最初の訪問地にナンシーを選んだのは、TGVでパリから直行できて、かつ仏独国境付近の主要都市で未訪なのがここだったから、というくらいの理由でした。別の都市に行けば別の発見や驚きがあるに違いないのですが、何かのお導きでTVRなるものを体験できてうれしい。2日目をどうしようと思案したものの、面倒なのとその時々の感覚を優先したいのとで、訪問地を決めていませんでした。パリへの帰便は2月25日午後にマンハイムを出る列車なので、あと2泊ぶんあちこち回ってマンハイムに到達するような候補地はどこかな。先ほどホテルで休憩していたとき地図と『ヨーロッパ鉄道時刻表』(旧トーマス・クック)を見ながらしばし思案しました。列車移動が片道2時間以内というふうに考えると、ミュルーズ(フランス)、バーゼル(スイス)、ルクセンブルク(ルクセンブルク)、トリーア、ザールブリュッケン、ハイデルベルク、カールスルーエ(いずれもドイツ)といったあたりになります。ライン川沿いは日本の東海道本線にあたるメインルートなので鉄道での移動がラクで、どうしてもそのあたりになりますね。このうち未訪なのはミュルーズ、トリーア、ザールブリュッケン、ハイデルベルク。ミュルーズはスイス領のバーゼル、ドイツ領のフライブルクと空港を共有するユニークな都市ですが、そのうちのバーゼルを1年半前に訪れていますし、スイスフランの財布をもってきていない。何となくザールブリュッケンが気になって、そこに向かうことにしました。この場合、SNCF(フランス国鉄)、DB(ドイツ鉄道)いずれのサイトでもいいのだけど、いまはフランス領内にいるので前者を利用して、ナンシーからザールブリュッケンまでの便を検索すると、メスで1回乗り換えて2時間8分といういい具合になっています。欧州の列車は当日券の場合でも経路や種別などにより運賃・料金が変動しますので、ネットで検索したものを手書きのメモにしておきました。これを窓口に見せて、「こういう経路で行きます」と明確に告げるわけですね。
ナンシー駅で翌日の切符を購入
券面上部のEn France, à composter avant l’accès
du trainは「フランス国内では乗車前に(改札機で)刻印すること」
17時30分ころナンシー駅に戻りました。0階というか地平面に、ホール、切符売り場、待合室、各種の売店やショップがすべて集まっていて大きくはないけどそれなりに機能的な駅です。さっそく切符売り場に並びました。かつてSNCF駅の多くは、売り手と買い手のあいだにアクリルの仕切り板がある「刑務所の面会」型だったのですが、いまはドイツなどと同じようにオープンなものが多くなりました。日本の国鉄→JRもおおむねそんな変化を経験しています。そういえばパリ市内のRER(高速郊外鉄道網)やメトロなどはいまだに刑務所タイプですね。防犯上の問題なのでしょうか。15分くらいかかって私の番になります。前の老夫婦がああでもないこうでもないと質問を繰り返して1つのカウンターを独占していたため、時間を要しました。欧州ではしばしばあることです。メモを見せるとたちどころに了解され、片道切符が発券されました。€25.50と、なぜかネット検索の結果より€0.10安かった。もしかするとネット経由は予約手数料を含んでいるのかな? 欧州共通仕様の、やや厚めの紙に印刷された切符ではありますが、備考欄に「越境地点」(point frontière)としてフォルバック(Forbach)と記載があります。経由地(via)でも同じようなものだろうに、国境が重要なのですかね。おそらくは鉄道会社が2社にまたがるので精算上、必要だということでしょう。
さて晩ごはん。お昼にけっこうどっしり食べたので簡素なものと思わぬでもありませんが、けっこう空腹にもなっているので、お持ち帰りではなくレストランでしっかり食べよう。多少じぐざぐしながらいったんスタニスラス広場に出て、例のマレショー通りとかその周辺でそれらしいところをのぞくのだけど、ピンと来ないなあ。駅から広場まで普通に歩いても15分くらいはかかるので、今日はそのあいだを何度も行き来していることになり、思いのほかハードです。結局駅に戻ってきて、駅前食堂ふうのパブとかステーキ屋さんをのぞいてみても、どうもぱっとしない。これは飲食店にご縁がないから駅の売店でサンドイッチでも買って帰るかなと思いかけて、1軒のレストランを思い出しました。マジノー電停でTVRを降りたとき、目の前にけっこう品のある店があって、場合によっては夜の候補だなと脳内にブックマークをつけておいたんだった。
黄昏のスタニスラス広場 ひさしのある左の建物が昼に食事した店です(例の教科書の挿絵にもある!)
