カレル橋を西から東に渡りきるとヴルタヴァ川右岸の旧市街。だいたいの位置関係とか町の構造は頭に入っていますし、具体的な目的地があるわけではないし、欧州の旧市街は道路が複雑に入り組んでいてどうせ方向感覚が狂うのだしというので、地図をかえりみることもなく人の流れに乗ってぶらぶら。ただ雨脚がかなり強くなってきていて、気温も下がりはじめました。ただでさえ人であふれているところに色とりどりの傘が花開いて、見通しが利かずその点は嫌だなあ。石畳の旧市街は趣があるものの、私にいわせると観光地然としすぎていてピンと来ません。ハイシーズンの京都に来たみたいな感覚になってきました。どこかのカフェでしばし小休止して雨宿りするかと思ったものの、どことも観光客で満員。
雨のカレル橋
雨のプラハ旧市街
どの道を歩いたものかいま地図を読みなおしても定かでないのですが、ぐねぐね歩いて、旧市街広場(Staroměstské náměstí)に出てきました。立派な旧市庁舎、2本の立派な尖塔をもつティーン聖母教会(Kostel Matky Boží před Týnem)など渋い建築物が周囲にあります。「早すぎた宗教改革者」ヤン・フスの銅像とかフランツ・カフカの生家とか見どころは他にもあるのだけれど、とにかくものすごい人出で身動きがとれない。広場にはクリスマス・マーケットが展開されていて、1日過ぎていますけれどここは完全に営業中でした。カシューナッツを炒ったものを出す屋台から香ばしいにおいがしてきます。焼き栗はドイツのあちこちで見ましたがいろいろなものがあるんですね。そういえばギンナン屋さんって最近東京では見かけなくなったけど、まだあるのかなあ。バームクーヘン様の筒状の焼き菓子を制作している屋台もありました。あ、急に雨がやんだ!


プラハ旧市街広場に、クリスマス・マーケット
世界文化遺産にもなっている場所をスルーしまくって申し訳ないながら、旧市街はこれでおしまい。プラハがこれほどまでに京都化しているとは思いませんでした。率直にいえば興ざめですが、シーズンや状況にもよるでしょうから、タイミングがよろしくなかったということにしておきます。旧市街広場を2ブロックくらい離れるとそこは現代的な都市そのもので、何だかシャバに戻ってきたような心地がしました。26日は第2クリスマスで祝日なのだけど、お店は普通に営業しているみたいですね。旧市街、新市街とも町なかの両替店が目立ちます。だからとっととユーロに入りなさいって。クリマのにぎやかさはこちらも同じだけど、新市街のほうが落ち着いています。地元の人が多そう。フランクフルトのクリマの飲み物はホットのアプフェルヴァインでしたが、プラハではどこへ行ってもホットワインを売っています。屋台のほか、レストランのお持ち帰りコーナーとか、鍋ひとつでの簡易営業とか。だいたい1杯50czk前後で、安いといえば安い。
こちら新市街
ここ新市街の中心はヴァーツラフ広場(Václavské náměstí)。広場とはいうけれどグリーンベルトのある幅広の大通りで、5、600mくらいの長さがあります。ベルリンの壁崩壊から1週間後の1989年11月17日、民主化を求める市民たちの反体制運動はついにチェコスロヴァキアに飛び火し、ヴァーツラフ広場には数万人の民衆が集まりました。中心部を死守しようとする共産党・治安当局とのあいだに小競り合いがあり、これをきっかけに反体制側は勢いを増して、全土でのゼネストや改革要求へと発展していきます。中世いらいの商工業の伝統があり、生産はそこそこだったのに国民の生活水準は低く抑えられたままでした。1968年にこの広場を中心に展開された民主化運動「プラハの春」は、ソ連軍の介入によって幻に終わりましたが、それから21年後のムーヴメントはとどまることを知りませんでした。テレビを通じて事態を見守っていた私の耳にも、ドプチェク(プラハの春のリーダーで失脚していた)とかハヴェル(反体制派の劇作家で民主化後の大統領になった)といった固有名詞が聞こえてきます。地鳴りのような群集の声を今でも憶えているのですが、ここだったんですね。
