France/Deutschland sans frontière!!

PART6

 


PART5にもどる

 

17時をまわって、ぼちぼちたそがれてきました。河岸にはライン川クルーズの広告が出ています。コブレンツまで4時間、ボンまで8時間とけっこうな時間を要するようで、ひとり€66とのこと。ローレライなどの景色を眺めながら船旅そのものを楽しむ企画のようです。例の神聖ローマ帝国の歴史などを振り返ると、ライン川に沿った諸侯がドイツ史において果たした役割は非常に大きいものがありますが、それでいてライン川流域全体を支配した勢力というのは最後まで現れませんでした。現在でも上流はスイス、下流はオランダの領域になっていて、ドイツは川上と川下を押さえられた位置にあります。欧州統合によってようやくもろもろの境界が低まったといえます。

 
市街地で歩き食い


大聖堂前に戻り、今度は歩行者専用の商店街をふらふら歩きます。この付近は建物が現代的なのですが、狭い道がぐねぐね無秩序に配されている旧市街の特徴をもっています。けさザールブリュッケンでネクタイを買ったガレリア・カウフホフや、西欧の町ならたいてい見かけるC&Aの大型店舗もあります。夕方の、いちばん活気のある時間帯にさしかかっていますね。街角のスタンドで、ついソーセージ(ドイツ語でWurst €2.70)に手を出してしまいました。夕食前に食べたらお腹いっぱいになるのはわかっているけれど、ドイツの町なか→ソーセージという安直な発想が私の脳内にも固着しています(汗)。ひきつづきふらふら歩きながらかじると、とても美味しいのですが、油断したすきにケチャップがシャツの胸元に落下しました(大汗)。いい齢をしてみっともないことこのうえなく、ぬらしたティッシュで応急処置。あとで部屋に戻ったとき石鹸で洗わないとね。

 
(左)レーマー・パサージュ  (右)レーヴェンホーフ通り


なるほどマインツは、歩行者専用の区画がかなり広く、かつ道が複雑に入り組んでいるので、数日滞在しないと自在には歩けないかもしれません。ただ、どこに行かなければならないというめあてがあるわけではなく、町歩きそのものが目的ですので、いまは流れに任せてふらふら。曇っているためそのうち東西南北の感覚も薄れてきました。地理オンチの人には絶対にわからないだろうけど、われわれ優秀な旅人(大笑)にはナヴィゲーション・マップのようなものが搭載されていて、主観的な景色を見ながら歩いていても客観的な座標に現在地を位置づける別のウィンドウを感知しているのです。そのセンサーが、これだけ入り組んでいると狂ってきますね。ただ、そうした傾向はバスなども盛んに走るグローセ・ブライヒェ通り(Große Bleiche)までで、地図を見るとその西側は道路が整然と縦横に配されています。要するに、宗教都市として出発した中世の町の外側に整った近代の市街地がコーティングされて、現在のマインツが形成されたという経過が反映しているのでしょう。

さて、そのような町の構成ゆえ、このままだとバスにもトラムにも乗らずじまいで終わりそうです。せっかく一日乗車券を買ったことだし、トラムの乗りだめしをしましょう。グローセ・ブライヒェ通りを中央駅の方向に歩いたところに、先ほども通ったミュンスター広場(Münsterplatz)の電停があります。とくに当てがあるわけでもないのでどちらに進んでもよいのだけど、中央駅から遠ざかるほうに乗ろうかな。ほどなく現れた50系統の青い連接車に乗り込みました。刻印機があるわけでもなく、運転士にいえばチケットを買えるかもしれないのですが、このような連接車だと何となく習慣的に後ろの車両を選んでしまいますね。電車はすぐにシラー広場に停車し、そこから先が未知のゾーン。車窓を見て適当なところで降りて引き返せばよいと思っていたら、シラー広場を出発してすぐに胸がときめきました。それまで幅広のゆったりとした、フラットな道路を走っていたのが、狭い急坂をものすごい勢いで登りはじめたのです。これはかなりの急勾配! 粘着運転(歯車などの仕掛けがなく車輪とレールの摩擦だけで走る、通常の鉄道のしくみ)なので「ものすごい勢い」が必要なのかもしれません。二次元のマップを眺めているだけだとこういうアップダウンに気づきませんよね。