Robe des Champsという名の店は、いうなれば駅前食堂に近い場所なので観光レストランなのかもしれないけれど、お昼のこともあるし、それはそれでよいでしょう。外に掲出してあるメニューをのぞくと、あまりなじみのない料理名ばかり。郷土料理店とみました。ドアを押すと奥行きがけっこうあり、店員さんも5、6人見えます。店内中ほどの一段高い席に案内されました。「ご注文はお決まりになりましたか」と訊ねられ、疲労のためか不勉強ゆえか、ちょっと待ってください(un moment, s’il vous plâit)というほどの表現が出てこなくてまごまご。初心者みたいで面目ありません。メニューにはシュークルートとかブフ・ブルギニョン(bœuf bourguignon ブルゴーニュ風牛肉の赤ワイン煮込み)といった素朴な料理が並んでいますし、隣席のマダム2人は大きなピザをばくばく召し上がっています。少し離れた席の紳士はパスタ系。大衆的なものなら何でもありそうですけど、boullettes de marieというカテゴリが気になります。この料理名は初めて見たのですが、bouleはボールのことなので、球体関係の何かのような気がする。いつもお守り代わりにリュックに入れておくポケット辞典(『ロワイヤル・ポッシュ仏和・和仏辞典』、旺文社)を引っ張り出して調べると、「小さな玉、紙つぶて、肉だんご」とあります。なるほど紙つぶて、じゃなくてミートボールのことね。その先は散文的に書いてあるのでわかります。「牛肉と豚肉をトマトソースで煮込んだ自家製の肉のboullettes」なんだそうです。だいたいイメージが湧きますね。で、ベーコン(aux lardons)、ニンジン(aux carottes)、小タマネギ(aux petits oignons)の3種から選ぶようになっているので小タマネギを。さらにさらに、単品なら€13のところ、ドリンクつきフォルミュル(略式セット)は€15で、グラスワイン(赤・白・ロゼ)、コカコーラ33cL、ヴィッテル50cL、ペリエ50cL、生ビール25cLから1つ選択。それにデザートまたはチーズのつくコースだと€19です。デザートは要らんのでフォルミュルにしよう。さっそく生ビールのグラスが運ばれ、アテなのかアミューズなのか、自家製の何ちゃら(聞き逃した)ですといってバゲットに塗って食べるタイプのペーストももってきてくれました。ニンニクの風味がしっかり利いていて、後味はカラムーチョみたいな感じ。
ナンシーでのディナー
ややあって料理が運ばれました。そういえばサイドメニュー(accompagnement)をお選びくださいといわれ、フライドポテト、ポテトグラタン、おばあちゃんピューレ(purée
Grand-mère)のうちから最後のを指定しています。おばあちゃんピューレとは初耳だけど、並びから推測するにジャガイモを裏ごししてピューレにしたものに違いありません。それだけで一品の料理としての記載もありました。サイドメニューとはいえドリア1人前くらい入りそうな大きな耐熱皿にたっぷり入っています。料理本体のほうは、大きなミートボールが5つと、小タマネギを含んだたっぷりのトマトソース。半年前にスウェーデンのストックホルムで、名物だというミートボールを食べましたが、あちらはバタークリームソースにベリー系のジャムを混ぜて食べるという、われわれの文化にはちょっと見ないタイプでした。こちらナンシーでは、まあありがちなトマトソースですけれども、香辛料が利いていてかなりスパイシー。辛いの好きだけど超汗っかきなのであとが大変なんですよね〜。でも、オーヴンで表面をかりっと焼いたポテトピューレを混ぜて食べると、なかなかいい味わいになりました。ミートボールにしてもピューレにしても、欧米の料理としてありがちではありますが、いわゆるフランス料理の店で出されることはまずないでしょう。「おばあちゃん」が冠されていることもあり、内陸部の家庭料理という感じです。でも本当に美味しい。これで飲み物込みの€15ならば相当にお値打ちなのではないかしら。食後のカフェ(€1.90)を飲んで仕上げました。ごちそうさま。あとは駅前のカルフール・エクスプレス(大手スーパー系列のコンビニ)で寝酒を購入して帰還。
