古賀毅の講義サポート 2026-2027

Études sur la société contemporaine II: «le monde en mutation / pour la perspective et la réflexion globales

現代社会論II
変動する世界/グローバルな視座と思考のために


早稲田大学本庄高等学院3年(選択科目)
金曜34限(11:20-13:10) 教室棟95号館 S203教室

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現代社会論I:近未来の社会を(に)生きる構想と探究

 

202645月の授業予定
4
24日 国家の多様なかたち
5
1日 ナショナル・アイデンティティへの視座
5
8日 現代世界と言語(1):言語の考え方
5
15日 現代世界と言語(2):言語とアイデンティティ
5
29日 現代世界と言語(3):社会変動の中の言語

 


次回は・・・
4-
ナショナル・アイデンティティへの視座

ここまで主に国際法や国際関係の視点から、国家state / nation)を考察してきました。今回は国家を構成する重要な要素でありつつ、捉え方の難しそうな国民nation / people)に焦点を当てます。たとえば日本という国家に日本人という国民が住む。韓国という国家に韓国人という国民が住んでいる。国家があるのだから国民がいて当然でしょ、というふうにシンプルに考える人が多いかもしれません(現時点では)。そして、自分がその一員であると思う○○人という国民に対しても、自分が属していない△△人という国民に対しても、○○人はこういう国民性をもった人、△△人にはこんな傾向がある、といった評価を加えることがしばしばあります。自分が属している国民だからといってプラス要素ばかりで捉えるということでもなくて、「まったく日本人ってこれだから嫌なんだよな」といったマイナスの評価を自分たちに当てることもありますね。しかし、他国民から「日本人はこれだから嫌なんだよな」と、同じ性質に対して同じ言葉で批判を受けると、急に感情的になって「なに〜 !!」と怒り出すかもしれません。お前たちこそ××だ!みたいな言い返しの可能性もあります。SNSを含めて、日常会話の中ではずいぶん出てくる場面なのですけれども、よく考えると、かなりおかしいことがわかります。1億人以上もいる日本人のパーソナリティや行動様式が均一であるということは絶対にありません。それこそSNSでは日々、日本人どうしが罵り合っているわけで、同国人からといって嫌いな人、気の合わない人はたくさんいるし、それ以上に、大多数の同国人は「知り合いですらない人」です。「日本人は」とひとくくりにして認識し、評価を当てはめるということが本当に妥当なのでしょうか。

それでも、たとえばスポーツの国際大会で日本人や日本代表チームが活躍すると、わがことのようにうれしくなり、大喜びすることがあります。知り合いではないという点では、日本代表もカナダ代表選手も同じなのに、なぜか同国人を応援する。外国人に「日本」を褒められたとき、決してあなた自身を褒めたわけではないのに、自分が褒められたような感覚でうれしくなります。「日本人はマナーがよくて、電車では静かにしているし、町にゴミを捨てませんよね」と、訪日旅行者がしばしばいっていますけれど、日本人である自分は電車で友達とわいわいしているし、この前はついゴミを路上に捨ててしまった。それでも、なぜか自分を、褒められている「日本人」の中に入れて、うれしがるのではないでしょうか。生身の自分を、所属する国家や国民と重ねて、ああわたしはこの国家・国民の一員である、というふうに理屈ではなく感情レベルで思うこと。これが今回の主題であるナショナル・アイデンティティの最初の説明になります(「定義」とはちょっと違う)。アイデンティティはもともと心理学の用語で、「自分とは何か」という自己認識のようなものなのであり、ナショナルな要素は含まれません。しかし現代世界では、なぜかナショナルな要素が強くなります。誰に教えられたわけでもないのに不思議ですね。愛国心(patriotism)は生来そなわった「自然な感情」だと考える人も、あるかもしれません。でもそんなことはありません。思想史をちょこっと学べばわかることですが、いまいわれているようなパトリオティズムが表れるのはせいぜい17世紀あたりのことです。フランス革命が起こった1780年代においてもなお、「自分がフランス人であり、フランスを愛している」と感じる人は、社会の上層の人たちに限られました。ナショナル・アイデンティティや愛国心は、近代の産物なのです。何がそれらを生み出したか、想像できるでしょうか。

前回までの国家の見方だと、国家は法のカタマリであり、ある種の組織体という性質であるように説明されました。しかし国家を国家たらしめるのは、「ここはわれらの国だ!」という思いを抱く生身の人々=国民です。そして、国家が国民をつくるという面と、国民が国家をつくるという面があって、両方の動きが絡み合って近代国家が生成されました。そして、主権国家という考え方(現代のスタンダード)が欧州の歴史の中で生まれ、世界に広がったのと同様に、近代的な国民像もまた欧州から世界へと伝播しました。法や制度の部分以上に、「これがわが国だ」という感覚を取りまとめるほうが難しいと思うのだけれど、とにかくそういうことになっています。「日本は島国でおおかた日本人が住んでいるから問題が少ない」なんて、ショートしすぎですからね。江戸時代の地図と現代の地図を比べてみるだけで、その問題点はわかるはずです。



