古賀毅の講義サポート 2023-2024

De Société contemporaine II: Prochaine étape vers la pensée globale

人文社会科学特論
現代社会論II:グローバル思考へのネクスト・ステップ


早稲田大学本庄高等学院3年(文系選択必修科目)
金曜34限(11:20-13:10) 教室棟95号館 S325教室(ゼミ室4 S222教室(ゼミ室1

講義サポート トップ
現代社会論I:探究への社会科学入門

 

2023910月の授業予定
9
29 ベネルクス三国:多様性と統合が共存する欧州のコア地域
10
20 理系世界のナショナルとグローバル

 


次回は・・・
17-
理系世界のナショナルとグローバル

いま受講なさっている現代社会論IIは、来年度から3年生全員にオープンになる予定ですが、現3年生までは文系専用の科目です。文系といっても相当に広範囲で、大学生の7割かそれ以上は文系なのではないでしょうか。確かなことは「理系ではない」ということです(笑)。理系ではないことがわかりきっているのに、今回はあえて「理系」をテーマにしています。理系のほうも範囲は広くて、高等学校でいうところの数学・理科だけでなく、情報や保健体育、家庭科などもだいたい理系に属します。私は、学生全員が理系という大学に属していますけれど、先生方の研究対象とか、学生が受講する科目の内容などを見ると、本当に理系なの?文系といったほうがいいんじゃないの?というようなものも含まれます。細かく知る必要はありません。附属高校の3年生が抱くイメージよりは、おそらく広範であるということを押さえておきましょう。中には、数学も理科も苦手でどうしようもないです、という人がいらっしゃることと思います。言語や歴史の回と同じように、今回は数学や理科を学ぶのではなく、「理系というもの」を一つ外側からみて、それを現代社会、グローバル世界の文脈に当てはめて考えてみる、ということですので、あまり心配することはありません。

自然科学、理系の学問という意味でのサイエンスが独り立ちしたのは、17世紀の西欧のことでした。イングランドの学者アイザック・ニュートンが「プリンキピア」という著作を発表した1687年を、一つのベンチマークにしておきましょう。ニュートンに先立つコペルニクス、ガリレイ、ケプラー、デカルトあたりを挙げても別にかまわないと思います。「だいたいそのあたり(ルネサンスの後半以降)」だと考えておきましょう。あれ? 紀元前のアルキメデスやピタゴラスは理系じゃないんですか?という疑問をもったとすれば、非常にまともです。子ども向けの科学読み物などでも、古代のサイエンス話は好んで取り上げられますよね。またナイルの洪水をあえて引き込んで、事後に数学を駆使して耕作地をつくりなおしたというエジプトの例や、暦法を編み出したオリエントや中国の例など、サイエンスは大昔からちゃんとあったはずです。あえて17世紀という、わりと最近の時期を設定したのは、サイエンスがこんにちのような意味で作動しはじめたという判断によります。言い方を変えると、人間の社会における科学の位置づけや意味が転換された(転換されかけた)という、もっぱら文系側の事情によるわけです。17世紀といえば、当科目の最初に取り上げたウェストファリア条約(1648年)=主権国家という概念の共有、を思い出しますね。サイエンスは、それら西欧の主権国家の発展と結びついて歩みを加速させることになりました。各国がサイエンスを競う時代にとつにゅうしたのが19世紀です。サイエンスにも数学にも国境なんて本来はありません。言語さえ通じれば、現象や法則は地球上のどこに行っても普遍的に共有されます。ところが「サイエンスというもの」は国家による囲い込み、いわゆるナショナル化を伴って進展することになったのです。国力といえば、伝統的には軍事力と経済力の総合と考えられますが、ある時期から科学の力量というのが重要になってきました。おそらく、最終的に軍事力と経済力を担保するものだから、だろうと考えています。

