古賀毅の講義サポート 2024-2025

Études sur la société contemporaine I: Instruction civique pour la recherche

現代社会論I探究するシヴィックス5.0


早稲田大学本庄高等学院3年(選択科目)
金曜12限(9:10-11:00) 教室棟95号館  S205教室

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現代社会論II:グローバル時代のパースペクティヴ2024

 

20246月の授業予定
6
7日 地方分権化の光と影
6
14日 一極集中・高齢化と公共交通
6
21日 消費行動の変容と流通の危機
6
28日 町と社会のユニヴァーサル・デザイン

 


次回は・・・
10-
消費行動の変容と流通の危機

高校3年生のみなさんは、スーパーマーケットとコンビニエンスストアの2つだったら、どちらを頻繁に利用するでしょうか? ――まあたいていはコンビニだろうと思います。「私は違います」なんてがんばってもだめですよ。そういう問題ではないのでね。公民の授業では、価格機構(price mechanism)が軸となる市場原理というのを学びます。アダム・スミスは「見えざる手」がはたらいて、うまいこと調節されるのだ、といいました。でも、コンビニに日々通ってみても、商品の価格はめったに変わりません。最近になって、円安や原油高の関係でおにぎりもサンドイッチもずいぶん値上がりしましたが、むしろ「コンビニってこんなに断続的に値上げするんだ」と思うほどです。また、ファミマA店とB店、セブイレ* C店とD店で同一商品の価格が違うということもあまりありません(地域が離れれば結構あります)。スーパーのほうは、お菓子などはコンビニと似たようなものだけれど、生鮮食品は日々価格が変動します。自立して、自分で食っていく(あるいは家族を食わせていく)段になれば、スーパーに行って、コスパや栄養などを熟慮して買い物することになるのでしょう。要は、人によって、目的によって、買う商品によって、向かうお店の種類は変わるという当たり前のことを確認しているわけです。少なからぬ高校生は自立前なので、想像できる範囲が狭いかもしれず、そこに補助線を書いてあげた次第です。
*
セブンイレブンを東日本では「セブン」と略すのが一般的ですが西日本では「セブイレ」です。こっちのほうが略した感があるのでいいじゃん(笑)

デパート(百貨店)、ディスカウントストア、ショッピング・モール、複合テナント・ビルなどは、どうでしょうか。住んでいる地域の情勢にも左右されそうですね。また、以前の授業で、かつてはお米屋さん(米穀店)でしか買えなかったお米を、いまではどこでも買うことができると申しました。そのように、○○という商品はこの店種で、という常識や定式が、時代の変化に伴って変わるということもしばしば起こります。みなさんはドラッグストアを利用しますか? 往年の「薬屋さん」は、いま何が主力商品なのだかわからないほど複合的なものになりました。このところドラッグストア業界では経営統合などで規模の大型化が進んでいます。コクミンがウェルシアの傘下に入り、こんどはツルハもウェルシアと統合するようで、ウェルシアの親会社のイオンが盛んに動いているとか、なんとか。飲食チェーン(フランチャイズも含む)も似たような状況です。そうしないと生き残れないような社会情勢になっている、ということでしょう。私たちは、現代社会論を学んでいる立場ですので、その社会情勢のほうを考察することにします。グローバル時代ですので、外国勢も含めて、かなり広域的な競争が起こっています。

前回、公共交通というテーマをみました。公共でない交通ってわかりますか? そう、自動車(自家用車、マイカー)です。日本では1970年ころからモータリゼーション(motorization)が進行し、移動・輸送のメインが鉄道や船舶から自動車に転移しました。高校を卒業したらまず運転免許を取って、なるべく早く自分の自動車を買おうと考えている人も多いことでしょう。そのへんの一般人が自動車を運転して移動するのが普通になったときに、買い物の仕方や買う場所に変化が起きたのは当然のことです。徒歩や自転車なら「近所のお店」になるが、マイカーがあれば多少遠くても好みのお店に行くことができるからです。その代わり、駐車場があるかどうかが重要になりますね。一般に、モータリゼーションは、人々の消費行動に大きな変化をもたらします。前述したような業界の再編や、同じ店種の内部での変化というのも、そのことと強いかかわりをもっています。例によっていろいろな事例を見ながら、そこに共通点や規則性があるのかどうかを考えることにしましょう。企業名などの固有名詞を覚える必要はいっさいありません。自分がおとなになって、真の消費者になったときには、それらはもうなくなっている(どこかに吸収されている)かもしれないのでね。

 

REVIEW 6/7

614日のレビューは少し遅れて更新します。しばらくお待ちください。

 

