Chypre : un pays divisé inconnu ("deux pays" divisés?)


Map: Kythrea Press and Information Office

PART6

 

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22日(金)は9時半ころにスタート。まずは城壁の外側に広がる新市街を少しのぞいてみようかなと思います。2日前にラルナカから乗ってきたバスは、新市街を貫く一本道を通って、突っ込むようにターミナルに入りました。ひとまずその道を逆方向(ラルナカ側)に歩いて、それらしいところまで行って引き返そうかな。一応グーグルマップで見てみたのですが、旧市街と異なり見どころらしきものはありそうになく、町の様子を観察するというだけの散策です。バスが走ってきた道路の名はマカリオス3世通りΟδός Αρχιεπισκόπου Μακαρίου ΙΙΙ)。現代のキプロスといえばこの人しかいないのかね。実はそのまま2kmくらい歩いてみて、何かおもしろいものないかな〜と見回していたのですが、とくになし。展望台から見て思ったように、旧市街とはまったく様相が異なり、私たちがいつも見ているような都市の景観そのものです。都心の商業地というより郊外に向かう幹線道路沿いの景観なので、目黒通りとか駒沢通りあたりのロードサイドの雰囲気だね。左側通行で、その関係もあってかやたらに日本車が目立つため、写真だけ見せれば東京のどこかだといっても通じそうです。

 

新市街のマカリオス通り 道路名標におっかないステッカーが・・・


見どころがないからといって新市街歩きがおもしろくないわけではなく、生活の場というのを愛歩する私にとってはそれも非常に興味深い。旧市街とのコントラストもいいじゃないですか。お花の季節になると東京23区界隈の桜並木を探して日々歩きまわるのをもう10年以上もつづけていますが、それで初めて出会う地区、初めて歩く道というのがかなりあります。何十年も住んで東京のことならなんでもわかっていると思ったら大間違いで、地区ごとに表情があり個性があって、そこに生活があります。キプロスの首都に来てそのことを思い出す。

2時間弱ほど新市街めぐりに費やし、城壁の内側に戻ってきました。「地球の歩き方」は、当然というか旧市街(それも南半分だけ)の地図しか掲出していないけれども、ロンリー・プラネットは新市街のほうもかなり広域的に載せているので助かります。そうだ、首都の町歩きで印象的だったのは信号のしくみでした。東京郊外みたいな景観だけあって歩行者用押しボタンもほとんど同じような形状をしています。ところがそれを押して歩行者側が青に変わっても、渡りきらないうちに赤に変わります。フランスや韓国もそんな感じなので、ここもそうかと思ったわけだけど、歩行者側の青信号が点滅しているあいだに、車両側はすでに黄→青を示していて、やばいラグがあります。そういうものだと心得て歩行者はとっとと渡れということなのでしょうが、知らないとおっかないですね。

 旧市街に戻ってきた!

 
(左)聖ヨハネ教会  (右)ビザンティン美術館


聖ヨハネ教会にやってきました。きのうはこれを探して30分くらいうろうろしましたが、今回は一発で到達。自由記念像を背に直進すればすぐに突き当たる場所にあったのでした。ここにもギリシア共和国国旗が掲げられていて、正教はギリシアとキプロスで別じゃなかったのかと思う(マカリオス3世はギリシア正教ではなくキプロス正教会の大主教だった)。教会と書きましたが、小さいですがここは大聖堂(カテドラル)。つまり大主教座のあるところです。ちなみにArchbishopにカトリックでは大教、正教や聖公会(英国国教会系)では大教の漢字をあてます。もちろんこれは欧州ではなく日本側の事情によるものですね。このカテドラルは17世紀の建物で、やはり土色の壁が渋く、落ち着きます。壁に掲げられたイコンを見るのもおもしろくなってきました。それもあるので、教会のすぐ裏にあるビザンティン美術館Βυζαντινό Μουσείο / Byzantine Museum)へ。イコンのコレクションがすごいと聞いていて、15分くらいじっくり見て、なるほど見ごたえがあるなと感心していたら、女性の学芸員さんが近寄ってきて、上階の特別展示は13時で閉まるので(この時点で12時)、そちらを先にごらんになってはいかがですかと。常設展示部分の入館料は€4、チケット売り場で特別展も勧められたので€1で別のチケットを購入していました。そういうことなら、そうしましょう。特別展といっても1月末から7月末までのロングランで、パレオロゴス期の美術を特集しているとのこと。パレオロゴス(Palaeologos)というのはビザンツ帝国の最後の王朝(12611453年)です。この特別展では“Palaeologan Reflections in the art of Cyprus: 1261-1489”と銘打っており、滅亡後しばらくはそのアーティスティックな影響があったのでしょう。10年くらい前、突然にビザンツ史がおもしろくなって数冊の本を読んだことがあります。日本の「世界史」ではまず傍流扱い、たいていはスルーされてしまいますよね。ただ、ビザンツ後期の美術がどうだったという知識は皆無なので、英語の解説を手がかりに、ふむふむうなずきながら鑑賞するのみです。中世とはいうものの、ルネサンスに向かう時期ではあるので、写実的だし、しばしばマンガ的な場面描写がみられ、色づかいも立体的になってきています。へえ。「千年帝国」が15世紀に崩壊するころ、西欧との融合でいっそう近代的な絵画に近づいていったとのこと。こういうのは、ちゃんと解説できる人にガイドしてもらいたいですね。

