古賀毅の講義サポート 2025-2026
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Études sur la
société contemporaine II: Réflexion et apprentissage mondiaux ou ‘global’
pour le futur proche 現代社会論II:グローバル思考と近未来の世界への学び
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現代社会論I:近未来の社会を(に)生きる構想と探究
2025年11〜12月の授業予定
11月7日 グローバル時代の欧州(1):欧州統合の原理と論理
11月21日 グローバル時代の欧州(2):新時代の挑戦と試練
12月5日 グローバルな思考、そして近未来の世界への学び
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本年度の授業は終了しました。
REVIEW (11/21) 学期末業務のため12月5日のレビューは1週間程度遅れて更新します。しばらくお待ちください。 ■今回の授業を通して感じたのは、欧州連合は、多様性の中の統合という理想を掲げながら前進する、壮大な実験であるということである。ブリュッセルという遠くにある中心が複雑な意思決定をおこない、国家の枠を越えた制度が日常に介入することが、ポピュリズムが台頭する背景にもなっているのだと考える。その一方で、とくに印象的だったのは、国内のマイノリティにとって「欧州市民」が第二のアイデンティティのような存在になっている点である。数々の危機を乗り越えてきた欧州が、これからどのように動いていくのか見どころだと感じた。 ■今回の授業を通して感じたことは、EUは理想と現実のギャップを抱えたまま走る、いわば未完成の大実験ということである。危機のたび、EUは崩壊するといわれるが、むしろそのたびに生き延びてきた点に、私は強い興味と魅力を感じた。各国の多様性はたしかに統合の障害にもなるが、同時にEUを硬直した国家モデルから解放する力にもなっているように思える。現状への不満やポピュリズムの対応も理解できる一方で、そうした矛盾を抱え込みながら前に進もうとする姿勢こそ欧州の覚悟ではないか、という印象をもった。 ■今回の授業を通して、EUの解像度がまた一段と高くなった気がしました。多様な国家のしくみや欧州での横のつながりをもつ国の集まりで、国家どうしの価値観の違いによって対立が起こらないのか不思議に思いました。自由・平等や民主主義、近代科学などの欧州の価値が、EUの存在がどんどん広がっていくときにどこまで共有できるのかという疑問を、私も抱きました。 ■最近の授業を通して、EUという枠組がここまで強化されてきたということに初めて気がつきました。いままで自分の中でEUとは「連合」であるという印象が強く、国家的な側面があることをあまり感じていなかったので、ギャップを感じました。そんなEUですが、これからどう動くか予想したときに、私は「まだ誰も経験したことのない秩序の構築」に進むだろうと思います。いや、進んでほしいと思っています。当のEU加盟国内にいない、外部だからこそいえることだとは思いますが、ここまで国家的に感じられるくらいに国家どうしの統合が進んでいる連合体はいままでにないと思うので、まだ見ぬ秩序構築に進んでいく可能性を感じました。 ■前回の授業とは反対に、EUの陰の側面について見ていった。国家を超えた国家には、前回見たようなメリットだけでなくデメリットもあるということをあらためて実感した。一概にこの体制がよいか悪いかを決めることはできないが、「よいときには何もいわないが悪いときには悪いといわれる」というのは納得した。後半のEU加盟国の紹介では、ヨーロッパに行ったことがないので、さまざまな写真に物珍しさを感じた。 ■GDPの話の際に、アメリカや中国に関しては内部の多様性を無視しているのではということだったが、たしかにアメリカは東西や、海沿いと内陸で大きな違いがあるし、中国も地域によって異なっているなと思った。 ■EUという、国家を包摂する団体があることによって、ある国家内においてはマイノリティである人々が救われるという話に、すごく納得しました。ただ、メディアや教科書では、東と西、加盟順などで経済状況の「差」があることをものすごく強調し、「○○に比べて△△はダメだ」などとEU加盟国をEU外の人が比較することがあり、それは多様性ということとかけ離れていて、よくないのではないかと思いました。