古賀毅の講義サポート 2026-2027

Études sur la société contemporaine I:
le dynamisme de la Société / les études pour l’approfondissement, l’intégration et le recherches

現代社会論I:
社会のダイナミズムと深化・統合・探究の学び


早稲田大学本庄高等学院3年(選択科目)
金曜1・2限(9:10-11:00) 教室棟95号館  S203教室

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現代社会論II:変動する世界/グローバルな視座と思考のために

 

2026年9〜10月の授業予定
9
月11日 地方分権化の明暗:不均衡の容認はどこまで? Side-A
9
月18日 Side-B
9
月25日 まちづくり・地域再生への挑戦:実情と理想を語ろう Side-A
10
月2日 Side-B
10
月16日 ポスト・トゥルースの誘惑:エセ科学と陰謀論 Side-A

 


■次回は・・・
15・16- まちづくり・地域再生への挑戦:実情と理想を語ろう

小学校の社会科あたりで、「わたしたちのまち」を構想しようというプログラムはありませんでしたか? こんなお店があるといいなとか、公園や乗り物とか、お花がここに咲いていてとか。社会科(Social Studies)という教科は、もともと社会の主体的な担い手を育成するという趣旨で、第二次大戦後にはじまったものです。子どもなりに社会を構想させるというのは、おおいに意味があることだったのです。考えてみればわかるように、社会を構想するには、社会を観察し、実相を知り、その構造や背景を知る必要があります。ところが中→高と進むあいだに、後ろ半分が「知識」として肥大化し、肝心の社会構想とか社会参画の部分がどんどん薄れていきます。しまいには、社会科で学んでいる社会というのは、私たちが住むところの「この社会」とは別の、学習用か何かのバーチャルなものであるかのように認識されます。あるいは「社会」すらなくて、個別の、断片的な知識が無数に散らばっているだけということもあるのでしょう。大学受験生であれば入試を突破するために仕方ないのかもしれないけれど、附属のみなさんが同じことをしてもよろしくありません。小学生とは知識の量も質も違うわけなので、高3だからできる社会構想を立ててみませんか、というのが今回のテーマ。私は、卒論でもなんでも「提案型」というのがあまり好きではないのだけど、今回は思いきり提案型でいきます。前回のSide-Bでもちらほら見えていたように、どうも学院の生徒(というか昨今の若者 笑)は、「そんなことをいっても仕方ない(無駄じゃないの)」とか、「現実的でない」とか、議論する前に無力感を抱いてしまうことがあり、また突っ込まれるのを嫌がってか、大小さまざまなエクスキューズを立てて本編の提案を覆い隠してしまうという傾向があります。ここで議論していることは、どのみち現実の社会にストレートに反映されるわけでもないので、何を醒めているのか/躊躇しているのか、と私は思う。

東京(中央)と地方という対立の構図をあえて立てて議論したのが前回でした。なんとなく、大半の人に、東京はよくて(繫栄していて)地方はだめ(しおれている)という感覚があるようにも見受けます。でも、東京だってかなりまずいことになっていますよ。シャッター商店街は多いですし、所得格差も深刻、いまのような物価上昇によって真っ先にダメージを受けるのはそもそも物価が高い東京です。ひとつの世帯に何人住んでいるのかという世帯別人口で、東京都は約1.86。つまり東京はかなり極端な「一人暮らしシティ」なのです。他者とのつながりはLINEかAIなのでしょうかね(汗)。こうなってくると、サッチャー首相ではないが「社会」などというものは東京にはないという話も現実味を帯びてきます。かつてはあった「都市ならではの共同体(町内会や、氏子集団など)」に関して、もう底が抜けているようです。どんな時代であっても、都市部でも農村部でも、社会の基礎部分というのはおそらく共同体であり(こういうと例のマイケル・サンデルの思うつぼ?)、インスタ映えしそうなファッションやレジャーではなく「生活」そのものであるはずです。その点で、東京あたりが日本ではいちばん「なっていない」のですね。まちづくりというときの「まち」には、自分(たち)の居場所、居るべき場所というニュアンスが含まれます。そんな「まち」がみなさんの中には、あるでしょうか?

