古賀毅の講義サポート 2025-2026

Études sur la société contemporaine II: Réflexion et apprentissage mondiaux ou ‘global’ pour le futur proche

現代社会論IIグローバル思考と近未来の世界への学び


早稲田大学本庄高等学院3年(選択科目)
金曜34限(11:20-13:10) 教室棟95号館 S205教室

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現代社会論I:近未来の社会を(に)生きる構想と探究

 

20251011月の授業予定
10
3日 視点としてのフランス:問いなおされる共和国の原理
10
10日 視点としてのドイツ:十字架を負い、欧州を牽引する
10
17日 商品作物と垂直分業とグローバル・チェーン:新・南北問題と私たちの消費生活
11
7日 グローバル時代の欧州(1):欧州統合の原理と論理
11
21日 グローバル時代の欧州(2):新時代の挑戦と試練

 


次回は・・・
20-
グローバル時代の欧州(2):新時代の挑戦と試練

マーストリヒト条約の締結で欧州統合が本格化したのが1992年のことで、たまたま私はその年に大学院に入学し、研究生活を開始しています。いってみれば欧州統合の進展や屈折を横目で見ながら、そこにおける学校教育問題を研究してきたことになります。長く欧州統合と伴走してきた者として、日本でこのところ報じられている情勢分析の浅さとか表面的な捉え方には、首をひねらざるをえない部分があります。研究レベルではまだよいとしても、報道だとどうしても目立つところだけになってしまい、しかも多くの読者は日本語でしか読みませんので(おそらく現地の言語で報じられているものをAI翻訳することすらしない)、表面的で断片的な情報を貼り合わせるだけで、なぜか「結論」を出してしまうということが、よくあるようです。その結論というのは概して「欧州統合はうまくいかない」というものです。高校生や大学生の反応も似たような感じかもしれません。考えてほしいのは、「うまくいかない」ときに、軌道修正や方針転換を図るのではなく、まるまる「なかったことにする」というような「結論」にしていないか、という点です。「やっぱり無理だと思います」といいっぱなしで終わるコメントが結構多くて、そこには昨今の思考停止状況とか、あきらめの早さとか、0100かという二分法的な思考もあるのかもしれません。私としても欧州統合が真っ当で順調なものだと考えているわけではなく、副題にあるような「試練」の時期を過ごしているというふうに捉えています。でも、農業・食料政策とかエネルギー政策、あるいは目下の大問題であるウクライナの件にしても、個々の主権国家のレベルでどうにかなるものではないというのは明らかで、試練の時期にかかってからのほうが欧州連合(EU)として取り組むケースが増えているのです。他方で、2016年に英国の国民投票でEUからの離脱が決まり、その後の離脱に関する交渉のプロセスなどは、大きなダメージを(EU機構だけでなく住民にも)もたらしています。外野の私たちとしては、そこも含めて実見していくべきなのでしょう。

ブレグジットのあった2010年代は、試練というより逆風にさらされた時期でもありました。英国の問題を別にすれば、ギリシアに端を発する金融危機、中東の異変を直接の契機とした難民の流入(以前に学んだように、難民と移民はまったく異なるのですが、あえてそこを混線させることで「外から来た人」全般に対する排他意識を盛り上げる動きがありました)、トランプの合衆国やプーチンのロシアといった、それまでの常識では対処できない巨大国家との向き合い方、ホーム・グローン・テロリズムなどの問題が、欧州全体を大きく揺るがしています。よくよく考えてみると、そうした危機や困難というのは、統合とは無縁の日本などの主権国家にも同様にふりかかっています。国家単体で、あるいは提携・同盟関係を結ぶ特定の国家との信頼関係のもとで取り組むほうがよいのか、欧州のように超国家的な枠組を設けるほうが効果的なのか、という点も考えるべきポイントかもしれません。とはいえ、欧州が欧州としてまとまることができるのは、主に歴史的に生成された欧州としての観念によるものであり、他の大地域にそのまま適用できるものではありません。強いてあげれば、性質や経緯は異なるが、東南アジア諸国連合(ASEAN)が、今後の展開によってはEUとは異なったかたちでの統合を進めていくことになりそうです。

