古賀毅の講義サポート 2026-2027
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Études sur la
société contemporaine II: «le monde en mutation / pour la perspective et la
réflexion globales 現代社会論II:
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現代社会論I:近未来の社会を(に)生きる構想と探究
2026年4〜5月の授業予定
4月24日 国家の多様なかたち
5月1日 ナショナル・アイデンティティへの視座
5月8日 現代世界と言語(1):言語の考え方
5月15日 現代世界と言語(2):言語とアイデンティティ
5月29日 現代世界と言語(3):社会変動の中の言語
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ここまで主に国際法や国際関係の視点から、国家(state / nation)を考察してきました。今回は国家を構成する重要な要素でありつつ、捉え方の難しそうな国民(nation / people)に焦点を当てます。たとえば日本という国家に日本人という国民が住む。韓国という国家に韓国人という国民が住んでいる。国家があるのだから国民がいて当然でしょ、というふうにシンプルに考える人が多いかもしれません(現時点では)。そして、自分がその一員であると思う○○人という国民に対しても、自分が属していない△△人という国民に対しても、○○人はこういう国民性をもった人、△△人にはこんな傾向がある、といった評価を加えることがしばしばあります。自分が属している国民だからといってプラス要素ばかりで捉えるということでもなくて、「まったく日本人ってこれだから嫌なんだよな」といったマイナスの評価を自分たちに当てることもありますね。しかし、他国民から「日本人はこれだから嫌なんだよな」と、同じ性質に対して同じ言葉で批判を受けると、急に感情的になって「なに〜 !!」と怒り出すかもしれません。お前たちこそ××だ!みたいな言い返しの可能性もあります。SNSを含めて、日常会話の中ではずいぶん出てくる場面なのですけれども、よく考えると、かなりおかしいことがわかります。1億人以上もいる日本人のパーソナリティや行動様式が均一であるということは絶対にありません。それこそSNSでは日々、日本人どうしが罵り合っているわけで、同国人からといって嫌いな人、気の合わない人はたくさんいるし、それ以上に、大多数の同国人は「知り合いですらない人」です。「日本人は」とひとくくりにして認識し、評価を当てはめるということが本当に妥当なのでしょうか。 それでも、たとえばスポーツの国際大会で日本人や日本代表チームが活躍すると、わがことのようにうれしくなり、大喜びすることがあります。知り合いではないという点では、日本代表もカナダ代表選手も同じなのに、なぜか同国人を応援する。外国人に「日本」を褒められたとき、決してあなた自身を褒めたわけではないのに、自分が褒められたような感覚でうれしくなります。「日本人はマナーがよくて、電車では静かにしているし、町にゴミを捨てませんよね」と、訪日旅行者がしばしばいっていますけれど、日本人である自分は電車で友達とわいわいしているし、この前はついゴミを路上に捨ててしまった。それでも、なぜか自分を、褒められている「日本人」の中に入れて、うれしがるのではないでしょうか。生身の自分を、所属する国家や国民と重ねて、ああわたしはこの国家・国民の一員である、というふうに理屈ではなく感情レベルで思うこと。これが今回の主題であるナショナル・アイデンティティの最初の説明になります(「定義」とはちょっと違う)。アイデンティティはもともと心理学の用語で、「自分とは何か」という自己認識のようなものなのであり、ナショナルな要素は含まれません。しかし現代世界では、なぜかナショナルな要素が強くなります。誰に教えられたわけでもないのに不思議ですね。愛国心(patriotism)は生来そなわった「自然な感情」だと考える人も、あるかもしれません。でもそんなことはありません。思想史をちょこっと学べばわかることですが、いまいわれているようなパトリオティズムが表れるのはせいぜい17世紀あたりのことです。