ナショナルなくくりで考えた場合の、日本の科学技術力は相対的に低下しているといわれます。原因として考えられるのは、それまで科学技術力がぱっとしなかった国家の水準が上がってきたということと、日本人の研究開発力そのものが低下しているということのいずれか、あるいは両方でしょう。すぐれた研究者、すぐれた技術はあるのだが、総合的に、ナショナルなくくりで見ると弱いといいます。さあ、そこで考えてみたい。なぜサイエンスに「ナショナルなくくり」が必要なのか。国家が研究しているわけではなく(それは擬人法!)、多くの研究者も「わが国を豊かにしたい」というストレートな願望があるわけでもないように見受けます。本来的にボーダーレスであるはずの理系世界がナショナルでくくられるのはなぜなのか。一つの手がかりとしては、グローバル化の時代に突入した後に、国家間の科学技術力競争が加速した、という事実です。さて科学というのは、ナショナルなのかグローバルなのか。



REVIEW 9/29

ベネルクス三国のことをまったくといっていいほど知らなかったのですが、自分が知らないほどにそこまで大々的な国々ではないのになぜ「コア地域」なのだろうかと私も疑問に思いました。しかし授業を受けて、いまの世界でとても重要なEUのモデルになっている国々であると知り、コアな地域であることに納得がいきました。

ベネルクスといわれても印象が薄かったけれど、ルクセンブルクの1人あたりのGDPが世界一と聞いて驚いた。言語や宗教が違う中で、三国で結束していて、それぞれ国民はたがいに対してどう思っているのか気になった。大国に囲まれ、火種が飛んでくる危険もあるけれど、中継地点となってうまく利用し、地位を高めていったことがわかった。

ベネルクス三国と聞いてとくに何の印象もなく、小さい国としか思っていなかったが、GDPがとても大きく、面積も人口も少ないのに経済大国であることに驚いた。フランスとドイツのあいだに昔から戦争が多かったのが、この三国を中心にEUができ、平和になったというのはすばらしいことだと思った。

ベネルクスが協力する理由が、スイスのカントンが協力するのと似ているなと思いました。
規模やアイデンティティは違えど、スイスのカントンのようなイメージの国々なのかなと思いました。この3ヵ国がフランスやドイツに呑み込まれずにいてくれたおかげで現在のヨーロッパの均衡が保たれているといもいえると思います。
・・・> なるほど、カントンとはいいところに気がつきましたね。スイス連邦(Schweizerische Eidgenossenschaft)は「誓約者同盟」、誓い(Eid)を交わした同志たち(genosse)の組織(schaft)で、小さな国家が寄り集まった相互防衛協定のようなものでした。ベネルクスとの相違点を探すと、スイスのほうは中世後期からカタマリとして行動しているのに対し、ベネルクスは三国それぞれに異なる国家としての歩みをつづけ、その結果として現在でも主権国家でありつづけるという点があります。

ベネルクス三国がEUのコアだとか、そんなふうにはまったく思っていなかった。ドイツ、イギリス、フランスの強国が中心だと思っていたので、最初のほうは「??」という感じだったが、授業が進むほどに、なるほどなという感じになった。島国に住んでいるからかあまりそのような考えはなかったが、物理的位置が重要だなと思った。


ルクセンブルクの「箱庭」部分 右の石積みは鉄道の橋脚で、かなり高いところを走って「上の町」に進む
このすぐ右上に欧州屈指の大都会が広がるなんて、なかなか想像できないだろう

 

ベネルクス三国という言葉の響きが好きです。EUの起源といわれて、わからなかったが、話を聞いていくとたしかに縮図のようなものだなと思った。写真を見ていると行きたくなってきたので、お金貯めます。
ベネルクスがEUのモデルだということを初めて知った。地理のテスト範囲で、ECを最初につくったときの6ヵ国に、ベルギー、オランダ、ルクセンブルクが入っていて、この授業を受ける前はなぜこの3ヵ国が含まれているのだろうと思っていたが、疑問が解決した。

