古賀毅の講義サポート 2022-2023

De Société contemporaine I: Réflexion sur la société contemporaine en vue des issues et des contrastes

人文社会科学特論(現代社会論 I
:イシューとコントラストで探究する現代社会 

早稲田大学本庄高等学院 3 (文系必修選択科目)
金曜 12限(9:10-11:00)  教室棟95号館  S222教室(ゼミ室1)   

 

 

 

 

 

 

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20225月の授業予定
5
6日 皇位継承
5
13日 分権化×集権維持:都道府県or市町村の権限強化or道州制
5
27日 地方の赤字ローカル線:鉄道維持×バス転換


次回は・・・
5- 地方の赤字ローカル線:鉄道維持×バス転換

テーマとしては高校生にとってなじみがあまりないかもしれません。あえて連体修飾語をつけるなら「首都圏の高校生にとって」なじみが薄い、となるでしょう。世に交通弱者という言葉があるのをご存じでしょうか。よろず自動車での移動が主流となった現代社会にあって、自分の自動車をもたない、そして自動車を運転することができない立場の人がそのように呼ばれます。子ども、高齢者、病気やけがのある人、障がいのある人などです。「外国人」もそこに含めることがあります。好きなときに好きなように移動でき、自分の意思と連動する自動車はたしかに便利で、多くの人がそれを利用するのもわかるのですが、そうなればなるほど公共交通機関は削られ、交通弱者の移動手段が狭まっていきます。交通弱者はマイノリティでもあるので、自ら声を上げたり、政治にはたらきかけたりするのもうまくいきません。しかも交通というのは公共性がかなり高い分野であるはずなのに、基本的には企業経営にゆだねられています。企業は利潤の獲得とその最大化をめざすというのが資本主義経済の基本ですので、儲からないのならやめる、というのはあまりに自然なことになってしまいます。交通弱者に「子ども」を含めた意味はおわかりと思いますが、日本の大半の地域にあっては、小・中学生ではなく高校生こそ交通弱者の中心になります。高等学校は徒歩圏内にないことが多く、自転車やバイクでなければ公共交通機関(鉄道、バス)の利用が不可欠になるからですね。駅に行けばかなりの頻度で列車が来る首都圏はきわめて例外で、全国的にみれば日に数本しか列車がないという路線が目立ちます。なんだったら高校生の登下校のときくらいしか利用者がいないような路線もめずらしくありません。赤字を理由に廃線になってしまうと通学手段が奪われるというので、高校生が鉄道会社や自治体に請願するという動きもあちこちで起こっています。同世代の高校生としてどのくらいこのテーマに寄り添い、当事者感覚をもてるのでしょうか。

私(古賀)が高校2年生のころまで、日本の鉄道の大半は公共企業体である日本国有鉄道(国鉄と略します)が保有し、運行していました。19873月いっぱいで国鉄による経営は終わり、その施設・車両・スタッフ・運営権などは新たに設立された株式会社に分割されました(国鉄分割・民営化)。そのとき誕生したのが北海道旅客鉄道、東日本旅客鉄道、東海旅客鉄道、西日本旅客鉄道、四国旅客鉄道、九州旅客鉄道、日本貨物鉄道の7社です(翌年バス会社などが切り出されました)。旅客鉄道株式会社という社名はカタくてなじみにくいというので、そのときからJRと呼ばれるようになって、こんにちにいたります。同じカテゴリの公共企業体だった日本専売公社がJT、日本電信電話公社がNTTというふうにそのまま株式会社に移行したのに対し、国鉄は単なる民営化ではなく分割・民営化でした。そのため、収益の7割くらいを東海道新幹線というドル箱に負うJR東海のような会社もあれば、黒字路線が1本もなく、人口密度も産業もほとんどないのに路線距離だけはやたらに長いというJR北海道のような会社も出てきました。このほどJR北海道が「このままでは路線を維持できない」と率直に表明したのにつづき、JR西日本なども「みなさんが関心をもってくれないとローカル線は全消しにせざるをえなくなる」というようになりました。みなさんの多くが世話になっているはずのJR東日本は、首都圏を抱えているためいまのところ深刻なことをいいませんけれど、それでも2011年の津波でやられてしまった路線の復旧を断念し、バス(BRT)に転換するという決断にいたっています。

