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■次回は・・・
6- なりたい自分になる! 雇用流動化のはじまり
21世紀最初の四半世紀に起こったことを流し見?する第1部の、一応の区切りです。第2部は産業・キャリア編なのでそこにつながるようなテーマを用意しました。2000年ころを境に、日本人の雇用形態や働き方は大きく変わってきました。産業構造が変わったからというのがわかりやすい要因ですが、同じくらい重要なのが、1990年あたりまでは明確にあった経済成長が、以後はほぼストップして横ばいがつづいているという前提です。右上がりのときにはパイそのものが大きくなりつづけるので、一人あたりの分け前も増えつづけるのですけれども、パイが広がらない以上、食い合いになるのは必然です。弱肉強食で実力のある人がより多くを食うというのがよいのか、調整をはたらかせて多くの人になるべく均等に行き渡るようにするのがよいのか。2000(ゼロ)年代を境に急増したのが、非正規雇用労働者です。正社員・専任職員ではない就労者の総称です。正社員の割合を下げて非正規を増やすというのは、1990年代以来じわじわと進められてきた政策ではありましたが、2000年代に一気に加速します。いうまでもなく小泉政権の新自由主義政策の一環です。四半世紀が経過して、フード・デリバリーの配達員や、タイミー(隙間バイト)で働く人、ライバーやYouTuber、これは職業なのかどうか不明ながらインフルエンサー(タカリではないかと疑わしい人も多いですね)など、考えてもみなかったようなワーカーが当たり前になりつつあります。それらもみな非正規、多くはフリーランスです。マネジメントが不可欠とされた芸能人は、正規雇用でない場合も多かったのですが基本的には芸能事務所に雇用されるケースが大半でした。しかしSNSやYouTubeが一般化した昨今は、フリーランス芸能人も多くなっています。
以前は自由業という呼称も一般的でした。フリーランスともども自由=誰か(何か)に縛られない というポジティブな印象を受けることも多いです。私自身は正規も非正規も経験があるのですが、いまからフリーになるというのは勘弁願いたいですね。かえってフリー(自由)ではなくなりそうだからです。税金とか保険料の管理を自分でやるのって、めちゃくちゃ大変なんですよ。そんなことに時間と頭と労力を奪われるのは、その時点で自由ではない、と私の主観では思います。一方で常に気にかけていたいのは、正規も非正規もあり、いろいろな職種や働き方があり、なんなら種類はどんどん増えているけれど、それを私たちが自由に選択することができているのかといえば、絶対にそうではないという点です。心ならずもいまの立場、という人がかなりいます。それも含めて自己責任だと、新自由主義者はいうのかもしれません。実際にはどうなのでしょうか。
大谷翔平と山本由伸と鈴木誠也と村上宗隆に共通することはなんでしょうか? 菅野智之が含まれないのですぐにわかりますね。そう、最終学歴が高卒です。大学進学率が5割を超える時代に、高卒というのは心許ないと思うかもしれませんが、真に稼ぐ人に学歴は関係ありません。A大学がよいか、B大学が有利かなんていう話ではなく、大学そのものが要るのかという話になっています。そして、アメリカのプロ野球の賃金体系はびっくりするくらいに格差が内包されており、日々の食事にも困るような選手がいる一方で、何十億円の大型契約を結ぶ選手もいます。いまや労働とかキャリアというのは国境を越えることもめずらしくありません。文化や言語の異なる国境の向こう側で通用するのは、肩書ではなく実力。もちろん運や縁も作用します。正社員は自由さが不足する代わりにしっかり守られている、とはよくいいますけれど、それは日本国内に閉じた話。法・制度というのは基本的に一国内で完結しますからね。ですからグローバルなキャリアを欲するのであれば、社会権よりも自由権のほうに乗っかって進むべきだということになります。率直にいって、私が大学を卒業したころには思いもしないような生き方、働き方が普通になっています。その端緒もやはりゼロ年代だったような気がします。なりたい自分に、みなさんはなりたいですか? なることができると思いますか?
