古賀毅の講義サポート 2021-2022

De Société contemporaine II: Cinq thèmes de perspective et de réflexion

人文社会科学特論(現代社会論 II
:グローバルな視野と思考のための5テーマ 

早稲田大学本庄高等学院 3 (文系必修選択科目)
金曜 34限(11:20-13:10)  教室棟95号館 S325教室(ゼミ室4)   

 

 

 

 

 

 

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20216月の授業予定
<テーマ2 言語>
6
4 言語とアイデンティティ
6
11 言語政策・言語教育
6
18 グローバル化と英語
6
25 フランス語を通して見える現代世界


■■次回は・・・
10- フランス語を通して見える現代世界

言語編の最後として、言語language)と現代社会・現代世界とのかかわりをあらためて考察しようと思います。いまの世界で英語という言語が図抜けた地位にあるということは間違いありませんが、そこに注目するあまり、それ以外の部分に目が向きにくい。英語を第一言語・第二言語として話す人を合計すると十数億人になり、たしかに首位ではあるが、しかし過半数にはるか及びません。世界の大多数の人は英語と無関係のところで言語生活を過ごしています。それは「捨象」するにはあまりに大きなものです。むしろ現代世界の本体部分なのではないか。「とにかく英語だ」という発想は、途中の思考プロセスを排除するものでもありますので、精神的にもろく、危うい発想でもあります。どこかで突き放した見方もしておかなければなりません(私たちの多くにとっては母語でもなんでもないのだから、なおさら)。

かつての日本(明治〜昭和中期)では、英語の次に優遇された言語といえばドイツ語Deutsch)でした。この時期においては英語がダントツなどということもなくて、とくに学問の世界ではドイツ語がむしろ優勢でした。大学生の学ぶ第二外国語では、たまにフランス語を選ぶ変わった人がいるくらいで、もう「男は黙ってドイツ語」というくらいのものでした。でも、ドイツ語にそういう地位を与えていた時代は、ある意味で健康だったかもしれません。アホみたいに「英語さえやっておけば」みたいなショートを起こさなかったでしょうからね。

今回取り上げるのは、そのドイツ語・・・ではなくフランス語français)です。別にドイツ語でもイタリア語でもアラビア語でもかまわないのだけれど、私(古賀)がどうにかわかるのがフランス語ですので、この言語を選んでいます。英語以外のメジャー言語であれば何を代入してもかまいません。今回はフランス語を例示しますが、自分で関心のある言語について調べ、同じようなスタンスで思考すれば、また新たなことがわかってくることでしょう。とはいえフランス語も世界的にみれば超メジャー言語のひとつであり、言語の祖国(英語なら英国、フランス語ならフランス)を超えて広範な国家・地域において話されます。英語と同じように母語以外の第二言語としての有用性が高い言語でもあります。今回の前半は、大学1年生が第二外国語の授業でやるような、初歩的な文法を解説します。なーに、大したことはありません。主語が一人称・二人称・三人称の単数・複数と全部で6通りあり、それに応じて動詞の語尾が変化し、それも時制によって現在形、単純過去形、完了過去形、半過去形、未来形とあって、そこに接続法や条件法という別のカテゴリが重なってくる、そして名詞には男性名詞と女性名詞があり、そこにかかる形容詞の男・女も区別される、単数形と複数形とで形容詞や冠詞の形が変わる、というくらいのものです。大したことはありません。本当です。綴りと発音はほぼ一致しますしね。

後半では、現在の世界におけるフランス語の位置や意味を足場にして、英語やさまざまな他の言語を逆照射します。要するに「言語と現代社会」という感覚をまとめてみようということです。当科目が目標とする「グローバルな視野と思考」に近づくために、それが有効であるということを、じわじわわかってほしいのです。

 

REVIEW 6/18
*文意を変えない範囲で表現や用字法を改める場合があります。レビューを統合したり、省略したりすることがあります。

英語がなぜ重要で、なぜ私たちが学ぶべきなのかについて考えられて、あらためて英語がどう必要なのかがわかりました。また日本人の英語を学ぶ姿勢についても自分の意見をしっかり捉えられました。

英語を学ぶ理由について、誰を対象として、何を目的としているのかをあらためて考えることができました。なぜ英語なのかということについて「グローバル化」に際し共有の意識をもつことと想定していましたが、授業を受けていく中で、他の言語にも可能性があることを知り、外国語を学ぶ理由の本質をあらためて考える必要があると痛感しました。