欧州のことが好きでも嫌いでも、統合の理念や現在の動きを支持してもしなくても、そこは私たちにとって貴重な実験(見)場でありつづけます。科目名にある「現代社会」とはグローバル世界という面を強くもっている、という見立てのもとでこの現代社会論IIを進めてきました。実質的に最後のテーマとして欧州統合をもってきているのは、一つには、理論編とエリア編のいろいろな考察の経験を積まなければ、欧州統合の理念や実態はおろかそのしくみや論点自体を汲み取ることが困難であるため、2学期の最後にしたということであり、いま一つは、この単元をさらなる足場として、変わりゆく現代世界を見る「目」を自身の中で再設定してもらいたいという願いがあるためです。当たり前のことですが、2025年のいま私たちが見ている社会・世界の姿が最終形態であるわけではなく、「現代社会」はこの先もずっと形を変えながらつづいていきます。みなさんの知識や見方も、そのつど更新・上書きされていきます。単純な思い込みや一面的な理解に陥らないというのは、社会科学の入口において重要な態度ですけれども、現代の欧州の考察は、そのことを明確に示してくれるのではないでしょうか。



REVIEW 11/7

EU法という、国際法であるのに国家ではなく個人を規定する国際法を結ぶ、という発想が非常におもしろく感じられ、たしかにこれならさらに上位の存在が必要になったときにとても便利なものであると思った。「対等」であるとは、よいことのように思えるかもしれないが、そこで争いが起きてしまったときに頼ることができるEUの存在は、今後さらに国どうしのつながりが密になっていくような国際社会において、何か問題が起こったときの鍵になるような気がした。日本もEUのような連合を組む日が来るのかどうか、それがベストなのかはわからないが、EUの動向には今後も注目していきたい。

EU法が「国際法でありながら個人を直接拘束する」という点は、私にとって新鮮な内容であり、国際法の伝統的な枠組を越える特徴であると思った。一般に、国際法は国家間の関係を規律するもので、個人に直接効力を及ぼすことはほとんどな。しかしEU法は加盟国だけでなくその国に住む「個人」にも直接適用され、権利や義務を与えられているというのは、画期的なしくみであると感じた。

今回EUについて学び、知らないことが多くありました。とくに主権国家が集まっているため統制を取る機関がなにかしらあるのだろうと思っていましたが、上院と下院のような存在があることに興味をもちました。しっかりと国家のようなしくみや組織があるのだと思いました。またEU法は個人に対して法的拘束力があるとわかったのですが、実際にどのような場面で適用されるのか気になりました。組織としてきちんとしくみがあり、少し難しかったので、気になったところは調べようと思います。
EUは欧州の多くの国々が集まっている連盟であり、貿易、移動上のためのものだと思っていた。EUにはEU法という法があり、首相に値する人も存在していて、国家がもつべき要素をもっている、ほぼ国家であると思った。またユーロは加盟国のどこでも使用していると思っていたが、実際は各国が採用するかどうかを決められると知り、小・中学校で学ぶ知識は浅いと感じた。EUは欧州の国家が集まる連合体だが、他の連合体とは違う特別なものだということがいままでよりはわかったが、あまり触れたことのない概念であり、捉えづらい部分もあったため、もう少し調べてみたいと思う。

EUが単なる国家間の協力機構ではなく、国家の外にある国家として機能していることがわかった。立法府(二院制)や行政府(内閣)、欧州理事会常任議長など、主権国家の主要機能をほぼ網羅している。またシェンゲン協定による国境審査の廃止や共通通貨ユーロなど、生活レベルでの統合も進んでいることを実感できた。

欧州連合は国家の外にある国家であり、主権国家でいう憲法、国家元首、立法府、行政府、司法府などに対応するような役割のものが欧州連合にもあり、またシェンゲン圏の中にいるかぎりはチェックなしで国をまたぐことができ、EUは一つの国みたいな扱いだなと思いました。共通通貨ユーロの硬貨のデザインは国によって異なり、どの国のコインが来るかわからないというのはおもしろいなと思いました。

欧州議会が立法、欧州委員会が行政、欧州司法裁判所が司法であるとみなすと、EUという国境を越えた一つの国家が出来上がっているのだと感じられた。

グローバル化が進む中で、ヨーロッパがどのように統合を進めてきたのか、その背景と目的を学んだ。第二次世界大戦後の平和と安定をめざして生まれたEUの成り立ちや、経済・政治の両面からの統合のしくみが印象的だった。国境を越えた協力や共通の価値観を重視する姿勢が、ヨーロッパの強みであり課題でもあると思った。イギリスのEU離脱から、統合には利点だけでなく各国の立場や意見の違いが大きく影響することがわかった。統合と多様性尊重とのバランスが難しいとわかった。
今回の授業で、戦争を繰り返したヨーロッパが主権という壁を越えてEUを築いたことを理解した。国家という存在の上にEU法を置き、ユーロやシェンゲン協定によって人や経済の移動を統合した点に、その革新性を見ることができると考えた。しかし移民問題等を見てわかるように、多様性の中の統合は、常に衝突を伴うとも考えた。

