古賀毅の講義サポート 2024-2025

Études sur la société contemporaine II: Perspectives à l’ère de la mondialisation 2024

現代社会論IIグローバル時代のパースペクティヴ2024


早稲田大学本庄高等学院3年(選択科目)
金曜34限(11:20-13:10) 教室棟95号館 S207教室

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現代社会論I:探究するシヴィックス5.0

 

20249月の授業予定
9
13日 グローバル世界と宗教
9
20日 マジョリティ/マイノリティ考(2):他者と向き合う
9
27日 歴史の歴史性と今日性

 


次回は・・・
13-
グローバル世界と宗教

授業予告は8月下旬ころに更新予定です。しばらくお待ちください。

 

 

REVIEW 7/12

いままでなんとなく、「右・左に偏ることは悪い」「中道でいることが正常」などという偏見をもっていた。しかし右と左があり、それらが対立して議論を展開することで、安定的な政治社会につながっていくのかなということを、授業を聞いていて考えた。そして、インターネット社会においてAIのリコメンド機能のようなものによって、自分の意見がマジョリティだと錯覚する状況が生まれており、対立する思想の排除という極端な思考に陥らせることになっているのではないか。

世界の右派、左派の思想が出てきて難しかったが、現在の世界の情勢に触れることができておもしろかった。選挙に勝つために民衆の不満を煽り、当選しても、その後の政治がうまくいかないので、メディアや政治家にまどわされずに考えることが必要だと思った。

左派・右派は歴史や公民の授業でよく出てくるワードであるため、意味の再確認ができた。しかしインターネット、環境問題の表面化など、さまざまな内的・外的要因によって細分化が起こっているため(どこまで譲歩するか、どこまで「これから」だけでなく「いま」生きる人に意識を割くかによって、路線が分かれる)、その変化を知るためにはそれらの要因も含めて注目しなければ追いついていけないと考えた。

メディアには必ず右左の偏りがあり、それを理解したうえで上手に選択しなければならないということがわかった。さらに、幅広い考え方を知るためには右左両者のメディアに触れる必要があると思う。
・・・> レフトとライトのどちらを先に書くかは好き好きなので、今回のレビューでは基本的に本人の書いたままにしてあります。私はあえて大半の説明において左派を前に出しました。横書きの場合、左・右とするほうがしっくりくるからです(本音は他にあるんじゃないか、という話はさておき)。ま、でも熟語としては「左右」なんじゃない? 手書きのレビューシートなので「右左」になったのか、脳内がそうなっているのか??

新聞やネットのニュースを伝える媒体には、政治的に右派・左派の傾向があるため、それらの傾向を理解したうえでニュースを読むべきだと思った。偏った情報しか読まない人たちが、自分たちの考えが正しいと思い込み、反対の意見をもつ勢力と対立してしまうのではないかと思った。今回の都知事選では、反小池氏である石丸氏と蓮舫氏に票が割れたことが、小池氏が圧勝した一つの理由であると思った。このような出来事から、現状からの改革を訴える左派勢力は、どう改革するかで意見が分かれてしまうということが確認できる。
・・・> ちなみに石丸氏は左派ではなく右派。

今回の都知事選についてなかなかテレビで取り上げられていないというのは感じていたけど、全国放送で東京都だけ選挙を話題にする必要はないという誰かのXのポストに納得して、報道の問題に安倍さんがかかわっていたとは思いませんでした。小池さんの演説に文句をいう姿をたまたまニュースで見て、ことしは小池さんの反対派が多いんだと考えたり、石丸さんはSNSをがんばっているんだと知っても実は2人いたり、私はただ目にしたいくつかの情報から勝手になんとなく選挙の概要をつくり上げているのだということに気づいて、反省しました。

4月に誕生日を迎えて選挙権を得たが、政治についてあまり知らないため、これを機にきちんと知識を身につけようと思った。中学校の公民で政治について学んだが、これを現実に当てはめて考えてみると、こんがらがってよくわからなくなってしまった。ネットやテレビ、新聞には偏って書かれた内容が流れているから、これらを参考に政治を学ぶのはよくないと聞き、ネットが身近にあるとすぐそれを頼ろうとしてしまっていたことに気づいた。政党の本質的な部分を理解できていないがゆえに、選挙活動での様子や普段のニュースの内容で政党を判断してしまっていたが、それぞれがどういう政党であるのかをいま一度きちんと理解しておくべきだと思った。そのうえで、次回の選挙では自分がこの人に投票したいと、確信をもって投票できるようにしようと思った。
・・・> いや、肝心のところが正しくないので(少なくとも授業内での指摘を誤認しているので)、いま一度確認しておきましょう。「メディアの情報は偏っているから、これらを参考に政治を学ぶのはよくない」のではありません。授業で指摘したのは次の2つで、それらを混同してしまっています。(1)メディアは(というか個人も含めてあらゆる立場のものは)政治的な偏りをもつのが当然であるので、そういうものだと了解し、各メディアがそもそもどの立場なのかを承知したうえで情報を受け取るべし、(2)左とか右というのは基本的かつ重要なので知らないでは済まされず、当然理解に努めるべきだが、その際にインターネットで調べて理解しようなどとは思わないこと、という2点です。次元が違うでしょ。(2)はインターネット限定で「だめ」といっています。もちろんネットの発信者についても、マス・メディアに対するのと同様に「この人(組織)はこのくらい左だ」といった判断をできるならばかまわないのですが、ご自身でいうように、手近でラクだからというので安直にネットで調べようとする人の多くは、そうしたプロセスを無視するか、そもそも必要性を知らないままでいるため、検索エンジンや生成系AIが出してきたもの(それも上のほう)をそのまま受け取って信じてしまう、ということになりがちだからです。

