自由記念像からさらに100mくらい歩いたところに、ファマグスタ門(Πύλη Αμμοχώστου)があります。現在の城壁はヴェネツィアが統治していた16世紀のもので、当時のメイン・ゲートがここでした。真円状の城壁の3時と4時のあいだあたりに位置します。ここからさらに100mほどでバッファー・ゾーンに突き当たり、それ以上は進めなくなるはず。ファマグスタ門がだいたい東の端だと思うので、ここから円内というか、旧市街の内部に入り込むことにしましょう。といってもこの付近は完全に住宅地で、とくに商店などがあるわけでもありません。午前中のためか歩行者の姿もほとんどなく、平穏で静か。例によって道路が微妙にくねっているため、方向センサーはほとんど作動しません。ある一角は陶芸やガラス細工などの小さなアトリエが並んでいて、おそらく行政が企画してそういう盛り上げ方をしているのではないかな。
南レフコシア旧市街の東側 上左はファマグスタ門
流行っていない感じの土産物店の前を通りかかったら、主人か従業員なのかわからないけど70代くらいのおばさんが出てきて手招きし、何やらさかんに誘い込もうとします。いや、お土産は要らんし変なお茶とか飲まされても困るし、何より英語を一言も話さないのでそこはスルー。ごめんねおばちゃん。観光産業が成り立つほどの観光地でもなさそうなんだよな〜。道なりに進むと、ときどき行きどまりになっていて、鉄条網が張られているのでバッファー・ゾーンなのだとわかります。繰り返しますが、こんな普通の町内に「国境」だものね。国連が管理するバッファー・ゾーンの内側は、おそらく45年前に打ち捨てられてから変化がなく、廃屋ばかりなのだと思います。
しばしば分断線にぶつかる・・・
背の高い建物がほとんどないため、町の表情自体がとろんとして穏やかに見えます。まあでもギリシアに近いといえばそうかな。このところ旧社会主義圏を回ってきて、むやみな都市計画で広い直線道路を造っているようなところだと「空が広い」という感想になりますが、ここレフコシアは道がくねっていて狭いためその感じもありません。「風情のありそうな古い町並」を好む人ならば好きかもしれない。でもインスタ映えするほど特徴があるわけでもないな。エリアを決めてドロケーでもしたら楽しそうだと、どうでもいいような感想を述べておきます。
2月だけど温暖なので、外でのんびり
小さな教会やら、モスクやら
ファネロメニ聖母教会
きのう歩いたオナサゴル通りに到達すると東に切り返し、方角を微調整しながら東半分を歩きつづけました。ファネロメニ聖母教会(Εκκλησία Παναγίας Φανερωμένης)やオメリエ・モスク(Τζαμί
Ομεριέ)などの宗教施設も見学。宗教と言語をアイコンにして南北に分かれてしまいましたが、こちらキプロス共和国側にトルコ系の人はまだいますし、非トルコ人のムスリムもいるはずです。「北キプロス・トルコ共和国」は島の北半分がうちの国でトルコ系の国家(“Turkish Republic”)だといっているのに対し、キプロス共和国のほうは建国当時の枠組を維持している建前ですので、ギリシア系もいればトルコ系もいますよということであり、モスクなどを破壊するわけにもいかないのです。
社会科の教員として気になっているのは、宗教の違いが紛争や戦争を惹き起こすという言説です。日本人の宗教観の貧弱さもあって、とくにイスラームに対する視線がまずい。かつて地理歴史科教育法を担当していたころ、世界史の模擬授業をさせると、「豚肉を食べない宗教はどれ?」みたいな導入をすぐにもってくるのです。それは誤っていないが、そこから一歩も深まらないのであればかえって偏見や蔑視を生んでしまいます。「妙な食習慣をもつ変な宗教なんか信じるから、テロや戦争をするんだ」みたいにショートしてしまいます。そんなバカな。世界史の教員をめざす学生がそのレベルでは本当に困ります。テロや戦争を起こすのは信仰ではなく、それを目印にして人間集団を区分し、経済水準に差をもたらす社会状況のほうです。戦争を起こすのは、本質的には宗教ではなく経済だと考えるほうがよい。そして、それをもたらす政治。中東の混乱を説明するのに旧約聖書の昔までさかのぼる社会(地歴・公民)の先生がいたら、ちょっと待て。紀元前の民族対立なんて世界中のどこにだってありました。中東がああなったのは、欧米ペースで進んだ近代化(“Western Inpact”)と、いってしまえば英米仏露(ソ)のせいでしょうに。そしてそれは、この小さな島国にもいえることです。
