古賀毅の講義サポート 2026-2027

Études sur la société contemporaine II: «le monde en mutation / pour la perspective et la réflexion globales

現代社会論II:
変動する世界/グローバルな視座と思考のために


早稲田大学本庄高等学院3年(選択科目)
金曜3・4限(11:20-13:10) 教室棟95号館 S203教室

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現代社会論I:近未来の社会を(に)生きる構想と探究

 

2026年10〜11月の授業予定
10
月2日 視点としてのフランス:問いなおされる共和国の原理
10
月16日 視点としてのドイツ:十字架を負い、欧州を牽引する
11
月6日 商品作物と垂直分業とグローバル・チェーン
11
月13日 グローバル時代の欧州(1):欧州統合の原理と論理
11
月20日 グローバル時代の欧州(2):新時代の挑戦と試練

 


■次回は・・・
17-
視点としてのドイツ:十字架を負い、欧州を牽引する

前回のフランスにつづいて欧州の主要国を対象とするエリア編。今回はドイツに焦点を当てます。フランスの回では、「フランス共和国」と記せば、政体が変わってきたのだとしても国土の外枠はほとんど変わりませんから、王国や帝国に入れ替えて考えてもよかったのですが、ここでドイツ連邦共和国(Bundesrepblik Deutschland)と現在の正式国名を記してしまうと、すぐに行きづまります。ドイツ連邦共和国の国土が現在のかたちに確定したのは1990年のことで、「つい最近」のことです(私は大学生でした)。それ以前の冷戦期に「西ドイツ」「東ドイツ」が分立していたことはご存じでしょうが、その東西両国を仮に合わせたとしても、1945年までのドイツの国土と比べるとかなり狭くなっています。二度の世界大戦を経て、ドイツの国土のかたちやサイズは大きく変化しました。さらにさかのぼれば、1871年(日本で廃藩置県がなされた明治4年)にドイツ帝国(Deutsches Kaiserreich)が成立する前は、ドイツ語を主要言語とする大小数十の国家がひしめいていて、幕府の権力が相当弱い江戸時代の藩たち、のような状況がつづいていました。あまりさかのぼりすぎると現代のドイツを考える時間がなくなりますので、今回はドイツ帝国あたりからはじめるのがよいのではないかと思います。

ドイツもまた、日本人の誰もがその国名を知り、かつメジャーな国家であると認識している対象ですが、フランスと同様に表面的なトピックに飛びついて終わり、という人が少なくありません。第二次大戦後にアメリカの影響力が強くなりすぎた関係で、ドイツやフランスの影響やその意味がかなり薄められているようです。といって、第二次大戦では日本と同じチーム(枢軸国)として戦い、敗れたという知識は広く共有されています。ナチス・ドイツというきわめて特異で、国じゅうが狂ったとしか思えない状況があり、その彼らが第二次大戦を戦っていたのだということも、おそらく誰もが知ることでしょう。その出来事の大きさを知るあまり、第二次大戦後のドイツについての関心があまりないということも考えられます。ドイツは長いこと欧州最大の経済大国です。2023年には日本を抜いて名目GDPで世界3位になりました(1967年まで西ドイツが2位、日本が3位でそれ以来の再逆転)。およそビジネスにかかわろうとすればドイツ企業の姿がその視野に入ってくることはめずらしくありません。それでも、自動車好きの人ならおなじみのBMWやメルセデス、ポルシェ、フォルクスワーゲンといったメーカー、電動シェーバーを愛用している人ならブラウン、スポーツをしているならばアディダスといった企業への関心はあるでしょうけれど、逆にいえばその程度ですし、スポーツや食文化のイメージもさほどにはふくらみませんね。

これは私の考えですが、現代のドイツに対する注目と理解は、現代社会≒グローバル世界という当科目の主要なテーマの理解にかなりストレートにつながります。ドイツという具体的な対象の中に、世界全体あるいは日本の情況にもつながる普遍的なものを見て取ることができると考えるわけです。その見方の当否は受講後にあらためて考えていただくとして、まずは地図帳で現在のドイツの国土を眺め、主要都市や地形のおおまかな姿を頭に入れて、想像をめぐらせるところからはじめてください。中央集権国家でいろいろなものや事象がパリに集まりがちなフランスと対照的に、ドイツは成り立ちがすでに分権的であり、いまも州(ドイツ語でラント Land)ごとにさまざまな制度が異なります。そういえば欧州最大級の都市であり首都でもあるベルリンに、日本からの直行便はありません。ドイツに行こうとすれば、フランクフルト、デュッセルドルフ、ミュンヘンのどこかの空港がひとまずの行先になります。それを不思議に思いませんか? 欧州の真ん中に位置するドイツですので、上下左右いろいろな角度から見てみることにしましょう。いろいろな見え方があって、ことごとく学びになります。



REVIEW (10/2)

■自由・平等・友愛という理念によって人々をまとめようとするフランスで、現代では反移民の動きが強まっているというのが印象に残った。何を自由と考え、どのような状態を平等と捉えるのかというのは人によって変わるため、同じ共和国の理念を掲げていたとしても、社会がまとまるのは難しいのだなと思った。

■自由・平等・友愛を大切にする国だからこそ移民をめぐる対立が生まれるという話から、理念と現実のズレを考えさせられた。おしゃれな国というイメージだったが、さまざまなイメージを今回の授業でもつことができた。