スポーツ新聞は、読むとだいたいどこのチームにひいきしているのかわかるけれど、普通の新聞はあまり違いがわからず、無意識に偏った意見を信用しきっていたので、幅広いメディアに目を通すようにしようと思いました。革新的な政党も、保守的な政党も、メディアを通して大衆に魅力的な公約を掲げていて、より多くの支持を集めようと必死になっているけれど、公約が実行されていないことも多くて、どちらを支持すればよいのかという判断が難しいです。
・・・> 国政選挙にしても地方自治の選挙にしても、与党や現職首長に対しては、政権側として実際にしてきたことをどのように評価するか(公約に照らしてどうか、期待との関係でどうか、この先も期待できるか、おかしな政策を取らなかったかなど)が投票の基準になり、一方の野党や新人候補に対しては、掲げている公約や政策を支持できるか、実現可能性はどうかという、わりに「先への期待」を軸にした評価になります。また、与党や現職に対しては「信任しない(不信任だ)」という判断をする場合がありますが、ただやめさせることはできないので、対立候補に投票するという手段を取ることになります。


英国議会議事堂が入るウェストミンスター宮殿(ロンドン) 時計塔は「ビッグ・ベン」の愛称で呼ばれる

 

右派と左派の違い、それぞれの事例や特性がよくわかった。右派は保守的で、現状を肯定的に受け止めるため方向や目標で対立しにくい一方、左派は進歩を重視するため物事を変えていく過程で対立が起こるということを学んだ。右派も多様で、外国が嫌いで排除したいというのではなく、自国が好きで伝統を重んじる傾向にあることを学び、変化もよいことだと思うが、現状に不便がないのなら現状維持のほうがよいのではないかと思った。また左派と右派の主張が社会問題とも深くかかわっていることを学び、解決のためには問題の理解を深め、どちらが適しているのかを見極めていく必要があると思った。

政治のニュースなどで、右翼・左翼、右派・左派というワード自体は聞いたことがあり、それが保守なのか進歩(革命的)なのかを表すということまでは知っていたのですが、それぞれの特徴や、冷戦前後での特徴の変化を知って、深いなと思いました。でも、いま右と左のどちらの話をしているのだろうとわからなくなることがありました。なんとなく保守派のほうがよいイメージがあったのですが、保守派が「自助」で左派・進歩派が「再分配」を重視するのだと知って、自立がすべてではないし協力してあたるべきだといういまの風潮には後者のほうが合っているような気がしました。右・左という考えのほかに意図的な「中立」はどうなるのか、あまり触れられなかったと思うので、そのことについても気になります。
・・・> 「中立」と「中道」はまた違いますからね。大いに研究してください。

よく休日の朝早くから駅前で、右翼の集団がデモをしていて、それがとんでもなく騒がしいし、偏ったことをいっているので、どちらかというと左派のほうがまともなのかなという楽観的なイメージをもっていたが、左翼の多様性や事実を主張するスタイルに流されていただけで、具体的に双方が政治上どんなやり方や意見をもっているのか、今回初めて理解した。たしかに人生のほとんどが安倍さんやトランプがトップだった期間なので、政治の対立をあまり気にしたことがなかったのだなと思った。
・・・> 英語でいえばleft / rightでしかないのですが、左翼/右翼、左派/右派、左/右という日本語の印象はそれぞれ微妙に異なります。たとえば、自民党を右派というのは問題ないが、あの政党を「右翼」と呼ぶことはまずありません。日本共産党は「左翼」でしょうし本人たちもそのようにいうことがありますが、立憲民主党を「左翼」と呼ぶと嫌がる党内の人はいるはずで、同党を「左翼呼ばわり」することが右派の選挙戦術だったりします(日本人の左翼アレルギーを呼び起こす)。ご指摘のように、ウヨクという語感でまず思い出すのは黒い街宣車を走らせ軍歌などを大音量で流しカーキ色の軍服風の衣装をまとった集団でしょう。あれは街宣右翼と呼ばれるもので、民族派とか国粋主義といった昭和戦前期の流れを引くものもあれば、暴力団の擬態(政治活動ですといえば制限を受けにくいので)も多いです。また、このごろはネット右翼なるものが独特の(一定の)動きを見せて存在感を高めています。そうしたこともあり、授業のタイトルも説明でも、左翼・右翼の表現をできるだけ避けて左派・右派としました。

たまに右翼と左翼の放送カーをみかけるが、どちらも感じるのは、とても意志が強いこと。政治に中立的な立場というのが、偏りがなくてベストな立場だと勝手に考えていたけど、世界や国内の政治の流れやしくみを理解したうえで、自身がどの立場なのか考えなくてはいけないとおもったし、私はこういう政治思想だと堂々といえない人間だけど、堂々と自身の立場を明確にして主張する彼らの行動力は、あらゆる意味ですごいと思った。

自分が右なのか左なのかを考えてみましたが、いまの時点ではまだわかりませんでした。両親はけっこう保守的のような気がしますが、なぜ朝日新聞を購読しているのか聞いてみようと思いました。

父権主義(温情主義)と社会主義的な価値観がごっちゃになっている人を、ネットなどで見る気がします。現状に対して肯定的な右派、批判する左派という簡単な分類だけではなく、その中にも極右、中道寄りの右といった勢力があり対立するということを学んだ、○○主義という「主義」に拘泥するのはどうかと思うけれど、自分の信念をもったうえで意見をもちたい。