REVIEW (5/8)
■今回の授業は、理解が難しかったが興味深かった。第一次・第二次・第三次産業に関する話題があったが、その変容やつながりについて話されていた。第一次産業である農業の人口が減少したことで、社会全体の仕事が変わっただけでなく、政治にも影響があったということを学んだ。
■伝統的な右派と左派の概念であるが、冷戦の終結や小泉政権成立により、本来は慣習や伝統を守るはずの保守が、社会を急激に変える新自由主義を取り入れた。農民の相互扶助や経済的保護を解体した結果、有権者から見て「保守」は実体がわからなくなり、外国人や特定の人々(女性やLGBTQ+など)を攻撃するという方法で伝統を守ろうとしているように見えた。複雑化している政治勢力や考え方を多面的な立場で見て理解するような姿勢が、社会に出ていこうとしている私たちに求められていると強く感じた。
■日本において、保守政治と農業が結びついていたということを今回(ようやく?)知った。農家の利益、農業の危機、旧来の選挙制度がかみ合った結果、自民党など農村部を支持基盤としていた政党が強い時代が生まれたことに、本当にさまざまな事象が絡み合って、社会はつくられているのだと実感した(先生のいうとおりに)。そして選挙制度の変化にはじまる農村型保守の弱体化で、保守の形、および左派・右派のあり方が変化しつづけ、複雑化している現状に、流されないようにしたいと思った。農村部に対する一票の価値の優遇はありではないかとも思った。
■まず左派党派の特徴について、いままで固定観念的な見方をしていました。左=社会主義、右=資本主義とだけ認識していたのですが、革新・保守の要素や、時期による色の違いや、交錯する部分があることをいまさっき知り、赤面ものです。左・右の話題にかぎらず政権の変遷、選挙制度、農村経済の歴史など、社会に居座るにあったてわかっておくべき「前提」がほぼ抜け落ちています。そしてそれは私の怠惰が招いた結果ではありますが、選挙権をもつ国民の何割か(ほとんど?)が「わかっていない」状態にあるであろうことが、超・大問題であると思いました。浅い。
■右派の歴史を見てきて、根底には農村があるのだと強く再認識した。小選挙区制が導入されたこと、農村部の定数が減らされ一票の格差が是正されたことで、農村の話が終わってしまったが、農村部では自民党を支持する人がまだ多いのだろうか? 第一次産業の農業従事者は減少しているが、たしかに選挙の演説で農業に関することはあまり聞かない。やはり、少し見離されているのかなと思った。社会保険料の減額や消費税の引き下げも大切かもしれないが、今後長い目で見るとどんな政策が優先されるべきなのかを考えて投票しなければならないなと思った。最近ではテレビのニュース寄りもスマホでSNSを見ている時間のほうが格段に長いので、外の知識を積極的に取り入れなければならないと感じた。
■日本の最盛期を経験せず、感覚やなんとなくで保守派になっている人が多いのだと思った。食糧管理制度が廃止された今でも、米の問題は変わっていなかったり、天皇主権の考え方に関して過激な層が増えたりするなど、左派や右派と一言で表現してはいけないほど、人によって立場が違うのだと思う。偏りすぎた思想によって一周まわって、もはや右派と左派が逆転するような状態もあると考えると、政党や政治家を型にはめて見るのではなく、一つ一つの問題に関する考えをそれぞれ確認する必要があると思った。

■保守派といっても何を守りたいのかによって立場が変わるのだということを学んだ。常に変動する社会の中にいることを自覚して、少し引いて、自分と他人の立場を考えられるようにしておきたいと思った。
■これまでの左=革新・進歩、右=保守という政治の軸が、現在では揺らぎ、再編成されつつあることを学びました。左派・右派という言葉がフランス語由来であることがとても興味深かったです。ポピュリズムや排外主義によって外国人規制を強く主張する動きや、新自由主義との関係など、現代の政治は単純に右・左だけでは説明できないと思いました。また民主党政権の誕生には農村票の動向も大きくかかわっていたことを知り、都市部だけでなく地方の支持の変化が政治に強く影響することがわかりました。戦後の日本では、ファシズムと軍国主義への反省から、右的な言動を慎む傾向が強かった一方で、戦後教育を「自虐史観」であるとして新しい歴史教科書をつくろうとする運動も起こっていたことが印象に残りました。
■いままで農村分は保守的であり、自民党を支持する人が多いというイメージをもっていた。秋田に住んでいたころは、周りにも右寄りの考えの人が多かったため、民主党が農村部で支持を集めた時期があったことに驚いた。しかし授業で聞いた内容から、農村部では「右か左か」だけでなく、生活や経済の問題が大きく関係しているのだとわかった。それは都市部よりも強いと思う。とくに米作りなどの第一次産業は、人間の生活に欠かせないため、農家への支援政策が支持につながることがあるのだと思う。民主党の戸別所得補償も、その不安に応える政策だったのではないかと思った。政治に盛会なんてものはなく、それでいて正解を求める人たちは興味深いものである。
■第一次産業は、人間が生きるために不可欠な「食」を支えているにもかかわらず利益を出しにくく、担い手も減少しているという現状に危機感を覚えた。長時間労働なのに収入が見合わないことが、若者の不人気の原因になっているのだろうが、それは価格競争の中で生産者の利益が削られる一方で流通やサービス業のほうが大きな利益を得やすくなっている社会構造に問題があると思う。改善策として、人々の「安さ重視」の価値観を変えるというのもあるが、これは現実的ではない。AIや機械化を活用して労働の負担を減らし、きつい・稼げないというイメージを払拭することが必要だと感じた。第一次産業を、社会を支える専門職として正当に評価するしくみづくりが求められていると思う。
■農家が減っていることは知っていても、農家になろうとはしない私のような人が大半だろうと思いました。いまは自分が農家になろうと考える人よりも、自分が第三次産業でAIや技術を開発し、少ない農家でも生産量を維持しようと考える人のほうが多いのではないかと思いました。
■これからAIなどの技術がさらに進歩したとして、農業(とくに主要産業)を国が全自動化して運営することって、将来的にありうると思いますか?