(下左)大主教の館 (下右)聖ヨハネ教会
それはそうと、旧市街の東半分を回っていればいつか行き着くはずだと踏んでいた聖ヨハネ教会(Καθεδρικός Αγίου Ιωάννη)と大主教の館(Αρχιεπισκοπή Isaakiou
Komninou)がまったく見えません。仕方なく地図を取り出し、方角を確認して歩きなおすのですが、地図を「見ながら」歩くというのが嫌で、数手先まで頭に入れて歩いているため、何度も間違えてしまいます。町歩きセンサーの感度が鈍ったのではなく、中東風の町の造りにやられているのだと解釈することにしよう(汗)。ようやくたどり着いたのは、曲がり口の先に何度か見ていたはずの建物でした。大主教の館なんていうからごっついものを予想していたら、やけにコロニアルな2階建て。あとで別のところで見た由緒書きによれば、1960年の独立より前にキプロス大主教だったマカリオス3世が建てさせたものとのことです。その隣に聖ヨハネ教会の、こちらは渋くてどっしりとした建物があります。ラルナカの聖ラザロ教会にも通じるセンス。教会のすぐ裏にビザンティン美術館というのもあって、イコン(聖画のこと。英語読みすればさっき政治的な文脈で用いた「アイコン」になる)のコレクションが有名とのことなので、あす立ち寄って見学することにします。
(左)レドラ通りから見上げる(ほどではない)シャコラス・タワー (右)ひっそりとしたタワー展望台の入口
旧市街の東側 きょうここまで歩いてきたのはだいたい写真のエリアで、地平線の手前に緑の城壁ラインがうっすら見える
13時過ぎにレドラ通りに出ました。このあたりは勝手がわかっています。旧市街で唯一の高いビルであるシャコラス・タワー(Shacolas Tower)に登ってみることにしましょう。タワーといっても11階建てで、私の研究室がある新習志野2号館と変わらん(笑)。日本の地方都市でテナントが退店した跡のようなしょぼいビルではあります。レドラ通りから横の道に少し入ったところに地味なエントランスがあり、これといった案内があるわけでもない雑居ビルです。エレベータで最上階まで進むと、そこに展望台があって€2.50の展望料を支払うしくみ。ちなみに展望ゾーン入場の手前に無料のトイレがあるので、レフコシアを観光する向きは覚えておきましょう。1ヵ月前に訪れた韓国の釜山タワーの展望台もかなりガタが来ていたけれど、いい勝負かもしれません。窓の外はもちろん演出も何もないナマのレフコシアですから、存分に見渡しましょうか。
(左)南の新市街方向を望む 三角形の飾り屋根はレドラ通り (右)北側を望む 2本の尖塔がセリミエ・ジャーミーで、その手前あたりに分断線がある
小さな建物が無秩序に並ぶ旧市街の様子がよくわかります。教会やモスクなど、きょうこれまでに歩きながら通ったところがアクセントになっているので、上から見るとわかりやすいのですが、地平にいると座標感覚が狂うんですよね。まだ直接は見ていない城壁の外の新市街は、中東とか欧州ではなく、新宿のビルから西側を見たときの東京の郊外のような絵に見えます。展望台には過去の写真やレフコシアの歴史年表なども掲げられていて、とても勉強になります。対して北側は、やはりセリミエ・ジャーミーの尖塔が目立ちますし、その左(西)にビュユック・ハンの四角い壁もはっきりと見えます。ビュユック・ハンにはこのあと行くことにします。北レフコシャのさらに北側がどうなっているのかははっきり見えないけれど、町の広がりは南に比べればさほどではなくて、草地みたいなところがかなり目立ちます。わりに近いところに低めの山脈があります。1974年のトルコ軍はあそこを越えて進軍してきたのでしょうか。
空に国境なんてありませんので、「あちらの国」も展望できるのが興味深い。この感覚をどこかで体験したなと思ったら、マカオの高台から湾越しに対岸の中国・珠江市を見たことでしたね。いつの時代だよといいたくなるおんぼろビルばかりのマカオに対して、国境の向こうの中国は、現代的な高層ビルをこれでもかというふうに見せつけていました。いま私は南レフコシアからグリーン・ラインの北側を眺めているわけですが、逆にあちらから見渡したときに、こちらはどのように見えるのだろう。
写真中ほどにビュユック・ハンが見える ん? 山肌に何か見えるぞ
北キプロスの国旗!!