2月22日(月)はどんより曇り。夜中のうちに雨が降ったらしく路面が濡れています。フランスのホテルは基本的に素泊まりです。ホテルの朝食ってけっこう好きなんだけど、フランスだとコンチネンタル(パンとコーヒーとオレンジジュース)なので、何ユーロも払って食べる気になりません。ザールブリュッケンに向けて乗車すべき列車は、10時49分または11時22分で、メスで乗り継ぐ便は同じ。ですから10時半くらいをめどにゆるゆる散策して戻ってくれば余裕ですね。もう地図を見なくてもだいたいの位置関係はわかります。
ロレーヌ公の宮殿
ロレーヌ大学、カルノー広場、サン・テルヴル教会から旧市街へと、前日歩いたあたりをおさらいしながら進みます。ペピニエール公園から戻ってくる際にささっと通り抜けてしまったパレ・デュカル(Palais Ducal)とそこへのアプローチであるカリエール広場を見ることにしましょう。デュカルというの公(duc)の形容詞なので「ロレーヌ公の宮殿」という意味です。現在は美術館になっています。スタニスラス公よりもはるかに古く、16世紀初めに建てられたルネサンス様式の立派な建物。何となく門司港駅を思い出します(あちらはネオ・ルネサンス様式)。16世紀初めということは、まだロレーヌ公国にフランスの支配が及ぶ前のこと。ルイ14世あたりからこの地への侵略を繰り返し、神聖ローマ皇帝を世襲するハプスブルク家とたびたび衝突しました。18世紀後半に、ポーランド継承戦争の戦後処理の過程でフランス領が確定したという話は前述しました。
世界遺産の広場に出てスタニスラス公にお別れのあいさつをしてから、TVRの1本レールをまたいで、新市街に移りました。サン・ニコラ通り(Rue Saint- Nicolas)は、小さなパン屋さんや八百屋さんなどがぽつぽつある、軽めの商店街。まだ朝早いのでさほどの人はありません。どことも同じように中高年が新聞を読みながらカフェに座っている光景がみられます。新市街といってもこの一隅はわりに古い時点で拡張されたエリアのようです。その証拠に、町の内外を区切るのであろうサン・ニコラ門(Porte Saint- Nicolas)というアーチが南のほうに見えました。
新市街 (左)サン・ニコラ通り (右)サン・ディジエ通り
その門があるサン・ディジエ通り(Rue
Saint Dizier)はオフィス街のような雰囲気でした。道路の上空に1レーンぶんの架線が張られているので、もしかするとトロリーバスが走るのかもしれない。あとで調べると、TVRの始末を含めてあれこれ可能性が模索されており、廃止されたトロリーバスのインフラも保全されているようです。トロリーバスは地上設備が簡易で済むため、環境負荷のことを考えてもありえない選択肢ではないように思います。リヨンやベルンでは大活躍している姿を見ました。
途中で折れて駅のほうに進むとサン・セバスチアン商業センター(Centre
commercial Saint-Sébastien)というショッピングセンターがありました。まだ9時になったばかりなので開店まもない感じ。中の様子だけ見学するかなと思って入ってみたら、すぐに大柄のガードマン3人に囲まれ、荷物検査されました。大規模なテロ事件が起こってまだ3ヵ月ですので、パリでも地方でもこのような場所での警戒は緩められていませんね。もとよりやましいものは入っていませんけれど、いつも思うのは、あの程度のチェックで本当に大丈夫なのかなということ。「ちゃんとやっていますよ」という一般向けのアピールと、「いつでも本気でやるからな」というテロリスト側へのメッセージの両方が含まれているのでしょう。