が自国にいる状態が常態化することで、なくなっていくと考える。そのような状態が人々の中で「日常」になれば、それはEUとしての大きなアイデンティティが形成された証になると思う。ただ、国家間で経済格差が大きければ、その国への排外的な視線が大きくなると思うので、経済格差をなくすことでEUのアイデンティティがつくられると思うが、そのようなことは決してない。EUのアイデンティティについて考えたいと思う。

私は、EUという機構は画期的で、その調和のとり方はすばらしいと思います。欧州を分母にするとどの集団もマジョリティになれないというのは、大国としてのプライドがある国にとってはイライラすることかもしれませんが、国内では自由に法を決められるのだし、がまんすればいいのにと思いましたが、人のことまで考える余裕がないと、それは難しいのでしょうか。いま日本の中には中国や韓国を極度に嫌う人たちがいますが、長い歴史の中で多くの文化を共有し、対立しながらも同じくらい協力したことだってあるはずなので、もっと仲よくできればよいと考えます。

歴史をたどると、欧州統合はかなり長い目で見た、段階的なものであるという印象を受けました。それで実際に、シェンゲン圏内の自由通行やEU法のようなしくみが行き渡っているわけですから、EUによる欧州統合は成功しているという面が大きいように感じました(今回の授業の性質上そう感じただけかもしれませんが・・・)。ここまで統合できていても、欧州の人間としてのアイデンティティが共有されているといえないのであれば、これ以上、何が求められているのでしょうか。
・・・> ともに何かを乗り越えたという経験。

 
フランス国民議会(下院)議事堂=ブルボン宮 当然のことにフランス国旗が掲げられていたが、そばのビルは欧州旗をゴリ押し・・・
なぜなのかわからないままだったが、いまグーグルマップで調べたら欧州委員会パリ支局だった 無知で失礼しました

 

授業を受けて、欧州(EU)はさまざまなものの範囲があいまい、あるいは複雑すぎると感じた。たとえばEU加盟国とシェンゲン圏が同じではないこと、政治とスポーツでトルコの扱いが違うことなどの理由である。またEU法と各国の法律では、それぞれどの範囲の法を定めているのかなどがわかりにくいと思う。
・・・> 法律のことはともかく、包摂する範囲がジャンルごとに違うというのは、普通にあるのではないでしょうか。東京都にだけ特別区があるのは複雑だし(大阪のみなさん残念でしたな)、京都府は「京都」なのに北海道を「北海」といわないのは変だし、スポーツでいえば五輪とサッカーで香港やマカオの扱いが違うというのもあります。

今回の授業で、欧州連合加盟国の基準に明確な定義はないとわかった。宗教や言語での制限はなく、冷戦終結後には社会主義国も加盟しているため、「多様性の中の統合」がなされていた。EUの制度では、人や物のEU圏内の動きは促進されているのに、それが均質化されず多様性が維持されている?のは、それぞれの宗教や歴史、言語を互いに許容しているからだと考える。そもそもEUの成立とそれらの許容は前提である。グローバル化が進み、民族や文化などの均質化が進む現代において、アイデンティティを二重にもっているということは、ある意味で今後の世界における最先端であると考えた。

欧州連合は国家でないのもにもかかわらず、公用語や首都まで定められているということに驚きました。欧州連合歌を、なぜドイツ人のベートーヴェン作曲の「歓喜の歌」にしたのか疑問に思いました。フランス人が中心となってつくった組織なのであれば、フランスの作曲家の曲を採用するのが自然なのではないかと考えました。
・・・> じゃあドビュッシー? ベートーヴェンはドイツ語を母語とするドイツ人でしたが、彼が生きた17701827年にドイツという国家はありませんでした。生地のボンはケルン大司教領、後半生に活躍したウィーンはオーストリアで、その外側に神聖ローマ帝国という謎の普遍帝国がありました(そのころはもう有名無実化され、1806年に崩壊)。ベートーヴェンを「ドイツの作曲家」ではなく「欧州共通の誇り」としたところが、欧州を構想した人たちのすごいところではないですかね。私が感じ入ったのは、西ドイツ→ドイツの首相を長く務めたヘルムート・コールが、遺言してその葬儀(2017年)をフランスのストラスブールでおこなったこと。ストラスブールはドイツが統治したこともあるアルザスの中心都市で、いまは欧州議会もあるところですが、それにしてもベルリンやボン(旧西ドイツの臨時首都)でなくストラスブールで送られたというのは、統合に希望をもちつづけたコールらしい最後でした。