フランス革命が起こった1780年代においてもなお、「自分がフランス人であり、フランスを愛している」と感じる人は、社会の上層の人たちに限られました。ナショナル・アイデンティティや愛国心は、近代の産物なのです。何がそれらを生み出したか、想像できるでしょうか。 前回までの国家の見方だと、国家は法のカタマリであり、ある種の組織体という性質であるように説明されました。しかし国家を国家たらしめるのは、「ここはわれらの国だ!」という思いを抱く生身の人々=国民です。そして、国家が国民をつくるという面と、国民が国家をつくるという面があって、両方の動きが絡み合って近代国家が生成されました。そして、主権国家という考え方(現代のスタンダード)が欧州の歴史の中で生まれ、世界に広がったのと同様に、近代的な国民像もまた欧州から世界へと伝播しました。法や制度の部分以上に、「これがわが国だ」という感覚を取りまとめるほうが難しいと思うのだけれど、とにかくそういうことになっています。「日本は島国でおおかた日本人が住んでいるから問題が少ない」なんて、ショートしすぎですからね。江戸時代の地図と現代の地図を比べてみるだけで、その問題点はわかるはずです。
REVIEW (4/24) ■私はいままで、国家には、これが当てはまれば国家として認められるというような明確な定義が存在するものだと思っていましたが、今回の授業を受けて、いろいろなあり方があり、単純なしくみで理解することはできなくて、難しいけれど多様でおもしろいと思いました。また国家の中の国家に属している人々のアイデンティティはどのようになっているのか疑問に思いました。 ■公共の授業では、国家とは主権・領域・国民という定義や要件を満たしているものと習ったので、ずっとその認識でいたけれど、今回の授業を聞いて、国家は教科書的な定義では捉えきれないなと実感しました。国家が国家であるためにという要件の「国際社会のコンセンサス」というのがとくに印象に残りました。定義に合わないから間違いというわけではなく、現実をそのまま眺める姿勢が重要であり、それはややこしいというより多様であるということなんだなと思いました。 ■国家の中に国家がある、世界に認められない国家がある、といった世界の現状を知って、世界は自分が思っているよりも複雑で、いままで学んできた世界に関することはほんの一部だったんだなと感じた。 ■国家というのは他国と関わるときには、認められているかどうか、主権をもっているのかということが重視されるが、実際に国家はどのような要素があれば国家といえるのかがあいまいで、一言に国家ということの難しさを感じました。国家として認められていない場所でも、主権国家と同様に人々が暮らしているところもたくさんあり、基準に当てはまらないものもそう思うしかないというカモノハシ理論にとても納得しました。主権国家は領域の大小にかかわらず対等という建前でも、実際には国連の常任理事国の承認が重視されていることや、かつての列強が他の地域に影響を及ぼした痕跡が多くあり、国交や自分の国を守るということも考慮しながらやっていく難しさを感じました。アメリカや中国などの顔色をうかがいながら方針を定めるというのは、仕方ないと思うと同時に、それでいいのかという疑問も感じました。 ■固定的な定義では捉えきれない国家の多様性について学んだ。とくにカモノハシの例を用いた「例外をそのまま受け入れる姿勢」は、グローバル社会を理解するうえで重要だと感じた。またスイスのカントンのように、国家の内部に主権的要素をもつ単位に存在する例や、アラブ首長国連邦やタンザニアなど複数の国家的要素の集合体としての国家も印象的だった。全体として、国家という概念は非常に流動的で、相対的なものであり、単純な三要素だけでは説明できないということを実感した。
■理系科目の公式などについては「なぜそうなるのか」を理解することが重要だとずっと教わってきたので、グローバルな世界を学ぶときは「ありのまま」受け止めるカモノハシ理論の姿勢が有効だと知り、少しとまどいました。またスイスやアラブ首長国連邦など、これまでは一つの国家として単純に捉えていたが、それは一つの観点に囚われた見方に過ぎなかったことに気づいた。 ■主権国家というのは外部からの見方で、国家は内部の人の見方なのかと考えた。よって私たちは、内部の人が見る「国家」を受容するか、しないかは自由なのではないか。なぜなら私たちと実際に向き合っているのは主権国家のほうだからだ。 ■何をもって国家とみなすのかと聞かれて、昨年の公共で習った国家の三要素が答えだと考えていた。