EUという言葉自体は知っていましたが、先生がおっしゃっていたようにEUとは何なのかということについてはまったく理解しておらず、視野の狭さを痛感しました。また今回の授業から、EUはひとつの大きなまとまりであるという印象を強くもちました。とくにEU法という、国際法であるにもかかわらず個人を規定する法があることや、国籍がどこであっても現在住んでいる場所の選挙権をもっていること、国境を越えているという感覚が私たちが県境や市境をまたぐような感覚と似ていることなど、不思議に思いました。シェンゲン圏内の自由な人やモノの行き来なども踏まえて、以前EUに抱いていた印象よりも、国家同士のつながりが深い連合であるのだという印象に変わりました。ヨーロッパにいつか行ってみたいとあらためて強く感じました。

 
オランダ鉄道マーストリヒト駅 マーストリヒトはEU発祥の町だが、オランダ・ドイツ・ベルギー・ルクセンブルクの
国境に近く、統合を推進するうえでシンボリックな結節点になりうるとして条約締結地に選ばれた
19
年前、私はドイツのアーヘン(カール1世の旧都)に滞在していて、カメラ以外の荷物をホテルに預けたまま
手ぶらで各駅停車に乗り、国境を越えて「隣国」のマーストリヒトを訪れた(このころはまだ国境越えにわくわくしていた 笑)

 

EUはまるで一つの国家のように機能していることを知り、EU内での大きな軋轢はあまり生じていないようで、率直に平和だなと思った。またマジョリティ・マイノリティが、EUを分母として見ると存在しないことを知って、差別などの観点からも、EUはやはり世界の見本となるべき存在なのだと思った。

欧州連合は、従来の主権国家のようなものとは一味ちがう壮大な社会実験だと思った。多くの言語や文化という多様性を掲げ、EU法、ユーロ、共通議会など、国家を内包する国家といえるしくみを築いたのは驚異的だった。グローバル化が進む現代において、未来のモデルになりそうで、学ぶところが多い。

EUは、いままでの認識だとBRICsなどの国グループのようなものだと思っていたが、実際はそれよりもはるかに一つの国のような立ち振る舞いをしていて驚いた。シェンゲン圏でパスポート・コントロールがないという話は理解していたつもりだったが、国をまたぐときに何かしら記録があるものだと勘違いしていた。以前、ヨーロッパの国々をめぐってトラック配達をするというゲームをプレイしていたとき、審査のようなものが一つもなかったため、イメージしやすくなった。
・・・> なにそのゲーム楽しそう(笑)。BRICs(最近は南アフリカを含めてBRICSと書くことが増えました)というのは、国家グループというよりは、メディアや論者が勝手に括ったものです。それらの国家間に公式のつながりや同盟関係などがあるわけではありません。四大ドラッグストア・グループ(ウェルシア、マツキヨココカラ、スギ、コスモス)とか、日東駒専(日本大学、東洋大学、駒澤大学、専修大学)とか、世界三大がっかり(マーライオン、小便小僧、人魚姫)といった括り方、名づけ方とさほど変わらないのですね。EUほど強固な結びつきでなくても、ASEAN(東南アジア諸国連合)やAU(アフリカ連合)といった地域共同体、あるいはAPEC(アジア太平洋経済協力)やCPTPP(新・環太平洋パートナー協定)といった国家間協定などは、当該国の政府がオフィシャルに締約するものです。BRICSやグローバル・サウスといったものとは大きく異なりますね。

EUとシェンゲン圏とユーロ圏の範囲がよくわかりませんでした。EU⊃ユーロ圏だとは思うのですが、シェンゲン圏≒ユーロ圏なのですか?
・・・> これは次回示します(地図帳で読み取れると思いますが)。残念ながらEUユーロ圏ではありません。シェンゲン圏とユーロ圏も一致しません。なぜそんな複雑なことになるのかというと、EU自体が趣旨と締約国の異なる複数の国際法(条約)によって構築されているためです。