グローバル化と欧州連合の情勢は並行して進む、という事前検討があったが、この意見に同意する。グローバル化が進行するにつれて、多様性が承認されていき、人々のアイデンティティは分散されていく。そうすると、いままでそのアイデンティティを統合させるように努めてきた国家は分裂していくことになり、逆にアイデンティティが分散していく。EUも同じような状況で、多様性が強調されるようになったから、イギリスでは離脱の声が強まったのだと思う。この先グローバル化がより進めば、同じように離脱を掲げる国家が出てくるのではないか。

事前検討の段階で、イングランドの人々がEUからの離脱を求めたが、アメリカのカリフォルニア州の人々は独立しようとしない、という話がありました。これには他の国家の人々による焦燥感が関係しているのではないかと思いました。あくまで想像で、証拠があるわけではありませんが、イギリス、とくにイングランドの人々は、自分たちのアイデンティティンに優位性を感じており、欧州統合によってその優位性を失うかもしれないという焦燥感があるのではないでしょうか。アメリカにもその焦燥感は生じていますが、それは人種などによるものであり、州ごとのアイデンティティの優位性はないため、独立を望む声が上がらないのではないかと思いました。また授業でも学んだように、イギリスにはスコットランドやイングランドといったアイデンティティの多様性がありますが、アメリカにはその傾向がなく(人種をのぞいては)、国家としてまとまっていることも関係しているのではないかと思いました。
・・・> 何しろ広いですからアメリカの多様性というのも相当にあるのですが、それが「ナショナル」なものにならないというのは、歴史の浅さゆえでしょう。WASPというマジョリティがいるにはいるが、建国初期からいろいろな民族(移民集団)の雑多な共同体だったということも影響しているはずです。もともと東部の13の国家(State)がそれぞれあって、英国との戦争にあたって連合したというだけだったのですが、合衆国憲法を制定して連邦政府を設置し(1787年)、ワシントンというカリスマがその指導者となり、さらに米英戦争(1812年)でいよいよ「わが国」という意識が共有されました(このとき国歌「星条旗」が生まれた)。南北戦争は危機でしたが、それを乗り越えたあとは、どこかの州が突出するということでもなくなります。内政に関するかぎり、もともと州が強いですしね。ただ、IT系に強いカリフォルニアは全米でもイケている州で、選挙をすれば民主党がかなり強いです。そのためトランプがおかしな路線を突っ走った時期に、「カリフォルニアにリベラルな国家つくっちゃう?」というようなツイッターがけっこう見受けられました。

欧州統合の歴史を振り返ると、欧州全体の利益を求めて、その形を変えてきたことがわかった。経済面にのみ注目すると、EUの存在は大変大きく、人や物の往来が自由ということは域外との貿易に比べてスムーズに、楽に移動できるため、必然的に経済が回る。イギリスは他の欧州諸国とは一線を画しているような感覚をもつ。ユーロを使っていない点など、目に見えて逸脱しているところもあるが、イギリス人も自分たちに欧州の中で特別な立ち位置にあるというアイデンティティをもっているように思える。世界に先駆けて統合を進めるEUの今後に注目していきたい。

欧州統合は、宗派や歴史的経緯の違いを超えて結集したとありましたが、移民の受け入れ拒否を望む動きをみると、あくまで「欧州」の中での多様性のみを許容するにすぎないということを感じました。
・・・> す、するどい(汗)。


欧州連合(EU)が「国家の外側にもう一つ国家」であるとすれば、国際連合(United Nations)とは?
社会科・公民科の主要単元になっていないのが残念で、知名度のわりに内容が知られない
国際連合本部ビル(ニューヨーク)

 