その北キプロス側の山肌に、大文字焼のような感じで巨大な北キプロス国旗が描かれていたのには驚きました。キプロスに関する日本語の情報なんてほとんどないのは確かだけど、あんなのがあるなんてまったく知らなかったので素朴な驚きでした。見せつけているのは向こうも同じというわけね。キプロス共和国も、トルコ以外の世界の国々も「北キプロス・トルコ共和国」の存在を否認していますが、ちゃんとここにあるよ!と強く主張するのが聞こえてくるようです。いやもう、びっくりしたな。
というわけで、レドラ通りを北に向かい、14時ころ何らの緊張感もないままクロス・ポイントを越えて北の領域に入りました。きのうと同じように、越境してきたツーリストたちでにぎわっています。こんなに気楽に越えられるのなら、もう自由通行にしてしまえばいいじゃないかとも思うのですが、そうなると騒乱のもとになるでしょうね。南北再統一が実現したときに懸念されるのは、一つには両民族の処遇についてどのようなバランスをとればよいのかを見いだせないこと、そしてもう一つ厄介なのが、それぞれがラインの反対側にもっていた(もっていると主張する)不動産や債権の問題です。分断から約半世紀も経過していますので、それらが奪われ、誰かのものになっているのは間違いありませんが、「回収」を認めれば大混乱になりますし、権利の認定を誰がどのようにやるのかというのも難しい。現状くらいがいちばん混乱しないというのは確かのようです。
きょうも越境
ビュユック・ハンの手前に3軒の簡易な飲食店があり、路上にテラス席を張り出しています。きょうも昼抜きですが、いったんどこかで座らないと消耗するので、ここでお茶することにしよう。3軒のうちの真ん中の店に声をかけて、いちばん道路側(つまりビュユック・ハン側)に座りました。どの店も半分以上のテーブルが埋まっています。トルコ・コーヒーでもよいのですが、歩いてきてのどが渇いていたので、スパークリング・ウォーターがあるか訊ねたらイエスと。運ばれたのはトルコ語のラベルが貼られた、見たことのない銘柄ですが、まあ普通のガス入り水です。美味しいな〜。なぜか数匹のネコちゃんが周囲を歩きまわっているので、手を振ってみました。レフコシアは、南も北もやけにネコに出会う町です。ネコちゃんたちはラインを自由に越えていけるのでしょうかね。
40分くらいそこにいて、歩行者の様子を見たり、ネコちゃんと目で会話したり。店員さんを呼んで会計を頼むと、決済方法はどうしますかということだったので、ユーロの現金を指定。€1.50と格安でした。で、結果的にこの€1.50が「北キプロス・トルコ共和国」で支払った全額ということになりました。何かおもしろいお土産でもと思ったのだけど、さほどに惹かれるものもなかったのでね。
ビュユック・ハン
ビュユック・ハン(Büyük Han)は16世紀建造の隊商宿(キャラバン・サライ)です。意味は「でかい宿」。正方形の中庭を正方形の建物がとりまく構造で2階建て。「現役」だったときには馬をつなぐところや両替所なんかもあったのでしょうね。由緒書きによれば、1572年にキプロス総督ムザッファー・パシャの命で造られたもので、往時は68もの部屋があったそうです。この地区には古い市場があって、それに隣接して建てられたらしい。いまは完全に観光施設で、カフェ、土産物店、小物屋さんなどが入っています。テレビか映画の撮影班も来ていました。これはたしかに絵になります。やはりレフコシアで最大の見どころとなると、セリミエ・ジャーミーとこのビュユック・ハン、いずれも北側ということになるようです。「外国人観光客」の多くは中年の欧米人ですが、それなりに若い人たちもいます。それにしても来島いらい日本人と出会いませんし、中国人すら見ていません(滞在最終日に中国人の1家族を見ただけ)。少なくとも東アジアにとっては、まだまだ遠い土地なのかもしれません。