・・・> 「国が」はないんじゃないですか。
■第一次産業の従事者がいちばん儲からないのは仕方ないが、かわいそうだと思った。第二次・第三次産業の人たちは、第一次産業の人たちのおかげで商売が成り立っているのに、第一次の人よりも儲かってコスパがよいのは、彼らなりのビジネスのおかげなのかと思った。
・・・> コスパなんて関係ありません。コスパとかタイパというのはいったん忘れましょう。公民の考察では思考の妨げになります。
■いまはウーバーイーツなどの配達サービスによって食べたいものを選ぶことができ、食の選択肢が広がっているせいで、日本が自給自足できていないという現実やそのデメリットが見えづらくなっているなと思った。
・・・> フード・デリバリー・サービスを見て「食の選択肢が広がっている」と捉えるのは、若者というか高校生ゆえでしょう。高校生くらいまでは、基本的にはおとな(親・学校など)の出してくれる範囲で食事をしますからね。日本人の食の選択肢はあんがい狭まりつつあります。郷土料理の消滅とそれとパラレルにある飲食店・料理の規格化、個人商店の著しい減少など。フード・デリバリーは、かなり苦しい立場にある飲食店と、やはり不安定な雇用の中にある配達員の双方の深刻さを足場に、プラットフォーム事業者が儲けるという、まあなかなかにネオリベなしくみです。

■ポピュリズムというのは、既存の勢力というわかりやすい「敵」があるため、多くの人にとって乗っかりやすいものなんだなと思った。最終的にこの勢力がトップに立ったとして、いつかその人たちが新たな既存勢力となり、ポピュリズム側の意見はまた新たなものになるので、やはり知識のアップデートが必要だと感じた。
■左翼というと、ただ戦争反対というプラカードを掲げるような人が思い浮かぶが、ビジネスの観点から見て生産効率の上がるようなこと(外国人労働者の雇用など)を支持しているとわかった。
・・・> ちょっとズレているかも。外国人労働力を導入して生産効率を上げようとしているのは、左翼ではなくて右派の中の新自由主義者。それにしても「プラカード」って、ネットによくいるタイプの「右派」が左派に貼るレッテルみたいですな(笑)。中身に関心をもっておかないと、SNS的な発想に陥ってしまうから注意ね(どちらを支持してもしなくてもいいですけどね)。
■天皇陛下や、イギリスのチャールズ国王もそうだが、他国の首相と会うときは国の政治的意向や保守的、リベラルなどを含めて対談はしてはやはりいけないのか。
・・・> ちょっと質問の趣旨がよくわかりません。天皇や国王が、自分のところ以外の首相と会うときって、どういうことでしょう。対談というのもわかりにくいです。外国の首相には左・右などお政治性があるので政治談議などはできない、ということなのでしょうかね。ポイントがズレているように思うので、2つのことを伝えて、修正していただくことにします。(1)天皇や国王と外国の政治家との会談が実現している以上、政治家の側は敬意を表していたずらに政治的な話題(とくに党派的な話)に踏み込まないようにするのが作法です。(2)首相と書いておられますが、首脳ではなくて? 世界には外交儀礼というのがあり、天皇や国王などの世襲君主と実質的に同格であるのは大統領です。首相はワンランク下なので、公式の会談はどちらかというと設定されにくいです。
■どの政党が左か右か真ん中かをぱっと考えたときにはっきりとわからなかったので、自分はあまり政治をわかっていないなと感じた。世間のことを何も知らないような大人にはなりたくないと思った。
■右とか左とか、選挙の話や、政治・政党の話は、深く知ろうとするほど難しくなって、とてもわかりづらく感じてしまった。
■右・左の説明がわかりやすかったです。政治を学ぶときさまざまな意見が多すぎて、どれから、だれから学べばいいかよくわからなくなりました。
・・・> ニュース見ていますか? 「さまざまな意見が多すぎて」というのが、ちょっとアレな感じもするので、もう少し文字数を書けるくらいに勉強というか、ニュースを見ておきましょう。社会人になったとき本当にアレな扱いを受けるようになってしまってはもったいない。
■食料をつくらず食べるだけの人が増えている現代において、農村に向けた積極的な政策は必要不可欠になっていくと感じた。
■いまも政府が米を管理しつづけていたら、儲けが安定するため廃業する農家が減り、備蓄米を放出することもなく米の量の適切な管理ができたのではないか。食糧管理制度が停止になったのは赤字国債が増えてしまうという理由だからだが、生産の効率化、機械化で人件費を減らす、もしくは兼業農家を増やし、稲作農家が需要に合わせて柔軟に料を変えても儲けが減らないようにアシストする政策を整えれば、食料自給率を安定させ、輸入頼みが減るのではないか。
・・・> 食管制度の廃止(1995年)の直接の原因は、GATT→WTOの自由貿易推進路線に同調するためでした。