ベネルクスという響きは耳にしたことがあるような気がするけど、何かパッと思いつくものがなくて、ヨーロッパには他にもっと名の知れた国があるのに今回取り上げる意味はなんだろうと思いました。そうしたら、ベネルクスと聞いただけだと何も思いつかないのに、意外と身近なものと関係がありました。ベネルクスのように、あまり知られていないけど、いまの国際社会の形成に重要な役割を果たしていたり、関係したりする国がまだまだあるんだろうなと思い、もっと知りたくなりました。
・・・> レビュー主さんはスキー選手だと思うのだけど、世代が全然違うからご存じではないですかね。私が中高生だったころのアルペン競技のスーパースターに、マーク・ジラルデリという人がいました。国籍はルクセンブルク。私がルクセンブルクの国名を強く意識したのはジラルデリによるところが大きかった。雪がほとんど降らず、山岳もなさそうなのになぜアルペン?と思ったのですが、もともとオーストリア人で、ゆえあって母国を追われ、有力な選手がいないから代表になれるよと勧誘したルクセンブルクに国籍変更したのでした。スーパー大回転が種目として採用されたころの選手で、カッコよかったなああ。スイスのツルブリッゲンと実力・人気が二分されていたのですが私は断然ジラルデリ派でした。(それにしても平成初期までの日本のテレビはまともでした。「日本選手」ばかり映すのではなく世界の一流プレイヤーのすごい技術を見せることに注力していました。そうでなければジャンプ中継ばっかりになっていて、私にはつまらなかったと思う)

経済的利得を求めてベネルクス三国が協力し合ってまとまり、EUのモデルになったことを知って、世界の大きな組織の本元を学びたいと思った。
あまり知らない三国の話でしたが、歴史・経済・文化などを知ることができて、とてもおもしろかったです。一見、共通点のない三国が結束したのがもとになって、もっと大きなEUができたのを見ると、この地域は国際関係において参考になると思いました。

過去の産業の発展が今も尾を引くということが、ベネルクス三国の現在でのEUの立ち位置やGDPなどに顕著に表れていて興味深い。しかしその裏には、ベルギーのアンフェアなカカオ取引や過去に戦争で大きなダメージを受けたことがあるなどのことがあり、そこから立ち直るためには経済力があるということが大事なのだなと思った。

共通点がほとんどないベネルクス。「まとまらないとやってらんないから、まとまってやる」を初めてやった場所。ベネルクス→ECEU。「平和な世界」の出発点はベネルクスにあった。お酒が飲めるようになったら、ヨーロッパのお酒を調べて、欧州飲酒旅行してみたいです。

 
ベルギー ブリュッセル市内

 

3つの国は、同じ国だったこともあるのに、それぞれの国ごとにアイデンティティをもっているのがおもしろいと思った。小さい国だからこそ協力が必要だったのがわかった。

ベネルクス三国のような共同体をつくっている国々は世界に他にもありますか。
・・・> ベネルクス三国(だけ)の共同体というのは、いまはもうなくて、EUに包摂されています。主権国家が寄り合って、政府機関や法律までつくってしまうというのはEUだけですが、各地にユニークで興味深い国家同盟があります。中でも有力なのは東南アジア諸国連合(ASEAN)でしょう。ASEANEUをモデルにしつつも、それとは異なる形態や制度を模索しています。歴史や文化、社会状況が異なるから当然で、こちらも学びがいがありますよ。

ベネルクス三国は、それぞれかなり違うのに、同じ共通に遭った経験からスタートし、のちにEUのモデルになったと学びましたが、国と国が隣接するからこそなのかなと考えました。島国が多いアジア諸国や南太平洋諸国、カリブ海の国々は、それぞれが独立していて、仲間意識をもつことがあまりないように思いました。
・・・> ASEANについては1つ上で述べています。カリブ海の国々は、カリブ共同体(Caribbean Community)を結成し、こちらも種々の困難はありますが堅実に歩みを進めています。