今回の授業に限ったことではないが、とくに今回は自分が無知であることを通観した。日本のことも知らなければ、他の国のどの政党がどういうものとか、まったくわからない。今回の都知事選も、小池さんが当選したことと石丸さんがキレ気味に質問に返答していたことくらいしかわからない。

倫理の授業でも左・右に振れたが、正直難しいと思ってしまう。同じ左派・右派の中でも対立しているというのは初めて知った。左の左は極左という表現と解釈していいでしょうか? 右派は保守的で自国が好きなイメージというのはありましたが、度が過ぎた右派(極右?)は他国を非難しはじめるというのは知らなかった。自分的には左派のほうが政治の勢いがあると考えた。なぜならば現在の社会問題を煽って国民の不安を招くと、国民は急進的である左派につくからだ。ここでのマジョリティ・マイノリティ問題もかかわってきて、また難しく感じた。マジョリティを率いるために右・左どちらかに寄るというパターンもあるのですか? 右派がやばいとフランスでいわれていたのは、移民問題の他にどのような問題が合わさって右がヤバいとなったのですか? 左派のほう(極左?)がもっと極端なことをいっていると思いますが・・・。
・・・> 急進的なのは左派だけでなく右派にもあります(それが最後の欧州の話)。マジョリティを率いるというのが何を指すのかよくわかりませんが、自身の信条とは無関係に人気を得るために左右どちらかに移る、ということでしょうか? なくはないけど、ないんじゃないかな。フランスや欧州の急進右派の動向については、配信している朝日新聞の記事も参考にしてください。

極左や極右まで傾くとさすがに怖いですが、穏健な左派なら、いまの時代には合っているのではないかとおもいました。いっぽうで、左派というと憲法9条改正のイメージがどうしても捨てきれないので、まだまだ思想について学ぶ必要があると感じました。
・・・> 記述はレビューのままなのですが、「左派というと憲法9条改正のイメージ」というのは、違うんじゃないかな? これは日本だけの特殊な話ですが、一般に、右派=憲法9条を改正しようというスタンス、左派=憲法9条を守ろうというスタンスです。憲派(右派)が9条改正、護憲派(左派)が9条維持というのが基本で、一般の認識もそうなっています。「どうしても捨てきれない」という部分を、「左派の人たちは憲法9条維持にこだわりすぎていて、その部分をどうしても捨てきれていない」というふうに読むのであれば問題ないのですが、たぶん違いますよね?

右派・左派という言葉だけは知っていたが、起源がフランス革命の国民公会だというのは初めて知った。演歌とロックの喩えがしっくりきた。また、あくまでも左・右というのは相対的なものだというのを忘れないようにしたい。

左派の中でも考え方の違いによって別の左派路線が生まれたとか、右派の中でも別の右派路線が生まれたというのを聞いて、自民党の派閥も似たところがあるのかなと思いました。極論をいうと、私は集団内で意見や考え方が完全に一致することはなく、個人によって考え方が違うためそのような分岐のゴールは個人に行き着くと思います。だから、どこまでなら妥協できるかが重要であり、限界に達するとまた別の新たな集団、路線が生まれるのではないかと思います。
・・・> 認識されているとおりでよいと思います。2点、補強しておきます。(1)自由民主党の派閥(昨今は「解消した」という建前になっていますが、まああるものとして)は、考え方(政策方針)の違いによるものもあるのですが、それ以上にかつての選挙制度によって支えられるところが大きかったのです。1993年の総選挙まで、衆議院議員の選挙制度は大選挙区制であり、1つの選挙区から35人の当選者を出すというものでした。自民党が単独過半数を取ろうとすれば、それぞれの選挙区に複数名の候補者を擁立し、当選させる必要があります。このため党本部主導ではなくそれぞれの派閥が「政党内政党」のような役割を果たし、自派の候補者をバックアップしました。選挙のライバルは社会党ではなく自民党の他候補だからですね。そうしたバックアップの見返りに、総裁選挙(=首相選び)では自派の「領袖」(派閥の親分)を支えるということになっていました。選挙制度が1994年に変わって、いまの小選挙区・比例代表並立制になると、派閥の役割は大きく減退しました。(※旧制度を、よくいわれる「中選挙区」ではなく「大選挙区」と表現している事情は、2学期の現代社会論Iにて詳述します。レビュー主はそちらも受講されていますので^^) (2)政治的主張の完全なる一致というのは、ご指摘のように不可能です。また、政策といっても経済、財政、社会保障、安全保障、外交、教育、地域振興、感染症対策・・・ など多岐にわたります。政治家も有権者も、「今回はどれ」という優先順位をつけて、支持や入党を決めます。政策を実行するには、野党でもできなくはないのですが、政権党になるほうがはるかによいので、小さな違いには目をつむって大きな一致点を重視して集まり、国会で過半数を取りに行くというのが大事な行動原理になります。その点で日本の政治家の動きはわかりやすい。1993年と2009年に野党に転落したとき、自民党からは離党者が続出して、当時の与党系に鞍替えする政治家がたくさん出ました。自民党の政権奪還後は、いつの間にかもとに戻っているということが多いです。逆に、2012年に政権を失った民主党は、そのあと分裂して、いまも分裂と合流を微妙なところで繰り返しています。つまり政策や路線の違いよりも「与党(権力側)にいたい」という、ある意味でわかりやすい(バカっぽい)感覚の人が多い、ということですかね。

