古賀毅の講義サポート 2021-2022

De Société contemporaine I: Études pour la Publicité à travers les médias

人文社会科学特論(現代社会論 I
:メディアで探究する公共 

早稲田大学本庄高等学院 3 (文系必修選択科目)
金曜 12限(9:10-11:00)  教室棟95号館  S325教室(ゼミ室4)   

 

 

 

 

 

 

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20216月の授業予定
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4 複数メディアからの探究(1):領土問題
6
11 複数メディアからの探究(2):皇室問題
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18 複数メディアからの探究(3):エネルギー問題
6
25 媒体としての学校教育:社会科・公民科は機能しているか?


■■次回は・・・
10-
媒体としての学校教育:社会科・公民科は機能しているか?

いくつかのメディア(媒体)を見てきましたが、学校教育(school education)というのはどうでしょうか。これ自体が実は立派なメディアです。社会的事象や自然の事象などを選択し、増幅し、ときに整理して生徒に伝えるわけだから、「何かと何かの間に入って伝える」というメディアの定義にぴったりではないですか。しかも、インターネットに押され気味ではあるものの、いまだに「学校で教わること」「先生のいっていること」「教科書に書いてあること」への信頼は強く、それに影響されることが多いのではないでしょうか(「学校で教わった(教わっていない)から」というのがエクスキューズとして説得力をもつだけだという気もするが)。生まれ育った村や共同体からほとんどはみ出すことなく、生きる道(いまでいう職業やキャリア)もだいたい定まっていた前近代の人たちにとって、その狭い範囲で知ることなど限られていました。近代に入って公教育(public education)というしくみができたとき、村で生活するだけでは一生知りえないような知識や情報に出会うことになります。テレビやインターネットのない時代には、学校こそが最大のメディアでした。

当科目は現代社会論ですので、「社会」という対象や事象と生徒のあいだに入って伝えるものといえば、とくに社会科social studies)であるということができます。1994年以降、高等学校の社会科は地理歴史科と公民科に分割されていますので、いまみなさんが学んでいるのは公民科の一部だということになります。ここではそうした制度上の区分は重く見ないで、社会科・公民科というふうに捉えておきましょう。日本の教育課程では、小学校6年で公民ぽいことを少し扱い、中学校3年で本格的に学び、高等学校では現代社会または政治・経済という科目のどちらかを選択して、いずれにしても三たび扱います(当科目は附属高校ならではの「はみ出し部分」だと思ってください)。このメディアはこれまで、みなさんに何をどのように伝えてきたでしょうか。みなさんは、このメディアの向こう側に「社会」をちゃんと見ることができたでしょうか。

英語を学ぶ、数学を学ぶということであれば、誰でもそれなりに理由や意義を説明できます。社会科・公民科はどうでしょうか。「受験で使う」以外のリアルな意味をもっているでしょうか。「おとなになってから役立つ」と信じている人は多いみたいですけれど、公民の内容なんて10年も経てばだいぶ変わってしまいます。長く生きているあいだに内容は相当に陳腐化します。本当に「役立つ」と思いますか? 「歴史よりも役立つ」という人が多いのですけれど、私は個人的に歴史のほうがはるかに役立つ、というか丈夫で耐用年数が長いと思っています。

いうまでもなく今回はなかなか凝った仕掛けになっています。公民の授業で公民の先生(古賀)が生徒に「公民って意味あった?」と訊ねているわけです。「いや、さっぱり」という声が多数であっても、それはそれでおもしろいので尊重します。こんなふうだったらいいのに、何が足りない、あの部分はよかったな、など、ユーザー側の視点で好き勝手にいってもらって結構です。2022年度から実施される新しい学習指導要領のコンセプトの一つに「教科等を学ぶ意義等」というのがあります。「等」が2回も入っているのが煩わしいですが、みなさんは教科等を学ぶ意義等をどのあたりまで共有しているのだろう。私たち社会科・公民科の側は、どこまでそれを共有させられているのだろう。

 

