Mon deuxième voyage à l’Allemagne
PART 5 カールスルーエ ―交通先進都市を訪ねて―
カールスルーエの繁華街カイザー通り(Kaiserstraße)のそのまた真ん中がマルクトプラッツ(Marktplatz)。マルクト(マーケット 方形)もプラッツ(プラザ 円形)も広場の意味で、ここは広場広場ないし市場広場か? ピラミッドのようなモニュメントを取り巻くように路面のお花屋さんなどが出ています。当然ここも自動車進入禁止区域で、黄色いトラムだけがひっきりなしに往来。車が通らないのはともかく歩行者天国みたいな道路に電車だけ突っ込んでくるというのは危険な感じもするけど、そんなものだと考えられているのか、地元の人たちはけっこうマイペースです。
マルクトプラッツ
その広場の路面にある電停からS4という系統に乗り込みました。駅からホテル前まで乗ったのは「6」系統と数字だけの表示、今度のにはSが付されています。これがSバーン(S-Bahn 近郊鉄道)に直通する系統のサイン。そういう説明を事前に受けていたとか何かで学んだというのではなく、インフォメでもらった路線図を眺めて自分で気づいたのです。鉄道好きの子どもは、乗りテツにしても車両テツにしても、独特のサインに共通項や含意を読み取って整理するのが得意だから、うまく育てればきっと学力も高くなるはずよ。学力の本質は、次元整理とことば(サインのように記号化されたものも含めて)の読み取りと仕分けの能力だもの。と、都合のいい話。
ともかくS4に乗ってみれば、車内は床が少しだけ低めにつくってあり、ストラスブールで乗ったような普通のトラムないしバスのようなしつらえではあるものの、6両編成の本格的なもの。6両つながった電車が、市街地の路面をばんばん走るわけです。LRTとかいう発想が出てくるはるか前、というよりモータリゼーションが進展する前のことですが、日本にも郊外電車が市街地の路面を走る箇所がいくつかありました。京王電鉄京王線の新宿ターミナルは、いまは京王百貨店地下の何とも窮屈な場所にありいつでも人があふれていますが、1960年代までは甲州街道の路面を走って国鉄新宿駅前に乗りつけていました(さらに以前には伊勢丹あたりにまで乗り入れていました)。神戸市内の山陽電鉄も1968年まで路面を走りました。今では福井鉄道福武線が福井市内で路面を走るのがその方式の名残。福武線は高床の郊外電車が市内の道路に入ってくるというのでマニアのわくわくする路線でしたが、コストダウンや乗りやすさを追求して、近年では逆に路面電車仕様の車両を市内限定で導入しています。広島市内の軌道線に直通する郊外の宮島線は、以前は高床の郊外電車を走らせていたのですが、逆にすべて低床の路面電車タイプに統一されました。カールスルーエのS系統に使われる車両は、低床とまではいえないがドアステップが出るようになっていて、ちょっとばかり「よっこらせ」という感覚を伴います。
S4の車内 車両断面は小さいけどちゃんとした「電車」ですよね
電車はカイザー通りを東に進み、クローネンプラッツ(Kronenplatz)から自動車も走る区間になってさらに東へ。カールスルーエは人口25万人ほどの中都市ですから市街地のエリアはさほどでもなく、ほどなく住宅地の広い道路になっていきました。路面のセンターに複線の線路があるのですが、途中から完全に専用軌道(自動車の乗り入れがまったくできない)になっています。道幅にゆとりがあるのと、自動車の通行量がそこまで多くないのが前提なんでしょうね。いつの間にか、がたんがたんという路面電車独特の揺れが減ってスムーズな走りになりました。線路面の造り方が軌道でなく鉄道線の仕様なのかな。
グレーツィンゲン駅