国どうしの結びつきは国全体でするものだと勝手に思っていたが、国の一部が加入(キプロスは下半分がEUに加入)ということもあるとわかった。
・・・> いや、これは少し勘違いがあるようですよ(話しことばはともかくとして「下」って書かないでくださいね 笑)。キプロスは分断国家で、半分を実効統治するキプロス共和国は、北も含めて同国の領域だと主張しており、EU加盟はあくまでキプロス島全域という建前になっています。けれども実際には、北キプロス・トルコ共和国(未承認国家)の統治する範囲があるわけなので、EUは「共通政策ならびにEU法の適用は当面、南半分のみとする」という方針を明示しています。ただ国家の領域の全範囲がEUに加盟しなければならないのかというと、また微妙な例があります。デンマークは1973年に加盟した古参ですけれども、同国が主権を有するフェロー諸島とグリーンランド(地図帳で確認してください)は、いずれもEUに加盟していないことになっています。フェロー諸島とグリーンランドは、それぞれ独自の法と議会をもつ国家内国家ではありますが、いわゆる植民地ともいいがたく、そこは除外するという考え方は便宜的なものかもしれません。現実的な話としては、共通漁業政策の国別割り当てを課されると両の産業が立ち行かなくなるという問題があるようです。しかし今年に入って、その矛盾を衝かれてグリーンランドとデンマークが危機にさらされています。アメリカのトランプ大統領が、グリーンランドは合衆国の領土になるべきだと公言(放言)して、ぐいぐい押してきました。デンマーク本土とは別の国家であるという建前が逆用されたかたちです。グリーンランド国民のマジョリティは現状維持を望んでいるようですが。

 
(左)デンマークの首都コペンハーゲンの市内 デンマークは統合条約に抵抗したため、推進側はかなり譲歩することになった
ナチス・ドイツに不法に国境侵犯され国土を制圧された歴史の記憶が、主権国家へのこだわりをもたらしたものと考えられる いまもユーロを採択していない
(右)デンマークとスウェーデンは両国ともEU加盟国でシェンゲン圏 国境のエーレスンド海峡は長大な橋梁(道路+鉄道)で結ばれている
写真手前側のスウェーデン マルメに滞在したのだが、帰りはもちろんこの橋を渡って20分ほどのコペンハーゲン空港を利用した

 

今回は欧州連合の歴史やしくみを中心に、多様性を尊重するヨーロッパの「光の側面」について見ていった。授業を受けて、EUのめずらしさ(国境をなくすほどのグローバル化や立法府・行政府のあり方など)にあらためて気づかされた。リール・ウロプ駅での「列車内は英国領内」ということが、最近修学旅行で初めて飛行機に乗った際の体験と重なるものがあり、理解が容易になったのを感じた。
・・・> ロンドン・パリ間を走る国際特急ユーロスターの例と、レビュー主が経験された国際線航空便との微妙な違いを申します。台湾便や韓国便にかぎらず、国際線航空便では、(1)出発地の空港で出国審査と保安検査を受ける(順序は空港による) (2)搭乗する・フライトする (3)到着地の空港で入国審査を受ける という手順があります。そのとき(1)を終えたあと(3)の手前までは、陸地(空港内)にいるときも含めて、税法上は一応「どこの国でもない」というテイになります。搭乗券を示せば免税で物品を購入できるのはそのためで、最近は到着地の入国審査前のエリアにも免税売店を置くところが増えました。これに対してユーロスターは、(1)(3)を連続して同一地点でおこないます。パリ→ロンドンのときは、パリ北駅の階上フロアで(1)(3)をおこないます(両ゲートの距離は数メートル)。授業でお見せしたリール・ウロプ駅も同様です。このためホームや列車はもうフランスではなく、英国領内と同じ気分になります。航空便で「どこの国でもない」というのとの違いですね。英国は出国審査をおこなわない変わった?国家なので、ロンドンのセント・パンクラス・インターナショナル駅では、まず保安検査を受けて、その先にフランス側の入国審査を受けます。そこを抜けると、フランス領内と同じようなテイになります。なんでそうなのかは存じませんが、そんなものだと思っておいてください。私も何度か利用したことがあるのですが、そのころはまだ英国がEU加盟国でした。それでも英国はかたくなにシェンゲン圏入りを拒んでいたため、さような措置が取られていたのです。一方で英国とアイルランド共和国は、航空であれ鉄道や道路(北アイルランド〜アイルランド)であれ、両国間に関するかぎりは国境フリーで「国内線扱い」。中華人民共和国と香港とマカオは、主権のレベルでは同一国家とされますけれども、どこからどこに越境する際にも出入国(境)審査を受ける必要があります。

