古賀毅の講義サポート 2024-2025

Études sur la société contemporaine I: Instruction civique pour la recherche

現代社会論I探究するシヴィックス5.0


早稲田大学本庄高等学院3年(選択科目)
金曜12限(9:10-11:00) 教室棟95号館  S205教室

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現代社会論II:グローバル時代のパースペクティヴ2024

 

20249月の授業予定
9
13日 共生と寛容 Side-A
9
20日 共生と寛容 Side-B
9
27日 性と性差と女と男 Side-A

 


次回は・・・
13
14- 共生と寛容

授業予告は8月下旬ころに更新予定です。しばらくお待ちください。

 

 

REVIEW 7/12

「とくに親しい誰か」「他者評価」「居やすい自分」「他者に好かれる自分」など、並べられた言葉に思い当たるところがあり、「わたしのことをわかってもらいたい」など、誰かに一度は話したことのあることばかりだった。こんなに自分と他者の違いについて考えているのは自分くらいだろうと思っていたが、こんなにもぴったりと言い当てられて、自分が特異ではないことに気づき、本当に安心した。おそらく私は人よりもこういったことについて考えすぎているのだろうが、「人よりも」といってしまっていることに自分が「典型的」であることを思い知らされる。そして、「自分らしさ」を出したくなり、さらに他者と比較するようになる。自分がいままで考えていた範囲以上に自分を説明されて、こういう人は一人ではないという安心感と、所詮おとなの思考範囲内だったということに複雑な気持ちになった。この思考から抜け出せる、収まるようになる時はいつ来るのだろうか。青年期の出口が楽しみになった。

数年前から「わたし」が他人からどう思われているか、どう見えているかが気になりはじめて、外見や言動をキレイにしようと気をつけるようになったのも、「高校生は井の中の蛙で社会を知らない、判断力もない。おとなを超えられない」と父がいうのに対して「パパだっていまの若者の社会を何も知らないじゃん」と心の中で文句をいっていたのも、青年期真っただ中だからだと理解しました。

私は教員志望なので興味深い内容でした。小学校か、中学校・高校かは定まっていません。

ちょうど私はいま青年期なんだろうなという自覚がありますし、早く心もおとなになりたいと思うのですが、みんなはどうなんでしょう。気になります。

ますます「人間」「社会」がわからなくなった。多様化、ギャップとかいわれるけど、根本は同じで変わらない。予測不能。

青年期は不安定な時期であると思うけれど、それについてここまで具体的に説明を聞く機会がなかったので、論理的に知ることができておもしろかったです。自分のアイデンティティを探すようになり、心理的離乳につて自分にも思い当たることがあったので、客観的にみてこのようなことが起きていたのだなと納得できました。

私たちは現在進行形でモラトリアムのただなかにいるはずなので、今回の授業のコンテンツは、私にとってメタ的な揺さぶりになったと思う。学問としてコンテンツ化された形式で自分自身の心理状況について考えると、冷静な視点で捉えることができた。青年期の痛々しい反発や恥ずかしく思える内面も、よい意味で他人事のように理解できたので、新鮮な感覚だった。モラトリアムという過渡期は、その善悪を判断するような代物ではないけれど、それがあまりに長期化するのも考えものだと思った(社会的秩序、アイデンティティ確立の観点などから)。


クラーク博士像(札幌 羊ヶ丘展望台)

 

青年期以前は、親や周囲のおとなが教えてくれた楽な道を歩いていたということにかなり気づかされた。青年期は自分で危ない道に立って、周囲のおとなが歩き方を教えるのではなく、自分が主体的に周囲から歩き方を学んでいかなければならないのだということをあらためて理解した。また自由ということのよい点と悪い点を知ることができた。

現代社会の中心は「おとな」であるが、そのおとなのプレ段階、つまり将来的に社会を担う対象が「子ども」であることを認識しなければならない。私は18歳で、法的には「大人」である。ところが実際に自らを客観視すると、まだまだ「子ども」であると思う。これこそが青年期であり、モラトリアムであるということがわかって、少しばかり安心した。考え方や感じ方に対する成長は感じているものの、自分が小・中学生のころに思い描いていた「大人」という理想とは多くが違っているように思える。

自己を他から捉えるというのは、若者が診断(MBTIとか占いなど)を好むのと関係ある? 私は物心ついたときから規則やルールに対して「なぜそれが必要なのか」と思ってしまっていたので、児童期がなかったのかもしれない。
・・・> 関係あります。自己の評価にかかわる言葉とかなにがしかの表現というのをやたらに好む時期なのですね。占いは、青少年向けの雑誌が誕生したとき(日本では大正期)からデフォルトですし、昨今の韓国式のやつはそろそろオワコン化すると思いますがその手のものは次から次へと出てきます。資本主義のカモですので(笑)。後段、規則やルールに反発するのは、幼児期にも児童期にもみられる現象です。青年期のそれは、外見的には同じように見えても内容と趣旨が異なります。

