古賀毅の講義サポート 2023-2024
De Société
contemporaine II: Prochaine étape vers la pensée globale 人文社会科学特論
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2023年9〜10月の授業予定
9月29日 ベネルクス三国:多様性と統合が共存する欧州のコア地域
10月20日 理系世界のナショナルとグローバル
いま受講なさっている現代社会論IIは、来年度から3年生全員にオープンになる予定ですが、現3年生までは文系専用の科目です。文系といっても相当に広範囲で、大学生の7割かそれ以上は文系なのではないでしょうか。確かなことは「理系ではない」ということです(笑)。理系ではないことがわかりきっているのに、今回はあえて「理系」をテーマにしています。理系のほうも範囲は広くて、高等学校でいうところの数学・理科だけでなく、情報や保健体育、家庭科などもだいたい理系に属します。私は、学生全員が理系という大学に属していますけれど、先生方の研究対象とか、学生が受講する科目の内容などを見ると、本当に理系なの?文系といったほうがいいんじゃないの?というようなものも含まれます。細かく知る必要はありません。附属高校の3年生が抱くイメージよりは、おそらく広範であるということを押さえておきましょう。中には、数学も理科も苦手でどうしようもないです、という人がいらっしゃることと思います。言語や歴史の回と同じように、今回は数学や理科を学ぶのではなく、「理系というもの」を一つ外側からみて、それを現代社会、グローバル世界の文脈に当てはめて考えてみる、ということですので、あまり心配することはありません。 自然科学、理系の学問という意味でのサイエンスが独り立ちしたのは、17世紀の西欧のことでした。イングランドの学者アイザック・ニュートンが「プリンキピア」という著作を発表した1687年を、一つのベンチマークにしておきましょう。ニュートンに先立つコペルニクス、ガリレイ、ケプラー、デカルトあたりを挙げても別にかまわないと思います。「だいたいそのあたり(ルネサンスの後半以降)」だと考えておきましょう。あれ? 紀元前のアルキメデスやピタゴラスは理系じゃないんですか?という疑問をもったとすれば、非常にまともです。子ども向けの科学読み物などでも、古代のサイエンス話は好んで取り上げられますよね。またナイルの洪水をあえて引き込んで、事後に数学を駆使して耕作地をつくりなおしたというエジプトの例や、暦法を編み出したオリエントや中国の例など、サイエンスは大昔からちゃんとあったはずです。あえて17世紀という、わりと最近の時期を設定したのは、サイエンスがこんにちのような意味で作動しはじめたという判断によります。言い方を変えると、人間の社会における科学の位置づけや意味が転換された(転換されかけた)という、もっぱら文系側の事情によるわけです。17世紀といえば、当科目の最初に取り上げたウェストファリア条約(1648年)=主権国家という概念の共有、を思い出しますね。サイエンスは、それら西欧の主権国家の発展と結びついて歩みを加速させることになりました。各国がサイエンスを競う時代にとつにゅうしたのが19世紀です。サイエンスにも数学にも国境なんて本来はありません。言語さえ通じれば、現象や法則は地球上のどこに行っても普遍的に共有されます。ところが「サイエンスというもの」は国家による囲い込み、いわゆるナショナル化を伴って進展することになったのです。国力といえば、伝統的には軍事力と経済力の総合と考えられますが、ある時期から科学の力量というのが重要になってきました。おそらく、最終的に軍事力と経済力を担保するものだから、だろうと考えています。 ナショナルなくくりで考えた場合の、日本の科学技術力は相対的に低下しているといわれます。原因として考えられるのは、それまで科学技術力がぱっとしなかった国家の水準が上がってきたということと、日本人の研究開発力そのものが低下しているということのいずれか、あるいは両方でしょう。すぐれた研究者、すぐれた技術はあるのだが、総合的に、ナショナルなくくりで見ると弱いといいます。さあ、そこで考えてみたい。なぜサイエンスに「ナショナルなくくり」が必要なのか。国家が研究しているわけではなく(それは擬人法!)、多くの研究者も「わが国を豊かにしたい」というストレートな願望があるわけでもないように見受けます。本来的にボーダーレスであるはずの理系世界がナショナルでくくられるのはなぜなのか。一つの手がかりとしては、グローバル化の時代に突入した後に、国家間の科学技術力競争が加速した、という事実です。さて科学というのは、ナショナルなのかグローバルなのか。