地方自治の話は、義務教育課程や必修科目ではあまり扱われないので、寝耳に水の話題だった。テーマとしてなじみが薄いわりに私たちの生活にもろに関係しているので、強い危機感を覚えた。地方の財政破綻は、起こってからでは取り返しがつかないので、政府が本腰を入れて積極的に政策を打ち出していくべきではないか。でも自分が政治家としてそのようなことをやりたいかと聞かれれば、返答に困ってしまう。

現代の日本において地方分権化を進めていくことの厳しさを学びました。地方によって人口などにあまりに大きな違いがある中で、社会権などを平等に保障するというのは厳しいといわざるをえない状況にいたってしまっているのだと理解しました。そのようなことがあると、国>地方自治体 という考えが人々に根づいてしまって、佐賀県の立場を否定するような、国のことに絶対に従えというような考えがついてしまうのではないかと考えました。

地方でできることは地方でやる、という地方自治は、各地域の固有性や独自性を守りながら地元住民に寄り添った暮らしの実現につながるのでは、といういいイメージをもっていたのですが、実際は国の圧力でぐらつきやすい、あやつり人形のような制度なのだと思いました。人口減少で地方の独自財源が減るほど、国により依存し、地方自治とはもはやかけ離れた、明治の「内務省管轄の道府県」に近づいていってしまうのかとも思いました。一方で、県なみの権限をもつ政令指定都市には人が集まり税収もあるので、いつかはそのような大都市にだけ人が住む時代が来ることになるのか疑問に思いました。国や地方の財政赤字が人々の暮らしを苦しくしているので、少ないなりに新しい分配方法や権限の分散を考える必要があるのかなと思いました。

いままで地方分権のほうが、地方独自のアイデンティティや文化を大切にしながら地方を活性化させられると思って、中央集権よりよいと思ってきたが、偏りすぎた地方分権や、突如として見放すような地方分権体制の政治の実態を知り、塩梅を保つために国を基軸に考えるべきでは?と考えたが、そういった政治体制が浸透しすぎて、簡単に改善するというのは難しいと思った。

少子高齢化が進む中で、地方の若い人は東京などの都市部に出る。しかし日本は中央集権のため地方自治が弱い。地方は住民の意思で決定できるが、若者が地方から出てしまうと地方分権化が成立しにくくなると思う。

国と県は一応対等なのだ、と思いました。「地方でできることは地方で」といっても、自治体をひとえに「地方」とまとめるのはいささか乱暴ではないかと思った。お金のある自治体もあれば、ない自治体もあるから。夕張の例はいい教訓なのかなと思った。

形式上は地方分権化していても、今回の授業を聞くかぎりでは、地方の意見を強制するなど、国の好きなように動かしているようには見えた。

地方分権化が進むことで、地方に住む市民の声は反映されやすくなるが、そのぶん他の地方自治体と対立して事が進まなくなったり、財政に困ったりすることもあるのだと知った。国がこれらを管理するのではなく、アメリカのようにより地方分権を進めるべきだと思った。

統治のうえでは中央集権よりも地方分権であるほうが、偏りがなくて安心だと思うけれど、都道府県の中でも市町村や区、政令指定都市などによって権限の大きさが異なるため、対立の仕方も複雑だと感じました。また地域による財政の豊かさの差が問題になるとわかったけど、それを上の立場から管理する国がそれに便乗しようとせずにいることが大切だと思いました。


在来線金沢駅で発車を待つJR西日本の特急サンダーバード(2017年)
北陸新幹線敦賀延伸でこの付近はすべて第三セクター化され、あれほど高頻度で走っていた、
在来線の特急サンダーバード(大阪行き)としらさぎ(名古屋行き)も敦賀乗り換えに変更になった
東京とは直結できたが、そのぶん大阪・名古屋の人には乗り継ぎと運賃・料金値上げが生じた

 

佐賀県に新幹線が通っていない理由を聞いて納得した。また埼京線が造られた原因が新幹線の建設にあったことを知って、とても興味深い。

西九州新幹線が佐賀を走らないようにしたのはよい判断だったと思う。長崎県と佐賀県は、地方自治の本旨にもとづくなら、どちらの主張も尊重されるべきだと思う。答えがない問題には折衷案を出すしかないので、異例ではあるが、線路を途中で切るというのは仕方ないと思った。わたし的に、乗り換えはあまり苦ではないので、途中まで在来線を使ってそこから新幹線で長崎へ行くというのでも悪くないと感じた。でも、そのような背景があると知らなければ、佐賀が反発して悪いほうに思われてしまうので、もっと背景を報じてほしい。
・・・> 新幹線を含む鉄道というのは、航空と異なり、起終点が一組ずつではなく多対多であるというのが特徴。連続性があります。問題をわかりやすくするために、最も需要がありそうな博多(福岡)〜長崎のあいだの移動を想定しましたが、実際には広島や新大阪などの本州方面から新幹線で長崎をめざす動きがあります。その際に、新大阪(山陽新幹線)→新鳥栖(在来線に乗り継ぎ)→武雄温泉(西九州新幹線に乗り継ぎ)→長崎と、2度の乗り継ぎとあいだに在来線をはさむ行程が必要になります。このあたりの背景や経緯は、2022年の開業時にずいぶん報道されていましたけどね。新聞を読まないとだめかもしれない。