また、産業や歴史、近隣国との関係など違いが多く、人によっては排外主義的な考えをもつなど、異なる部分が多いのは大変そうだけれど、EU外の国々も地域ごとの差異をもっているのだから、一概に国が集まっているからダメなんだとはいえないなと思いました。 ■欧州統合について、制度的なものなど字面だけで見れば一つの国家かのように思えた。しかし各国の特徴を見ていくと、初めは文化など目に見えるものがあまりに違っていて、一つの国家であるという考えは薄れたが、よく考えてみると、日本をはじめとして一つの国家の中にも多様性は存在するのだと気づくことができた。
■EUについて学び、一つの国家を運営することすら難しいと思いますが、文化や政治状況が異なる20以上の主権国家をまとめる、というのはとても壮大で、課題も多いということがわかりました。経済政策や雇用などは壁がないことによるメリットもある一方、悪い影響も受けやすいという側面があると思いました。ですが国境がフリーになったことで、文化や言語、民族などの交流が受け入れられやすくなったり、個々の可能性が増えたりすることは魅力的に感じました。 ■前回にひきつづきEUの多様性を重んじているところを実感した。国境を簡単に越えることができるのは便利だと思ったが、その一方でウィルスも広がるなど、物事には必ず裏の側面があることを再度実感した。国家の文化や言語をもとにしたアイデンティティがありながら、欧州としてのアイデンティティを併せ持つことで現在のEUがあることを知り、よい学びになった。やはりマイノリティが生じないようにして皆を輪に入れて考えるというのは、人々の調和にとって大切なことであると思った。 ■欧州では、国境を越えて自由に学び、働くことが日常となっており、それを希望としてつかめる若者もいれば、選択肢が多すぎることを負担に感じる若者もいて、日本で東京一極集中が問題にされるのとは別の意味で、欧州の若者が抱える問題というのが興味深かった。 ■欧州統合で壮大な実験が直面する課題や矛盾がわかり、単なる理想像を学ぶ以上の深い洞察を得ることができた。欧州がどこへ向かうのかという視点は、私たち自身の未来を考えるうえでも不可欠だと感じる。 ■EUは一枚岩だと勝手に考えてしまっていたけれど、かなり複雑に分かれていることがわかった。統合における各国の主権の問題や価値観の違い、統合による経済的な影響の問題などがあるという状況を、まったく考えたこともなかった。しかし以前学んだように、多様な言語、複雑な歴史などをもつヨーロッパの中にEU市民(European
Citizen)であるという共通のアイデンティティが生まれるのはよいなと思った。日本にいると国境を難なく越えることができるという状態がうまくイメージできないので、実際に訪れてみたいなと思う。 ■2010年代にさまざまな危機が欧州を直撃して、「欧州統合はダメなのではないか」というネガティブなマインドが発生したという話が合った。その例の中には、コロナウィルスによる危機など、欧州だからという理由で陥ったわけではない危機もあった。これは欧州に対してもともとネガティブなイメージを抱いていたから悪く見えているだけなのではないか。これによってネガティブなイメージが生まれているわけではなく、因果関係が逆なのではないかと思った。
■EU加盟国どうしが協力し合う一方、それぞれの国が抱える利害や国民感情が衝突し、決して一枚岩ではないとわかった。グローバル経済の中で米中などの大国とどう向き合うかという課題があり、ヨーロッパが新時代にふさわしい戦略を模索していることがわかった。 ■EUがめざす民主主義、人権、環境といった価値は、かつて経済競争の先頭に立った欧州ゆえにその痛みや代償を誰よりもわかっているという自覚によって、優位性が倫理にこそあると捉えられている点は、EUの統合の理念の根幹であると感じました。 ■EUの制度的課題についてよく知ることができた。とくに、金融政策は中央銀行中心におこなわれているのに対し、財政政策は政府に残されていることで、欧州全体としての経済政策の調整が難しいという点が、EUの標語である「多様性の中の統合」の難しさを象徴する課題であると感じた。 ■EUとその加盟国はどのように権限を分担しているのか? ■宗教・文化・言語等々あらゆるものが違う数十ヵ国が同じルールの下で統合されるというのが、なぜ成り立っているのか不思議に思うし、単純にすごいとも思った。