■私の中でのこれまでのフランスのイメージは、音楽や美術などの芸術が優れている、というものだったが、今回の授業を経て、政治的なことや科学のことなどの側面を学び、フランスに対して新たなイメージをもつことができた。フランスでは原発への依存度が高いことをテレビで見ていたが、それがフランスの科学力の高さを表していたと知って、まだ私の視点は甘かったと感じた。また、日本がフランスに核ゴミの処理を頼っているにもかかわらず、日本のことにしか視野が向いていなかったためにそれを知らなかった。もっと外のことに関心をもっていきたいと思った。
■フランスのイメージが表面的で、文化の面が強いということだが、私も文化に対するあこがれのイメージがあった。だが明治期、近代化の時期の日本においてフランスがその根幹にかかわっていたことに驚いた。明治時代といえば、もちろんボアソナードなどの人物の知識はあったが、ドイツ式憲法の導入やドイツ式の軍の導入、日英同盟など、英・独の存在が強いからであり、またその時期の普仏戦争の影響もあるのかと思いました。長いあいだフランスが形を変えずに国家原理にこだわりつづけていることに加え、「統合」の国家原理がEUとしてヨーロッパ全体に及んでいることにも驚きました。移民問題もフランスは多く抱えているはずですが、フランスの反EU勢力が増えたところで、自分たちだけで経済や国家を回していくのは難しく、先進国が盲目的になりやすい点なのかなと感じました。

■普遍的な統合原理を掲げてきた国で、反EUを叫ぶ国民連合が勢力を伸ばしている。現実はなかなか皮肉だと思った。

■移民について。フランスが「統合」をモットーにしていると聞いてずっと違和感を覚えていた。近年、移民に対して、テストを実施して合格しなければ市民権を得られないとかいう政策があることを聞いたからだ。しかし、授業の最後に、それはグローバル化や異質な「イスラーム」の流入が原因とわかって、納得した。フランスの移民についてまだ浅学なので、勉強したい。

■自由・平等を掲げる中で、移民の扱いが複雑になっているというのは妥当に思える。早めに対応策を講じるべきではないかと思う。ドラマや映画の中でしか見たことのないフランスを実際に訪れて、目に見える違いも、授業で少しだけ扱われた違い、どちらも体感したい。

 
(左)コンコルド広場 パリ市の「区」はここが基準の1区で、時計回りのカタツムリ型に回って20区まである
(右)「エリーゼの園」を意味するシャンゼリゼ通り(Avenue des Champs-Élysées) 大統領官邸のエリゼ宮も実は同じ地名である
正面に見える凱旋門は、ナポレオンがローマ皇帝にあやかって造らせたものだが生きてみることはできず、亡くなって20年後の
1840
年に遺体がフランスに戻された際、無言のまま初めてあの下をくぐった

 

■日本で「メートル」といっているのはフランス語読みであるということに驚き、気づかないうちにフランス語が日常に入り込んでいるのだと感じた。

■メートルやリットルがフランス語読みで、フランス革命の「理性にもとづく共通の基準」という発想に由来すると知り驚いた。

■授業を受けて、フランスに対するイメージはかなり変わった。いままでは、パリやファッション、料理など、文化的な印象が強かったが、メートル法がフランス革命の「理性」を重視する考え方から生まれ、現在の世界標準につながっていることを知り、フランスが現代社会のしくみに与えた影響の大きさを感じた。

■今回の授業でフランスの影響力を学ぶことができた。そして近代国家の根本的な原理について見直す視点も学んだ。当たり前に使っていたメートルなどの単位や日本の法制度が、フランス革命やフランスの思想に由来していることに驚いた。高校卒業資格試験で全員に哲学の記述試験をやらせるのは、理性の文化が反映されているのだと思う。世界大戦などにより世界の中心としての立場が変化したり、反移民感情の高まりがあったりするなど、共和国の原理がグローバル化の中で問題を起こしているのだと思った。単にあこがれの文化大国としてではなく、近代の成り立ちは現代社会の問題を表しているフランスを捉えることが重要だと感じた。歴史的背景を理解することで、グローバル社会だけでなく日本の社会を多面的に見直す視点を学べると思った。

■近代のはじまりといえばフランス革命であるといわれる。私も一応はそれを常識としてもっていたが、常に懐疑的だった。それは、歴史は連続的であるという考え方も同時に知っていたからだ。フランスの制度が革命によって変わったとしても、兆候はそれ以前に表れている。だからフランス革命が世界を変えた、近代のはじまりだと聞いても、否それは象徴にすぎないのではと思っていた。しかし今回の授業で、もしかしたら内面の問題なのかもしれないと考えはじめた。フランス人の現在の考え方や教育制度には、この革命から受け継がれている面が多々ある。あながち近代の開始であるということは間違っていないのかもしれない。
・・・> フランス革命万能論みたいな安直な話を聞かされると、たしかに辟易というか、うへぇとなります。考えてほしいのは、フランス革命(1799-99年)でいろいろなしくみや制度が変わり、それから後の時代がまったく別のものになったわけではない、ということです。コンドルセの公教育プランは、1792年に提案されましたがすぐに廃案となり、フランスで実現したのは1882年のことでした。その間に、プロイセンや英国、そして日本が、むしろ先に制度化しています。ドラスティックな革命であったフランス革命は、それまでの常識や観念を突き破るような新たな理念や制度を次々に打ち出しました。実際には、その多くは不発に終わるか、実現までに紆余曲折を経なければなりませんでした。「次々に打ち出した」ということ自体が革命であったわけです。なおレビュー主は「近代のはじまり」と表現しています。西欧史における近代は、ルネサンスまたは商業資本主義(15〜17世紀ころ)にはじまるというのが通説で、産業革命+市民革命で近代が本格稼働して「ガチ近代」になったと考えるのが一般的です。それ以前の近代は、近世ないし初期近代(Early Modernなので私は初期近代と訳します)といわれます。啓蒙主義とかアンシャン・レジームがそのころですね。ウェストファリア条約(1648年)が、近代世界のスタンダードである主権国家という概念を生み出したことを思い出してください。フランスにおける時代区分はまたちょっと違っていて、フランス革命から現在までが「現代」とされます。フランス語でcontemporain(con-は「共に」、tempoは時間)なので、直訳的には「同時代」。これには私もちょっとついていけないのだけれど、要するにそれ以降の歴代の政体がいずれもフランス革命を基点として自分たちの体制や政治のあり方を規定したということなのでしょう。

