古賀毅の講義サポート 2020-2021

De Société contemporaine II: Perspectives à l’ère de la mondialisation- 2020

人文社会科学特論(現代社会論 II
:グローバル時代のパースペクティヴ2020 

早稲田大学本庄高等学院 3 (文系必修選択科目)
金曜 34限(11:20-13:10)  教室棟95号館 S205教室   

 

 

 

 

 

 

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202010月の授業予定
102 視点としての中東(1):その多様性と多義性
10
9 視点としての中東(2):レヴァント地域の地殻変動?
10
16 苦悩するマジョリティ:優越感と焦燥感のもつれ
10
30 ファスト文化のグローバル性:快適さと気軽さの実相


■■次回は・・・
15- 視点としての中東(1):その多様性と多義性

中東は難しい。そう感じている人は、少なくないであろう。戦争や内戦が絶えず、民族や宗教の問題が複雑に絡み合っている。加えて、石油や天然ガスをめぐる国際的な争奪戦が問題をさらにややこしくしている――中東に対するイメージは、概ねこんなところであろうか。
(末近浩太『中東政治入門』、ちくま新書、2020年、p.13

とは、つい最近刊行された書籍の前書きですが、まったくもって「そのとおり」ではないでしょうか。私を含めて大半の日本人にとっては、石油を通して大変世話になっていることは承知しているが、それはどこか自分の知らないところで粛々とおこなわれていることであって、その地域に対しとくに想像力がはたらくということではなさそうです。それにしても、中東Middle East)といえば東はイランから西はモロッコあたりまでを指すのですけれど、あまりに広大で、とくに東西に広い。そんな広範なエリアを「中東はこうです」と、単数形のように思考し、論じるというのは、本当に大丈夫なのでしょうか。それよりもはるかに狭い東アジアにおいて、中国と韓国と日本では言語がまるで違い、国家的利害がしょっちゅうぶつかって、当事者である私たちは日々カリカリしています。欧米人はお気楽にも「中国も韓国も日本も、顔立ちは似ているのだし、だいたい同じなんでしょ」とひとくくりにしがちなのですが、違うってば!と怒り気味に反論するのではないかな。東アジアよりもかなり狭い欧州(ヨーロッパ)を、たしかに私たちは一括して論じることはあるが、しかしそこに英国・フランス・ドイツ・スペイン・オランダ・イタリア・・・ と数々の国があって個性があって、それぞれの文化や物語があるということを承知しています。それに比べてみれば、中東をひとくくりにして、第一印象や先入観より先に進むことがめったにない、というのは、やはりまずいのではないかと思われます。

いま51歳の私は、残念なことに中東を訪れる機会をなお得られていないのですが、これまでに4回ほど、中東世界の大きな変動を見聞きしています。最初は197080年代の変化。小学生のころですのでリアルタイムで知っていることはほとんどないのですけれど、断片的には報道で知っているのと、図書館などでさんざん読んでいた世界地理の本の記述と現実とのズレ(つまり刊行からの時間差が記述を古いものにしてしまった)を通して間接的に学んだことです。第四次中東戦争(1973年)後にアラブの世俗主義が挫折し、イスラーム回帰に向かった時期にあたります。エジプトとイスラエルの国交樹立、イラン・イスラーム革命などもこの時期の出来事。2つ目の波は、1990年夏にイラクの独裁政権が隣国クウェートを武力で攻め取り、「国際社会」がこれに介入して翌1991年の湾岸戦争で併合を無効としたこと。テレビという映像メディアが世界同時的に中東の様子を伝えたのがこのときでした。3つ目は再びイラク関係で、2003年にアメリカとその一味がイラクを攻撃し、ついに独裁政権を崩壊させたこと。このときは軍事侵攻に反対する国家もたくさんあり、国際世論が分裂しました。そして4つ目の波は2011年の「アラブの春」からこんにちにつづく流れです。ISのことがあり、シリア内戦があり、リビアの政権崩壊がありました。イランと欧米の接近(トランプのせいで最近はかなり怪しくなっている)、トルコの地域大国化など、紛争以外の部分でも注目が集まりました。この40年ばかりの変化を見るに、中東といっても注目するテーマが微妙に変化しつづけていること、そして何かあると登場する「専門家」「コメンテーター」の数が多くなったことを挙げることができます。1990年ころは、よほど人材が国内になかったのか、中東にたびたび行くというだけで考古学者などがコメンテーターを務めていたほどでした。このごろは日本人の中東エキスパートがかなり多くなりました。

さて、中東といっても数十の主権国家が含まれますので、それ自体が「国際社会」でもあります。中東国際世界の主要なアクターは、いうまでもなく中東の国々であるわけですけれども、最大のキャストはアメリカ合衆国といえるかもしれません(かつてはソ連もそうだった)。アメリカの政策や気分によって、中東の動向もずいぶんと左右されます。ここ数ヵ月、まさにそうした動きがみられるのにお気づきでしょうか。新聞の国際面を読みながら、私などはちょっと信じがたい思いでいるのですが、テレビとネットに情報源を依存する人は、おそらくその大ニュースそのものを知らずにいることでしょう。イスラエルの話題は次回(10/9)あらためて取り上げます。今回は、中東全域を対象として、その全体的な特色・傾向と、国家・地域ごとの個性とを、なるべく俯瞰的にみていくことにします。

 

REVIEW (9/25
*文意を変えない範囲で表現・用字法を改めることがあります

このテーマを「おもしろい」と思った人が多いようで何よりです。主観ではあるが、こういうのこそ文系の学びのおもしろさを体感できると思う。おもしろさをさらに高め、アンテナの感度をよくするためには、やはり歴史そのものをおもしろがってどんどん知っていくことが重要だろうと思います。いったん取り込んだ自分の視点や納得みたいなものを掘り崩される快感?をおぼえると、学びをやめられなくなります。

