La tour de l’Allemagne 2012

2012 Winter

 PART5 ライプツィヒ


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25日、クリスマスの朝は6時半ころ起床。朝食をとってから、まだ薄暗い西ベルリンの町を散歩しました。だいぶ要領がわかってきたので、次回来るときが楽しみです。ベルリンはいま、音楽や映画や現代アートなどの文化的求心力を高めています。そちらの方面には疎いけれど、詳しい人がいれば案内してもらいたいものですね!

 クーダムのレストラン メニュー黒板を書く現場を初めて目撃しました


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時ちょっと前くらいにチェックアウト。予約時支払だったので、前夜のドリンク代€8のみ現金で支払っておしまい。来たときと同じ中東系のフロントマンが、訛りの強い英語で「東京は物価が高いですよね。食べ物とか、こういうホテルとか」と唐突なお訊ね。行ったことはないらしいので何かの伝聞なのでしょう。「そんなこともないですよ。食べ物は安い場合も、高い場合もありだいたい同じくらいです。ホテルも。それに今は円が強いですから」と答えておきました。われわれデフレ社会の住民ですからねえ。

サヴィニープラッツ駅からSバーンに乗って中央駅に向かいます。何度も通っているうちにこの車窓にもなじんできました。余裕をもって出てきたこともあって、1052分発までまだ40分くらいあります。ドイツの大きな駅にはたいていフードコートがあり、ここにもありますが、独立した軽食店などもたくさんあります。欧州には駅弁などあるはずがないので駅サンド屋さんがその役割を果たします。そこでコーヒーをとって一服。フランスでカフェといえばエスプレッソに決まっていますが、ドイツでは日本と同じような「ブレンド」が供されます。バーガーキング、マクドナルド、例のカリーヴルスト、すし屋さんなんかも入っていました。これだけ巨大な駅でもトイレは1ヵ所なのはさすが欧州。昨日、切符を手配しにここへ来たとき€1の有料トイレを使ったら、€0.50と書かれたバーコードつきの小片が出てきました。ドイツ語を解読できないながら、どうも次回ご利用の際には割り引きますということらしい。試してみると、たしかにこのカードと50セントでゲートが開きました。要は€1.502回使えますということね。はっきりはしないものの、DBと契約して主要駅の構内トイレの営業を包括的に請け負う会社のようです。

 
(左)中央駅の駅サンド屋さんでコーヒー (右)構内トイレの割引券


いまから乗るICE791便は地下2番ホームから発車します。10分前くらい前にホームに行くと、向かい側の1番線には青い客車(自力走行できず機関車が引くもの)列車が入線していました。すでに満員のようだけど、乗り降りがけっこうあり、ホームにはこれから乗り込もうというお客がたくさんいます。帰省客? 人種・民族・言語が多様なのがそばで見ていてわかります。この列車は国際急行ECで、ハンブルクを813分に出発、ベルリン中央駅1046分、ドレスデン1308分、チェコの首都プラハに1526分、スロヴァキアの首都ブラティスラヴァに1950分、ハンガリーの首都ブダペストに2235分着というロングラン運行。航空機がこれだけ発達して格安が当たり前になったいまも、長距離国際列車というのはそれなりのニーズがあるんですね(何となく石丸謙二郎のナレーションが聞こえてきそう)。高速化が進んでいない中・東欧であればなおさらでしょう。不慣れな旅客が多いらしく車掌さんやホームの駅員さんが質問攻めに遭い、そのつどドイツ語のほかに英語とか何語かわからない言語で説明しているので大変です。中国人または中国系の団体さんはどこでも見かけますね。