 
 
急勾配を駆け上がるトラム(いずれも坂上に向かって走る便)


数駅くらい乗ってみようという予定をたちまち変更し、坂を登りきって最初の電停、アム・ガウトール(Am Gautor)で下車しました。坂上は完全な住宅地のようで、道幅は再び広くなり、しかもトラムは中央の専用軌道を走っています。3年くらい前にプラハを訪れた際、トラムに乗ったら方面を間違えてしまい、急勾配を駆け上がって坂上の住宅街に出たことがありました。構造や景観はよく似ています。ともかくも線路に沿って戻ると、坂への下り口付近でアム・ガウトール通りが2流に分かれ、それぞれが一方通行の細い道になっていました。トラムの線路もそれぞれの道に敷かれているわけですけれど、路肩に乗用車が縦列駐車しているのでトラム1台ぶんくらいの幅しかありません。自動車も当然同じところを走ります。しばらく待っていると、アイボリーホワイトとオレンジの電車が現れ、やはりものすごい勢いで登っていきました。お〜、これこれ! 前述のプラハのほか、フランスのル・アーヴルやブレスト、ポルトガルのリスボンで急坂を登るトラムを体験しています。いずれも、徒歩ですら面倒になりそうなほどの勾配を電車が力強く駆け上がっていました。このレベルの話でいまさら地球環境がどうのというつもりはありませんが、環境負荷や騒音のことを考えても電気で走るトラムというのは町にやさしいような気がします。ミュンスター広場やシラー広場で乗り込んだ人が多かったのもうなずけます。坂上と坂下がまるで別世界のようになっているので、1ヵ月とか3ヵ月のパスをもっていればエレベータ代わりに電車を使うことができるのでしょう。もう一つ、ここの坂(ガウ通り Gaustraße)のおもしろい点は、坂の途中にけっこうな数の商店があるということ。電車をエレベータ代わりにされるばかりでは商売にならない人たちもいるのですね!

ちなみに、マインツ中央駅を出てライン川上流方向をめざすDBの列車は、当然この高台に行く手を阻まれるわけで、中央駅からほどない地点でトンネルに入り、アム・ガウトール通りの東側で姿を現します。その様子も坂上から見ることができました。鉄ちゃんって、要するに線路が見えれば萌える面をもっていて、そこに車両が走っていれば文句なく萌え萌えなのですな。

 
(左)ビスマルク広場電停  (右)ホフヒェン/リストマン停留所


坂を歩いて下り、シラー広場で逆方向のトラムをつかまえて中央駅前を通り過ぎ、ビスマルク広場(Bismarkplatz)という電停で下車。地図を見て、何となくここが交通の要衝のようなところかなと思ったからです。道路が三叉に分かれていて、トラムの線路もそれぞれの方向に分かれていました。バスにも使える万能チケットがあるので、今度は70系統のバスに乗り、再び市街地をめざします。バスは広めの道路が整然と配された「近代」の区画を抜け、ライン川沿いに出て、しばらく川沿いを走りました。これは予想外の経路ですが、景色がよくてうれしいかぎりです。急ににぎやかな町なかに入ったなと思うあたり(ホフヒェン/リストマン停留所 Höfchen / Listmann)で、今度もまた適当に降りてみたら、何のことはない、大聖堂に面したグーテンベルク広場のつづきでした。18時が近づいて、先ほど以上に歩行者が多くなっています。

