古賀毅の講義サポート 2024-2025
Études sur la
société contemporaine II: Perspectives à l’ère de la mondialisation 2024 現代社会論II:グローバル時代のパースペクティヴ2024
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現代社会論I:探究するシヴィックス5.0
2024年9月の授業予定
9月13日 グローバル世界と宗教
9月20日 マジョリティ/マイノリティ考(2):他者と向き合う
9月27日 歴史の歴史性と今日性
授業予告は8月下旬ころに更新予定です。しばらくお待ちください。 REVIEW (7/12) ■いままでなんとなく、「右・左に偏ることは悪い」「中道でいることが正常」などという偏見をもっていた。しかし右と左があり、それらが対立して議論を展開することで、安定的な政治社会につながっていくのかなということを、授業を聞いていて考えた。そして、インターネット社会においてAIのリコメンド機能のようなものによって、自分の意見がマジョリティだと錯覚する状況が生まれており、対立する思想の排除という極端な思考に陥らせることになっているのではないか。 ■世界の右派、左派の思想が出てきて難しかったが、現在の世界の情勢に触れることができておもしろかった。選挙に勝つために民衆の不満を煽り、当選しても、その後の政治がうまくいかないので、メディアや政治家にまどわされずに考えることが必要だと思った。 ■左派・右派は歴史や公民の授業でよく出てくるワードであるため、意味の再確認ができた。しかしインターネット、環境問題の表面化など、さまざまな内的・外的要因によって細分化が起こっているため(どこまで譲歩するか、どこまで「これから」だけでなく「いま」生きる人に意識を割くかによって、路線が分かれる)、その変化を知るためにはそれらの要因も含めて注目しなければ追いついていけないと考えた。 ■メディアには必ず右左の偏りがあり、それを理解したうえで上手に選択しなければならないということがわかった。さらに、幅広い考え方を知るためには右左両者のメディアに触れる必要があると思う。 ■新聞やネットのニュースを伝える媒体には、政治的に右派・左派の傾向があるため、それらの傾向を理解したうえでニュースを読むべきだと思った。偏った情報しか読まない人たちが、自分たちの考えが正しいと思い込み、反対の意見をもつ勢力と対立してしまうのではないかと思った。今回の都知事選では、反小池氏である石丸氏と蓮舫氏に票が割れたことが、小池氏が圧勝した一つの理由であると思った。このような出来事から、現状からの改革を訴える左派勢力は、どう改革するかで意見が分かれてしまうということが確認できる。 ■今回の都知事選についてなかなかテレビで取り上げられていないというのは感じていたけど、全国放送で東京都だけ選挙を話題にする必要はないという誰かのXのポストに納得して、報道の問題に安倍さんがかかわっていたとは思いませんでした。小池さんの演説に文句をいう姿をたまたまニュースで見て、ことしは小池さんの反対派が多いんだと考えたり、石丸さんはSNSをがんばっているんだと知っても実は2人いたり、私はただ目にしたいくつかの情報から勝手になんとなく選挙の概要をつくり上げているのだということに気づいて、反省しました。 ■4月に誕生日を迎えて選挙権を得たが、政治についてあまり知らないため、これを機にきちんと知識を身につけようと思った。中学校の公民で政治について学んだが、これを現実に当てはめて考えてみると、こんがらがってよくわからなくなってしまった。ネットやテレビ、新聞には偏って書かれた内容が流れているから、これらを参考に政治を学ぶのはよくないと聞き、ネットが身近にあるとすぐそれを頼ろうとしてしまっていたことに気づいた。政党の本質的な部分を理解できていないがゆえに、選挙活動での様子や普段のニュースの内容で政党を判断してしまっていたが、それぞれがどういう政党であるのかをいま一度きちんと理解しておくべきだと思った。そのうえで、次回の選挙では自分がこの人に投票したいと、確信をもって投票できるようにしようと思った。 ■スポーツ新聞は、読むとだいたいどこのチームにひいきしているのかわかるけれど、普通の新聞はあまり違いがわからず、無意識に偏った意見を信用しきっていたので、幅広いメディアに目を通すようにしようと思いました。革新的な政党も、保守的な政党も、メディアを通して大衆に魅力的な公約を掲げていて、より多くの支持を集めようと必死になっているけれど、公約が実行されていないことも多くて、どちらを支持すればよいのかという判断が難しいです。