このクラスのみなさんが住んでいる地域や出身の地域は、思いのほか多様ではないかと思う。また、たとえば同じ鉄道の沿線でも駅ごとに問題点や課題が異なるということはめずらしくありません。実相を知り、その構造や背景を知って、そのうえで、大事な地元をどのような地域にしていけたらいいのか、というふうに考えてみてください。前回は、行政(政治)と民間の経済活動の話がかなり混線していました(わかっていましたがあえて放置しました)。今回は、行政の問題もそれなりにあるでしょうが、より中心的になるのは「わたしたちの地域」における「わたしたち」のほうです。箱ものを造るだけでは地域はよくなりませんし、イベントを打って盛り上がってもそのとき限りに終わってしまうということは多い。もう少し中長期的な目で見て、サスティナブルな地域づくりって、考えられないだろうか。これまで相当な時間とお金と労力をかけて、いろいろなことを学んできたはずです。高校生活も終盤にかかって、いったんその蓄積を足場にして、思いきって提案してみてください。Side-Bはクラス全員の提案を混ぜ返して共有する、ファシリテーターつきのグループ・ディスカッションです。

 

REVIEW (9/18)

■今回のSide-Bでは、Side-Aに対する自分の意見を全体に伝えることができた。それぞれの生徒が地方分権×中央集権に対する考えを言い合える、よい討議の場になったと思う。実際の日本の現状をもとに日本の地方分権という政策をどのようにしていくべきかという観点から考えることができた。

■私は地方分権を進めていきたいと思っています。都市部に魅力を感じて集まるのは、働き手になりうる20代前後が多いと思うし、貢献できるのもその世代です。これらに関して食い止める必要はなく、その後地方に移ってもらうJターン、Uターンが理想的ではないかと思いました。そして、稼いでいる会社が、本社でなくてよいので地方に視点をもち、積極的に移動を推進することで地方分権のきっかけをつくり、自然災害への対策をするべきだと思いました。

■自分の意見について評価を受ける機会があって、反論の反論まで用意したが、質問されたときにはっきり答えることができず、まだまだ考えなければならない、難しい問題であると思った。第一次産業の話や首都直下地震の話は自分では考えることができなかったので、議論することの大切さを痛感した。自分が言いたかった集中+再分配の政策案を、あまり伝えることができていなかったのは、リサーチとレポートの能力不足であったかと感じた。いつもちらつくのが、人間が個人の利益を優先するという真理であり、それによって政治に大きく支障をきたすということである。また質問されて、財源がはっきりとしていない理想的な考えが地方分権の主張をしている人に多いと感じたので、国政でもいわれている財源を明らかにすることの大切さを感じた。資本主義経済におけるジレンマ的な、難しい問いである。

■発表の練習が全然足りていなかったと、話しながら感じた。地方分権の中の中央集権の考え(地方の中の都市をより強くする考え)が多いと感じた。生まれる場所、環境などは選べるものではないから、全員を平等にすることなど不可能だと思う。しかしその不平等を少しでも少なくするために東京をさらに強くするのではなく、地方の都市をより強くしていくべきだという考えは、中央集権派ながらちょっと共感できた。

 

■中央集権と一極集中というのは、行政と財産の話なので、話が混ざってしまっているのではないかと思った。いまは国の機関が東京にある。だから関係しているには違いないのですが、もう少し国の政治や権限の話をするべきだと感じた。ということをいいたかったのですが、地震や人材の話の途中でこれをいうと論点を乱してしまいそうでいえなかった。すっっっごく悔しかったので、次のディスカッションのときはいいたいタイミングがあったらすぐに発言できるようにしたい。自分と違う意見をもっている人がたくさんいて、とてもおもしろかったので、正直1時間では足りないくらいでした。次回は、今回の延長的な話題だそうなので、さらに調べておきたい。

■中央集権と一極集中というのは、根本的には違うものだということがわかった。この2つは今の日本でいえば東京だが、中央集権を採用しつつもその機関は地方に分配するべきだと思った。そうすることで一極集中は防ぎながらも中央集権を維持できると考えた。そうすれば災害が起きたときも中央集権の一部は機能しなくなりながらも、他のところは生きているため問題ない。一方で災害を機に一からまたつくるのもいいのではないかと考えた。警察などの憲法・法律は残したまま行政だけ大幅な変更をする。
・・・> 警察などの憲法・法律というのは入れ物と中身が逆じゃない? そしてなぜ警察だけ? (警察こそ分権化するべきだという話もあるのに)