 
パリ北駅 (左)赤い車両はベルギー、オランダに向かう新幹線タリス 手前の白い車両は世界最速で知られたフランスの新幹線TGV
(右)こちらはトーヴァ―海峡をトンネルで潜り抜けてロンドンまで2時間15分で結ぶ高速列車ユーロスター

 

■フランスのイメージは多岐にわたり、とくにアニメやマンガなどの日本文化に多くの興味を寄せているのがフランスであることに驚きました。革命後にフランスが中央銀行や国旗・国歌といった近代の基盤をつくり、世界中で共有されているので、ヨーロッパだけでなく世界全体でのフランスの影響力の強さを知りました。

■授業冒頭のフランス語由来の言葉が、思ったより多くてびびりました。横文字は英語由来、フランス語由来といろいろですが、これはフランス語から取ってこよう!みたいな基準はあるのでしょうか。
・・・> あるわけないでしょ(笑)。

■パンが大好きなのでフランス行きたいです。(類例複数)
■フランスの食事で、パンがたくさん出てくるのがとてもいいなと思った。ごはんもおいしそうで、景色もとてもきれいで、フランスに行ってみたいという気持ちが強まった。

■フランスの朝ごはんで、夜たくさん食べるにしても、パンと飲み物のみだとお昼まででも空腹になってしまうと思った。私は基本、朝に米を食べるが、たまにパンを食べるといつもよりおなかがすぐのが早いから、どうしているのだろうと思った。そのぶん量を食べているのかなと考えた。食べ放題だとおっしゃっていたので。
・・・> いいですね、本題の前フリに食いついて文字を埋めちゃうのも(笑)。昼・夜の食事だとパンが無料で食べ放題ですが、カフェのモーニングは決まった量のパンしか出てきません。写真でお見せした、タルティーヌ(だいたい20センチくらいかな)とクロワッサン、場合によってはパン・オ・ショコラ。ホテルの朝食は、ビュッフェ式のところだとパン食べ放題です。私の常宿は、以前はバスケットに食べきれないくらいのパンを盛って出していたのですが、最近の合理化でビュッフェになりました。クロワッサン、パン・オ・ショコラ、バゲット、パンケーキみたいなやつ(不明)、レーズンパンあたりが取り放題です。あれですよね、もしフランスに行くことがあったら、がんがんおなかを空かせて、ランチとディナーでしこたま食べるのがいいんじゃないですか! 肉の付け合わせのフリット(フライドポテト)なんかも親のカタキみたいにてんこ盛りで出てきますし。

■セーヌ河岸でのダンスの様子を見て、音楽もあいまって、素敵だなと思いました。パリだけなら英語が通じるということなので、将来ぜひ行きたいと思いました。

■ヨーロッパは全体的にキリスト教を厚く信仰しているという偏見があったのですが、別にそういうわけではないとあらためて認識しました。フランスは旅行で訪れる人が多いと思いますが、身近に感じる国でも知らないことが多かったです。写真を見るとどれもすごくきれいで、ヨーロッパに行きたくなります。欧州旅行に行くときは、どこの国にどの順で行くのがおすすめですか?
・・・> これは何十回聞かれても同じ答え(笑)。欧州に限りません。基準は2つだけです。(1)観光スポットでも食べ物でもスポーツでも何がきっかけでもいいから、自分が行きたいところ、見てみたいところに行く。誰かが「おすすめ」する中身に共感するということもなかろう。(2)ただし慣れないうちは、日本からの直行便が飛んでいる国というか都市に行くのがいいでしょうね。現地の空港に着くまでは日本語が通じて安心なので。

 
西部ブルターニュ地方の小都市ヴァンヌ パリと地方都市では町の「絵」がずいぶん違って見える

 

■フランス革命で、フランスの基準が世界の基準だということが示されたにもかかわらず、戦争によってアメリカの基準が世界に広がっていったのを見て、戦争は世界の常識や基準をも変えるような、とても重大な出来事であるとあらためて思った。

■いま世界の中心となっている国というとアメリカや中国を思い浮かべますが、昔はフランスだったということを再認識しました。ヨーロッパに行ったことがないけれど、フランスは人種差別が多いイメージであまり興味がなかったので、今回さまざまなことを知れてよかったです。

■かつて世界の中心の一つであったフランスが、二度の世界大戦やグローバル化を経て抱えるいろいろな問題について学んだ。国内では、かつてナポレオンがつくり出した国民の愛国心が、自由や平等などといった共和国の原理だけではなく反移民感情や差別として残っているなと感じた。またパレスティナ国家を承認するなど独自の中東外交を展開し、ウクライナへの支援姿勢が強い印象をもった。

■国際社会におけるフランスの姿勢について、中国へのシンパシーが強いというのはまったく知らなかった。授業では、仏中関係が緊張することはほとんどなく、米・日とは違うと比較していたが、日米のような依存関係は仏中間にあるのだろうか。
・・・> それは(いまのところ)ありません。経済のことを考えると今後はわかりませんが、フランス人の多くは「中国(人)から下に見られる」ことは嫌がりますし、人権や自由などの価値にこだわりをもっているのである線から先は受け入れないのではないでしょうかね。ここ数年の話題としては、私も大好きでよく行く雑貨デパートのBHV(ベー・アッシュ・ヴェー 大手百貨店ラファイエットの別業態)の最上階にSHEINが入居したのですが、中国内陸地方の綿花地帯で奴隷栽培によって生産された原料を使っているというので大規模な抗議活動や不買運動が起こり、結局撤退してしまうという事件がありました。昨年BHVで買い物をしたとき、このエスカレーターを上れば噂のSHEINだと思いながら、私もなんとなく及び腰になって上らなかったんですよね。ことし行ったらもうなくなっていて、話のタネに靴下くらい買っておけばよかったかなと思ったりもしました。