 
 地下2番線からICEで出発


日本の新幹線ホームや、特急が発着する主要駅のホームでは、「○○号○号車乗車位置」のような感じで足許または空中に張ったワイヤーに明示してあります。西欧のやりかたは少し違っていて、ホームに各便の車両編成とおおまかな乗車位置を整理した表を掲出してあり、乗客はそれを参考に待つのです(ドイツは固定的な表記ですが、フランスは発着番線を変更することが多いためか切り替え式)。ホーム上にABCなどの表示があり、それが目安になります。ただ、こいつがしばしば当てにならない。この日も編成がそっくり前後逆でした! そのつどホーム上のお客がぞろぞろ大移動。乗り込んでみるとだいたい半分くらいの席が埋まっています。数年前までなら、込んでいようが指定料金€4をケチったように思うし、そもそもIC(都市間急行)を旨としてICEになんか乗らなかったような気もしますが、慣れてくると多少予算をかけてでも安楽に進みたくなるんですよね。鉄ちゃんの堕落? そもそも今のDBは全独をICEでネットワーク化していてそれを基準にダイヤを組んでおり、それに乗らないと長距離移動が困難なようになっているのです。フランスのTGVICEを「日本の新幹線みたいなもの」と考えるとちょっと違うかもしれません。新幹線は、インフラ(専用の線路)、車両、列車が一体となってその概念をつくりだしていて、山形・秋田のような新在直通をどう分類するかを保留すれば、「在来線」とは完全に別のものです。しかしTGVICEは線路幅や電圧が同じこともあって、要は線路がつながっていればどこにでも高速車両をもっていけるということになります。当初は仏独とも高速専用線の前後に集約した運行だったものの、しだいに面的に拡張して、専用線を経由しない便つまり「在来線をいい車両が結んでいる特急」がずいぶんと増えました。そのぶん乗るほうにもヨソユキ感がなくなり、鉄道の復権に寄与しているといえます。いうまでもなくLCCLow Cost Carrier 低価格航空会社)や長距離バスに対抗するには避けられない戦略でした。そのぶん初期の特別感が失われ、列車呼称がインフレ化しているのは否めません。考えてみれば新幹線のぞみもそうだし、京急の快特も乱発されすぎてありがたみが薄れたね(笑)。

発車してまもなく地上に出て、すぐ南郊のベルリン・ジュートクロイツ(Berlin- Südkreuz)に停車。その後はたちまち冬枯れの郊外に出ました。10分ほど走ると欧州でおなじみの、ひたすら原っぱという景観。風力発電が目立つ地平面を遠慮なく疾走します。この区間はすべて「在来線」ですが、それよりいま走行中の地域は旧「東ドイツ」のエリアですよね。ベルリンは半々だったので、あらためてかつての東側世界に思いを馳せてみます。1133分、ルターシュタット・ヴィッテンベルク(Lutherstadt Wittenberg)に到着。ルターの名が冠されていなくても、高校世界史レベルの知識ですぐにわかる地名ですね。1517年、ルターが「95条の論題」(Disputatio pro declaratione virtutis indulgentiarum)を提起してヴァチカンに論争を挑んだ、いわば宗教改革の震源地というべき場所。駅が郊外にあるんでしょうけど田園の中の、ずいぶん田舎の感じです。ライプツィヒ中央駅Leiptzig Hbf)到着は1207分。この便はわりに近い2つの都市を結ぶIC的なものなのでしょう。いやしかし、噂に聞いていたとおり大きな駅だなあ。行き止まり式のこのターミナルの観察は後刻に譲ることにして、まずは宿を探して荷物を預けないとね。ガイドブックによれば、ツーリスト・インフォメーションが駅前広場の一筋裏のようなので好都合です。石畳ふうの歩道はキャリーバッグに不向きだなと思いながらそちらへ行ってみると、あるにはあったがクローズ。クリスマス休暇の可能性があるかもと思っていましたが、1231日までどっぷりお休みのようで、商売する気がない感じ!