REVIEW 4/24

私はいままで、国家には、これが当てはまれば国家として認められるというような明確な定義が存在するものだと思っていましたが、今回の授業を受けて、いろいろなあり方があり、単純なしくみで理解することはできなくて、難しいけれど多様でおもしろいと思いました。また国家の中の国家に属している人々のアイデンティティはどのようになっているのか疑問に思いました。

公共の授業では、国家とは主権・領域・国民という定義や要件を満たしているものと習ったので、ずっとその認識でいたけれど、今回の授業を聞いて、国家は教科書的な定義では捉えきれないなと実感しました。国家が国家であるためにという要件の「国際社会のコンセンサス」というのがとくに印象に残りました。定義に合わないから間違いというわけではなく、現実をそのまま眺める姿勢が重要であり、それはややこしいというより多様であるということなんだなと思いました。

国家の中に国家がある、世界に認められない国家がある、といった世界の現状を知って、世界は自分が思っているよりも複雑で、いままで学んできた世界に関することはほんの一部だったんだなと感じた。
今回の授業で、国家というものは、自分が思っていたよりもあいまいで、さまざまな形があるのだと知った。とくにスイスのように一国の中に強い権限をもつ地域があるところや未承認の国家があることから、何をもって国家とするのかは難しいと感じた。またカモノハシ理論がおもしろく、興味深かった。世界のしくみも単純なルールに当てはめることができないという考えに納得した。西サハラのモロッコ支配は国際法違反ではあるものの住民票の作成が困難であることや、重要な資源が何もないのでとがめられていないというのもおもしろかった。世界の情勢の難しいところは、一つを許可してしまうとすべてに影響してしまうところだと思った。

国家というのは他国と関わるときには、認められているかどうか、主権をもっているのかということが重視されるが、実際に国家はどのような要素があれば国家といえるのかがあいまいで、一言に国家ということの難しさを感じました。国家として認められていない場所でも、主権国家と同様に人々が暮らしているところもたくさんあり、基準に当てはまらないものもそう思うしかないというカモノハシ理論にとても納得しました。主権国家は領域の大小にかかわらず対等という建前でも、実際には国連の常任理事国の承認が重視されていることや、かつての列強が他の地域に影響を及ぼした痕跡が多くあり、国交や自分の国を守るということも考慮しながらやっていく難しさを感じました。アメリカや中国などの顔色をうかがいながら方針を定めるというのは、仕方ないと思うと同時に、それでいいのかという疑問も感じました。
今回の授業では、国家という存在を定義することの難しさが印象的だった。カモノハシ理論では、既存の枠組に無理やり当てはめるのではなく、現実の多様性をそのまま受け止めることが大切だと感じた。国家は主権・領域・国民の三要素で成り立つと思っていたが、スイスのカントンやUAEなどの事例を見ると三要素では十分に説明できないのだと知った。また西サハラや中国などの事例から、歴史や政治によって国家としての扱われ方が左右されることも印象に残った。国家の定義は、単に定義づけられているのではなく、国際関係や権力構造と密接に結びついていることが理解できた。

固定的な定義では捉えきれない国家の多様性について学んだ。とくにカモノハシの例を用いた「例外をそのまま受け入れる姿勢」は、グローバル社会を理解するうえで重要だと感じた。またスイスのカントンのように、国家の内部に主権的要素をもつ単位に存在する例や、アラブ首長国連邦やタンザニアなど複数の国家的要素の集合体としての国家も印象的だった。全体として、国家という概念は非常に流動的で、相対的なものであり、単純な三要素だけでは説明できないということを実感した。

 
ルクセンブルク大公国の首都ルクセンブルクの市内
一人あたりGDP10年以上も世界トップを独走する豊かな国 いまは紛れもない主権国家だが
かつては神聖ローマ帝国の国家内国家で、19世紀からしばらくはオランダと同君連合(王は同じだが政府・国家機構が別)を組んだ
かつてのルクセンブルクは女性が大公位を継承することが認められなかったため、オランダに女王が誕生したときに国家を分離
小さな主権国家として歩んでいく決意をしたのである(現在の憲法では女子継承が認められている)

 

理系科目の公式などについては「なぜそうなるのか」を理解することが重要だとずっと教わってきたので、グローバルな世界を学ぶときは「ありのまま」受け止めるカモノハシ理論の姿勢が有効だと知り、少しとまどいました。またスイスやアラブ首長国連邦など、これまでは一つの国家として単純に捉えていたが、それは一つの観点に囚われた見方に過ぎなかったことに気づいた。
・・・> 国家のあり方に関しても「なぜそうなるのか」を理解することがきわめて重要です(今回はその作業をしたつもりです)。ただ、「三要素」みたいなもっともらしい定義を覚えて、それに合うかどうかの一面だけで処理する人があまりに多いので、「合わなくても国家であるかもしれないよ」といっているわけ。