EU27ヵ国で構成されているというのは知っていたが、総人口や総面積を見るとその規模の大きさに驚いた。英語は公用語の一つではあるが、イギリス脱退以降、英語を公用語として使う国がほとんどないのも確かだなと思った。島国の日本では、国境を越える=飛行機に乗るという場合がほとんどだが、欧州では当たり前に鉄道でもつながっているし、パスポートすら使わずに入国することができる。欧州ではないが、ナイアガラの滝を見に行ったとき、外を歩いてパスポートを出してカナダに入国できたことに、とても違和感をもったので、欧州でも同じような経験をしてみたい。私が生まれたあとで加盟した国もあるし、これから加盟する国もあるかもしれないから、距離は遠くても身近な情勢として覚えておきたいと思った。
・・・> アメリカ合衆国とカナダは、世界最長の陸上国境をはさんで接続しています。世界的観光地であるナイアガラ瀑布は、それ自体が国境の一部になっていますね。米加両国の国境は、屋外でチェックがあったことに驚いたかもしれませんが基本的にチェック(出入国審査)を要します。欧州のシェンゲン圏はそれすらないというのが特徴。私は航空便以外で国境越えしてみようという誘惑?に弱くて、シェンゲン圏の陸上国境を鉄道やバスで越える以外にも、何度か変化球をやっています。とくに船で国境越えしたのが過去5回(うち2回は同一区間の1往復)。オーストリア→スロヴァキア、エストニア→フィンランド、香港→マカオ、日本(福岡)→韓国(釜山)の往復。

G77ヵ国なのではなく、EUも加わっていて9人だというのは初めて知りました。
・・・> いやいや、G7は文字どおり7ヵ国です。途中で数詞が変わってしまっています! 話題に挙げたのはG7サミット(主要国首脳会議)に参加する正規メンバーが、7ヵ国の7人だけではなくて、7ヵ国1組織の計9人(合衆国とフランスの大統領、英国・フランス・イタリア・カナダ・日本の首相、欧州理事会常任議長、欧州委員会委員長)であるということです。わかるでしょうか?

国際司法裁判所は、紛争当事国すべての同意がないと裁判をはじめられないとのことだったが、それだと違反した国が同意しない場合は裁くことができない。こうした前提のもとで国際法の実効性はどのようにして確保されるべきなのだろうか。
・・・> 「違反した」というところからして、当該国の主張が食い違ってしまうと、もうどうにも処理できませんからね。国際法は国家を規律するのみである、というクラシックな考え方も、このごろはかなりとろけてきて、解釈を拡張させる傾向にあります。国際関係論や国際政治などを学ぶ人は、そうした動向と、そこにおける法の論理ということを丁寧に学んでおく必要があります。


欧州司法裁判所(ルクセンブルク)

 

ECSCEURATOMEECEUのもとになったというのは知っていたが、なぜその3つだったのかは知らなかった。当時の背景との結びつきを知り、とてもおもしろいと思った。

資源の奪い合いが戦争の原因になるので、それを共有するということは非常に合理的な判断であり、争いのない社会のためには不可欠である。では地球規模でそれは可能だろうか。たとえば石油を共有するとする。日本など産油国以外の国は納得するだろうが、産油国は貴重な収入源を失うので合意しないだろう。
・・・> ではなぜ西ドイツがECSCの原則をすんなり受け入れたのか。2回前の授業(視点としてのドイツ)を振り返っていただくと、理解できると思います。言い換えれば、1950年代のあの時期に(冷戦が最もハードになっていく局面であり、スターリンも存命中だった)、重要資源や原子力の共有を図ろうという問題提起をよくできたものだなと思う。あの時期でなければ無理だったでしょうし、しかしあの時期のハードさを思えば提案自体が奇蹟的でした。モネやシューマンのすごいところです。

欧州各国の規模感が、私がもともと思っていたより小さかった。だからこそEUとしてつながり、アメリカなどの他国に対抗しているというのが腑に落ちた。もともとフランスやドイツが手を組んだら世界の均衡がおかしくなっちゃうのでは?と思っていたが、今回の授業で思い過ごしだということがわかった。

欧州連合は国家の上の存在であり、首脳や中央銀行も存在する、完成された集まりだと思った。欧州議会が国別ではなく政党で分けられていることにも驚いた。EU圏ならばパスポートも要らないし、貨幣もある程度は統一されているが、コインのデザインだけ国によって違いがあるのがおもしろいと思った。

ウェストファリア条約で主権国家より上の存在をなくした欧州が、EUEC)で一つの大きな存在をつくったことに、いざ自分が弱くなるとグレーな方法でなんとかしようとする小物感を覚えた。EUEC)結成に、欧州の植民地減少が影響しているかなと思った。EUによるセルビアへの圧迫によって、コソヴォははたして今後独立できるのかと思った。
・・・> ECやその前身であるECSCEURATOMEECの結成に、植民地減少が与えた影響というのは、それなりにあろうと思います。といってもフランスと英国だけですけどね。むしろ二度の世界大戦を経て合衆国があまりに大きくなり、西欧まるごと束になっても伍しえない相手になってしまったことと、冷戦というハードな状況(目の前は軍事的な敵)がECにつながった面が大きいといえそうです。コソヴォは、すでにセルビアの手を離れています。国連安保理常任理事国のうち中国とロシアの承認を得ていないためいまも未承認国家の扱いではありますが、現実の状態として「セルビアではない」ことは確か。EUは、いわば身元保証人のようなかたちで、コソヴォの完全なる主権国家化をバックアップしています。