 夕暮れに赤く輝く大聖堂


そろそろ晩ごはんの会場を物色しながら歩くことにしましょう。まともな飲食店というのはだいたいにおいて表通りよりもそれと直交する道沿いにあるもので、路地を含めてそういうところに目配りしながら歩きます。と、表通り沿いにナチュラル・スーパーすなわち自然食品系のスーパーが見えたので、部屋飲み用のワインを購入。いつもなら赤だけど、ドイツ西部にいることだし、モーゼル川にも近いので、リースリングの白ワインを求めました(€8.99)。何となく自然食品系の白ワインは美味しいような気がする。ついでにペットボトルのミネラルウォーターを買ったら€0.49でしたが、デポジットとして€0.15課金されていました。カラの容器をスーパーに置いてある機械に投入するとコインが戻ってくるしくみで、ドイツは相変わらず徹底しています。裏通りに入って歩いていると、先ほどそばを通り抜けたガレリア・カウフホフの近くに、何とも田舎っぽい構えのレストランがありました。表に掲出してあるメニューを見ると英語も添えてあるので好都合。ま、英語がなければないで、テキトーに頼んでみるおもしろさはあるのですが。

 
 

Stadhaus-Schänkeという名のお店で、中に入ると照明が明るく、すでに多くのお客でにぎわっています。食事している人とパブタイム利用のお客が半々くらいだけど、観光客ふうの人は見当たらないですね。とはいえ、いまこれを書きながらシティ・マップを見返してみたら、広告を兼ねた店舗案内にこの店が載っていました。Home-made german food, English menuとわざわざ記しているところを見ると、それなりに外からのお客さんを当て込んでいるのは確かです。中年女性2人でホールを切り盛りしており、とりあえず生ビールを発注。アウェイな感じはまったくありません。メニューを見ると、シュニッツェルやステーキなどの肉料理がだいたい€10内外で非常に理性的。その中でちょっと高めのカテゴリが、Im PfännchenIn little pans)。肉や野菜をフライパンで焼いて鍋ごと供する(たぶんお皿用のパンがあるのだと思う)タイプの料理だということはこれまでの経験で心得ていました。Stadthausschänkenpfännchenという長い名前の料理は€14.50。ドイツ語は日本語と似て語をくっつけてふくらませるため、どうしても長くなりますね。前半はこの店の名前で、それにpfännchen(フライパン料理)がついているので、看板メニューに違いありません。ちなみに英語ではChief’s special panとやや意訳。料理の解説部分は、Schweinemedaillons mit frischen champongons in Rahmsauce auf Butterspatzle, dazu Salat der Saison / Fried porkloin medaillons with fresh mushrooms in cream sauce with Spätzle and a salad of the seasonとなっています。さすがにここは直訳的でわかりやすい。シュペッツェレ(Spätzle)というのはドイツ風のパスタの一種です。

ビールはフランクフルトで何度も飲んだ(暮れにも飲んだ)Binding。ごくごく普通のピルスナーをごくごく。ややあって「季節のサラダ」が運ばれました。いわゆるシーザーサラダで、レタス、グリーンカール、サニーレタス、タマネギ、トマト、キュウリ、チコリとかそんな内容。左隣のねえさんが、静かに本を読みながら、しかしものすごい勢いで赤ワインの大きなグラスを空けていくのに感心していたら、偶然にやってきたらしい知人と相席して、そこからまた飲み会みたいになっていきました。ほほう。すべてのテーブルが埋まったころ、こちらのテーブルにメインの料理が運ばれました。うんうん、実に郷土料理ぽくていいじゃないですか。大きな豚肉のかたまりが4ピースと、キノコの香りがかなり強いクリームソース、そしてコシという概念とは完全に対極にある土台の麺。シュペッツェレを実際に食べたのはたぶん初めてで、食感はニョッキみたいだな〜。味わい濃厚でなかなか美味しいのだけど、濃厚なだけにだんだん飽きてくるという欠点があります。上ものはともかくシュペッツェレは量を食べられるものではないなあ。さっき変な時間にソーセージ食べていますしね。で、麺の3分の1くらいを残してしまいましたが夕食としては大いに満足。ビールが€3.70、食後のエスプレッソが€2で、込み込み€20.20。東京にいるときには夕食にそれほど予算を使いませんけれど、食費の高いパリから来ているので、かなり安く感じてしまいます。ごちそうさまでした。