ただ、複雑化され、EU加盟国の国民には制度をよく理解できない層もあるのではないかと思うし、民主主義としてどうなのかと思った。 ■それぞれの国でマジョリティの人でも、欧州全体の中ではマイノリティであり、みんながマイノリティになるという視点は、多様でありよいことだと思った。しかし一方で、意思決定における不透明性や複雑性という課題があることが印象に残った。欧州委員会があるブリュッセルから地理的に遠い場所が多いこと、あるいは機関や選挙の段階が多いがゆえに構造が複雑になっていることがわかった。これは民主主義の実感が湧きにくいだけでなく、政策が一歩遅れたり、加盟国間の利害の相違が生じやすかったりすることにもつながるのではないかと思った。
■EUの国に住んでいた経験があり、ボーダーフリーのおかげで自由に移動できて便利であることは実感していたが、その裏でテロやウィルスが簡単に広がってしまうリスクも大きいのだとあらためて気づいた。EUに住んでいたコロナ禍のときには、最初は遠い国の話だったのに、気づいたら周りの国々にも一気に感染が広がっていったという当時の話が思い出された。 ■EUは国家の壁を越えた大きな組織で、それで内部ではイギリスをのぞいて肯定的な考えが多いのは、グローバル化の一途をたどる世界において貴重な成功例なのだと思いました。サッカーでも、スペイン等のリーグでは非EU枠の制限があり、裏を返せばEU内では労働力が自由に動けるということを表しているのだと思いました。 ■あらためてEUという国家集合体がもつ側面の複雑さ、難しさを感じた。ひとつの連合として隣接・集中する地域として、なにかとまとまるのはよいことのように思えるが、その反面、発生する問題点にどうしても宗教や言語といったアイデンティティの要素が含まれてしまうことを考えると、私にとってはEUの存在意義に疑問を感じてしまうところがある。またEU加盟国は比較的「唯一の○○」、つまりなにかしらのマイノリティ要素をもっていることが多いように感じた。もしEUの中で排外主義が生まれてくると、いくらでも排外要素をつくれてしまうではないか、と思った。 ■欧州連合というしくみは、他の連合体に比べて固まっておらず、柔軟なしくみであると思った。ユーロを使用するのか、国境を越えるときに手続きが必要なのか、その国に合った方法を採ることができるため、加盟のハードルが低いと考えた。同じユーロを使用している場合、国ごとに物価や景気が違うことによる為替調整ができないという問題も生じるため、欧州連合はよいものであると決めつけられないと思った。また加盟国間での結びつきが強いため、柔軟なしくみではあるが、課題を改善することは難しいと考えた。同じ通貨、国境の出入り自由という欧州でも、裏を返すと問題があり、連合や条約はその裏の部分まで見る必要があると思った。 ■前回は、主権国家を超える実験場としてのEUがもつ強みについて学んだが、今回はEUの課題として、経済の問題や産業・雇用の不均衡化、意思決定プロセスの不透明性などを学び、多くの主権国家が束になることの難しさを感じた。変わりゆく世界情勢において、これからのEUはどのような道をたどっていくのか注視したい。私は、いまよりも少し結束の度合いが緩むと予想する。また、EUがない世界線のヨーロッパはどうなっていたのか、かなり気になる。 ■モンテネグロ、コソヴォは、ユーロを非公式に採用しているとあったが、「非公式」とは国が承認していないにもかかわらず取り入れているということ? ■EU、ユーロ圏、シェンゲン圏はこんな感じですか? ■EUのよい点として、EUで一つの国家のようなものを形成し、個々の価値観が尊重されているということがあるが、デメリットは組織が大きすぎることで、ミクロな視点で事柄を見ること、考えることが難しいのだと感じられた。 ■欧州は、宗教や言語によるアイデンティティの共有と対立を繰り返している。そのような環境において統合を進めているが、それぞれの主権国家によって有している課題は異なっている。また経済格差も深刻であり「EUにぶら下がっている」国も複数存在している。しかし実際、市民からすると、隣の地域に少し行くだけなのにパスポートやビザが必要となってしまうと、面倒なものである。つまり政策の統合は難しいが、文化の共有は可能(実際におこなわれている)と考えられる。
