今回の記事は長いですからね。いつもは荷物本体をパリに置いて身軽なまま3〜4日程度の旅行に出るのですが、今回は1週間7泊まるごとが「あちらこちら」なので。
さてフランクフルトに1泊し、翌12月23日午前に高速列車ICEでベルリンに向かったところに話をリプレースしましょう。12時23分着の予定はほとんどブレなかったかな。ハノーファーを過ぎたあたりから窓の外が雪景色になり、ベルリン市内も、あらら真っ白だ。前夜のフランクフルトは東京とあまり変わらなかったので油断していたけれど、さすが北部ドイツは寒いのかなあ。2シーズン前の冬に仕事で酷寒の中国・遼寧省に出張した折に買った通称「満州コート」を着てきてはいるのですが、北海道のコンビニとかで売っている装着式の簡易滑り止めももってくればよかったかなと。雪とは思わなかったです。
ベルリン中央駅
ドイツの首都ベルリン(Berlin)の陸の玄関口、ベルリン中央駅(Berlin Hbf)は2006年のサッカーW杯に合わせて市街地の北側に開業した真新しいターミナル。ガラス張りの天井が何とも今風ですわ。そもそも私がフランス屋さんになったのは打算と偶然の産物で、フランスそのものには元来ほとんど興味もシンパシーも憧れもありませんでした。世界史を学びはじめた高校生のころ何より関心をもったのはドイツだったんですよ。そのドイツのど真ん中、都(みやこ)にやってきたばい。
まずは市内の切符を確保しよう。巨大な駅の切符売り場に行ってみると、カウンターの手前に券売機が数台あったのでこれを試してみようかな。英語モードに切り替えてあれこれやってみたものの、よくわからんわいと思っていたら、係らしい若い女性が近づいてきて教えてくれました。いつものようにワンデイ・チケットが望みなのですが、東京で読んだガイドブックに「48時間のもある」とか書いてあったので聞くと、それならばというので代わりに画面をタッチしてくれます。Berlin Welcome Cardとあり、これまでドイツやベネルクスの各地で経験したように、日付で区切るのではなく最初に刻印してから48時間ということですので2泊3日の旅程にぴたりはまりますね。おねえさんはちょっとお待ちくださいといってカウンターに走り、ポケットサイズの、でもけっこう分厚い本をもってきてくれました。見どころ紹介のほか市内の博物館、美術館、各種施設、ツアー、飲食店などの割引クーポンがついています。それとシティマップ! クリスマスなのでクーポンを使えるところはほとんどないだろうけど、マップは自分で買おうと思っていたのでこれは好都合です。ダンケシェーン。これで€17.90。
ベルリン・ウェルカムカード
Sバーンに乗って3駅戻ります。自称交通達人なのに乗り場をなかなか発見できずまごまごして無念(笑)。この駅のしくみについてはあとのほうでまた書きますね。ベルリンは大都市なので2泊するつもりで、これもネットでホテルを予約してありました。ホテルは旧西ベルリンの中心街にあるのだけど、中央駅に乗り入れているUバーン(地下鉄)では直行できないので、宿までわりに近いベルリン・ツォーローギッシャー・ガルテン駅(Berlin- Zoologischer Garten 「動物園駅」の意味)まで行ってそこから歩こうかな。13時くらいになっていてけっこうお腹が空いてきているし、これからホテルにチェックインしてまったりすると昼食が遅れそうだから、駅ナカで軽食とっていこう。
ベルリン・ツォーローギッシャー駅
