古賀毅の講義サポート 2021-2022

De Société contemporaine II: Cinq thèmes de perspective et de réflexion

人文社会科学特論(現代社会論 II
:グローバルな視野と思考のための5テーマ 

早稲田大学本庄高等学院 3 (文系必修選択科目)
金曜 34限(11:20-13:10)  教室棟95号館 S325教室(ゼミ室4)   

 

 

 

 

 

 

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2021910月の授業予定
<テーマ3 宗教>
9
10 宗教と民族間の対立・紛争
9
17 宗教と国内政治:ファンダメンタリズムのもたらすもの
9
24 宗教と公教育 
<テーマ4 産業>
10
1 世界の第一次産業 

上記期間中の授業方法についてはMoodleでお知らせしています。


■■次回は・・・
14- 宗教と公教育

テーマ3 宗教の最後は、宗教と公教育とのかかわりです。公教育public education)というのは、高校生の日ごろの語彙の中にはなかなかないのかもしれません。大筋で、みなさんが知っている「学校教育」のことだと考えていただいて結構です。誤解のないように付け加えると、公というのは公立ということではなく、私立学校も公教育の一環です。みなさんがいま通っている私立高校も公教育ですし、早稲田大学も公教育です。塾や予備校などが私教育です。このところアフガニスタンにおいてタリバンが政権を奪還したという話の中で、女性の教育を制限するというようなニュースが聞かれます。イスラーム色の強いところでは公教育もイスラームになるのだという印象は、結構あるのではないでしょうか。また、私立学校の中には宗教系というのが結構あって、大学でいえば、立教大学(プロテスタントの聖公会)、上智大学(カトリックのイエズス会)、駒澤大学(曹洞宗)、立正大学(日蓮宗)などが含まれることはご存じでしょう。でも、私立ですし、宗教系の授業が多少はあるが、学生が期待するのはそれではなくて通常の学問のほうですよね。そういう日本人的な感覚からすると、21世紀のいま、宗教と公教育とのかかわりというのはイメージしにくいのではないでしょうか。

私(古賀)の主たる専門分野は教育学で、公教育がどのような脈絡の中で形成され、ゆえにどのような性質・構造をもっているかというのが、私のど真ん中の関心です。公教育というのは、そもそも宗教の影響を取り払うか、かなり弱めることで成立しました。それ以前の「教育」といえば宗教のことでした。教会で、聖職者が、宗教的な内容を教えるというのが教育の本体でした。価値観や読み書きのスキルもそこで身につけました。19世紀に入るころ、欧米諸国では公権力(主権国家)が宗教の手にあった教育を引きはがし、それを自分たちのものにしてしまいます。強引にもぎ取ったのです。明治維新直後の日本は、まさにそうしたタイミングで欧米をお手本にしましたので、初めから公教育が宗教とかかわりをもちませんでした。(国家神道の問題はちょっと外しておきます)

日本にも宗教系の学校はかなりあることを前述しました。しかしそのすべてが私立学校です。国公立学校は宗教教育をおこなうことを認められていません。いまこの授業でしているようなことは、「宗教という事象について教える」ということですので、公立学校でも可能ですが、やってはいけない宗教教育というのは、特定の宗教の教義にもとづいてその教えや作法などを伝える行為のことです。「こんなふうにお祈りしましょうね」とか「遠足で禅寺に行ってみんなで座禅をします」というのはアウトなのです。今回は、欧州のフランス・ドイツ両国の公教育において、宗教がどのように介在するのか、しないのかということを共有します。2ヵ国の話だけでも、みなさんは意外に思うでしょうし、世界はいろいろだなあと感心することでしょう。そして、日本のあり方が標準でも真ん中でもない、という当たり前のことに気づいてくれるはずです。

とくにフランスのライシテlaïcité)という概念が今回のキーワードになるはずです。日本語にしようと思ってもなかなか適切な訳がありません。フランス独特のものでもあるため、仕方なくカタカナでライシテと表記することが一般的になりました。前回、合衆国の政治の話で、宗教右派(主にプロテスタントの福音派やファンダメンタリズム)は政治の世界では保守主義になるのだと学びました。ではフランスのライシテは、左派・右派のどちらの概念だと思いますか? ライシテの考え方そのものと、それを公教育の現場で運用する際の問題を丁寧により分けて、じっくり考えてみることにします。