若いうちにやっておいたほうがいい、といわれますが、青年期は、なぜそれをやっておいたほうがいいのか理解できない時期にあたると思います。また青年期は目の前のものに集中する期間であり、周囲の人によって視野に入っていないものを補うもので、おとなはある程度その視野が広がっているのだと思います。

こうも詳しく分析されると、思春期真っただ中の自分は妙に恥ずかしく、嫌な気持ちになってしまい、ステージ4.5を実感してしまいました。

中学校・高校生活で感じていた葛藤が言語化され、少し理解できる気がした。そして、その葛藤をビジネス・チャンスと見ている企業や商品も、いま考えると身の回りにたくさんあるとわかった。子どもができた際には、青年期のサポートをできるように、いまの感覚を忘れずにいたいと思った。

第二次性徴を境に自己を外から捉え、考える能力がついてくる。抽象的思考能力を得られるとともに、変化のなかった自身に変化が表れ、「本当の自分」とは何かと考えはじめる。おとなになる準備期間であり、自立しようとする時期であるので一見よいように思えるが、失敗を恐れるようになり、環境の変化に伴うストレスを受け、他からの視線に過剰に反応するようになる。小学校高学年から中学校にかけてひきこもりが増えたり、心理カウンセリングを受けたりする人が増えるのもそのためだろうと考える。
・・・> そのためです。

いま妹が、他人の眼を通して自分を見たり、他者を見たりしていて、常に「この子かわいくない?」「私のこれどう思う?」といっている。その対応の仕方、青年期の対応の仕方はすごくすごく難しいと思う。他者ならもっと寛容に受け止められると思う。だから青年期の家庭のあり方は、帰ってこられる場所、そして他の機関として青年期の子どもにいろいろな視野を与え発達を補助するところが学校以外にも必要だと思った。
・・・> そのとおりなのですけど、家庭の変質や多様化、共同体の変容(崩落)といった大きな流れがあり、青少年を受け止める「場」が極小化されてしまっています(これは児童期の子どもについても同じ)。また、少子化が進んで同年代の人と触れ合う機会が絶対的に減っていて、そのこともマイナスに作用しています。宗教の問題も考えるべきでしょう。地球上の多くの社会において、人間の行動を律し内面を意味づける役割をもっているのが宗教であり、近代の青少年は、宗教的規範やそれが支えている社会秩序に適応し、ときに反発して成長します。その宗教が、主に科学技術の高度化とグローバル化の進展でかなり動揺しており、従来のような意味での「場」を用意しきれなくなっています。日本では、江戸時代のはじめに仏教が宗教性を相当失って世俗の権威ないし儀式の主宰者のような存在になって、人々の内面を律するような力を以前ほどもたなくなりました。そのため、「宗教が変容して役割を失いかけている」という文脈すらほとんどもっていない、ということです。要するに、学校以外のさまざまなアクター(動作主体)が青年期を受け止める場としての機能を失いかけているということですね。そこにSNSが入ってきて・・・ということです。

児童期から成人期への移り変わりの中で子どもとおとなのどちらにも属さない青年期の真っただ中にいるというのは事実だが、ただの言葉の定義で、その内容はもっと深いと感じた。青年期における変化のうち、人間関係を築くにあたって、相手の思考の裏側まで自分の頭で考え、探って、深読みしてしまうのも、他人を無理やり自分と重ね合わせて自分に足りないことは取り込んで自分を成長させようとしていることも、こうした自分の内面の複雑さにとまどい、解決策を見つけようとしてもなかなか見つけられず自分に対する怒りやもどかしさを覚えることも、人生をトータルで考えたときには「異常」であるが、それが「正常」であると認めてくれるおとながいるだけでも救われると思った。青年期はある意味、悩みが多くてもそのぶん発見が多くておもしろい。自分の感情の敏感さにも驚く。そんな感覚を失いたくない・・・。

保健や公共の授業で扱う青年期は、何十年も前から注目されており、それをテーマにした歌がヒットしていたことからも、かなり注目されていたことがわかった。

昭和のアイドルの歌は、歌詞の意味がしっかりしていていいですよね。私は、竹内まりやと松田聖子が好きです。あと少し前の尾崎豊も好きです。
・・・> 竹内まりやは、本人がアイドルだった時期はほとんどなくて、アイドル向けの楽曲提供で名を成しました。河合奈保子「けんかをやめて」(私が中学生のとき)、中山美穂「色・ホワイトブレンド」(私が高校生のとき)、広末涼子「MajiKoiする5秒前」(私が教育学部助手だったときの曲で、広末さんが教育学部を受験したときに監督をしていました 汗)などが知られます。尾崎豊はまさに青年期の若者に支えられた、というかその層にしか支持されなかったアーティスト。1980年代の管理教育の時代という背景を知ると、尾崎の葛藤がよくわかります。彼のメジャーデビュー曲「卒業」(1984年)は、graduate from 規範や権威やおとなの管理 というのが直接の内容なので、おとなの拘束に対する反発といえるのですが、最後のリフレインのところで「卒業して いったい何 解(わか)ると言うのか(略)俺達の怒りどこへ向かうべきなのか これからは何が俺を縛りつけるだろう あと何度自分自身卒業すれば本当の自分にたどりつけるだろう(Wow wow)仕組まれた自由に誰も気づかずにあがいた日々も終る この支配からの卒業」と、悲鳴に近い絶叫で歌い上げます。若者の自由を縛りつけているのは、実は先生やおとなではなくて、社会の側の「仕組まれた」何かだということにうっすら気づき、もがきのトーンが変わるのですね。このあと1990年代にかけて、おとなになった(はずの)尾崎豊が商業文化的なものに絡めとられていく過程を、私たちの世代はリアルタイムで見て、悲しい結末も共有していますので、デビュー曲の最後の叫びは余計に感じ入るところがあります。