最近、敦賀まで新幹線が開通して、「交通が便利になっていいな」とばかり思っていたが、その背景には、在来線の県への移管があったということを初めて知り、新幹線をいま造ることの大変さを知った。

新幹線の建設では、始点と終点、経由する駅が得をするだけでなく、線路を通すだけの通過地域が損をする。そう考えると、飛行機は空港がある地域が得も損も請け負うので、全員反対の地域ができることは少なくなると思った。しかしその地域内での賛成・反対がより激しくなり、結局陸路でも空路でも新しく道を拓くのは一筋縄ではいかないのだろう。交通が便利になれば観光地へのお客さんが増えるというのもわかるが、観光地を「遠くても行ってみたい!」と思わせるように、整備、宣伝をがんばることも、よいと思う。

地方自治の決定は住民の意思によるものであるため、新幹線や迷惑施設の建設など、自治体どうしの対立はなかなか解決できないことがわかった。在来線に新幹線を走らせてしまうなど、権利どうしの衝突をどのようにしてうまくまとめることができるかが大切だと考えた。国が公平性を担保し間に入ることがとても重要であり、両自治体は裁判の結果に納得しなければならない。

新幹線建設の話題で、佐賀県の在来線に新幹線車両を走らせれば大がかりな工事をしなくて済むということで、ミニ新幹線方式やフリーゲージトレインのアイデアが出てきた。線路幅1,067mm1,435mmにすればよい、というような建設・寸法・数字の知見って文系だと簡単に出てこないじゃん!!と自分の無知さに気づいた。リニア新幹線の話題も、とにかく速い、移動が楽!というメリットしか知らないでいて、工事により起きる郊外や水・森林への影響について疑問を抱くどころからそこまでの発想にも至らなかった。今回の授業で、「自分の範囲外だから何も知らない」の考えが、愚かで人として恥ずかしいことだと知った。また、東京ごみ戦争の執着点が焼却技術の向上により周辺地域への害が減っていったということや、前述したミニ新幹線のことなど、工業やバイオテクノロジーなど理系の生み出す発明が人々の対立や地方自治・中央集権のもろもろの問題を収束させるいちばんの方法なのだと考えた。もとはといえば戦争に軍事利用していた産業や技術もあるだろうが、発想の転換をすれば、道理を立てられない問題への平和的な解決手段になるのではないか。

地理の授業で、日本アルプスは毎年隆起しつづけていると聞いたが、トンネル通して大丈夫かな・・・。

住民自治・団体自治は民主政治をおこなううえで必要な要素であるが、各自治体の環境や経済状況が異なる以上、全員が納得できる政策を実施するのは難しい。その結果、折衷案として妥協をみた例が多くあるのだろうが、新幹線の建設ともなれば中間の案が存在しないため、対立してどちらかが折れるのを待つしかない。対立するのは仕方ないが、意地の張り合いで住民の本当の声がないがしろにされない政治がおこなわれてほしい(血迷って本質を忘れないでほしい)。

成田新幹線が京成スカイライナーに変わったのに、なぜJRは成田エクスプレスをつくったのですか?
・・・> 授業で指摘したのは、成田新幹線が走る予定だった線路用地をいまスカイライナーが走っているということです。当初の計画では、成田新幹線と千葉県営鉄道(結局つくられなかった路線。都営新宿線を本八幡から延伸して千葉ニュータウンにつなぐ)が並走することになっていました。そこにいまメガソーラーがあるという話ですね。造りかけのインフラをどうするのかという「下」の話と、成田空港へのアクセスをどう確保するかという「上」の話は、実は別件です。成田新幹線をつくらないのなら別の方法が必要。しかも、新幹線を断念した1980年代は日本がいよいよ国際社会に向けて開かれた時期で、海外との往来の需要が高まっていたのです。国の審議会などでいろいろ検討された結果、成田空港の近く(千葉県成田市)にすでに路線を有している2社、すなわちJR東日本と京成電鉄に都心とのアクセスをゆだねることが決まりました。新幹線用に掘ってあった空港ターミナル直下の駅用地を2社で分け合い、それぞれ元からあった線路と成田空港新駅を結ぶ路線を新規に建設して、仲よく分け合うことにしたのです。実際には仲よくではなく、競合関係ですね。京成スカイライナーは最短ルートを走り、しかも在来線とは思えぬ高速(160km/h)で飛ばし、運賃・料金も安いので有利に思えますが、行先が日暮里・上野しかないのがネック。いっぽうの成田エクスプレスは新宿や横浜などにも足を伸ばせる有利さはあるが、運賃・料金が高いのと、千葉駅を遠回りする点がネックになります。私はリムジンバスか、京成スカイアクセス線経由のエアポート快特の利用が多いです。成田エクスプレスもいいのだけど、東京までの途中、津田沼駅付近で職場(千葉工業大学)が目の前に見えるんですよね。楽しかった海外の余韻にひたろうと思うのに、あすからの勤労の日々を予告されたような気分になるので、JRは回避します(笑)。