プロテスタントの国が経済的に成功した理由が、商業を受け入れる姿勢を見せたからというのに納得しました。

日本に被爆国という意識があるように、歴史的背景によってベネルクス三国の運命共同体意識が芽生えたのだと思った。
・・・> 歴史的背景によって運命共同体の意識が芽生え、いまも持続している典型例が、バルト三国Baltic States)です。リトアニアとラトヴィアは歴史と宗派が異なるが言語が近接し、ラトヴィアとエストニアは歴史と宗派が重なるが言語がまるで違い、しかしロシア帝国に併呑されてから同じ運命を歩みはじめました。ロシア革命のあと、社会主義の波及を恐れる英仏などによって、緩衝地帯になることが期待されて三国が独立。しかしいずれも国家運営の経験がないため世界恐慌に瀕して国内が動揺・分裂し、そこをソ連につけ込まれて、1940年に強引に接収されました。私が社会科を習っていたころには、三国は「ソ連」の一部でした。ゴルバチョフがソ連の指導者になり、民主化や情報公開を進めると、バルト三国にも自立の動きが出てきます。1989年、長く禁止ないし抑圧されてきた民族歌をみんなで歌おうという合唱ブームが起こり、その歌の威力が三国をつなぎ、さらには1939年の独ソ秘密協定(この密約によりバルト三国のソ連接収が決まった)から50周年の節目ということで「歴史を問いなおせ!」というムーヴメントになり、ついにはリトアニアからエストニアまで約600kmを人間の鎖でつなぐ「バルトの道」(the Baltic Way)が起こって世界に発信されました。モスクワ側はどうにかこれをつぶそうとしましたが、世界中が注視している中なので無茶はできず(その直前に中国の天安門事件があり、教訓になっていた)、ついには1991年、ソ連崩壊に先立ってリトアニア、ラトヴィア、エストニアの主権国家化が実現しました。民族歌の合唱からはじまった動きなので、この変革を歌う革命Singing Revolution)と呼びます。いまロシアの問題が切実になってきて、バルト三国の動向やその結束があらためて注目されています。

オランダでは麻薬が合法であるというのは知っていたが、コーヒーショップという名の店で売られているというのは、間違えて入ってしまいそうで怖いと思った。

オランダはリベラルな国であるが、自由の尊重には制限があり、国の秩序を守るためにどこまでが許されているのかといった境界線を知りたい。
オランダのリベラルな政策や方針を知り、自由と一概にいっても好き勝手にできて楽、というわけではないことを再確認した。

いままでベネルクス三国に注目したことはなかったけど、授業を聞いておもしろかった。三国が一致団結してさまざまな情勢を耐え抜いてきているということだったが、宗教などあまり共通点がないのに分裂せず仲がよいというのがすごいと思った。オランダにイスラームの人口が増えているのはなぜか、疑問に思った。
・・・> 欧州全体でイスラームの人口が増えています。近いですからね。キリスト教圏とイスラーム圏の政治的・経済的な力関係は20世紀に入ると完全に前者優勢になり、中東は欧米列強の草刈り場みたいになりかけました。短期・長期の労働力として、多くの人が欧州に向かいましたし、いまもその流れはつづいています。

  
ベネルクスは乗り物マニアにとってのパラダイス! 一日乗車券を買ってトラム(路面電車)に乗ると、地下鉄と異なり景色を見られてうれしい
(左)オランダ ロッテルダム  (中)オランダ デン・ハーグ  (右)ベルギー ブリュッセル(地下を走るトラムを欧州ではプレメトロと呼ぶ)

 

写真をたくさん載せてくださって、とても行きたくなりました。
今回の授業内容は、観光的なものが多くてヨーロッパに行きたくなるようなものでしたが、ヨーロッパのよい面だけでなく悪い面や闇?情報などはありますか。
・・・> あるある。ネットでちょっと掘れば欧州の悪い話なんて、いまどきは山ほど出てきます。だから私は欧州推しとして魅力的な情報を発信することに努めているのです(半分以上まぢ)。

オランダとベルギーに行ってみたいとずっと思っていたのですが、今回でさらに行きたくなりました。12月ころに友達とヨーロッパにサッカー旅行に行く予定ですが、絶対に行ったほうがいいおすすめってありますか?
・・・> 絶対に行ってはいけないところならば助言できるな。サッカーファンが集まるようなパブや酒場には近寄ってはいけない。興味あるだろうけど、未成年の日本人が入り込むと危険です。サッカーの現場にはやばい人たちがびっくりするくらい多くいます。「同じ趣味だから」なんて安易に思わないように。武器や薬物をもっている場合もありますからね。

ヨーロッパにいままで行ったことがなく、パリやロンドンにももちろん行きたいですが、先生の写真を見て、ブリュッセルにも行ってみたくなりました!!