長距離路線のものとSバーンの線路・ホームが並列していて、けっこうな規模だけど、まあ日本の地方都市のターミナルレベルかな。実はここ、2006年の中央駅開業までは西行き長距離列車のターミナルだったところなのです。ものの本によく「ベルリンのツォー駅で」なんて書いてあったもんなあ。階下のスペースはにぎやかだけどちょっと手狭。ファストフードやインビス(簡易軽食店)が建ち並ぶフードコートがあったのでさっそくそこへ。おっと、Currywurst Expressなる店があるぞ。カリーヴルストというのは話に聞いたベルリン名物のB級グルメじゃないですか。フライドポテトとコーラがついたMenü(セット)が€4.99。ま、あれですね。焼いたソーセージをぶつ切りにしてケチャップをどぼどぼまぶし、カレー粉をふりかけたというもの。わがままな幼稚園児がママにリクエストしてつくってもらうおかずみたいじゃないか(笑)。空腹だから美味しく感じるものの、誰もが想像するとーりの味だぜい。
カリーヴュルスト
駅前に出たらぱらぱらと雪が降ってきて、満州コートのフードではちょっとつらい感じだったので折り傘を使用。このあたりは都心の商業地のため大きなビルが多く、ある程度は雪よけになってくれるので助かります。西欧のあちらこちらで見るような石造りの建物とか石畳の歩道というのはまったくなくて、東京のどこかだといわれたらそうだなと思うほどの普遍的な都市景観です。大好物のショッピングセンターやデパートが見えるのであとで行ってみようかな。時間ないかな。頭の中の地図どおりに1ブロック南下し、大通りのクーアフュルステンダム通り(Kurfürstendamm)を右折して数分でホテルに。ドイツ語に不慣れな者には何とも発音しにくいこのクーアフュルステンダム、地元でもクーダム(Ku’damm)と略されています。旧西ベルリンのメインストリートで、人通りも自動車の交通量も相当なものでした。ホテル・カリフォルニア(Hotel California)と、われわれの世代(もうちょっと上かな)にとってはイーグルスの名曲がすぐに浮かんできそうな名のホテルは、クーダムに面して建っています。間口は狭いものの、これは西欧都市の特徴で、かなり奥行きがあるわけですね。ホテルを予約する際、以前は英語のホテルサイトにある料金や施設、利用者の書き込みやスコアを検討してエントリーしていましたが、最近はそこから直接入るのではなく、ホテル自体のサイトに飛んで、いわば表口から入ることにしています。そこにしかない料金設定とかけっこうありますからね。ちょうど1ヵ月前にその方法でやってみたらやっぱり割引設定があり、変更不可かつ予約時支払の早割みたいな感じで1泊朝食つき€75.60。首都の都心部でこれなら申し分ありません。そのころは€1=¥100をちょっと超えたくらいだったため結果的には非常にお徳でした。
クリスマスツリーの飾られたレセプションに通り、予約した古賀ですがと申し出ると、カードキーを渡してくれ簡単な説明。中東系とおぼしきフロントマンが明快な英語でエレベータの位置や朝食の場所などを教えてくれます。私などはもう慣れきってしまって身構えたりしないのですけど、外国に不慣れで英語ひとつ口にするのも緊張するという読者もいることでしょうから(誰だって最初はそうだよ!)いいますと、ホテルで話すことなどはある種の決まり文句なので覚えてしまって何度も使ううち身体化されます。「予約した古賀ですが」は I have a reservation for KOGA. を自分で和訳して書いたもの。名前の部分をゆっくりはっきり発音するのがコツね。
ホテル・カリフォルニア
お部屋は6階(日本式で数えるなら7階)で、中庭に面していました。寝室と居間が微妙に仕切られた二間つづき?