■3人のあいだで、地方分権も中央集権もあったが、どちらも最終的に国が最低限の土台をつくって地方がその特色を伸ばすべきだという結論になるところがおもしろかった。ただ今回の結論では、地方分権×中央集権ではなく、地方分権+一極集中というような形であったため、そこでの違いが生まれないこともありえるのかなとも思った。個人的には、副首都ではないが各地方に一つずつくらい、東京まで行かずともそれなりの都市を点在させて、そこが地方については見るという形がよいのではないかと思う。現段階でもある程度発展している都市というものはあり、限られたお金でもそれらをそこそこ発展させることはできると思う。そこががんばることで中央集権と地方分権のいいところどりができるのではないかと思う。日本をいくつかに分けてそれを今の日本と東京のような形にすれば、今より細かいところまで見ることができて、急にすべて崩壊することもなく、人材もそこそこ集まるのではないか。

■私は、東京に権限をもたせて強い東京をつくるべきだと思う。人口や機能の一極集中と、権限や財源の中央集権は、必ずしも因果関係をもたないと思うからである。人口・企業・大学・文化施設が過度に東京に集中することは避けるべきだが、教育・医療・福祉といった国民の基本的な権利は国が最低限保証し、財の再分配により実現するべきだと思う。ここでいう「最低限」とは何か。教育面でいえば義務教育までとするのか。大学卒業までとするか議論になるだろうが、学校を地方に建設することはコストの面で不可能だと思うので、お金の面で支援し、リモート授業をさらに普及させることで機会均等を実現するべきだと思う(医療も同様)。優秀な人材が東京に集中することは、さらなる探究・技術の深化があると思う。
・・・> 前半はするどいことをいっているのに、後半それを十分に生かしきれていないのがもったいない。今回のディスカッションで、報告者とフロアの発言者の両方がいまいちわかっていなかったのが、最初の指摘の部分です。中央集権・地方分権というのは「権」の文字でわかるように、政治・行政の機能をどこがもつか、ということにほかなりません。東京一極集中とか人口の移動の話は、実はまったく別のこと。東京が稼いでその分を地方に回すという話がありましたが、それは中央集権の考え方です。地方分権化を進めるかどうかという議論はありえるが、「東京一極集中を進めるか」という議論は成立しません。「そのままでよいか、是正を図るべきか」という論点にならないといけませんね。一極集中というのは、資本主義(経済的自由主義)のもとで各アクターが自由に活動した結果そういう傾向を生んだということであって、国や自治体がそこをめざしたわけではないのです。A面ではしくみの話と結果としての「状態」の話を丁寧に分けて話したつもりなのだけど、伝わりきれていなかったな。

■私は発表を聞いて、地方分権よりもはやり中央集権的国家を維持するべきだと考えた。というのも、地方分権を進めると等しい分配がおこなわれないから大都市がさらに栄えるようになって、人口が地方から吸われてしまい、結果的に地方の魅力を発揮する機会がなくなってしまう。首都直下地震のリスクに関しては、中央集権は国が主体となる制度で、その施設が東京に集まっていることが問題だ。そのため国の保有地的な意味合いとして政治運営施設を各地域に分配していくことが、中央集権を維持しながらリスクを防ぐことのできる案だとわかる。
・・・> 政治運営施設というのは、がんばってひねり出した感じの表現でしょうかね。「行政機関」ではないですか。ただ、中央行政機関(の出先)であれば現に各地にあって機能しています。レビューは「現在のしくみ」をただなぞっただけになっているので、それでよいのかどうか確認してください。意思決定の中心とプロセス自体を地方に移管するというのが地方分権。最近だと文化庁が京都に移転しましたね(「地方」呼ばわりすると京都の人が怒るかもしれないが)。