主権国家というのは外部からの見方で、国家は内部の人の見方なのかと考えた。よって私たちは、内部の人が見る「国家」を受容するか、しないかは自由なのではないか。なぜなら私たちと実際に向き合っているのは主権国家のほうだからだ。

何をもって国家とみなすのかと聞かれて、昨年の公共で習った国家の三要素が答えだと考えていた。だがそれを教えているのは日本くらいだと聞いて意外だった。他の国ではどのようにそれを教えているのか気になった。
いままで地理や歴史で多くの国・地域を学びましたが、国家が何なのか?ということを考えていませんでした。国家の三要素をいまだに重視して教育しているのが日本くらいというのも驚きました。日本の教育の問題点だと感じました。国家が何なのかというのは、そこまで重要なものではないと考えました。日本は台湾を国家として承認してはいないが、実際にはいろいろな面で日本と親しい仲である。この状況において国家とは何かということを学校教育などで定義し、生徒に教える(覚えさせる)必要はないとあらためて考えました。

世界には未知数の疑問があるのだと感じました。とくにスイスについて。スイスには国家内国家が存在し、そのうえでスイス連邦が主権国家であるという点です。スイスには公用語がいくつかあるとほとんどの義務教育で教えられるけど、別に公用語がたくさんあるわけではないというのを今回初めて知って、なんか義務教育の敗北を深く感じました。とても悲しいです。
・・・> なぜレビュー主がそれを悲しむのかよくわかりませんが(公教育を「わがこと」として背負っているのは、教育学者兼教育者の古賀のほうです 笑)、学校教育の早い段階で学んだことを少しずつバージョン・アップさせていって、それとともに自分の思考力やその幅を広げていくというのが、理想的な学び方です。最初に教わった内容を更新することなくそのまま温存するのが正しいのだとすれば、それこそ教育ならぬ自己の敗北で、成長しないことを宣言するようなことになりませんか? 義務教育でも高校教育でも、少なくともその時点で認識されている学問水準に照らして「ウソ」は教えていないはずです。ウソとか虚偽を教えているのではなく、ややこしい部分を捨象したり、目立つところを焦点化したりするだけのこと。スイス連邦にはカントンが内包され連邦のほうが主権国家であること、各カントンに公用語があるということ、を論理的に同時に満たす表現は「スイス(連邦)には公用語がいくつかある」ということになり、別段間違っていないでしょ?

前回につづいて国家とは何かという視点をもつと、主権や法、外交や軍事など国のアイデンティティをつくり出すさまざまな要素からアプローチすることができる。中でも国際社会での立ち位置を考えると、国家を集合させた連邦国家というかたちで機能している国があるとわかる。その内部にはそれぞれの憲法や政府があり、自治のための制度がきちんと存在し、自律しているのだと考えられる。同じく国際社会の点から考えると、植民地であったとか、統治されていたといった点から主権のありかが問われたり、前述した連邦国家内の国が国家内国家として扱われていたりすることがあり、私たちが学ぶ国家の三要素はすべてに適用されるわけではなく、国々によって承認する・しないと意見が分かれることもある、とわかる。地理的要素と外交の要素も複雑に絡み合うからこそ、三要素のみで簡単に分別できるものではないと思った。

国家を承認するのかしないのかということに、外交関係の私情をはさんでいるのがよくないと思った。たとえば日本がアメリカの顔色をうかがっているのも、少し情けなく思える。だからこそ明確な基準を設けて、その国に住んでいる人の思いを汲み取ってほしいと思った。
・・・> 私情ではなくてリアルな国際認識だと思いますよ。レビュー主の捉え方のほうが情緒的になっていない? さて、日本とかアメリカは国家ですので、「顔」「顔色」はありませんし「顔色をうかがう」機能も人間にしかありません。国家を擬人化していることに気づいていますか? いろいろ間違えるもとですよ。それと、明確な基準なるものを誰がどうやってつくるのか、それを本当にすべての国家が受け入れられるのか。大多数が受け入れれば成立すると思うかもしれないが、いまでも少数派である未承認国家などは捨象してもかまわないということになってしまい、そうなると「その国に住んでいる人の思いを汲み取」るのとは逆の方向になります。

国家の成り立つ要素と国家、どちらが先なのだろうか。国の見方を世界で統一することはできないのだろうか。
・・・> 国家が先に決まっています。統一することはできません。前回と今回の内容を学んだあとに、この疑問が浮かんだということは、内容をまだ十分に汲み取れていないということだと思います。復習しましょう。