  ライプツィヒ中央駅


閉まっているものは仕方ないので自力で探そう。これまでの経験から、この規模の都市なら駅周辺に手ごろな宿がけっこう集まっているはずで・・・とかいうワンセンテンスを思い浮かべるより前に、目の前に大手チェーンのイビスHotel ibis)の赤い看板がありました。西欧の都市という都市にたいてい見かけるフランス発祥のビジネスホテルチェーンで、何度か世話になったことがあります。料金が安いのに施設やサービスがよく、交通至便ではあるのだけど、何となくチェーンものを回避したくなる旅人心理?がはたらいて普段はスルーしていました。いつもと違ってキャリーを引きずっていることもあるし、空いていれば泊まろう。予約していないんですけど今夜泊まれますかねとカウンターの女性に訊ねたら、シュア、と即答。カードで前金決済したら€142とずいぶん高い。イビスだし安かろうと思ってタリフ(料金表)を見ずに入ったのだから文句はいえないけど、変だなあと思ってレシートを見たら、なぜだか2泊することになっています。おっと、tonighttwo nightsと聞き違えられたか? 「さっき私、2泊って申しましたか? 1泊に直してください。オンリー・ワン・ナイト」。ホテルウーマンは、あららという顔で決済のやりなおしをしてくれました。1泊朝食ぶんが取り消されて口座に返金されたわけですが、後日拙宅に届いた明細によれば7,754円。€71で割ると、€1=109くらいの計算になります(実勢とは違います)。2階の部屋に入ると、ダブルベッドが入っており、そのわりにスペースがゆったりしていて上々でした。

  ホテル・イビス


インフォメーションが閉まっていてシティマップを入手できませんでしたが、ホテルのレセプションでA4判のそれなりのものをもらえました。どうやら中心市街地は一辺500mくらいの正方形になっているらしいので、一日乗車券などは不要。駅前をトラムが行き交っているけれど、だいたいは郊外とを結ぶ路線のようです。それにしても、きょう25日は祝日ですからお店関係はクローズでしょう。町のたたずまいとか雰囲気を眺めて散策できればいいや。ライプツィヒLeipzig)はザクセン州の州都。ザクセン(Sachsen)は中世・初期近代を通じて神聖ローマ帝国を構成する有力な領邦国家で、ナポレオンが同帝国を解体した後に王国を称しました。ベルリンのプロイセンとはほんらい同格の気高さをもっています。ライプツィヒはメッセ(大見本市)で知られる商業都市でもあります。歴史の本を読むとけっこういろいろな場面でこの都市の名前が出てくるので、どんなところなのか気になりますね。中でも、落ち目のナポレオン率いるフランス軍がプロイセン、オーストリア、ロシアなどの連合軍に敗れた1813年のライプツィヒの戦い(フランス以外の欧州にナショナリズムを覚醒させたことから諸国民戦争 la Bataille des Nationsの異名がある)は教科書にも出てきます。

 マルクト広場にクリマの跡・・・


ホテルもある駅前から見ると、市街中心部は緩やかな坂を上ったところにあるようです。まずは中心らしいマルクト広場(Martplatz)に行ってみると、おお、真ん中をクリスマス・マーケットが占めている。もちろんすでに営業しておらず残骸なので、せっかくの広場がただごちゃごちゃになっただけ(笑)。これらが無いものと想像をめぐらせてみれば、西欧の諸都市でこれまで見てきた中心広場と同じで、味わいがありそう。クリマもにぎやかだったことでしょうね。ただ、お昼どきなので人出はけっこうあります。広場につながる小径、バーフュスゲスヒェン(Barfuchen)は道幅いっぱいにテラス席を並べたレストラン街で、ランチ客でにぎわっていました。ちょっとのぞいてみたけれど、「当店はブランチのみで普通のランチはございません」とあまり歓迎されない感じだったので回避。晩ごはんをきっちり食べることにして昼はどこかでサンドイッチでもつまもう。マルクト広場周辺の、デパートやブティックが並ぶゾーンを一回りしてから中央駅に引き返しました。駅ならば軽食類がけっこうありますからね。