■ナポレオンに負けた国々がナポレオンを見習って封建制や絶対王政ではなく愛国心を基にして戦い、ナポレオンに勝利したという話が、とくにおもしろく感じました。
・・・> フランス革命で高まったナショナリズムや愛国心を、フランス国民の軍を率いたナポレオンが伝播し、それがためにフランスが敗北したというのは有名かつ重要なストーリーです。その最初の例がスペインで、ゴヤの連作絵画「1808年」はその物語を活写したものといわれます。ナポレオンが振りまいたナショナリズムを最もよく受容したのはプロイセンで、フランス占領下のベルリンで哲学者フィヒテがおこなった連続講演「ドイツ国民に告ぐ」は、まだどこにもない「ドイツ国民」に向けて国家統一を訴えた、ナショナリズムの最重要文献になっています。また同時期に、プロイセンを復興し、知力を国力に組み込むことで強力な国家をつくっていこうとして創立されたのがベルリン大学。創立者は哲学者ハインリッヒ・フンボルトです。このベルリン大学が、世界の近代的な大学のかたちを示すものとなり、明治期に創立された東京帝国大学(東京大学)の直接のモデルになりました。

■フランスがあらゆるスポーツで上位に食い込んでくるのは、出生地主義のため、さまざまな人種や血統の人が存在し、適した人材が適した競技をするので強いのかなと考えた。フランスは外交が上手であるからか、フランス以外の国との関係が悪化しているイメージがあまりないが、制度など、さまざま正反対なのでどのような状況であるのか気になった。

■フランス革命やナポレオンの時代に形成されたフランスの外枠が、イスラム教やライシテが入ってきてはいるが、変化せずにつづいているのはなぜか気になった。
・・・> 「外枠」「ライシテ」の意味がわかっていないのでは?

■フランスではライシテが重視されている(法律でも)。宗教の自由を保障することと、公共の場で宗教的な表現を制限する境界線は、フランスではどのように決められているのか(日本はあいまい)。
・・・> 各人の信教の自由を保障するために、信仰の行為や活動は「各人それぞれの場」つまり私的な空間でやってください、公共の場にはいっさい持ち込まないでくださいという、相当に厳格でラディカルな方針が採られています。公立学校は水曜と土曜が半ドン。学校(公的な場)では非宗教的で社会的なことを学ぶので、半ドンになっている時間帯は家庭で、あるいは教会で、各人の思うように信仰活動でもなんでもしてください、というふうなことですね。ただ、ライシテの原理というのはもともと対カトリックの文脈の中で形成されたものですので、イスラームが台頭したときにはそれに対応しきれず、いまもかなり問題をはらんでいるといえます。

■フランスは原子力発電に大きく依存しているとあったが、再生可能エネルギーの拡大が重視されるグローバルな流れの中で、長期的な環境リスクとどう向き合っていくのか疑問に思った。

■日本では原子力発電のごみの処分が問題になっているが、中間処理のようなことをフランスにおこなってもらっていることがわかった。地理的には離れているが、日本とのかかわりが深いと感じた。

■フランスで原子力発電が盛んなのは知っていましたが、地震や津波の被害との関係からしか考えていなかったので、テロで乗っ取られる可能性のほうが高いと聞いて驚きました。日本の核廃棄物処理の問題も含め、危険物質を扱っている以上、さまざまなことに直面し、危険性と効率を天秤にかけて、ひきつづき議論する必要があると感じました。
・・・> いまの技術だと、大陸間弾道ミサイルに重たい核弾頭を搭載して(攻撃対象の国に到達するまで)安全に飛行するというのは、かなり難しいことです。「自爆」のリスクが相当あるのですね。しかし、核弾頭のない、いわばプレーンのミサイルを敵国の原子力発電所に撃ち込んだら、どうだろうか。福島原発の事故は、はからずもその危険性(ある意味で「可能性」)を世界に知らしめてしまいました。日本の原発の多くが日本海側にあるということも、みんなもう少し考えておいたほうがいいかなと思う。

■いままでフランスは文化の国というイメージが先行していて、科学や経済では他の欧米諸国やアジア先進国に一歩後れを取っているイメージでした。しかしフランスは科学が発達していて、原子力では日本よりもはるかに高い技術をもっているということは知りませんでした。日本は原子力の後処理に苦労しているので、頭を下げてでも技術を教えてもらうべきだと思います。ひとつ疑問なのは、科学や学問が充実しているフランスは、なぜ「文化」が圧倒的にイメージされているのか。これは普通の感覚ではないでしょうか?
・・・> 普通の感覚とか圧倒的なイメージというのは、「現在の日本人の」ということですよね。それは明治以来のフランスやフランス的なものとの付き合い方の中で形成されたものがまずあって、戦後はアメリカやアジアの影響が圧倒してもともとあったものも塗りつぶしていった結果、ということだろうと思います。フランスも、次回学ぶドイツも、英国すらも「その他大勢」みたいになって、スポーツや食べ物くらいしか思い浮かばないというほどになっているのかもしれません。それと、2000年代以降の若者世代は、「外」志向がやたらに強い人が増えた一方で、逆に極端にドメスティックな人も多くなりました。海外や世界にそもそも関心をもたず、スマホの画面の中の世界に閉じこもってしまう人にとって、フランスどころか欧州も(歴史的ないきさつすらも)眼中にない、といったら言い過ぎ?