家族や学校や地域など私たちの属する組織はすべて自然発生であって、後から名前がついただけ。そう考えるとあらゆる定義に当てはまらないものがあるのは当然なこと。適度に身を任せ、絶え間なく変わる世界を見ていたい。歴史を学ぶうえで「でもこの時代の国は現代の国とは違うんでしょ?」と毎度思っていたが、当然だった! 何も怪しいことなんてなかったです。すっきりしました。
・・・> 学校は自然発生ではなくない? (少なくとも近代の学校は)

今回の授業を通じて、国際社会を扱ううえで定義することをあきらめ、認識するということが大切だとわかりました。
・・・> 定義すること自体は大事で、学問としても実際の社会運営としても重要。ただ自分たちでつくった定義に縛られ(囚われ)るあまり、実態のほうがおかしい、そんなはずはない、と思い込まないようにしましょう、ということです。哺乳類は卵生でなく胎生、という定義(の一部)は相当に有効です。カモノハシとハリモグラが例外であるだけ。国家もそんな感じですので、少数の例外だからといって軽視しないで、ということですね。

カモノハシ理論によって、「現実はそのまま受け入れよう」という姿勢が強調されているが、これをそのまま適用すると、領土問題や未承認国家の扱いを「仕方ない」で終わらせてしまう危険もあると思った。また国家の定義において、三要素が絶対的でないとなると、判断や主観などが政治にかかわってしまい、それは本当によいのか、と感じた。
・・・> 2文ありますが、1文目はカモノハシ理論に対するレビュー主の受け止め方が誤っている、というかズレて解釈してしまったことによる、判断の誤り。2文目はそのとおりなのだけど、それこそ、それを日本の高校生が「本当によいのか、と感じた」ところで世界がどうなるわけでもなく、そもそも「よい」というのはどこかの誰か(たち)の判断や主観のカタマリでしかないという、当たり前のことを見逃すことになります。私は、今回の授業を含めて、「現実はそのまま受け入れよう」といったことはありません。国家のあり方や位置づけに対する見方はいうほど定式化されていないので、理解のためにも(まさに主観的な判断を避けるためにも)、まずはありのままを受け止めて、理解しなさいと申したのです。その先でどう行動するかは各自の判断。領土問題を解決したければ、いいとか悪いとか正しいとかおかしいとかいう以前に、「現にどうなっているのか」を知ることが重要だと思いませんか?

いままで国の定義など考えたこともなかったが、今回の授業で主権国家や国家内国家についていろいろな話を聞けて、とてもおもしろかった。マレーシアやスイスなどの身近な国も国家内国家の集まりだというのは知らなかった。未承認国家の中華民國を国と認めて、中華人民共和国も国と認めて貿易などをおこなっている国もあるのですか?
「その国、本当に国でしょうか?」という国?が思ったよりたくさんあることはわかりました。日本の教育によって、私たちがその一部の国?が国として認めないことになっているのもわかりました。でも、どういう理由で認めないのでしょう。台湾みたいに認めると明らかに不都合がある場合はわかりますが、小さい理由なら認めてもいいんじゃね?と思います。そもそも認めてもらう必要もない国もありそうですね。俺らは国際社会とか知らねえよ、的な。
・・・> このテーマを扱う際の大前提がわかっていないかもしれない。「認める」という表現は不適切で、ここはあくまで「国家承認する」です。「認めてもいいんじゃね?」「俺ら」といった日常のスラングに落とし込むと、余計に文脈が荒れます。「くにをみとめる」という、制約や要件のない一般的な話と、「こっかをしょうにんする」という法的な言葉遣いでは、指示内容や含意がかなり違ってくるのです。私は慎重に表現したつもりですが、なぜ(勝手に)読み替えてしまいましたか? なお前の方の質問ですが、中華人民共和国と中華民國を同時に承認することはできません。中華民國を承認すると、中華人民共和国から外交関係の切断が通告されます。


モナコ公国 世界で2番目に面積の小さな主権国家
2005
年までは、公爵に跡継ぎの男子が生まれなければフランス共和国が併合するという条約を
フランスと結んでいた このため「主権国家としての自律性」に疑問が残り、日本政府も
公式の外交関係を結んでいなかった 現在は完全なる主権国家になり日本との外交関係も確立されている

 

国家の三要素はあくまで近代の主権国家体制を維持するために便宜的な定義であり、現実的には国家の形態はもっと流動的である。スイスやマレーシアのような国家内国家を内包する主権国家も、台湾のように実態と形式が乖離した国家も、「国家の定義」という枠組がいかに限定的なものであるのかを物語っていると思った。