■3人の主張はいずれも一貫して「地域ごとに差はあってもいい」というものだったが、それを受けて私は、その不均衡をどこまで許容するのか?という疑問を感じた。たとえば大学の数ならば東京のほうが圧倒的に多く、教育の機会には差が出ると考えられるし、病院の数であれば受けられる福祉、電車の数であれば移動に伴う人生の選択の自由に大きな差が生まれてくる。国が暮らしの土台を支えるべきだという話があったが、どこまで国がその差を補償するかによって、地方分権派なのか中央集権派なのかが変わってくるなと思った。ひとつの基準として、私は「その差によって何ができなくなるか」を考えればよいのではないかと思った。
・・・> 国語表現に慎重を期して、もう一歩進めてほしい。「差」と「違い」の違い。「地域ごとに差はあってもいい」とは、いっていなかったような。あるいはそういう主張を含んだ発言・報告があったかもしれないが、そうだとしたらちょっと傲慢で不適切のような気もしますよね。

■3人の発表では、おのおの立場が違うものの、国が教育や生活の面で地方を保障し、地方はそれぞれの特性を生かした取り組みをする、という点が共通していて、おもしろいなと思った。今回の議論では地方の取り組みを支えるとしたらその財源はどうするのか、というところが問題であった。過去に特例法で赤字国債を発行し、いまもしつづけていてツケが回ってきた。財源を回さずに地方を活性化する方法だが、前回の授業で学んだようなアイデア(北海道のワイン産業や松戸市のすぐやる課)くらいしか考えつかなかった。新聞には、23区規制の成果が少し出ていると報じられていたので、それが一概に悪いとはいえない、と思った。

 

■地方分権派と中央集権派のおのおのが、ただメリットを並べるだけでなく想定される反論や存在するデメリットに対しどう考えているかもまとめられていて、よかった。地方分権による取り合いの発生についてどう考えているのか質問したが、明確な回答は得られなかったので、やはりこの問題は対処が難しいのだと感じた。中央集権により人材の最適配分が可能になるという私の持論では、たしかに優秀で意欲のある人材にいきなり北海道へ行けというようなことは、少し無理があると思った。

■どれもよく準備されたすばらしい発表だと思いました。中央集権と地方分権どちらの主張も聞いて、自分の意見を明確にすることができました。私は、地方分権のほうが日本の未来を考えたときによいと考えました。しかし中央集権が、必ずしも東京の一極集中を招くというわけでもないという点が重要で、政治面のある程度の集権は必要だと思います。ただ地方の衰退をただ待つのは厳しいため、地方の発展も前提になっているのだと考えました。経済面での一極集中を促進する中央集権は、日本全体を見たときに倫理観に欠けていると考えました。

■地方分権・中央集権はいまの日本でリアルに進んでいる問題であり、もう少し実際におこなわれている取り組みをニュースなどから汲み上げる必要があるように感じた。また地方から都市への人口の流れについても、いまは大丈夫という意見があったが、地方で人口減少が進み、過疎化していることを示すために、具体的な数値などを用いて説得力のある反論をしなければならないと思った。

■いままでやった地理のレポートや公民の知識が有機的に結びついたおかげで、しっかりとした発言をして議論を回すことができておもしろかった。勉強していてよかったと実感した。

■まずは分極集中という形での地方分権を進めていくべきだと思います。すべての地方に均等に分配するお金はないですが、東京への一極集中は災害リスクや家賃の高騰など問題点が多い印象です。たしかに首都直下地震までには間に合わないかもしれませんが、それは一極集中という問題を放置しつづける理由にはならないと思います。また東京が「稼げる場所」であるという認識は必ずしも正しいとは思いません。高い給料は結局家賃や物価の高さで相殺され、狭い家は少子化にもつながります。また都市問題も懸念材料として挙げられます。家賃の高騰がつづけば郊外化が再び進行し、ドーナツ化現象に伴うインナー・シティ問題やスプロール現象も考えられます。

■今回のディスカッションで他の人の意見を聞いて、副首都や地方都市といった一部の地域を重点的に成長させるのがよいと思った。あくまで東京が中心であることは変わらずに、地方も政治・経済的に強くなることで、災害時のリスク分散もでき、沖縄など極端に遠い地域でも地方都市でまずポテンシャルを発揮できるなど、バランスのよい案だと考える。


サンシャイン60(池袋)から都西方を望んだところ

 