0階に戻ってイコンの鑑賞を再開。「子どもの発見」の文脈で指摘される、幼子イエスと聖母マリアの像というのがけっこうあります。フィリップ・アリエスの言説はあくまで西欧限定の話なのだろうか。13世紀の聖画がかなり展示されているのですが、この段階でかなり写実的になってきました。なるほど、その流れが特別展の特集につづくわけだな。前に触れたように、このところ正教の教会を訪れる機会が多くなり、正教式のイコン文化にたくさん触れて、なじみが出てきました。絵の構図や描かれている場面の雰囲気が仏教のそれと重なるように見えることが、しばしばあります。まあしかし、芸術というのも政治から自由ではありえず、北キプロスの文化遺産がトルコ人にやられてひどいことになっているとか、北部から逃れてきた人たちがイコンを教会から剥がしてもってきたとか(いいのか?)、トルコ人たちが「占領」後に盗み取ったイコンが売り飛ばされたとか、それやこれやの解説が書かれていました。

 なんだかいい感じの道だなと思ったら、その先に・・・

 
いい感じのチョコ屋さん お土産をゲットしよう!


美術館、大聖堂の裏手にオメリエ・モスクがあります。このモスクは何度も通過したのに教会に行き着かなかった前日の行動はいまもって意味不明。位置関係はもう心得たのでそのまま西に向かって歩きます。と、モスクから2ブロック先の角に、feelingsというチョコレート・ショップが見えました。レフコシア3日目なのでそろそろお土産を得ようと思って、けさ出発前にグーグルで«Nicosia chocolate»と検索、旧市街で3ヵ所くらいのよさげな候補があって、そのトップがここでした。だいたいの位置を記憶して、散策の途次で探してみようと思っていたら、探す前に出会っちゃった。とはいえ荷物を増やしたくないので、位置だけ確認しておけばいいかなと思い、店のそばに寄っていったら、中からおやっさんが出てきて目が合います。「ハンドクラフテッド(手づくり)のチョコレートですよ、どうですか」と。これはもうご縁なのでぜひそういうことにしましょう。お花屋さんのような外観と店内の造り、そして広さ。中東系の顔立ちのおやっさんは、あまり英語が得意ではないらしいが、一生懸命にしゃべります。これは何味、これは人気が高いですよなどと、熱心に説明してくれ、いくつか味見までさせてくれます。20種類くらいある自家製の一口チョコから、適当に1ダースずつ、何箱か詰め合わせてもらうことにしました。欧州のお土産といえばもうチョコなのですけれども、今回はEUコンプリートの内祝いでもあるため、どかんと弾もう!と思わぬでもなく、普段はやらないカスタマイズ買いにしたのですが、これがまたびっくりするほど安い(差し上げた方もあるので値段を記すのは控えます)。「妻がいればもっと速いんですが、出かけていてね」と、おやっさんは不器用な手つきながら丁寧にリボンを巻いてくれました。「あなたは日本人ですか? チャイニーズではなくて?」 ――Yes, I am Japanese. ここに来店する日本人ってどれくらいいるんでしょうね。サンキュー。

小さな紙袋に入れてくれたチョコをリュックに収納してもいいのですが、崩れるのも嫌なので、いったんホテルに戻って置いてくることにしましょう。旧市街に関するかぎり、もう地図は不要です。14時ちょっと前に宿に戻ったら、3泊目にして初めて湯沸かしポットとコーヒーのセットが置いてありました。さては忘れていたな(笑)。