一つの主権国家でも、国家内国家があって相互の往来にはパスポートが必要であったり、それぞれに君主がいたりする地域が結構あって驚きました。タンザニア連合共和国もその一例で、パスポート・コントロールがあることは理解したのですが、ザンジバルがタンガニーカと対等合併した理由は何ですか? 一国で十分に経済力があるので対等合併しなくても主権国家として維持できたと思うのですが・・・。
・・・> 独立当時の経済力ではザンジバルが上回っていましたが、政治の安定では強いリーダーシップを発揮したニエレレ大統領の率いるタンガニーカが優勢でした。1963年にザンジバルでクーデタが起こり、社会主義勢力が国王(スルタン)を追放して政権を奪取しましたが、土地政策などで国内が大混乱に陥り、最終的にニエレレに救済を求めることになったのです。形式的には対等合併ですが、秩序維持に失敗したザンジバルがみずから編入を申し出たかたちになりました。ときは冷戦の最中ですので、この地域の不安定化を恐れた英国などの介入もあったようです。

地理総合の課題で、西アフリカの国々を覚えるというのがあったのですが、そのとき西サハラを見つけて、そこがどういう立場なのか気になっていました。そのときすぐに調べてみなかったことを後悔しています。

そもそも地図上で西サハラが黒文字で表現されていることを知らなくて、そのうえで、もしかしたらトランプが隠し持っている土地なのかな〜なんて思っていたけど、モロッコが統治していて国連が放っておいているというのがおもしろかったです西サハラを8割ほどもっているのと全土もっているのとで、どのくらい領海とかが変わるんですか? それによってはもう少し国連が関心をもつべきなのかななんて思いました。
・・・> スライドを見ていただくとわかりますが、サハラ・アラブ民主共和国がどうにか押さえている2割というのはすべて内陸側(アルジェリアとの国境付近)ですので海岸はありません。無価値とはいわないまでも沙漠ばかりですので、モロッコの押さえている8割が「西サハラのほとんどすべて」ということになります。

西サハラは、とくにメリットがないから各国が手を出していないというのは、グリーンランドも同じような扱いなのかなと思った。また他に地球で未開拓の土地はあるのか気になった。未承認国家にソ連に近い国々が多いのは、第一次世界大戦前後のいざこざも要因の一つになるのかなと思った。
・・・> グリーンランドが同じようだというのは、なぜそう思いました? グリーンランドが「未開拓で値打ちの低い地域」だと思い込んでいませんか? そう思い込んでいる人が多かったのだけど、トランプがらみの最近のニュースを見れば、映像込みでいろいろわかったはずなのに(デンマークに思いのほか強い統治権があることも)、ニュース見ていないのかな? 現在の未承認国家はたしかに旧ソ連関係が多いのですが、第一次世界大戦(1914-18年)のときはまだロシア帝国で、ソ連は誕生前。

イチゴのつぶつぶのように、実は国家の本体は一部であったというところが複数あったことにも驚いたのだが、それ以前にそのような国家があることを知らなかった。そして、有名な国(スイス)にそのようなことがあったのでさらに驚きました。
これまで自分の中の「スイス」は、スイス自体で一つの国家というイメージだったが、カントンという国家の本体があることを知り、地図帳では読み取れない事実を理解できたと思います。世界には、もとは内包国家であったものがたすうあるため、海外旅行するときに、その国がどういう歴史をもち、内包国家だったのかどうかなどを調べておきたいと思いました。

世界でいちばん小さな国家は?と聞かれたらとくに考えずにヴァチカン市国と答えていたが、今回なぜそうなのかを理解した。ヴァチカン市国は宗教団体であり、主権国家はその上に載っている衣みたいなものだ。国際社会に参入するために主権国家としたのだなあ。主権国家になれば実質上は対等だから。

在ヴァチカン中華民國大使館がイタリア領内にあるという事実は受け止めることができましたが、大使館を建てるときに、誰(どこの国家)が土地を手に入れたのか、またイタリアはそれを認めたのか、気になりました。
イタリアに大使館を置かせてもらうために、ヴァチカン市国はイタリアに何か譲歩したのか気になった。
・・・> 譲歩したのはイタリア側のようにも思いますけどね。ヴァチカンを主権国家化する際に、教皇庁とイタリア政府とのあいだで協定が結ばれて、極小の主権国家であるヴァチカンが成り立っていくようにイタリア側も協力することが決められています。たとえば教皇庁の職員の大半はイタリア領内に居住していて、そこから毎日、国境を越えて通勤しています。そういう人たちの地位や居住権、領内通過権が保障されます。ヴァチカン市国には空港がありませんので、教皇庁の関係者がイタリア以外の国に行く際には必ずイタリア領内を通過しなくてはなりません。その際にヴァチカンのパスポートがあればイタリア領内を通過することが認められます(なお教皇を含めたヴァチカンの国民はすべて母国との二重国籍であり、教皇庁での任務が終わるとヴァチカンのパスポートは返上しなければなりません)。いまはインターネット放送に変わりましたが、以前は全世界のカトリック信徒に向けたヴァチカン放送(ラジオ)がイタリア領内のアンテナから出力されていました。教皇庁と外交関係のある国家の在外公館(大使館・領事館)をイタリア領内に置くという条件も協定の中に含まれています。その時点で「中国」を自称する勢力が2つに分裂するという予想はなく、「在教皇庁(ヴァチカン)大使館はすべてイタリア領内」という規定が、中華民國にも適用されているだけだと思われます。