■右派と左派の違い、それぞれの事例や特性がよくわかった。右派は保守的で、現状を肯定的に受け止めるため方向や目標で対立しにくい一方、左派は進歩を重視するため物事を変えていく過程で対立が起こるということを学んだ。右派も多様で、外国が嫌いで排除したいというのではなく、自国が好きで伝統を重んじる傾向にあることを学び、変化もよいことだと思うが、現状に不便がないのなら現状維持のほうがよいのではないかと思った。また左派と右派の主張が社会問題とも深くかかわっていることを学び、解決のためには問題の理解を深め、どちらが適しているのかを見極めていく必要があると思った。 ■政治のニュースなどで、右翼・左翼、右派・左派というワード自体は聞いたことがあり、それが保守なのか進歩(革命的)なのかを表すということまでは知っていたのですが、それぞれの特徴や、冷戦前後での特徴の変化を知って、深いなと思いました。でも、いま右と左のどちらの話をしているのだろうとわからなくなることがありました。なんとなく保守派のほうがよいイメージがあったのですが、保守派が「自助」で左派・進歩派が「再分配」を重視するのだと知って、自立がすべてではないし協力してあたるべきだといういまの風潮には後者のほうが合っているような気がしました。右・左という考えのほかに意図的な「中立」はどうなるのか、あまり触れられなかったと思うので、そのことについても気になります。 ■よく休日の朝早くから駅前で、右翼の集団がデモをしていて、それがとんでもなく騒がしいし、偏ったことをいっているので、どちらかというと左派のほうがまともなのかなという楽観的なイメージをもっていたが、左翼の多様性や事実を主張するスタイルに流されていただけで、具体的に双方が政治上どんなやり方や意見をもっているのか、今回初めて理解した。たしかに人生のほとんどが安倍さんやトランプがトップだった期間なので、政治の対立をあまり気にしたことがなかったのだなと思った。 ■たまに右翼と左翼の放送カーをみかけるが、どちらも感じるのは、とても意志が強いこと。政治に中立的な立場というのが、偏りがなくてベストな立場だと勝手に考えていたけど、世界や国内の政治の流れやしくみを理解したうえで、自身がどの立場なのか考えなくてはいけないとおもったし、私はこういう政治思想だと堂々といえない人間だけど、堂々と自身の立場を明確にして主張する彼らの行動力は、あらゆる意味ですごいと思った。 ■自分が右なのか左なのかを考えてみましたが、いまの時点ではまだわかりませんでした。両親はけっこう保守的のような気がしますが、なぜ朝日新聞を購読しているのか聞いてみようと思いました。 ■父権主義(温情主義)と社会主義的な価値観がごっちゃになっている人を、ネットなどで見る気がします。現状に対して肯定的な右派、批判する左派という簡単な分類だけではなく、その中にも極右、中道寄りの右といった勢力があり対立するということを学んだ、○○主義という「主義」に拘泥するのはどうかと思うけれど、自分の信念をもったうえで意見をもちたい。 ■今回の授業に限ったことではないが、とくに今回は自分が無知であることを痛感した。日本のことも知らなければ、他の国のどの政党がどういうものとか、まったくわからない。今回の都知事選も、小池さんが当選したことと石丸さんがキレ気味に質問に返答していたことくらいしかわからない。 ■倫理の授業でも左・右に振れたが、正直難しいと思ってしまう。同じ左派・右派の中でも対立しているというのは初めて知った。左の左は極左という表現と解釈していいでしょうか? 右派は保守的で自国が好きなイメージというのはありましたが、度が過ぎた右派(極右?)は他国を非難しはじめるというのは知らなかった。自分的には左派のほうが政治の勢いがあると考えた。なぜならば現在の社会問題を煽って国民の不安を招くと、国民は急進的である左派につくからだ。ここでのマジョリティ・マイノリティ問題もかかわってきて、また難しく感じた。マジョリティを率いるために右・左どちらかに寄るというパターンもあるのですか? 右派がやばいとフランスでいわれていたのは、移民問題の他にどのような問題が合わさって右がヤバいとなったのですか? 左派のほう(極左?)がもっと極端なことをいっていると思いますが・・・。 ■極左や極右まで傾くとさすがに怖いですが、穏健な左派なら、いまの時代には合っているのではないかとおもいました。