 

北レフコシャに夕立ち?の襲来


あす23日はラルナカ国際空港を16時に発つ便でキプロスを離れることになっています。ラルナカまでの移動もあるので午前中にはレフコシアを離れることになりそうで、旧市街の中心部を歩くのはこれが最後になります。――ていうか、もうお察しのことと思いますが、最後にもう一度、クロス・ポイントを越えて北キプロス側に行ってみたいわけです。(日本の)地図に載っていない国に入る、というイレギュラーな行為にわくわくしていたのは2日前。もうすっかり心理的なボーダーは霧消しました。北朝鮮のレポートというのは、注目度が高いこともあってそれなりにあるのだけど、北キプロスの日本語の情報というのはめったになく、私ごときでも語り手になれそうだな。などと考えています。15時ちょうどに越境。ところがそのちょっと前から雨が降りはじめていて、南レフコシアの、靴のセールをあちこちでやっているあたりで折り傘を開くはめになりました。用心で持参してはいるものの、なるべくこれは差したくないんですよね。でも仕方ない。北側の審査所でパスポートをスキャンしてもらうころにはかなり本降りになりました。セリミエ・ジャーミーの表参道を勝手知った感じで進むうちにいよいよ夕立ちレベル。夏ではないが、夏のスコールみたいな感じになってしまいます。本当はモスクに行ってお別れのあいさつをと考えていたのですが、それどころではなく、モスクに隣接する公設バザールのアーケード内に逃げ込みました。この場所を知っていてよかった!

バザールの入口付近に20人くらい座れるベンチがあり、当方のほか何組かのツーリスト(たいていは中高年の夫婦)が同じように緊急退避。地元の人もいくらかいます。ずぶぬれになりながら飛び込んでくるトルコ系の兄さんの姿もありました。どれくらい待てば小やみになるのかわからないながら、マックス豪雨のタイミングで外に出れば全身ずぶぬれで悲惨なことになるに違いありません。それなのに強行突破する夫婦が2組ほど。うわ〜。そのうちセリミエ・ジャーミーから朗誦が聞こえてきたのはよかった。スコールに降られてイスラームの朗誦を聴くなんて、アジアに来たなあという実感がありますからね。

 
水はけが悪く洪水状態になっている


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分くらいでみんないなくなりました。1組の夫婦は、いったんどこかに消え、しばらくして戻ってきたら大きな布で上半身を(荷物ごと)覆っています。このバザールのどこかで調達したのでしょう。傘をもっていないようで、この先のどこかの飲食店に飛び込むプランではないかと思う。寒さも増してきたので、この国では使うことはないだろうと思っていたマフラーを予防的に着用しました。パリが厳冬だったときにシャンゼリゼで購入し、国内を含めていつもリュックに入れているのだけど、基本好きではないのでめったに巻くことはありません。年末のリトアニアでは初めから使うつもりで、実際に着用しっぱなしでした。一方この2月のパリはやたらに暖かく、日昼は17度くらいまで上昇していたので、マフラーどころか上っぱりの出番すら怪しかったのです。いや、キプロスでマフラーとはね。

土砂降りの状態が収まって、どうにか歩けそうな感じになったので、1550分ころバザールを離れました。もう北レフコシャの見学などしている場合ではありません。それにしても道路の水はけが最悪で、逃げ場がないほど雨水がどんどん流れています。スニーカーは早くに浸水しました。もう観念するほかありません。チノパンの裾を折り曲げて、そちらに水が来ないように按配するのがせいぜいです。後ろ髪を引かれつつクロス・ポイントを通過して、4たびキプロス共和国の実効支配領域に戻ってきました。「別の国」であっても同じ都市なので南レフコシアも豪雨だったわけですが、インフラの南北格差なのか、南のレドラ通りで洪水が起こっている様子はありません。水たまりなんてどこにもないもの。

 


それにしても足許が冷たすぎるし、レフコシアを発つあす午前までに乾く保証もありません。いったんホテルに戻って着替えるにしても、靴は濡れたままだから、そのまま夕食に出なくてはならないか・・・。8月にソウルを訪れたとき、かなり激しい豪雨に見舞われて、最寄りの地下鉄駅からホテルまで徒歩5分くらいなのだけど靴が完全に浸かりました。靴下を脱いで、素足に濡れた靴という状態でホテル裏手の食堂に入り、クッパを食べたのは(あとから思えば)愉快な思い出。ただしそれは真夏のことです。いかに避寒地の地中海とていまは2月!