■食糧管理制度は定期的につづけるべきだったと考えていた。長所だけを見たときに、政府が米をすべて買うため不況などのイレギュラーがないかぎり価格の調整ができる。いまも米の一部を政府が買って古古米などというものがあるが、それを実施するくらいならすべて買い占めてしまったほうが、農民もより安心できると考えた。また買い占めるときの値段を売価よりも高くすることで、農民も実際の値段はいくらだったかわからないため、十分なお金を得られていたのかわからないが、政府に売ったお金のほうが多いため悪い気分はしないと考えた。
・・・> 食管制度の是非や効用はともかく、農民が「実際の値段はいくらだったかわからない」とか「悪い気分はしない」というのは、推測だったのでしょうがいまいちわかっていない感じがします。食管制度のもとでは、政府が農家から買い付けるときの価格=生産者米価と、政府が一般消費者に売るときの価格=消費者米価は国会で決められますので、すべて公示されます。おそらくレビュー主は「市場価格だったら」いくらの価値があるかわからないが、公定価格での売却なのでそれを考えなくても済む、ということを言いたかったのでしょう。それと、農家にとっては生産者米価こそ命ですが、消費者米価はあまり関係ないというか、自分たちから買ったお米を政府がどうしようとあまり気にならないというのが、論理的には正しいのだと思います。でも、生産者米価>消費者米価の逆ザヤというのは、お米の価格が市場では高くなりえないことを意味しています。それだけ商品価値が下がっていたわけです。それは稲作農家にとっても、長期的に見ればマイナスであったと思われます。魅力のあまりない作物を生産している、ということになってしまうので。

■戦前の農村は大地主と小作農に分かれ、富の格差も大きくて、農村は社会主義の基盤であり左派寄りであったが、戦後はGHQの改革で土地が分割・分配され、農村は自分の土地を守ろうとという気持ちに押され、社会主義を嫌悪し、保守化に向かった。このことは右寄りの自民党が日本で支持されることに影響した。そのことを学習し、GHQは単に日本の富の格差を是正するというだけでなく、冷戦下の中で日本をアジアにおける資本主義の拠点とするために土地の分配をおこなったのだと考えさせられた。
・・・> おっしゃるとおりだと思います。占領期の大きな改革(戦前のしくみを大規模に変更した)として、武装解除と戦力不保持、財閥解体、農地改革、労働改革、教育改革などが挙げられます。このうち戦力不保持は警察予備隊→自衛隊の創設で実質的には「軽武装」路線に転換、旧財閥は1950年ころから企業グループというかたちで再生(ただし戦前のような持株会者中心の主従関係は消滅)、労働改革は公務員のスト権剥奪や労働争議の抑圧、教育改革は教育行政の再集権化や道徳教育の制度改変等を通して、占領初期の基本構想が批判され、「冷戦仕様」の新たな枠組に移行しました。しかし農地改革だけは当初のプランのまま完遂しています。この改革だけは、徹底すればするほど保守の地盤が強化されるということが見通されていたのでしょう。
■自民党と、野党第1党であった社会党がともに農村型であったことで、人口の移転が進んだのに農村の議員定数削減がなかなか進まなかった、という話があった。また、戦後改革で小作農が自作農になったことでこれらが保守化し、そうした層を支持基盤に自民党が成長してきたという話もあり、自民党が新自由主義路線になっていくのは人口移転に対応しなければならなかったことや。都市寄りの政策をとったほうが支持基盤が盤石になるという判断もあったと思いました。現在、社会党が弱小政党?になってしまったのは、分裂等もあるかと思いますが、そうした社会の変化にうまく対応できなかったこともあるのかもしれないと思います。
・・・> 日本社会党は、その党首(委員長)であった村山富市が自民党に担がれてまさかの首相になる(在職1994-96年)というのが最後の輝きで、1996年には党内右派の一部が離党して民主党を結成し、1998年にはさらに多くの議員が民主党に移籍して、小政党に転落しました。現在の社会民主党がその直接の子孫?です。日本社会党が終始抱えていた問題については、スライドに載せている「日本左翼史」をお読みください。1970年代あたりの社会党は、左は共産党よりも左、右は自民党よりも右にいて、とにかくイデオロギー的な不安定さが目立ち、しょっちゅう党内抗争をやって体力を消耗させていました。
■昭和後期ころから第一次産業が減少し、農村部から都市部に人が多く移ったのにもかかわらず、都市部の選挙区の定数増しかおこなわれなかったのは、本質的な問題の解決になっていないと思われた。最高裁判決によって農村部の定数をようやく減らしたことを見ると、たとえ法で罰していなくても威圧のみで解決に向かうことができていることがわかり、事情判決も意味をなしているのだと学んだ。