中央駅の建物はフランクフルト中央駅などと同じでだいぶ古いらしく、シンメトリーの立派な外観をもっていますが、中はプロムナード(Promenaden)と称するモダンなショッピング街になっていて、何だか国際空港みたいなにぎやかさ。駅に求心力をもたせる戦略は日本でも最近よくやっていますよね。それはいいのだけど、きょろきょろしながら天井の高いホールに入ったらずるっと足がすべり、手すりのおかげで転ばずに済みました。あ、何か嫌な予感がする。振り向くと、うわっ、犬のあれだ。あれに注意しないとまともに歩けなかったパリも最近はずいぶんきれいになったよねと思っていたら、ザクセンの、しかも立派な駅構内のど真ん中に放置するってどういうこと? ――急いで表に出て水たまりで靴裏をああして、そのあと洗面所でああしてこうして、とにかく余計な作業に汗と冷や汗を流したことでした。不愉快だわん。

 
  ライプツィヒ中央駅


ま、そんなことで初めて訪れた都市の評価を下げても申し訳ないので、当方の不注意ということにしておきます。プロムナードは、一般店舗はぜんぶお休み、飲食店はほとんど開いているという、ここも祝日パターン。まともなレストランも各種軽食店もありましたが、気勢も上がらず腹もさほど減っていないので、シーフード・カフェテリアの全独チェーンと知るノートゼー(Nordsee)のお持ち帰りコーナーでフィッシュサンド(Backfish Baguette)を1つだけ購入しました。€2.60。さて、あす以降の行程を確定させて切符を手配しよう。さきほどホテルでトーマスクックを開いていろいろ検討した結果、あす26日にプラハに入り27日にドイツ南部のどこかへ抜けるための乗り継ぎパターンはほぼ1種類しかないことがわかりました。ホテルのメモ帳に書き写したやつをカウンターの女性に見せて、発注。まずライプツィヒを903分に出てドレスデンに行き、ベルリンからのECに乗り換えてプラハに1330分ころ着。プラハでの持ち時間はその日いっぱいということになり、もったいないけど1泊行程だとそれが限界みたいです。何しろプラハからドイツ南部に抜ける列車は14往復しかなく、所要4時間ですから、選択肢は915分発しかありません。時刻表にはニュルンベルクまでの直行バス便もけっこう載っているけれど、3時間半もぶっ通しでバスに乗るのはかなわん。たまに欧州のバスに乗ると、びゅんびゅん飛ばすのでけっこうおっかないです(笑)。こちらの希望はすぐに了解され、26日のプラハ行きはすぐに手配できましたが、「ニュルンベルクに行かれるのでしたらバスのほうが早く着きますが」と、コンピュータがそちらを提示した模様。レーゲンスブルク乗り換えで5時間もかけて行くくらいなら直行3時間半のほうがよい、というのは当然の判断で、たぶんそのほうが運賃も安いんでしょうね。「ノーノー。私は鉄道が好きなんです。レーゲンスブルクで乗り換えて鉄道で行くことを望みます」と力説。フランス語のpréférerは会話でもしばしば使うのですが、英語のprefer(〜のほうがいい)を実際に使ったの初めてじゃないかな? そういうお客もいるんでしょうねという感じで変な顔はされず、当方の希望どおりの切符が発券されました。込み込み€137.60VISAで購入。

 ノーチャンスだったけどトラムにも乗ってみたい
 
(左)ライプツィヒは伝統的な出版の町  (右)ライプツィヒは伝統的な音楽の町(やっぱり暮れは第9なんだ! モルダウもかかるのか・・・)


またシティ・センターに舞い戻り、見学を続行。といってもお店はいっさい開いていないのでウィンドウ・ショッピング限定です。日が暮れるのが早いのは重々わかっているけれど、それにしては暗いなと思っていたら、小雨が降ってきました。冬場の欧州を旅行するとどこかで雨か雪に降られるのが当たり前なので、そんなものかと思うだけです。

 ライプツィヒ中心部(グリマイシェ通り)

 
 