青年期の発見者 ジャン-ジャック・ルソーの像(スイス ジュネーヴ)
10
歳にして一家離散の目に遭い、孤独で貧困な前半生を余儀なくされるが
ギリシア・ローマの古典と出会い学問や思想を手にして「社会」を構想する新たな視点を得た
大学など従来のアカデミックな世界とは隔絶した、底辺の生活のなかから導き出した
新たな「社会」観や人間観は、死後10年ほどではじまるフランス革命や、その後の近代社会の
到来を予期、予告するものになった 主著「社会契約論」「エミール」のほか
音楽家として「むすんでひらいて」の作曲でも知られる

 

第二次性徴が起きると自身の変化にとまどい、動揺するというところに共感した。小学校高学年くらいから周囲の視線が気になり、自分の存在とは何なのかを考えるようになった(クラス内での立ちまわりやキャラのようなもの)。今回の授業で、その悩みは科学的に青年期の特徴として示されていることを知って安心した。

友達と恋愛の話をしていたときに、「何人(なんにん)と付き合ったことがあるか」という話になって、そこから「小学生のときは含めるのか」などということについて議論になった経験があります。今回の授業を受けて、この議論には、青年期になると「好き」の意味合いが変わってくるということ、そして、青年期が何歳から何歳までなのかは人によってさまざまな考えがあるということが前提にあるのだと思いました。

摂食障害を患った13歳のころ、そういう悩みを抱えたことがない年代しか周囲にはおらず、現代の厳しさを感じました。養護教諭の先生には定期的にカウンセリングのようなかたちで話を聞いていただきました。この年代にしか理解できない、抱えることがない悩みというのがあるのに、おとななんだから、子どもなんだからとひとくくりにしないでほしい、と考える年齢は、これからどんどん低年齢化すると思います。犯罪の低年齢化が問題視されることもありますが、私からすると、おとなが罪を犯すのは当たり前なの?と思ってしまいます。
・・・> 犯罪の話はちょっと専門的になります。法律的にも、14歳未満の触法行為は完全に別建てです。少年法とか少年司法はおもしろくて深いテーマですので、関心があれば研究してみてください。

身体の成長とこころの成長のズレは、私自身よく感じます。実際に日常生活の中で感じたり、ニュースを見ていて感じたり、自分がいまよくわからない反抗をしていると感じることもあります。客観視すれば私たちはまだ危うさがあるのだろうと思うし、両親が過保護になるのもうなずけるくらい高校生って危なっかしいんだとあらためて思いました。でもそれは理解しているけど、それでも「もうおとなだもん!」といいたくなってしまいます。青年期は終わるのでしょうか。自信をもって、自分は立派なおとなでもう不安定ではない、と言い切れるときが来るのかと聞かれると、答えられません。自分に子どもができて、子を心配する立場になったらそういえるのかもしれないし、それでもなおいえないような気もしています。いつ「おとな」になるのでしょうか。

小学校から中学校に進むときに引越ししたのですが、まったく気の合う知り合いがおらず、つらい期間がありました。対なかま関係を失敗していたようですね。一人ひとりには特性があるから、得意・不得意が分かれるのは自然であるし、納得できます。一方で、不得意があるのはダメなことだという風潮がある気がしています。特性のことを考えると、それはよくない風潮だといえる気がするのですが、どう思いますか?
・・・> 「風潮」はないと思うんですけどね。親や先生や周囲のおとなにあれこれいわれて、「みんなそういっている」ような感覚になっているかもしれないけれど、「みんな」は一高校生のことになんて関心がありません。得意・不得意というのが、たとえば学校の教科だとすると、凸凹がありすぎれば受験に響くでしょうからなるべく均しておくほうがいいよという、一般的なアドバイスになります。実際には、中学校・高等学校レベルになると、すべての教科や分野が得意でハイスコアだという生徒は、ごく少数をのぞいているわけがありませんので、みんなそれは承知しています(いっている本人も、生徒時代にはたぶん凸凹していたはず)。ま、ふつうの善意でしょう。「公民の先生」としての意見を申しますと、公民の得意な高校生も、不得意な高校生もいて、不思議でもなんでもありません。ただ、公民が苦手で大変だといっているのに政経や法学部に行きたいとか、そんなタワケたことをいうなよ、という話です(まぢで)。