世界のほとんどの国はそれぞれが主権国家として独立して成り立っているので、そもそもEUのように国家が集まる必要性に疑問を抱いていた。しかし今回の授業で、EUが成立した経緯を理解し、EUは単なる「国家の寄り合い」ではなく「国家の外側にもう一つ国家がある」ようなイメージであり、それにはよい点もまずい点も存在する、ということがわかった。EUでは通貨の統一がなされているが、政策の導入については国家ごとに決めることになっている(一つの国家の倒産がEU加盟国全体に影響を及ぼしてしまう恐れがあるため?)。しかし法律に関してはEU法が制定されており、国内法に優越する。EU加盟をどこまで認めるかという問題は、制度うんぬんではなくアイデンティティが絡んでいる。欧州=キリスト教という潜在的なイメージが人々から消えていないということが事前検討からわかった。さまざまな主権国家が集まるということは、アイデンティティの衝突も起こる。それを踏まえると、EUという一つのアイデンティティの形成を図るべきだと思うが、それは実行されていないようだ。

事前検討に、EUが「通常国際機関の限界とされるものを超克した存在」であるとあったが、これは所属している各国家が「恒久的な加盟国同士の平和」をめざすという共通した意識をもっているからではないか。EUが成立していることを考えていると、彼らのシステムは世界の他の地域に適用できないのだろうかと思う。物理的にあれほど小規模の国家がぎゅっと詰まったエリアは他にないため、似るかどうかは別にして、各国家がいずれかの XX Union に属し、超国家の一部となる。European Union=EUAsian Union=AUOceanian Union=OU、そしてWorld Unions’ Leagueという、世界が連合単位で見える、世界政府がある状態は可能だろうか?
・・・> AUというのは実在しますよ。アジアではなくアフリカで、アフリカ連合African Union)といいます。欧州連合をモデルにした地域統合機関であり、モロッコをのぞく大陸の全主権国家が加盟しています。モロッコをのぞく事情はお調べください。AUの存在感はこのところかなり強まっており、とくにアフリカのどこかの国で不穏な情勢があったときとか人権上の問題が起きたときには、連携して先回りし、数ヵ国が知恵と実効力を持ち寄って解決しようとしています。東南アジア諸国連合ASEAN)もまた、冷戦期の政治同盟という色が抜けて地域統合機関となり、EUをモデルにしつつもそれとは異なる論理・原理での統合を力強く推進しています。そうした事情については古賀「地域統合の進展」(宮崎猛・古賀毅編著『教師のための現代社会論』、教育出版、2014年、所収)をお読みください。世界政府がつくられたあかつきには、サイド3がジオン公国になって独立を宣言するんじゃないですかね(ネタが昭和ですけど結構マジ)。

今回の授業で欧州統合の原理や論理、歴史的な背景を学び、また欧州はグローバル化の実験(実見)場であるということを考えたうえで、ヨーロッパ以外の国の集団が統合されたらどうなるのか気になった。たとえば世界情勢に後れを取っているアフリカ大陸が統合された場合、ロシアやアメリカなどの大国、EUなどに対抗できる存在になるのだろうか。私は、なりえないと考える。アフリカ諸国で最も栄えているといっても過言ではない南アフリカ共和国でさえ、いまだに政治的に安定しておらず、資源が豊富であることに頼り切っている面がある。国内においてさまざまな問題を抱える国がほとんどなのに、同一の特質を共有し、それを認識するまでの過程を経ることは考えにくいだろう。これからグローバリゼーションが進展していく中で、アフリカなど余裕がない国がどういった役割を担っていくのか興味深い。
・・・> 一つ上で示したように、アフリカ連合(AU)が実体をもって活動しています。レビュー主くんは居住経験のある南アフリカを中心に考えてしまうのだろうけれど、アフリカの中心や代表は南アフリカではありません。今後もそうです。これは、1960年代以降のアフリカの歴史を見ていくとわかってきます。「アフリカの歴史」とはずいぶん大ざっぱなくくりですが、それは南アフリカ共和国を捨象しても成立してしまうかもしれない「歴史」です。研究してみてください。