と、クロス・ポイントから数十メートルほどのところに、スポーツ・シューズなどを店先に並べた小さな靴店があります。何度も見ているように、この付近にはやたらと靴屋さんがあって、どこともセールの表示を出していました。この店もオール525ユーロと告げています。おおこれは救いかもしれない。入店すると、東洋系の顔立ちをしたおねえさんが応対してくれます。当方の足許を見て、「ああ、雨でやられてしまったんですね」と。――25センチはありますか?(欧州では男の小足は少数派) 「センチメートル? いや、センチメートルはよくわかりません。サイズをご存じではありませんか?」 ――残念ながら私たちはサイズ・ナンバーという習慣がないので知らないのです。そうか、こちらは服にしても号数表示だったな。私はポリシーとして黒一色の靴しか履かないので、それらしい品を差し、サイズを見せてもらいます。足が濡れているので試着は厳しいですといったら、拭くためのタオルと代わりのソックスを貸しますのでどうぞ試着してくださいと、とても親切。おねえさんが推量したサイズを試してみたらぴったりでした。「ソックスが必要なら€1で差し上げます。(濡れてしまった)その靴は、プラスティック・バッグ(レジ袋)に入れてお持ちください」とも。たまたま飛び込んだ店で親切な対応に出会えてうれしいですね。「チャイニーズですか? ジャパニーズ?」 ――I am Japanese. 「ああ日本からいらしたんですか。私まだ行ったことないです。私はフィリピン人です。キプロスではフィリピンの女性がたくさん働いているんですよ」 ――え、そうなんですか!! ひと昔前の東京でもフィリピン女性はたくさん働いていたし、香港はいまも家内労働のかなりの部分をフィリピン女性に負っていて、週末になると彼女たちが集会を開くのを見ることがあります。そういえば、フィリピン訛りの英語ってこんな感じだったよなという話し方でした。心からありがとう。€15のセール品なので薄っぺらく、地面の凹凸を足の裏で直接感じ取れるレベルだけど、緊急避難できょう一日を乗り切ればOKです。北レフコシャと南レフコシアのいい思い出になりました。

 夜のクロス・ポイント


ホテルに戻って、備えつけのドライヤーで靴に温風を吹きつけます。高校生のときからずっと短髪なのでドライヤーなる機械を使用することはなく、もちろん所持してもいませんが、こういうときにはあると助かります。8月のソウル以来の乾燥作業で生乾きの手前くらいまでは仕上げたので、一晩おけばどうにかなるでしょう(なりました)。代車ならぬ代シューズをすぐに入手できて本当によかった。18時過ぎにきょう3度目の出動。レドラ通りやオナサゴル通りをひと回りしてみますが、レストランっぽい店がほとんど見えず、軽食系ばかり。おそらくライキ・ギトニア周辺などにはそれらしいところがあるのでしょうが、なんだか疲れたので軽食でもいいかな。前夜世話になった店のトイメンにケバブなどの軽食を出す店があったので、そこで肉系統を食べよう。Sham Foodと看板にあり、テイクアウトとイートインの両方に対応した、いわゆるファスト・フードのたぐいなのでしょう。ドネル・ケバブ、シシ・ケバブのほかにファラフェル(イスラエルやレバノンでよく食べられている豆の揚げまんじゅう)なんかもあるな。アジア人のくせにアジアン・フードはよくわからないので写真つきメニューを指さし、コレひとつ(“This one.”)というおなじみの作法で発注したのは、チップスつきミール€6.20というやつでした。Mでその価格、Lなら€7.20XLだと€8.20となるそうです。ビールありますかと聞いたら、「ありますけどノンアルです」と。一瞬躊躇しますが、いまさらコーラなどといいなおすのもしゃくなので、それを1つ(€1)。

 
 