鹿児島中央駅に着いた九州新幹線さくら
鹿児島ってはるか先だと思っていたのが、博多から2時間ちょっとで行けるようになった

 

国の行政を地方分権化することのメリットとして、住民の意見が地方自治に反映されやすくなり国の仕事の負担が減った。だがデメリットもある。その例として、東京ごみ戦争が挙げられる。東京都は東京23区という、都とは別の自治体があることも原因であった。このように地方分権化を進めることで必ず政治がうまくいくとはいえない。行政の体制を変えるのではなく、新たな国の組織改革が必要になるのではないか。また地方分権化をおこなうにしても完全に地方自治体に任せるのではなく、国が最低限の保証を約束する形態づくりがよいのではないかと考える。

東京ごみ戦争の例で、杉並区の規模で考えたらなんてことないが、その予定された地区の人たちからしたら、なんで私たちの地区に清掃工場?となる。自治は難しいと思った。とくに原子力発電所やゴミ処理施設などの「迷惑施設」は、必要なのに扱いが難しいことがわかった。

東京ごみ戦争の、どこか誰かがやらなければならないのだけど自分はやりたくないという状況が、母親が悩まされていた学校役員の押しつけ合いのようで、単位が国や地方自治体のように大きくなっても中身は人間なのだなと身近に感じた。こうした論争の存在を知ることが、私にとっては国単位の問題を自分のことのように思え、選挙に関心をもつために大事なことであると思った。

ゴミ処理施設は人の生活に必要不可欠であるので、各地方公共団体に1つ造るなど、あらかじめルールとして決めておくべきだと思う。
・・・> これだとピンボケしませんか? 以前の東京23区は、区ではなく都が清掃事業を担当しましたので、「各地方公共団体」は東京都ということになります。東京23区内のどこか1ヵ所でいい、というのであれば、杉並区でも江東区でもいいのでは? 杉並区が主体になると設定を変えるなら、高井戸に造るということでまさに「1つ造る」の要件を満たします。つまり、その「1つ」をどこに造るか、どのようなプロセスで建設場所を決めるのかというのが問題だったのです。

新幹線やごみ処理で自治体同士が対立していたことがあると初めて知りました。それぞれの地域のローカルなテレビでは、お互いの文句がストレートにいわれていそうです。見てみたいと思いました。

佐賀県の新幹線開通への反対や、東京ごみ戦争など、社会的には絶対に必要だけれども自分の地域には造らないでほしいという問題の解決は、平等な条件を設けることがなかなかできないため、難しいと思う。同じような問題で、自衛隊訓練施設が家の近くにあるのが嫌だというのを聞いたことがある。夜間でも明るすぎることや、うるさいことが原因になっているようだ。

教科書の帯グラフの分母を見比べてみて、いままで流してしまっていたが、あらためて見ると違和感がある。これからはグラフの細部にまで目を行き届かせたい。
中学校教科書にあるグラフや表は、わかりやすさというよりも、生徒に考えさせることが重視されていると捉えています。棒グラフにして視覚的に伝えたいのではなく、ちょこっと書かれている数字にもきちんと目を向けるべきだということを刷り込むことに特化しているのだと、ずっと思って見てきました。
・・・> そのように読み取ってくれる生徒は多くないので、だとすれば教員の指導が不可欠になりますが、残念ながら教員にも指導力や教材を読み取る力やセンスに差があります。指導書という、先生だけが読むことのできる本がセットでついているのだけど、そこまで読むような先生はもともと問題がありません。また社会科の先生には算数・数学が弱い人が非常に多く、公民や地理に欠かせないデータや資料の読み取りをちゃんと教えることができない人が、残念ながら少なくないのです。

 
(左)パリ市庁舎(Hôtel de Ville)  (右)台北市庁舎(臺北市政府)

 