みなさんのレポートを読み、発表を聞いて、歴史というのは書いた人や時代によって捉えられ方が変わるため、絶対的なものではないと強く思いました。またそのことを意識して歴史を学び、自発的に多面的な視点をもつ必要があると思いました。

客観的な事実はない、ということが腑に落ちた。たしかに今日に伝わっている歴史は、その時代に生きていた人たちがその当時における「今日性」をもって伝えてきているからだ。今回の授業を通して、主権国家の成立に必要な条件として「歴史の共有が」必要であると考えた。また、グローバル化が進んでいるが、人々が思っているよりも国家間の溝は大きいと思った。それは、さまざまな立場の人々が過去の出来事を主観的に解釈しているからであると学び、グローバル化が進んでいる現代では、その溝がより深くなると思った。

歴史にも歴史(歴史家による取捨選択)があり、それはその歴史家のバックグラウンドや現在ある国家という枠に当てはめているものだと思った。そのように考えると、歴史の解釈の仕方はさまざまであるように思えるが、解釈する側の歴史の見方はその国家の公教育が基盤になるため、国家外では解釈の多様性があるのに国内には存在しないのではないかと思う。公教育の影響は非常に大きいものだと思った。

歴史は、何が正で何が悪なのか、判断する必要はないと思うが、現在ある問題を解決するためには、その判断を下す必要もあるのではないか。しかし歴史を踏まえると、その判断は困難になるのではないかと疑問を感じた。

今回の内容は、掘り下げるほど、歴史を素直に信用することがどれだけ危険なことであるのかがわかりました。一言ではとうてい表せない人々のおこないを人が記録するため、当たり前の性質ではありますが、歴史家の意思やその時代の国家の意思など本当にあらゆるものが歴史には入り込むので、歴史を「事実」であると定めるには、あまりにも無理がありそうです。それが現代の領土問題などになると、当事者にとって身近であるほど受け取る側の意思まで絡んでしまうので、(ありえないのですが)完全に客観的な「事実」としての歴史はどんどん遠ざかってしまうだろうなと思いました。だから「どうでもいい」と考える人の視点がいちばんマシなのだろうと思います。また国家がそれを利用すればするほど、国家内は結託し、他を排除する傾向が強まるのだと思いました。

先生が授業中におっしゃっていた、「国家・国民とはしょせんフィクションであるが、記憶の共有によってその存在を人々に意識させる」ということは、私たちは学校の授業などにより無意識のうちに頭の中に刷り込まれているのではないかと思って、怖くなった。また過去に起きた出来事に関して、当事者どうししか関心をもたない現実があるが、世界中の情報を簡単に共有できるグローバルな世界だからこそ、積極的にお互いの歴史的な出来事を共有し、意見し合うべきだと思いました。

苦しいことを一緒に乗り越えた人たちのあいだに絆が生まれるように、国家の国民は歴史を共有する。この考えには大変納得できた。同じ国家・地域に暮らしていても、各々の人間が経験することはまったく異なる。でも、なぜか日本人らしさや日本のアイデンティティなるものが生まれる。「いま」は歴史の積み重なった山(地盤)の表層にあたる。現在起こっている事象を理解するためには、「歴史」という一種のしがみつく先がないと不安になる。だからこそ歴史を学ぶし、少し偏った視点から学ぶ必要もあるのではないか。国家の歴史は、宗教と同じように、人々の心の拠りどころになりうるものではないか。

歴史は過去に起きたことだが現代のものだ。フランスではジャンヌ・ダルクが愛国心をもってフランスのために戦ったという捉え方をする人が多いことから、いたるところに彼女の銅像が見られる。国家が歴史上の人物や物事を自分たちのよいように解釈して、それが国民に広がっていることがわかる。そのようなことから私は、歴史を語るためには、歴史の順序や、国家や人物に対する既成概念を捨て、知ることが必要であると思った。

愛国心、ナショナル・アイデンティティのために国家に都合のよい歴史教育を各国がおこなうので、ある史実の解釈が国によって異なることがあると学んだ。それが原因となり国家間に論争が起きると、解決することはほぼないと思う。それでも揉めつづけているのは、揉めることで国民に「自分たちの国が正しい」と思わせ、愛国心を育てるねらいがあるのではないか。

記憶を共有することで仲間意識をもつというはたらきがある。日本に生まれた私は日本側からの視点で見た歴史を知らず知らずのうちに見聞きし、共有して、「日本人」であるという意識が自然に生まれてきたのかもしれない。

 

フランス革命のような劇的な変化があまりない英国では、「歴史的英雄」というのをなかなか定めにくいところがあるようだ
(上2枚)ロンドン中心部のトラファルガー広場に建つネルソン提督の像
(下)ハイド・パークにあるウェリントン将軍の騎馬像 いずれもナポレオンの「侵略」から国を護った軍人である


イングランド南西部に向かう列車が発着するロンドンのウォータールー駅(Waterloo Station
フランス語読みではワーテルロー、1815年にナポレオンが英軍などに最終的な敗北を喫した現ベルギーの戦場の名である
2007
年まで、パリ・ロンドン間を結ぶ高速特急ユーロスターはこのウォータールー駅をターミナルとしていて、
フランス人が最初に降り立つ場が「屈辱的な敗北の地名」だというので、いろいろ物議をかもしていた(笑)
現在は大英博物館に近いセント・パンクラス・インターナショナル駅を発着する

 