ビルを一回りしても当然おもしろいものはなく、ガードマンのいるそばのブリオッシュ・ドレ(全国チェーンのパン屋さん系ファストフード)に入って、クロワッサンとカフェ・クレムで遅めの朝食(Formule petit-déjeuner: €3)。昨日の朝もパリ東駅でこれと同じセットでした。すぐ近くにタチ(Tati)の店舗があったのは意外。パリのモンマルトルに、それこそ御徒町の多慶屋か蒲田のユザワヤかというくらいに集中出店している激安ショップで、ありえないくらい安くてチャチい(笑)。日本のヒャッキンみたいなユーロショップ(全品€1)もあちこちにできてきて、それなりの品揃えなのに、タチは何で勝負するのだろう?
ゆっくり歩いて10時ちょっと前にホテルに戻りました。前述したように、メス発の列車に乗り継ぐには2つの選択肢があります。乗り換え時間を短くするなら11時22分発のルクセンブルク行きがありますが、もう1本前に10時49分発のメス行きもあります。今回はナンシーを十分に堪能できたのでメス行きで出発することにしましょう。発車は1番線、つまりコンコースと地続きのホームなので待合スペースで待っていたのだけど、10分前になっても車両が現れません。おやと思ってホームに出てみたら、ずいぶん端のほうに2両編成のカワイイ電車が止まっていました。カッコいい女性車掌にメス行きであることを確認して乗り込みます。乗車率は4分の1ほど。
列車は各駅に停まりながらトコトコ走ります。TGVで来たときと同じ線路を引き返しているのだけど、景色が違って見えるような錯覚に陥ります。しかし本物のローカル列車で、停まる駅がいちいち田舎。周遊券などを手にして日本各地のローカル列車を乗り回していたころを思い出すな〜。女性車掌は検札、ドアの開閉、車内アナウンスと大忙し。アナウンスのたびにメダム・メッシュ(Mesdames, messieurs 英訳するとLadies and Gentlemen)と呼びかけるのは、関西私鉄の一部で「みなさん」と冒頭につけるようなもので、すがすがしいですね。東西方向に走るLGVとの「インターチェンジ」を通り過ぎて、またしばらくトコトコ走り、11時52分ころメス・ヴィル駅(Gare Metz Ville)に到着。あとで時刻表を見ると49分着予定なのですが、いずれにしても所要1時間とはかなりの鈍足で、11時22分発のルクセンブルク行きで追いかけても11時58分着でほとんど変わりません。まあ列車に乗っていれば退屈しない人なので、それはどちらでも。
メスはロレーヌ北部の中心都市で、2007年2月に訪れて名物のキッシュ・ロレーヌを食べました。そのときは駅前のホテルに宿泊しています。いまと違ってレストラン頻度が高くなかった時期なので、その夜は駅構内の簡易カフェでクロック・ムッシュか何か食べて済ませたのを記憶します。天井の高いコンコースに立って周囲を見渡すと、ここだったなと思う店がありました。多少うろうろしたものの他に何かがあるわけでもないので、7年ぶりのその駅カフェでツナのサンドイッチ(€4.60)を購入。正午を回ったことだし車内で食べるかね。
メス・ヴィル駅
SNCFのルールで発車番線が発表されるのは20分前。そこであらためて出発便が表示されたボードを見ると、8番線なのはいいとしてretard 5 minとあります。ルタールというのは「遅れ」で、初めてフランス語を教わったN先生(フランス人の女性)が遅刻した学生に「あなたはなぜ遅刻しましたか!」と毎度のようにretardを叫んでおられたのを思い出します。という話じゃなくて、こういう遅れ情報というのがアテにならないのがフランス界隈なので要注意。遅れ幅が信じられないくらい長くなったり、逆に定刻どおりに戻ったり、ホームが変更されたり、便そのものが消滅したり、そこにまともな情報が開示されなかったりするのが当たり前です。