いっぽうで、左派というと憲法9条改正のイメージがどうしても捨てきれないので、まだまだ思想について学ぶ必要があると感じました。 ■右派・左派という言葉だけは知っていたが、起源がフランス革命の国民公会だというのは初めて知った。演歌とロックの喩えがしっくりきた。また、あくまでも左・右というのは相対的なものだというのを忘れないようにしたい。 ■左派の中でも考え方の違いによって別の左派路線が生まれたとか、右派の中でも別の右派路線が生まれたというのを聞いて、自民党の派閥も似たところがあるのかなと思いました。極論をいうと、私は集団内で意見や考え方が完全に一致することはなく、個人によって考え方が違うためそのような分岐のゴールは個人に行き着くと思います。だから、どこまでなら妥協できるかが重要であり、限界に達するとまた別の新たな集団、路線が生まれるのではないかと思います。 ■トリクル・ダウンと再分配のどちらのほうが経済的によいのか、よくわからなかった。稼げる人目線と貧しい人目線で、求める政策が異なるから難しいと思った。もう少し政治に興味をもって、テレビや新聞などを見ないと、選挙に行けないなと思いました。 ■政治体制など、いままで難しくてあまり理解せず表面的になんとなくの理解しかなかった。だが今回の授業を機に、やはりしっかり勉強しようと思った。政治だけでなく、教育においても傾斜配分のようなことができるのかと思った。また、トリクル・ダウンについて、富裕層を優遇して豊かにすれば下層にまで波及し全体が豊かになる、とのことだが、本当にそこまで波及するのかと思った。 ■生まれの不公平や教育環境の差を公的制度で是正するという政策の中の、子どものための預金は、金持ちの子どもが金持ちになるというループを止めることができそうで、よい案だと思った。 ■教育政策では、左派は学力定着を重視した。しかし左派は改革を積極的におこなうのだから、定着ではなく競争を重視するべきだと考えた。競争重視は右派の政策である。このように、左派と右派を突き詰めていくと、左派が右派のように、右派が左派のように見えてしまう。 ■高い学力の生徒を輩出した学校に資金などを傾斜配分するというイギリスの制度のもとでは、もともと高学力指向の生徒または家庭が、すでに定評のある学校に流れるといった、再生産的なことが起こってしまうのではないでしょうか。 ■経済の面から捉える政治的対立軸のどこに位置するのかと考えたときに、わからないことがあります。私は、社会的立場の弱い人たちに再分配がおこなわれるべきだと考えるのですが、必ずしも国家(政府)によって再分配がおこなわれるべきものだとは思いません。民営の機関による奨学金のように、民間が再分配の機能を果たすのもよいのではないかと感じられます。左寄りの意見ですが、政府がやるべきとは考えません。どう考えればよいでしょうか。 ■今回の授業では右派と左派について学んだ。自分の勉強不足を実感した。サッチャーとブレアの話で、生まれながらの経済格差を公平にするための政策を知り、実際にそのような政策をとるのは国民からの反感があると思っていたので、実施している国があって驚いた。なかなか理解ができないのですが、読むべき本を教えてほしいです。 ■いままでの左派・右派は再分配と市場主義といった経済的な面での違い、対立によってわかりやすかったが、現在ではジェンダー問題やグローバル化、含まれるのかわからないが環境問題などの、経済だけに収まらない文化的な争点が左派と右派、あるいは右派の中でも極右といった政治的な位置をわかりにくくしているのではないかと思った。 ■左寄りの人は、伝統や規律を疎んじるという印象があります。校則のない学校にいると他校の視線が厳しく、嫌味っぽいことをいわれることがたまにあるのですが、守るべき規律とか理屈ではない常識みたいなものもあるような気がします。改革ばかりしても統制がとれなくなってしまいそうなので、その線引きが難しいと思いました。 ■いま上田先生の政治学入門の授業で、政治的左・右について学んでいて、それにまつわる本を読んだばかりだったので、いつもの授業の内容より深く理解できた。左右というけれども、現代社会ではそれぞれにポピュリスト勢力が存在し、単に2方向でまとめることはできないのだと思った。私たち若い世代はテレビも観ないし、エコー・チェンバー的なSNSで自分たちの好きな情報ばかりを見ているので、政治に対する理解も関心も浅く、つい中立的な立場をとってしまいがちである。しかし自分が有権者となって投票するときには、左右の概念をきちんと理解し、それだけではまとめられない各政党の特徴を分析して、自分の政治意識を見つめなおすべきだと思った。 ■ポピュリズムの、大衆の感情や不満に訴えて既成の構造からはみ出すような手法は、問題を惹き起こすと考える。マジョリティとマイノリティの対立を強調し、社会を分断してしまう可能性がある。また事実にもとづかない情報や誇張された主張などを利用し、ニセ情報を大衆に信じ込ませて選挙に当選するような人が出てきてしまうのではないか。 ■財政が不安定なときには左派が支持され、外国から不当な扱いを受けていたり、国が豊かなときには外国勢力を排除するため右派が支持されるということを、歴史の授業で学んだ。しかしいまの世界情勢は、グローバル化などの影響で非常に複雑化しており、外国人の排除や社会保障の是非など、単純化して政治を語ること、支持することはできないのだと考えた。 ■寛容は不寛容な人たちを寛容するのか。しないと考える。寛容というのはなんでもかんでも受け入れるということではなく、ある程度の相互理解の上にあると思う。不寛容な人たちは他の考えをそもそも聞かないから、相互理解は成り立たない。そんな人たちのことは寛容できないと考える。 ■(1)左や右というのが相対的であるなら、いまの日本の左は経済軸ではネオリベラルからの脱却で、右はネオリベラルの維持で合っていますか。(2)自由主義を受けてリベラリズム、それを受けてネオリベラリズムが生まれたという時系列で正しいですか。(3)急進右派とは何ですか。右派に急速になろうとしている右派ということですか。(4)革新と急進は別ですか。(5)社会民主主義って何ですか。ネオリベラルってことですか。(6)インフラ事業を民営化すると寡占の影響で値段が跳ね上がってしまってもおかしくないと思うのですが、なぜそうならないのですか。 ■政治学の授業で、日本は民主党政権のときに二大政党化しかけた、と学んだ。この先そのように国内の政党の勢力関係が変わることはあると思いますか? 都知事選は、いままでの選挙と違った、というような内容をたびたび見かけましたが、先生はどう思いますか? ■授業でも話されていましたが、現代社会に生きている人々は、中立の意見をもつということはなく、右や左に偏っているとのことでした。やはり先日の東京都知事選挙の際のように、メディアが人の意思決定に影響を与える情報をコントロールしているので、メディアを通して政治を見るのは、ある意味危険だなと思いました。 ■先日おこなわれた都知事選で、政治に興味をもって学習している最中に、今回の左・右に関する授業があったので、理解が比較的容易でした。私自身、メディアを敵に回しつつ命を懸けて都政を担おうとした候補者の姿勢に感銘を受けましたが、彼は経済学者ということもあり、再分配に近い考えを呈していました。また介護よりも学校教育等の子育て支援に力を入れるなど、より効率的な金の循環を掲げていました。政治的には「左」に近いのかなと思いました。仮に彼が当選していたら、どのような都政、国政への影響があったのか想像してみるのですが、難しいところが多く、先生が見解をお持ちでしたら教えていただきたいです。 ■都知事選の直前のころ、小池・石丸・蓮舫3氏に関するツイートやそれぞれの動画がたくさん上がっていた。そしてそのコメント欄を眺めるという趣味があったわけですが、先生のおっしゃっていたとおりだった。怖いのは同じ候補に関するツイートでも批判的なコメント欄になるときと肯定的なコメント欄になるときがあること。今回は3人それぞれに、ウソかほんとかもよくわからないスキャンダル的な報道が出て、いいようにポピュリズム的に利用されていておもしろかったです。 ■右派は保守派、左派は改革派であるということを知っており、歴史とのかかわりという点では学んだことがあったが、現代の右派・左派については恥ずかしながら知らなかった。イタリアは産業があまり発達せず貧しいままだったため左派寄りになったという話や、ロシアでは貧しさがゆえに過激な革命が起きたという話から、右派・左派にすでに分かれているというより、国の状況によって右や左に寄るという考え方が正しいのかなと考えた。 ■今後グローバル化が進行していくにつれて保守が力をもったまま時代が進むと、結局は世界的に孤立してしまうリスクがあると思うので、左派(革新)の政党が議会を煽動する社会になったほうがよいのではないかと考えました。また民主主義の本質として、マジョリティが優勢になればよい、というものであると学ぶことができ、より主義主張や政治的な左右に対する理解が深まりました。 ■トランプが共和党を右に引っ張っていったように、リーダーによって変わっていくのなら、党としての意味があるのかとかんがえた。乗っ取ることもできそう。表面上は大衆派の意見といっておきながら、自分のやりたいようにやる。長くはつづかないかもしれないが、できないことはないと考えた。 ■2020年のアメリカ大統領選挙で民主党のバイデンが当選したが、その結果を見てみると、たしかに都市部のニューヨークやカリフォルニア、シカゴの近くのエリアに民主党を支持する人が多いことがわかった。ちょうどそのころシカゴの郊外に住んでいたが、庭にGO TRUMPと書いたボードを差している家が多かったように思う。つまり都市に近くても郊外になると、再分配を求めて高福祉高負担を望む人が多いのだと考える。2016年の選挙結果では、都市中心部ではないが近くに都市がある州、アリゾナ、ウィスコンシン、アイオワ、ミシガン、ペンシルヴェニアなどが年によって選挙結果が変わりがちだとわかる。貧しい人たちは再分配を求め、お金持ちは自助しようとするが、お金持ちの側からしたらたまたまお金持ちの家に生まれたとしても、なってみないと再分配を求める気持ちを理解しがたいのかなと思った。 ■教科書的な左/右と、具体的な現実世界の左/右にギャップがあるように以前から思っていたが、その理由がわかった気がする。グローバル時代の金融政策は日本の雇用につながらない、というのは、いままで考えたことがなかったが、とても納得した。システムそのものへの疑問の重要性を学んだ。昨年の政経で佐藤先生が、「イチゴ6個パック、めっちゃおいしそうな5個でも、1個が腐っていたら買わないだろ、ギリシアもそういうもん」っていっていたのを思い出しました。あれの喩えって何がいちばんいいんですかね。 ■今回イギリスやフランスの選挙の報道を見て、海外の政治の状況を何も知らないと気づいた。 ■日本人は海外よりも選挙への関心が薄いですが、移民系の青少年に「クズども!」と発言したサルコジ(フランス)の例や、ヒンドゥー教を全推しするインドのモディ首相、アメリカを第一と考えるトランプ大統領の例など、何かの思想に全振りする政略宣言をすることで、もっと熱い政治活動がおこなわれていくと思いました。 ■今回のフランス国民議会議員選挙は非常に興味深い。右派を勝たせないために左派と中道どっちでもいいから投票するという行動が起きた。それでは人民の意見を正しく反映させた議会が形成されるとはとうてい考えられない。このように一時的な解決でしかない行動では、フランスというG7はEUに参加し国際社会に影響のある国では、すぐにぼろが出て、国の政治がぼろぼろになる。そうなれば次は右派が勝つ可能性が高くなって、結局、右派回避行動が無駄になってしまうのでは。 ■今回の授業を受けて、「○○でないほう」を選ぶこと、つまり消去法がもつ力はとても大きいのだと思いました。ただ、それはフランス国民議会議員選挙のように、問題の種になってしまうこともあるので、そのよしあしは考えなければならないと思いました。 ■左派でも排外的な感情をもっていたり、右派でもナショナル・ポピュリズムとして社会福祉を推進したりと、右=過激なナショナリストという世俗的なイメージではなく、左も右も理解したうえで自分の位置を定めることが重要だと思った。ポピュリズムが世界中で広く人気を集めているが、イメージが先行して政策などが深く理解されず、社会に支持されていく可能性も大きくなると思うので、テレビで中立的な立場から現在の政治状況についての特集を放送するなどして、国民の政治に対する意識を高めていかなければ、いずれは取り返しがつかないことになるかもしれない、と思った。 ■左派と右派がそれぞれどんな考えなのか理解することができました。単に革新・保守というだけではまとめられず、どちらに偏っているとはいっても分野ごとに賛成できる部分も反対する部分もあり、自分がどちらかはっきりさせることに難しさを感じました。18歳になって選挙に参加するとなったときに、立候補者がどのような立場を取っているのか、よく調べるようにしたいです。また左右の偏りがまったく違う国どうしで話し合ったり物事を決めたりするときに、どのようにして間を取るのか知りたいです。 ■いままで左派が何で右派が何であるのか、よくわかっていないまま言葉を耳にしていました。先日の都知事選では選挙権がまだなかったのですが、いつも選挙は他人事と思っているふしがあるのに今回は少し前のめりで見ていました。先生は票を入れるときに、立候補者の何を見ていますか? もし掲げる政策が、子育てか社会保障かという場合、どちらを重視しますか?