REVIEW (9/29) ■ベネルクス三国のことをまったくといっていいほど知らなかったのですが、自分が知らないほどにそこまで大々的な国々ではないのになぜ「コア地域」なのだろうかと私も疑問に思いました。しかし授業を受けて、いまの世界でとても重要なEUのモデルになっている国々であると知り、コアな地域であることに納得がいきました。 ■ベネルクスといわれても印象が薄かったけれど、ルクセンブルクの1人あたりのGDPが世界一と聞いて驚いた。言語や宗教が違う中で、三国で結束していて、それぞれ国民はたがいに対してどう思っているのか気になった。大国に囲まれ、火種が飛んでくる危険もあるけれど、中継地点となってうまく利用し、地位を高めていったことがわかった。 ■ベネルクス三国と聞いてとくに何の印象もなく、小さい国としか思っていなかったが、GDPがとても大きく、面積も人口も少ないのに経済大国であることに驚いた。フランスとドイツのあいだに昔から戦争が多かったのが、この三国を中心にEUができ、平和になったというのはすばらしいことだと思った。 ■ベネルクスが協力する理由が、スイスのカントンが協力するのと似ているなと思いました。 ■ベネルクス三国がEUのコアだとか、そんなふうにはまったく思っていなかった。ドイツ、イギリス、フランスの強国が中心だと思っていたので、最初のほうは「??」という感じだったが、授業が進むほどに、なるほどなという感じになった。島国に住んでいるからかあまりそのような考えはなかったが、物理的位置が重要だなと思った。
■ベネルクス三国という言葉の響きが好きです。EUの起源といわれて、わからなかったが、話を聞いていくとたしかに縮図のようなものだなと思った。写真を見ていると行きたくなってきたので、お金貯めます。 ■ベネルクスという響きは耳にしたことがあるような気がするけど、何かパッと思いつくものがなくて、ヨーロッパには他にもっと名の知れた国があるのに今回取り上げる意味はなんだろうと思いました。そうしたら、ベネルクスと聞いただけだと何も思いつかないのに、意外と身近なものと関係がありました。ベネルクスのように、あまり知られていないけど、いまの国際社会の形成に重要な役割を果たしていたり、関係したりする国がまだまだあるんだろうなと思い、もっと知りたくなりました。 ■経済的利得を求めてベネルクス三国が協力し合ってまとまり、EUのモデルになったことを知って、世界の大きな組織の本元を学びたいと思った。 ■過去の産業の発展が今も尾を引くということが、ベネルクス三国の現在でのEUの立ち位置やGDPなどに顕著に表れていて興味深い。しかしその裏には、ベルギーのアンフェアなカカオ取引や過去に戦争で大きなダメージを受けたことがあるなどのことがあり、そこから立ち直るためには経済力があるということが大事なのだなと思った。 ■共通点がほとんどないベネルクス。「まとまらないとやってらんないから、まとまってやる」を初めてやった場所。ベネルクス→EC→EU。「平和な世界」の出発点はベネルクスにあった。お酒が飲めるようになったら、ヨーロッパのお酒を調べて、欧州飲酒旅行してみたいです。
■3つの国は、同じ国だったこともあるのに、それぞれの国ごとにアイデンティティをもっているのがおもしろいと思った。小さい国だからこそ協力が必要だったのがわかった。 ■ベネルクス三国のような共同体をつくっている国々は世界に他にもありますか。 ■ベネルクス三国は、それぞれかなり違うのに、同じ共通に遭った経験からスタートし、のちにEUのモデルになったと学びましたが、国と国が隣接するからこそなのかなと考えました。島国が多いアジア諸国や南太平洋諸国、カリブ海の国々は、それぞれが独立していて、仲間意識をもつことがあまりないように思いました。 ■プロテスタントの国が経済的に成功した理由が、商業を受け入れる姿勢を見せたからというのに納得しました。 ■日本に被爆国という意識があるように、歴史的背景によってベネルクス三国の運命共同体意識が芽生えたのだと思った。 ■オランダでは麻薬が合法であるというのは知っていたが、コーヒーショップという名の店で売られているというのは、間違えて入ってしまいそうで怖いと思った。 ■オランダはリベラルな国であるが、自由の尊重には制限があり、国の秩序を守るためにどこまでが許されているのかといった境界線を知りたい。 ■いままでベネルクス三国に注目したことはなかったけど、授業を聞いておもしろかった。三国が一致団結してさまざまな情勢を耐え抜いてきているということだったが、宗教などあまり共通点がないのに分裂せず仲がよいというのがすごいと思った。オランダにイスラームの人口が増えているのはなぜか、疑問に思った。