東京23区には市町村がなく「都」に強い権限をもたせて広域を直轄させている。本来は市町村がおこなう業務も都がおこなっている。ただ東京都のように首都が行政上、特殊な扱いになること自体は変ではなく、ワシントンやロンドンなどもそうである。政令市都道府県の関係も複雑で、大阪市と大阪府が合併寸前まで行ったことや、教員の採用の競争などもある。だから市町村や都道府県の関係性について理解し、そのあり方について考える必要があると思った。

東京の23「区」と他の県にある「区」は意味が違うことを初めて知った。(複数)
恥ずかしいのですが、なんで他の市では市の中に区があるんだ、市と区って同じくらいの地位じゃないのかと思っていたので、今回やっと理解できてよかったです。23区が特別だったんですね。

東京市はなくなった、というか都になったのかな。てか東京の区とか首都である都に特権をもたせる必要どこにあるんだ。
・・・> 戦時中の1943年、総力戦体制を強めるのに合理化を図ろうと、東京府と東京市を合併させ、後者の市域を東京府に直営させるかたちに変更しました。これが東京都です。当時の東京都は(他の道府県もそうですが)国家の直属でしたので、皇居や政府などを含む首都を国が直轄するという発想になったのです。戦後はその流れのまま来ているということ。

ワシントンのコロンビア特別区(D.C.)はなぜコロンビアという国名が入っているのですか?
・・・> 国名(コロンビア共和国)ではありません。コロンブスが発見した土地=コロンビアです。

私は大阪にルーツがあるが、大阪が都になることになんのメリットがあるのか、大阪人特有のプライドで名前をかっこよくし、東京に追いつきたかっただけなのではと思ってしまった。
・・・> 大阪人特有のプライドをくすぐり、かき立てて、某政党の支持を強めようとしたのでしょう。慣れの問題ではあるのですが、「おおさか」ってなんだか微妙ですよね。「とうきょうと」はスムーズな気がする。気がするだけか。

都道府県と政令市が対立するという構図がおもしろかった。それぞれのリーダーの決別など、たびたび対立しているということを初めて知った。

あいちトリエンナーレの件は、2019年の「表現の不自由展、その後」のことですか? 選択科目の倫理でこの話題を扱っていたので、右派・左派の対立の内容がわかりました。
・・・> その件です。

政令市都道府県の関係を中学校で習ったときに、わかりにくいなと思っていて、私の理解力がないだけなのかなと思っていたのですが、今回の授業で学ぶことができてよかったです。政令市の多くが、県庁が置かれている地域なのに、仕事の大半はその地域をのぞくという話は、ずいぶんややこしいなと感じました。

説明を聞いて疑問に思ったのですが、政令指定都市の権限と県の権限が重複しているということはあるのですか? 政令市が県なみの権限をもっているというのは、政令市のほうがより多くの権利をもっているということですか?
・・・> より多くの権利というのがいまいちわかりませんが、普通の市がおこなうべき業務に加えて県の仕事もやるのだから「多くの業務がある」ということであれば、そのとおりです。政令指定都市があるところでは、県の権限はその政令市以外の県域で発揮されます。

政令市と道府県の関係について、政令市は県がもつ警察や農林水産関係以外の行政権をもっていて、県全体の仕事をする、という認識でよろしいですか。
・・・> 県全体の仕事をするのは県です。政令市はその市域において、本来は県がおこなう業務をおこないます。

生まれ育ちがさいたま市なので、公立小・中学校の先生はどこでも市が採用していると思っていたが、実はさいたま市だけだというのを知って意外だった。
政令市が採用した教員は、もちろん地方にもよるのはわかっているのですが、基本的に政令市内だけで先生をするのですか?
・・・> そうです。さいたま市の先生は定年までさいたま市内です。

埼玉県の中ではさいたま市の小・中学生が他の市町村の生徒より頭がいいという話を聞いたことがあります。政令指定都市が教員の採用を独自でおこなっているというのを知らなかったので、県でまとめて採用し、優秀な先生をさいたま市に回しているのだと思っていました。私が中学生のころにも頭が悪そうな先生がいたので(早本の先生方とまったく違う)、この先、より低倍率で教員になれる状態になるとどうなるのか恐ろしいです。
・・・> 学力が高いとか優秀とか頭脳明晰というべきところを「頭がいい」、その逆を「頭が悪い」と書くのはそろそろ卒業しましょう。頭が●く見られますよ(笑)。さいたま市と埼玉県では、前者のほうが好待遇です(ま、微妙ですが)。異動の幅も狭く都市部ばかりなので、小・中学校に関してはさいたま市のほうに良質な教員が集まりがちだといわれています。