 

REVIEW 9/10
*文意を変えない範囲で表現や用字法を改める場合があります。レビューを統合したり、省略したりすることがあります。

917日のレビューは少し遅れて更新します。しばらくお待ちください。

ナイジェリアとキプロスの国内の対立を例に、宗教対立の構造を知ることができました。宗教の対立による戦いだと思っていたものも、実は原因は別のところにあって、それに追加して宗教が理由だと後付けされているのだとわかりました。世界の他の事例をとっても、このように自分で思い込んでしまい、根本的な原因が見えていないことも多いと思うので、世界への目の向け方を学んでいきたいと思います。

自分と違う考えや宗派の人といるとき、「互いに尊重し合えばよい」という話を聞くことがあるが、自分の家族が信仰しているからなどの理由でマジョリティではない宗教に属していた場合、意見が通りにくかったりするのは仕方ないことだが、理不尽だと思った。

宗教対立といいつつ、民族、植民地などさまざまな問題が隠れていることがわかりました。連日、アフガニスタンのタリバンのニュースがつづいていますが、ただのテロや反乱とは思わず、隠されている多くの問題に目を向けようと思いました。

いまある国を見るときには、それぞれの歴史、元にあった地域や民族を理解しないとわからないと思った。マイノリティがテロなどを起こすのは、絶対に何があっても悪いと思っていたが、起こしてしまうことに一理あるのかもしれない。

宗教を要因とする戦争といっても、その背景には多くの要因が存在しているのだと考えさせられた。
宗教の対立は、信仰しているものが違うから起こるとだけ思っていたが、それとは別にイギリスへの反発など、あらゆる原因があると知れた。

宗教が対立・紛争の原因になっているのではなく、宗教の対立という名目で実際は自国のエゴのために事が起こっているのだとわかりました。国境に沿ってその宗派がマジョリティになったりならなかったりするということを学んで、興味深いと思いました。

 
レフコシア(英名ニコシア)市内にあるイスラーム寺院 (左)正教がマジョリティの南レフコシアにも立派なモスクがありムスリムが多数いる
(右)北キプロス・北レフコシャのモスク こちらは中世のビザンツ時代には正教の教会だったものを、オスマン統治時代にモスクに転用したもの

 

いままで紛争は宗教の教義や価値観の違いから起きるのだとなんとなく思っていたが、それは間違いだとわかり、自分のイメージや先入観がなくなった。とくにキプロスの対立は、イギリスやフランスの思惑が絡んでいて、独立させられたり、煽られたりと、本人たち以外の要因も大きいように感じた。

キプロスの分断について調べ、また今回の授業を受けて、宗教が原因で対立が起こるのではなく、宗教はただの属性であるということに気づいた。独立したがるのはフランス革命のナショナリズムが強く影響していることを知れた。

先日、外務省がキプロスに領事館を置くことを検討しているというニュースを見たので、平和なんだろうなと思った。紛争や対立の何割かはイギリスが関係しているという話があったが、彼らがいまになって世界平和をうたうのは納得がいかない。
・・・> 「彼ら」って、どこからどこの範囲? イギリス政府なのか、イギリス人全体なのか、「最近のイギリスのえらい人」なのか。国家でくくってしまうと、実は何をいっているのかわからなくなる(あいまいになる)ので、丁寧に整理する習慣をつけましょう。そうでないと、「1945年までの東・東南アジアの問題の結構な部分は日本が関係している。彼らがいまになって世界平和をうたうのは納得がいかない」って、アジアの人たちはいうのではないですかね。「彼ら」の中に、君も私も含まれてしまうことになります。

英国の近代化のために、技術の及んでいなかった国々が操られていたことに驚いた。その英国の動向は歴史で取り扱われず、隠されてしまっていて、イメージが勝手に動いてしまっていた。また、この宗教だからこの言語という憶測はないと思っていても、根づいてしまっているものだと考えた。

一部の過激派組織のためにイスラーム今日のイメージがゆがんでしまうなど、ある一部のせいで全体のイメージダウンになる例は日常にもよくある。先入観や偏見は本当に怖い。知らない国の宗教問題について調べようとすると、予備知識がないため、いろいろ調べているうちにテーマがぶれてしまう。