国によって入国審査の厳しさに若干の差があるのがおもしろいと思った。

資料から、欧州連合では国どうしが仲よくし、グローバルな時代を生き抜くために主権国家の限界を超えようとして協力関係をつくっていることがわかった。EUは国境をなくすシェンゲン協定や共通の通貨であるユーロなど、まるで国家の外にある国であるような特別な枠組をつくっている。たくさんの言語や文化を宝物であると捉え、「多様性の中の統合」というルールがあることもわかった。EUはこれからのグローバル社会で非常に大きな役割を果たすはずであるので、これからもその学びを深めたい。質問ですが、シェンゲン協定によって犯罪者を捕まえるのが難しくなりそうです。デメリットはありますか?
欧州へ行ったことがないので、日本で県境をまたぐのと同じような感覚で国境を越えられるというのは、異なる雰囲気を手軽に感じられて、よいと思いました。EU加盟国内では飛行機の移動にパスポートは要らない、フランスとイタリアに行ったのにフランスとドイツのスタンプが押され、イタリアにいたという事実がパスポート上に残らないという話がありました。たしかに人々が行き来しやすくはなりましたが、たとえばコロナが流行したときに入国制限的なものはできたのか、またもし逃亡中の犯罪者がいたらその人に有利になってしまうのではないか。対策があるのでしょうから、それも知りたいと思いました。
・・・> パスポート・コントロールがないということであり、パスポートの携行は必須ですよ。バルト三国の国境をバスで越えたときには、正式のコントロール(出入国印を押す)はなかったけれど検査官による目視でのチェックはおこなわれていました。コロナのときは臨時措置として国境が閉ざされ、各国単位で対策がとられました。ただ国境の再開放が他地域より早かったのも欧州でした。犯罪者の逃亡の話は次回に。

 
欧州のターミナル駅の行先案内板は、しれっと外国の地名が入っていておもしろい 見つけられるでしょうか?
(左)フランス パリ東駅  (右)チェコ プラハ本駅

 

EUにはさまざまな言語があるが、それぞれの言語がすべて対等であるというのが興味深かった。

言語の翻訳は平和のための重要なコストであると定めるのは、素敵な考え方だと思った。言語に対してすごく気を遣っているのだと感じられた。

EUの公用語である24言語はすべて対等である、という話に共感した。現代日本では英語至上主義が強いので、どの言語を勉強するにしても「まずは英語を完璧にしてから」というような考え方が主流であり、外国語学習に対するハードルが無駄に高くなってしまっているように感じる。個人的には、母語話者数が多いためスペイン語を勉強してみたいと前々から思っているのだが、まだ英語をぺらぺら話せるわけではないから・・・ というしょうもない理由で断念しつづけていた。しかしEUでの話を聞いて勇気が出たので、スペイン語学習に取り組んでみたいとあらためて感じた。
・・・> いいことじゃないですか。スペイン語どんどん学びましょう。楽しそうです(私も大学12年生のとき第二外国語で学びましたが、モノになりませんでした 汗)。「まずは完璧にしてから」というのは、英語に限らず、いろいろな場面でいわれがちではあります。「まずは」という順序にしても、「完璧に」という程度にしても、考え方がおかしいですよね。母語の日本語が完璧なのか自問してもらいたいものです(笑)。また、外国の歴史や文化を学ぶべきだと思うがまずは自国の歴史や文化を完璧にして・・・ と言い出す人も結構います。いつになったら完璧になるのかね。外国を学びたくないことのエクスキューズ(言い訳)を立てているだけじゃないのかと思うことがあります。1学期に紹介しましたが、欧州は複言語主義plurilingualism)を採っています。母語+2言語。「まずは」なんていわず、母語も含めて同時に並行して学び、高めていこうとする考え方です。欧州言語は相互に似ているからというのはもちろんあるのだけれど、1つの言語だけを学ぶよりも「言語というもの」に対する感覚が養われるため、いずれの言語のレベルも上がります。母語の運用能力も高まります。ぺらぺら話せるように・・・ ということでいうと、私の英語やフランス語はかなりゴツゴツしていてお恥ずかしいかぎりですが、母語並みに流暢にという思想がよくないし、おもしろくない。以前より少しでも話せるようになればよいわけだし、少しでも通じれば楽しいし、有意義な情報や友人を得ることができます。間違えたって変な発音だってかまわないから、がんがん話せばいいと思う。そうしなければ上達しないし、外国語への苦手意識が収まりません。なお子ども時代を異言語圏で過ごすなどして、母語以外の言語へのハードルが低いという方も、受講生にはかなりいらっしゃいます。せっかく心理的なハードルが低いのだから、環境ではなく学習でイチから別の言語を学ぶというチャレンジを勧めたい。一つ一つの単語や文法を知っていくことのわくわく感は、言語を学ぶこと以外ではなかなか得られぬ快感です。