その都市の中の仕事は県なみの方法で独自の内容をもっておこなうことができるという政令指定都市ですが、以前よりもその数が増えたとおっしゃっていました。どのような基準で政令指定されるのか教えてください。
・・・> 人口50万人以上で、この市は政令指定都市にしていいだろうと国が判断した市。人口はともかく後ろのほうがいい加減ですけど、実際にそうなのです。国が「まあいいんじゃね」といえば、政令指定します。

政令指定都市の必要性がわからなかった。政令指定都市とそうでない都市で、財政負担が異なるのはややこしい。わかりにくいことはしないほうがよいと思う。
・・・> 公民を学ぶ高校生にとってはわかりにくいかもしれないが、実際の行政という面では動きやすくなります。人口が密集して均質性がより高い市域で、大きな仕事を集約的におこなうことができ、そのぶん県も楽になります。

競馬で破産する人は、国(都)に破産させられていたということか?
・・・> 都は競馬をやっていたことはありません(かつて後楽園球場でやっていたのは競輪)。国または区市町村ですね。ま、そうなんじゃないですか。こんどIR(統合型リゾート)という名のカジノができる予定です。国が胴元?になっているギャンブル的なものには、他に、競輪(経済産業省)、オートレース(国土交通省)、競艇(国土交通省)、スポーツ振興くじ(toto 文部科学省)、宝くじ(総務省)があります。こういうのを国や自治体が主宰することで、バクチが地下に潜って闇でおこなわれ、反社会勢力をのさばらせるのを阻止するという隠されたねらいもあります。

 
(左)大阪市 通天閣  (右)名古屋市 名古屋テレビ塔(中部電力みらいタワー)

 

再分配→自由化というのが、社会主義・共産主義→資本主義みたい。平成の大合併で、特例債の分は結局返さないといけないのなら、破綻しませんか。
・・・> 社会主義→資本主義というのは、正しくありませんが、遠からずという面もあるように思います。完全な競争にゆだねるのではなく、いったん全体で吸い上げて再分配するというのは、社会主義国が地球上に生まれたあとで資本主義体制の国家が採用した経済政策です。修正資本主義といいます。リベラルとか社会民主主義というのも、まあ近いです。特例債はもちろん債務(借金)ですので、利子をつけて償還しなければなりません。そのころには政治家も役人も代わっているので、わしの知ったことではないということなんですかね。

人口流出で税収が足りなくなってしまったとき、国のお金に頼るという現状を変えるために、東京に集中している大きな企業を地方に分けて、雇用と税収を確保するというのはどうなのでしょうか?
・・・> それだと自由権(経済活動の自由)に抵触しちゃいますよね。だから税制面で優遇するとか公有地を安く提供するといった誘致策を採ることになります。

三位一体改革は聞いたことがありました。これは本当に不均衡を直せたのでしょうか?
・・・> 三位一体改革は、自治体ごとの不均衡を国が均すという作用をやめて、財政をどうするかも自分たちで決めてくれ(国はかかわらない)ということですから、不均衡を直す目的は当初からありません。むしろ不均衡が拡大することを承知で、自治体側に主体性をもたせる改革です。

やっぱり安定した産業がないと地域はどんどん廃れていってしまうのだなと思いました。

夕張の財政破綻の話を聞いてびっくりしたけど、少子化なんかで将来的には地方自治体の倒産はもっと身近なことになるのかと思って、怖くなった。

子どもが平等に義務教育を受けられるように国がお金を提供しても、地域によって必ず差は生じてしまうと思いました。たとえ、ある特定の市で優れた教員が教えたとしても、子どもはその地域の環境に大きく左右されると思います。全国の公立に通う子どもが「平等な」教育を受けるというのは不可能なのではないでしょうか。
・・・> でもそれを均す努力や措置がなければもっと差は開いてしまいますよ。福祉も同じです。「平等な」教育ではなく「ひとしく教育を受ける」です。微妙に違うんだな。

民主主義の根幹は教育であると思うから、「ひとしく教育を受けられる権利」が生まれた場所によって脅かされるというのは、市町村レベルではなく国家の問題になる。だから義務教育に関する完全な地方自治はするべきではないのかと考えた。地方の情勢や事情を、東京で働いている国会議員がわかるはずもないので、地方分権化すべきなのだとは思うが、少子化・高齢化などで過疎地域では自治が難しいと思う。自立した自治ができるよう堅実な産業で、確実に収入を得ることが必要だと思いました。