チェコスロヴァキアの共産党政権が倒れたのは11月24日のことです。ここでもやはり、ソ連・ゴルバチョフが同胞を見離したことが決定的でした。大きな流血の惨事を回避して軟着陸を果たしたこの政変を、柔らかな肌ざわりの布地に喩えてビロード革命(Sametová revoluce 英語ではVelvet Revolution)と称します。その2年前、教室で仲よく(^ ^)世界史の勉強をしていた同級生のSちゃんに、いくらソ連が強いからって東欧諸国が社会主義の道を選んだのは不思議で仕方ないと問われ、ゲルマンとスラヴの違い、中世後期以降の西欧・東欧の歴史的発展段階の違い、とくに初期近代における東欧の封建状態なんかをずいぶん論理的に説明して、「なるほどそういうことか」と納得させたことがありました。ブルジョワの娘Sちゃんを赤色高校生が言いくるめた感じですが、歴史的発展段階とか封建状態とか、発想そのものができそこないのマルクス主義(笑)。社会主義の痕跡などどこにもない2012年のプラハに立ってみると、歴史に必然性というのはたぶんなくて基本的には偶然性が支配するのだなと思う。ただ、くやしまぎれというならいってもよいですが、現在の資本主義だって何世代か後からみればどう評価されるかはわからないですよ。

(左)ヴァーツラフ広場 正面は国立博物館 (右)ヴァーツラフ広場のディベンハムズ
17時近くになり、すっかり日が落ちて、商業地の夜の賑わいという感じになってきました。デパートの類はないものかときょろきょろしていると、英国系の洋服屋さんディベンハムズ(Debenhams)があったので入り込みます。4フロアほどなのでデパートと呼ぶほどの規模ではなく、ファストファッション総合館というくらいのもの。欧州ではこのクラスのショッピングビルがだいたい目抜きに何軒かあります。例によって記念のネクタイでも買おうかなと思ったら、大半が中国産の安物。まあいいやというので、東京ではちょっと見かけない派手な水玉の柄を1本選んでレジにもっていきました。レジの女性(複数)は何とも無愛想で、まさか資本主義を知らないのでは・・・。349czkだから1500円くらいのもので、C&Aとかで売っている安売りのやつと似たような相場ですね。1日乗車券いらい初めてチェコ・コルナを使いましたけれど、ショーウィンドウなどの値札を見て歩くかぎりは、物価はユーロ圏とほとんど変わらないように思えます。件のネクタイは案の定、女子高生たちに「超派手じゃね」と評されましたとさ。エントランスに戻って売り場案内をカメラに収めようとしたら、若い男性のスタッフがすっ飛んできて、チェコ語で文句をいいはじめました。フォトと聞こえるので撮影禁止ということでしょう。アイシー、アイシー。兄さんの見ている前で撮ったばかりの1枚を削除して見せましたが、まだフォトがどうたらこうたらと大声でいいつづけています。変にケンカしてカメラを没収されては困るので、「ごめんよ、写真消したからもう文句をいいなさんな」とか何とかわざと日本語で言い返したら、「わかればいいんだ」とでもいう感じでぶつぶついいながら戻っていきました。目抜きで営業しているのだから英語で文句いうくらいしたらどう?