だがそれを教えているのは日本くらいだと聞いて意外だった。他の国ではどのようにそれを教えているのか気になった。 ■世界には未知数の疑問があるのだと感じました。とくにスイスについて。スイスには国家内国家が存在し、そのうえでスイス連邦が主権国家であるという点です。スイスには公用語がいくつかあるとほとんどの義務教育で教えられるけど、別に公用語がたくさんあるわけではないというのを今回初めて知って、なんか義務教育の敗北を深く感じました。とても悲しいです。 ■前回につづいて国家とは何かという視点をもつと、主権や法、外交や軍事など国のアイデンティティをつくり出すさまざまな要素からアプローチすることができる。中でも国際社会での立ち位置を考えると、国家を集合させた連邦国家というかたちで機能している国があるとわかる。その内部にはそれぞれの憲法や政府があり、自治のための制度がきちんと存在し、自律しているのだと考えられる。同じく国際社会の点から考えると、植民地であったとか、統治されていたといった点から主権のありかが問われたり、前述した連邦国家内の国が国家内国家として扱われていたりすることがあり、私たちが学ぶ国家の三要素はすべてに適用されるわけではなく、国々によって承認する・しないと意見が分かれることもある、とわかる。地理的要素と外交の要素も複雑に絡み合うからこそ、三要素のみで簡単に分別できるものではないと思った。 ■国家を承認するのかしないのかということに、外交関係の私情をはさんでいるのがよくないと思った。たとえば日本がアメリカの顔色をうかがっているのも、少し情けなく思える。だからこそ明確な基準を設けて、その国に住んでいる人の思いを汲み取ってほしいと思った。 ■国家の成り立つ要素と国家、どちらが先なのだろうか。国の見方を世界で統一することはできないのだろうか。 ■家族や学校や地域など私たちの属する組織はすべて自然発生であって、後から名前がついただけ。そう考えるとあらゆる定義に当てはまらないものがあるのは当然なこと。適度に身を任せ、絶え間なく変わる世界を見ていたい。歴史を学ぶうえで「でもこの時代の国は現代の国とは違うんでしょ?」と毎度思っていたが、当然だった! 何も怪しいことなんてなかったです。すっきりしました。 ■今回の授業を通じて、国際社会を扱ううえで定義することをあきらめ、認識するということが大切だとわかりました。 ■カモノハシ理論によって、「現実はそのまま受け入れよう」という姿勢が強調されているが、これをそのまま適用すると、領土問題や未承認国家の扱いを「仕方ない」で終わらせてしまう危険もあると思った。また国家の定義において、三要素が絶対的でないとなると、判断や主観などが政治にかかわってしまい、それは本当によいのか、と感じた。 ■いままで国の定義など考えたこともなかったが、今回の授業で主権国家や国家内国家についていろいろな話を聞けて、とてもおもしろかった。マレーシアやスイスなどの身近な国も国家内国家の集まりだというのは知らなかった。未承認国家の中華民國を国と認めて、中華人民共和国も国と認めて貿易などをおこなっている国もあるのですか?
■国家の三要素はあくまで近代の主権国家体制を維持するために便宜的な定義であり、現実的には国家の形態はもっと流動的である。スイスやマレーシアのような国家内国家を内包する主権国家も、台湾のように実態と形式が乖離した国家も、「国家の定義」という枠組がいかに限定的なものであるのかを物語っていると思った。 ■一つの主権国家でも、国家内国家があって相互の往来にはパスポートが必要であったり、それぞれに君主がいたりする地域が結構あって驚きました。タンザニア連合共和国もその一例で、パスポート・コントロールがあることは理解したのですが、ザンジバルがタンガニーカと対等合併した理由は何ですか? 一国で十分に経済力があるので対等合併しなくても主権国家として維持できたと思うのですが・・・。 ■地理総合の課題で、西アフリカの国々を覚えるというのがあったのですが、そのとき西サハラを見つけて、そこがどういう立場なのか気になっていました。そのときすぐに調べてみなかったことを後悔しています。 ■そもそも地図上で西サハラが黒文字で表現されていることを知らなくて、そのうえで、もしかしたらトランプが隠し持っている土地なのかな〜なんて思っていたけど、モロッコが統治していて国連が放っておいているというのがおもしろかったです西サハラを8割ほどもっているのと全土もっているのとで、どのくらい領海とかが変わるんですか? それによってはもう少し国連が関心をもつべきなのかななんて思いました。 ■西サハラは、とくにメリットがないから各国が手を出していないというのは、グリーンランドも同じような扱いなのかなと思った。また他に地球で未開拓の土地はあるのか気になった。未承認国家にソ連に近い国々が多いのは、第一次世界大戦前後のいざこざも要因の一つになるのかなと思った。 ■イチゴのつぶつぶのように、実は国家の本体は一部であったというところが複数あったことにも驚いたのだが、それ以前にそのような国家があることを知らなかった。そして、有名な国(スイス)にそのようなことがあったのでさらに驚きました。 ■世界でいちばん小さな国家は?と聞かれたらとくに考えずにヴァチカン市国と答えていたが、今回なぜそうなのかを理解した。ヴァチカン市国は宗教団体であり、主権国家はその上に載っている衣みたいなものだ。国際社会に参入するために主権国家としたのだなあ。主権国家になれば実質上は対等だから。 ■在ヴァチカン中華民國大使館がイタリア領内にあるという事実は受け止めることができましたが、大使館を建てるときに、誰(どこの国家)が土地を手に入れたのか、またイタリアはそれを認めたのか、気になりました。 ■「ローマ教皇との外交」が具体的にどのようなことをしているのか、疑問に思いました。 ■日本のカントリー・ドメインは.jpでフランスは.frなどは知っていましたが、.nuがエロ用なのは初めて知りました。
■数多くの未承認国家が存在していることに驚いた。国連安保理常任理事国が承認しないと国家として成り立たないというところに、国家間の序列が顕著に表れていると思った。 ■未承認国家があるのは知っていましたが、どのような国があるのかは知りませんでした。正直、まったく知らない国ばかりでした。中華民國は世界最大の未承認国家であるとありましたが、未承認国家なのに発展しているんだと思いました。 ■安保理常任理事国の権力が強すぎるのはよくないと思いました。なぜならその5ヵ国のずれかにとって都合の悪い国はずっと承認されないからです。また現存の未承認国家11ヵ国は意外と少ないと感じました。国家であると主張している地域がもっと多いと思っていました。 ■未承認国家であることのデメリットとして、国際社会に認められていないため大国と外交できないという面があると考えたが、他にどんなデメリットがありますか? またメリットはありますか? ■どうしてキプロスで24時間以内に帰ってこないと逮捕されてしまうのですか。 ■質問としては、未承認国家に住む人々の権利はどの程度保障されているのか気になった。他国と比べるとどうなっているのかも気になった。 ■スイスのカントンのように強い自治権をもつ地域と未承認国家の違いは?
■国が発行している地図に国家の意図があるというのはわかっていたが、ではGoogle Mapなどの多国籍企業の地図はどこの国境を使用しているのだろうかと興味をもった。 ■先生は、中華人民共和国が軍事力などを使って台湾島を実効支配するということが今後起きると思いますか。また日本人は自国を日本と呼びますが、台湾の人たちは自国を台湾、中華民國どちらで呼ぶのですか。 ■地図帳で国境が破線で表記されている箇所として、カシミール地方やマクマホン・ラインを知っていたのですが、スーダンとエジプトのあいだにも破線があるのをきょう初めて発見し、背景を調べてみようと思った。ハラーイブ・トライアングルとビル・タウィールの存在がわかった。まだ軽く調べただけで、背景を詳しく理解していないので今後につなげたい。 ■中華民國の件は印象的だ。いままで日本が承認しないのは中国のにらみがあるからというだけだと思っていたが、実際には承認すると双方に失礼であるからだと思った。 ■台湾は、なんとなく親日だというイメージがありますが、中華民國の承認を取り消したり、その前には日本の植民地だった過去もあったりするのになぜだろうと思いました。また現地で日本はどのような評価を受けているのか気になりました。