ストラスブール付近のライン川 対岸はドイツである

 

■フランスの、いわゆるエリート型といわれている学校教育のあり方を見て、私がフランスの生活に抱いていた、華やかで高級そうな暮らしというのは、フランスの中のエリート層の人々のものだったのだと思った。
・・・> あと日本で発売されているファッションや雑貨の載ったカラーの雑誌じゃない?

■フランスの教育は、エリート層を引き上げるしくみだとありましたが、そうだとすればフランスのエリート層は、日本のエリート層と比べて優れているのですか? 工科高校に進んだ友達を見ていると就職に向けて必要な教育を主に受けていて、進路も決まっているから、「とりあえず」大学に進むことが多い日本より、フランスの教育制度のほうがよいのではないかと思う。
・・・> エビデンスをといわれてもありませんけど、フランスのエリートのほうが優れていると私は思います。古い本ですので図書館で読むしかありませんが、柏倉康夫『エリートのつくり方:グランド・ゼコールの社会学』(ちくま新書、1996年)をぜひお読みください。

■フランスの教育は日本のものと大きく異なることがわかりました。フランスの高等教育には、大学のほかにグランゼコールがあり、エリート層はグランゼコールをめざすということに驚きました。

■フランスのグランゼコールのしくみは、とても合理的だと感じた。大学のときから専門的なことを学び、それに関連した職業に就くと、効率もよいのではないかと考えた。
・・・> グランゼコールは「大学」ではないよ。

■高卒資格試験で哲学の試験が課されるのが驚きだった。4時間あって問いに論理的・整合的に自分の考えを書くのだと考えただけで苦しい。
■バカロレアの試験対策の話を聞いて、暗記した膨大な量の情報から、実際に出題された問題に対応するものを思い出すのはなかなか苦しいと思った。

■いままで当たり前のように享受してきた単線型の学校教育システムに関して、本当によいシステムなのかと疑問を呈されたときに、軽い衝撃を受けました。哲学を試験で重視するのは中国の科挙みたいだなと思いました。
バカロレアの哲学の問題は、日本では見ないようなものでおもしろかった。暗記したものを実用的な形で使うことができて、よい問題だと思ったが、自分では解きたくない・・・。

■高卒資格で哲学の受験が全員に課されており、4時間かけて長文で論理的思考を問う姿勢に驚き、フランスのすごみを感じた。「行きたい人が大学に行く」というのも、「とりあえず大学まで」という考え方をしがちな日本とは大きく違っていて、一人ひとりが自分の人生に、若い時期から向き合っていそうだと思った。自由の中で生きるために教育を受けるという考え方も、とても納得できた。

■今回はフランスについて学びましたが、とくに学校教育が日本と違っていてとても驚きました。日本は国民全体を育てようとしていますがフランスはエリートを育てる個人主義的なものであることがおもしろいです。またフランスは高校卒業ための試験があり、大学は勉強したい人だけが行くというのも、よいところだと思います。いまの日本の大学生のほとんどは就職のために進学しているように感じます。大切なのは学ぶことであり、その本質を忘れている日本は、フランスのような形式にしたほうがよいと思いました。哲学が問題として出されるのもとてもよいことだと思います。哲学は私たちが生きるうえで必ず役立ちます。だからこそ日本も教育のあり方を見直したほうがよいと感じました。

■単線型の教育の中にいる私たちは、高校以降に「機会」を自ら生かして「可能性」を無駄にしないことが重要であり、何も考えずに大卒資格を取ろうとする有象無象になるのではなく、将来をイメージしながら学びを深めることが大切なのだと思いました。フランスで哲学が試験科目になっていることにもあるように、日本で学ぶことが常識でもすべてでもなく、新しい知識を得ること、そもそもそれに気づけるような広い視野が必要であるということがわかりました。

■単線型の教育が本当によいのかという問いかけに、考えさせられた。私は幼いころから、可能性を広げるためにさまざまなことに挑戦するように、マルチタスクな人間になるように育てられてきた。そのことについて感謝しているし、よかったなと純粋に思う。ただ、俯瞰して反対の立場から考えてみると、できること、やれることが多いぶん将来の目標が具体的に決まっていないなどの欠点的な要素があると感じた。学部を絞るときにその先まで見据える必要があるのに、将来が定まらず、興味・関心も散漫である。このまま何も決められずに流れに身を任せてしまうのではないかという不安もある。すでにこのように育ってしまったからには、せめて妥協することなく本当にやりたいことを自分で見定める努力を怠らないようにしたい。

■フランスの高校では、卒業資格を得るための試験で哲学が必修となっていることに驚いた。知識を覚えるだけでなく自分の考えを論理的に組み立てて表現する力を重視している点が印象的だった。日本の教育でも、正解を覚えるのではなく自分の考えを深く説明するようにするべきだと思った。

  
ルーヴル美術館の著名な展示物 左から サモトラケのニケ、ミロのヴィーナス、モナ・リザ

 

■あらためて他国の歴史や文化を知ることは興味深かった。とくに学校教育について。学校教育とは、幼少期からおこなうことでその人をつくり上げるシステムである一方、無意識のうちに統制下に置くようなシステムでもある。そのようなシステムは、根本は同じでも形が異なるとどのような違いが出てくるのか、とても興味深く思った。たとえばフランスと比較すれば、扱う科目も進路のしくみも異なる部分がいくつもある。それが価値観や思想の違い、それから国民の構造、政治や産業の特徴の違いに結びついているのだろうと思った。教育がもつ力の大きさをあらためて感じた授業だった。