ディナー
その数軒先に大きなレストランがありました。見るからに観光レストランだけど、これはこれでいいか。ウッディな1人掛けのテーブルに案内され、どちらからいらっしゃいましたかと訊ねられたのでジャパンと答えたら、ややあって日本語・韓国語・中国語がひと盛りになった写真つきメニューをもってきました。何パターンあるのかな? こちらとしては海外旅行しているおもしろさが半減する気がしなくもないですが、英語メニューを要求するなら同じことか。ヴァーツラフ広場の由来みたいなト書きのところもちゃんと日本語で解説してあり、立派。日本語メニューの表現では「バーツラフのサーロイン生クリーム煮」なる料理を発注しました。チェコ語ではVáclavská svičková na smetaně。何となくスメタナが見え隠れして直訳じゃないような気がするんだけど(笑)。ドラフト・ビアを頼んだらおなじみのピルスナー・ウルケル(Pilsner Urquell)がジョッキで登場しました。ピルゼン・ビールの元祖で、けっこうあちこちで瓶入りのやつを見かけますね。胚芽パンみたいなのが先に出てきたので、それをアテにしてごくごく。運ばれた料理は、われわれがいうところの「ビーフシチュー」そのもので、牛肉をいったんソテーした跡が見えます。濃厚で美味いとは思いますけど、同じ味を再現せよといわれれば私できますたぶん(笑)。ハインツのデミグラスソース缶を使えばこんな味になりそう。ジョッキが空いたのでグラスの赤ワインをと頼んだら、機内食サイズ(250ml)の小瓶がやってきました。チェコのワインのようで、味はまあまあ。食後にエスプレッソを飲んで勘定を頼んだら、長細いガラスのジョッキに勘定書きを差し込んでもってきました。おつりのやりとりもこれで。料理が310czk、ビール90czk、ワイン130czk、エスプレッソ65czkで〆て595czk。ユーロやポンドと違ってふだん使い慣れない通貨のため相場感覚がまったくわからんままです。あとから計算してみればパリとほとんど同じですね。
あ、お店の名前はSvátého václavaです。お手洗いを借りたら、洗面台の前に“Where do you come from?”と題された世界地図が貼ってあり、来客が色つきのピンで居住地を示すようになっていました。欧州と北米が他を圧しているものの東アジアを含め、けっこうワールドワイドです(だから胸を張ってこんな企画ができるんでしょうけど)。東京の先客は1本だけだったので、しっかり足しておきました。
トラムで夜の町を横断
腹ごなしにヴァーツラフ広場を少し歩き、これと直交する道路(Vodičkova)に入り込むと、ここはトラムが頻繁に往来する電車通りでした。プラハは消化不良の感があるものの、日が落ちてしまってはどうにもならんので、トラムに乗って左岸の宿に戻ろう。新市街に関するかぎり、おなじみの多国籍ないし無国籍資本のウィンドウだらけなので、これはどこの国でしょうといわれてもわからないくらいになっています。町はずれとか、チェコの地方都市に行けばまた違うんでしょうね。トラムは会社帰りらしき人たちを乗せてほぼ満員。重心が低いので乗り心地はなかなかよいです。電車は市街地の外れをぐるりと迂回してレギー橋(Most Legií)でヴルタヴァ川を渡りました。河岸の照明が水面に反射して何ともきれいだなと思って見上げると、丘の上のプラハ城全体がライトアップされ、闇夜に浮かび上がって見えます。世界遺産級の夜景だなあ(世界遺産なんだってば)。
夜のウーイェス通り
レギー橋を渡りきったところで電車を降りました。乗り換えてもいいのだけど、一本道なので歩いていこう。降りたところに何でも屋さんがあったのでミネラルウォーターのペットを購入しました。レジにはコルナとともにユーロ表示が出るのですが、はたしてユーロ決済は受け入れてくれるものかどうか。当方、紙幣はユーロ財布に入れ、コインはズボンのポケットに押し込んだままです。独立した財布をもつほどの予算、滞在時間ではありません。
ウーイェス通り(Újezd)がそのままカルメリッカー通り(Karmelitská)になります。昼間ホテルに行くときにトラムを降りた電停からそのまま南へ伸びる道路で、お城も乗っかる高台の裾野を進む感じになります。レストランとか小さな商店もあって、いわゆるところの「古い街並み」ですね。古都好きはこのへんに泊まって何日も散策したらいいかもしれませんよ。やがて勝手知った景色になり、石畳の傾斜を登って、20時ころホテル・コンスタンスに帰還。お帰りが22時を過ぎたらこの番号で玄関を開けてくださいと10桁の暗証番号をチェックイン時に渡されていましたが、せっかくのプラハも正味5時間ちょっとで打ち上げです。ドイツ周遊のついでに来ようという発想がそもそもいかんですね。せっかくなのでバスタブに浸かって湯上りのピルスナーをいただいておきました。