REVIEW 6/18
*文意を変えない範囲で表現や用字法を改める場合があります。レビューを統合したり省略したりすることがあります。

さまざまな種類の発電方法を学びました。いままで知らなかったものもとても多く、「知ったつもり」がいかに多かったのかと実感させられました。

いま原発をほとんど使っていなくて普通に生活できているから、原発は必要ないんじゃないかと思いました。なくて大丈夫なら、リスクを考え、稼働するべきでないと考えます。あとは、他のクリーンな発電方法を推進していくべきだと思います。たとえば水力発電のためにダムを建設して、そこにもともとあった木をバイオマス発電に利用するとか・・・ でもクリーンなエネルギーにしても森林破壊等の環境問題はついてくると思うので難しいですね。あとインターネットの使い方に気をつけようと思いました。もっとクリティカルな目線で情報と接したいです。

私は再生可能エネルギーを主流にして、エネルギーを確保していくべきだと考えます。風力・地熱・火力は有効な発電方法ではあるが、景観維持のため建設困難だとされます。ただ今後の日本のためにもある程度の妥協を強いられるのではないかと思います。太陽光発電は、各家庭やマンションなどの集合住宅、学校や大型ショッピング施設などにも拡大するのが望ましいと思います。バイオマス発電は、本来は食用とされるものが利用される恐れがあると授業中に指摘がありましたが、給食の廃棄物問題の解決策として利用していけばよいのではないかと思います。原子力発電は、リスクが大きいことから反対します。しかし現在問題となっている、既存の原発の処理問題の解決が最優先であると考えました。

再生可能エネルギーが「クリーン」でいい、という話を聞くけれど、実際に増設・新設しているような様子はない。一方でリスクを伴う原子力発電も311以降に再稼働、新設、撤去されるという方針がまとまっているわけでもない。そのような表面上の情報だけで、エネルギー問題を理解していました。今回の授業で私は原発に反対しました。なぜ反対なのかの「なぜ」の根拠を本から得ようと思います。

エネルギー、とくに原子力発電についての考えが乏しかったことに今回気づかされた。しくみの本質を理解する。理解するためにはインターネットを信用しない。賛否両論のあるときには公式サイトだけでなく反対意見も知るために「本」を読むことが大切。本質を知るよう努力する。「メリット・デメリット」「わかりやすくなっている」「広告がついている」これらのサイトは参考にはならない。

原子力発電をめぐる問題をインターネットで解決しようとするなという先生の言葉で、私がいままで考えているようでまったく考えていなかったんだと考えさせられました。福島での事故よりも前に原発のリスクを指摘していた本があったことに驚きました。優等生ぶっていないでもっと批判的になることが、賢い人になる未知の一歩ではないかと、先生の話を聞いて思いました。

今回の課題を2人でやったのですが、「複数メディア」にならないという話をしていました。風力や地熱を複数メディアで調べるのは難しい(長所・短所ともに同じ意見が書かれている)のではないかと考え、インターネット竹にしましたが、バイオマスの短所が出てこなかった時点で文献にあたるべきだったのではと思いました。資料のまとめ方も、分量が多いと思いながらも削るのが難しかったのですが、定義的な部分や協定について簡潔にまとめて、情報の取捨選択ができたらわかりやすかったですし、見やすいとも思いました。

量と割合の関係性が大事で、割合に差があまりなくても分母によっては量に大きな差が開く可能性がある、という話を聞いて、その2つともに目を向けて資料を読み取ることが必要だとわかりました。
複数メディアから情報を得られていなかったので気をつけたい。メリット・デメリットは紙一重だという意味が分かった。

それぞれの発電のしくみはなんとなくしか調べたことがなかったので、根本的な部分を知り、原子力発電の危険性が思っていた以上に大きいことを学びました。メリットとデメリットなど、特徴は紙一重という説明はなるほどと思いました。使用する人や対象、方法によって、そのものがもっている特徴をよいほうにも悪いほうにも捉えられるからです。インターネットの特徴には手軽に調べられる部分がありますが、そのぶん深い情報や信頼できる情報、根本的な部分はなかなか見つかりません。だから時間をかけてでも複数の書籍で探究するという必要性を感じました。