■フランスの教育で、飛び級・留年が普通である、とあった。日本の大半の高校には(私が見たかぎり)入学試験を受けられる年齢に制限があったと記憶しています。フランスの義務教育機関にはそのようなものはありますか。
・・・> フランスの義務教育は満3歳から16歳です。飛び級が前提なので入学時の年齢制限はありません。日本と同じ「学年」の概念はありますが、複数の学年をユニットにしたcycle(フランス語読みでシークル。サイクルのこと)があって、飛び級・留年はその単位でおこなわれますので、さほど大きな年齢のズレは生じなくなっています。

■フランスやアメリカには飛び級の制度があるにもかかわらず、日本にその制度がない理由を知りたい。また複線型の教育制度は財産の有無で分かれることに驚いた。家にお金がなくても優秀な生徒であれば自由に進学先を選べるのか、奨学金制度などの充実度も気になった。成績が優秀な人はたいていよい就職先に就いて、お金も稼ぎやすいと思う。しかしフランスの高卒資格の試験には、日本ではあまり教わる機会のない哲学が含まれていて、国によって優秀な人のできることや能力は異なるのではないかと考えた。
・・・> 学校における「進級」の基準には、大きく分けて2種類あります。日本の義務教育で採用しているのが年齢主義、フランスなどは課程主義。1年間で学んで習得すべき内容が基準以上であれば進級させるというのが課程主義で、気づいていないかもしれないけど日本の高校はすべてそうですよ。十分に学べていないのに上の学年に進めてしまうのは権利保障の観点からよろしくない、というのが課程主義の根底にあります。一方の年齢主義は、中身がアレであったとしても同一年齢の仲間と一緒に進級させるほうが将来的なリスクが少ないのではないか、という考え方にもとづきます。どちらが正しいということでもありませんが、日本では明治期から年齢主義が基本でした。イエ制度とか日本独自の封建制が関係しているともいわれます。ただし旧制中学校(5年制)から旧制高等学校(3年制)に進学する際には、中学4年修了時点で成績優秀であれば1年早く受験できるという、通称「四修」というしくみがありました。後段、複線型学校制度において進学先が「財産の有無」で分かれるというのは、ちょっと注釈が必要ですね。欧州でも日本でも、貧富の差がいまよりかなりあった時代には、大半の子どもは早く社会に出て働かなくてはなりませんでした。その人たちのために設定されたのが、職業準備に直結する学校で、日本では商業学校や工業学校など(「実業学校」と総称されます)がありました。戦前の英独仏にもそうした学校が数多く設けられました。いっぽう大学などに進学することをめざす生徒は、日本では旧制中学校、ドイツではギムナジウム、フランスではコレージュやリセ(いまの制度とは別)に進み、みなさんがしているように、ゼネラルで抽象的で理論的な一般教科を学び、大学進学に備えました。上級学校に進むには入学試験を受けて合格する必要もあります。十代後半にもなって、働いて稼ぐこともせず、なんの役に立つわけでもなさそうな一般教科を学び、塾や家庭教師にお金を使って「受験勉強」に専念できるのは、金持ちの子どもにほぼ限られていました。ですから、財産の有無が制度的な意味で入学要件になっているのではなく、実際問題としてそうなってしまう、ということです。こうした問題は、単線型になった現在でも形を変えてつづいています。ご存じでしょうか、親の所得水準と子の学力は強い相関を示します。金持ちの家に生まれた子どもは「よい教育」を受けて、その結果として高所得の職に就くことになり・・・ という循環が起こるのです。フランスの社会学者ピエール・ブルデューはこれを「階層再生産」と表現しました。もし中・高の教員免許状の取得に関心があれば、来年あたり私の授業(教育基礎総論1)を受講なさってください。非常にシビアな問題として、このあたりを取り扱います。

■現代のフランスの教育システムは、日本のものと比べて、とても理にかなっているし、日本も個性を求めるならフランスのものから学ぶことがあるのではないかと思った。日本では大学受験をして就職するというのがお決まりのパターンだと思うが、そのせいで、いわゆるFラン大学のようなものに、多くの人が金と時間を費やしている。日本はもっと専門学校に力を入れて、Fラン大学のようなものを減らしていくべきだと思った。また、頭がよいとされる大学生の大半も怠惰な人が多いから、いまよりさらに実力主義の社会になるべきだと思った。
・・・> 議論の方向自体は悪くありません。ただ看過できないことがあります。Fランなどという言葉を、金輪際使わないでほしい。そして、そこに金と時間を費やすのは問題だから、Fラン大学を減らすべきだという(実はSNSなどではよく見かける)議論は、無知や不勉強に由来する暴論であると考えてほしい。そのようなレッテルを貼られた大学や大学生の悲しみを思ったことがあるだろうか。ただでさえ少子化で地方の国立・私立大学は底が抜けそうなほど苦しくなっています。首都圏であっても、志をもって教育・研究をおこなっている多くの大学が苦境にさらされています。いまの社会、君たちが「便利で快適で、そこそこいい社会」と思っているこの社会を実際に支え、動かしているのが誰なのか、考えたことがあるだろうか。自称トップレベルの大学で、プライドばかり高くて社会的なスキルを磨くことを怠っているような学生や、1つ上のコメントで述べたような、親の経済力に依拠して「高学力」になったような学生ほど、「Fラン」などという差別語を平気で使う傾向があります。レビュー主にはそんなふうになって、アレな学生だと思われてほしくありません。レビュー主にかぎらず、附属から早大に進んで、自分から身近な人間関係を突き破ろうとしない場合に、目が曇り、社会の実像とかけ離れたところでいい気になって、やがては自身の立ち位置があやしくなるリスクがあることを、いまこの時期に心に留めてほしい。