欧州統合は「多様性の中の統合」であるが、この「統合」は、アイデンティティの視点で見ると結びつきが弱いものなのではないかと感じた。英国のブレグジットの話から、ある国から見るとEUという共同体にいることが疎ましく、誇らしいアイデンティティではないということがあるのではないかと考えたからだ。イギリスにとっては、大国イギリスというナショナル・アイデンティティの強さがブレグジットを引き起こす要因になったのではないか。強国にとっては、自国のみでいるほうが強い(多面的な意味で)ということがあるが、一方では共同体にすがっているほうが強くいられる場合もある。欧州の他に、現在の欧州のような共同体をつくるとしたら、そのアイデンティティの統一(ブランディングのような)が必要になるのではないかと考える。そのためには、やはりEUのように地域での価値観の共有をしなければいけないが、これはさまざまな障壁をもつ国家同士のあいだでは大変困難になるだろうと考えられる。
・・・> 「ある国」って、英国のほかにありそうですか?

どこにでもマイノリティ問題などはあると思いますが、欧州がグローバル化の実験(実見)場となっているのは、言語、人種などさまざまな問題を内包しているからこそ、いろいろな事象や考えを理解することができる、そのような実験場になっているのではないかと思います。また、マジョリティであってもマイノリティになってしまうEUという大きな枠組は、中世のオスマン帝国といった普遍帝国と似たような役割(アイデンティティ面に関して)を果たしているのかなと思いました。
・・・> 1990年代に欧州統合が加速しつつあったころ、欧州は「新しい中世」に入ったのではないかという指摘がずいぶんとなされました。普遍帝国のほうが本来の姿なのだ、みたいなことでしょうが、あくまで比喩ですね。

 
私が欧州連合の箱推し(アイドルをグループごと応援すること)であることが全欧に知られているらしく、宿泊するホテルは
国旗と並べて欧州旗を掲揚してくれている ・・・国旗と欧州旗を並べて掲揚するのがEU加盟国のルール(汗)
(左)エストニア タリン (右)リトアニア ヴィリニュス それにしても旧ソ連(バルト三国)に欧州旗が見えると、ちょっと感動します

 

EUという大きな組織によって個人が拘束され、もろもろの問題が発生し、不満をもつ人々もたくさんあるのではないかと考えていたが、制度をみると小国も大国と同等の票をもっていたり、全体としての民意を反映させるようになっていたりすることがわかった。そのように見るとよくできた制度のもとで27ヵ国がともに経済を動かしている、とよいことばかりのように思えてしまう。全体として考えても実態があいまいでよくわからなかったため、主権国家の上にEUがあることによる問題について、知識をつけて次回に臨みたいと思う。

欧州統合によって政治・経済の範囲を拡大することで市場の安定を保障することや、民族間の隔たりを知策することが可能になる。しかし今回の授業を通して、「二重の国家」という体制は煩雑なものであるのではないかと感じた。EUに焦点を当てて考えると、その煩雑さは「多様性の中の統合」とあるように、多くの国家・文化を尊重したうえで、均一化せずに統合を進めるということからくるものであると考える。「グローバル化の実験場」ということからは、国家間の境界をあいまいにすることは、現状以上に外交上の煩雑な手順を踏む必要性を伴うものである、と読み取ることができる。

EUが超エリートによって運営されていることは、アイデンティティの共有にも影響しているのではないか。大きな枠組に、しかも自分で望んで入ったわけではない場合、やはり自分がそこに貢献している感覚がよい影響を与えると考えられる。したがって、自分たちの政府であると実感できないことは、アイデンティティの共有を難航させる原因になっているのではないか。

いままで欧州統合のよい面を見ることが多かったが、たしかに枠組が大きくなりすぎて国民たちが実感をもちにくくなるというマイナスの面もあると思った。EU法は個人も縛る、という国際法をつくったのは、自分たちとは遠い存在のエリートたちだから納得できない、と思っているEU市民も少なくないのではないか。アイデンティティについても、地理的に自由に行き来でき、さまざまな隔たりがないために、自国に根ざして生きているという感覚(国民としての意識)が薄れる恐れもあると思った。一方で、他国との違いも肌で感じられるため、ある国の国民としてのアイデンティティが強くなるのか、疑問に思った。