ともかくホームに行っておけば、同じ便を利用するお客の様子を見られるのでそうしましょう。ホームの発車案内、自動アナウンスとも5分遅れを告げています。少し寒いのでホームの待合室に入って、家族連れのスペースを少し空けてもらい、そこに座ってサンドイッチをかじりはじめたとき、ホームの人たちが動き出しました。何か予告されたのかもしれないと思って食事を中断し、表に出てみると、赤い車両が入線するところでした。これは1年前にカンペールからブレストに向かった際に乗ったのと同じ型のディーゼルカー(ただし前回は単行=1両編成だったのですが今回は2両)。車内の電光表示を見ても間違いなくフォルバック行きで、これが定刻どおりに発車しました(笑)。
TGV(パリ〜フランクフルト)も走る電化区間なのにディーゼルカーを走らせているのは、そのほうが結果的にコストがかからないためです。列車運行頻度の低い区間ではしばしばそうなります。フランスやドイツの鉄道は交流電化で、変圧所などの地上設備があまり要らない反面で車両あたりのコストがかなり割高になるため、ローカル列車に電車ばかり充てるわけにはいかないのかもしれません。法律で直流電化を認められていない茨城県南部では、つくばエクスプレスこそ守谷以北の交流電化を実施しましたが、直流・交流区間を直通するハイコストの車両は限定して、あとは守谷どまりの直流専用車を多く走らせています。JR常磐線の取手以南・以北の事情も同じ。そこまで財力のない関東鉄道は、通勤客がかなり多いはずの常総線や竜ヶ崎線でいまもディーゼルカーを走らせていますね。それと、メスまでの線路とは明らかに違うことがあります。いま乗っている列車は複線の右側を走行しています。英国やアイルランドは日本と同じで(というか日本が英国式を採用した)道路も鉄道も左側通行、フランスやベネルクスは、道路は右側ですが鉄道は左側通行です。ドイツは両方とも右。オランドが左でメルケルが右という意味ではないよ(笑)。メスからフォルバックまではフランス国鉄SNCFの路線なのに右側。アルザスでも事情は同じで、要はドイツ領だった時期に鉄道が整備された関係で、いまもそのシステムが維持されているのです。
フランスにしては起伏があっておもしろい車窓を眺めながら、サンドイッチを少しずつかじります。三角形の食パンを用いる英国式に対して、フランスのサンドイッチは小型バゲットを切り開いて具をはさむスタイルで、美味しいけど咀嚼するのがけっこう大変。30歳を過ぎたばかりのころはこれが好きでばくばく食べていましたが、最近は面倒になってきて買うことが少なくなりました。何万円もする歯をかぶせて1年半がかりの奥歯の工事がようやく完了したばかりなので、咀嚼の調子自体は絶好調です。真夏のスイスで発症したときの激痛と情けなさを思い出すなあ。最近先生は「古賀さんまた欧州にいらっしゃるだろうから、そこから逆算して治療のスケジュール組みましょうね」と気遣って?くれます。
フランス最後の駅 フォルバック
ディーゼルカーは農村やプチ森林を1時間近く走り、13時13分にフォルバックに到着しました。このあと21分発の列車に乗り換えてザールブリュッケンに向かいます。TGVは直通しますが、ローカル列車は国境(または鉄道会社の境)で乗り換えということなのでしょう。といっても構内に止まっている車両は他になく、コンコースに入って発車案内を見ると、いま降りた1番線から出るというふうになっています。ホーム上にいた駅員さんに聞くと、「ザールブリュッケン? この列車にお乗りください」と目の前の車両を指差します。なるほど、実態は直通なのだけど建前上は2つの異なる便ということになっているのね。最近はよく知りませんが、かつて日本のローカル線でもそういう現象がしばしばありました。そういうことなら「ザールブリュッケンにおいでの方はこのままご乗車ください」と案内すればよいのにと思って、あらためてよく見ると、メスからここまで来た2両編成の後ろの車両が切り離されています。私が乗ってきたのは後ろだったので、初めから前に乗っていれば「このまま」となっていたのかもしれませんね。