「子どもの夢」と「青年の進路」は似て非なるもので、進路を早いうちから考えさせることがよいことではないと知りました。なぜ小学校・中学校では、ことあるごとに「将来の夢」を考えさせ、発表させるのか疑問に思いました。
・・・> 正確を期して申しますと、進路を早いうちから考えさせることは、さほど問題ではありません。「職業」を考えさせるのが大問題です。両者には明確な違いがあります。社会の複雑化の度合いと、発達段階における青年期(準備期間)の長期化を考えると、早いうちに固定してしまったところでどうせ変わるし、変えなければならなくなりますから、あくまで「仮」「暫定」「とりあえず」というふうに考え(させ)ておくべきなのですね。何も考えないよりは、進路を「考えてみる」経験があるほうがよいです。ただそれを固定してしまってはダメ、ということです。学校の先生の中には、「高校3年生にもなって(学年の数字は任意)将来のことを考えられていないなんて、よくないぞ」的なことをおっしゃる人が結構います。なぜなら、教員・教師という職種の人は一般に、わりと早い段階で教員になろうと考えてまっすぐそこをめざしてきた人が多いからです。小・中学生や高校生にとって、なんなら唯一の「身近な職業」ですから、そこで「先生になりたい」と思ってそのまま成長してしまったというのであれば、葛藤や自己認識が不十分な、むしろダメな進路選択ということになります。でも、先生は自身のたどった道を基準に考えますから生徒もそうあるべきだと思い込んでしまうのです(教員以外もたいてい自分基準で考えますが、教え子への影響というのはないですからね)。「高校3年生にもなって将来のことを考えられていない」のは、普通の普通であり、なんにも問題ありません。考えられているのであれば、それも正解です。当たり前のことです。私ですか? 私は中学2年生のときに、担任の若い女性の先生に惹かれ、中学校の先生になろうと思いました。高校に進学したあとは高校の先生になろうと、対象を変えましたが職種はそのまま。それで教育学部に入ったのですが、大学生になったときに大学の先生になろうと思ってしまって、こんにちに至ります。なんだ、ダメな進路選択じゃん(大汗)。

青年期の感情や行動についてもSNSが大きな影響を及ぼしているのだと思いました。たとえば、他者から自分はどのように見えているのかというのを気にしたり、過度の(そして誤った)ダイエット方法を信じ込んで行動したりすることです。

児童期から青年期への移行について、授業では第二次性徴が中心に据えられて説明されていたが、私は「学歴至上主義」的な価値観も大きく影響すると思う。小学校高学年ころから中学校受験を意識する人がちらほら現れて、塾に通う人も増えて、中学校進学後には順位・偏差値のつく定期テストがおこなわれる。周りの子はあんなにできるのに、と他者と比べて自分の成績を見て落ち込んだり、親に怒られるからとテストの答案をもみ消したりする。これが、自己を定義し自律心を構築する青年期と重なるところがあるのではないかと考えた。
・・・> 学歴主義とか学歴至上主義というのがどこまでそのようにいえるのかは、昨今微妙になっています。ただ、1960年代くらいまではほんの一部の生徒だけが受けていた進学(受験)へのプレッシャーというのが、1970年ころから全国民化し、そこに学校のランク(偏差値)のようなものが全国レベルで入りました。大半の中高生がプレッシャーやストレスにさらされる事態を迎え、そしてそれは現在も変わりません。本来、青年期の葛藤の先にはアイデンティティの確立があり、他の何ものでもない自分らしさや特性を見出してそこに自分の場を求める、というのが教科書どおりの発達。いろいろな尺度や基準や対象があるはずです。それなのに、進学のための学業成績(つまるところは主要教科の点数)という単一の尺度で測られ、自分でもその単一の尺度にはまり込むと、ランクの高い人も低い人も自分の前後左右の点数が気になって、自己を見失いそうになります。欧米はそこまででもないのですが、韓国や日本の社会では、その問題がどうしてもありますね。なお進学・受験競争が世界で最も苛酷なのはシンガポールです。敗者復活のないトーナメント戦みたいなものかな。

 
(左)ロンドン塔(London Tower) この建物の歴史や由緒は夏目漱石の「倫敦塔」に描かれている 英国留学中の漱石は錯乱同然に
陥ったとされるが、その経験が文学作品として多くの日本人に貴重な学びの機会をもたらした
(右)ベルリン中心部のウンター・デン・リンゲン通り 東西分裂時代は東ドイツだったところである 森鴎外「舞姫」の主人公・太田豊太郎は
この道を1kmくらい進んだあたりで場末の踊り子であるエリスと出会った、という設定になっている

 