EU法は、理事会において27票で決定されると学んだ。一つの国家であれEUであれ、少数派に不利な内容になると思うのだが、EUの場合は少数派が国家単位となり、あまりに多いと考えた。なおEUは国家の集合体であり、意見の相違が生まれやすいという点で、中国などの人口が多い一つの国家よりも極端に意見が割れやすく、問題は深刻だと考えた。
・・・> 中国は、人口は多いけれども民主主義ではないので、そこを比べるのは適当ではないかな。さて各国政府の関係閣僚が構成する理事会(Council)は、EU法制定に際して大きな役割を果たし、マルタのような小国も1票、ドイツのような大国も1票で、小国の声が出すぎじゃんと思うでしょうが、下院にあたる欧州議会(European Parliament)は人口比例ですのでそこでバランスをとっています。二院制とはそうしたものです(日本の衆議院と参議院には違いがなさすぎる)。アメリカ合衆国の上院は各州2名、下院は人口比例です。ドイツの上院(連邦参議院)は各州政府の代表によって構成され、下院(連邦議会)は人口比例です。欧州連合のEU法制定プロセスは、ドイツの制度をモチーフにしている面がかなりあります。

 
スイス連邦もシェンゲン圏だがEU加盟国ではない 初めてスイスを訪れたときにはあった出入国管理がいまはなく、
イタリアとの国境に位置する国鉄キアッソ駅には税関があるものの、利用者はこの狭い通路をそのまま通り抜けて、イタリア側のホームに出る

 

EUについて学び、どの地域や国家とも異なるアイデンティティをもつのは当たり前で、自分と異なるアイデンティティをもつ「他者」を受け入れるのか、という心理に依拠する点が、グローバル化の中で難しい点だと思った。つまり経済や通貨の統合による統合だけでは限界がある。EUはグローバル化の縮図であるということから、グローバル社会の中に生きるわれわれも、ナショナル・アイデンティティを超えた、同じ地球に生きるというアイデンティティの共有をめざすべきではないかと考える。そして、そのためには互いを理解する(同化する、ではなく)姿勢が必要である。

欧州連合を通して「ヨーロッパの問題=世界全体の問題」であることを学びました。グローバル化の実験場であるといえるヨーロッパが抱える問題点、欧州統合により生まれたメリットを学ぶことで、現代のグローバル世界全体について考える際の助けとなるのではないかと思います。先生がおっしゃっていたとおり、EU法は大変複雑であるものの、ヨーロッパ発祥のものがたくさん存在し、また統合後も数々の危機を乗り越えてきた欧州から、日本は多くのことを学ぶべきだと思いました。

欧州が「グローバル化の実験(実見)場」と表現されていた理由がとてもよくわかった。EUを分母とすると絶対的マジョリティがない、それぞれの価値が共有されている、というのは、いままでの授業でマジョリティ、マイノリティの問題について学んできた身からすると、民主的でいいな、と感じた。しかし、EUの一体性というのはまだ「統合しやすさ」を内包しており、そこがグローバル化とは違うと思った。

グローバル化や、アイデンティティの多重化など、欧州について考えるということは世界の縮図を見ている、ということに共感した。欧州統合によって生じる問題点、たとえば人口格差への対策をEU立法過程ではとっており、その対策方法について驚いた。世界のアイデンティティの多重化の現象やその対策を考えるとき、まず欧州を知ることは非常に意義のあることだと思った。

欧州について学ぶことは、たとえEUに加盟していなくても「グローバル化の実験場」だから大いに意味がある、というのはとても納得した。国家の外側に国家があるという表現は、EUを表すうえでとてもしっくりくるものであり、一見簡単そうに見えて実はかなり複雑で理解の難しいEUのことを私のようにまったく欧州についての知識のない人にもイメージしやすくしてくれるものであった。マジョリティがないというのはとても意外だった。しかし考えてみたらさまざまな言語、文化、人々から成り立っているから、当たり前といえば当たり前なのかとも思う。かなり前の授業(マジョリティに関する)と結びつけて考えることができたので楽しかった。