本日のディナー:豚腰肉のメダイヨン(切り身肉)、新鮮なキノコのクリームソース、シュペッツェレ添え


この日もよく歩いて疲れたせいか、ジョッキ1杯しか飲んでいないのにけっこうアルコールが回ります。中央駅前まで歩いて戻るのも面倒なので、手近な停留所からバスに乗りました。あるから使うという面はあるにしても、一日乗車券の元を十分に取った感じはします。あとは駅前のキヨスクで瓶ビール(€1.50)を購入してホテルに帰還。実は到着したときからWi-fiの具合がよくありません。アンテナは立つのだけれど、タブレットをレセプションにもっていって指南を受けながらやってみても、そこから先に入れないのです。マダムがITに詳しい感じでもなかったし、面倒なので、もういいですということにしていました。翌24日はマンハイムのホテルを日本から予約してあり、前日のような必要性もありません。タブレットなんぞを持参するようになったのはここ3年くらいのものだけど、いつの間にかこちらも「最近のダメなやつ」並みにIT依存が進んでいるらしく、ないと落ち着きませんね(汗)。中央駅前とあって電波はいろいろ飛んでおり、通信大手のドイツ・テレコムのにつないでみたら24時間€4.95だったのでVISA決済で購入してしまいました。本来は室料に含まれているはずの電波代を別払いというのは何ですが、精神面の健康を5ユーロで買うと思えば高くはありません。で、YouTubeで動画を見ながらビールとワインをがぶがぶ飲んで、この日の活動を終了。24日午前までかかるかなと思っていたマインツ散策ですが、行き残したところがあるわけでもなく、中心部のだいたいの地区は歩いたので、翌朝はチェックアウトしてすぐにマンハイムに移動することにしました。マンハイムこそ見どころが少ない(と複数のドイツ通にいわれていた)都市なので12日ぶんも要らないところだけれど、その東隣の大学都市ハイデルベルクに足を伸ばす余裕ができました。せっかくなので行ってみましょう。


2
24日(水)は朝からいい天気。0階に降りてレセプション横のダイニングでビュッフェスタイルの朝食をいただきます。ここも天井が高くて気品のある造り。料理はごく普通ながら、朝から気分がよくなります。ホテルの中は始終静かに感じたのに、朝食会場はお客がいっぱいで、けっこう稼働率が高いようですね。920分ころチェックアウト。マンハイムまでは1時間前後の距離ですし、東海道本線にあたるDBのメインルート上でもあるので、事前の下調べや予約はなく、切符を買って、来た便に乗ればよいと考えています。DBのチケット売り場はどこも清潔で整っており、感心。順番待ちのカードに記載された番号がコールされたのでカウンターに行くと、ステレオタイプで想像するような「中年のゲルマン系のおばさん」駅員で、ウソみたいに無愛想(笑笑)。ここで笑顔を振りまいてもらう必要もないので、マンハイムまで片道1枚、ただしfor local trainと告げました。高速特急ICEも同区間を走り、もちろん速いのですが、各駅停車でのんびり行きましょうよ。ICE未経験であれば鉄ちゃん魂を発揮して短区間でも利用するでしょうけど、もう何度も乗っていますしね。マンハイムまでの片道は€16

 