■地方分権を進めていくべきではあるが、わざわざ今の東京の機能を壊す必要はないなという立場をとっていく中で、どのような策を考えていくのかが重要である。その策として近ごろ話題に上がっている副首都構想に近いものが有力なのではないか。東京以外の名古屋・大阪に加えて、札幌・仙台・福岡に投資して、それらの都市に人口を分極集中させる策をとっていけばよいと思う。そうすることができれば、○○圏のようにその都市の周りにも人が住むようになり、地方も発展していくのではないか。また先生が「東京で自分のいい頭を使ってたくさん稼ぎたい」人が多いとおっしゃっていたように、それをまさに他の場所で実現させるべきだと思う。

■私は、道州制と首都機能の移転によって、東京一極集中の政治・経済的リスクを分散させるべきだと思った。とくに首都機能移転については、オーストラリアのように計画都市をつくるのがよいと思う。また道州制について、各地方の中心都市を中心として大きなまとまりをつくり、各都市をより大きく成長させ、経済リスクを減らせると思う。首都直下地震がすぐ来るとか財源が・・・とかはあるが、だからこそできるだけ早くするべきだ。

中央集権化が進むと東京の経済力が低下し、日本の税収も低下するから結果的に地方への利益が少なくなるという報告者の主張に共感した。ただ災害リスクを考えたときに、帰宅困難者や東京のインフラの停止や負傷者の医療が回らないといった問題が起こるので、無視してはいけないと思う。しかし東京に住んでいた人はそのような点を考慮して地方に移住すればよいし、夢ややりたいことがあって東京に来る人はそのリスクも考えて東京に来ているので、自己責任なのではないかと思った。
・・・> 文頭の「中央集権化が進むと」というのは報告の趣旨とは違うかもしれません(地方への分配が少なくなるという論旨はそのとおり)。後段で、地方から東京に来る人が災害リスクなどを自己責任で引き受けるのはいいとして、もともと住んでいる人に「それを怖がるのなら地方に移住すればよい」というのは、自己責任論にもなりえないと思います。自然災害はどの地方に住んでいても起こりえます。東京から能登半島に帰省していて地震に巻き込まれた方もいらっしゃいましたよね。イヤなら別のところに、というのは社会運営の視点としていろいろまずいので、もう少し考えてみてください。

■財源や自然災害など、どこを見るかによって何がよいか悪いのかが変わるというのは、当たり前だと思う。ただ、自然災害はいつ来るかわからないからといって後回しにしてよいわけではない。地方にお金を使ったことが失敗だったのではなく、使い方が悪かったのではないか。借金自体は悪いことではなくて、返せないことが問題なのであり、ある程度のメリット(自然災害への対応という面で)が見込めている副首都構想からはじめて、段階的に分権化していく、逃れられないからこそ災害へのリスクヘッジからはじめるのが、長期的にはよいのではないか。

■首都直下地震については、10年か20年である程度復旧するはずなので、世紀の規模で考えたら、いま考えるべき問題ではないと思いました。終始論点がつかめなかったです。どのような政策が社会にとって有益なのか?というぼんやりとした部分でずっと議論していて、もっと現実的に考えるための知識が不足していました。

■自然災害という切り口で考えるならば、地方分権派の意見のほうがリスクカバーという点で強いと思う。副首都構想という考えは地方分権の案の一つになっていると考える。副首都をつくることで東京への極端な人口および教育機能等の集中を抑えるしくみにはなると思う。しかしながら発言があったように、副首都建設の費用の獲得や、意見のすれ違いが都市間で起きやすくなるというリスクがあると思った。私は、段階的に地方が稼げるしくみを整えることで、地方分権がより確実なものになると思う。具体的にいえば、逆参勤交代のように、スキルをもった人で地方から都市に行った人が5年に1回は必ず地方(地元)で働くことを義務化する。これによって一極集中を防ぐしくみを整えれば、初期費用もかからず、地方の活性化につながると思う。東京に行くことは規制せず、地方に戻るしくみを整えるべきであると考える。
・・・> それって憲法に保障された自由権(主に22条の居住・移転・職業選択の自由)に反して、公権力が行動を強要することにならない? 地方に行くと制度的な上げ底をしますよ、といったインセンティブが妥当といえるでしょう。私が個人的に気に入らない(笑)のは、東京の人はずっと東京なんですね、ということ。地方が大変なら上京した人材を一時的に返せ、というのは「地方は地方で勝手におやりなさい」に近い感じもします。あるいは水野忠邦時代の人返しの法・・・。逆参勤交代というのなら、東京で生まれ育った、さまざまな技能をもった人材に、一時的に地方に住んで貢献させるプランのほうが有用だし有益でしょう。5年行ってくれたらこれくらい所得が上がります、ということならばインセンティブが発生しますし、地方と東京の双方をよく知った、日本のためになる人材が育つのでは?