 
(左)ベルギー連邦議会議事堂(ブリュッセル) (右)オランダ議会議事堂(実質的首都のデン・ハーグ)

 

トリクル・ダウンと再分配のどちらのほうが経済的によいのか、よくわからなかった。稼げる人目線と貧しい人目線で、求める政策が異なるから難しいと思った。もう少し政治に興味をもって、テレビや新聞などを見ないと、選挙に行けないなと思いました。

政治体制など、いままで難しくてあまり理解せず表面的になんとなくの理解しかなかった。だが今回の授業を機に、やはりしっかり勉強しようと思った。政治だけでなく、教育においても傾斜配分のようなことができるのかと思った。また、トリクル・ダウンについて、富裕層を優遇して豊かにすれば下層にまで波及し全体が豊かになる、とのことだが、本当にそこまで波及するのかと思った。

生まれの不公平や教育環境の差を公的制度で是正するという政策の中の、子どものための預金は、金持ちの子どもが金持ちになるというループを止めることができそうで、よい案だと思った。

教育政策では、左派は学力定着を重視した。しかし左派は改革を積極的におこなうのだから、定着ではなく競争を重視するべきだと考えた。競争重視は右派の政策である。このように、左派と右派を突き詰めていくと、左派が右派のように、右派が左派のように見えてしまう。
・・・> 左派=改革派というのは言葉の定義の問題であり、いつも改革を積極的におこなおうというわけでもありません。この場合は、生まれながらの金持ちがそれだけで優位にありつづけるのは不公正だと考えて、再分配を期するということです。すなわち、放っておいたら満足に教育を受けられない層に教育を保障し、学力を保障することで、彼らがやがて自力で浮上できるようにサポートするということであり、そこに税金を投入する(つまり金持ちからたくさん取り立てたものを分配する)ということです。学力を「教科のスコア」「受験の際の目安」としか捉えない日本人のマジョリティにはピンとこないでしょうが、ちゃんと学んで真に学力を身につけることで、社会と自分を理解し、職業的スキルを身につけて、社会で活躍することができるわけです。試験のときだけ勉強して点数を取ってその後はまるごと忘れるという人は、社会人としては使い物になりませんからね。

高い学力の生徒を輩出した学校に資金などを傾斜配分するというイギリスの制度のもとでは、もともと高学力指向の生徒または家庭が、すでに定評のある学校に流れるといった、再生産的なことが起こってしまうのではないでしょうか。
ブレアのthe Third Wayの教育政策では、金持ちは多額のお金を子どもに積むので、国からの補助が出るとはいえ貧困層に向けての是正はたかが知れているのではないか?
・・・> サッチャー改革式の競争政策だと、当然再生産が起こり、なんなら再生産の度合いが強まります。「定評のある学校」の情報を得て選択する(さらには遠方の学校であれば親が車で送迎する)ということ自体、金持ちだからできるということでもあります。ですからブレア政権では、デキる学校とデキない学校をグループ化して成果やノウハウの共有を図り、また個人教育預金制度を創出して家庭ではなく生徒本人に社会人になるための学びを促すようにしたわけです。金持ちを引きずり落そうという意図ではなく、金持たずの底上げを図る政策ですので、かなり効果はあります。そういうものが「ない」社会では、未来や社会に対して絶望しかありませんしね。

経済の面から捉える政治的対立軸のどこに位置するのかと考えたときに、わからないことがあります。私は、社会的立場の弱い人たちに再分配がおこなわれるべきだと考えるのですが、必ずしも国家(政府)によって再分配がおこなわれるべきものだとは思いません。民営の機関による奨学金のように、民間が再分配の機能を果たすのもよいのではないかと感じられます。左寄りの意見ですが、政府がやるべきとは考えません。どう考えればよいでしょうか。
・・・> 再分配を政策化するのはあくまで国家(政府)です。公民で学んできたと思いますが、最も重要な権利としての自由権があり、人間の身体や行動、経済活動とその成果としての私有財産の保持というのは基本的な権利です。そうした自由に介入して、「再分配するから税金を出せ」と命じるのは、われわれ自身の意思(実際には代表者である立法府の意思)以外にはできません。「代表なくして課税なし」って教わりましたよね。代表representation)というのは立法府(国会)に反映した国民の意思のことです。ただ、そこで決められた再分配を実行するという作業は、公権力以外のところに委託することができます。実際には、それはかなり広範におこなわれています。再分配機能の一種である教育を、本校のような私立学校が担っているのも一例です。ご指摘の(独)日本学生支援機構もそうですね(独法なので半端ではあるが)。近ごろは「公設民営」というかたちがいろいろな分野でもみられるようになりました。ぜひお調べください。

今回の授業では右派と左派について学んだ。自分の勉強不足を実感した。サッチャーとブレアの話で、生まれながらの経済格差を公平にするための政策を知り、実際にそのような政策をとるのは国民からの反感があると思っていたので、実施している国があって驚いた。なかなか理解ができないのですが、読むべき本を教えてほしいです。
・・・> サッチャーとブレアの教育政策に関しては、授業内で紹介したものをまず読んでください。ただ、社会科学的な言葉遣いや論の運び方というのにあまりついていけていない印象なので、背伸びしすぎず、岩波ジュニア新書のシリーズから読んでみてはどうでしょうか。さらにもう少しレベルを下げるという手もありますが、そうなると早稲田大学の授業についていくのが難しい水準で妥協してしまうことになります。

いままでの左派・右派は再分配と市場主義といった経済的な面での違い、対立によってわかりやすかったが、現在ではジェンダー問題やグローバル化、含まれるのかわからないが環境問題などの、経済だけに収まらない文化的な争点が左派と右派、あるいは右派の中でも極右といった政治的な位置をわかりにくくしているのではないかと思った。