小泉内閣の「地方でできることは地方で」に関して、先生は「これ切り捨てですよね〜」と否定的な考えを提示していましたが、本学院や東京女子大学がいっている「正解のない時代」や「主体的な学び」、「オンライン化」も、いわば無責任で放任的な指導なので、人によっては切り捨てになりますね(^^)。先生たちは楽でしょうけど。
・・・> なんか文句をいいたかったのね(笑)。教育の全体を政府がどうするかという話と、その教育の内部で学校や教員が生徒をどうするかというのは次元も論理もまったく違います。また、三位一体の影響を受けた義務教育国庫負担の問題は、もちろん小・中学校のことですが、高等学校や大学の教育では(生徒・学生を社会に送り出す手前であるから)自律性を促すためすべてを包括的に指導するのではなく生徒・学生の自修のサポートに回ることが多くなる、というのが教育界の基本的な考え方です。大学はさらにそうなります。無責任で放任的とはかたはらいたい(意味違うか)。その種の教育にはセーフティ・ネットがあります。新自由主義とは異なるインクルーシブな考え方です。先生たちが楽だなんてとんでもない。「正解のない時代」「主体的な学び」「オンライン化」のほうが何倍も大変です。(まじめに答えてしまいました)

同じ都道府県内でも財政には差があり、まとめて一括でルールを適用すると効率が悪くなるように感じる。よって各地方にまかせるのがよいと思う。日本は、名称を変更しただけで、内容を見直し改善したふうに陥るパターンが多い気がした。

別の選択科目で市町村合併について学びました。今回の内容と絡めて2つのことを考えました。1つ目は国と都道府県と市町村の関係です。市町村合併をめぐって国は地方に対し、国に都合がよくなるような要求を課していました。その実態を知って、私は国と地方では国のほうが立場が上にあるのだと考えましたが、今回の授業で、国と都道府県と市町村は対等であると学び、驚きました。本当に対等な関係を保っているのか、ということについて、きちんと見直す必要があると思いました。2つ目は、国の地方視察の重要さです。市町村合併によって財政が破綻しそうになったり、地元住民が困ったりといった問題が生じました。しかし国は現地を訪れて実態を見ることはなく、まして見ようともせず、地方に対して厳しい条件を課しつづけていました。他の地域とシステムの異なる東京にいる人々が、その東京から指示を送っても何も意味がないとおもいました。「中央」の人たちはもっと地方に足を運ぶ必要があると思いました。
・・・> 国会議員も、たいていは地方の選出であるはずなのだけど、世襲議員が多くなり実際には江戸の生まれという人が多くなりましたよね。参勤交代時代のお殿様と同じですね。

 

地方自治体は、大都市以外は大半が深刻な財政難に陥っていることをあらためて認識した。これはもともと高度経済成長期に産業を成長させると同時に、地方の過疎化に伴う貧困の解決などを図るべく、国から小遣いをもらう流れが常態化し、借金の割合が増大したことが原因にあると理解した。破綻する自治体も出てきており、現状は決して楽観できないと思った。それぞれの自治体が国に頼りすぎず、適切に再生可能な環境を整えていく努力こそが、地方の崩壊を防げると思う。

私は、東京都民の子とプロジェクトをやったときに、野菜の栽培方法、その他いろいろとまったく知らなかったことに衝撃を受けた。群馬は、本学院では「帝国」などといわれるが、地方には、都心にはない独自性や特徴があると思う都心が自慢げにしているが、地方の人より知らないことが多いと思う。だから中央集権には反対だ。もっと地方は頭を使って、その土地の魅力を最大限活用する独自のやり方をするべきだと思う。早稲田に入ったことで、いろいろな地域のことをより知ることができるぶん自分の土地についてももっと知って、視野を広くして、いい方法を見つけ出したい。今回も知らないことをたくさん知れたので、これをきっかけにいろいろ調べたい。

日本はどちらかといえば地方分権の国だと思っていたので、中央集権であるということに驚きました。なんとなくのイメージで、中央集権の国は独裁に傾きがちという印象があり、抵抗がありましたが、たしかにアメリカなどに比べると国の力が強いと思いました。地方分権のほうが住民の意思を反映しやすいし、柔軟に対応できるので分権化を進めるほうがいいと、初めは考えましたが、ここまでしっかり制度が完成しているのなら、いまさら地方分権化するほうが混乱しそうだと思いました。完全にすべて国のいいなりというわけでもないし、ある程度の地方自治もあるので、現状をつづけていったほうが楽かもしれないと思います。

地方分権化は大きな問題だった(いまさらだけど)。県を含めた大型プロジェクトにおいて金銭的な負担が大きいものは国が支援していた。これこそが中央集権性を高める大きな要因の一つであることがわかった。国の金銭的な支援は、各都市の維持・発展にとって大切なことであるが、地方分権化を進めるのであれば各都市が自立していけるようなビジネスを生み出そうとする動きの一助になることが大切だと思った。

現代の日本は中央集権体制だが、民主政治をより実現したいならば地方分権化は重要である。ただ東京と地方の差は歴然としており、すべて平等に、とはいかないのだろう。こんな状況では都市部に人口が集中するのも当たり前になってしまう。今回の授業では、地方分権化の大切さと、実現の難しさがわかった。はたして地方自治体は本当に分権化を願っているのだろうか? なぜこんなに進まないのか? かといって国は東京を優先しすぎて地方に目を向けることができているのか? 同じ熱量で協力できるのか?