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分くらいして呼ばれ、かなり大きな紙箱の載ったトレーを受け取りました。シシ(串肉)3本、ピタ、その下に大量のチップス。千切りキャベツ、レタス、トマト、ピクルス、サワークリーム、唐辛子が別添え。それとまた別にコールスロー。キプロスではこれらをピタにはさみ込むのだということは、もう心得ました。それはいいのだけど、肉を串から外そうとしてもなかなか外れなくて難儀します。串ごとサンドしてしまったら食べられないじゃんね。1本だけ外して、あとの2本は別食いということになりました。これはタンドーリ・チキンのようで、でもタンドーリなんてあるはずがないのでタンドーリ風ということなのでしょう。肉がちょっと硬いかな。さてドリンクですが、ノンアル・ビールとはいうけれど、アルコール分だけでなくビールの味もゼロで、英語表示にあるようにハニーとジンジャーの風味だけがします。炭酸が強いので、強めのレモネードを飲んでいる感じ。ラベルを見ると、サウジアラビアのジェッダの業者が製造しているようです。ここはキプロス共和国の(南)レフコシアですが、この店はムスリム系の人を主たる対象にしているのでしょうか? ポテトをもてあましたので、箱ごと持ち帰ってビールのアテにするかな。

このあと部屋で夜のパブ・タイムなので、バス・ターミナルそばの何でも屋さんで燃料を購入。ビール0.5L€1、ピーナツは€0.90です。実はこの店を3日連続で利用しているため、店員のおじさんは当方を認知したらしく、「今夜もよい夜に!」といってくれました。サンキュー! ワインのほうは、先ほど靴屋さんからホテルに戻る途中で購入済みです。今夜だけなのでフルボトルは困るが、ハーフは置いていないらしかったので、赤白ロゼとそろっていた1/4ボトルの赤白を1本ずつ求めました。いずれも€2。物価が安いというのは、ヴィジターにとってはいいことです。

  
朝のカトリック教会 ネコちゃんたちおはよう!


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23日(金)も晴れ。「も」っていうけど、たまに気まぐれ豪雨があるので油断はならん(笑)。本来の靴が機能回復したようなので、朝食前にちょこっとだけ散歩することにします。ホテルのすぐ近く、グリーン・ラインすれすれのところにある渋いカトリック教会は、あらためて見ると駐キプロス・ヴァチカン大使館を併設しているようです。ヴァチカンとキプロスというのも、歴史を思えばなかなかすごい組み合わせですよね。あらためてグリーン・ラインの南側に沿って歩いてみます。南側といったのはキプロス共和国側ということであって、このあたりのラインは複雑に入り組んでいるため、容易には説明できません。ただ、歩くぶんには金網を越えなければいいわけなので、とくにわかりにくいということではない。戸建ての住宅なども見受けられるその付近に、自動車用のクロス・ポイントがあるのに気づきました。まだ8時前ですが、見ているそばから数台の車が北側に入っていきました。分断国家の分断の絵を、最後にしっかり見ておきましょう。

 
(左)自動車用のクロス・ポイント  (右)国連管理のバッファー・ゾーン 写真右手の城壁の向こうが北キプロス


首都レフコシアには当然、国際空港があったのですが、1974年の紛争のときキプロス共和国軍とトルコ軍とのあいだで奪い合いになり、相当なダメージを負ってしまいました。それもあって停戦後は国連管理のバッファー・ゾーンの内側に取り込まれることになり、以後は国連のキプロス平和維持軍の本部が置かれて今日にいたります。北キプロスのほうは北レフコシャ東方に独自の空港を設置して、トルコの各都市とのあいだを結びます。キプロス共和国に対しては、英国が中心となってラルナカの英軍基地を大改造して提供、そちらが玄関になったのでした。首都に空港がないイレギュラーな国の首都を、いま離れようとしています。向かう先はもちろんラルナカ国際空港。「地球の歩き方」によると、ラルナカ国際空港とレフコシアのあいだはシャトル・バスで結ばれており、所要約40分、運賃€8だそうですが、「レフコシアの郊外に発着所があり、そこから町中心部へはタクシーで約10分」と記述されています(p.356)。調べてみたら発着所というのは、きのう歩いたマカリオス通りをさらに進んだところのようで、なんで旧市街側までもってこないのか理解に苦しみます。タクシー+バスが必要だというのなら、来たときと逆に、ラルナカまで€4のバスで向かい、あの海岸の停留所から空港行き€1.50のバスで行けば、時間的にもさほど変わらず、便利で安いと判断しました。ラルナカ行きは10時、11時、1230分とあったので、11時に乗ることにして、10時半ころホテルをチェックアウト。いやレフコシアおもしろかったな〜。