マルクトプラッツから20分くらいで、そのまま路面をまっすぐ進むトラムの路線と分かれ、左へそれました。立体交差で「下の道」に降りるような感覚です。その「下の道」が、別の道路ではなくいわゆる鉄道線、私たちがよく知る「電車の線路」になっていました。到着したドゥーラッハ(KA-Durlach Bahnhof)は、Bahnhof(鉄道の駅)が付されていることからわかるように、郊外鉄道Sバーンの駅。東京人がここだけ見ると、市街地の路面に直通する電車が来るようには見えないね。そこから先は完全に郊外線で、せっかくだから市内限定の切符で乗れるぎりぎりのグレーツィンゲン(Grötzingen Bahnhof)まで乗ってみました。乗客はかなり減っていて車内はがらがらになっています。この駅で降りたのは私のほかに2組くらい。地元在住か、友達が住んでいるか、鉄道マニアでもないかぎり日本人の観光客がやってくることはまずないであろうグレーツィンゲンは、郊外というより田舎の駅でした。西欧の長距離急行などに乗って田舎の駅を窓から見やると、一生行かないんだろうな、でもここに人々の生活があるんだろうな、なんて考えることがあります。そういう駅とスケールや設定は同じ。日常世界そのものなので「世界の車窓から」にすら出られるかどうか。さすがというか、ホームを出たところにバス停があってきちんとした接続時刻表があり、かなり立派な自転車置き場がありました。
ちんちん電車と郊外電車が直通するくらいでどうしてそんなにエキサイトするの?とかいわれそうなので、一応いっておこう。このへんから市街地に出かけるとして、郊外電車でカールスルーエ中央駅まで乗り、ホームの階段を下りて駅前まで歩き、そこからトラムかバスで市内へ、となります。東京ではそれが普通、というより、市街地の部分が地下鉄になるでしょうから、さらに多くの上り下りと乗り換えと徒歩を求められることになります。トラムやバスに比べると、地下鉄は駅間が長いですからね。「もういいや、車で行っちゃえ」というふうになりませんか? 車を運転できない人、とくに高齢者は、都心から足が遠のくのではないでしょうか。中心市街地の商業がダメになっていくのにはそういう背景があります。郊外電車とトラムの直通運転には、人々の行動範囲を変えるくらいのインパクトがあるのです。
ゆとりのあるジャンクション電停
時間はたっぷりあるのでもう1系統くらい試してみよう。S4の上りでいま来た線路を引き返し、もう一度路面の軌道線に戻って、ドゥーラッハ門(Durlacher Tor)という電停まで来ました。ここが市の北東方面に向かう線路との分岐点で、バス停も含めてかなりしっかりとしたジャンクション停留所であることをさっき確認していたのです。あとで述べますが、都市カールスルーエの基本設計は宮殿を中心とした同心円+放射状道路から成っていて、カイザー通りなどはあとからそれを無視するように放射状の部分を横切っています。この電停付近が「外側の円」に面していて、立派な教会もあり、この前後だけ道幅が倍くらいになっている。その真ん中に歩行者用の通路を兼ねたプラットホームがあり、両サイドに電車やバスの停留所が設けられていました。
今度はS2系統に乗車して、やはり切符の使えるぎりぎりの駅、ライチュールシュラーク(Reitschulschlag こんな読み方でいいのかな?)まで行ってみよう。電車は住宅と小工場が集まる地区の道路上を進み、2駅ほどで道路上の専用軌道に入りました。トラム4系統はそのまま道路上を行くようですが、このS2は途中で右にそれて、鉄道線に入りました。
S2系統
貨物列車の通る「鉄道線」に入った電車
先ほどのS4よりも乗客は多くて座席の8割ほどが埋まっています。中高年の乗客が多いのは時間の関係かな。途中で自転車に乗った少女が乗り込んできて、けっこう無遠慮に通路をふさぐので、居合わせた老紳士が何やら叱っていました。こちらは、叱られない程度に立ち上がり、運転席のすぐ後ろの「かぶりつき」に立ち、前方を注視します。路線図や実際の線路の感じから判断すると、いま走っている部分はS2専用ではないかと思う。右側に寄り添う複線の線路はRのサインのついた地域鉄道網。同じ路盤に複線の線路が並行して通っているのですが、鶴見の先あたりでJR東海道線の線路に寄り添って走る京浜急行線みたいに、別格のものをくっつけている感じがしなくもありません。しかしこの電車の走りは本格的で、小さな車体を揺らしながら、力強く前進します。
ライチュールシュラーク駅 見事に「田舎の駅」だ!