いままで歴史教育というと、人物名と年代を覚えるだけの暗記科目だという印象であり、教科書に書かれていることに疑問をもったことはなかった。しかし今回の授業で、クラスメートの報告を聞いて、疑問をもたないことこそが問題であると思った。教科書に書かれていることははたして本当なのか、これを確かめることは不可能であるが、教科書の内容はその国に都合のよいように書かれているように思える。そのため、加害よりも被害の内容のほうが多く書かれているのでは、と思った。歴史教育がなぜおこなわれるのかということにも着目して考えていきたいと思う。
私は歴史を暗記する際に、表面だけを覚えるのであって、その出来事についての背景をあまり理解していないにもかかわらず、「歴史が得意だ!」と感じていたのを恥ずかしく思いました。知識のインプットだけをして、その情報が正しいのかを確認することをしないので、いまもっている歴史上の知識は本当に正確なのか不安を感じました。公教育で教わってきたことがずっと正しい、教科書に書かれていることが絶対に正しいと思うのではなく、疑う心をもって考えていきたいと思います。
・・・> 他の方のコメントにも「教科書に事実でない(ウソ・虚構)が載っている可能性がある」という趣旨のことがみられます。しかし、ウソというのはまずありません。載っていることは、歴史学という学問の成果に支えられた、少なくとも現時点での「史実」です。ただ、どの情報を載せるか、どれを重視するか、どのようにつなげて解釈・説明するかというところに恣意が入ります。だからこそ「都合のよいように」書かれる可能性がある、ということです。ていうか、都合がいいように書くに決まっているじゃないですか。公教育なんだから。いま、多くの人が、そして「高学力」といわれる人も含めて、学校の授業や教科書以外の機会に歴史を学びません。学ぶというか、触れようともしません。本来的にはナンセンスだろうと思いますし、公教育の成果を上書きすることも難しくなります。

わかりやすくておもしろい歴史、という話について、ゲームのことを思いついた。Battle FieldFate/Grand Orderは歴史を題材としているが、それらは事象、人物の正の部分にスポットを当て単純化していると感じた。反英雄に対しても善人として描かれていることが多いと思う。(このゲームは一例)

歴史の教科書で、事実のみを書くのだとわかりづらくなってしまうが、わかりやすくしようとすると筆者の主観が介入してしまうため、事実が曲げられてしまう可能性がある。歴史を学ぶことはわかりづらくて嫌いだったのだが、わかりづらいからこそ歴史を学ぶ意味があるのかもしれない。今回学んだかぎりでは、どの国でも過去の出来事を自国の都合のよいように解釈していた。歴史に興味をもったことがあまりなく、知識が浅い私からしたら、醜いことだなと思ってしまった。

 
ワシントンD.C. ホワイトハウスの目の前には独立期に活躍した何人かの英雄の像があり、米市民に可視化され共有される
(左)コシューシコ(本来の発音はコシチシュチュコ) ポーランドから来て独立戦争でワシントンの副官となった人物 その後帰国して
祖国消滅の危機に最後まであらがったポーランドの歴史的英雄でもある
(右)ワシントンの側近だったラ・ファイエット フランスの貴族で、帰国後はフランス革命初期の指導者となった
移民国家であるアメリカは「世界のいろいろな人たちが集まり、共感してつくった国」という一種の神話を共有する意味もあって、
明らかに外国人であってもナショナル・ヒーローの地位を与えている

 

これまで受けてきた歴史の授業の中で、日本が絡む事件や出来事や出来事では、日本側の視点からしか学べていないことに気がついた。日本が関係しない出来事の場合、両者(複数)の戦略や思惑が紹介されることが多いのに、日本が絡むと一転して客観性が低い情報を教えられたように思える。また外国にとっては大きな事件でも、日本にしてみるとあまり関係がないようであれば教育内容に組み込まない、という姿勢は、グローバル化が進んだときアイデンティティの衝突を避けられないと思った。多角的な視点で歴史的事実を捉えようとしなければ、グローバル世界の中で共生していくということが難しいのではないかと思う。
・・・> 「自国史」だけでも量的にいっぱいいっぱいなのに、世界史を多角的に学んでグローバル化に備えよう、というのはかなり厳しいのでは。だから量的に、ではなく質的な歴史の学びが不可欠になるのに、そういうところが欠落したまま、相変わらず試験向けに丸暗記がつづくというのは返す返すもイタい(言語のところでも同じことをいっていましたね)。歴史を通して「日本人として由来を知っておきなさいよ」と先生がいいがちな記念日でいえば、310日の東京都平和の日(これは東京都限定。最大の東京大空襲があった日)、86日・9日の原爆忌、815日の終戦記念日あたりでしょうか。どれも「やられた(被害を受けた)日」ですね。623日の沖縄の終戦記念日は、本土ではほとんど認識されていないかもしれない。そして日本で「戦争がはじまった日」として最も強調されるのは128日の真珠湾攻撃だろうと思います。これは「戦果を挙げた」日ということかな。ハワイ時間では127日なのですが、まあいいや。でも815日は韓国では光復節(光が戻った日=再独立記念日)で、意味合いがまるで違う。中国では54日(五・四運動記念日)、59日(国恥記念日)、77日(盧溝橋事件=日中全面戦争開始)、918日(柳条湖事件=満州事変勃発)なんて誰でも知っています。日本がらみなのに「やった側」は覚えようともしないですねえ。なお59日については、みなさんは必ず知っておきましょう。第一次世界大戦のどさくさに紛れて、日本政府が当時の中華民国政府に「二十一箇条要求」を突きつけたのが19151月、中国側がこれを呑まされたのが同年59日です。当時の「国際社会」は日本に味方し、中国政府は孤立して屈辱に甘んじたのでした。都市部の民衆などが激高し、中国革命が新たな段階に入るきっかけになったことでもあります。二十一箇条要求を発した「日本政府」の首班、当時の内閣総理大臣はほかならぬ大隈重信先生です。愛校心があるばかりに見たくないものを見ない、という姿勢は、私はやめたほうがいいと思う。

授業を通して、私が昨年学んだ「世界史」も、実はどこか力をもった国の主観にまみれた歴史であったのではないかと思い、それを事実として捉えていたことに、少し不安を感じました。

何人かのクラスメートが同じ意見を発表してくれていたが、国家による影響を受けない情報を少しでも得るには、英語などの言語で書かれた文章から情報を得ることで、より客観的に歴史を見ることができると思う。