どういうわけかホームで駅員や車掌が緊張した表情で話し合っています。何かトラブルでも起きたのかと思ううち、3分遅れで出発。何だったんでしょうね。フランスから来た車両は、なぜか3分の遅れを吸収する快走で、ドイツの平原を横切っていきます。13時30分にザールブリュッケン中央駅(Saarbrücken Hbf)着。まさかロレーヌがドイツ領だった時代に「フランスくずれの土地から来る列車なんてそこで十分だ」と意地悪された名残とかではないだろうけれど、長いプラットフォームのずいぶん端のほうに切り欠きがあり、そこに1両だけのディーゼルカーが停まりました。キャリーバッグをごろごろ引いて出口に向かいます。
ザールブリュッケンHbf
ザールブリュッケン(Saarbrücken)はザールラント州(Saarland)の州都で、人口約17万人。ドイツ連邦共和国(Bundesrepublik Deutschland)は16の州(land)から構成される連邦国家で、内政面で州政府の権限が非常に大きな分権国家の典型でもあります。17州のうち3つはベルリン、ハンブルク、ブレーメンの都市州で、それ以外ではこのザールラントが最小面積となります。人口ならベルリン、ハンブルクにもはるか及ばず下から2番目。日本で生活していてもあまり耳にすることのない地域ではあります。ただ現代史に詳しい人ならば、アルザス・ロレーヌとは逆の意味でこの地域の事情をご存じのはず。第二次大戦後、ザールラントはドイツ連邦共和国(当時は「西ドイツ」)から切り離されて、フランスのザール保護領(le Protectorat de Sarre)となりました。欧州屈指の炭田があるため、戦後処理にまぎれてフランスがこの地域をねらったのです。実は第一次大戦後にも同じことがあり、ヴェルサイユ条約ののち1920年に国際連盟管理下のザール盆地地域(Le territoire du Bassin de la Sarre)として実質的にフランスの影響下に置かれました。しかしナチス政権はその奪回を公然とかかげ、1935年に住民投票での「圧勝」をもとにこれを第三帝国に統合しています。2度目こそ統治を永続させて既成事実化を図ろう、ドイツは敗戦の責めを負った上に分断国家で弱体化しているからいまのうちに・・・
と考えたのでしょうけれど、当のフランスも相当に弱っていた時期にあたります。戦後10年となる1955年にまた住民投票が実施され、ザールの独立国家化と西ドイツへの統合が問われた結果、またまた統合が選ばれました。1957年1月1日以降、この地はドイツ連邦共和国を構成するザールラント州になったのです。
今回の主題にかかわることなので脱線を承知で付け加えますと、その1957年は欧州経済共同体(EEC)が発足した年でもあります。1952年にできた欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)、欧州原子力共同体(EURATOM)とEECが出そろい、1967年には3機関の事務局を統合して欧州共同体(EC)へと発展しました。現在の欧州連合(European Union: EU)の前身にほかなりません。欧州統合の原点は、冷戦勃発に伴う欧州の東西分断という状況を背景に、70年のあいだに3度の戦争を繰り返し殺し合ってきたフランスとドイツを二度と争わせないための枠組の構築にあったのです。石炭・鉄鋼という基幹資源を奪い合うのではなく共同運用し、未来のエネルギーとされており軍事転用も可能な原子力をも主権国家の枠を越えた共同管理をめざす。キレイゴトを取り去っていうと、ドイツが分断され弱体化したどさくさに便乗してフランスが押しつけた枠組という面は否定できないのですが、小国が連携して共同体を形成するという経験を先んじてしていたベネルクス(ベルギー・オランダ・ルクセンブルク)をコアに据えることで、2国間ではなく多国間にてそうした理念を共有できたのは大きな進歩でした。フランスの便乗的策略は、フランス自身の弱体化によって果たせませんでした。ベトナム独立が争われたインドシナ戦争の敗北(1954年)が決定的なダメージとなります。1国ではもはやどうにもならない、西欧を運命共同体として建てなおし、その主導権をにぎることでフランスの地位を回復させようという路線へと修正されていったのです。