各自治体がその地域に必要なものを考えてそれにお金をかけるほかに、国が全国を俯瞰的にみて必要であると判断した内容の政策を自治体に求めて直営ともいえる形態になったという例は、夕張だけにとどまらないのではないかと思いました。また地方財源を満足に得られず、政策を十分におこなうことができないことの解決策のひとつとして自治体の合併が進められたといいますが、それも結局は国の縄張りのもとで活動している様子が現れているように見えます。地方分権とはいえないと思いました。その点で、地方分権「化」という文字を付け加えた先生の意図がわかりました。

 

 


開講にあたって

現代社会論は、附属高校ならではの多彩な選択科目のひとつであり、高大接続を意識して、高等学校段階での学びを一歩先に進め、大学でのより深い学びへとつなげることをめざす教育活動の一環として設定されています。この現代社会論(2016年度以降は2クラス編成)は、教科としては公民に属しますが、実際にはより広く、文系(人文・社会系)のほぼ全体を視野に入れつつ、小・中・高これまでの学びの成果をある対象へと焦点化するという、おそらくみなさんがあまり経験したことのない趣旨の科目です。したがって、公共、倫理、政治・経済はもちろんのこと、地理歴史科に属する各科目、そして国語、英語、芸術、家庭、保健体育、情報、理科あたりも視野に入れています。1年弱で到達できる範囲やレベルは限られていますけれども、担当者としては、一生学びつづけるうえでのスタート台くらいは提供したいなという気持ちでいます。教科や科目というのはあくまで学ぶ側や教える側の都合で設定した、暫定的かつ仮の区分にすぎません。つながりや広がりを面倒くさがらずに探究することで、文系の学びのおもしろさを体験してみてください。

当科目は毎年、内容・構成とサブタイトルを変えています。2024年度は探究するシヴィックス5.0としました。もちろん、いまいわれているSociety5.0を意識した副題で、過去何度か類似の副題を設定してきました。ここにある探究というのは、探求ではなく、あえてそのような文字を選んでいます。総合的な探究の時間や世界史探究など、文部科学省も好んで用いるのは「究」すなわち「きわめる」ほうです。英語の単語に直せばresearch。お気づきでしょうか、さがすという意味のsearchに、繰り返しの、再々のという接頭辞のre- がついています。何度も掘り込んで、どこまでも突きつめていくといったイメージで捉えましょう。公民や地理歴史などの社会系教科では、どのテーマであっても、いくらでも、どこまでも突きつめることができるのに、学習者はしばしば表面をなぞり、「正解」らしきものをつかまえて、そこで思考を停めてしまいます。なんなら試験の前に単語と意味を暗記して、答案用紙にはき出し、以降は内容ごと忘却するということに終始する人も少なくありません。「暗記が苦手だから社会系は嫌い」という人が、文系にも多いのは本当に残念です。この現代社会論Iでは、暗記はまったく必要ありません。むしろ、暗記なんて絶対にしないでくださいとお願いしたいほどです。でも、暗記不要の学びは、慣れるまでなかなか大変です。「試験前に覚えればいいや。いまは何もしないでおこう」という態度が許されないからです。その場ごとの思考と考察、その先の探究が不可欠です。慣れてくると、授業外で出会ったテーマに対してもその方法を当てはめて思考する習慣がつきます。希望としては、できるかぎり多くの受講生がそのレベルまで行ってほしいなと思っています。

「現代社会」に関する学びは、歴史のそれよりも役に立ちそうだ、と考えていないでしょうか? まあそうなのですけれども、しかし「いま、この瞬間」としての2024年は、10年経てば「むかしの話」になります。制度や法律が変わり、社会情勢が変わり、人々の価値観や行動様式も変わっていきます。いま、この瞬間に正解だったものが不正解になることも多いですし、それ以上に、いまこの瞬間に重要だとされているものが10年後には無用になるということだって大いにあります。歴史に比べると、現代社会は「足が速い」。だから、個別の知識を得ること(さらには暗記すること)には、さほどの値打ちはありません。数学や物理の公式、英語の文法などを思い出してください。それらは生きているあいだずっと有効で、数値や単語を入れ替えれば無数に展開できますよね。現代社会の学びも、そのようにありたい。そのための探究を、さあはじめましょう!

 

 

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