■中学校卒業まで誰も見捨てられることのない教育は、本当にありがたいと思う。ちょいちょい「高卒は厳しい」とか聞くことがあり、とりあえず大卒・・・ みたいな風潮が感じられる。教育の形がこれから変わっていくような予感がする。
・・・> 日本ではもう同世代の6割が高等教育に進学しています。高卒がマイノリティ化しているのですね。そのぶん大学のユニヴァーサル・アクセス化(万人に開かれること)と地域化、職業準備教育としての役割の増大がみられます。従来は、大学に進学するならば高校普通科に、というのが定番というか鉄板でしたが、高校段階で専門的なこと(工業・商業・農業・水産・情報・福祉・・・)をちゃんと学んだうえで高等教育に進むと、ハイレベルの学問を学ぶ意義やその社会的実装の意味、自分がそこにどう貢献するのかというイメージがわかってくるので、そういうルートが増えてくるのだろうと思います。

■教育制度について、友達と、現在の日本はどの方針をとるべきかまじめに話し合ったことがある。複線型であれば、その道を歩めばよいだけだから、その中での専門性を妨げられることなく学べてよいが、問題はまだ理性のないときに道を選んで、その道は本当に一生の道になるのかということにある。さらに同一の知識を持ち合わせて平均を上げなくては、国民のレベルが低迷し、愚民ができるので、立憲民主制の日本ではよくない。今回のフランスの例は、ある程度学んだうえで専門を選ぶことができるため興味深いと思った。学歴社会になってしまうことは、教育の独立性を保つことができないという話も友人との会話で出たのだが、フランスでは自分の学びたい程度まで学ぶことに対して当たり前と思っているふしがあり、その教育システムは少なくとも現在の日本よりはよいと思った。
・・・> いまも複線型を採る英国やドイツと比べたとき、現在のフランスと日本の制度はかなり近いと思われます。それでも「違い」が出てくる原因は、学校教育に人々が何を求めてきたのかという歴史的経験の差異であろうと思います。何を学びたいかというよりも、どこを卒業すれば社会的に有利か、社会的に「すごいね」と認められるのかということを優先して進学するという日本人の習性は、明治後期の産業革命期と、昭和中期の高度成長期の2度、学歴取得を通じて地位や階層の上昇(ステータス・アップ)が起こったという経験ないし記憶に由来します。実際に上昇(階層移動)がしっかり起こったのはその2度だけなのですが、その社会的記憶はとても大きかったのでしょうね。見方を変えれば、多くの日本人は「どこで何を学ぶか」という価値基準をあまりもったことがありません。そのため、自分の子どもや教え子たちにも「いい高校・大学」に進学して卒業すれば、そうでない場合よりも「可能性」が大きくなると真顔で伝えます。でも、主体性や意思が弱ければ「テキトーに学んでテキトーに(それなりにいいところに)進む」だけのことですし、「いい高校・大学」で勉強についていけず、さりとてプライドがじゃまして現業的な仕事を求めることもしたがらず、稼ぎもいまいちということになります。それ以上に罪深いのは、「学歴をめざして可能性を広げよう」という人たちに付き合わされて、高校や大学に進むための「受験勉強」(その内容自体はあまり意味をなさない)にいやいや時間と労力を取られ、その時間で磨けたはずのスキルや社会適性も得られない、かなりの割合の若者のダメージです。フランスの教育を長く研究してきて、その鏡に映った自分たちの社会の姿というのが、私にはそのように見えます。早稲田大学の教職の授業とか、本庄高等学院の現代社会論では、しばしば受講生同士の情報交換やディスカッションを入れるのですけれど、このテーマに関しては絶対にやらないことにしています。同質性の高すぎる集団(それも「いい大学」にいると思い込んでいる人たち)のあいだで議論しても社会のリアルな姿には迫ることができないし、しばしば差別的な「上から目線」に気づかず、それ以上に「親のおかげでそこにいられる」ことへの自覚を欠いて平気でいる、ということに私が耐えられないからです。これを読んで反発する人もあるだろうと思いますが、文系の学問をやる、専門分野を研究するというのは、しばしば自分の誇りや安心を自ら傷つけ、血の出る思いを乗り越えて自分を成長させるということでもあります。


ことし8月上旬にマドリードからの航空便でパリに飛んだ 着陸態勢に入って高度を下げていくと
私にとってはなじみ深いパリの町と、その向こうにエッフェル塔が見えてエモエモ(^^)

 

■フランスから持ち込まれた、現代にも根づいているものは、美術や音楽など文化的なことや、食べ物などしかイメージをもっていなかったので、公教育のしくみがフランスで生まれたとは思っていませんでした。前近代はまだ格差が深くあった時代だと思うので、そんな中でコンドルセが、男女・身分問わず教育が必要だと主張したのは革新的であると感じました。

■フランスでは、人種や民族、信仰などが異なっていても共和国の原理のもとで統合されるという考え方が国家の基本にあるということを学んだ。とくにライシテでは、宗教の違いによる対立を避け、すべての人を平等に扱うためのしくみとして生まれたはずなのに、社会を多様化するとその共通ルール自体が特定の人にとって窮屈になる可能性もあるのではないか?と思った。シンガポールに住んでいたときは、国籍や宗教、母語が異なる人たちが同じ教室にいる環境が当たり前だったけど、全員が一つの共通した価値観に近づくというより、それぞれの違いを残したまま同じ空間にいるという感覚のほうが近かった。授業の冒頭で、普段私たちがなにげなく使っているメートルという単位まで、フランス革命と結びついていると知り、驚いた。この発想は、その後の自由・平等といった共和国の原理とつながっているように感じた。また日本では正しい答えを出すことを求められる試験が多いが、高校の段階で「幸福とは何か」といった問いに取り組んでいるということに、考えさせられた。