いままで英語を学んできたが、なぜ学ぶのかということを考えていなかったので、今回のテーマは考えさせられるものが多かった。なぜ「英語」なのかというのは自分なりに意見をもてたが、対象が全員なのか意思・動機のある人かという問題には、答えを出せなかった。

意思・動機のある人だけに外国語の教育を提供しても、小・中学生で意思・動機がある人なんて少ないだろうから、動機をつける手伝いをしてあげることのほうが重要ではないか。

英語以外に学びたいものがある人に無理に英語を学ばせる必要はないと思うが、他にやりたいことがあるわけでもないのであれば、とりあえず英語を学ぶべきである。嫌でも英語を習得できれば、それだけで自分の可能性や選択肢が増え、後になって英語を学んでいてよかったと思えると思う。
・・・> と、いう意見の人は多いですし、誤解を恐れずにいえば高学力の人がわりとそういう意見を出します。可能性や選択肢が増えるって本当? 統計上たしかなことでしょうか? そもそも可能性や選択肢って何? それはみんなに必要な可能性? あえて申しますが、脂汗を流して「英語を学ぶべきだ」などというエリートのタワゴト(失敬)に付き合わされ、振り回されたあげくに恨み以外の何も身につかず、時間と労力を無駄にしてしまうのであれば、専門学校に行って資格でも取ったほうが「可能性や選択肢」は広がります。「とりあえず英語」は、いまみなさんが考えているほど社会の公約数にはなりえません。本当です。そこが見えてきてからが真の言語教育論です。

入試や就職で英語能力を測定するのは、単純な学力そのものを測るのに便利だから、という説がおもしろかった。アメリカ人は英語を勉強しなくていいなと思っていたので、エスペラントの公平性にとても納得した。

卒業論文で英語教育のあり方について書こうとしているが、序章で「なぜ日本で英語が必要なのか」について、「グローバル化が進んでいるから」という趣旨の内容を考えていた。しかし今回のディスカッションを経て、もう少し、具体的にどういった理由で生徒が英語を学ぶ必要があるのかということを考えなおそうと思った。


香港国際機場/Hong Kong International Airportの案内表示
日本人にとって中国語繁体字と英語のどちらが書きことばとして有用なのかは、人によるし場面によるのだろう
「巴士」はバス、ここにはないが「火車」は鉄道

 

日本だとTOEICができれば英語ができるというようなイメージがありますが、TOEICにはスピーキングがないので、実際は英語を話せない人が多いのがいまの日本の実情だと思います。英語ができるというのは、スイスなどのように、英語を「話せる」ということだと私は思います。
・・・> まあでもTOEIC650くらい取れれば、まあ「話せる」んじゃないかな。「スイス」は国家ですので話したりしません。「スイス人(の○○さん)」ですよね。スイスは多言語社会ですのでそもそも言語スペックが高く(子どものころから身近に異言語がある)、国際的な企業や組織や金融機関が集中してそこで働く人、さらには世界的な観光地を多数抱えていてそこで働く人が多いので、英語を話せなければそもそも就職できません。「食うため」という切迫感があれば日本人だって学ぶのでは?

今回の授業を通して、いままで英語だけでひぃひぃいっていた自分がとても情けなくなりました。いかに自分がいままで狭い視野で「英語」を捉えていたか思い知らされました。

英語を学んで嫌な思いがない人の苦手意識をもってしまうのはどのような人なのか気になった。

早期教育に賛成です。そもそも「英語を話すのが恥ずかしい」と思う人が出てきてしまうのが中高生くらいの英語教育における問題。たとえば幼稚園の自由時間に易しい英語のアニメを観せたり、お弁当の時間に英語の歌を流したりすれば、英語に対して壁を感じることもなくなるのではないかと思いました。「教育」というより「洗脳」という感じになるのですが・・・。

英語の早期教育は英語嫌いが早期化する可能性があるという話があった。私も幼稚園のときに英会話塾に通っていて、嫌いにはならなかったが、小学生になった時点で内容をほぼ忘れていた。早期教育は意味がないと考えた。
・・・> 「私」の経験を一般化してよいところと、そうでないところがあります。教育の話はとくに。



(上)ロンドン中心部、NYウォール街と並ぶ世界金融の中心地であるシティ(the City)の歴史解説版
(下)シティと対岸を結ぶロンドン橋(London Bridge) 子どもの歌に出るわりにはなんの変哲もないただの橋だが、
しょっちゅうフォーリング・ダウンして架け替えられたため、「昔からずっと同じ橋ではない」というところがミソなのである