スイート? な部屋で、4つ星だからアメニティやミニバー(飲み物の入った冷蔵庫)などはしっかりしているものの、全体にくたびれた、ふた昔前くらいの感じ。ホテルのサイトに出ている部屋と違うじゃんよとかいってはいけません。日本のものも同じで、どこだっていいように写して載せるに決まっているじゃないですか。営業努力というやつです。暖房はなつかしいスチームのやつ。1984年創業とサイトにはあったけれど、仕様はもう少し前のような感じがするので、もしかすると別のホテルであったのを買い取って補修したのかもしれませんね。濡れてしまった靴下を干したり、洗面したりしているうちに14時半ちかくになってしまいました。ベルリン滞在はこの23日午後と24日まるまるなので焦ることはありませんけれど、ぼちぼち出かけましょう。割引券のついたウェルカムカードのサブテキストをコートの内ポケットに入れ、シティマップは使いやすいように中心部分を谷折りにして外ポケットへ。普段ならこれでよいのですがこの日はやむなく折り傘をもっていきます。差したり閉じたりになるでしょうね。例によって、日本のガイドブックなるものは部屋に置いていきますです。
クーアフュルステンダム
ホテル付近のクーアフュルステンダムは片側2車線ながら歩道が広いので広々として見えます。プラタナスの4列並木が見事。両側には有名ブランドの路面店やホテル、レストランが建ち並び、さながら東京の表参道かパリのシャンゼリゼみたいだなと思っていたら、英語版のウィキペディアにcan be considered the Champs-Élysées of Berlinと書いてありました。私、胸を躍らせてこの首都にやってきたにもかかわらず、例によってほとんど予習していませんし、それ以前に「ベルリン」の内部に関する予備知識がほとんどありません。行ったことがないニューヨークや上海のことなら、どこがいいとかどんなモニュメントがあるとか、メディアや口コミでしばしば耳にします。しかしベルリンについての情報はあまりない。私だけがそうだというのではなくて、日本人全体がそんなものではないかしら。クーアフュルステンダムを紹介するとき「あの有名な」といいたいところですが、ホテルを探す際に初めて知ったくらいです。ごめんなさい。
Uバーンのクーアフュルステンダム駅を過ぎるとデパートなどの大型商業施設が目立ちます。悪天なのにたくさん人が歩いています。カイザー・ヴィルヘルム記念教会(Kaiser-Wilhelm-Gedächtniskirche)付近には、ありました、クリスマス・マーケット!! 一筋北の道路も含め、その付近一帯がクリマに占拠されているような状態で、ここも大いに賑わっています。クリマはもともと「休業するクリスマス以前に売る」という設定ですので、イブイブの今日がいわば最終日なんですね。日曜日ですし。
クーアフュルステンダムにはおなじみの、あんなやつやこんなやつもあります
カイザー・ヴィルヘルム教会付近のクリスマス・マーケット
通りの名はタウエンツィエン通り(Tauenzienstraẞe)に変わっています。雪が斜めから降ってきてかなわんなー。両側の歩道にもクリマの屋台が出ています。日曜日は閉店というのが西欧の一般的なパターンですが、一部は閉まっているものの開けている店も多く、活気があります。クリスマスは閉店でしょうが、あすのイブはどうなんだろう。そんなわけで、開いているうちに入り込んで買い物の1つもしてみたいのだけど、明るいうちに先へ進みたいので、遺憾ながらスルー。
タウエンツィエン通り オイローパ・センター付近から東を望む(右奥がカー・デー・ヴェー、正面がUバーンのヴィッテンベルクプラッツ駅)
当地を代表する大型デパートのカー・デー・ヴェー(Ka
De We)の先に、ずいぶん年代ものの建物があるなと思ったら、Uバーンのヴィッテンベルクプラッツ駅(Wittenbergplatz)でした。駅舎に入ってみると、映画のセットかいなと思うほど内装も小道具もクラシック。イチゴ牛乳でも売っとらんかな(さすがにそれはない)。この駅には3路線が集まっており、私は2号線(U2)に乗ることにします。電車はすぐ地上に出てオフィス街をかすめるように走り、途中で北に針路を変えて、10分足らずでポツダム広場駅(Potsdamer Platz)に着きました。
ヴィッテンベルクプラッツからUバーンに
ポツダム広場は帝国時代の市の中心で交通の要衝です。やはりクリマがかなり出ていて人が集まっていたものの、寒いのと急に暗くなってきたのとで(あと恥ずかしながら交差点がややこしく方向を見失ったので)、Uバーンにまた1駅乗ってブランデンブルガー・トーア駅(Brandenburuger Tor)へ。それにしてもまだ16時になるかならないかだよ。日が沈んでしまった感じなのにはびっくり。そうか、いつもは冬とはいっても春分ちかくなっての訪欧なのに、今回は冬至直後でしたね。日本列島と比べてかなり高緯度でもあります。夏のサマータイムのときなんて20時過ぎまでアホみたいに明るいのに、極端ではあるよなあ。あす以降の見学のペースを考えなくてはいけませんね。