■地方分権化東京一極集中化、あるいは地方都市への分権かという3つの軸で展開された今回の討論を見て、「災害対応」から話が進むことに内心驚いた。そしてその理解のために出遅れてしまった。災害対応という面からすると東京一極集中論は弱いように見受けられたが、分権化したとしての問題を提起し考えなおさせられた。私は(発言すればよかったが)地方都市への分権、とくに道州制、政令指定都市のところまでで分権化をとどめる、知字体表化社会がよいのではないかと考えた。資源やリスク、現状をかんがみると、地方「再生」には無理があるのではと思われる。

■討論の中でもいわれていたとおり、地方分権化には莫大な費用がかかる。しかし首都直下地震が起きた場合に備えて副首都をつくるというのはよい案だと思われる。現在、経済は東京を中心に回っているといっても過言ではない。そんな中、東京が機能不全になったらどうすればよいのか。そのためにも政治・経済において東京の代わりになりうるバックアップ都市が必要ではないだろうか。東京に本社を置く企業の7割はBCPを作成済みだという。バックアップとなる地域ができれば、それらの経済復興も早く済ませることができるだろう。
・・・> もう少し整理が必要かな。首都うんぬんというのは行政の問題。BCPとか経済復興というのは民間の経済活動の話。災害やテロ(サイバーも含む)といった事態に備えるというときに、行政と民間ではスタンスや内容が違います。

■発表の内容で、自動運転バスの運営実験という話題が例として挙げられていたが、それは財源が安定していないとできないと思うので、地方分権の際にはそういう実験ができる余裕のある地域と、余裕のない地域に分かれてしまい、さらに格差が広がる危険もある。

■打開策の話とかではなくなってしまうが、現状として人口が東京にどんどん流入してしまうのは、東京への「あこがれ」がいちばん大きいのではないかと個人的には思う。もちろん東京のほうが稼ぎやすい、住みやすいというような要素もあるかもしれないが、現代の若者世代からすると、単純に東京は発達していてかっこいい、住みたいと思うようになっている可能性も否めない。また地方に財源を分配して少子化を防ぐことに成功しても、SNS等が発展している中、どうしても都会の情報ばっか流れてしまい、結局は東京へのあこがれがさらに高まるだけで、一次産業の担い手につながらないという問題もあるのではないか。
■地方を栄えさせよう!!といった主旨で無人バスの運行を地方分権の目線で提案されていたが、結局は地方に財源が十分にあるのかといわれたらそうではなく、バスの維持費に足りないのではと考え、現実的であるのかと思った。また東京に人が来る理由として、キラキラしているあこがれのようなものも少なからずあると思う。小学生がスマホをもつような現代において、ネット上で東京に触れてあこがれを抱く人も多いのではないかと思う。東京の魅力に負けない地方をつくるという方向の政策も大切だと感じた。
・・・> A面のときにも同趣旨の意見がいくつかありましたね。地方というものを十分にわかっていない感じは否めません。首都圏にいるのが自分の手柄でない以上、対象をフラットに捉えるという知的努力は意識したほうがいいと思いますよ(レビュー主だけでなくみなさんに)。キラキラとかあこがれとかスマホとかSNSとか、そういった消費的世界(だけ)でいっているのは逆に現実的ではありません。かなりキツい言い方を許していただけるなら、「親に食べさせてもらっている高校生の発想」を抜け出せていないんですよね。自分が家計のやりくりをするとか、家事の一切を担当するくらいになってくると、「都市の魅力」などというものの見え方がずいぶん違ってくると思います。もちろん、いい齢のおとなでも、そこを抜け出せずにインスタ世界に埋没する人はいるが、それこそSNSでディスられるイタい人じゃないですか・・・