ホテル・コンスタンスの朝食会場
12月27日はプラハ本駅9時15分発の列車に乗らなくてはならないのでけっこうあわただしい朝になりました。駅ちかくの宿ならその点は楽だったですけれど、トラムと地下鉄の乗り継ぎで30分くらいは見ておかないと危ない。朝食は0階のレストランで7時30分からですということだったので、先に荷物整理などを終えてしまい、完全に出かける態勢になってからレセプションに降りていきました。この2日間、何かと調子がよくなかったのでメガネを3日前までのに戻します。気分よ気分。朝食ビュッフェのラインナップはドイツ各地と似たようなものでした。中年夫婦が1組だけいましたのでごあいさつ。すぐに70代くらいのマダム2人がやってきて、夫婦にも声をかけてからおかずを取りに立ちました。見たところ2人は連れということではなくて長逗留しているうちに知り合っただけの模様。4人とも英語で話していますからヴァカンス客なのでしょうが、どこの人なんでしょうね。8時ころチェックアウトしたら、たしかにユーロ建てで€70でした。コルナだと1768.00czk。お城の直下であるわけだし、この内容なら足場が悪くても勧められる宿といえそうです。日本で何もかも手配してしまえば安上がり&安心ではありましょうが、まあ、おもしろくはないですね。

来たときと逆のコースでプラハ本駅へ。もう手慣れた感じで朝のトラムに乗り込み、何となく最後部に陣取りました。昨日は2度とも車内でぼーっとしていて車窓観察をしていません。古い建物を道路ごと貫く箇所には気づいていたものの、最後部で線路配置を見てびっくり。やや、これはガントレット(gantlet)じゃないですか! 日本国内では絶滅してしまって幻の構造なのですが、予期しなかっただけに声が出てしまいました。気づいていればここだけ撮影に出向いたものを!(調べたら意味はすぐにわかると思いますが、鉄道マニア以外の方には特段の驚きも感激もありませんのでスルーしてくださいな)

プラハ本駅コンコースの発車案内 長距離バス路線もここに掲出されています
プラハ本駅は朝っぱらから大変な賑わいです。赤基調のコンコースにはショッピングゾーンや軽食店などもたくさん出ていて、かなりくたびれた感じのホーム面とは対照的。まだ30分くらい余裕があるのでコーヒーを飲みなおそうと思い、軽食スタンドに出向いたら、帰省客というのか多国籍のお客さんでいっぱいでした。お待ちの方はこちらのレジにもどうぞと向こう側でお兄さんが呼びかけましたが、後ろのムッシュに道を譲ります。並んだ列を担当しているおねえさんが超絶美人だったので(笑)。絵に描いたようなスラヴ系の美女に、「コーヒーくださいな」といったらメニューを指さし「いろいろありますけど」と、ちょっとSな感じ。チェコ語のメニューなんて意味不明だから2番目くらいのをテキトーに指したら、普通のコーヒーでした。朝からいい気分だなあ。コーヒーは35czk。次にチェコ・コルナを使う機会はいつになるのかな。

3番ホームに行くとミュンヘンHbf行きEX352便が入線していました。指定された号車に行ってみれば6人掛けコンパートメントの車両。初めて欧州を旅行した1991年以来しばしばこの種の車両に乗ってきましたけれど、長旅するときには落ち着くので私は好きなんですよね。知らない人と狭い空間を共有するのが苦手だという人には不向きかもしれません。ここで絶世の美女と隣り合わせたりなんかすればネタとして最高におもしろいのだけど、幸か不幸かメンツは全員男性。20代後半に見える兄さん、大学生ふうの兄さんに、小太りのおっさん。発車間際に30代くらいの兄さんがでっかいザックをかついで乗り込み、どうにか荷物を天井に収納して、さっそくノートパソコンで何か仕事をはじめました。

列車はプラハ城を見ながら首都を後にし、川沿いに走る