マインツ中央駅 各階級の列車がかなりの頻度で出発します


この付近の地図を見てもらうとわかるように、メインルートはライン川に沿ってケルン→コブレンツ→マインツ→ヴォルムス→マンハイム→カールスルーエと進む路線。ただ、ライン川の支流であるマイン川に面して、最大の経済都市フランクフルトがあるため、マインツ→フランクフルト、フランクフルト→マンハイムという路線もあって、縦長の三角形を成しています。新津と新発田、新潟の位置関係みたいなものだと思ってください(新潟にあたるのがフランクフルト)。20102月にやってきたときは、カールスルーエ→マンハイム→フランクフルト→マインツという経路をたどっています。フランクフルトで1泊したためで、わき道に逸れるようなこちらのほうが実際にはメインルートに近いのかもしれませんね。故・種村直樹さんはフランクフルト経由に幻惑されかけて、窓口氏(この「氏」っていう表現が種村さんらしい味わいでした・・・)に「シュトゥットガルトへ行くなら、フランクフルトへ出る必要はありません。マンハイムで乗り換えるほうが早く着けますよ」と指摘され、「どうして大まわりするプランをたててしまったのか反省してみると、ドイツ鉄道のICE運転系統と地形が、しっかり頭にはいっていなかったのだ」と述べておられます(『ユーラシア大陸飲み継ぎ紀行』、徳間文庫、1999年、pp.96-98)。まだ国内旅行一辺倒だった1990年代の私は種村作品をすべて熟読しており、めずらしく海外編だったこの作品も何度も読んでいて、そのおかげで「運転系統と地形が、しっかり頭にはい」ったものと思われます。種村さんが倒れられた2000年代に入って、私自身のフィールドは完全に欧州に移りました。あちこちのローカル線や周遊券までがなくなってしまい、日本国内の鉄道旅行に魅力を感じなくなったタイミングでもありました。

さて私が乗るのは5a番線から952分発のREマンハイム・フリードリヒスフェルト(Mannheim Friedrichsfeld)行き。ホームに降りると反対側の4番線にICEミュンヘン行きが入るところで、スーツケースを携えた乗客たちが到着を待っていました。シュトゥットガルトを通って行くのかなと思って案内表示の経由欄を見たら、フランクフルト→ヴュルツブルク→ニュルンベルク→インゴルシュタット→ミュンヘンと進むらしい。この経路のうちフランクフルト→マインツは前述のように2010年に、ニュルンベルク→フランクフルトは2012年にICEでたどっています。何度もドイツに来ていながら、ビールの本場であるミュンヘンを一度も訪れていないのは遺憾で、そろそろ出向いて本場のヴァイツェンを飲まねば(マルセイユから帰国便の乗り継ぎでミュンヘン空港を利用したことはあり、制限エリア内でヴァイツェンを飲んでいます)。

 
 マンハイム中央駅


ICE
が出たあと、赤い車体のローカル仕様の列車がやってきました。SバーンではなくREなので一応「都市間」という設定ではあるのでしょうけれど、距離や実際の地理的関係からすれば同一都市圏内の移動という感覚に近いです。マインツを出るとしばらくは近郊の住宅地のようなところを走り、そのあと田園風景や工場地帯など、車窓が変わっておもしろい。小さな駅にもすべて停まるタイプの列車のようで、そのつど「ちょっとそこまで」風のおじさんやおばさんが乗り降りしています。旅行とはかけ離れた日常の乗り物ですね。1015分ころヴォルムス(Worms)に停車。10分くらい停まって、その間にREICに抜かれました。地図を見ると、このヴォルムスでフランクフルトからの路線が合流しています。ヴォルムスといえば、教皇と神聖ローマ皇帝のいわゆる叙任権闘争を収拾したヴォルムス協約(1122年)や、ルターの帝国追放を決定した議会の開催(1521年)で、高校の教科書にも見える地名。ルターは議会の決定を待たずに脱出してザクセン選帝侯にかくまわれ、そこで聖書のドイツ語訳を手がけました。神の書としての聖書を記述したことで書きことばとしてのドイツ語が確立されたとか、聖職者による翻訳を待たずに信徒が直接聖書を読むべしという教えに由来して国語教育の充実が図られた、といった文脈で、私の教育史方面の授業ではルターを取り上げています。とすると、教育の面でもヴォルムス議会は「われわれの時代」への入口を示した出来事ということになりますか。11時ちょうどにマンハイム中央駅Mannheim Hbf)着。