やがて線路は勾配を上って地域鉄道をオーバークロスし、田園というか草っぱらの中に降りていきました。そこが市内ゾーンの限界にあたるライチュールシュラーク駅で、まあ見事なまでに何もなく、ちょっと背伸びすれば地平線が見えるんじゃないのというくらいの原っぱ。駅といってもトラムくずれの電車の駅ですから、低いプラットホームが2面あるだけで駅舎も何もございません。北海道に行くとこういう鉄道の駅が多いですよね。午前中の雨がウソのように晴れ上がり、非常に気持ちのよい午後になりました。
右にそれる線路は折り返し運転用の行き止まり側線
ホームのすぐ横から農道が伸びる これ私有地じゃないかな?
初めて来た外国の土地で何もない無人のホームに置いていかれたら不安になりそうだけど、そんな心配が要らないほど電車はフリークエントで、この付近も7分間隔くらいで走っています。よそ者の私たちはカールスルーエの取り組みを「実験」とか表現するのですが、こちらではもう何十年も前からさまざまな施策を積み重ねてきたわけで、地元の人にとってはごく普通のことなのでしょう。いわゆるカールスルーエ・モデルでは、市内交通としてのトラムやバスを運行するKVV(Karlsruher Verkehrsverbund カールスルーエ交通連盟)が、路線を郊外に伸ばそうとする際に、DBの既存の鉄道網に何とか乗り入れられないかと模索したのが画期的でした。線路の幅が同じならいいというものではない。鉄道と軌道(トラム)では、さまざまな規格や信号・運行管理システムが大きく異なります。昔の電車ならいざ知らず、大型化・高速化した現在の郊外電車はなかなかに大物なのです。
鉄道マニアなら誰でも知っていて、素人の人はたぶん知らないことに、鉄道の電化方式には大きく2通り、直流電化と交流電化があります。小学校理科のレベルでいうなら、乾電池が直流、おうちのコンセントから受電するやつが交流。電車は直流モーターで走るのだけど、架線に電気を流す前に変圧して直流電気にしてしまうのが直流電化方式、これだと車両にはシンプルな直流モーターを載せればよく、また電圧も750〜3000Vくらいで低い。他方、交流の電気を架線に流してしまうのが交流電化方式で、車両に変圧装置を載せて、モーターに通す直前に直流化するわけですから、車両の構造がややこしく、また重くなりますが、電流が安定しますし、地上設備にはコストがかかりません。日本では、新幹線がすべて交流25000V、大ざっぱにいって東北・北海道・北陸・九州のJR線が交流20000Vで、それ以外のJR線と大半の私鉄は直流1500Vです。日本の鉄道は直流電化中心で今日まで推移していて、とくに都市部はそう。ただ首都圏でいえば、取手から先の(つまり茨城県内全域の)常磐線、守谷から先の(同)つくばエクスプレス線、JR水戸線のほぼ全線が交流電化。私が通勤に使っている常磐線快速列車には、青いラインのと緑のラインの電車が走っていて、後者は取手止まりなのですが、つまり青いほう(E531系)が交直両用の装備をもった電車というわけ。耳を澄ませていると、常磐線藤代駅とかTX守谷駅の近くで、車内の機械音が一瞬変わる(エアコンが一瞬消えたりもする)のがわかりますが、そこがデッドセクション、つまりは交直流切り替えのための惰性走行部分です。(茨城県内で直流電化が実質的に禁じられているのは、気象庁地磁気観測所の作業に影響を与えるからということだけれど、そこまで来ると物理オンチの私には事情がわからん。関東鉄道常総線が、沿線の宅地化で乗客が増えたのに電化せずディーゼルカーのまま運行しているのも、交流電化にするには費用がかかりすぎるからだといわれています。)西欧の鉄道は英国やベネルクスをのぞいて交流電化が一般的です。
前置きが長くなりましたが、直流電化のトラム(カールスルーエは750V、都電荒川線は600V)が交流のDBなどに乗り入れるためには、車両を大型化、高速対応化するだけでなく、変圧装置を搭載しなくてはならず、初期投資が大変なものになってしまうわけです。おそらくは国や自治体の公的な支援がかなりあったのではないですかね。いまや鉄道線への乗り入れ区間は全長400kmほどにもなるそうで、最高速度100km/hというから本格的です。
高床式の電車は停車時にもう1段のステップを出す