もとより、どこに住んでどのような生活をしているかによって、このテーマに対する考え方や意見の所在が変わってくることでしょう。大都市部での儲けで過疎のローカル線を支えるという再分配構造に、利用者や株主がどこまで納得できるのかという資本主義のコアのような話題もあります。また、どの地域に生まれるかを自分の意思で選択できない以上、公共性の高いインフラは市場の外側で供給されるべきだという議論も成立します。これまで公民(政治・経済および倫理)で学んできたさまざまな見方や考え方を投入して考察、議論の可能なテーマですし、これからの社会を構想するという点でも大きなヒントになります。1学期のここまでの学習を観察してきて、少し路線修正が必要だと思いましたので、当初の予定を変更して、このテーマ(イシュー)を3回つづけます。時間をかけて掘り下げ、探究してみることにしましょう。反対側の見方や、対立する見解への目配りを、ぜひ。


Moodleにて2020年度の動画授業を配信しています。それらを視聴してから、このテーマについて思考し、報告をまとめてください。



REVIEW 5/13
*文意を変えない範囲で表現や用字法を改める場合があります。レビューを統合したり省略したりすることがあります。

513日のレビューは後日掲出します。しばらくお待ちください。

 



開講にあたって

現代社会論という科目名は、実はさほど中身のない、ジョーカー的なタイトルです。文系の学問であればたいていの内容を「現代社会論」と称することができそうだからです。したがって、科目名そのものにはプラスもマイナスも感じないという人が多いのではないでしょうか。しかし留意すべきことが2つあります。(1)現代社会の「現代」には、時間的・空間的な幅があるということです。例年、当科目を受講する人の中には「歴史は好きではないが公民(現代社会)に興味がある」という人が含まれていますが、歴史や地理とかかわらない現代社会などありえないし、常識的には、少なくとも過去50年くらいは視野に入れておかないと「いま」の理解に進めません。歴史が不得意だという人は要注意。(2)仮に「現代」というものの時間幅を最小化し、「いま、まさにこの一瞬」というふうに捉えたとしましょう。その「いま」を十分に理解したとなれば、現代社会論という高3の科目の成績は確保できるでしょうが、その内容は数年も経てば劣化し、陳腐化します。これだけ変化・変動の激しい時代です。真に心得るべきは「いま」の事象ではなく、そのつどの現代社会というものを認識し、思考するための「構え」のほうであるはずです。
公民(現代社会論)を学ぶのは自分が生きていて、これからも生きていく社会のことを知るためではなく、そんなことには関心がなくて、それよりも高校卒業に必要な単位を得るために当科目を受講したというのであれば、「構え」のことは考えなくても結構です。ただ、もったいないですし、学院生がこだわりがちな「学歴」ってたいていは神話のたぐいですし、当科目の成績(点数)は大いに目減りするのでそのつもりで。

2022年度のテーマはイシューとコントラストで探究する現代社会です。イシュー(issue)は論点・争点、コントラストは対称・対照・対比といった意味です。実際の社会には、いうほどわかりやすい論点や対比があるわけではありません。世の中を二元法・二分法で理解しようとするのは悪しきデジタル思考で、何かにだまされるリスクを相当に負います。ただ、そうはいっても「とっかかり」がなければ社会を思考するということ自体に着手できなくなりますので、ひとまずの、とりあえずの便法としてイシューやコントラストを設定しましょう。その作業を繰り返すうちに、テーマの設定ということ自体の精度が上がってくるものと思います。社会人になったときに求められる能力は、すでに定められている課題や命題に答えるのではなく、課題や命題そのものを創案し、設定することではないでしょうか。当科目では、これまで公民や地理歴史で学んだこと、さらには日常的に接する報道内容や各自の経験などを織り込んで、社会的なテーマのイシューとコントラストをいろいろと考えることにします。

もう暗記は不要です。お願いですから絶対に暗記なんてしないでください。もちろん1点にもなりません。当科目では、授業に「参加」することが大前提です。脊髄反射的に発言し、積極的にコミュニケーションするばかりが能ではないし、沈思黙考し熟考してこそ文系の学問ではありますが、さりながら、当科目では「しゃべらない人」には成績がつきませんので、そのつもりで臨んでください。


 

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