今回の授業を通して、私がいままで生きてきた中で培ってきたさまざまな考えや価値観を見直してみるべきだと強く思いました。とくに「この宗教だから」とか「この国だから」という理由でいろいろな問題を考えようとするのは非常に危険な思想であると強く感じました。

宗教対立とは話がそれてしまうのですが、最後に先生が話していたように、宗教に対する偏見というのがなぜ存在するのかが気になりました。イスラーム教が危険だというイメージが私にはあります。イスラーム自体が危険な宗教ではないにしろ、過激派の存在などが私のイメージに影響しているのだと思います。なぜ過激派というのは存在するのでしょうか。
・・・> それが次回の主題。「過激派」というのはマスコミ用語なので、私は学術的な意味合いも含めて、ファンダメンタリズムや宗教右派に注目するわけです。イスラームの話もたぶん出てきます。

 



開講にあたって

2020年、世界はその前提を大きく変えることになりました(なってしまいました)。これが大きな転機となるのか、コロナ禍が明けたのちは元のように戻るのかはまだわかりませんが、2019年までひたすら進展してきたグローバル化(globalization)とその影響ということを軸に、現代社会・現代世界を考えてみたいと思います。思えば特定の感染症が世界規模で「共有」され、同種の負の問題を同期させるというのも、グローバル化のゆえといえます。おそらく2020年以前よりも、グローバル化という事象の重みをリアルにわかるのではないでしょうか。――ただ、これは2019年以前のことですが、各種の授業で「グローバル化はよい変化だと思っていました(のに、違うみたいです)」という趣旨のコメントが非常に多く聞かれました。私にいわせると、誰がそんなことをみなさんに吹き込んだのかと、あきれや怒りすら感じるところです(これについては「グローバル化と教育」、古賀毅編著『教育原理』、学文社、2020年、p.10に書きました)。IT化などと違って、スケールが大きく、自分たちの生活場面から直接的に捉えることが難しいという事情もあるのでしょう。それにしても、世間的には高学力とか高学歴といわれるような層までそんなことをいうようでは、本当に困ったものです。世界に興味があってもなくても、グローバル・サイズで物事を思考していかなくてはならない世代ですので、いまはそのための基礎体力をつけておきたいですね。

さて当科目では、そうしたグローバル化する世界、グローバル化する現代社会を分析するために、5つのテーマを設定し、それぞれの視点から世界・社会を捉え、考察します。用意したテーマは、国家・言語・宗教・産業・移動の5つ。これらが定番であるというわけではなくて、古賀が自分の関心に沿って設定したものです。思考のフィールドは、公民のみならず歴史・地理あるいは英語その他の教科・科目にまたがりますし、これまでのみなさんの学習経験を大きくはみ出す部分になるでしょうから、大半は「初めて知ること」であるはずです。しかし当科目は、「知識」の獲得を目的とするものではありません。授業で取り上げる情報は、極論すればダミーであり、他の要素であってもかまわないかもしれないものです。それを手がかり、足がかりにして、現代社会を思考してみるというところに主眼があります。社会科=知識の暗記だと考えている人、信じ込んでいる人は、もうそういうふうに考えるのはやめましょう。歴史はともかく公民の知識など、数年経って自分がリアルな社会人になるころには変わっているかもしれないものです。覚えるのはAIがやってくれます。イイ頭をもった人間は、得られた情報を手がかりに思考するのが本務です。

世界ということでいえば、海外経験の有無・多少など個人差のあることが予想されます。それはあまり気にしなくて結構です。経験がないからといって海外情報にアクセスできないわけではありません。時代が違いますけれど、私が初めて海外に出たのは大学3年生のときのことで、生まれ育った家庭は非常にドメスティック?でしたが、とにかく世界地図が好きで、子どものころから親しんでいました。インターネット世代の住人であるのに情報弱者になるのはもったいないです。また、ご家庭の事情などで海外経験があるという場合にも、それがプラスにはたらくだけでなく、しばしば洞窟のイドラの弊を起こすことにもなります。要は、いろいろなバックグラウンド、いろいろな考え方やライフ・プランをもった生徒が教室に集まり、わいわいとコミュニケーションして互いに深める、ということが重要になるということです。したがって沈黙は厳禁です。高校最後の1年を、悔いのない学びとともに送りましょう。

<用意するもの>
地図帳(地理の授業で使用したものがあればよいが、別のものでもよい)
ノートPC、タブレット(あれば)


 

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