鉄道好きだから、鉄道が何でもいいといっているのではありません。しかし、高度成長期にモータリゼーションの波に巻かれて路面電車を次々に廃止し、さらには一般鉄道まで引っ剥がしていった日本の事情を思うと、環境や高齢化のことを本当に考えたのかといいたくなります。あれだけ批判を浴びながら道路を造りつづけているのに、鉄道にはきわめて冷ややか(田中角栄さんのころにはムダな鉄道路線をずいぶん造り、これが国鉄崩壊へのきっかけの1つにはなったのですが)。自動車産業が日本経済の中核でありつづけるかぎり、そういうことになるんですかね。道路族などという民族を含んでいた自民党はもちろんだけど、自動車総連を有力な背景にもつ民主党だって同根だものなあ(今の直嶋経産相はトヨタ労組の出身だし)。鉄道マニアのあいだでは、同じ趣味人として知られる前原さんが国交相になったので、多少期待されてはいるのですが。
能書きが長くなってしまった! これだから鉄道マニアには社会性がないなんていわれるのだ(笑)。「聖地」を訪れてうれしいもんでね♪
S2系統の上り列車で引き返し、今度はカイザー通りをそのまま西に走り抜けて、ホテルのある欧州広場の1つ先、ミュールブルク門(Mühlburger Tor)で下車してみます。予備知識があるわけではなくて、車窓から見える街の景観がよかったので、思いつきですよ。
ミュールブルク門駅 (左)手前が郊外鉄道線に直通するS系統の車両、向こうが軌道線専用車両 (右)道路上の専用軌道を行くS2系統
ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世 銅像前の楕円形広場をなぞるように、トラムは走る
この駅から西側に、また住宅地がつづいている様子でした。教会があり、広場があって、グリーンベルトや並木もあるため、ずいぶんと緑に恵まれた幹線道路です。街の景観に浮ついたところが感じられないのがいいですね。電停のすぐ東側はカイザープラッツ(Kaiserplatz 皇帝広場)。広場といっても、カイザー通りの上下線が楕円状に広がって、そのあいだに歩行者専用の芝生があるだけなのですが、都市景観としてすばらしい。その名のとおり中心に皇帝ヴィルヘルム1世の騎馬像が建てられていました。ストラスブールの項で述べたとおり、ドイツは多数の領邦国家に分かれていた時代が長いので、いまでも分権的な傾向が強い国です。その地方ごとの歴史的人物も、したがってローカルな存在であることが多く、日本の「世界史」の本などにはなかなか登場しない人の銅像をやたらに見かけます。カールスルーエという都市名からして、バーデン辺境伯カール3世ヴィルヘルム(Markgraf Karl III Wilhelm von Baden-Durlach)なる大名さんに由来していて、ドイツ史に詳しくないし知らないよねえ。明治維新後の日本も同じなのでしょうが、そういう地元志向の強い地域が、さあ帝国をつくりましたのであなたはそこの臣民ですといわれ、従来の殿様の上にさらに偉い皇帝が出現するというのは、どういう気分だったのでしょうか。カイザープラッツに像が堂々と建つヴィルヘルム1世は、いうまでもなくビスマルクに輔導されたプロイセンの国王で、普仏戦争ののちヴェルサイユ宮殿で「ドイツ皇帝」になった人物。この銅像はきわめて近代的な設定であるわけです。
カイザー通りの併用軌道区間をS1系統がゆっくり走る
前述のように、カイザー通りにはほとんどの系統のトラム、S路線が乗り入れているため、黄色い電車がひっきりなしに通ります。福岡の中心街である天神地区で道路を眺めていると、ピンクのラインをまとった西鉄バスがウソみたいにじゃんじゃん行き交いますけど、それに匹敵するくらい。この都市の人口規模を考えれば大変なことで、トラムと鉄道線の乗り入れをおこなってから利用者が何倍かになったと聞きますから、ひとまず大成功というところでしょう。
国土交通大臣に成り代わって交通先進都市の状況を視察した思いでまたトラムに乗り、いったん欧州広場まで戻ってホテルで休憩。出発前、研究室が2つお隣でドイツ文学がご専門の阿部先生に「カールスルーエに行くんですよ〜」といったら、「またマニアックな」と返された。出会って1年弱なのに「また」とは?(笑) しかるに、当地での行動を自分で振り返ってみると、たしかにカタギの観光客ならしないようなことに時間を費やしていて、マニアックなのは認めます。はい。
オイロパプラッツ(欧州広場)駅
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