B&Bホテル・ザールブリュッケンHbf 枕元にICEの絵が描かれているのが萌える(笑)
さてザールブリュッケンでの宿は、昨夜予約サイト経由で、中央駅北口を出てすぐのB&Bホテル・ザールブリュッケンHbf(B&B Hotel Saarbrücken- Hbf)を€59で押さえました。B&Bホテルというのは欧州各地に展開するビジネスホテルのチェーンで、知らなかったのだけど本拠はフランスのブルターニュらしい。前夜の宿と同じように駅前ホテルを取りました。駅と中心市街地が離れているようなとき、どちらにするか迷うのですが、今回は連日鉄道での移動を考えているので、基本的に駅前がよいと判断しています。ただしザールブリュッケン中央駅は南口が表、つまり市街地方面への出口で、ホテルのある北口はひっそりとした裏口です。エントランスを入るとすぐにレセプションがあり、カードで事前決済。キーではなく6桁の数字が書かれたカードを渡され、「ドア横にある文字盤にこの数字を入力してください。絶対になくされませんように」とのことです。念のためメモ帳にも控えておきましょう。ここも簡素ながらしっかりとした部屋で、料金に照らしてもまったく文句ありません。――と思ったのですが、タブレットを取り出したら問題点が見つかりました。いまどきWi-fiはデフォルトなのだけど、ここの接続方法は、指定されたパスワードではなく自分の携帯電話の番号を入力して、そこにショートメールでパスワードを送ってもらうという二度手間方式なのです。携帯電話をローミングしてもってきたことがないし、タブレットがあればだいたいの用を果たせるので最近ではもう面倒になって自宅から持ち出すこともなくなりました(「携帯」していないわけね)。「携帯のEメール」ならば転送設定しているので受信できるけど、Cメールなんて無理だし、それこそ地震警報が鳴るくらいだもんなあ。何年か前までタブレットすら持参しなかったのだからネットサーフィンなんて一晩しなくても問題はないし、変なお仕事の情報を知らずに済むので健康にもいいのだけど、問題は明日の旅程と宿泊先の調査に支障が出ることです。まあ、そういうしくみなら仕方ないので、駅構内とか公共施設で無料Wi-fiのあるところを探すことにしましょう。
駅構内を通り抜けて南口に出ます。日本の鉄道と違って改札がありませんので通路代わりに使えます。コンコースで試してみると、Wi-fiのアンテナは立つようだけどどう接続してよいかわからないものばかりなので断念。JRグループは大きな駅の構内でやっており、東京駅の新幹線付近など東日本と東海のが入り混じって両方使えます。英語版がデフォルトで起動するような気もします(私だけ?)。ひところ遅れが指摘されていた日本のWi-fi環境は外国人観光客の激増に伴いかなり改善されつつあるようですけれど、無料通信はいろいろな問題も起こしますので、そのあたりの整備が大変でしょうね。ところで「地球の歩き方」のザールブリュッケンの項はわずか1ページで地図なし。駅前から目抜き通りが伸びているという情報が書いてあるので見てみると、なるほどトラムの駅を越えたところからかなり幅広の歩行者専用道(ライヒス通り Reichesstraße)が伸びているのが見えます。地図なし散歩はお手のものなので、まずはこれに沿って進み、きっかけを探すことにしましょう。