青年期は職業選択の自由が共有された影響でできた、おとなへの準備期間であるということがわかった。青年期についてここまで詳しく学んだことがなかったので新鮮だった。

青年期が長くなっているということを、今回の授業で初めて知ることができた。おとなになるのを避けようとするのは、青年期であれば少々悪いことをしても大丈夫だということも影響しているのかなと思った。

「こころ」を去年読まされて、おもしろくない作品なのになぜ教科書に載っているのかと不思議に思ったが、近代人の悩みを予見した偉大な作品であることを初めて知った。受身で読んでいたため、自主的に読んで、作品におもしろさを見出そうと思った。
S先生の雑談で、森鴎外は調子に乗っていて愛人をつくって遊んでいたと聞いたんですけど、本当ですか?
・・・> 調子に乗ったかどうか、遊びだったのかどうかは存じませんが、愛人はつくりましたね(笑)。

モラトリアム=準備期間であることを見失い、おとなになるのを先延ばしにするという指摘は、本当に耳の痛い話だと思いました。人生の選択の自由がさらに増して、すぐに社会に出なくてもよいという環境に甘え、決断を先送りにして将来についてもよく考えていないなと、あらためて気づかされました。現状に甘んじて何もしない、何も為せないまま高校生活や大学生活が終わらないようにしようと思いました。

「青二才」といった表現が悪口なのはわかるけれど、メーターとかで青色が小さい値(正常な値)を表しているのとは逆になっているなと思いました。
・・・> adolescenceに対応する語に「青」の字を充てるのは日本語の都合。英語はgreen boyのようにで未熟さを表します。メーターの青は信号機に由来するものと考えられます。19世紀に鉄道信号が開発されたとき、当初は白が「すすめ」だったのですが、視認しにくいため、ストップの赤と対極で混同の恐れがない緑(青)がgoのサインとして選ばれました。と、ChatGPTちゃんに教えてもらいました。

産業革命以前には青年期という概念自体が存在しなかったということに驚いた。しかし考えてみれば、人々が青年期に気づかなかったのは普通のことであるとも思った。産業革命が起こる前は、身体だけ成熟していれば農業をすることができたのでそれでよかったが、産業革命によって頭脳を使うことが求められるようになると、抽象的な概念を考えることが必要となり、また複雑な技術や思考を身につけなければならなくなるため、おとなとして生きるための準備期間が必要になるのは明白である。

職業の自由はあってよかったのではないかと私は思う。たとえば農家の子どもがとても優秀でノーベル賞を取れるほどの発明をしても、職業の自由がなければその発明が表に出ることはない。そう考えると、文明の進化を求めた人々が職業の自由を得ることは自然であると思った。

職業選択の自由がないころは、そもそも自由という概念がないため、「こんな仕事をやりたかったな〜」という憧れみたいなものも生まれなかったのではないか。腹をくくって進路を決めなくてもなんとなく生きていける現代の環境が、青年期の幅を長くしているのかなと思った。
前近代には身分や職業が固定されていたため、将来について考えなくても、気づけば仕事に就いて働いていた。産業革命後、職業選択の自由によりおとなへの準備期間が必要になったが、自由でなかったほうが将来的な不安も少なく楽なので、身分のせいだと責任も押しつけることができる。ある意味、精神的に楽だと思った。

産業革命を経て職業選択の自由が共有されるようになったというのは、私にとってはあまり望むことではない。選択を自分でおこなうということは、責任も自分で負うということなので、何かあったときに、自分の生まれ育ちに責任を押しつけたい、あるいは責任という考えさえ思い浮かばないような、それが当たり前という世界で生きたかった。いまこんなに悩んでいる自分の将来を「誰か」に決めてもらい、いざというときはその「誰か」のせいにできたら、どんなに気持ちが楽なのだろうと、ついつい考えてしまう。

自由っていいものだと思っていたし、もっと世の中が自由になるようにとデモしている人たちをよく見るので、自由がつらいことだ、という考えはいままでまったく起きなかった。

職業を縛られるのも、自由なのも嫌なので、私はしっかり二次性徴期が来ているのだと思いました。
・・・> 考え方はいいのですが、一部の言葉の解釈と用法を誤っています。第二次性徴は青年期の入口(の目印)であり、第二次性徴イコール青年期ではありません。レビュー主さんは他の記述でも同様の誤用をしていましたので、意味を取りそこねているみたいですね。言葉の使い方を間違えることは普通なので、別段問題はないのだけれど、この用語を誤用すると、あなたがあらぬ誤解を招いてしまいます。「いま二次性徴期が来ている」と自分でいうと、「性的な反応や性衝動が起こって、自分で制御しがたい状態になっています」と告白しているように聞こえて、「やば」と思われちゃいますよ。赤面する前に修正しましょうね。

近代に入り青年期という考えが生まれたが、同時に職業選択の自由という負担もあるので、早めに将来の職業を決めておくことが、いまの自分がやるべきことだと思った。
・・・> 上のほうでも述べましたが、早めに決めるというのはそれでいいのだけれど、また変わるし、決めたからといって安心でも安泰でもないですよ、ということ。

 
二宮尊徳像(小田原城下 報徳二宮神社)
薪を背負い書を読む金次郎少年の像は勤勉さと親孝行の道徳的モデルとして戦前は多くの小学校に設置された
長じて農政家となり荒廃した農村の復興や各藩の財政建てなおしに尽力する
少年金次郎像は父が死んで一家を背負うことになった数え14歳(いまの中1)ころのものとみられるが
江戸後期にいたっても少年の次はもう「おとな」である(彼に限らず青年の銅像ってほとんどないことに気づきますか?)