■傾向が似ている部分もあるけれど、EUの国それぞれに違った特色をもっているなと感じた。また国の中の都市でもまた違った雰囲気、特徴をもっているなと思った。シェンゲン圏に入っていればこの違いを気軽に楽しめるというのは、EUの大きな要素であると感じた。 ■ヨーロッパは、領土の変化が激しかった(とくに東欧は、占領→独立という流れを経験した国が多い)ので、町並などにその跡があらわれていて、おもしろいと思った。ポーランド、チェコ、スロヴァキア、オーストリアなどの併合は歴史の授業を通して知っていたが、現在どうなっているのかを知らなかったので、とてもおもしろかった。スライドを見ていると、町並、言語、食生活がほぼ一緒であるように感じられるところがあり、あらためてアイデンティティ形成の難しさとその多様さを認識した。実生活に近いところを知ることの重要性がわかった。 ■授業の後半でEU加盟国の紹介があったが、たしかに多様ではあったが、ところどころ似た部分があり、いうならば「ヨーロッパ的」な雰囲気が見受けられた。EU加盟は、「ヨーロッパ的」な印象、ひいてはヨーロッパ世界という概念を保全することにも役立っているのではないかと考えた。 ■パスポート不要で他国に自由に渡れる感覚がどんな感じなのか気になります。 ■訪れる地域、国の知識をもっていると、その地の景観から文化、食事にいたるまで、そのような姿かたちになった背景の裏づけをもって観光できるので、とてもおもしろそうだと思った。一人旅は好きだが、国内の景色がきれいな場所をテキトーに回っていただけだったので、その地の歴史や文化、地理を学んでから行こうと思った。 ■ヨーロッパには一度も行ったことがないが、行ってみたいなと思う国がいくつかあった。その一つにデンマーク王国がある。「高福祉で居住満足度では世界一」と聞いて、住んでみたいと思った。また、もっている諸島に行けるのが強いと思った。 ■デンマーク王国は、大陸に領土があるのに首都は島にあるというのが、首都が離れていて特殊だなと思った。 ■ブダペストのペストの名の由来は何ですか。 ■これからクリスマスの時季になりますが、どこがいちばん魅力的ですか?
■欧州各国の紹介では、イタリアが1860年代に統一されたことや、ギリシアは意外に中東顔、フィンランドは頭がよいことなどを知って驚いた。個人的にデンマークに行ってレゴを買いたいと思った。 ■オーストリアが、第二次大戦のときにファシズムに呑み込まれそうだったとおっしゃっていたが、大きな国や権力の盛衰がみられ、米英などの国は永続的なものではないのだと気がついた。 ■レアルとバルセロナの試合は直近のものも荒れていたけど、やった側とやられた側の試合となると、選手は直接関係していなくても厚くなるというのは納得できる。 ■ポルトガル共和国は「避寒地」とあった。避寒地とは聞きなれない言葉だったが、たしかに避暑地があるなら避寒地もあるのかと思った。またポルトガルとスペインは隣で、経度もあまり変わらないのに時差が1時間あるのが不思議な感覚だった。 ■写真をたくさん撮っていますが、どこの何って忘れたりしますか? よい管理方法はあるのでしょうか。私はよくごちゃごちゃしてしまいます。 ■私が推したい国家はルクセンブルク大公国です。神奈川サイズにもかかわらず(だからこそ?)GDPが世界トップであるところや、なんといってもスライドに載っていた箱庭的な町並と都市との対比がよいと思いました。欧州は古い風景が見られてうらやましいです。空襲による東京の古い町並の焼失は、景観の保存という点でも非常に悲しい出来事だと感じました。 ■私のお気に入り国家はオーストリア共和国を挙げたいです。幼少期から音楽が生活の一部だったので、音楽の都ウィーンを生きているうちに一度は訪れてみたいと思っていました。「ラデツキー行進曲」の話がありましたが、作曲された背景を知らなかったため、何度も演奏したことのある曲に対する見方や聴き方が、再度改まった気がします。それぞれの国家の色がとても強い一方で、EUという一つのまとまりとして成り立っているこの状況を、あらためてすごいと感じました。 ■それぞれの国の写真を見て、「この国っていう感じがするな」と思う国が多くあった。国ごとに異なる印象が広まっているのだと思った。 ■授業の後半を通しての推し国はポーランドです。町並が素敵。ポーランド版ギョウザおいしそう。 ■イタリアの食事といえばパスタとピザしか知らなかったが、カツレツが本当においしそうで、食べてみたい。 ■クロック・ムッシュ―食べたいです。