 
 


同じ経路なのでバスの勝手もよくわかっています。帰路も前から2列目を確保して、展望上々。ところがハイウェイに出たあたりで雨が降りはじめ、きょうもまた結構な雨量です。ラルナカで乗り換えて空港に行くだけだから別にかまわないが、雨というのはやっぱり嫌だなと思っていると、ラルナカ市内に入る手前でぴたりとやみました。海岸ぺりの例の停留所に着いたときには、どこまでも青い空と青い海。4日ぶりに見た地中海はとても穏やかでした。着いたのは正午前で、いくらなんでも空港に行くのはまだ早すぎる。私にしてはめずらしくスターバックスに入って、ラテなど飲みながら1時間半ほど時間をつぶしましょう。キャリーを引いているためもう身動きは取れず、そうなると読書またはネット・サーフィンくらいしかすることがなくなります。いまどきのダメなスマホ人種と同じで、スタバならば電源とWiFiがあるだろうと思ったわけね(ありました)。

 


14
時ちょっと前に空港に到着。16時発のルフトハンザLH1293便でフランクフルトに向かいます。1年前のアテネからの帰路と同様に、帰国便がフランクフルトを1130分に出る便なので、フランクフルト中央駅前の常宿に前泊ということになります。さすがにドイツ中部は寒かろうね。ルフトハンザのカウンターにキャリーを預けてチェックインし、フランクフルトでいったん請け出す旨を明確に告げます。ラルナカから羽田までがひとつづきの行程という扱いになっていて、フランクフルトは経由地(乗り継ぎポイント)ということであり、なんだったら空港内で一夜を過ごしてもいいですよというわけです。搭乗券も2枚発券されました。人間のほうは市内で1泊しても荷物は預けっぱなしということでも別によいのだけど、着替えやらお土産やらIT関係やらもろもろの都合があるので、いったん引き取るほうがよい。ただし、キプロスはEUでもシェンゲン圏外なので、フランクフルト空港でドイツというかEUへの入国審査を受ける必要がありますね。

と、そこまでは順調だったのに、制限エリアに入ってすぐにトラブル発生。この空港を離陸する便はすべて国際線なので、制限エリアに入り保安検査場を抜けると、自動的に出国審査場にぶつかります。パスポートを提示してハローといったら、中年女性の係官が怪訝そうな表情でこちらを何度も見やり、無言で端末を操作。わからんな〜という感じで、今度は受話器を手にしてどこかと何やらのやり取りをしています(ギリシア語なのでわからん)。何かトラブルですかと訊ねたら、きりっとした口調で「ウェイト・ヒア」と一言。

 

ラルナカ国際空港 ルフトハンザのA320に乗って、(フランクフルトで1泊して)東京・羽田へ帰ろう


私の後ろにも行列ができていて、非常に申し訳ないのですが、こちらも何が起こっているのかわからずに困惑しています。が、5分くらい経ったところで思い当たりました。見た目では気づかないけれど、パスポートにはもろもろの電子情報が書き込まれています。この34日のあいだに、この旅券をスキャンして、計6回クロス・ポイントを通過し、3回も北キプロスに越境していました。めったにキプロスに来ないはずの日本人がアヤシイ動きをしているのは間違いなく、これを見逃して万一何かの問題が発生したら担当官の責任問題になりかねません。それを恐れて慎重に調べ、オフィスと連絡を取ってブラックリストと突き合わせていたのでしょう。もちろんそんなリストに記載があるはずはなく、ゆえに時間を要してしまったと、そういうことでおそらく間違いないはずです。

なんとも気楽に越境できてしまっていたため事態の重さを忘れていたが、ここは深刻な対立を抱える島でした。出国間際に思い知らされてしまったな。結局、20分近くかかってようやく通してもらえることになり、その間に係官も交替するなど、先方にひと手間かけさせてしまいました。これはひょっとするとキプロスを出禁になったかもしれず、次に入国する際には駐日大使館あたりで一筆書いてもらわなければならなくなるかも。いや、そうではなくて、南北キプロスの分断が今後どのように推移するのか、しないのかは依然として不透明ながら、行き来とか出入りに関しては、対EUを含めてボーダーフリー、ストレスフリーになっていることを祈るべきなのでしょう。そんな進化系のキプロスを、またぜひ見てみたいものです。

 

知られざる分断国家キプロス おわり


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