 

このブロックは、青年期の範囲に関するものです。まとめてコメントします。

時間の定義はどの分野であっても難しい。おとなに見えておとなのように振る舞うが年齢が低い人は青年期のどの部分にあたるのか気になる。「ちょっと待って期間」は、結局「何であるか」と定義するよりもおおまかなほうが全体として意味が通ると思う。私は、青年期は1522歳だと考える。

私は、青年期は1522歳だと思う。中学生の前半は純粋にばかなことができるが、受験生にもなるとそろそろ「責任をもてよ」といわれるようになり、遊びたいが内心は半分羽目を外しすぎることができないようになる。そして、一般的に大学を卒業するまでは、いつかは稼いで自立しないとな、でも具体的なレールを敷けないからどうしたらいいのかわからない、という状況に陥るように考えた。

青年期やその他の人間の発達過程で、心の中や見た目でどのような変化が起きたら○○期、というのはなんとなくわかりますが、何歳から何歳までが○○期というのは、人によって変わるので、事典などによって幅が変わるのは納得できます。ただ、青年期に入ったときにどのような環境で過ごしたか、何に力を入れていたかなどで、その人の人格や社会的スキルなどの確立が起こり、青年期の長さも変化してくるのではないかと思いました。

青年期は、子どもとおとなの境界線を拡大したものであるが、その境界がきわめてあいまいだと思った。身体的に見れば子どもだがおとなのように抽象的な思考ができ、アイデンティティが確立されている人もあれば、身体はおとなだが心理的な面でまだ成熟しきれていない人もいる。だから青年期の定義は人によって異なり、身体的成長と心理的成長の速度にも差が生じてしまう。より正確に青年期を定義するため、青年期を身体と心理の2つに分けたほうがよいのではないかと考えた。(類例複数)

青年期の区分について、時代の流れには反するかもしれませんが性別でも区別するべきかと思います。男性に月経がなくてそれに伴う悩みがないように、女性にもないものがあると思うので。

ギフトと呼ばれる、子どもだけど同年代の周りの友達よりも概念的な学習ができる人たちは、青年期といえるのかと疑問に思った。周りよりも学習能力が高く、それによって「自分は優秀」という外からの視点を見ることができるが、周りを見下すような子ども的な思考もあるため、青年期ではないのではないかと思う。また、青年期とは、あらためて「概念的」なものであると感じた。青年期の期間はいつからいつまでなのかと聞くと、人によって意見が異なり、いま青年期にあるであろう自分でさえ青年期という実感がない。
・・・> 心身の発達のあり方、状態は人によります。また、一人の内部においても、ある部分は発達が早く別の部分は遅いというのが当たり前です。しかし、だから一般化しても意味がないのかというと、そうではありません。おおまかな傾向というのはたしかに存在するのであり、そうした公約数的なところを定義するのが学問というやつです。それによって人間や社会のあり方を考察し、客観的に分析することが可能になります。学問ですから、「私はこうだと思います」と主観をいってもまず説得力はありません。学問の動向や相場を学んでから、そのうえで異論をいうならいう、という感じになります(どの学問でも同じです)。そして、例外がありますとか、こんな事例もありますとか、僕の知り合いにはこんな人がいて当てはまりませんといった個別の事象や事例を持ち出しても、それをもって「青年期の範囲を決めなくてよい」ということにはなりません。いましているのは一種のモデル分析であり、相関性の読み取りです。絶対にこうなるという話とか、因果関係の説明ではありません。わかるでしょうか?


古賀の出身高校 その校歌には「福岡の街も目覚めて青年の進路あざやか」とあるが
人類はじまって以来、青年の進路があざやかだったことは一度もない!