現代社会論は、附属高校ならではの多彩な選択科目のひとつであり、高大接続を意識して、高等学校段階での学びを一歩先に進め、大学でのより深い学びへとつなげることをめざす教育活動の一環として設定されています。当科目(2016年度以降は2クラス編成)は、教科としては公民に属しますが、実際にはより広く、文系(人文・社会系)のほぼ全体を視野に入れつつ、小・中・高これまでの学びの成果をある対象へと焦点化するという、おそらくみなさんがあまり経験したことのない趣旨の科目です。したがって、公共、倫理、政治・経済はもちろんのこと、地理歴史科に属する各科目、そして国語、英語、芸術、家庭、保健体育、情報、理科あたりも視野に入れています。1年弱で到達できる範囲やレベルは限られていますけれども、担当者としては、一生学びつづけるうえでのスタート台くらいは提供したいなという気持ちでいます。教科や科目というのはあくまで学ぶ側や教える側の都合で設定した、暫定的かつ仮の区分にすぎません。つながりや広がりを面倒くさがらずに探究することで、文系の学びのおもしろさを体験してみてください。 選択第7群の現代社会論IIでは、設定いらいずっと「グローバル」なものを副題に掲げてきました。グローバル化(英語でglobalization=地球化、フランス語でmondialisation=世界化)という用語や概念は、1990年代あたりに一般化したものであり、2000(ゼロ)年代にはそれがすべてかのように猛威をふるい、2010年代には逆風にさらされ、グローバルに関する言説は総じて批判的なものになりました。2020年代ももう後半ですし、高校3年生のみなさんが実社会で活躍するのはさらに先の2030年代でしょうから、そのころグローバルという表現自体がもう陳腐化している可能性は、なくはないと思われます。ただ、いったんグローバル化してしまった以上、もとの世界に戻ることはありません。私たちは知らず知らずグローバルの恩恵を受けています(もちろん、ダメージも食らっています)。グローバル時代だから外国語を話せるようになりましょう、といった単純すぎる(アホみたいな)発想が陳腐化するのは間違いない。その程度の知識やコミュニケーションは、もうAIがやってくれます。では、これからの時代に社会で活躍する人として、いかなる思考、どのような構えを心得るべきなのか。その答えを出すには、週2時間、1年弱の授業ではとても足りませんが、そのヒントや土台くらいは提供できればと考えています。 みなさんが小・中・高で学んできたことの中には、たとえば算数・数学の公式や定理や問題の解法、あるいは国語や英語の文法など、数値や単語を入れ替えることで広く使えるような知識と、個別の用語や概念を自分の中に取り込み自分で説明できるようにしておくという、知識それ自体の、両方が含まれていました。社会系教科といわれる地理歴史や公民は、どうしても後者のイメージが強いようです。社会科=暗記 という認識が、ほかならぬ「社会」の側でも広く共有されているようです。でも、社会なる対象が不動のものであればそれでいいかもしれませんが、実際には絶えず動いており、形を変えています。私(古賀)は社会系教科を教えるようになってもう30年以上になりますが、初期のころと現在とでは知識それ自体がまるで変ってしまっている、ということも多いです。ということは、暗記してなんとかなるような部分はさほどでもなく、むしろ公式や定理や文法に近い部分こそ、いまのうちに取り込んでおくべきなのかもしれません。いま世界は、ちょっと想定を超えるスピードとベクトルで変化しています。合衆国のトランプやロシアのプーチンの振る舞いが注目されており、みなさんもそこに目を奪われているかもしれませんけれど、より本質的には、18世紀ころから世界を覆ってきて標準(standard)とみなされていた西欧的な考え方や価値観が、非欧米世界の経済成長につれて相対化され、動揺しているというところが重要です。トランプやプーチン、そして彼らを支える勢力には、そうした動揺の反動として動いているという側面がかなりあるのですね。当科目では、いま私たちがいる日本という国家や社会については大半を対象外としています。学ぶのは日本の外、いうところの海外とか外国という部分です。公民はどうしても日本にかかわる部分をかなりの割合で扱い、余白みたいなところで世界を学ぶという構成になりがちですが、この現代社会論IIは、3年生選択科目というコンディションを生かして、あえて日本の外に照準を当てます。おそらくそうした視野で学び、思考する経験は初めてなのではないでしょうか。1年間の学習を終えたときに、「世界の見方」の一部くらいは獲得できて、成長を実感できるのであればいいなと考えています。 *地理の授業で使用した地図帳を毎回、持参してください。別種類のものを買い足してもよいと思います(違った視点を得られるかもしれない)。 |