バーデン・ヴュルテンベルク州マンハイムMannheim)は、ラインラント・プファルツ州との境に面する都市で、プファルツ選帝侯の城下町。パリ→ナンシーのTGVを手配したついでに、仏独国境付近のどこかの都市からパリまでの帰便も押さえようと考え、行ったことのないところでというくらいの思いつきでマンハイムを出発地に選びました。その関係で、マンハイム市内のホテルを早々に予約しています。前述のように、ドイツ通によればこれといった見どころもないですよということだったのですが、こちらは町歩き派なので見どころの有無はあまり気になりません。ともかく、まずはホテルに直行して荷物を置いてきましょう。いまはグーグルマップがありますので、ホテルを手配する際にも正確な位置を把握することができます。かつてはそれが難しかったので、日本で売られているガイドブックの地図の範囲でしか動けなかったんですよね。IT化ってすばらしい! で、マンハイムの宿は中央駅から1520分くらい歩くことが事前にわかっていました。料金や内容の関係で、駅ちかくを見つけられなかったため、やむをえず離れたところを選択したわけです。あとから思えば、最初に一日乗車券を買ってバスかトラムに乗ればよかったのですね。駅から宿へは徒歩というこのところのパターンに自ら絡め取られていました。

 
(左)マンハイム中央駅  (右)ツーリスト・インフォメーション


かなりの規模の中央駅を背に直進する大通り、カイザーリンク(Kaiserring)を歩きます。後述するように、マンハイムの中心市街地は円形の環状道路(リンク Ring)の内側に、わざとらしいくらい人工的なかたちでしつらえられていて、カイザーリンクも実はその円弧の一部をなしています。駅のすぐそばにツーリスト・インフォメーションがあったのは思いがけない収穫。昼前という時間帯ゆえか利用者は他にいませんでしたが、シティ・マップはありますかとカウンターで訊ねたら、無料の地図と簡単な解説をくれました。シティ・マップは、ザールブリュッケンやマインツで手にしたような広告つきの小冊子ではなく、コンパクトな折りたたみ式で、こちらのほうがはるかに使い勝手がよい。そして、トラムの線路と電停が地図中にしっかり記載されている上に、裏面にはトラムとバスの路線図も載っているので、きわめて優秀といわなければなりません。日本各地の都市や観光地の行政マンやサービス業に従事する人たちは、世界各地を実際に旅行してみて、どんな案内、どんな地図を提供すれば真に有用なのかという点を学んでほしいと思います。シティ・マップと市内交通のリンクというのは共通する課題のように思うな。地図を受け取り、お礼をいうと、「どちらからおいでになりましたか」と問われました。――アイム・フロム・ジャパン。まあそれ以上広がりようがないですけど、ここを「観光」で訪れる日本人ってどれくらいいるのかな。

 
(左)給水塔  (右)アウグスターンラーゲ通り


カイザーリンクを78分ほど直進すると広々とした区画に出ます。フリードリヒ広場(Friedrichsplatz)という、半円と長方形を組み合わせたやけに幾何学的な空間。町全体が幾何学的なマンハイム市街地の、ここがメインゲートになるようです。そちらの観察は午後に回して、宿へ急ぎましょう。フリードリヒ広場の真ん中にあるのは、高さ60m給水塔Wasserturn)で、これがマンハイムのシンボルになっているらしい。もらったシティ・マップの英語表記によればHistoric Water Towerとのこと。単語だけなら中学生でもわかるけど、この3語で意味を読み取るのはかえって難しいかもしれません。給水塔のところで右折して、アウグスターンラーゲ通りAugstaanlage)という広い道路に入りました。散歩道を兼ねた中央分離帯がかなり広く、その両側に上下2車線ずつ配されているので、空間それ自体が広々として見えます。このあたりも計画都市の流れを受けているのでしょう。ただ、商業地ではないので景観的にはあまりおもしろくない道をひたすら直進することになります。給水塔から10分ほどで、予約したシティ・パートナー・オーガスタ・ホテルCity Partner Augusta Hotel)に着きました。0階にレストランを備えた角地ですね。ホテルの規模のわりにはかわいい感じのレセプションに通って名乗ると、すぐに部屋に入れてくれました。予約サイト経由で、室料1€80.75に別途朝食が€17で、トータル€97.75。この契約では予約時に即決済となっていて室料10811円が引き落とされていますが、朝食代はここであらためて請求という不思議なしくみでした。€17の朝食って経験がないわけじゃないけど、室料に見合わない相場でそれも不思議。カードを使うほどでもないので€20紙幣でおつりをもらいました。