 

「異常」な青年期を、私自身は少なくとも転落しないように、周りを頼りながら生活したいと思った。

世間が不景気になると不寛容さが増す傾向にあるのはなぜでしょうか。
・・・> 衣食足りて礼節を知る、の逆の傾向です。

青年期の感覚を忘れたのがおとなだから、青年期に寄り添ってくれないのかもしれないけど、もしかしたらある程度は寄り添ってくれているのに青年期のわれわれがお得意の「反発」で無下にしているのかもしれないと思った。

青年期特有の症状が細かいところまで言語化されていること、研究されていることに驚いた。青年期を忘れて、おとながいる向こう側に行くことになるというのを、まだ信じられていない部分がある。

おとなは青年期の感覚を忘れるという話がありましたが、私も小学生時代に抱いていた感覚や想いはほとんど覚えていないので、同じことかなと思いました。古賀先生のように知識としてもっていれば、青年期の感覚に寄り添うことができるのかなと思いました。

古賀先生はいつ青年期を脱しましたか?
・・・> 失礼な。永遠の青年だ(笑)。

主観ですが、昭和にはあまり印象のない「ゆとり世代」や「Z世代」といった○○世代という表現が、人をばかにしているかのような扱いで疑問に思っていたのですが、青年期の拡大で「異常な期間」が長い分、それをわすれたおとなにとっては気に食わない世代に映っているのかと思いました。
・・・> この反応がアレ期に特有の・・・ おっと失礼。あなたに知識がないだけで、○○世代というネーミングや、その世代をまるごと意味づけてしまう傾向は、メディアが発達した大正時代からずっとありましたよ。で、そのつど呼ばれた側は「上の世代は僕たちのことを決めつけて、ばかにしているかのような扱いをしている」と反発したのでしょう。最も有名なのは1947年生まれの第一次ベビーブーマーです。作家の堺屋太一は、これを「団塊の世代」と名づけました。いまも何かにつけて「団塊の人たちは」なんて、ひとまとめでいわれます。最も人口が多いのにひとまとめにしなくても・・・。で、その子どもたちの世代に当たるのが1973年ころに生まれた第二次ベビーブーマー、もしくは「団塊ジュニア世代」。少しさかのぼりますが1966年生まれは極端に少ないです。「ひのえうま」で検索してみてください。1969年生まれの私のあたりまでが「バブル世代」で、その少し下になると「就職氷河期」になります。で、あれでしょ、どうせ君たちの世代も、後輩たちに○○世代とかネーミングして、なるほどそうだねなんて言い合うんでしょそのうち。


ミケランジェロ作 ダヴィデ像(イタリア フィレンツェ)

 

親の立場になったときに、青年期に該当する子どもに対してどこまでプライベートに突っ込んでいいのか、突っ込むべきなのかを考えてしまった。あそこの家は過保護すぎるよねといわれてしまったら、子どもには申し訳ないような、でも放置しすぎるのはよいことなのかなど、行動の基準がないためわからなくなった。年齢的には成人したものの、なんとなくぼんやりした毎日で、ひたすら課題に取り組み、寝て起きてごはんを食べていると、誰かのレールに乗っているようで、何がしたいのかわからないような、もどかしい気分になった。目標や将来が定まらないため、やる気が出ず、とりあえずあとでいろいろな選択をできるように特定の分野だけではなくちょこっとずつ手を出すような状態が、余計にぼんやりとした毎日にしてしまっているような気がして、「ちょっとどうしたらいいかわかんない」ことが増えた。

私はいま青年期にいると思うが、いままで主観で悩んでいたことが、客観的な傾向として言語化されることで、自覚が増した。とくに高校生の時期には、自分の存在意義や客観的な価値に囚われすぎて悩むことが多いのだろう。おとな扱いされないから許容されているということについても、反発心を抱くと同時に、物事を考えすぎず自由に行動できる現状にもっと甘えていたいという本心もある。だから青年期は異常なのが正常だという考えがしっくりきた。ただ、おとなになって全員が青年期を忘れることができるのでしょうか? よくおとなでも、学生時代に戻りたい、昔はよかったなどと嘆く人もいますが、これは「青年期だったら許される」というのを悟っての言葉なのですか?
・・・> 違うと思いますよ。おとなとしての現在のあり方に不満や不安があればこそ、そうでない時代に戻りたいというだけのことで、そのころの内面や心理をリアルに思い出したら絶対に嫌だとなるでしょうよ。それとは別に、青年期を忘れられないというか、何歳になっても脱出できない人がそれなりにいます。それは、おとなではないよね。

青年期に対する考え方だが、今回の授業を受けて変化があった。現在私はおそらく青年期の渦中にいると思う。自分は正常ではないのだろうか、異常なのだろうか、この気持ちの高鳴りや激動に対する最も当てはまる、よい答え(呼び方)が見つかったと思う。それならば、青年期に直面している私たちはどうするべきなのだろうか? 一日一日を大切に生きていくことを、まずはやりたいと思う。多くの考え方を取り入れて、どんどん変化し、そして自分が考える理想に近づいていきたい。

私は、自由すぎて、職業や学部の選択肢が広すぎて、それらについて考えるとき自分を見失いそうに感じてしまう。また、親と意見が合わないだろうなと初めから壁をつくってしまうこともある。兄は大学生だが、将来の職業も、一定期間勤める職場も決まっており、周りからは「職が決まって親も安心だね」なんていわれる。実際、私もとてもうらやましく感じるときがある。しかし今回の授業で、自分は青年期の真っただ中にいるのだと気づいたので、悩むことや葛藤することすべてをデメリットとは捉えず、いまの期間があとで振り返ったときに将来の土台になったのだと思えるように、一日一日を大切に生きたいと思った。