国家というのは比較的最近出てきた概念なので、はるか以前に起こった出来事を現代の視点で議論すると問題がある(ナンセンスになりかねない)、というのは新鮮な考え方だった。それでも国の指導者たちは、過去の出来事を利用するために、そのようなことをつづけていくのだろう。一見無意味なことだが、利用できるという観点では意味があるのだと思う。
ジャンヌ・ダルクの話や、韓国&福岡県 vs 日本 という話を通して、現在ある国家の枠組を過去にもっていくということがいかにナンセンスなことであるかがわかりました。国家としては主権国家の枠組を過去に持ち込んで利用することが非常に有効であると思うし、教えられる側としてもそのように教育されるほうがわかりやすい、という双方の視点から、国家の擬人化、過去の脚色というものが多くなっていくのではないかと思います。

教科書の記述の仕方を変える、指導の仕方を変える、他国の視点に立って歴史を知る。そうすることによって客観的な歴史を学び、互いを尊重できるようになる、と授業前には考察しましたが、単純すぎる考えであったことを痛感しました。日本の暗記重視の教育では、興味をもって自力で調べないかぎり、自国への愛国心、仲間意識すら生まれていないのではないでしょうか。だからといってどうすればよいのか、考えられずにもやもやしたまま終わってしまったので、歴史認識、国民の意識、教育についてもっと考察・調査します。
・・・> 単純すぎるとは思いませんし、それが正しいというか理想だろうと私も思います。ただ、いろいろな条件がそろわなければなりません。(1)教科書の外側で、歴史の学びをバックアップする教材やしくみの充実、(2)歴史を教える側の教師の知識や力量の形成(素材がよくても料理人がダメだったら、ね)、(3)試験で点数をとって次に進めればいいや、という姿勢を大半の生徒が改めること、(4)ていうか学校教育はステータスを獲得する場であるという発想を日本のマジョリティが捨て去ること。

高校1年のときの世界史の授業で、英仏百年戦争をイングランドとフランスの2つの視点で学び、一方から見た戦争と他方から見た戦争とで、情勢や見方が異なるということに衝撃を受けました。もし片方の視点からだけ学んでいたら、偏った見方をしてしまっていたかと思うと、教育というのは歴史の歴史性というものに多大な影響を与えているのだと思いました。
・・・> この世界史の授業とか担当の先生は知っていますので、わかっていて以下のことを添えます。英仏百年戦争(Handred Years’ War / Guerre de Cent Ans 13371453年)というのを、イングランド(または「イギリス」)・フランスという現在ある2国家間の戦争だと捉えると大間違いになります。近代的な意味での主権国家ができる寸前の出来事で、むしろこの戦争の経過や結果が、ウェストファリアへの重要な伏線になっていくことになりました。百年戦争の本質は「フランス」(くどいようですが現在の国家ではない)の領主勢力間の争いであり、それを主導したのがヴァロワ家(フランス王を世襲)とプランタジュネット家(イングランド王を世襲)という勢力だったということです。ほぼ同時期の日本の南北朝時代も同じなのですが、諸勢力はフランス人だからヴァロワを、イングランド人だからプランタジュネットを支持して戦ったというのではなく、自領の保全や発展のために、その時々で都合のよいほうをチョイスして乗っかったというのにすぎません。この戦争の終盤にジャンヌ・ダルクが現れ、最後は「フランス人のくせにイングランド王に通じたやつら」に引き渡され、処刑されるのですが、そもそも当時の北部フランス地方(パリを含む)はヴァロワ家の実効支配下にはなく、プランタジュネット家の影響力が強かったわけです。プランタジュネット家はイングランド王ではあるが、「フランス」内に広大な領土をもっていて、それはフランス王の直轄領よりも広いほどでした。形式的には「大名」なのでフランス王の臣下です。佐藤猛『百年戦争』(中公新書、2020年)がわかりやすいのでぜひどうぞ。また歴史小説家の手になる佐藤賢一『英仏百年戦争』(集英社新書、2003年)もかなり読みやすくておもしろいですが、フランス視点が中心なので英国好きの人はいらいらするかも。

クラスメートの何人かが発表していた「主語を入れ替えて客観的に歴史を学ぶ」ということにとても共感した。たとえば私たちが本能寺の変について学ぶとき、織田信長と明智光秀に必ず触れる。そこでは「信長は本能寺の変で光秀に暗殺された」という程度しか教わった記憶がない。そのせいで「光秀はやばいやつだ」という印象になる。しかし現在放送されている「麒麟がくる」では、光秀を主人公にし、光秀側の視点で描かれているため、そこでは家族思いのやさしい人物として描かれる。見る人によっては「光秀が信長を暗殺してくれてよかった」と思う人も現れるかもしれない。過去の事実は、表現方法や描き方によって、学ぶ側の印象は大きく変わってくる。すでに学んでしまった無色透明ではない歴史をいまから学びなおすのは不可能だと思う。なぜなら学びなおす「歴史」も事実として正しいかは確かでないからである。だが本能寺の変を2つの面からみるように、解釈や事実の誘導が含まれた歴史を双方から学ぶことは、今日において最も有益な「学び」になると思う。何も学ばないことよりはマシである。
・・・> 上のほうでコメントしたように、学校で「学ぶ」以外に歴史にアクセスすることをしないのがそもそもダメなんですよねええ。歴史小説や映画、大河ドラマなんかもぜひ読んで・見てほしい。文学作品では、「おなじみの歴史をいろいろな解釈、角度から捉えなおす」というのが常で、少なくとも「いろいろな見方があるよね」「何もしないよりはマシだよね」という感覚は得られます。もっとも、思いを乗せすぎて史実をはみ出しすぎ、いつしかそっちが史実のようになってしまう、困ったケースもあります。歴史資料が少ない人物などはその傾向が少なくありません。坂本龍馬に関するストーリーのかなりの部分は司馬遼太郎『竜馬がゆく』でつくられ、共有されていますし、宮本武蔵に関しては吉川英治『宮本武蔵』がほぼ空想で物語を構築してしまいました(教室でお配りした新聞記事を読んでください)。さて、織田信長と明智光秀は、どちらも過去の日本人で、善悪のポジションをどちらに充ててもさほど問題にはなりませんが、これが「国家」間の争いにかかわる人物であったりすると大変なことになります。近代日本の初代首相、伊藤博文(18411909年)については、物語的にも歴史理解の補助線としても有益なストーリーを示せると私は思いますが、彼を主人公にした大河ドラマはまだありません。もし実現したら韓国の政府やネット世論は沸騰して大変なことになるでしょうね。伊藤を殺害した安重根(18791910年)は韓国の国民的英雄のひとりですが、彼を韓流ドラマのカッコいい主人公にしたとしても、やっぱり日本の右寄り世論は沸騰することでしょう。あ〜あ。主権国家がとろけてなくなるまで待ちましょうか。