・・・> 「法で罰する」という表現が正しくないと思います。「罰則を伴う法によって規制する」くらいでしょうか。威圧というのは、まあそうなのですが、裁判所(とくに最高裁)の判決は「守らなければやばい」という感じで権威をもっていなくては困りますので、効力があって当たり前です。
■高度経済成長により農村から都市へと日本社会の中心が移ったときに、変わらずに自民党が勝ちつづけていたことを不思議に感じていたが、これは選挙制度に特徴があるのだと知った。当時は「中選挙区制」と呼ばれるような制度であったため、地域に強く関係していた農村の政治家が強かったということが、選挙の結果に出ていたのだと思った。
■人口の増加・減少に伴い選挙区ごとの定員を調整するのは、とてもよい政策だったといえる。人口は都市部に流れるため、人口が少なくなる農村部に多くの枠があるよりも人口の多い都心部に枠が増えるほうがよい。しかし都市部の枠が増えることはあっても農村部の枠が減ることはなかった。そんな中で8増7減で、農村部の枠を初めて減らし、見事に勝利をかっさらった中曽根さんの「行動力」はすばらしいと思った。
■人口の大半が農業をしていた時代から、農村部の過疎化、後継者不足が問題となっている現在への変化がわかりました。私が驚いたのは、最高裁判所が国家に向けて違憲判決をしたあと、農村部の選挙区を減らしたのに自由民主党が選挙で勝利したことです。農村部に支持基盤をもっていた自由民主党が議席を減らしてしまうのではないかと思っていたのですが、都市部で議席を増やすことができたのは、一票の格差を是正しました!という功績や話題性に引っ張られた人が都市部に多かったからではないのかと予想しました。
・・・> 一票の格差にさほどの関心があったわけでもないと思うのだけれど、中曽根さんが強力なリーダーシップで、なんらかの何か(なんだよ 笑)をやってのけた、というイメージは追い風になったかもしれません。大事なことは、定数を減らされた農村部の自民党議員は確実に減ったのであり、そのぶん都市部の自民党議員が増えた、ということです。自民党全体では変わらない、というかむしろ大勝利で議席が増えたわけですけれども、議員そのものはかなり入れ替わって、このあたりから都市部出身の議員の活躍が目立つようになってくるのですね。
■日本は、右か左か中立(小泉政権)のどれの時期がいちばん政治を上手におこなえていたのかが気になる。再分配は都市で金を集めて地方に流す。国家権力を使って所得や金を鳴らすということ。再分配はどちらかというと左。農家が生産した米はまず政府が買うのはいい政策だと思うが、それで経済が赤字になるのはダメだなと思う。戦争は思想や意見を大多数の人に強制させて統一するという点だけにおいてはよいものなのかもしれない。日本と中国・韓国などの周辺の国々とあまり関係がよくなくなったのはネットが普及してきたということが関係していると思う。
・・・> 自分がどの立場を支持しても、どんな考えをもってもかまわないと思うけれど、現時点では足腰が弱すぎる印象。社会科も国語も本気で勉強しないと、先々大変になるかもしれません(厳しい言い方になりますが「わかっていない」感がしすぎている)。なお小泉政権は明らかに右。政治的立場に「中立」というのはなくて、右と左のあいだにいるのは「中道」です。経済に黒字・赤字はありません。そうなりうるのは「財政」。
■日本の中学校教育を受けておらず、高校2年の政経で政治に関して無知であることに危機感を覚え、政治の話に触れることができそうな授業を選択しました。今回、右派・左派などの日本政治の理解にとって重要な話を機器、さらにくわしく知る必要があると感じました。政治家のために人口増加や都市化が起きても地方の議席を減らさなかったり区割りの変更をしなかったりして、一票の格差が広がったのは非合理的だと思いました。また社会における農業の役割がとても重要で、政治にも関係する問題があるのだとわかりました。政治は国をよくするために進んでいかなければいけないのに、政治家が自己中心的に行動してしまう場合があるのは、難しい問題ですが、日本の未来のためにこのままではよくないと感じます。私は核などにはあまり賛成ではなく、どちらかといえば左寄りだと思うのですが、他国のことを考えると核をもたずにはいられないという改憲派の意見も理解できます。いまの皇位継承問題は、今後の日本の方針にまで影響を与えることになると思います。どちらにしても、いまとは変化が必要なので、少し不安があります。
・・・> 改憲派は多いですが、その中で核武装に賛成という人は少数派。軍事力強化や自衛隊を軍に変えるという話と、核を保有するという話は次元や性質がずいぶん違います。