1階の部屋はごく普通の「ビジネスホテル」の仕様。さほど広くはないものの設備は上々です。お茶セット(ティーバッグ、インスタント・コーヒー、湯沸しポット)も備えられていますね。ご自身も欧州通でしばしば旅行されている同僚のT先生は、パリのけっこう高めのホテルに泊まった折にお茶セットがなかった、デスクに頼んだら有料だったと不満を述べておられました。どういう基準になっているのかよく知りませんが、たしかにフランスのホテルでお茶セットに出会う機会はほとんどなく、英国やドイツでは安い宿でも一般的のような気がします。私自身は、日本国内も含めてこの手のお茶を口にすることはめったにないんですけどね。


 
シティ・パートナー・オーガスタ・ホテル


少しだけ休憩し、正午をすぎたころに出発。インフォメでもらったシティ・マップを見ると、ホテルが面しているアウグスターンラーゲ通りから南に2ブロック進んだところにトラムの電停があって、東西方向を結んでいるようです。マインツと違ってこちらではめいっぱいトラムを利用するつもりだから、その初手ということにしましょう。オットー・ベック通り(Otto-Beck Straße)という南北方向の道路もゆとりがあり、団地のようなところを気持ちよく抜けていくことができます。いや、なかなかよくできた上品な町ではないですか。トラムの線路が敷かれた道路は、アウグスターンラーゲ通りと並行するゼッケンハイマー通り(Seckenheimerstraße)。こちらはゆるやかな曲線も含み、両側に各種商店の並んだよくある道のようです。「つくりもの」との対比がおもしろい。おそらく都市計画をおこなった時点で、高級官僚の邸宅やハイクラスのオフィスなどをそちらに集め、庶民階級はその外側に住むようになって、そうした住み分けがこのような町の構造につながっているように思います。電停は簡素ですがちゃんと自動券売機を備えていました。パネルの言語表示を英語に切り替え、一日乗車券(Tages-Karte)を€6.50で購入。次に来る6系統は中央駅には入らないので、カイザーリンクとの交差点に面したタッターサル(Tattersall)で降りることにしましょう。

 
 
ペスタロッチシューレ電停からトラム6系統に乗車


それはいいのだけど、電停の名を見てびっくりします。ペスタロッチシューレPestalozzischule)とあるではないですか! すぐそばに「ペスタロッチ学校」があるためにこの停留所名になっているのですが、最寄りの電停が偶然に尊敬する偉人の名を冠したところというのは、ちょっと感激だな〜。ペスタロッチはフランス革命〜ナポレオン時代のスイスで活躍した教育者で、貧しい家庭の子どもや戦災などで親を失った子どもを集めて集団教育を施し、現代の学校教育へとつながる教育思想を打ち立てた人物。教育学を学びはじめた20歳のころは、この人の清貧さや誠実さがどうにもうさんくさく見えてしまっていて、リアルにその偉大さがわかるようになったのは、私自身が先生と呼ばれる立場になってからかなり経過したあとのことです。現場での苦闘を経てからあらためて読むと、ペスタロッチ先生はすごすぎます。

ドアのそばにある機械で刻印して車内に入ると、欧州各都市でよく見かけるタイプの5両連接車でした。短い車両をヘビのおもちゃみたいにつなげ、カーブを曲がりやすくしているのですね。昼過ぎの時間帯ながら座席はほぼ埋まっており、けっこう流動とか移動のニーズがあるのでしょう。2つ目の電停がタッターサルで、中央駅へ歩いてもいいのだけど、すぐに1系統が来たので乗り換えてさらに1駅利用しました。

 

PART7につづく

この作品(文と写真)の著作権は 古賀 毅 に帰属します。