現代社会論は、附属高校ならではの多彩な選択科目のひとつであり、高大接続を意識して、高等学校段階での学びを一歩先に進め、大学でのより深い学びへとつなげることをめざす教育活動の一環として設定されています。当科目(2016年度以降は2クラス編成)は、教科としては公民に属しますが、実際にはより広く、文系(人文・社会系)のほぼ全体を視野に入れつつ、小・中・高これまでの学びの成果をある対象へと焦点化するという、おそらくみなさんがあまり経験したことのない趣旨の科目です。したがって、公共、倫理、政治・経済はもちろんのこと、地理歴史科に属する各科目、そして国語、英語、芸術、家庭、保健体育、情報、理科あたりも視野に入れています。1年弱で到達できる範囲やレベルは限られていますけれども、担当者としては、一生学びつづけるうえでのスタート台くらいは提供したいなという気持ちでいます。教科や科目というのはあくまで学ぶ側や教える側の都合で設定した、暫定的かつ仮の区分にすぎません。つながりや広がりを面倒くさがらずに探究することで、文系の学びのおもしろさを体験してみてください。 選択第7群の現代社会論IIでは、設定いらいずっと「グローバル」なものを副題に掲げてきました。グローバル化(英語でglobalization=地球化、フランス語でmondialisation=世界化)という用語や概念は、1990年代あたりに一般化したものであり、2000(ゼロ)年代にはそれがすべてかのように猛威をふるい、2010年代には逆風にさらされ、グローバルに関する言説は総じて批判的なものになりました。2020年代ももう半ばですし、高校3年生のみなさんが実社会で活躍するのはさらに先の2030年代でしょうから、そのころグローバルという表現自体がもう陳腐化している可能性は、なくはないと思われます。ただ、いったんグローバル化してしまった以上、もとの世界に戻ることはありません。私たちは知らず知らずグローバルの恩恵を受けています(もちろん、ダメージも食らっています)。グローバル時代だから外国語を話せるようになりましょう、といった単純すぎる(アホみたいな)発想が陳腐化するのは間違いない。では、これからの時代に社会で活躍する人として、いかなる思考、どのような構えを心得るべきなのか。その答えを出すには、週2時間、1年弱の授業ではとても足りませんが、そのヒントや土台くらいは提供できればと考えています。 みなさんが小・中・高で学んできたことの中には、たとえば算数・数学の公式や定理や問題の解法、あるいは国語や英語の文法など、数値や単語を入れ替えることで広く使えるような知識と、個別の用語や概念を自分の中に取り込み自分で説明できるようにしておくという、知識それ自体の、両方が含まれていました。社会系教科といわれる地理歴史や公民は、どうしても後者のイメージが強いようです。社会科=暗記 という認識が、ほかならぬ「社会」の側でも広く共有されているようです。でも、社会なる対象が不動のものであればそれでいいかもしれませんが、実際には絶えず動いており、形を変えています。私(古賀)は社会系教科を教えるようになってもう30年以上になりますが、初期のころと現在とでは知識それ自体がまるで変ってしまっている、ということも多いです。ということは、暗記してなんとかなるような部分はさほどでもなく、むしろ公式や定理や文法に近い部分こそ、いまのうちに取り込んでおくべきなのかもしれません。いま世界は、ちょっと想定を超えるスピードとベクトルで変化しています。合衆国のトランプやロシアのプーチンの振る舞いが注目されており、みなさんもそこに目を奪われているかもしれませんけれど、より本質的には、18世紀ころから世界を覆ってきて標準(standard)とみなされていた西欧的な考え方や価値観が、非欧米世界の経済成長につれて相対化され、動揺しているというところが重要です。トランプやプーチン、そして彼らを支える勢力には、そうした動揺の反動として動いているという側面がかなりあるのですね。当科目では、いま私たちがいる日本という国家や社会については大半を対象外としています。学ぶのは日本の外、いうところの海外とか外国という部分です。公民はどうしても日本にかかわる部分をかなりの割合で扱い、余白みたいなところで世界を学ぶという構成になりがちですが、この現代社会論IIは、3年生選択科目というコンディションを生かして、あえて日本の外に照準を当てます。おそらくそうした視野で学び、思考する経験は初めてなのではないでしょうか。1年間の学習を終えたときに、「世界の見方」の一部くらいは獲得できて、成長を実感できるのであればいいなと考えています。 *地理の授業で使用した地図帳を毎回、持参してください。別種類のものを買い足してもよいと思います(違った視点を得られるかもしれない)。 |