La tour de l’Allemagne 2012

2012 Winter

 PART9 ニュルンベルク その2


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28日、日本式にいえば御用納めの金曜日です。寒いかなと思ってやってきた暮れのドイツも、雪に降られたベルリン初日をのぞけばそんなこともなく、おおむね東京とあまり変わらぬ感覚で過ごせました。ニュルンベルク中央駅ちかくの安宿でめざめ、7時半ころブレークファスト。帳場そばの、山小屋の食堂みたいなところに通されます。大きなところだとハム、チーズの薄切りと卵料理はビュッフェにあるのだけど、ここはコーヒーとともにめいめい(といっても私ひとり)にサーヴされました。パンやシリアル、果物、各種ジャムなどはご自由にと。サービス内容でいえば€60くらいでもよい感じですが、まあ安いことに文句はいいますまい。この日は14時まで使えるので、帳場に荷物を預けてニュルンベルク散策のつづきに出かけよう。

 
 ホテル・ガルニ・プロストの朝食


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ここニュルンベルクは典型的な城壁都市で、いまでも市街地の周囲を石組みの城壁が取り巻いています。中央駅はそのすぐ外側にあり、昨日お世話になったインフォメーションのあるところが城壁の内外を結ぶ門(ケーニヒ門)でした。中世後期から初期近代にかけて神聖ローマ帝国の帝国都市(皇帝直属で実質的に市民の自治が認められ、諸侯と対等の地位にあった都市)の1つとして繁栄し、ナポレオン侵攻後の19世紀前半にバイエルン王国に編入されます。バイエルンはドイツでは例外的にカトリックが多数派を占める州ですが、ニュルンベルクはプロテスタント優位。のちナチスの拠点の1つになり、第二次大戦では連合国の激しい空爆にさらされ、市街中心部は破壊されました。いまニュルンベルクに行ってみると「ああ歴史的な古い街並でいいなあ」と率直に思うのですが、その大半は戦後に再建されたものです。ポーランドのワルシャワなどもそうですが、歴史の記憶を可能なかぎり再現し、復刻して町を再建したわけです。

 
ニュルンベルクは城壁に囲まれた町 左は中央駅ちかくのケーニヒ門


さてこの日の最初の目的地は、城壁の外側(南側)にある交通博物館Verkehrsmuseum Nürnberg)。何でもドイツ最大の鉄道展示があるそうなのでこれは見たいですね。ドイツ語のVerkehrというのは運輸・交通だけでなく交際というニュアンスも含みます。いろいろな経緯はあったようですが、ここは現在、鉄道を中心とする運輸・交通と、通信・コミュニケーションの2本立ての構成になっていて、前者はドイツ鉄道(DB)のミュージアムということらしい。入場料は共通で€5


 
コミュニケーション博物館の内部  初期の電話から最新のスマートフォンまで・・・


口開け客だったらしく館内はがらんとしています。先にコミュニケーションのほうを見学しました。うーん、おもしろいのはおもしろいけれど、コンセプトに意外性がないというか、夏休みの自由研究みたいな感じでいまいち。親子連れで来れば「パパやママが子どものころはIT化なんかしていなくてこんなだったよ」といった会話が成り立つのでしょうけれど、おとなが考えるほど子どもは「昔の不便な生活」に関心ないもんなあ。

 
ドイツの鉄道興隆期を支えた名車の展示がある  左はルートヴィヒ2世のお召し列車内部


鉄道のほうはさすがに立派でした。炭鉱のトロッコからはじまって鉄道が発展していく200年の歴史を追いながら貴重な現物を見せてくれます。鉄道発祥の地はイングランドですが、19世紀半ばにはビスマルクのもとで鉄道網が急速に整備され、それは産業革命の進展とプロイセンの政治的・軍事的台頭に直結しました。そのビスマルクの乗った貴賓車の展示もあります。「アウシュヴィッツへの片道列車」というのは淡々としているけど重すぎる企画ですね。終戦後の連合国4ヵ国による鉄道政策、東西分断、再統一、そしてご自慢のICEと非常に充実していました。この種の博物館に欠かせない巨大ジオラマもあり、時間はまだなのだけど係のおじさんが特別に見せてくれました。残念なのは説明書きがほとんどドイツ語だけであること。見出しくらいなら字面でどうにかわかるものの、意義とか価値に関するところはやっぱり知りたいですよね。日本の博物館なんて英語のタイトルすら掲げないところもあるし、たとえば18th CenturyとかならまだよいけどEdo Periodなんて外国の方にわかるはずもない無意味な表示をしているところも多いので、普遍性のなさという点では余計にひどいわけですが。11時を過ぎて、親子連れとか高齢者のグループなども大勢入ってきました。

  聖エリザベート教会付近


博物館を出て再び城壁の内側に入り、繁華街をジグザグ、うろうろ。昨日歩いたケーニヒ通りから中央広場につながる縦のゾーンがわりとアダルトな感じだったのに対して、ヨコの道路は渋谷とか原宿のような若者テーストのショッピング街になっています。そのあと市街地を南西側から回り込み、古い住宅地のようなところを通り抜けて、名所の1つであるヘンカーシュテークHenkersteg)に出ました。ヘンカーというのは死刑執行人のことで何とも物騒なネーミングやね。ペグニッツ川の、昨夜歩いたところより少し西側に、屋根つきの何ともおんぼろな橋(歩行者用)が架かっていました。見ていると、観光スポットというより生活路線のようで、ただ向こう岸に用事があるからという感じで人々が渡っていきます。橋のそばにあるのはワインハウスWeinstadel)。三角屋根の不思議な(不気味な)フォルムです。