■有権者の層が変わると「保守」の方向性など政治の価値観や、重要視する部分も変わってくるのだなと思い巻いた。農村型の保守が後退してきた、ということについては、都市人口が増えているのだからそうなるだろう、くらいにしか思っていなかったけれど、農村から目を背けすぎると食糧という基盤が揺らいでいることがフォーカスされづらくなるなど、それぞれが自分の利益ばかりに気を取られることで生まれる多数派は、悪循環となり、少し経つとそのツケが回ってくるのかなと思いました。右も左も、時代とともに少しズレが出てくるということを知って、右だから、左だからということ以上に、しっかり根本を見て、いっていることを冷静に判断し、想像できるようにすることを大切にしたいと思いました。
■「日本経済のよかった時代を知らない世代」が主力になってしまうと、安定よりも自分らしさを追求したり、出世より好きなことや体験を優先したりする世の中になると考えました。生まれたときから停滞していることが普通で、未来への希望を感じにくいという環境では、戦後や高度経済成長期を経験した世代と比べると、「普通」の感覚が大きく変わっていくと思いました。
■憲法が、国の暴走を抑えるためにあるという話を聞いて、いままで勘違いしていた部分もあると思い、よい気づきになった。
■昭和初期からの選挙制度の変化を学んだ。いまは小選挙区比例代表制だが、当時は大選挙区単記式で、まったく同じ投票数でも結果が大きく変わることが興味深く、いまの制度が正しいことがわかった。また農村部から都市部への人口移動が激しかった当時に選挙区の数を減らすどころか増やすことしかしなかった当時の一票の格差がいまよりも大きかったのは、選挙制度がいまよりも浸透していなかったため、このような暴挙も許されるだろうと甘んじた結果だと思った。こういった不正行為や票を得やすいターゲットにしぼって公約をつくり、何がなんでも当選しにいく姿勢は、本当に日本をよくするために活動しているのか、自分や自分の所属している党の保身しか考えていないのではないかと考えてしまう。
・・・> 後半はいいのだけど、前半は事実関係の捉え方が不十分で、理解の誤りもあります。だいたい「昭和初期」の話はいっさいしていないはずなのに、占領期も「初期」なのか〜。100年も前のことなんて知りませんよというかもしれないが、しかし歴史の常識として心得てほしいんですよね。ただ、1選挙区から3〜5名を選出する大選挙区単記式(間違って「中選挙区制」と呼ばれていたしくみ)が導入されたのが大正末期だったので、偶然かねらいどおりかはともかく、昭和初期からほぼ一貫して同じ制度だったことは間違っていません。次に、「選挙区の数を減らす/増やす」とありますが、これは選挙区ではなく議員定数の誤り。意味がまるで違います。そして、現状肯定が過ぎるのか「いま」が大好きなのかは存じませんが(笑)、昭和の人間は選挙制度をよく知っておらず(「浸透していなかった」)、令和の「いまの制度が正しいことがわかった」というのは、結構なバイアスによる判断ミスではないでしょうかね。選挙制度の浸透具合は、昭和のほうがはるかによかった。だってシンプルですからね。いまの小選挙区・比例代表並立制をちゃんと説明できる人って、どれくらいいるのだろうか。同じ投票数でも結果が大きく変わるという点では、大選挙区制よりも小選挙区制のほうがひどいです(第3回を復習してください)。「いま」がよくて「むかし」がだめだったという、うっすらとした結論が自分の中にあって、それが判断の妨げになっていないでしょうか?
■自らの利益だけを優先する圧力団体が、目先の利益だけを考えることで、全体の経済・技術の成長が妨げられ、結果的にもっと大きな利益や機会を逃すことになってしまっていて、そういう人たちが日本の経済界の頭にいるのが怖い。
■政治家は右翼と左翼、農村部と都市部など、票を獲得するためにいろいろな面を考慮しているのだとわかった。自分の理想としては、一票の格差がない状態で何も気にせず公約を掲げる政党が多くなってほしい。
・・・> 「何も気にせず」の主語がわかりにくい。政党なのかレビュー主なのか? どちらにしても国語表現としていまいちなので是正しましょう。ま、しかし、そんなピュアな政党や政治家は何の役にも立ちますまい。政治なのだから、そして民主主義なのだから、みんななんらかの立場に立って政策を掲げます。それらの、どの組み合わせをより支持するかというのが有権者の判断にゆだねられているのです。おとなになりなよ、なんて「現実を見ろよ」みたいでいいたくないセリフだけど、おとなになりな(笑)。
■陰謀論を持ち出したり「反日」といったりする人たちは、自分に都合のいいことや表面上のことだけを知ろうとして、もともと知識も教養もないのに自分で調べてそれらを深めようとしないのは、なぜなんですか? 自分がわかっている人間だと思い込んでいるっていうことなんですかね。
・・・> いや、自分で調べて深めています。ネットやSNSで。このごろはそこにAIも加わるのでしょう。自分とは違う立場の意見は「フェイク」に見えるでしょうし、そもそもマス・メディアは信頼していないということが多い。自ら深めようとしない人よりも、深めた気になっている人のほうが、タチがよくないと思われます。それが「自分がわかっていると思い込んでいる」ということだろうと。