クラスメートの発言の中で、歴史教育において被害の面が多く取り上げられ、加害についてはあまり触れられないとあった。これまで日本の他国への加害について深く学んでいないことに気づかされ、驚いている。歴史を、各国の教育方針の下で学んで得た知識を通して、他国に対する認識が形成される。その歴史教育で形成された認識で、現在の世界での国家間の付き合いが成り立っているとすると、世界のあり方にとても疑問をもってしまう。たしかに現代社会は歴史の積み重ねでできているが、多面性をもつ歴史の認識の違いで争いが起きるべきではないと思ってしまう。

歴史を、国家のアイデンティティを形成するための媒体とすることは、非常に有効な手段だと思う。その力をさらに増大させるためにも、メディア的にわかりやすい、おもしろい歴史が必要なのだろう。わかりやすい歴史が展開されればされるほど、過去の栄光は共有されていくのだと思う。

「記憶の共有」という内容がとても興味深かった。先生がおっしゃっていたように、国家とか国民というのはフィクションであり、会ったこともない人と「記憶の共有」をしているということだったが、宗教にも同じようなことがいえるのではないかと考えた。ただこの場合、記憶ではなく信仰の共有というほうが正しいかもしれない。そのように○○の共有というものは、世界を分母として考えると、必ずマイノリティになるだろう。またグローバル化する世界を支持する私からしたら、○○の共有が各々のアイデンティティや帰属意識をさらに強化し、グローバル化、ボーダーレス化の歯止めの要因にもなっているのではないかと思う。

ナショナル・アイデンティティが形成される中で、歴史を学ぶこと、そして国家が国民に歴史を感じさせることがとても重要であり、人々のアイデンティティと歴史には密接なつながりがあるということを認識した。グローバル化が進む中で、国家が国民のナショナル・アイデンティティを維持するには、今後よりいっそうその国の歴史を主張していくのではないか。しかしそうすると、授業でもあったように、他国との対立も激化する恐れが生じると思う。

先生が途中でいっていた「文化の本体」の意味がよくわからなかった。歴史を見て知識を得たい。
・・・> 歴史を見て知識を得られるかな? 得られるとは思いますが、現時点でまるでわかっていないようなので、そのままだとちょっと難しいかも。これはメイン・カルチュアとサブ・カルチュアの問題を指摘したものです。どちらが上とか価値があるということではなく、メインとサブがありますよという話。

 
ドナウ河畔に建つブラチスラヴァ城  スロヴァキアの首都のランドマークで、同国民にとってはナショナル・シンボルでもある
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世紀、はるか東から来襲したモンゴル帝国の大軍に囲まれたが、ここで数ヵ月籠城して耐え抜き、祖国を護ったとされる
ナポレオン時代に焼失し、第二次大戦後に再建  1993年にチェコから分離独立を果たした新国家にとって欠かせない絵である

 

教育という可視化できる側面から「記憶の共有」としての歴史を考察していましたが、遺蹟を通しても意図的に歴史認識が形成されているというケースを初めて知って、受けた衝撃がとても大きなものでした。
私たちの周りにはさまざまな遺蹟や歴史の痕跡があるが、それは観光業を栄えさせるという目的も含めて、国家が国のイメージを操る素材になりうると思った。

遺蹟や古くから存在する建造物を見ると、無意識的に「古い歴史のある場所なのだなと思う。そして私の場合、何の根拠もなく「すごい」といったような言葉を、何が「すごい」のかも考えずに発してしまうと思う。そこに遺蹟が存在するのは確かなことだが、その事実は人為的に利用され、「すごい」といわせるためだけに人工的につくられることが多い。この行為が悪いことなのかというと、そう断定することはできないが、世界の人々に向けて、遺蹟や「歴史とされるもの」の存在は、グレーゾーン的な欺きをもつものであることを認識しておく必要があると思った。

ナショナル・アイデンティティ形成にかかわる歴史の共有は、公教育だけでなく、モニュメントや遺蹟によってもなされる。事前検討で、複数の人が歴史教育の断片性や情報の偏り、排除について述べていたが、それは歴史教育だけでなく近代国家がおこなう過去の栄光の共有についても同様であると考えた。教科書に載る内容に加害性が欠けるように、国家のために献身した人物などを称賛し、モニュメントなどとして残す行為が「わが国の歴史」に偏見をもたらしているのではないか、と考えられる。

記憶の共有として、いま残っている遺蹟なども国家が自らの国の歴史を可視化するために残している、とありましたが、逆に不都合だったため消された遺蹟などが日本にあるのか気になったので、調べてみようと思います。
・・・> どうでしょうね。おもしろそうだから調べてみてください(結構知っていますが教えません 笑)。アフガニスタンでは2001年、同国の支配権を得ていた「イスラーム原理主義勢力」のタリバーンが、人類の歴史においてきわめて重要かつ価値のある仏教遺蹟バーミヤンを爆破し、世界に衝撃を与えました。イスラームの教えを偏狭に解釈し「偶像崇拝の痕跡を消し去る」ということを強行したわけですが、現在のために過去を消すという行為はやはり許しがたいものがあります(バーミヤンは56世紀の巨大石仏で、そもそもムハンマドが生まれる前だった)。毛沢東時代の中国も、貴重な歴史遺蹟や遺物の破壊を繰り返しています(文化大革命)。