左寄りの人は、伝統や規律を疎んじるという印象があります。校則のない学校にいると他校の視線が厳しく、嫌味っぽいことをいわれることがたまにあるのですが、守るべき規律とか理屈ではない常識みたいなものもあるような気がします。改革ばかりしても統制がとれなくなってしまいそうなので、その線引きが難しいと思いました。
・・・> 左派、とくに往年の共産主義勢力は、伝統はともかく規律にはうるさかったですよ。教条主義という悪口もしばしばあったほどです。おそらくおっしゃりたいのは規律ではなく規範、どちらかというと成文法的なものというよりは「理屈ではない常識みたいなもの」のほうではないでしょうか。それがまさに保守主義のコアたる慣習重視の姿勢です。「改革ばかり」というのは、左派=改革派という語義に引きずられての誤認だと思います。昨今の自民党も統制がとれない状況になっていますしね(笑)。

 
(左)パリ ブルボン宮(フランス下院=国民議会議事堂)  (右)ドイツ連邦議会議事堂(写真左手の建物 ベルリン)

 

いま上田先生の政治学入門の授業で、政治的左・右について学んでいて、それにまつわる本を読んだばかりだったので、いつもの授業の内容より深く理解できた。左右というけれども、現代社会ではそれぞれにポピュリスト勢力が存在し、単に2方向でまとめることはできないのだと思った。私たち若い世代はテレビも観ないし、エコー・チェンバー的なSNSで自分たちの好きな情報ばかりを見ているので、政治に対する理解も関心も浅く、つい中立的な立場をとってしまいがちである。しかし自分が有権者となって投票するときには、左右の概念をきちんと理解し、それだけではまとめられない各政党の特徴を分析して、自分の政治意識を見つめなおすべきだと思った。

ポピュリズムの、大衆の感情や不満に訴えて既成の構造からはみ出すような手法は、問題を惹き起こすと考える。マジョリティとマイノリティの対立を強調し、社会を分断してしまう可能性がある。また事実にもとづかない情報や誇張された主張などを利用し、ニセ情報を大衆に信じ込ませて選挙に当選するような人が出てきてしまうのではないか。

財政が不安定なときには左派が支持され、外国から不当な扱いを受けていたり、国が豊かなときには外国勢力を排除するため右派が支持されるということを、歴史の授業で学んだ。しかしいまの世界情勢は、グローバル化などの影響で非常に複雑化しており、外国人の排除や社会保障の是非など、単純化して政治を語ること、支持することはできないのだと考えた。
・・・> 歴史の授業で学ばれたことは正しいのですが、たとえば「財政が不安定なときには左派が支持される」というのと「左派は財政が不安定なときに(こそ)支持を得る」というのは違います。左派にせよ右派にせよ、本質的な部分や強みを発揮する条件にはもう少し幅があり、財政うんぬんはその一部でしかありません。因果をひっくり返すと理解を間違えます。難しいけど、わかるでしょうか?

寛容は不寛容な人たちを寛容するのか。しないと考える。寛容というのはなんでもかんでも受け入れるということではなく、ある程度の相互理解の上にあると思う。不寛容な人たちは他の考えをそもそも聞かないから、相互理解は成り立たない。そんな人たちのことは寛容できないと考える。

(1)左や右というのが相対的であるなら、いまの日本の左は経済軸ではネオリベラルからの脱却で、右はネオリベラルの維持で合っていますか。(2)自由主義を受けてリベラリズム、それを受けてネオリベラリズムが生まれたという時系列で正しいですか。(3)急進右派とは何ですか。右派に急速になろうとしている右派ということですか。(4)革新と急進は別ですか。(5)社会民主主義って何ですか。ネオリベラルってことですか。(6)インフラ事業を民営化すると寡占の影響で値段が跳ね上がってしまってもおかしくないと思うのですが、なぜそうならないのですか。
・・・> (1)合っていません。第二次安倍政権の時点で、ネオリベラルといいがたい状況になっていたからです(一部はネオリベ的でしたが)。(2)時系列は正しい。ただし(古典的)自由主義はもうないのに対して、リベラリズムとネオリベラリズムはいまも共存し、競合しています。(3)急進というのはradicalの訳語です。時代や地域によって急進の意味やスタンスは変わりますので、歴史や政治学をいろいろ学んでいただくしかありません。さしあたり現在の欧州に関しては、配信している新聞記事をお読みください。(4)別です。日本で革新と表現されているのは進歩派(progressivism)のことです。(5)社会民主主義は、左派のうちマルクス主義(≒共産主義)のように革命によって政権を打倒して社会主義体制をつくろうというのではなく、議会主義の範囲内で支持を伸ばし福祉などの政策を実現して、国家の統御によって再分配や平等の実現を図ろうとするものです。ネオリベラルとは対極です。(6)そうならないように政策的な処置をほどこしてから実行しているからです。むしろ独占→寡占で競争相手ができれば価格は下がる傾向にあります(NTTのみが独占していた携帯電話事業に民間のKDDIやソフトバンクが参入してサービス競争になった例など)。