 

「アングル語」がどのように世界言語としての地位を獲得して「英語」になったかという歴史がおもしろかったです。世界の一体化と同時期に英語の近代化が進んだこと、英語が広まった理由はその英語を使用するイギリス、アメリカが戦争に強かったからだというのを知れてよかったです。

世界の覇権国の変化に伴って世界の共通言語が変わりゆくというのは、歴史を振り返るとそのとおりだなと思った。ラテン語、フランス語など。

討論のときに話が議題から少しそれていたのを最後まで直せなかったのは反省しています。次回は議題に誠実でいたい。

3時間目の授業形態は、論点をずらさないように話していくのが難しかったが、自分の意見を表現し、相手の意見を聞くことが少なかったので、とても楽しかった。

 



開講にあたって

2020年、世界はその前提を大きく変えることになりました(なってしまいました)。これが大きな転機となるのか、コロナ禍が明けたのちは元のように戻るのかはまだわかりませんが、2019年までひたすら進展してきたグローバル化(globalization)とその影響ということを軸に、現代社会・現代世界を考えてみたいと思います。思えば特定の感染症が世界規模で「共有」され、同種の負の問題を同期させるというのも、グローバル化のゆえといえます。おそらく2020年以前よりも、グローバル化という事象の重みをリアルにわかるのではないでしょうか。――ただ、これは2019年以前のことですが、各種の授業で「グローバル化はよい変化だと思っていました(のに、違うみたいです)」という趣旨のコメントが非常に多く聞かれました。私にいわせると、誰がそんなことをみなさんに吹き込んだのかと、あきれや怒りすら感じるところです(これについては「グローバル化と教育」、古賀毅編著『教育原理』、学文社、2020年、p.10に書きました)。IT化などと違って、スケールが大きく、自分たちの生活場面から直接的に捉えることが難しいという事情もあるのでしょう。それにしても、世間的には高学力とか高学歴といわれるような層までそんなことをいうようでは、本当に困ったものです。世界に興味があってもなくても、グローバル・サイズで物事を思考していかなくてはならない世代ですので、いまはそのための基礎体力をつけておきたいですね。

さて当科目では、そうしたグローバル化する世界、グローバル化する現代社会を分析するために、5つのテーマを設定し、それぞれの視点から世界・社会を捉え、考察します。用意したテーマは、国家・言語・宗教・産業・移動の5つ。これらが定番であるというわけではなくて、古賀が自分の関心に沿って設定したものです。思考のフィールドは、公民のみならず歴史・地理あるいは英語その他の教科・科目にまたがりますし、これまでのみなさんの学習経験を大きくはみ出す部分になるでしょうから、大半は「初めて知ること」であるはずです。しかし当科目は、「知識」の獲得を目的とするものではありません。授業で取り上げる情報は、極論すればダミーであり、他の要素であってもかまわないかもしれないものです。それを手がかり、足がかりにして、現代社会を思考してみるというところに主眼があります。社会科=知識の暗記だと考えている人、信じ込んでいる人は、もうそういうふうに考えるのはやめましょう。歴史はともかく公民の知識など、数年経って自分がリアルな社会人になるころには変わっているかもしれないものです。覚えるのはAIがやってくれます。イイ頭をもった人間は、得られた情報を手がかりに思考するのが本務です。

世界ということでいえば、海外経験の有無・多少など個人差のあることが予想されます。それはあまり気にしなくて結構です。経験がないからといって海外情報にアクセスできないわけではありません。時代が違いますけれど、私が初めて海外に出たのは大学3年生のときのことで、生まれ育った家庭は非常にドメスティック?でしたが、とにかく世界地図が好きで、子どものころから親しんでいました。インターネット世代の住人であるのに情報弱者になるのはもったいないです。また、ご家庭の事情などで海外経験があるという場合にも、それがプラスにはたらくだけでなく、しばしば洞窟のイドラの弊を起こすことにもなります。要は、いろいろなバックグラウンド、いろいろな考え方やライフ・プランをもった生徒が教室に集まり、わいわいとコミュニケーションして互いに深める、ということが重要になるということです。したがって沈黙は厳禁です。高校最後の1年を、悔いのない学びとともに送りましょう。

<用意するもの>
地図帳(地理の授業で使用したものがあればよいが、別のものでもよい)
ノートPC、タブレット(あれば)


 

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