 
(左)夜の、といっても高緯度なので薄明るいストックホルム たぶんこの電力は水力発電(ちなみにH&M本店です)
(右)夜のパリ エトワール凱旋門 たぶんこの電力は原子力発電

 

原子力発電は、処理がやはり現実的でないところがあるので、その方法が見つかるまでは廃炉の方針で進めていくべきだと思いました。天候にしばらく左右されてももちこたえられるくらい大規模な再生可能エネルギーによる発言ができればいちばんいいなと思います。

水力発電でも雇用を創出できるとみんながいっていたが、水力は一度造ってしまえば管理が楽だからあまり大きな雇用の創出にはつながらないのではないかと思った。

原発が主に過疎地に造られ、その電力は都市に供給されている。過疎地は、雇用も創出される、補助金ももらえる、インフラも整備される。住民も満足なのでは?
・・・> (1)「住民」は単数形ではない。(2)小さな町や村では、原発(および関係施設)の招致をめぐって小さなコミュニティが分裂し、ときに親戚どうしでもいがみ合うことがある。そのうち「雇用を生み出してくれる電力さまに反対するとはけしからん」と、村八分や、物言えぬ空気が生まれる。都会の愉快な暮らしを支えるために。(3)原発や関係施設を誘致するのが「民意」「地方自治」だとしてもよいが、いったん事故が起きれば放射性物質は自治体の境界をいとも容易に越える。同意なんかしていない、当然補助金など一銭ももらわない自治体が実際に「避難区域」になってしまった。(4)カネで「満足」させている電力会社や都会の住民の品のなさはイタくないか?

原発=原爆と聞いてぞっとしました。日本は非核の国なのに実質54個も原爆をもっているのだと気づき、自分は正しい情報をまったくもって知らなかったのだと思い知りました。政府は原発の再稼働を進めていますが、誤った情報に騙されず、核反対の強い思いをもちました。
・・・> このページを原発推進派とか、原発にはとくに意見がないけど「政府や与党や経済界に反対するような意見そのものがムカつく」というタイプのおじさんが読んだら、「偏向教師(古賀)が垂れ流す誤った情報にまどわされるな」といってくると思います(笑)。

原発を再稼働しようとする理由の中で、たくさん発電できるということ以外にはどのようなものがあるのですか?
・・・> いろいろいっていますけど、最大のものは「現にあるのだし、まあ安全なのだから使わないともったいないのではないか」ということでしょう。あと2030年で国内のほとんどの原子炉が寿命を迎えるのだけれど、それまでは動かしたいということでしょうね。動かした実績がなければみんなが忘れちゃう、ということもあるかもしれない。

原子力発電について、地理の授業では推進すべき、というか推進しなければ今後世界的な日本の立場、目標達成が厳しいと習ったので、推進派の意見にたくさん触れました。被害を考えれば反対ですし、地理の授業を受けるまでは私も反対派でしたが、動かさなければやっていけないというのも聞いたので複雑です。地方だけ被害を受けるのは不公平だとも思います。

最初私は、半永久的な原発の停止は無理だろうと考えていました。電力供給量、地球温暖化問題への対処という観点からです。しかし今回の授業を受けて、原発の建設・再稼働はしてはならないと思いました。そして、それをおとなも含め多くの人が理解しているはずだと思っています。ではなぜそうしないのか。そこに利益や権力、責任逃れなどいろいろな問題があるからだと思います。そこをいったん取り払って、真剣に向き合わないと、日本と世界の未来はないと思いました。

原子力発電推進・反対双方の論拠については以前、地理の授業でも扱ったため、自分なりに理解しているつもりでいました。しかし今回の授業を受けて、これまでの私はどれだけ表面上の理解歯科できていなかったのかを思い知らされました。いまの社会はとりあえず国の方針に従うという風潮にあるけれど、政府の方針に対して批判的な目をもち、国民一人ひとりが問題に対して明確な意見をもたなければ持続可能な社会はつくり出せないことがわかりました。自分でも明確な意見をもち、微力でも何かしらの行動に移していかなければならないと思いました。

 