でも、このごろわかるようになりました。主観的に見て遠かろうと近かろうと、そこには人間の生活があり人生があります。自分が一生感知しなくても、そこに人々の生(life)があるのです。あちらから見れば、東京の生活なんて想像すらしないだろうし、そこはまあシンメトリー。ただ、「マイナー」とされる地域に対する想像力って、もう少しあったほうがいいのかなと思う。いつからかEUコンプリートなどという意味不明の企画をはじめたわけだけれど、最大の成果はその点への気づきでした。
北レフコシャ旧市街 少し奥に入ると生活感のあるエリアに
2日間で4回目の「国境越え」をして、16時過ぎにいったんホテルに戻ります。欧州に来ると日ごろの運動不足がウソのようによく歩くねえ。え、欧州ではないのか? 18時ころ再起動し、夕食に。新市街の入口あたりに飲食店がありそうな気配だったので少し歩いてみたのですが、日没後のビジネス街といった感じでぱっとしなかったため、城壁の内側に戻りました。展望台から見たように、新市街はずいぶん様子が異なるみたいなので、あすの午前中まずはそちらを歩くことにしましょう。
で、結局というか、レドラ通りとオサナゴル通りがV字に分岐する座標ゼロ付近に立ってみると、その角地にOcean Basketなるレストランがあります。なんとも旧市街にそぐわない、モダンなビルに入ったガラス張りのお店で、店頭に掲出してあるメニューを見ると、シーフード系のカジュアル・レストランらしい。イカ、エビ、タラ、ムール貝が主で、あとはそれらの組み合わせ。別枠で寿司フェアを実施中のようで、寿司メニューが充実しています。欧州の安い飲食店の寿司って(テイクアウト惣菜もそうだけど)ネタの半分以上、場合によってはほぼすべてがサーモンで、食べていて飽きないのかねと感心しますが、寿司とはそういうものだと考えているのでしょう。もちろん寿司はスルーして、イカ&フィッシュのコンボにしてみよう。チップス(フライドポテト)またはライスがつくそうなので、ここはライス。1年前のアテネでもシーフード・レストランを利用したな。あ、飲み物は揚げ物によく合う生ビール(カールスバーグ)。
料理はシンバル状の金属の皿に盛られて供されました。思いのほかボリューミー。浜辺のイカ焼きみたいなのが出るはずはなく、小さく切ってバターでソテーしたものでした。このイカもけっこう美味しい。フィッシュの種類は不明ながら身のしっかりした白身で、英国で食べるやつよりもかなり美味しいです。こういう食事がキプロスっぽいのかどうかは不明。大学生のときに住んでいた学生寮で、安い食費設定と多分に料理人のおじさんのセンス(のなさ)で、週に1回は夕食にイカの丸焼きが出されました。たまに食べるからいいのであって、巨大な胴体を焼いたままのものを食べてもすぐ飽きるし、さほど美味しくない。事前に「欠食届」を出せば1食分が返金される契約だったので、前週の予告でイカが示された日は欠食届がぞろぞろ提出された、というようなどうでもいい記憶がよみがえりました。たまに食べるぶんにはもちろん美味しいのです。メイン€11、ビール€3.50とリーズナブルなのもいいじゃないですか。
PART6につづく
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