現代社会論は、附属高校ならではの多彩な選択科目のひとつであり、高大接続を意識して、高等学校段階での学びを一歩先に進め、大学でのより深い学びへとつなげることをめざす教育活動の一環として設定されています。この現代社会論(2016年度以降は2クラス編成)は、教科としては公民に属しますが、実際にはより広く、文系(人文・社会系)のほぼ全体を視野に入れつつ、小・中・高これまでの学びの成果をある対象へと焦点化するという、おそらくみなさんがあまり経験したことのない趣旨の科目です。したがって、公共、倫理、政治・経済はもちろんのこと、地理歴史科に属する各科目、そして国語、英語、芸術、家庭、保健体育、情報、理科あたりも視野に入れています。1年弱で到達できる範囲やレベルは限られていますけれども、担当者としては、一生学びつづけるうえでのスタート台くらいは提供したいなという気持ちでいます。教科や科目というのはあくまで学ぶ側や教える側の都合で設定した、暫定的かつ仮の区分にすぎません。つながりや広がりを面倒くさがらずに探究することで、文系の学びのおもしろさを体験してみてください。 選択第7群の現代社会論IIでは、設定いらいずっと「グローバル」なものを副題に掲げてきました。グローバル化(英語でglobalization=地球化、フランス語でmondialisation=世界化)という用語や概念は、1990年代あたりに一般化したものであり、2000(ゼロ)年代にはそれがすべてかのように猛威をふるい、2010年代には逆風にさらされ、グローバルに関する言説は総じて批判的なものになりました。2020年代ももう半ばですし、高校3年生のみなさんが実社会で活躍するのはさらに先の2030年代でしょうから、そのころグローバルという表現自体がもう陳腐化している可能性は、なくはないと思われます。ただ、いったんグローバル化してしまった以上、もとの世界に戻ることはありません。私たちは知らず知らずグローバルの恩恵を受けています(もちろん、ダメージも食らっています)。グローバル時代だから外国語を話せるようになりましょう、といった単純すぎる(アホみたいな)発想が陳腐化するのは間違いない。では、これからの時代に社会で活躍する人として、いかなる思考、どのような構えを心得るべきなのか。その答えを出すには、週2時間、1年弱の授業ではとても足りませんが、そのヒントや土台くらいは提供できればなという思いでいます。とくに、これまでの社会系(公民・地理歴史)の授業では、どうしても日本のことが中心であることが多かったと思いますので、当科目ではあえて焦点や対象を日本の外側に設定して、「世界」「国際社会」を展望するための見方を共有していくことをめざします。「展望するための見方」を端的に表現しようとしたのが、副題にあるパースペクティヴです。実はこれまでに「グローバル時代のパースペクティヴ」の副題を2度、使ったことがあります。最初は2016年、2度目は2020年です。偶然ではなく、意識的に合衆国大統領選挙の年に当てています(夏季五輪開催年、うるう年であることは承知していますよね)。2016年には、英国のEU離脱投票がおこなわれ、その開票速報をこの授業内で、みんなで見つめました。トランプがよもやの大統領当選を果たしたのもその年です。2020年はコロナ禍で、1学期の途中までオンライン授業を余儀なくされ、ただでさえ社会・世界がイレギュラーな状況になる中で、合衆国ではまたしても政権交代が起こっています。「パースペクティヴ」を掲げる年には、世界で何かが起きるのかもしれません。2024年は、どうでしょうか。 話題の大半が、なじみの薄い外国ないし世界のことになります。これまでの知識や考え方では思考が及ばないだろうと思います。少しずつでよいので、「見方」(「知識」ではない)を心得て、それを介して世界を見渡すようにしてみましょう。新聞やニュースで、これまであまり注目しなかった分野にも目を向けることを習慣化し、意識的に視野を広げるようにしましょう。18歳の視野はやっぱり限られています。いま広げてみると、それは間違いなく自身の成長につながり、将来の可能性を広げることにもつながります。本物のグローバル思考に向けて、歩みをはじめましょう! *地理の授業で使用した地図帳を毎回、持参してください。別種類のものを買い足してもよいと思います(違った視点を得られるかもしれない)。 |