ベネルクス三国がまとまらないといけない!ってなったのはわかったが、なぜEUの範囲にまで広がったのかわからなかった。
・・・> 11月の授業をお楽しみに。ていうか、「まとまらないといけない!」と思ったんじゃないですかね。社会科ではしばしば相似形の考え方を使います。ちょっと考えてみましょうよ。

 

 


開講にあたって

人文社会科学特論は高大接続に主眼を置く選択必修科目で、附属高校ならではの設定といえます。この現代社会論(2016年度以降は2クラス編成)は、文系学部への進学をめざす3年生を対象に、特定の学問分野というよりも社会全般、文系全般を視野に入れるような広域的・学際的な学びに取り組むものとして設定され、2006年度の開講よりずっと私が担当しています。「教科」としては公民に属しますが、そこに内包される現代社会(2022年度入学生以降は「公共」)、倫理、政治・経済はもちろんのこと、地理歴史科に属する各分野、そして国語、英語、芸術、家庭、保健体育、情報、理科あたりも視野に入れています。もともと人間とか社会にボーダーはなく、わかりやすくするためにラインを仮設しているにすぎません。つながりや広がりを面倒くさがらずに探究することで、文系の学びのおもしろさを体感していただければと願っています。

当科目は毎年、内容とサブタイトルを変えています。2023年度は「グローバル思考へのネクスト・ステップ」です。この現代社会論IIでは、一貫してグローバル・サイズの問題を扱ってきましたが、実はこのところ「グローバル」という表現の陳腐化が指摘され、また2010年代半ばあたりから「グローバル化」の潮目が変わってきたとも考えられています。2020年以来のパンデミックは、その潮目に重なって、今後の世界のありように大きな意味をもつものではないかと考えられるのです。それもありますので副題から外すことも考えたのですが、文系の生徒・学生がthink globally (地球サイズで考える)ことの意味自体が減退することはありませんし、むしろ以前のような「グローバル熱」に浮かされるような安直さを戒める意味もあって、あえて残しました。ただ、私自身の問題意識も含めて、次のフェーズ(段階)のあり方をよりリアルに考えるべきだという観点から、ネクスト・ステップという表現を組み入れています。中学校の社会科、高等学校の公民科および地理歴史科は、「世界」「国際」ということをふんだんに盛り込んでありますし、教科書にも詳しい記載があります。しかし実際には、歴史も地理も公民も「日本のついで」に国際的なことをちらちら学ぶ程度に終わることが大半です。日本国内の問題やテーマを扱う際の調査方法や思考のプロセスがそのまま当てはまるのであればよいのですが、外国そして世界のことを学ぶ際には、それらとは別の方法やプロセスが必要になります。ある程度の道具を携えていなければ、何もはじまりません。よくわからない感覚のままニュースだけを見て、「理解できん」といってその先の思考を停めてしまっては、もったいないですし文系失格です。当科目では、国際社会の見方とそのルールをまず押さえて、それをもとに世界各地あるいは地球全体の動向を考察するというかたちで、議論を進めます。おそらく、みなさんが小・中・高で学んできた社会系教科・科目の中では最もスケールが大きな内容になるかと思います。恐れるのではなく、楽しんでほしい。

社会科・公民科・地理歴史科では、とにかく用語や概念を「おぼえる」という作業に終始するクセのついている人が多いのではないでしょうか。当科目においては、その構えを完全に捨ててください。社会系で「おぼえる」という場合、事象、地名、人名、出来事、法律、専門的な概念などになります。なぜ「おぼえる」構えを突き放すのかというと、あと5年、10年もすれば「おぼえ」た内容などまったく変わってしまう可能性があるからです。歴史的なことはまだしも、現代の社会情勢など暗記するそばから変化します。海外の話題は、なじみの薄い(ない)固有名詞がたくさん出てきて、それだけで混乱します。別に混乱してもよいではないですか。試験用におぼえる必要がないのであれば、「いろいろあって大変だ」と、平然と構えていればよいのです。そうしているうちに、要点が向こうのほうからまとまって見えてきます。それはまた、大学進学後にも有益で有用な構えになっていくことでしょう。

*地理の授業で使用した地図帳を毎回、持参してください。別種類のものを買い足してもよいと思います(違った視点を得られるかもしれない)。

 

 

 

講義サポート トップ