首都の真横に遺蹟があるのではなく、数千年の歴史があるということを示すために遺蹟の真横に首都を置いたのだ、という話を聞いて思い出したのが、教育が社会をかたちづくるのではなく、社会や権力者がその目的を果たすために教育をつくった、という話です。事前検討で歴史教育について調べているときに論文に書かれているのを見つけ、印象に残っていました。どちらも国家の権力者が意図的におこなっていることを、国民が気づかずに洗脳されているという点で共通していると考えました。

記憶の共有として遺蹟を残したり、像を建てたりするのは、国家の思惑が絡んでいると思った。遺蹟や人物が歴史上で重要な役割を果たしたことが公教育で教えられれば、少なからずそれらに対して興味がわくことは間違いない。小中学校で繰り返し学ぶことで、われわれの記憶に刻み込まれる。記憶に残ることにより「その場所に行ってみたい」と思い、実際にそこに足を運んだりする。修学旅行などは「歴史を学ぶ」という考えのもとでおこなわれるが、交通費などの金銭のやりとりが発生する。国として「歴史を学べる、見られる場」として表向きは残したり、建てたりするのだろうが、裏を返せばお金を出させるため、観光のためにそうしていると思った。
・・・> 「裏を返せば」と書いておられますが、たぶん逆。一般には、歴史遺蹟→観光スポット→経済効果→金もうけ という文脈でしか理解されないが、そうやって有名になればなるほど、実はアイデンティティが濃縮されていますよ、ということです。

自分の身の回りにあるかもしれない、ナショナル・アイデンティティの形成の要素に、いまの私が気づいていないというのは危険だと思った。私がいま知っている情報(たとえばアテネのオリンピックの話)には嘘が紛れているということに衝撃を受けた。質問なのですが、私は以前ギリシアの第1回オリンピックに関するDVDを観ました。そういった番組は、古賀先生が話されていたようなことを知っていてつくられているのでしょうか。もしそうであるならば、どういった意図があるのでしょうか。
・・・> どんな番組なのかがわからないと、意図はわかりません。近代五輪は1896年のアテネ大会が第1回ですが、それは一種のロマンティシズムに駆られた英仏などの人々の思いと、近代国家としてはダメダメ、ぐらんぐらんだったギリシアの思惑が合致してはじまった、そもそもが「近代的な」(これは悪口です)イベントでした。個人が競うのではなく国家どうしが競うという近代五輪の枠組は、そもそも古代オリンピックとはかけ離れたものです。機会があれば昨年の大河ドラマ「いだてん」を通しで見てほしいな。2020年をヨイショするための作品かと思ったら強烈な反権力で、ぞくぞくしながら毎週見ていました。空前の低視聴率だったということは、大河ドラマのメイン視聴者層は日本人のアイデンティティを強化するほうが好きなのかね。私が外国の記事を書く際には、訪れた先の国や地域の視点で一貫させるのが普通なのですが、2018年のアテネ 歴史の坂道では、ほぼ全編にわたって近代のギリシア国家をディスりたおしました。パナティナイコ・スタジアムと近代五輪のエピソードはPART5に出てきます。プレワークで読んでいただいたバルト三国やポーランドの記事も、いま読んでいただくと腑に落ちるところがあるかもしれません。

あとからできた国家がその地の歴史を自国のものとして語る、というのは、やはり国家のプライド、国民を国民として一体化させるために必要なのかと思った。どこの国家も「後出し」のように格好のよい歴史をでっちあげて、一方で加害性についての歴史を国民には(積極的には)伝えようとしないのではないか。自国としてその地の歴史をなぞるのならば、加害性についても触れなければならないはずだが、そもそも歴史を自国のものとせず、このときはこうだった、その地が現在はこの国・・・と区別する姿勢が生まれれば、本当の意味での歴史を学ぶことができると思う。また当事者であっても感情的に歴史を語ることは危険であるため、第三者的な視線を養い、歴史を語れるようになりたいと思った。

みなさんの発表にあったように、歴史は恣意的に抜き出されたり、解釈されたりする。私も小学生のころは偉人の物語を読むのが好きだったが、先生がジャンヌ・ダルクの例に触れていたように、いま自分で調べて彼らのことを見ると、まったく違った解釈ができるのだろう。