 
 
(左)ヘンカーシュテーク  (右)ワインハウス


ニュルンベルクの市内には地下鉄が1路線だけ走っているのですが、中心部をかすめて南に去ってしまうような線形のため、今回の用をなしません。城壁の直径が2kmもないくらいですのですべて歩いて回ることができるのは好都合です。ドイツをぐるぐる回ってニュルンベルクにまで来ていながらブンデスリーガに一言も触れないのは、もちろんわざと。ワイルドだろ?(でもないか)

  名物クリマの解体作業中


ここは市街地がぎゅっと集約されているので、お昼前後になってあらゆる層の人たちが集まってきました。クリマのときは非日常で盛り上がるのでしょうが、いま見るところでは日常の豊かさというものが感じられます。欧州の中都市らしさを存分に味わえますので、ホテルのオーナーではないけれど、一度くらい滞在してみてはいかが?

今回の旅行中、朝はドイツ式のもりもり朝食、夜は肉料理で、昼は軽食に徹してきました。今日ももちろんそうするつもりだけど、昨日からあえて残しておいた楽しみがあります。当地の名物ニュルンベルガー・ソーセージNürnberger Bratwurst)。ハーブや香辛料の入った白い焼きソーセージで、ドイツの腸詰め類の中では格段にミニサイズです。見れば誰でも「あああれね」と思い出すよきっと。市内中心部の路上にはこのソーセージを焼いて供する屋台がたくさん出ていましたので、そのうちの1つに声をかけ、3本入り€2.50を購入。丸型のパンにはさんで出してくれます。ケチャップとマスタードは使い放題ながら、肉汁たっぷりのソーセージの味わいだけで十分です。付近を見回すと老若男女みなソーセージを歩き食いしている。気に入ったので、1時間もしないうちに別のお店でもう1セット買ってしまいました。


  
聖ローレンツ教会ちかくの屋台で、名物ニュルンベルガー・ソーセージ


ひきつづき、若者たちであふれるヨコ方向の道を中心に歩いていたら、Thaliaという大型書店がありました。なにぶん知識人のもので(笑)本屋さんは大好物。ただ、肝心のドイツ語をいっさい読めませんので雰囲気を味わう以上のことがないのが残念です。02階の3フロアはジャンルごとの書籍で埋めつくされ、お客もかなり多い。料理の本とかガイドブックの類なら読めるなと思ってうろうろしているうち、はたと気づいて、児童書のコーナーに行ってみました。やはり充実しており、発達段階に応じて多様な子どもの本があるけれど、お、ありました。グリム童話のいろいろなバージョン。ドイツに来る直接のきっかけをつくったMさんもいい子にしていたから、これを1冊プレゼントしよう。大学生になったら時間をかけてどっぷり外語の勉強をして、子どもの本くらいすらすら読めるようになるんだよ。

 市内の大型書店
 グリム・メルヘンとMさん


指導の過程と、できあがった卒論を読んでみて、なるほどと思うところはありました。グリム童話の残忍性とか改竄の傾向などはしばしば指摘されるけれど、それはどちらかといえば「日本の子どもたちは無邪気に童話を読んでいるけど本当はとんでもないんだよ」というような、悪趣味な暴露のように感じられます。より本質的なのは、それらのメルヘン(Märchen)が子どもたちとその背後にいるドイツの民衆に対する啓蒙の書であったという点。だから、脱封建とか近代家族とかいった新たな価値観が練り込まれ、宗教についても近代的な捉えなおしの跡を読み取ることができるのです。縁遠い話かと思ったら、何だ、私がかつてメインフィールドにしていた国民形成の教育そのものじゃないですか。

13時ころホテルに戻って、預けてあった荷物を請け出します。朝食の世話をしてくれたマダムが対応。この方がオーナーの奥さんらしい。「あなたにお会いできてうれしいです。また近いうちにニュルンベルクにおいでくださることを楽しみにしております」と、型どおりというよりは心のこもった言葉をかけてくれました。何日か滞在すればさらにハートフルなやりとりが増えるに違いありません。ひょっとすると、また来るかもね。帳場をあとに例の旧式エレベータに乗ったら、出入りしていた工事関係者らしきおっちゃんがプレートを指さし、「ほら見て。このエレベータ、1958年製造なんだよ。いまどきこんな古いの見たことないだろ」と。1958年といえば東京タワーと同年齢で、「西ドイツ」はアデナウアー政権の末期ですね。

 中央駅構内のスタンドで「生」
  ニュルンベルク中央駅


中央駅もまた大勢の人で賑わっていました。欧州のターミナル駅にはたいていのものが揃いますので重宝します。フードコートの一隅にやはりビアスタンドがあったので、ドラフト・ビアを1杯(€3.10)。生ビールのタンクを何個もかついで業者の兄さんたちが出入りするのを眺めながら、美味しくいただきました。

 いよいよ最後のICEでフランクフルトへ!


PART10 につづく

 

この作品(文と写真)の著作権は 古賀 毅 に帰属します。