政治学の授業で、日本は民主党政権のときに二大政党化しかけた、と学んだ。この先そのように国内の政党の勢力関係が変わることはあると思いますか? 都知事選は、いままでの選挙と違った、というような内容をたびたび見かけましたが、先生はどう思いますか?
・・・> 小選挙区制を基本とするかぎり、二大政党とまではいかなくとも、最大野党に議席が集まる傾向にはなると思うのですが、野党になると分裂するんですよね日本では。上のほうで書いたように、自民党も、野党になったら脱出しようとする人が結構いるので、今後どうなるかはわかりません。都知事選、そんなに違ったようには思わないですけどね。まあ盛り上がらなかったですね。

授業でも話されていましたが、現代社会に生きている人々は、中立の意見をもつということはなく、右や左に偏っているとのことでした。やはり先日の東京都知事選挙の際のように、メディアが人の意思決定に影響を与える情報をコントロールしているので、メディアを通して政治を見るのは、ある意味危険だなと思いました。
・・・> 中立の意見は当然ありますし、右でも左でもなく中道ということも当然あります。それも「偏り」です。ライトが何であってレフトが何であるのかを踏まえたうえでのセンターならばよいが、右とか左とか嫌なんですけどー、と思考や調査を放棄した末に「私は中立」というのは、単なる思考停止や思考放棄であり、無知・無関心でしかない、ということですね。そして、現代において政治を見ようとすれば相当部分をメディア経由の情報に頼らざるをえません。危険だからこそ、その危険を回避するテクニックやスタンスを心得るべきなのです。危険だからといって刃物や火を使わないわけにはいかないでしょ?

先日おこなわれた都知事選で、政治に興味をもって学習している最中に、今回の左・右に関する授業があったので、理解が比較的容易でした。私自身、メディアを敵に回しつつ命を懸けて都政を担おうとした候補者の姿勢に感銘を受けましたが、彼は経済学者ということもあり、再分配に近い考えを呈していました。また介護よりも学校教育等の子育て支援に力を入れるなど、より効率的な金の循環を掲げていました。政治的には「左」に近いのかなと思いました。仮に彼が当選していたら、どのような都政、国政への影響があったのか想像してみるのですが、難しいところが多く、先生が見解をお持ちでしたら教えていただきたいです。
・・・> 当選は相当難しかったと思います。実際には、東京都はそんじょそこいらの国家などよりはるかに巨大な官僚機構をもっていますので(GDP水準でもオランダと同等程度)、誰が知事になっても政策の立案や遂行に関してはさほど問題はないように思います。選挙や各候補者に関心をもって勉強していたのですね。これを機に、どんどん学びを進めてください。今回の私の授業を聞いて、少なくともいまの私が彼を右派ポピュリズムとみている、ということを汲み取っていただけなかったということは、こちらの力量不足か、レビュー主の情報不足でしょう。授業内でもちらほら、それとわかるような皮肉を散りばめたんですけどね。ネット経由の直球の(と思えるような)情報だけで判断すると、やっぱり全体状況の中での位置づけみたいなことは見通しにくくなりますね。

都知事選の直前のころ、小池・石丸・蓮舫3氏に関するツイートやそれぞれの動画がたくさん上がっていた。そしてそのコメント欄を眺めるという趣味があったわけですが、先生のおっしゃっていたとおりだった。怖いのは同じ候補に関するツイートでも批判的なコメント欄になるときと肯定的なコメント欄になるときがあること。今回は3人それぞれに、ウソかほんとかもよくわからないスキャンダル的な報道が出て、いいようにポピュリズム的に利用されていておもしろかったです。
先生が選挙オタクと聞いて、都知事選の結果に関してどう思っているのか気になります。SNSに流されていそうな若者が多かったので。
今回の都知事選では、テレビを普通に用いた小池さんが勝ちましたが、今後おじいちゃんやおばあちゃんの世代がいなくなって少なくなったとき、右派はどのようにネットを活用すると思いますか?
・・・> 今後どうなるのかは知りませんが、小池さんはテレビを普通に使ったかな。むしろ選挙運動を抑制して露出を避け、対立候補にかみつかせる機会を与えなかったように思いますけどね。

 
(左)クロアチア議会議事堂(ザグレブ)  (右)ハンガリー議会議事堂(ブダペスト)

 

右派は保守派、左派は改革派であるということを知っており、歴史とのかかわりという点では学んだことがあったが、現代の右派・左派については恥ずかしながら知らなかった。イタリアは産業があまり発達せず貧しいままだったため左派寄りになったという話や、ロシアでは貧しさがゆえに過激な革命が起きたという話から、右派・左派にすでに分かれているというより、国の状況によって右や左に寄るという考え方が正しいのかなと考えた。

今後グローバル化が進行していくにつれて保守が力をもったまま時代が進むと、結局は世界的に孤立してしまうリスクがあると思うので、左派(革新)の政党が議会を煽動する社会になったほうがよいのではないかと考えました。また民主主義の本質として、マジョリティが優勢になればよい、というものであると学ぶことができ、より主義主張や政治的な左右に対する理解が深まりました。

トランプが共和党を右に引っ張っていったように、リーダーによって変わっていくのなら、党としての意味があるのかとかんがえた。乗っ取ることもできそう。表面上は大衆派の意見といっておきながら、自分のやりたいようにやる。長くはつづかないかもしれないが、できないことはないと考えた。