開講にあたって

現代社会論という科目名は、実はさほど中身のない、ジョーカー的なタイトルです。文系の学問であればたいていの内容を「現代社会論」と称することができそうだからです。したがって、科目名そのものにはプラスもマイナスも感じないという人が多いのではないでしょうか。しかし留意すべきことが2つあります。(1)現代社会の「現代」には、時間的・空間的な幅があるということです。例年、当科目を受講する人の中には「歴史は好きではないが公民(現代社会)に興味がある」という人が含まれていますが、歴史や地理とかかわらない現代社会などありえないし、常識的には、少なくとも過去50年くらいは視野に入れておかないと「いま」の理解に進めません。歴史が不得意だという人は要注意。(2)仮に「現代」というものの時間幅を最小化し、「いま、まさにこの一瞬」というふうに捉えたとしましょう。その「いま」を十分に理解したとなれば、現代社会論という高3の科目の成績は確保できるでしょうが、その内容は数年も経てば劣化し、陳腐化します。これだけ変化・変動の激しい時代です。真に心得るべきは「いま」の事象ではなく、そのつどの現代社会というものを認識し、思考するための「構え」のほうであるはずです。
公民(現代社会論)を学ぶのは自分が生きていて、これからも生きていく社会のことを知るためではなく、そんなことには関心がなくて、それよりも高校卒業に必要な単位を得るために当科目を受講したというのであれば、「構え」のことは考えなくても結構です。ただ、もったいないですし、学院生がこだわりがちな「学歴」ってたいていは神話のたぐいですし、当科目の成績(点数)は大いに目減りするのでそのつもりで。

さて2021年度は、メディアで学ぶ公共という副題を掲げました。公民の学びで一般的なメディアmediumの複数形mediaで、日本語では「媒体」)といえば、教科書、資料集、参考書、新聞やテレビなどのマス・メディア、そしてインターネット上の種々の記事というところでしょう。この現代社会論などで社会の実相に深く入り込んだことを扱うと、「教科書に書いてあることが絶対に正しいと思っていました」「教科書も正しくないことがあるのだとわかりました」といった反応がしばしばみられます。しかしそれらは誤解や誤認を含みます。教科書の内容は、「絶対に」正しいということはないが、種々のメディアの中ではまあまあ高精度で、正しさの度合いが高いものです。問題は、教科書にも余白や行間があるということを知らずにいることだろうし、そもそも教科書自体をちゃんと読んでいるのか、読み取れているのかが怪しいと私は思います。各教科の中でも、社会・地理歴史・公民はとくに「用語の暗記」=学習という誤った考えになりやすいものであるため、そもそも用語やそれに付随する1行程度の意味というところから一歩も出ないという人が多いのです。それでも点数は取れてしまいますから、社会科が得意だという人ほどこの罠にはまりやすいという問題があります。そして、メディアによって読み方、読み取り方、考え方も異なってきます。「マスコミ(マスゴミ)は適切に伝えない。偏っている」などと信じている人は即刻修正しましょう。そんなふうに信じている人がアクセスするインターネットの情報のほうが、はるかに不正確で不適切、そして偏っているからです。

社会科で扱う「社会」というのは、この、リアルな社会のことです。高校生の学習素材として別の社会が存在するわけではありません。受講生全員が、種々のメディアを持ち寄り、思考や解釈を持ち寄って、この、リアルな社会を捉える切り口のようなものを確認してみようと思います。そしてそのほとんどすべてが、中学校・高等学校の社会科や公民科の内容の「実写版」です。ここで「現代の社会を学ぶ」という見方・考え方そのものを心得ておけば、社会が変わろうと、時代が変わろうと、それなりの構えでそのつどの「社会」に向き合うことができるのではないかと考えます。

もう暗記は不要です。お願いですから絶対に暗記なんてしないでください。もちろん1点にもなりません。当科目では、授業に「参加」することが大前提です。脊髄反射的に発言し、積極的にコミュニケーションするばかりが能ではないし、沈思黙考し熟考してこそ文系の学問ではありますが、さりながら、当科目では「しゃべらない人」には成績がつきませんので、そのつもりで臨んでください。

 


 

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