濡れずに歩ける!ライプツィヒの中心部


たまたまですけれど、ここライプツィヒはとにかくパサージュ(Passage なぜかこれはフランス語のまま読む)が多いところ。見ると、雨が強くなるにつれてみんなパサージュの屋根の下に集まってきています。マルクト広場より南側の一角はまさに縦横無尽のパサージュ地帯で、なかなかおもしろい。あとで聞いたところでは、往年のメッセは当初このようなところで開かれていたようで、いうところのショーウィンドウが相当古くに発達したということでしょうね。パサージュごとに雰囲気が異なるのも興味深い。全体に中高年が多いような印象ですが、気のせいかもしれません。

前述のルターが教皇庁と決定的に対決したライプツィヒ神学論争でも知られるこの町は、それから百数十年のちに「音楽の父」ヨハン・セバスチャン・バッハの本拠地となります。子どものころ最初にこの町の名を目にしたのもバッハがらみじゃなかったかな? 当地を治めたザクセン選帝侯は代々文芸を厚く保護しましたので、文化都市としての名声を高めることになったわけです。マルクト広場のすぐ近くにバッハ・ミュージアムがあり、旧宅というわけでもなさそうだけど、いちおう眺めておきます(祝日なのでクローズ)。

 
(左)トーマス教会(Thomaskriche) (右)すぐそのそばに、バッハ・ミュージアム


なかなか雨がやまず、屋根の切れ目からホテルまでダッシュするには強い降り方なので、パサージュ内のカフェで休憩することに。クラシックなパサージュのクラシックなカフェには、やはり中高年を中心に半分くらいのお客が入っています。カウンターのスツールに腰掛けてドラフト・ビアを発注。おねえさんが「ライトにしますか? ダーク?」と訊きます。この二分法は初めて耳にしましたが、要は白いか黒いかということでしょうね。おもしろいのでダークを頼むと、Köstrizerというのが注がれて供されました。分量は0.3リットル。なるほど黒ビールですがギネスほどにはもったりしていなくて、少し酸味がある感じです。うまうま。

そういえば、かつての「東側」に行ってみるというのが眼目の1つだったなと思い出しました。もう見た目には全然わかりません。1989年の東欧革命の際には、ここライプツィヒも民主化(反体制)運動の発火点になりました。1982年以来、ニコライ教会(Nikolai-kirchhof)を拠点に穏健な体制批判である月曜デモ(Montagsdemonstrationen)がおこなわれていましたが、1989年の汎欧ピクニック後には「時代が変わるかもしれない」と感じた市民の参加が急増し、ついには数万人規模の堂々たる反体制行進に発展します。ホーネッカーは弾圧を指示しましたが、もはや市当局はこれに従わず、対話による収拾を図ろうとしました。ホーネッカーが直後に失脚したこともあり、ライプツィヒの行動が最高実力者を倒したというイメージが定着したのです。静かすぎるクリスマス当日にそのときの熱気と本気を想像するのはなかなか難しいですけど、ここはたしかに現代史の舞台だったところです。

 黄昏のライプツィヒ(そんなシャンソンありそう・・・)
 日没後のニコライ通り 奥にニコライ教会が見える
 
(左)クリマ会場のツリーが点灯(マルクト広場)  (右)飲食店が軒を連ねるバーフュスゲスフェン


いったん部屋に戻って小休止し、19時を過ぎてから、折り傘をもって三たび中心部に。晩ごはん食べよう。もう地図なしでも町の構造はわかります。昼に通ったバーフュスゲスフェンに行ってみましたが、どれもな〜とピンと来ません。そういえば昼来たときに、ちょっとヨソユキふうのよさそうな店があったぞと思ってその先に進むと、角にツィルス・トゥンネル(Zill’s Tunnel)というレストランが見えました。これこれ。木製の古風なドアを押すと、ドーム状の天井に明るい照明で、なかなかホットな雰囲気です。クリスマスの食事なのか日ごろの外食なのか、けっこう入りもよい。きびきび働いている店員さんに1人ですがと告げると、窓際の席をすぐ用意してくれました。あの〜、英語かフランス語のメニューはないですか? ――ありません、というので仕方ない。想像でどうにかするしかないですね。これは何ですかと質問すれば答えてくれるでしょうが、テキトーに頼んで何が来るかというほうがおもしろい。パリに行きはじめたころフランス語のメニューなんてほとんど読めなくて、毎回そんな感じでした。カテゴリの見出しにPfanneというのがあり、これはフライパンで焼いた料理だと東京で読んだドイツ料理の本にあったのを思い出し、何かの肉類を焼いて出すに違いない。それなら店名のついたZill’s Grillteller€14.80)にチャレンジしよう。いま独和辞典で調べたらTellerは「お皿」で、転じて「盛り合わせ料理」とのこと。