2020年のアメリカ大統領選挙で民主党のバイデンが当選したが、その結果を見てみると、たしかに都市部のニューヨークやカリフォルニア、シカゴの近くのエリアに民主党を支持する人が多いことがわかった。ちょうどそのころシカゴの郊外に住んでいたが、庭にGO TRUMPと書いたボードを差している家が多かったように思う。つまり都市に近くても郊外になると、再分配を求めて高福祉高負担を望む人が多いのだと考える。2016年の選挙結果では、都市中心部ではないが近くに都市がある州、アリゾナ、ウィスコンシン、アイオワ、ミシガン、ペンシルヴェニアなどが年によって選挙結果が変わりがちだとわかる。貧しい人たちは再分配を求め、お金持ちは自助しようとするが、お金持ちの側からしたらたまたまお金持ちの家に生まれたとしても、なってみないと再分配を求める気持ちを理解しがたいのかなと思った。
・・・> おそらく記憶に引きずられているのだと思うけれど、話が混線していますよ。シカゴ郊外でGO TRUMP(トランプ支持)が多かったというのが本当ならば(主観や視野による限界はあると思うので)、それは再分配を批判して低福祉低負担を望む声だということになります。アメリカ大統領選挙は、州単位で投票数が集計され、1票でも多かった候補がその州の大統領選挙人(エレクター)を総取りするというWinner takes all方式を採用しています。ですから、人口密度の低い都市郊外や農村部(たいてい一軒家)でいくらトランプ支持が目立っても、シカゴ市内の集合住宅に住んでいる労働者がどさっとバイデンを支持すれば、票数でバイデンが上回り、イリノイ州の選挙人はまるごとバイデン側ということになるわけです。イリノイはオバマ元大統領(民主党)の地盤でもありました。

教科書的な左/右と、具体的な現実世界の左/右にギャップがあるように以前から思っていたが、その理由がわかった気がする。グローバル時代の金融政策は日本の雇用につながらない、というのは、いままで考えたことがなかったが、とても納得した。システムそのものへの疑問の重要性を学んだ。昨年の政経で佐藤先生が、「イチゴ6個パック、めっちゃおいしそうな5個でも、1個が腐っていたら買わないだろ、ギリシアもそういうもん」っていっていたのを思い出しました。あれの喩えって何がいちばんいいんですかね。
・・・> 佐藤先生はずいぶん前の教え子ですがお元気そうで何より。イチゴの6個パックなんて売り場にはなく(たいていは10個以上)、庶民感覚はまだまだですな(笑)。私は進学塾がうんぬんといいましたが、本当は、国家レベルの政治や経済を身近な何かに喩えるのは抑制したほうがいいです。いろいろショートが発生するし、たとえばイチゴや進学塾にこだわりのある人だとかえって余計なバイアスを生じることにもなるのですね。

今回イギリスやフランスの選挙の報道を見て、海外の政治の状況を何も知らないと気づいた。

日本人は海外よりも選挙への関心が薄いですが、移民系の青少年に「クズども!」と発言したサルコジ(フランス)の例や、ヒンドゥー教を全推しするインドのモディ首相、アメリカを第一と考えるトランプ大統領の例など、何かの思想に全振りする政略宣言をすることで、もっと熱い政治活動がおこなわれていくと思いました。
・・・> 熱い以上に「やばい」じゃないのかな。全振りというのはおっかないショートだと思うのですが。

今回のフランス国民議会議員選挙は非常に興味深い。右派を勝たせないために左派と中道どっちでもいいから投票するという行動が起きた。それでは人民の意見を正しく反映させた議会が形成されるとはとうてい考えられない。このように一時的な解決でしかない行動では、フランスというG7EUに参加し国際社会に影響のある国では、すぐにぼろが出て、国の政治がぼろぼろになる。そうなれば次は右派が勝つ可能性が高くなって、結局、右派回避行動が無駄になってしまうのでは。

今回の授業を受けて、「○○でないほう」を選ぶこと、つまり消去法がもつ力はとても大きいのだと思いました。ただ、それはフランス国民議会議員選挙のように、問題の種になってしまうこともあるので、そのよしあしは考えなければならないと思いました。

左派でも排外的な感情をもっていたり、右派でもナショナル・ポピュリズムとして社会福祉を推進したりと、右=過激なナショナリストという世俗的なイメージではなく、左も右も理解したうえで自分の位置を定めることが重要だと思った。ポピュリズムが世界中で広く人気を集めているが、イメージが先行して政策などが深く理解されず、社会に支持されていく可能性も大きくなると思うので、テレビで中立的な立場から現在の政治状況についての特集を放送するなどして、国民の政治に対する意識を高めていかなければ、いずれは取り返しがつかないことになるかもしれない、と思った。

左派と右派がそれぞれどんな考えなのか理解することができました。単に革新・保守というだけではまとめられず、どちらに偏っているとはいっても分野ごとに賛成できる部分も反対する部分もあり、自分がどちらかはっきりさせることに難しさを感じました。18歳になって選挙に参加するとなったときに、立候補者がどのような立場を取っているのか、よく調べるようにしたいです。また左右の偏りがまったく違う国どうしで話し合ったり物事を決めたりするときに、どのようにして間を取るのか知りたいです。
・・・> 最後のご質問の趣旨がもう一つわからないのですが、たとえば右派政権の国と左派政権の国が交渉するとか、そういうことでしょうか? それはもう当たり前のことなので(中には社会主義国家や独裁政権だってある)、外交の作法というやつにのっとっておこなう、ということですね。古来そうです。「間を取る」というのは、「ま」なのか「あいだ」なのか? 「ま」の取り方はもう呼吸の問題です。「あいだ」の取り方は、いろいろです。何も「あいだ」である必要もなく、一方が強い場合にはその意向を強制しますし、貸し借りで調整する場合もあります。