歴史を捉えるうえで重要なのは、誰を主人公として考えるかということだと思う。先生が例に挙げた楠木正成、新田義貞の話には驚いた。なぜなら私が中学生のときに読んだ歴史マンガは、足利尊氏を中心として書かれており、あたかも尊氏がヒーロー、楠木・新田が悪役のような印象をいままでもっていたからだ。誰を主人公に据えるかによって、解釈が変わり、それも読む側への影響が大きくなる。歴史の解釈でもいえることだと思った。
・・・> 戦前は足利尊氏こそ悪逆で忌むべき人物の典型だったんですよねえ。そもそも南北朝の対立は北朝の勝利に終わり、1392年に南朝が消滅して以降は、一貫して北朝系統が天皇になっています。当然ながら明治天皇も、現在の陛下も北朝のお血筋です。それなのに宮内庁が公式に出している歴代天皇の代数では、南朝の4天皇(96代・後醍醐天皇、97代・後村上天皇、98代・長慶天皇、99代・後亀山天皇)に通し番号がふられ、北朝の5天皇(光厳天皇、光明天皇、崇光天皇、後光厳天皇、後円融天皇)は「北朝15」と別カウントになっています。水戸藩が編んだ「大日本史」が南朝を正統であると定めたのが最初のきっかけ。幕末の尊王攘夷運動が最も激しかった時期には、足利氏の菩提寺であった京都の等持院から足利尊氏・義詮・義満の3代の木像を尊攘派が盗み出し、その首をはね、三条河原に「さらす」という事件も起こりました(1862年)。ファシズムに傾斜した昭和戦前期になると、さらにクソどうしようもない出来事があります。商工相(いまの経産相)だった中島久万吉は、その時点から10年以上前に俳句の同人誌に寄せたエッセイで、「足利尊氏の木像を見たが、尊氏のことは再評価してもよいのではないかなあ」という趣旨のことを書きました。その折には問題がなかったのに、彼が大臣になってから蒸し返され、「天皇に逆らった逆臣・足利尊氏を称賛するとは何事か。わが国の大臣としてふさわしくない」というので炎上し、辞任に追い込まれています(1934年)。炎上させたのはもちろんネット世論、ではなくて、なんと帝国議会でした。あ〜くだらない。でも、昨今の情勢だとその種のことで「反日的だ!」とか決めつけて謝罪、辞任させるなんていうこともありえるかもしれない。あ〜くだらない。戦後は評価が一転して、足利尊氏は、なかなかの人物だが気分の浮き沈みが激しく、上司にしたい有名人としたくない有名人で同時にランクインする感じになりました。吉川英治最後の長編『私本太平記』(195862年)では、古典の「太平記」が南朝ベースなのにひっくり返して尊氏を主人公として描いています。若き日の苦悩する尊氏の描写はなかなか読ませるものでした(これを原作にした大河ドラマでは真田広之が好演しました)。
きわめて個人的なことながら、歴史オタクの小学生だった古賀は、たしか5年生くらいのときに、叔父さん(父の弟)に「何か好きなもの買ってあげるよ」といわれて、南北朝時代を描いた歴史の本を所望し、本当にプレゼントしてもらいました。何度も何度も、隅から隅まで読みましたので、ありえんくらいの南北朝通の子どもになりました(笑)。中世史の大家である永原慶二さんの著なので、中学生向けではあったが、学術的な意味で確かなものに出会えてよかったなと思います。その本に、スライドでも紹介した皇居前の楠木正成像の写真が掲出されており、「近代国家がどのような人物像を求めていたかをよく示している」という趣旨のキャプションが書かれていました。そのときは、南北朝には詳しくても近代史がよくわかっていなかったのですが、キャプションの印象は強く刻まれました。30歳のときオルレアンでジャンヌ・ダルクの騎馬像を見て、即座に思い出したのが皇居前の正成像。どちらも、国または君主に殉じて悲劇の最期を遂げた中世の人物ですが、当人たちのあずかり知らぬところで「ナショナルな英雄」に祭り上げられたという点が共通しています。子どものときに読んだ本の内容が思い出されて、全部がつながったんですよね。私の博士論文「E.ラヴィスの歴史教科書にみる国民育成教育の基本理念に関する研究」(2002年)はそれをきっかけに起筆したものです(早大図書館本庄分室にあります)。

 
ジャンヌ・ダルク (左)パリ ノートルダム大聖堂内 (右)ランス ノートルダム大聖堂そば
神のお告げを受けて決起し、敵の包囲におじけづくシャルル7世を励ましてランスに導き、そこで戴冠式を挙げさせた
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世紀の歴史教科書では、血を見てひるむような「普通の少女」が、祖国防衛のために勇気をふりしぼって戦うという筋立てで、
読み手である「普通のフランスの子ども」たちに、あるべき姿、態度を示している

 

教訓として歴史を用いるのであれば、深い部分まで公教育で踏み込んでいく必要があると思う。一個人でゼロから歴史をひもといていくというのは非常に難しいと思う。

今回のテーマは非常に興味深かったのですが、日本とまったくかけ離れた場所にある国どうしの領土問題などには興味をもったことがなかったので、日中、日韓間の領土問題や歴史上の問題などは、他の国から見てもそのようなものなのだろうなと思いました。それに、中国と韓国のあいだで「高句麗」がどちらに属しているのかという論争が繰り広げられているということなど、まったく知らなかったので、どういう結論になるのか気にはなりますが、正直、当事者でなければどんな結論になっても「そうなんだ」で片づけてしまうような気がします。日本が揉めている問題もあるので、当事者たちからしたら重要な問題なのだろうということを理解できるなと考えました。

歴史は見る側によって大きく変化する、不安定なものである。より客観的な視点を養うため、自国とはまったくかかわりのない地域の過去を学習する手段をとる、というのはとても新鮮な考えで、納得がいった。
主権国家体制による国家(国史)の形成こそが歴史に対するイメージを揺るがしているため、現代に生きる私たちがわが国の歴史を客観的に見ることは不可能に近いのではないだろうか、と考える。グローバル社会に生きる私たちは、自分のまわりを固めて、他に自己のことを示そうとするが、その前に自己とはまったく関係のないところに身を置いてみることが必要なのではないだろうか。

日本でいままで何が起きて、いまの私たちの暮らしがあるのかを本当に知るには、日本人の視点でのみ学ぶのではなく、日本から見た他国Aと他国Bの歴史的事実のように、日本についても相手国や、とくに偏りのない国の人が研究した日本の歴史を学ぶ必要があるのだなと思った。高句麗がどこのものであるとか、コペルニクスがどの国の人なのかなど、その当時にはそんなにはっきりとした線引きがないということがよくわかった。しかしそうであるのなら、教科書になぜ「当時は線引きがあいまいだった」という表現がないのだろうか。あいまいなものを子どもに教えることにはリスクがあるが、はっきり決めて堂々と教科書に載せてしまうのは、一種の情報操作のような気がしてならない。
・・・> でも間違ったことは書かれていません。「当時は線引きがあいまいだった」という趣旨のことは、少なくとも世界史の教科書には書かれています。またウェストファリア条約(1648年)のところで「主権国家体制が確立した」と明記してあるのだから、それ以前は「あいまいだった」ということが論理的に導き出されます。教科書にかぎったことではないが、読む側(生徒はもちろんですが、それを指導する教師がとくに)の学力がまさに問われます。「歴史が苦手なのでわかりません」「世界史の知識がないのでわかりません」といったエクスキューズを持ち出す人がいますけれども、「1648年に確立した」ということは「それ以前には(十分には)確立されていなかった」というのが当然で、社会科の知識の有無ではなく国語の、現代文の読解力の問題でしょう(ま、言語能力というのが学力の本体ですから)。IT化に伴う読書量の激減、変な学歴競争とか受験競争のせいであわれに劣化した学び方、そしてそれでいいのだとする世の中の雰囲気みたいなものがあいまって、それしきの(と、あえていいます)教科書の読み方ができない人を大量に育ててしまったということですかね。教育の専門家としても、社会科の教師としても、先生の先生としても反省しなければならないなあ。