「ローマ教皇との外交」が具体的にどのようなことをしているのか、疑問に思いました。
・・・> 一般の(よくあるタイプの)国家との外交、だったら疑問に思いませんか? 意外と外交の中身ってよくわかっていないのでは? 国家としての日本が外交関係を結んでいる相手は、「ローマ教皇」ではなく「ローマ教皇庁」です。生身の教皇(レオ14世)と日本国が握手するというはずはないよね。

日本のカントリー・ドメインは.jpでフランスは.frなどは知っていましたが、.nuがエロ用なのは初めて知りました。
・・・> そのネタがおもしろかったのか、若干ショートしています。インターネットの.nuはニウエのカントリー・ドメイン。それ(の一部)をフランス語圏ではエロ用に使っているという話です。日本のエロサイトは海外サーバを利用するところが多いのですが、それでも.jpをエロに使っているところはあります。論理が混線していますよ。


サン・ピエトロ大聖堂(ヴァチカン)

 

数多くの未承認国家が存在していることに驚いた。国連安保理常任理事国が承認しないと国家として成り立たないというところに、国家間の序列が顕著に表れていると思った。

未承認国家があるのは知っていましたが、どのような国があるのかは知りませんでした。正直、まったく知らない国ばかりでした。中華民國は世界最大の未承認国家であるとありましたが、未承認国家なのに発展しているんだと思いました。

安保理常任理事国の権力が強すぎるのはよくないと思いました。なぜならその5ヵ国のずれかにとって都合の悪い国はずっと承認されないからです。また現存の未承認国家11ヵ国は意外と少ないと感じました。国家であると主張している地域がもっと多いと思っていました。

未承認国家であることのデメリットとして、国際社会に認められていないため大国と外交できないという面があると考えたが、他にどんなデメリットがありますか? またメリットはありますか?
・・・> 住民(国民)一人ひとりのレベルでいえば、「自国」のパスポートが普遍的に適用されないことが大きいでしょうね。通貨が常に外貨に対して弱いのも難点。

どうしてキプロスで24時間以内に帰ってこないと逮捕されてしまうのですか。
・・・> キプロス共和国と北キプロス・トルコ共和国の暫定合意により、「国境」に数ヵ所のクロス・ポイントを設けて、パスポートがあれば行き来できること、ただし24時間以内に同一のクロス・ポイントを通過して元いたところに戻ることがルール化されました。これに違反すると逮捕される可能性があるということです。両キプロスでは1974年の紛争当時、宗教を目印にして、北に住んでいたキリスト教徒が南に、南に住んでいたイスラーム教徒が北に逃れるという現象が起こりました。それ以前にもっていた財産・土地などは放り出して、身一つに近い状態で同一属性地域に逃げた人が多く、行き来を完全に自由にすると数十年前に放棄した(していないのでしょうが)財産を差し押さえる動きが相次いで収拾がつかなくなる、というのが最も懸念されることなのです。

質問としては、未承認国家に住む人々の権利はどの程度保障されているのか気になった。他国と比べるとどうなっているのかも気になった。
・・・> 質問があったら疑問文で書いてくださいねといいましたが、質問があるといいつつ「気になった」で終わっている(汗)。このクセはみなさんに共通してあるようですが、学問探究の阻害要因になりえますので、「気になった」という表現を意識的に排除するようにしましょう。さて、人々の権利の保障というのが何の、どの次元のことなのかによって話は違ってきます。日本を含めて、ふつう「権利(人権)を保障する」という主体は国家ですから、未承認国家であれ、そこに国家があるのであれば保障しているのではないでしょうか。世界中が主権国家として承認している国家でも、統治の実効性が弱かったり、政府の信用が薄かったりすると保障されないことが増えます。一時期のソマリアなどは、日本を含む国際社会が主権国家の存在を承認しているにもかかわらず、実態として広域統治をおこなう主体(政府)がなく、戦国時代のような状況がつづいていました。人々の権利が保障されるということは、当然ほとんどないわけです。ソマリア沖といえばある時期まで海賊の巣窟で、日本の船もずいぶん危険な目に遭いました。海賊や山賊を取り締まる強制力(国家権力)がなかったせいです。