■私たちは、(韓流のフジテレビの話のように)見当違いのことをすることがあるが、知識不足などにも原因があり、幅広く情報を集める必要性を感じた。
■韓流ブームから韓流に対する嫌悪感が生まれている中で、なぜフジテレビは韓国ドラマを流していたのかと考えると、フジテレビはイデオロギーよりも商業性を優先していたのだと思いました。そして、その中でネット世論の拡大、グローバル化や若者文化の変化、ナショナリズムなど、時代が移り変わっていく過程で起きるさまざまな現象が重なり合っていたのだと考えました。人々が抱く社会への不安が大きいほど、価値観をはっきりと示してくれるメディアに依存してしまい、より右へ左へと過激になってしまうのだと思います。
■なぜわざわざ男を養子に取ってまで女性の天皇を立てたくないのだろうか。できる女性とできない男性では、どう考えてもできる女性のほうができるのに、いまだに、できる男性→できない男性→できる女性の順で考える人もいると聞いて、悲しくなった。能力は性別関係ないはずなのに。いつになったらこのような考えが完全になくなるのだろうか。
・・・> 史上初の女性首相が、「男女に能力差はないが役割の違いはある」「女性の天皇はだめ」と強く考える勢力によって誕生したというのが不思議というか、皮肉なことなのかもしれません(首相になってからの高市さんを支持する人がそういう傾向をもっているということではなく、もともとの支持層の話)。ま、天皇と一般人を同じように考えてはいけないという考えと、いや天皇は国民の象徴だからジェンダー問題も象徴してほしいという考え、そのあいだのグラデーションがあります。総じて、天皇制に強くこだわる人ほど「女ではだめ」という感じになりやすい。

伊勢 五十鈴川
■選挙のシステムや歴史について詳しく知ることができた。あと数ヵ月で18歳になる自分にとって大変有意義だった。一票の格差などの話は、今後農村部の人口がさらに減るので無視できない問題だと思った。土地ごとに、そこに住む人々が求めている政策が異なり、党全体としての意向を見るべきか、候補者の意向を見るべきかというのは難しいところだと思う。自分の掲げた公約を守らない候補者もたくさんいるし、SNSの極端な情報にも流されずに本当に自分の望む人を見つけるには、しっかりと政治の動向を見て自分でかみ砕く必要があると思った。これからは外国とのかかわり方も大切である。日本の周りには北朝鮮や中国やロシアなど日本にとって脅威になりうる国が多くある。反日だ親日だと国内で水かけ論をするのではなく、日本がこれからもつづいていくような外交をしてもらいたい。
・・・> 最後の2文が個人的には気に食わないが(笑)、前半はなるほどそうですよねというところ。とくに衆議院議員の選挙というのは、その選挙区を代表する議員を選ぶというのと同時に/それ以上に、政権を選ぶという意味が強いものです。2026年5月にもし総選挙があったとすれば、自民党候補者への投票は、その人を国会に送り出すという意思を表すのと同時に、「党首(総裁)である高市早苗さんを首相に再任したい」という意思を表すことになります。議院内閣制ですからね。また、国会は基本的に政党政治の世界なので、個人の公約は政党としての公約に埋もれるのは当然です。ある候補者の政策すべて(財政、外交、安全保障、教育、福祉、環境・・・)を支持できるということは案外少ないので、今回の選挙ではどれを優先するのかという判断が要ります。で、どの候補に投票すれば実現の可能性が高くなるのかという計算?も要ります。当たり前の話ばかりなのだが、「政治は複雑で、どうしてよいかわかりましぇん」と、かなり手前のほうで思考停止する人が多いですよね。大学出てその程度だと程度がアレかも(涙)。
■今回の右翼・左翼のような話は、家族と議題にしたこともあるくらい興味深いもので、先生の視点を通してさらに解像度を上げることができた。たしかに政党それぞれで政策は掲げているものの、「お米」のように日本人として、個人として守らなければいけないという考えでは、左右関係なく共感できるものもあるので、区別が難しいと感じた。自民党圧勝の例が今回も出されていて不思議に思ったが、一票の格差の軽減のため選挙区を減らす、ということが革新派にも受けて票を獲得したかもしれないので、裏を返せばいままでは得られていなかった票を得たからこそ圧勝につながった、ということを示したかったので教材にした、と推測する。先生も人間なので、左右どっちかを考察することを今回の目標として受けてみた。内容は全体的に右翼に触れているものの、共感の様子はなく、いまどきのネットの人たちの右翼には批評していた。しかしお米の話がいちばん愛ある語りだと感じた。よって、右翼もどきが嫌いな右寄りの人ではないでしょうか?