中高生の教育は、おとなが子どもの上に立って教えるとか、おとなが子どもに01までちゃんと教えなければいけないといった考えをもつべきではないと思う。おとなとして経験や、より専門的なことを補助的に教える、考え方の視野の候補を挙げる、という体制になれば、子どもは「フィットする」という領域を自らの手でつかみ取りにいけると思う。
・・・> なるほどなるほど。中高生が自分で選択するという経験を少しずつ重ねていくと、学びの手ごたえも得られるし、適性や限界といったものも知ることができますからね。高校生にして、中高生の教育という「こっち(教員)側」の視点に立って考察しようとしているのはさすがです。で、この先は学問になります。学び(学習)はともかく、教育ということになると、高校生の視野にほとんど入っていない要素や理念があらわれて、むしろそちらをもとに考察・議論しなければならなくなります。何度もいうように(今回はひどいリピートでしたね 汗)私は教育学者で、まさにそういう専門的な考察をする立場であり、そのための学問修行を積んできました。レビュー主がその先の議論に踏み込もうとするとき、やはり大学レベルかそれ以上の専門的な学問を経験する必要があるでしょうね。楽しみです。

 

 


開講にあたって

現代社会論は、附属高校ならではの多彩な選択科目のひとつであり、高大接続を意識して、高等学校段階での学びを一歩先に進め、大学でのより深い学びへとつなげることをめざす教育活動の一環として設定されています。この現代社会論(2016年度以降は2クラス編成)は、教科としては公民に属しますが、実際にはより広く、文系(人文・社会系)のほぼ全体を視野に入れつつ、小・中・高これまでの学びの成果をある対象へと焦点化するという、おそらくみなさんがあまり経験したことのない趣旨の科目です。したがって、公共、倫理、政治・経済はもちろんのこと、地理歴史科に属する各科目、そして国語、英語、芸術、家庭、保健体育、情報、理科あたりも視野に入れています。1年弱で到達できる範囲やレベルは限られていますけれども、担当者としては、一生学びつづけるうえでのスタート台くらいは提供したいなという気持ちでいます。教科や科目というのはあくまで学ぶ側や教える側の都合で設定した、暫定的かつ仮の区分にすぎません。つながりや広がりを面倒くさがらずに探究することで、文系の学びのおもしろさを体験してみてください。

当科目は毎年、内容・構成とサブタイトルを変えています。2024年度は探究するシヴィックス5.0としました。もちろん、いまいわれているSociety5.0を意識した副題で、過去何度か類似の副題を設定してきました。ここにある探究というのは、探求ではなく、あえてそのような文字を選んでいます。総合的な探究の時間や世界史探究など、文部科学省も好んで用いるのは「究」すなわち「きわめる」ほうです。英語の単語に直せばresearch。お気づきでしょうか、さがすという意味のsearchに、繰り返しの、再々のという接頭辞のre- がついています。何度も掘り込んで、どこまでも突きつめていくといったイメージで捉えましょう。公民や地理歴史などの社会系教科では、どのテーマであっても、いくらでも、どこまでも突きつめることができるのに、学習者はしばしば表面をなぞり、「正解」らしきものをつかまえて、そこで思考を停めてしまいます。なんなら試験の前に単語と意味を暗記して、答案用紙にはき出し、以降は内容ごと忘却するということに終始する人も少なくありません。「暗記が苦手だから社会系は嫌い」という人が、文系にも多いのは本当に残念です。この現代社会論Iでは、暗記はまったく必要ありません。むしろ、暗記なんて絶対にしないでくださいとお願いしたいほどです。でも、暗記不要の学びは、慣れるまでなかなか大変です。「試験前に覚えればいいや。いまは何もしないでおこう」という態度が許されないからです。その場ごとの思考と考察、その先の探究が不可欠です。慣れてくると、授業外で出会ったテーマに対してもその方法を当てはめて思考する習慣がつきます。希望としては、できるかぎり多くの受講生がそのレベルまで行ってほしいなと思っています。

「現代社会」に関する学びは、歴史のそれよりも役に立ちそうだ、と考えていないでしょうか? まあそうなのですけれども、しかし「いま、この瞬間」としての2024年は、10年経てば「むかしの話」になります。制度や法律が変わり、社会情勢が変わり、人々の価値観や行動様式も変わっていきます。いま、この瞬間に正解だったものが不正解になることも多いですし、それ以上に、いまこの瞬間に重要だとされているものが10年後には無用になるということだって大いにあります。歴史に比べると、現代社会は「足が速い」。だから、個別の知識を得ること(さらには暗記すること)には、さほどの値打ちはありません。数学や物理の公式、英語の文法などを思い出してください。それらは生きているあいだずっと有効で、数値や単語を入れ替えれば無数に展開できますよね。現代社会の学びも、そのようにありたい。そのための探究を、さあはじめましょう!

 

 

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