スイスのカントンのように強い自治権をもつ地域と未承認国家の違いは?
・・・> スライドの35枚目を見てください。最初の●に答えがあります。


キプロス レフコシア(ニコシア)のクロス・ポイントには約50mのバッファー・ゾーンが設定され国連が管理
この写真はキプロス共和国側のパスポート・チェックを終えて北キプロス側に向かっている途中のバッファー・ソーン
北キプロスの国旗(右)となぜかトルコの国旗が並んでおり、だいたいあの先が北キプロスの実効統治エリアだ

 

国が発行している地図に国家の意図があるというのはわかっていたが、ではGoogle Mapなどの多国籍企業の地図はどこの国境を使用しているのだろうかと興味をもった。
・・・> 国が発行する地図は地理院地図くらいじゃない? 地図帳も、あちこちで売られている地図も、民間の業者がつくっているものです。基本的に日本国内で制作・発行される地図は、日本政府の立場を尊重して、主権国家や国境の位置などは政府の公式見解を採ります。地理の授業で使った帝国書院の地図帳は、教科用図書(いわゆる「教科書」)ですので、文部科学省の検定があります。そのため日本政府の公式見解をそのまま載せないものは合格しません。したがって実態は地図帳の内容とズレる場合がしばしばありますGoogle Mapは比較的実態に即した国境の記述を採用しますが、よく見ていると、どの国で見るのかによって異なる国境情報が載っていることがわかります。

先生は、中華人民共和国が軍事力などを使って台湾島を実効支配するということが今後起きると思いますか。また日本人は自国を日本と呼びますが、台湾の人たちは自国を台湾、中華民國どちらで呼ぶのですか。
・・・> 昨年暮れにも台湾各地を訪れて、おいしいものを食べて、なぜかなつかしい感じのする町の景観を満喫しました。多くの人々が平和裏に日々を過ごしています。台湾有事など起こってよいはずはありません。でも、トランプやプーチンがやりたい放題の昨今では、何が起きても(残念ながら)不思議ではないという情勢にはなっています。後段、台湾の人たちの自国の呼び方は、台湾もしくは中華民國です。絶対に中華民國といわない人も一定の割合でいます。なぜだかわかるでしょうか?

地図帳で国境が破線で表記されている箇所として、カシミール地方やマクマホン・ラインを知っていたのですが、スーダンとエジプトのあいだにも破線があるのをきょう初めて発見し、背景を調べてみようと思った。ハラーイブ・トライアングルとビル・タウィールの存在がわかった。まだ軽く調べただけで、背景を詳しく理解していないので今後につなげたい。
・・・> 地図帳おもしろいでしょ? ハラーイブ・トライアングルは、英国統治時代の直線国境が人々の生活や文化とズレを生じた典型ですが、資源などが見つからなかったので、長く両国が共同管理してきました。2000年ころにエジプトが軍事占領して、いまは単独で実効統治しています。日本を含む国際社会の一般的な立場は、「どっちでもいいけど仲よくしてよね。紅海の安全な航行を害することがないようにしてよね」というくらいですが、それってエジプトによる占領という現実を容認するものでもあります。スーダンは長くアル・バシール大統領による反人権的な独裁がつづいており、国際社会の大半は彼を問題視していました。そのためエジプトに抑えていてもらいたいというのが本音であったようです。バシールは「21世紀最初の独裁者」などといわれましたが、2019年にクーデタで失脚しました。

中華民國の件は印象的だ。いままで日本が承認しないのは中国のにらみがあるからというだけだと思っていたが、実際には承認すると双方に失礼であるからだと思った。
・・・> 失礼だから、ではありません。中華人民共和国・中華民国の双方とも、「中国は一つ」であるとして、そのただ一つの中国の統治主体が自分たちだとして争っています。一方を支持(承認)すれば他方を支持(承認)できなくなるのは当然のことです。1972年に日本政府が中華人民共和国を「正統な中国政府とみなす」と公式見解を変えたときに、台湾の中華民國には承認の取り消しと外交関係の断絶を通告しました。

台湾は、なんとなく親日だというイメージがありますが、中華民國の承認を取り消したり、その前には日本の植民地だった過去もあったりするのになぜだろうと思いました。また現地で日本はどのような評価を受けているのか気になりました。
・・・> 台湾の人たちは全体的に親日的です。近いですからね。もちろん反日的な人も、どっちでもない人もいます。なぜそうなのかは、歴史を学んだうえでよく考えてください。重要なことです。また、台湾は「すぐそこ」なので、現地に行って実際に体験してみることを勧めます。

 
台湾南部の港湾都市 高雄にある旧高雄港駅 日本統治時代に砂糖や樟脳の移出拠点として繁栄した都市で、この駅は
そうした産物の積み出しのために日本側が建設したものだ もとの地名は打狗(ターカウ)で、日本人が京都の紅葉の名所を
当て字して高雄(たかお)と呼び、さらに戦後はそれを中国語読みして高雄(カオシュン)となっている
旧高雄港駅には最近完成した環状LRTの哈瑪星(ハマセン)駅が併設され、歴史と現在が共存する文化的な空間になっている
哈瑪星というのも日本統治時代の「浜線(はません)」に中国語風の漢字表記をあてがったものである