欧州は、EUを通して国境を越えやすくしたり、アメリカやアジアと経済的に対等に接したりできるようになったことがわかった。問題点としては、EU内のお金の動きに差が生まれてしまうと不平等と感じる人が増えてしまう点や、国ごとの文化が薄れ、統一されてしまう危険性がある点だと考えた。

ウェストファリア条約でそれよりも上位の存在がないという前提の主権国家を定めた欧州が、EUという枠組において、主権国家の枠を越えて個人を拘束するという新しいことを起こしている現実が興味深かった。上手に作用したところは全世界的にも拡大することができれば、国際的な取り組みなどもやりやすくなると考えた。

EU法、立法府、行政府など具体的な組織と歴史の解説から、欧州統合の論理が理解できた。次回の「やばい話」に期待が高まった。


ユーロポート(オランダ ロッテルダム) EU域内には欧州各国の共同利用のインフラが
いくつもあるが、中でも最大級なのが欧州港を意味するこのユーロポート
ライン川河口付近にあって欧州のハブ港湾となっている

 

EUは、主権国家という枠組や常識を超えた壮大な試みだと感じました。大国に対抗するという共通の目的はあるものの、かつて戦争を繰り返したり線上となったりした者どうしが共同体をつくって主権国家に近い活動をするというのは、なかなかなことだと思ったけれど、イギリスが離脱したように、ドイツ・フランス・イタリアのような国がEU法や移民の受け入れなどにおいて割を食って、反EU的な動きに走ることはないのだろうかと思いました。

アメリカや中国などの、国土的にも経済的にも大国であるところと対等に交渉するために結集し、経済・市場の統合を図ったはずなのに、いまでは実験場だと喩えられてしまっていることが、多言語・多民族・多国家のアイデンティティをまとめることの難しさを体現している。ユーロスターに乗った際、フランスの入国審査がかなり簡易的なもので、EUEU外の国という関係なのに大丈夫なのか、と思ったのを思い出した。ヨーロッパ発祥の地だからといってメンツのためにギリシアをEUに加盟させたのは、よい選択ではなかったのではないか。財政赤字を見抜けなかったせいでEUの他の国に影響が及び、統合のマイナス面が見えてしまった。
・・・> ギリシアの話はそのとおりだと思います。アテネ 歴史の坂道 の最後のところで主観まじりに解説していますのでどうぞ。

ドイツの回でもそうだったが、自分たちとは違う制度(先行している制度)の実験場として他国を観察すると、さまざまな発見があると思った。人のふり見てわが身をとはいわないが、自国内だけでなく他国の状況も追えるようになろうと思った。一つの事実にどれだけ意味をもたせられるか(何を思えるか)は、それまで積み上げた学習に依ると思うので、もっと学びたいと思う。せめて何が起きているのかの概要は把握できるようになりたい。

EUは国家に存在している組織が当たり前にあって、EUに勤める官僚が国家の官僚より格上であるなど、EUの位置を知ることができておもしろかった。協力しなければ世界と並べない境遇にあった欧州だから、マジョリティを生まない、多様性を尊重する価値観が生まれたのだと思った。ただ、他の選択授業でEUの闇のような部分も学んでいて、これだけがすべての姿なのだとは思い込みすぎないようにするべきだとあらためて感じた。

これまでフランスとドイツのグローバル化や、グローバル世界での宗教・歴史・生活などを学んできたうえで、今回欧州のグローバル化を学び、EUとしての想像以上のまとまりに驚かされました。先日、修学旅行で台湾に行き、初めての海外を体験することで、海外に対する不安が和らぎ、自分の中のハードルが下がったのを感じます。台湾と欧州では異なることだらけだとは思いますが、先生が実際に訪れた際の話を聞いていると、以前より想像力がはたらくようになりました。今回はEUの話を通して、主権国家の外にある国家、まとまりという、世界でも新たな視点で成長・前進している欧州に興味を抱くことができました。