国家の外側にもう一つの国家、という表現に対する事前の考えがまったく浮かばなかったので、事前検討を提出されたみなさんの文章が本当にすごくて驚きました。先生が「きょうはEUの明るいほうの話、次回はダークサイド(笑)」といっていたのがずっと気になっていたので、グローバル化のダークサイドがどのようなものか(ファスト・ファッションのような話とはまた違う、もっと具体的にどんな失敗?のようなものがあるのか)を知るのが楽しみです。

今回の授業を受けて、あらためて欧州の影響力の強さを実感した。現在の日本のさまざまな制度や文化も、欧州を基にするものが多くて、その想像以上の種類に衝撃を受けた。日本国内のことを学ぶときでも、欧州に関する知識が必要だと感じた。

超国家なので普通の一国として考えることはできない、という話にあったように、国家のさらに上からかぶさる枠組はとても新鮮でした。よい点、悪い点があるといいますが、今回の授業のかぎりでは非常によい印象を受けました。これから先、他地域でもEUのような存在が発生し、それがいまの国家のような関係性をもつことになるのかもしれない、と思いました。地球の統合が進んで、全世界の行き来が自由になるとしたら、それはグローバル化の最終形態としてめざされるべきなのかもしれませんが、各国固有の文化やアイデンティティが薄まる可能性もあり、一概によいともいえないのかもしれません。

 



開講にあたって

当科目は公民科に属します。公民や地理歴史、いわゆる社会科は知識を暗記するものだと信じている人が多いのではないかと思いますが、断じて、絶対にそうではありません。その証拠に、当科目では何ひとつ暗記を求めません。自分の意思や主体性のないところで暗記しても、試験が終わればすぐ剥がれ落ちてしまうだけですし、そうした苦行?を通じて社会科を嫌いになってしまうのが残念でならないのです。嫌いになるのは勝手だと思うかもしれませんが、社会を知らずに社会で生きていくというのは「むやみやたら」「でたらめ」と同じ意味ですから、相当に危険なことだと心得てください。そう、社会科の「社会」はみなさんが一生付き合っていくこの「社会」にほかなりません。同時に、これまで身につけてきた(暗記してきた?)はずの知識をあれこれ活用することも試みましょう。一般入試で大学にやってくる学生の中には、「僕は日本史選択だったので外国のことをいわれても困ります」「私は地理なので歴史はさっぱり」といったエクスキューズを連発する人がけっこういます。附属高校の出身者はそうした制約(でもないのですが)から本来フリーでいられるはずですので、私としては、公民科に属する政治・経済、倫理、地理歴史科に属する世界史、日本史、地理、それから国語、数学、理科、保健体育、家庭、芸術、外国語(英語)といった教科、もちろん小学校以来の学びの成果をどんどん引っ張り出して思考していただきたいと考えています。教科の学びは思考し、生活し、自身の将来を展望するためにあります。決して目の前の試験や入試のために存在するのではありません。そうした知的経験をすると、いい意味でのクセになります。そこをねらってみたいと思います。

本年度はグローバル時代のパースペクティヴ2020という副題のもとで学びを進めます。現代社会=グローバル化の進む社会 と捉えるならば、グローバル化(globalization)というスケールの大きな、しかし捉えどころのない対象と格闘しなければなりません。なんらかの辞書的な定義をもってきたところで実感をもって受け取るのは難しいのではないでしょうか。そこで、1学期は主に地域研究に取り組んで、地域ごとの個性や独自性、しかしそれらに通じる共通性や相似性などをすくい取っていくことにします(いや、すくい取るのはみなさん自身です)。2学期は、地球規模の動向と各国・各地域のつながりについて考察する予定です。全体として、(1)グローバル化とはどういうことか、(2)グローバル化の進む時代における見方・考え方・学び方とはどのようなものか、という問いに対して自分なりの答えを出していく、その際に授業内容を事例として噛ませる、という、なかなか高度な(しかし文系ならばぜひ身につけておきたい)思考を促していきます。  *オンライン化に伴い、方針や順序を多少変更しました。


 

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