開講にあたって

現代社会論は、附属高校ならではの多彩な選択科目のひとつであり、高大接続を意識して、高等学校段階での学びを一歩先に進め、大学でのより深い学びへとつなげることをめざす教育活動の一環として設定されています。当科目(2016年度以降は2クラス編成)は、教科としては公民に属しますが、実際にはより広く、文系(人文・社会系)のほぼ全体を視野に入れつつ、小・中・高これまでの学びの成果をある対象へと焦点化するという、おそらくみなさんがあまり経験したことのない趣旨の科目です。したがって、公共、倫理、政治・経済はもちろんのこと、地理歴史科に属する各科目、そして国語、英語、芸術、家庭、保健体育、情報、理科あたりも視野に入れています。1年弱で到達できる範囲やレベルは限られていますけれども、担当者としては、一生学びつづけるうえでのスタート台くらいは提供したいなという気持ちでいます。教科や科目というのはあくまで学ぶ側や教える側の都合で設定した、暫定的かつ仮の区分にすぎません。つながりや広がりを面倒くさがらずに探究することで、文系の学びのおもしろさを体験してみてください。

選択第7群の現代社会論IIでは、設定いらいずっと「グローバル」なものを副題に掲げてきました。グローバル化(英語でglobalization=地球化、フランス語でmondialisation=世界化)という用語や概念は、1990年代あたりに一般化したものであり、2000(ゼロ)年代にはそれがすべてかのように猛威をふるい、2010年代には逆風にさらされ、グローバルに関する言説は総じて批判的なものになりました。2020年代ももう後半ですし、高校3年生のみなさんが実社会で活躍するのはさらに先の2030年代でしょうから、そのころグローバルという表現自体がもう陳腐化している可能性は、なくはないと思われます。ただ、いったんグローバル化してしまった以上、もとの世界に戻ることはありません。私たちは知らず知らずグローバルの恩恵を受けています(もちろん、ダメージも食らっています)。グローバル時代だから外国語を話せるようになりましょう、といった単純すぎる(アホみたいな)発想が陳腐化するのは間違いない。その程度の知識やコミュニケーションは、もうAIがやってくれます。では、これからの時代に社会で活躍する人として、いかなる思考、どのような構えを心得るべきなのか。その答えを出すには、週2時間、1年弱の授業ではとても足りませんが、そのヒントや土台くらいは提供できればと考えています。

みなさんが小・中・高で学んできたことの中には、たとえば算数・数学の公式や定理や問題の解法、あるいは国語や英語の文法など、数値や単語を入れ替えることで広く使えるような知識と、個別の用語や概念を自分の中に取り込み自分で説明できるようにしておくという、知識それ自体の、両方が含まれていました。社会系教科といわれる地理歴史や公民は、どうしても後者のイメージが強いようです。社会科=暗記 という認識が、ほかならぬ「社会」の側でも広く共有されているようです。でも、社会なる対象が不動のものであればそれでいいかもしれませんが、実際には絶えず動いており、形を変えています。私(古賀)は社会系教科を教えるようになってもう30年以上になりますが、初期のころと現在とでは知識それ自体がまるで変ってしまっている、ということも多いです。ということは、暗記してなんとかなるような部分はさほどでもなく、むしろ公式や定理や文法に近い部分こそ、いまのうちに取り込んでおくべきなのかもしれません。いま世界は、ちょっと想定を超えるスピードとベクトルで変化しています。合衆国のトランプやロシアのプーチンの振る舞いが注目されており、みなさんもそこに目を奪われているかもしれませんけれど、より本質的には、18世紀ころから世界を覆ってきて標準(standard)とみなされていた西欧的な考え方や価値観が、非欧米世界の経済成長につれて相対化され、動揺しているというところが重要です。トランプやプーチン、そして彼らを支える勢力には、そうした動揺の反動として動いているという側面がかなりあるのですね。当科目では、いま私たちがいる日本という国家や社会については大半を対象外としています。学ぶのは日本の外、いうところの海外とか外国という部分です。公民はどうしても日本にかかわる部分をかなりの割合で扱い、余白みたいなところで世界を学ぶという構成になりがちですが、この現代社会論IIは、3年生選択科目というコンディションを生かして、あえて日本の外に照準を当てます。おそらくそうした視野で学び、思考する経験は初めてなのではないでしょうか。1年間の学習を終えたときに、「世界の見方」の一部くらいは獲得できて、成長を実感できるのであればいいなと考えています。

*地理の授業で使用した地図帳を毎回、持参してください。別種類のものを買い足してもよいと思います(違った視点を得られるかもしれない)。

 

 

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