開講にあたって

現代社会論は、附属高校ならではの多彩な選択科目のひとつであり、高大接続を意識して、高等学校段階での学びを一歩先に進め、大学でのより深い学びへとつなげることをめざす教育活動の一環として設定されています。当科目(2016年度以降は2クラス編成)は、教科としては公民に属しますが、実際にはより広く、文系(人文・社会系)のほぼ全体を視野に入れつつ、小・中・高これまでの学びの成果をある対象へと焦点化するという、おそらくみなさんがあまり経験したことのない趣旨の科目です。したがって、公共、倫理、政治・経済はもちろんのこと、地理歴史科に属する各科目、そして国語、英語、芸術、家庭、保健体育、情報、理科あたりも視野に入れています。1年弱で到達できる範囲やレベルは限られていますけれども、担当者としては、一生学びつづけるうえでのスタート台くらいは提供したいなという気持ちでいます。教科や科目というのはあくまで学ぶ側や教える側の都合で設定した、暫定的かつ仮の区分にすぎません。つながりや広がりを面倒くさがらずに探究することで、文系の学びのおもしろさを体験してみてください。

選択第7群の現代社会論IIでは、設定いらいずっと「グローバル」なものを副題に掲げてきました。グローバル化(英語でglobalization=地球化、フランス語でmondialisation=世界化)という用語や概念は、1990年代あたりに一般化したものであり、2000(ゼロ)年代にはそれがすべてかのように猛威をふるい、2010年代には逆風にさらされ、グローバルに関する言説は総じて批判的なものになりました。2020年代ももう半ばですし、高校3年生のみなさんが実社会で活躍するのはさらに先の2030年代でしょうから、そのころグローバルという表現自体がもう陳腐化している可能性は、なくはないと思われます。ただ、いったんグローバル化してしまった以上、もとの世界に戻ることはありません。私たちは知らず知らずグローバルの恩恵を受けています(もちろん、ダメージも食らっています)。グローバル時代だから外国語を話せるようになりましょう、といった単純すぎる(アホみたいな)発想が陳腐化するのは間違いない。では、これからの時代に社会で活躍する人として、いかなる思考、どのような構えを心得るべきなのか。その答えを出すには、週2時間、1年弱の授業ではとても足りませんが、そのヒントや土台くらいは提供できればと考えています。

みなさんが小・中・高で学んできたことの中には、たとえば算数・数学の公式や定理や問題の解法、あるいは国語や英語の文法など、数値や単語を入れ替えることで広く使えるような知識と、個別の用語や概念を自分の中に取り込み自分で説明できるようにしておくという、知識それ自体の、両方が含まれていました。社会系教科といわれる地理歴史や公民は、どうしても後者のイメージが強いようです。社会科=暗記 という認識が、ほかならぬ「社会」の側でも広く共有されているようです。でも、社会なる対象が不動のものであればそれでいいかもしれませんが、実際には絶えず動いており、形を変えています。私(古賀)は社会系教科を教えるようになってもう30年以上になりますが、初期のころと現在とでは知識それ自体がまるで変ってしまっている、ということも多いです。ということは、暗記してなんとかなるような部分はさほどでもなく、むしろ公式や定理や文法に近い部分こそ、いまのうちに取り込んでおくべきなのかもしれません。いま世界は、ちょっと想定を超えるスピードとベクトルで変化しています。合衆国のトランプやロシアのプーチンの振る舞いが注目されており、みなさんもそこに目を奪われているかもしれませんけれど、より本質的には、18世紀ころから世界を覆ってきて標準(standard)とみなされていた西欧的な考え方や価値観が、非欧米世界の経済成長につれて相対化され、動揺しているというところが重要です。トランプやプーチン、そして彼らを支える勢力には、そうした動揺の反動として動いているという側面がかなりあるのですね。当科目では、いま私たちがいる日本という国家や社会については大半を対象外としています。学ぶのは日本の外、いうところの海外とか外国という部分です。公民はどうしても日本にかかわる部分をかなりの割合で扱い、余白みたいなところで世界を学ぶという構成になりがちですが、この現代社会論IIは、3年生選択科目というコンディションを生かして、あえて日本の外に照準を当てます。おそらくそうした視野で学び、思考する経験は初めてなのではないでしょうか。1年間の学習を終えたときに、「世界の見方」の一部くらいは獲得できて、成長を実感できるのであればいいなと考えています。

*地理の授業で使用した地図帳を毎回、持参してください。別種類のものを買い足してもよいと思います(違った視点を得られるかもしれない)。

 

 

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