■地方分権化を進めると地域が自分たちの課題に合った取り組みに挑戦できるという点が印象に残りました。一方ですべてを地方に任せることには難しさもあると感じました。自治体によって財政力や職員数に差があるため、地方分権を進めすぎると逆に地域によって受けられるサービスの差が広がる可能性もあると思うため、国と地方がそれぞれの役割を分担することが大切だと思う。

■一極集中と中央集権、地域振興、地方分権が議論をしていくうちに難しくなっていって、このような議論は難しいなと思いました。
■どちらの立場にもメリット、デメリットがそれぞれあって、この話題を考えるのがとても難しかった。地方の若者は夢をかなえたいとかお金を稼ぐために上京してきて、どうしてもチャンスや選択肢の多い東京に集中してしまうのかなと思った。政治や教育など分野ごとに発展・集中させる地域を分けるのもいいのかなと感じた。
・・・> もうちょっとレベルアップしような!

 
(左)広島市 太田川と原爆ドーム  (右)福岡市 大濠公園越しに油山を望む

 

■私は、地方というより財力の弱い地域の人口減少に対処することが最も重要だと考える。現在、日本の人口は減少しているので、現在のママでは確実に消える自治体が出てくる。地方というより財力の弱い地域を、といったのは、札仙広福などは地方といっても消えることはないと考えたからである。一般に、第一次産業を担っているのはそのような地域なので、そこが過疎化すると第一次産業の担い手が一気に減ると考えられる。そのためいわゆる田舎に補助金を出すべきだと思うのだが、逆に札仙広福には金を出すべきではないと考える。そこに出せば地方の中で一極集中が起きてしまい、また支店経済は東京一極集中を進める原因でもあるので、金を出すのは財力の弱い自治体のみでよいと思う。

■現在の東京一極集中の状態では、地方に生まれてその地に住みつづけたいと思っている人でさえも、自分のやりたい仕事を見つけるためには選択肢が広い都市部に集まらざるをえなくなってしまっていて、不本意にも人口の流出を加速させることにつながっているのが問題だと思った。しかし財源が足りていないということも大きな問題であり、地方交付税に頼らずに地方を活性化させるには、過疎地の地形や地層を活かしジオパークとして観光資源にすることや、都市部の映像会社と連携して映画などの舞台として積極的に活用することでプロモーションして利用するものなど、既存のものを活かすことが必要になると思った。

■今回の討論を通して、東京一極集中は、地方の人口流出だけでなく第一次産業の担い手の減少にもつづく問題であることに気づかされた、しかし第一次産業の問題に関しては、今後どんな世の中になっても解決が難しいため、地方分権と中央集権について考える際には切り離してもよいかなと思った。地方分権であっても中央集権であっても、地元愛をもっている人は多いと思うので、その人たちによってふるさと納税の活用やクラウドファンディング、SNSを利用した地域活性化を図ることで、地方の資金は増えると考える。いまの社会を担うような年齢層はSNSを日常的に利用する人が多いため、SNSによる情報発信や、インターネットを利用した働き方などを有効活用し、人々が自らの意思で地方に残ったり、東京に行ったりすることを決められるような世の中になればよいと思う。

■第一次産業をどう守るのかについての議論が少なかったように感じました。農業が姿を変えようとしていると考えることが多く、土を使わず、空調・水分・養分をプログラムで管理する農業?を見かけます。こうなると農業のあり方や担い手も変わってくるはずなので、これについても話してみたかったが・・・考えがまとまらず勇気もないためいえませんでした。悔やまれる。

■今回の発表で、地方に住む人と東京に住む人では、東京一極集中に対する見方が大きく違っていることがわかった。私は高校進学をきっかけに埼玉に来た。地方では、若者が東京へ流出することが問題視される一方、東京側からは東京の人口や機能を維持することが重視されていて、その認識のずれがあった。また「地方に魅力がない」という意見もあったが、魅力がないというよりそれを伝えたり実際に来てもらったりするしくみが不足しているのではないかと思う。一方で、観光地としての魅力と、教育や仕事など「住みつづけたいと思える魅力」は別に考える必要がある。みんなで農業しよう??