■写真をたくさん載せてくださって、とても行きたくなりました。 ■オランダとベルギーに行ってみたいとずっと思っていたのですが、今回でさらに行きたくなりました。1〜2月ころに友達とヨーロッパにサッカー旅行に行く予定ですが、絶対に行ったほうがいいおすすめってありますか? ■ヨーロッパにいままで行ったことがなく、パリやロンドンにももちろん行きたいですが、先生の写真を見て、ブリュッセルにも行ってみたくなりました!! ■ベネルクス三国がまとまらないといけない!ってなったのはわかったが、なぜEUの範囲にまで広がったのかわからなかった。
人文社会科学特論は高大接続に主眼を置く選択必修科目で、附属高校ならではの設定といえます。この現代社会論(2016年度以降は2クラス編成)は、文系学部への進学をめざす3年生を対象に、特定の学問分野というよりも社会全般、文系全般を視野に入れるような広域的・学際的な学びに取り組むものとして設定され、2006年度の開講よりずっと私が担当しています。「教科」としては公民に属しますが、そこに内包される現代社会(2022年度入学生以降は「公共」)、倫理、政治・経済はもちろんのこと、地理歴史科に属する各分野、そして国語、英語、芸術、家庭、保健体育、情報、理科あたりも視野に入れています。もともと人間とか社会にボーダーはなく、わかりやすくするためにラインを仮設しているにすぎません。つながりや広がりを面倒くさがらずに探究することで、文系の学びのおもしろさを体感していただければと願っています。 当科目は毎年、内容とサブタイトルを変えています。2023年度は「グローバル思考へのネクスト・ステップ」です。この現代社会論IIでは、一貫してグローバル・サイズの問題を扱ってきましたが、実はこのところ「グローバル」という表現の陳腐化が指摘され、また2010年代半ばあたりから「グローバル化」の潮目が変わってきたとも考えられています。2020年以来のパンデミックは、その潮目に重なって、今後の世界のありように大きな意味をもつものではないかと考えられるのです。それもありますので副題から外すことも考えたのですが、文系の生徒・学生がthink globally (地球サイズで考える)ことの意味自体が減退することはありませんし、むしろ以前のような「グローバル熱」に浮かされるような安直さを戒める意味もあって、あえて残しました。ただ、私自身の問題意識も含めて、次のフェーズ(段階)のあり方をよりリアルに考えるべきだという観点から、ネクスト・ステップという表現を組み入れています。中学校の社会科、高等学校の公民科および地理歴史科は、「世界」「国際」ということをふんだんに盛り込んでありますし、教科書にも詳しい記載があります。しかし実際には、歴史も地理も公民も「日本のついで」に国際的なことをちらちら学ぶ程度に終わることが大半です。日本国内の問題やテーマを扱う際の調査方法や思考のプロセスがそのまま当てはまるのであればよいのですが、外国そして世界のことを学ぶ際には、それらとは別の方法やプロセスが必要になります。ある程度の道具を携えていなければ、何もはじまりません。よくわからない感覚のままニュースだけを見て、「理解できん」といってその先の思考を停めてしまっては、もったいないですし文系失格です。当科目では、国際社会の見方とそのルールをまず押さえて、それをもとに世界各地あるいは地球全体の動向を考察するというかたちで、議論を進めます。おそらく、みなさんが小・中・高で学んできた社会系教科・科目の中では最もスケールが大きな内容になるかと思います。恐れるのではなく、楽しんでほしい。 社会科・公民科・地理歴史科では、とにかく用語や概念を「おぼえる」という作業に終始するクセのついている人が多いのではないでしょうか。当科目においては、その構えを完全に捨ててください。社会系で「おぼえる」という場合、事象、地名、人名、出来事、法律、専門的な概念などになります。なぜ「おぼえる」構えを突き放すのかというと、あと5年、10年もすれば「おぼえ」た内容などまったく変わってしまう可能性があるからです。歴史的なことはまだしも、現代の社会情勢など暗記するそばから変化します。海外の話題は、なじみの薄い(ない)固有名詞がたくさん出てきて、それだけで混乱します。別に混乱してもよいではないですか。試験用におぼえる必要がないのであれば、「いろいろあって大変だ」と、平然と構えていればよいのです。そうしているうちに、要点が向こうのほうからまとまって見えてきます。それはまた、大学進学後にも有益で有用な構えになっていくことでしょう。 *地理の授業で使用した地図帳を毎回、持参してください。別種類のものを買い足してもよいと思います(違った視点を得られるかもしれない)。 |