■フランスという国家は、自由・平等・友愛を掲げ、多様な人々を統合することをめざしていると認識した。一方で近年では反移民の動きが強まっているということに驚いた。もとは人種や宗教などの違いを超えて共存することを理想としていたのに、経済の不振や社会の変化によって、その理念を共有できるのか疑う人が増えているということに、矛盾を感じた。また自由や平等といった言葉は、誰もが大切だと考えていても、その捉え方は人によって異なるという話に納得した。理念を掲げるだけでは共存とはいえないため、異なる価値観をもった人たちとどう向き合うかが大切だと思った。
・・・> 本当にそのとおりですね。「フランスは」「フランスでは」という固有・特有の話をたくさんしましたが、その部分を抽象化して薄めたとき、英国でもドイツでも合衆国でも、そして日本でも同じような構造や問題が見えてくる、ということはないでしょうか? 当科目は現代世界論ではなく現代社会論。私はあくまでも「現代社会」を講じているつもりです。

■フランスが大切にしてきた自由・平等・友愛・ライシテといった共和国の原理が、いまでは社会変化を経て、何を自由・平等とするのかという問いをもたれているということを学んだ。国が大切にしてきたものが、複雑なこの社会の中でどのように受け入れられるのかについて、他国の視点でも考えていきたいと思った。

 


開講にあたって

現代社会論は、附属高校ならではの多彩な選択科目のひとつであり、高大接続を意識して、高等学校段階での学びを一歩先に進め、大学でのより深い学びへとつなげることをめざす教育活動の一環として設定されています。当科目(2016年度以降は2クラス編成)は、教科としては公民に属しますが、実際にはより広く、文系(人文・社会系)のほぼ全体を視野に入れつつ、小・中・高これまでの学びの成果をある対象へと焦点化するという、おそらくみなさんがあまり経験したことのない趣旨の科目です。したがって、公共、倫理、政治・経済はもちろんのこと、地理歴史科に属する各科目、そして国語、英語、芸術、家庭、保健体育、情報、理科あたりも視野に入れています。1年弱で到達できる範囲やレベルは限られていますけれども、担当者としては、一生学びつづけるうえでのスタート台くらいは提供したいなという気持ちでいます。教科や科目というのはあくまで学ぶ側や教える側の都合で設定した、暫定的かつ仮の区分にすぎません。つながりや広がりを面倒くさがらずに探究することで、文系の学びのおもしろさを体験してみてください。

選択第7群の現代社会論IIでは、設定いらいずっと「グローバル」なものを副題に掲げてきました。グローバル化(英語でglobalization=地球化、フランス語でmondialisation=世界化)という用語や概念は、1990年代あたりに一般化したものであり、2000(ゼロ)年代にはそれがすべてかのように猛威をふるい、2010年代には逆風にさらされ、グローバルに関する言説は総じて批判的なものになりました。2020年代ももう後半ですし、高校3年生のみなさんが実社会で活躍するのはさらに先の2030年代でしょうから、そのころグローバルという表現自体がもう陳腐化している可能性は、なくはないと思われます。ただ、いったんグローバル化してしまった以上、もとの世界に戻ることはありません。私たちは知らず知らずグローバルの恩恵を受けています(もちろん、ダメージも食らっています)。グローバル時代だから外国語を話せるようになりましょう、といった単純すぎる(アホみたいな)発想が陳腐化するのは間違いない。その程度の知識やコミュニケーションは、もうAIがやってくれます。では、これからの時代に社会で活躍する人として、いかなる思考、どのような構えを心得るべきなのか。その答えを出すには、週2時間、1年弱の授業ではとても足りませんが、そのヒントや土台くらいは提供できればと考えています。

みなさんが小・中・高で学んできたことの中には、たとえば算数・数学の公式や定理や問題の解法、あるいは国語や英語の文法など、数値や単語を入れ替えることで広く使えるような知識と、個別の用語や概念を自分の中に取り込み自分で説明できるようにしておくという、知識それ自体の、両方が含まれていました。社会系教科といわれる地理歴史や公民は、どうしても後者のイメージが強いようです。社会科=暗記 という認識が、ほかならぬ「社会」の側でも広く共有されているようです。でも、社会なる対象が不動のものであればそれでいいかもしれませんが、実際には絶えず動いており、形を変えています。私(古賀)は社会系教科を教えるようになってもう30年以上になりますが、初期のころと現在とでは知識それ自体がまるで変ってしまっている、ということも多いです。ということは、暗記してなんとかなるような部分はさほどでもなく、むしろ公式や定理や文法に近い部分こそ、いまのうちに取り込んでおくべきなのかもしれません。いま世界は、ちょっと想定を超えるスピードとベクトルで変化しています。合衆国のトランプやロシアのプーチンの振る舞いが注目されており、みなさんもそこに目を奪われているかもしれませんけれど、より本質的には、18世紀ころから世界を覆ってきて標準(standard)とみなされていた西欧的な考え方や価値観が、非欧米世界の経済成長につれて相対化され、動揺しているというところが重要です。トランプやプーチン、そして彼らを支える勢力には、そうした動揺の反動として動いているという側面がかなりあるのですね。当科目では、いま私たちがいる日本という国家や社会については大半を対象外としています。学ぶのは日本の外、いうところの海外とか外国という部分です。公民はどうしても日本にかかわる部分をかなりの割合で扱い、余白みたいなところで世界を学ぶという構成になりがちですが、この現代社会論IIは、3年生選択科目というコンディションを生かして、あえて日本の外に照準を当てます。おそらくそうした視野で学び、思考する経験は初めてなのではないでしょうか。1年間の学習を終えたときに、「世界の見方」の一部くらいは獲得できて、成長を実感できるのであればいいなと考えています。

*地理の授業で使用した地図帳を毎回、持参してください。別種類のものを買い足してもよいと思います(違った視点を得られるかもしれない)。

 

 

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