事前検討では「疑いの目をもって歴史を学習するべきだ」と話したのだが、やはり自国がかかわる問題は俯瞰して捉えることが難しいと思った。またそれを利用することで、さらにナショナル・アイデンティティの強化が進むと考えた。

国家にとって栄光となる歴史をメインとして国民に伝え、記念するときには事実と異なる歴史を偽作する。そこで本来ひとつであるはずの歴史に対する主張に違いが生じて、対立が起こる。それぞれの国で異なる歴史教育を受けているからである。現在のグローバル世界において、この対立が、インターネットなどを通してより起こりやすくなっているのではないかと思う。しかし同時に、これは歴史の解釈にズレが生じていることを知る機会にもなっている。
歴史と聞くと「授業で学ぶもの」というイメージが第一に浮かぶ。公教育で教えられるものを私たちはただ受け入れているが、そこには政治的な思惑が隠れており、授業で学ぶ歴史はほんの一部にすぎない。また自国側からの視点が多く、相手国側からの視点が少ないため、視野が狭まりやすいのが危険な点である。公教育で学ぶことをすべて鵜呑みにするのではなく、違った視点からも捉えられるような力を教育していくことが必要だ。その点で、「国際歴史教科書対話」という試みを初めて知ったが、全世界の視点から見た歴史を記録できるという面で、有益なことだと思った。公教育はいつの時代にも存在し、その影響は計り知れない。いまのまま公教育をつづけても、各国の国民が自国の視点で歴史を見るということを変えることはできず、対立を生じるのは避けられないであろう。近年は、インターネットの発達によって海外とつながることが容易になっているので、国家という枠組も薄れつつあるが、それでもなお対立があるのは確かだ。アイデンティティは生まれた環境、また公教育の影響を多く受けて形成されるので、公教育が変わらないかぎり、人々の思想を変えることは難しいだろう。
・・・> 国家という枠組が薄れつつある、相対化されつつあるからこそ、そこにしがみつく人が多いわけだし、国家自身はしぶとく抵抗します。ナショナル・ヒストリーというのがここ200年くらいの、人類の歴史の中ではイレギュラーなものでしかないのだから、ナショナルではないヒストリーをあちこちで伝え、学べばよいはずなのです。歴史といえば国史しか想像できないというのも、歴史教育の結果なのだとしたら、やばすぎる(たぶんそうなのですが)。なお「公教育はいつの時代にも存在し、その影響は計り知れない」と書いておられますが、そんなことはありません。公教育は主権国家なんかよりもずっと若いです。日本では1872(明治5)年が端緒。これについては古賀毅編著『教育原理』(学文社、2020年 「やさしく学ぶ教職課程」シリーズ)の第3章に、かなり「やさしく」書きました。ぜひお読みください。

 



開講にあたって

当科目は公民科に属します。公民や地理歴史、いわゆる社会科は知識を暗記するものだと信じている人が多いのではないかと思いますが、断じて、絶対にそうではありません。その証拠に、当科目では何ひとつ暗記を求めません。自分の意思や主体性のないところで暗記しても、試験が終わればすぐ剥がれ落ちてしまうだけですし、そうした苦行?を通じて社会科を嫌いになってしまうのが残念でならないのです。嫌いになるのは勝手だと思うかもしれませんが、社会を知らずに社会で生きていくというのは「むやみやたら」「でたらめ」と同じ意味ですから、相当に危険なことだと心得てください。そう、社会科の「社会」はみなさんが一生付き合っていくこの「社会」にほかなりません。同時に、これまで身につけてきた(暗記してきた?)はずの知識をあれこれ活用することも試みましょう。一般入試で大学にやってくる学生の中には、「僕は日本史選択だったので外国のことをいわれても困ります」「私は地理なので歴史はさっぱり」といったエクスキューズを連発する人がけっこういます。附属高校の出身者はそうした制約(でもないのですが)から本来フリーでいられるはずですので、私としては、公民科に属する政治・経済、倫理、地理歴史科に属する世界史、日本史、地理、それから国語、数学、理科、保健体育、家庭、芸術、外国語(英語)といった教科、もちろん小学校以来の学びの成果をどんどん引っ張り出して思考していただきたいと考えています。教科の学びは思考し、生活し、自身の将来を展望するためにあります。決して目の前の試験や入試のために存在するのではありません。そうした知的経験をすると、いい意味でのクセになります。そこをねらってみたいと思います。

本年度はグローバル時代のパースペクティヴ2020という副題のもとで学びを進めます。現代社会=グローバル化の進む社会 と捉えるならば、グローバル化(globalization)というスケールの大きな、しかし捉えどころのない対象と格闘しなければなりません。なんらかの辞書的な定義をもってきたところで実感をもって受け取るのは難しいのではないでしょうか。そこで、1学期は主に地域研究に取り組んで、地域ごとの個性や独自性、しかしそれらに通じる共通性や相似性などをすくい取っていくことにします(いや、すくい取るのはみなさん自身です)。2学期は、地球規模の動向と各国・各地域のつながりについて考察する予定です。全体として、(1)グローバル化とはどういうことか、(2)グローバル化の進む時代における見方・考え方・学び方とはどのようなものか、という問いに対して自分なりの答えを出していく、その際に授業内容を事例として噛ませる、という、なかなか高度な(しかし文系ならばぜひ身につけておきたい)思考を促していきます。  *オンライン化に伴い、方針や順序を多少変更しました。


 

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