開講にあたって

現代社会論は、附属高校ならではの多彩な選択科目のひとつであり、高大接続を意識して、高等学校段階での学びを一歩先に進め、大学でのより深い学びへとつなげることをめざす教育活動の一環として設定されています。当科目(2016年度以降は2クラス編成)は、教科としては公民に属しますが、実際にはより広く、文系(人文・社会系)のほぼ全体を視野に入れつつ、小・中・高これまでの学びの成果をある対象へと焦点化するという、おそらくみなさんがあまり経験したことのない趣旨の科目です。したがって、公共、倫理、政治・経済はもちろんのこと、地理歴史科に属する各科目、そして国語、英語、芸術、家庭、保健体育、情報、理科あたりも視野に入れています。1年弱で到達できる範囲やレベルは限られていますけれども、担当者としては、一生学びつづけるうえでのスタート台くらいは提供したいなという気持ちでいます。教科や科目というのはあくまで学ぶ側や教える側の都合で設定した、暫定的かつ仮の区分にすぎません。つながりや広がりを面倒くさがらずに探究することで、文系の学びのおもしろさを体験してみてください。

当科目は毎年、内容・構成と細部タイトルを変えています。2026年度は社会のダイナミズムと深化・統合・探究の学びとしました。ダイナミズムは動態のこと。社会というカタマリが、まるごと動いていて、その動き方も均質ではないので全体を捉えるのは大変です。当科目ではいくつかの切り口を用意して、ためしに私(教員である古賀)が「現代社会の像」を掘り下げてみますので、受講するみなさんもそのうちに自分なりの掘り下げをできるようにしましょう。分野や方法の得意・不得意はもちろんありますが、それを自覚することも大事です。この段階での学びは、もはや知識を量的に入れるということよりも、そうした「学び方の学び」に向けるほうがよいと考えています。なぜなら、社会はますます変化していき、みなさんはいずれ学校を卒業して社会人になり、もう「先生に教わる」ということもできなくなりますから、長い社会生活は自身の学びによって見通していかなくてはならなくなるからです。試験で正解を出したり、よい点数を取ったりすることに終始する学習は、もう終わりにしましょう。そんな束の間の正解や点数よりも、自分の人生やキャリアを豊かにするほうがはるかに大切です。深化とは掘り下げて深めること、統合とは複数の分野や方法にまたがって学ぶこと、探究(re-search)とは自身の問題意識をもって学びに突っ込んでいく姿勢を指します。

2026年は、この現代社会論という選択科目が設定されてから満20年にあたります。みなさんが生まれる前から、私は3年生にこの科目を指導しているのですね。本年度の、とくに1学期はそうした蓄積を少し意識して、当科目がはじまったころ(みなさんが生まれたころ)、つまり2000(ゼロ)年代以降の社会動態をさまざまな角度から考察する、ということをしてみます。20年ちょっとのあいだに、私自身の学びや社会観察もかなり深まりましたが、その時々の学院3年生の反応や成果そのものが、現代社会を考察するうえで得がたい材料になっています。さてみなさんには、2つのことをあらかじめ心得てほしい。(1)これは政治、こっちは経済、それから世界史、日本史、倫理、あるいは数学、理科、情報・・・ などと、学校の都合で設定されたような教科や科目の枠組にしばられるのは、もうやめましょう。何もいいことはありません。大学受験生であれば入試で選択する科目を重点的に学習しなければならないのでしょうが、附属のみなさんはその点でアドバンテージをもっています。世の中に教科の境目なんて存在しません。苦手でも不得意でもいいから、飛び越えましょう。(2)難解なこと、意味のわかりにくいことがあっても、絶対に思考を停めない。もっと易しくなりませんかとか、もっと高校生に身近な話題にしませんかといわれることもあるけれど、社会というのはそんなに甘くないし、高校3年生のアタマの水準や興味に向こうから寄り添ってくるということは絶対にありません。こちらが、寄せていかなければ。学期終わりまでに点数を取れるようになりなさいというわけではなく、ひとまず、とりあえず思考しなさい、食らいついてでも考えなさいというだけなので、それを早めに放棄してしまうのはもったいないです。率直にいって、高校3年にもなれば人によって出来・不出来やアウトプットの程度の優劣はかなりあります。あったっていいじゃないですか。メジャーリーグも草野球も野球です。それぞれの場所でバットを振ることに意味があります。

 

 

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