・・・> ぶー。でも、そのように受け取ってくれるように内容・構成とコメントをつくりましたので、非常に満足です(笑)。
■世代が交代して第三次産業側の視点しか知らない人が増え、かつ政治の勉強をしないでネットの意見を信じすぎてしまう人が多くなるのは、止められないけどよくないことだと思いました。私も今年から投票できるようになるので、せっかく手に入れた選挙権を無駄にしないために、もっと勉強しようと思います。
開講にあたって
現代社会論は、附属高校ならではの多彩な選択科目のひとつであり、高大接続を意識して、高等学校段階での学びを一歩先に進め、大学でのより深い学びへとつなげることをめざす教育活動の一環として設定されています。当科目(2016年度以降は2クラス編成)は、教科としては公民に属しますが、実際にはより広く、文系(人文・社会系)のほぼ全体を視野に入れつつ、小・中・高これまでの学びの成果をある対象へと焦点化するという、おそらくみなさんがあまり経験したことのない趣旨の科目です。したがって、公共、倫理、政治・経済はもちろんのこと、地理歴史科に属する各科目、そして国語、英語、芸術、家庭、保健体育、情報、理科あたりも視野に入れています。1年弱で到達できる範囲やレベルは限られていますけれども、担当者としては、一生学びつづけるうえでのスタート台くらいは提供したいなという気持ちでいます。教科や科目というのはあくまで学ぶ側や教える側の都合で設定した、暫定的かつ仮の区分にすぎません。つながりや広がりを面倒くさがらずに探究することで、文系の学びのおもしろさを体験してみてください。
当科目は毎年、内容・構成と細部タイトルを変えています。2026年度は社会のダイナミズムと深化・統合・探究の学びとしました。ダイナミズムは動態のこと。社会というカタマリが、まるごと動いていて、その動き方も均質ではないので全体を捉えるのは大変です。当科目ではいくつかの切り口を用意して、ためしに私(教員である古賀)が「現代社会の像」を掘り下げてみますので、受講するみなさんもそのうちに自分なりの掘り下げをできるようにしましょう。分野や方法の得意・不得意はもちろんありますが、それを自覚することも大事です。この段階での学びは、もはや知識を量的に入れるということよりも、そうした「学び方の学び」に向けるほうがよいと考えています。なぜなら、社会はますます変化していき、みなさんはいずれ学校を卒業して社会人になり、もう「先生に教わる」ということもできなくなりますから、長い社会生活は自身の学びによって見通していかなくてはならなくなるからです。試験で正解を出したり、よい点数を取ったりすることに終始する学習は、もう終わりにしましょう。そんな束の間の正解や点数よりも、自分の人生やキャリアを豊かにするほうがはるかに大切です。深化とは掘り下げて深めること、統合とは複数の分野や方法にまたがって学ぶこと、探究(re-search)とは自身の問題意識をもって学びに突っ込んでいく姿勢を指します。
2026年は、この現代社会論という選択科目が設定されてから満20年にあたります。みなさんが生まれる前から、私は3年生にこの科目を指導しているのですね。本年度の、とくに1学期はそうした蓄積を少し意識して、当科目がはじまったころ(みなさんが生まれたころ)、つまり2000(ゼロ)年代以降の社会動態をさまざまな角度から考察する、ということをしてみます。20年ちょっとのあいだに、私自身の学びや社会観察もかなり深まりましたが、その時々の学院3年生の反応や成果そのものが、現代社会を考察するうえで得がたい材料になっています。さてみなさんには、2つのことをあらかじめ心得てほしい。(1)これは政治、こっちは経済、それから世界史、日本史、倫理、あるいは数学、理科、情報・・・ などと、学校の都合で設定されたような教科や科目の枠組にしばられるのは、もうやめましょう。何もいいことはありません。大学受験生であれば入試で選択する科目を重点的に学習しなければならないのでしょうが、附属のみなさんはその点でアドバンテージをもっています。世の中に教科の境目なんて存在しません。苦手でも不得意でもいいから、飛び越えましょう。(2)難解なこと、意味のわかりにくいことがあっても、絶対に思考を停めない。もっと易しくなりませんかとか、もっと高校生に身近な話題にしませんかといわれることもあるけれど、社会というのはそんなに甘くないし、高校3年生のアタマの水準や興味に向こうから寄り添ってくるということは絶対にありません。こちらが、寄せていかなければ。学期終わりまでに点数を取れるようになりなさいというわけではなく、ひとまず、とりあえず思考しなさい、食らいついてでも考えなさいというだけなので、それを早めに放棄してしまうのはもったいないです。率直にいって、高校3年にもなれば人によって出来・不出来やアウトプットの程度の優劣はかなりあります。あったっていいじゃないですか。メジャーリーグも草野球も野球です。それぞれの場所でバットを振ることに意味があります。
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