ブランデンブルク門
しかし怪我の功名というか、そうしてやってきたベルリン随一の見どころブランデンブルク門(Brandenburger Tor)は、黄昏にライトアップされたツリーがその横に立っていて、非常に厳粛で端麗な姿でした。時間が時間だからかお天気のせいか観光客は多くなく、光景を独占できるところがいいですよね。
シリア民主化を求める人たち
ウンター・デン・リンデン通り
本当はこの先、ブランデンブルク門の「表参道」にあたるウンター・デン・リンデン(Unter den Linden)を歩こうと思っていましたが、暗くなってしまったので明日を期すことにします。ブランデンブルク門の周辺は、いわゆる商業地ではないためか思ったほどごちゃごちゃしておらず、夜になったこともあって静かな雰囲気でした。皇居につながる日比谷あたりの夜に近い感じかもしれません。このあたりの描写としてイメージするのは、これでしょうか。
余は模糊たる功名の念と、検束に慣れたる勉強力とを持ちて、忽ちこの欧羅巴(注 ヨーロッパ)の新大キの中央に立てり。何等の光彩ぞ、我目を射むとするは。何等の色沢ぞ、我心を迷はさむとするは。菩提樹下と訳するときは、幽静なる境なるべく思はるれど、この大道髮の如きウンテル、デン、リンデンに来て両辺なる石だゝみの人道を行く隊々の士女を見よ。胸張り肩聳えたる士官の、まだ維廉(注 ヴィルヘルム)一世の街に臨める窫に倚り玉ふ頃なりければ、様々の色に飾り成したる礼装をなしたる、姸き少女の巴里まねびの粧したる、彼も此も目を驚かさぬはなきに、車道の土瀝(注 アスファルト)の上を音もせで走るいろいろの馬車、雲に聳ゆる楼閣の少しとぎれたる処には、晴れたる空に夕立の音を聞かせて漲り落つる噴井の水、遠く望めばブランデンブルク門を隔てゝ緑樹枝をさし交はしたる中より、半天に浮び出でたる凱旋塔の神女の像、この許多の景物目睫の間に聚まりたれば、始めてこゝに来しものゝ応接に遑なきも宜なり。されど我胸には縱ひいかなる境に遊びても、あだなる美観に心をば動さじの誓ありて、つねに我を襲ふ外物を遮り留めたりき。(・・・)
或る日の夕暮なりしが、余は獣苑を漫步して、ウンテル、デン、リンデンを過ぎ、我がモンビシユウ街の僑居に帰らんと、クロステル巷の古寺の前に来ぬ。余は彼の燈火の海を渡り来て、この狭く薄暗き巷に入り、楼上の木欄に干したる敷布、襦袢などまだ取入れぬ人家、頰髭長き猶太(注 ユダヤ)教徒の翁が戸前に佇みたる居酒屋、一つの梯は直ちに楼に達し、他の梯は穴居の鍛冶が栖家に通じたる貸家などに向ひて、凹字の形に引籠みて立てる、此三百年前の遺跡を望む毎に、心の恍惚となりて暫し佇みしこと幾度なるを知らず。
森鴎外「舞姫」 *新字体に直してあります
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獣苑というのはティーアガルテンのことでしょう。太田豊太郎はベルリンのど真ん中を東に歩いてきたのですね。クロステル巷(Klosterstraẞe)というのはここからさらに東へ2kmちかく行ったところですから、合計3、4kmは歩いている感じです。1870年代ならそんなものでしょう。にぎやかではあるけれど猥雑で、歴史の塵芥が積もっていそうな雰囲気のチマタを主人公は歩いていきます。この直後に憐れな少女エリスと出会うわけですね。「舞姫」の舞台となっているのは、ビスマルクの補導によりヴィルヘルム1世治下のドイツ帝国が欧州の新たな覇者として台頭していく時期の、上り坂のベルリンです(1890年のビスマルク失脚の記述もあるので、歴史どおりの尺で測ればけっこうな長期間ベルリンにいたことになりますが、話のつじつまは合わなくなります)。
このビスマルクを、私は「ドイツ二旅」に登場させて、国民国家(Nation-State)なる近代の怪物が形成されるコンテキストを少し紹介しました。私にとっては近代とか近代国家というのが中心的な研究対象ですので、「舞姫」に描かれたベルリンに語ってもらわなければならないことはまだ他にもあります。しかしこの「新大都」は、近代を通り過ぎた現代において、苦悶と深い悲しみの時期を過ごさなくてはなりませんでした。それは私にとっては歴史ではなく同時代。いまは優美な「名所」であるブランデンブルク門は、20世紀の一時期には断絶のシンボルですらあったのです。
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