23日朝のフランクフルト→ベルリン以来の長時間乗車になります。9時半ころから見る見る高度を上げていきました。九州の肥薩線が球磨川に沿って山の中に突入していく車窓は国内屈指だと私は思っていますが、まあそんな感じ。フランスあたりの原っぱの景観はつまらないけれど、時に大回りしながら山に挑む鉄道はいいですね。いまや日本でも新幹線ばかりになってこういう車窓を見る機会が少なくなりました。このあと山の中の駅に何度か停車し、アップダウンを繰り返します。小太りおっさんは10時半ころ小さな駅で下車。あとから地図で確認すると、ヴルタヴァ川に合流するベロウンカ川(Berounka)が北を迂回して流れているのに対して、鉄道線は峠を越えながらショートカットしている模様です。再び川沿いに出て、河岸段丘のへりみたいなところを走り、10時45分ころ、いくつもの煙突からもくもくと白煙がたちのぼる「昔の工業地帯」みたいなところに出ました。10時49分、プルゼニ(Plzeň)本駅に到着。同室の20代後半の兄さんがここで降り、列車全体でもかなりのお客がホームに降りていきました。空は晴れて日差しが強くなりました。前のほうがわさわさしていて、どうやら機関車を付け替えていたらしい。プルゼニはチェコ第2の都市でドイツ語読みだとピルゼン。いうまでもなくピルスナー・ビール発祥の地です。ここまでのところ当便はチェコ国内の流動に十分応えていて、国際列車に化けるのはこのあとということですね。列車は11時ちょうどに再び動き出しました。PC兄さんと大学生ふうが突然しゃべりはじめ、何を話しているのかさっぱりわからんながら、ときどき握手するなど大いに盛り上がっています。たぶんチェコ語だと思う。降りるとき、コンパートメントの外側に差し込まれた座席予約票を見たら、大学生ふうはミュンヘンまで乗り通すらしく、ご苦労なことではあります。もっとも、自分が大学生だったころには、いまはなき周遊券を手に日本中をかなりの時間をかけて乗りまわったものです。若者の旅行には鉄道がふさわしい。やがて車内販売(「ミニバー」と表現)のアナウンスがCMタッチの自動放送で流れました。チェコ語、英語、ドイツ語。一面緑の畑地をしばらく走り、また標高を上げていきました。正午ちょっと前に「食堂車がオープンしますのでぜひご利用ください」との放送。すると山間の小さな駅を過ぎたところで突然停車し、数分滞留しました。これは国境の信号場なのではないかという勘はたぶん正解だったと思います。汽笛一斉、列車は急にスピードを上げて疾走し、勾配を今度はぐんぐん降りていきました。牧草地を抜けて、11時14分にフルト・イン・ヴァルト(Furth im Wald)に停車。DB(ドイツ鉄道)の駅名票の意匠が何だかなつかしく感じられます。まる1日のチェコ共和国滞在を終えて、ドイツ連邦共和国に戻ってきました。何となくこっちがホームのような感覚になるのが自分でもおかしい。やがてDBの女性車掌が検札に現れ、12時57分にシュヴァンドルフ(Schwandorf)という小さな駅に着きました。あとから思えば、ここで降りてローカル列車に乗り継げば、1時間くらい早く、そして安くニュルンベルクに行けたのですが、国内での感覚と違って鉄道地図が頭に入っていない中でタイムテーブルばかりを眺めるため少し狂いました。ま、さほどのロスでもなく、惜しいとかいうのでもありません。
シュヴァンドルフで進行方向が変わりました。検札のとき、やはり学生証を見せて学割の確認を得ていた兄さんは、とつぜん現れた中年の男性と握手して出て行きました。想像だけど、食堂車仲間を募りにきたのだと思う。PC兄さんは荷物の中から黒パンのかたまりを取り出し、サバイバルナイフで切り、レバーペーストみたいなのを塗って食べはじめます。そんなもの食べつづけて飽きないのかねと思うほど、何枚も同じ動作を繰り返しました。
雨のレーゲンスブルクに着いた352列車
13時25分ころレーゲンスブルク中央駅(Regensburg Hbf)着。同室の兄さんたちにあいさつして列車を後にしました。掲出されたポスターなどから、この352便はDBではなくALEXというブランドで運行する列車らしいことがわかります。これはミュンヘンを拠点とするVogtlandbahnという民鉄が走らせているもので、あとで調べればいま乗ってきたプラハ線は2007年開業とのこと。サッチャー時代の英国を皮切りに欧州の鉄道は上下分離が当たり前になりつつあり、中距離路線などでは各社が独自に便を設定するケースが増えてきました。NEXCOと高速バス会社の関係だと思えばよく、新自由主義+グローバリズムの昨今では当然そういう流れでしょう。いつも思うのですが日本の新幹線は運賃・料金が高すぎます。JR化したのだからあとはお任せなんていわないで、真に民営化の実を上げるべき時期が来ているのではないでしょうか?
|