 
   ディナー


ドラフト・ビアをといったら、今度はSchwarz Perleなる黒ビールが出てきました。さっきのに近い味わい。食事を終えた隣席の中年夫婦は、食後にジョッキを追加してがぶがぶ飲んでいます。腹いっぱいにならんのかね。こちらのビアもすぐ空いて、お代わりはいかがですかと店員さんに訊ねられたので、赤ワインにしてもらいました。フランス屋さんの癖(笑)。ワインを一口飲んだあたりで料理のお皿が出てきました。やや、大きな皿だな。牛フィレ、ポーク、ターキー、なぜかタコさんソーセージ、タマネギ、三色パプリカ、セロリ、香菜、フライドポテト、そしてサワークリームが別添え。クリームはお好みで使ってくださいとガイダンスがありました。何とも雑然とした料理だけど、どっちかといえば和風の「創作料理屋」で出てきそうな味ではありますね。肉・野菜ともなかなか美味しく、サワークリームとも意外に相性がいいですね。食後のエスプレッソも込みで、〆て€23.90。ホテルに帰ってから日本のガイドブックを見たら、この店のことが載っていました。18世紀創業の古いお店だったみたいですね。英語メニューがないというのは、フランクフルトやベルリンと比べてライプツィヒが田舎だからというわけではなくて、そもそも地元の人を相手にずっと商売してきて、今のところグローバル対応する気がないということでしょうから、それでいいと思います。東京の飲食店なんて、カジュアルなところから高級店まで、いったいどれだけのお店が英語メニューを常置していると思います?

このシリーズで、初めての国とか町で私がひょいひょいレストランを見つけてテキトーに食べていて、それがけっこう美味しそうなのはなぜですかと訊ねられることが(たまに)あります。センサーがついているんだよ、てなわけはなくて、場数を踏むことと失敗を怖がらないことの2点に尽きるでしょうね。ハズレだってけっこうあります。要領は国内でも同じ。いつも同じお店とかチェーン店ばかり利用していて新規開拓する度胸のない人は、海外にいきなり行って成功するはずがありません。「こんにちは〜」といってずいずい入っていけば、相手は客商売ですからだいたい受けてくれます。ガイドブックで紹介されているおススメの品みたいなものを当てにせず、自分が食べたいものとか、周囲を見渡して美味しそうなものを頼めばいいじゃないですか。そうしているうちに精度が上がります。

 
(左)新ゲヴァントハウス  (右)オペラハウス


これでライプツィヒの見学は終了。祝日でないときに来ればまた違った感じなのでしょうが、静かなのもまたよい。「観光客」がほとんど見当たらないのもいいですね。日本人なんかいないと思っていたら、パサージュ地帯をうろうろしているとき20代くらいの女性二人連れと何度か遭遇しました。独り歩きの当方を見て同国人と思ったかどうかは定かでないので声はかけずにおきました。ドレスデンでなくわざわざライプツィヒに来るというのは、旅慣れた人たちなのか、音楽をしている人かでしょうか。そうそう、ライプツィヒのゲヴァントハウス・オーケストラ(Gewandhausorchester)は超有名ですよね。ライプツィヒに行ってただ飲み食いしただけといえば、その筋の人はもったいないと思うんだろうなあ。


PART6 につづく

 

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