(左)DBザールブリュッケン中央駅南口 「ユーロ駅(Eurobahnhof)」と書かれていますね (右)駅前から伸びる歩行者専用の目抜き通り
ヨーロッパ・ギャラリーに無料Wi-fiがあった! 右の表示はフランス語版
と思っていたら、そのライヒス通りの右手にある大きな建物がヨーロッパ・ギャラリー(Europa Galerie)というショッピングセンターでした。SCは大好物だし、欧州の名を冠しているならなおさら見学しておかないとと思って入店。きれいに整った、センスのよさそうなSCですね。ふと足許を見ると、土地柄なのかドイツ語とフランス語で「Wi-fi2時間無料」とあります。ドイツ語だけであったとしても、例のサインとWLAN(ドイツでは一般にこの表記)の文字があれば意味はわかります。そうか、フランス語でgratuitという無料はドイツ語ではgratisなのね。いま14時を回ったころで、この時点で翌日の訪問先を決めてしまうと、今日このあとの行動まで縛ってしまう面があるので本当は避けたいのですが、無料通信できる場所がこの先にあるかどうかわからないので、いまのうちに確定してしまいましょう。こんなところでガイドブックを引っ張り出すのは嫌なので、頭の中にある地図を思い浮かべると、無理なく移動できるところはマインツもしくはマンハイムの界隈ということになります。マンハイムは翌々日に行くことにしています。その東隣の大学都市ハイデルベルクでもいいかな。マンハイム・ハイデルベルクはここから東、マインツだと北東に進むことになります。マインツからさらに40分くらい進むと経済首都フランクフルト・アム・マインに達します。問題はザールブリュッケン→マインツの列車移動が可能かどうか。たしかガイドブックの地図でも細いラインしかなかったなと思い返しつつ、DBのサイトにfromとtoを入力して列車時刻表を出してみたら、1時間に1本以上の直行便があり所要時間は2時間ちょっと。RE(RegionalExpress 都市圏を越えて走る普通列車だが市内では快速運転)、IC(InterCity 欧州共通の規格で在来線特急のこと)、それにICE(InterCityExpress ドイツの新幹線)もTGV(フランスの新幹線)もこの区間を走っていていろいろ選べます。結構な幹線じゃん! これなら今日と同じようにお昼前後に移動して、午後にはマインツを歩けますね。所要2時間なら高額なICEやICに乗る必要はなく、指定不要のREなら直前にだって切符を買えますから、それは後回し。Wi-fiがつながっているあいだにマインツのホテルを探して、予約しましょう。SCの休憩コーナーなのであまり作業に熱中、没頭するわけにもいかず、じっくり検討するゆとりはありません。いつもの予約サイトで中央駅近くの物件をいくつか洗い出し、今回同様に駅のまん前らしいホテルを朝食つき€89でブックしました。都市の規模や位置を考えれば、まずまずの価格でしょう。確定を告げるメールには、“Tsuyoshi, Mainz is near Frankfurt/Main. Planning to
Frankfurt/Main?” と追加検索のお誘いが入っていました。東京・横浜間くらいの感覚なので、一般的にはマインツまで行ったらその足でフランクフルトも、てなことになるでしょうね。でもフランクフルトは54日前に訪れたばかり。もう何度も行っていますので今回は結構でございます。そういえば、ドイツ領内に入ったのに久しぶりな感じがしないな〜と思っていたのだけど、久しぶりじゃないのだから当たり前でした。この10年でドイツやドイツ語圏にはずいぶん足を踏み入れていますし、それと無関係の回でも行き帰りに欧州のハブ、フランクフルト国際空港を利用する機会が多いので(2012年以降だけでつごう9回)、逆にいうとどんだけ好きなのよ、ということになります。
PART4につづく
この作品(文と写真)の著作権は 古賀 毅 に帰属します。
|