いままで左派が何で右派が何であるのか、よくわかっていないまま言葉を耳にしていました。先日の都知事選では選挙権がまだなかったのですが、いつも選挙は他人事と思っているふしがあるのに今回は少し前のめりで見ていました。先生は票を入れるときに、立候補者の何を見ていますか? もし掲げる政策が、子育てか社会保障かという場合、どちらを重視しますか?
・・・> 何を重視して投票するかというのは、選挙の種類やその時々の情勢によって変わります。中には、雨が降っても槍が降っても絶対に○○党の候補に入れるという人もいますし、たまに浮気するという人もいます。毎回そのつど考えるという人もこのごろは多くなりました。私は「浮気派」ですかね。これが、英国のEU離脱投票といったワン・イシューのものであればわかりやすいのですが、選挙というのはたいてい総合的なものです。教育政策ではA党がいいのだけど税制ではB党のがいいな、ということはしょっちゅうあります。そして、忘れてならないのは、衆議院議員総選挙の場合、選ぶのは目の前の候補者であるように見えて、実際には「次の内閣総理大臣」を(間接的に)選んでいます。いま総選挙をおこなうとして、自分の選挙区の自民党候補に投票するというのは岸田文雄さんにひきつづき政権を担ってもらうということの意思表明です(いまのところ、ね)。いや僕は岸田さんは嫌いなんだけど目の前の○○候補が好きなのだ」という場合もあるでしょうが、そのときには優先順位を決めなくてはなりません。日本は英国と同じ議院内閣制ですので、そこが合衆国やフランスとは違いますね。

 

 


開講にあたって

現代社会論は、附属高校ならではの多彩な選択科目のひとつであり、高大接続を意識して、高等学校段階での学びを一歩先に進め、大学でのより深い学びへとつなげることをめざす教育活動の一環として設定されています。この現代社会論(2016年度以降は2クラス編成)は、教科としては公民に属しますが、実際にはより広く、文系(人文・社会系)のほぼ全体を視野に入れつつ、小・中・高これまでの学びの成果をある対象へと焦点化するという、おそらくみなさんがあまり経験したことのない趣旨の科目です。したがって、公共、倫理、政治・経済はもちろんのこと、地理歴史科に属する各科目、そして国語、英語、芸術、家庭、保健体育、情報、理科あたりも視野に入れています。1年弱で到達できる範囲やレベルは限られていますけれども、担当者としては、一生学びつづけるうえでのスタート台くらいは提供したいなという気持ちでいます。教科や科目というのはあくまで学ぶ側や教える側の都合で設定した、暫定的かつ仮の区分にすぎません。つながりや広がりを面倒くさがらずに探究することで、文系の学びのおもしろさを体験してみてください。

選択第7群の現代社会論IIでは、設定いらいずっと「グローバル」なものを副題に掲げてきました。グローバル化(英語でglobalization=地球化、フランス語でmondialisation=世界化)という用語や概念は、1990年代あたりに一般化したものであり、2000(ゼロ)年代にはそれがすべてかのように猛威をふるい、2010年代には逆風にさらされ、グローバルに関する言説は総じて批判的なものになりました。2020年代ももう半ばですし、高校3年生のみなさんが実社会で活躍するのはさらに先の2030年代でしょうから、そのころグローバルという表現自体がもう陳腐化している可能性は、なくはないと思われます。ただ、いったんグローバル化してしまった以上、もとの世界に戻ることはありません。私たちは知らず知らずグローバルの恩恵を受けています(もちろん、ダメージも食らっています)。グローバル時代だから外国語を話せるようになりましょう、といった単純すぎる(アホみたいな)発想が陳腐化するのは間違いない。では、これからの時代に社会で活躍する人として、いかなる思考、どのような構えを心得るべきなのか。その答えを出すには、週2時間、1年弱の授業ではとても足りませんが、そのヒントや土台くらいは提供できればなという思いでいます。とくに、これまでの社会系(公民・地理歴史)の授業では、どうしても日本のことが中心であることが多かったと思いますので、当科目ではあえて焦点や対象を日本の外側に設定して、「世界」「国際社会」を展望するための見方を共有していくことをめざします。「展望するための見方」を端的に表現しようとしたのが、副題にあるパースペクティヴです。実はこれまでに「グローバル時代のパースペクティヴ」の副題を2度、使ったことがあります。最初は2016年、2度目は2020年です。偶然ではなく、意識的に合衆国大統領選挙の年に当てています(夏季五輪開催年、うるう年であることは承知していますよね)。2016年には、英国のEU離脱投票がおこなわれ、その開票速報をこの授業内で、みんなで見つめました。トランプがよもやの大統領当選を果たしたのもその年です。2020年はコロナ禍で、1学期の途中までオンライン授業を余儀なくされ、ただでさえ社会・世界がイレギュラーな状況になる中で、合衆国ではまたしても政権交代が起こっています。「パースペクティヴ」を掲げる年には、世界で何かが起きるのかもしれません。2024年は、どうでしょうか。

話題の大半が、なじみの薄い外国ないし世界のことになります。これまでの知識や考え方では思考が及ばないだろうと思います。少しずつでよいので、「見方」(「知識」ではない)を心得て、それを介して世界を見渡すようにしてみましょう。新聞やニュースで、これまであまり注目しなかった分野にも目を向けることを習慣化し、意識的に視野を広げるようにしましょう。18歳の視野はやっぱり限られています。いま広げてみると、それは間違いなく自身の成長につながり、将来の可能性を広げることにもつながります。本物のグローバル思考に向けて、歩みをはじめましょう!

*地理の授業で使用した地図帳を毎回、持参してください。別種類のものを買い足してもよいと思います(違った視点を得られるかもしれない)。

 

 

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